最近困ったこと、前書きと後書きに書く内容のネタが思いつかない!!
夏の濃密な湿気が、東京都立呪術高等専門学校の敷地全体を覆っていた。
グラウンドを渡る風には蝉の喧噪が交じり、照りつける太陽が焦土のような熱をアスファルトから立ち昇らせている。東京校に入学してから月日は瞬く間に過ぎ去り、季節は七月を迎えていた。連日のように舞い込む呪霊討伐の任務に忙殺されながらも、このグラウンドで繰り広げられる鍛錬の時間は、土師菅公(はじすがきみ)にとってかけがえのないものだった。
「――甘いぞ、菅公!」
鋭い怒号と共に、一本の薙刀が空を切り、烈風を孕んで菅公の首筋へと肉薄する。
刃を打ち込んできたのは、ポニーテールを揺らす同い年の少女、禪院真希だった。短く切り揃えられていた髪を伸ばし、高専に入学する少し前にポニーテールへと結い上げた彼女の鋭い瞳には、一切の容赦がない。
183センチという15歳離れした恵まれた体躯を持つ菅公は、その巨躯からは想像もつかないほど滑らかな動作で上体をわずかに捻り、薙刀の刃先を紙一重でかわした。
「相変わらずいい踏み込みだね、真希。でも、ちょっと力が入りすぎてる」
「チッ、言ってくれるぜ!」
真希は即座に柄を返し、石突で菅公の顎を跳ね上げようと追撃を仕掛ける。菅公はそれすらも予測していたかのように、左手の掌底で軽く柄を叩いて軌道を逸らし、そのまま踏み込んで真希の懐へと潜り込んだ。
菅公の一人称は「僕」であり、その佇まいは常に穏やかだ。しかし、彼が纏う呪力の精緻さと、鍛え上げられた体術の切れ味は同世代の中で群を抜いていた。菅公は自身の術式『落落雷雷(らくらくらいらい)』を、通常の戦闘では意図的に使わない。菅原道真の先祖である土師家の末裔として生まれ持ったその破壊の術式は、軽々しく振るうにはあまりに苛烈すぎることを自覚しているからだ。術式を封印した素の体術と呪力操作のみで、彼は真希の攻撃をことごとく無力化していく。
「おっと、そこまでだ!」
巨躯を誇るパンダが間割って入るように太い腕を振り下ろし、後方からは狗巻棘が「ツナマヨ!」と短く声を上げて菅公の側方に回り込む。三位一体の連携。だが菅公は、地面を蹴って最小限の動作でバックステップを踏み、三人の攻撃範囲からするりと抜け出してみせた。
「ふう……二人も混ざると、さすがに骨が折れるよ」
菅公は爽やかに汗を拭いながら微笑んだ。
「けっ、嘘つけ。術式も使わねぇで余裕しゃくしゃくじゃねえか。少しは本気出しやがれ」
真希は薙刀を肩に担ぎ、フンと鼻を鳴らした。ポニーテールから一筋落ちた汗が、彼女の引き締まった頬を伝う。
「僕の術式をここで使ったら、グラウンドが吹き飛んで夜蛾学長に雷を落とされちゃうからね。……本物の雷だけに」
「笑えねぇ冗談言うな」
真希は呆れたように息を吐き、ポカリスエットのペットボトルを菅公に投げつけた。菅公はそれを難なく受け止め、喉を鳴らして飲み干す。
「そういえば、真依からは連絡あった?」
菅公の問いに、真希は一瞬だけ苦い顔をした。
「相変わらずだよ。京都校の方で『真希がいないからせいせいする』だの『京都の夏は暑くて嫌だ』だの、くだらねぇ愚痴ばっかり叩き込んできやがる」
「はは、真依らしいや。休日に僕が会いに行った時も、京都の甘味処で真希の悪口を言いながらパフェを食べてたよ」
「あいつ……裏で菅公に泣きついてんじゃねぇよ」
菅公と真希、そして京都校に通う真依の三人は同い年だ。まだ彼らが五歳だった頃、菅公は父親に連れられて禪院家の屋敷を訪れ、二人の姉妹と出会った。苛烈な禪院家の中で弾き出されていた幼い真希と真依にとって、土師家の神童と呼ばれながらも分け隔てなく接してくれた菅公は、数少ない理解者であり、大切な幼馴染だった。その絆は、互いに高専の術師となった今でも変わっていない。
◇
休日になると、菅公は高専を離れ、都内の最高級ホテルのラウンジや落ち着いた和室へと足を運ぶ。そこには、彼の師である特級術師・冥冥の姿があった。
「相変わらず良い顔をしているね、菅公。鍛錬を怠っていない証拠だ」
着物を優雅に着こなした冥冥が、薄い笑みを浮かべながら氷の浮かぶグラスを傾ける。その傍らには、彼女の弟である憂憂がちょこんと座っていた。憂憂は菅公を見ると、ぱっと表情を明るくして深々と頭を下げる。
「兄様、お久しぶりです! 姉様の教えを今も完璧に実践されているのですね」
「やあ、憂憂。今日も冥冥さんのお手伝いかい?」
「はい! 僕の人生はすべて姉様のためにありますから!」
憂憂の極端な姉至上主義に苦笑しつつも、菅公は冥冥に向き直った。
「冥冥さん。任務の報告書、目を通していただけましたか?」
「ああ、見たよ。無駄のない素晴らしい手際だ。……まあ、もう少し依頼人から追加の報酬を絞り取る交渉術を覚えてくれれば百点満点なのだがね」
「はは、お金の話は冥冥さんには敵いませんよ」
菅公が自らの意思で冥冥に師事したのは、父親である土師宗矩(はじのむねのり)の紹介がきっかけだった。菅公が幼少の刻、土師家と深い縁を持つ五条家の屋敷を訪れた際、彼は当時まだ高専生だった五条悟と出会っている。
絶対的な強者として圧倒的な存在感を放っていた五条悟。その背中に強い憧憬を抱いた菅公は、「強くなりたい」という一心で、効率と強さを極限まで追求する個人主義者・冥冥の門を叩いたのだった。
そして、その師事の過程で、菅公は一度だけ死線を潜り抜け、自らの術式『落落雷雷』を更なる領域へと覚醒させている。
通常であれば青白く輝くはずの稲妻が、菅公の鬱積した呪力と覚醒によって、禍々しくも神々しい「赤き雷」へと変貌を遂げたのだ。その威力は従来のものから数十倍へと跳ね上がり、概念すら焼き切るほどの焦熱と破壊力を得るに至った。
そして、菅公にはもう一つの絶対的な一面がある。
「菅公」
冥冥が不意に、静かで冷徹な声で呼びかけた。
「君の『敵対者は生かしておかない』という徹底したスタンスは、呪術師として実に合理的だ。余計な禍根を残さないことは、将来的なコストカットに直結するからね」
「……ええ」
菅公は穏やかな笑みを崩さないまま、瞳の奥に深い闇を宿らせて頷いた。
菅公は仲間に甘く、心優しい。しかし、一度「敵」と見なした存在——呪詛師や自分たちの平穏を脅かす者に対しては、一切の情けをかけずに「皆殺し」にする冷酷さを併せ持っていた。その極端な二面性こそが、土師菅公という術師の真価でもあった。
◇
しかし、その穏やかな夏の日々は、一枚の極秘指令書によって破られることとなる。
「総監部からの直命……?」
高専の自室で指令書を受け取った菅公は、そこに記された文面を目にして薄い眉をひそめた。
『特級過呪怨霊に取り憑かれている少年を確保せよ。生死は問わぬ』
場所は宮城県仙台市。対象は一般の高校生。
「生死は問わぬ、か……。総監部の老いぼれ共が考えそうなことだ。要するに、手に余る危険ならその場で殺せ、ということだろうね」
菅公は低く呟くと、指令書を指先で捏ねるようにして丸めた。
ただならぬ事態が発生している。過呪怨霊という異例の存在、そして総監部が即座に抹殺をも視野に入れているという異常さ。仙台の高校で何かが起きている。
菅公は183センチの体を起こすと、黒の制服に身を包み、大急ぎで仙台行きの新幹線へと飛び乗った。
◇
宮城県仙台市内のとある高校。
時刻は放課後を疾走し、夕闇が校舎を赤黒く染め上げていた。校門を潜った瞬間、菅公の肌を刺したのは、吐き気を催すほどの濃密で歪んだ呪力だった。
学校内は静まり返っていた。蝉の鳴き声すら遮断されたかのような異様など静寂。菅公は足音を殺し、長身を滑らせるようにして校舎の廊下を進む。階段を上がり、二階の教室前へとたどり着いた時、彼の鼻腔を強い血の匂いが突いた。
鉄の臭いと、生臭い呪霊の臭気が混ざり合う惨劇の現場。
菅公は静かな表情のまま、教室のドアをカラカラと開けた。
視界に飛び込んできたのは、凄惨という言葉すら生ぬるい光景だった。
教室の隅、一人の少年が頭を抱え、膝を抱えるようにして体操座りでうずくまっている。
彼の名は『乙骨憂太』。今年17歳になる高校生男子だ。
そして彼のすぐ横には、赤黒い血が大量に滴り落ちているスチールロッカーが倒れていた。内部を覗き込めば、5人の男子生徒が骨を砕かれ、人間とは思えない形に歪められて無理やり詰め込まれているのが分かった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
乙骨憂太は、全身をガタガタと震わせながら、か細い声で謝罪を繰り返していた。自らが引き起こしてしまった惨劇の重圧に押し潰され、恐怖と絶望の底に沈んでいる。
靴音を一つ、響かせながら菅公は歩を進めた。
散乱した机や血溜まりを避け、静かに、どこまでも穏やかに。
菅公は乙骨の目の前までたどり着くと、トンと片膝をつき、目線を乙骨と合わせた。
「乙骨憂太君、だね」
菅公の声は、惨劇の教室には不釣り合いなほど優しく、温かかった。
だが、その声を聞いた瞬間、乙骨の顔が弾かれたように跳ね上がった。怯えきった瞳が菅公を捉え、次の瞬間、乙骨は喉を潰さんばかりの悲鳴を上げた。
「こっちに来ちゃダメだ―――っ‼︎」
乙骨の叫びに応ずるように、彼の背後の空間がぐにゃりと歪んだ。
ドォンッ‼︎
おどろおどろしい、禍々しいまでの黒紫色の呪力が爆発的に立ち上る。空間を押し潰すほどの圧迫感。特級過呪怨霊『折本里香』。乙骨の幼馴染であり、彼に呪いとして憑依したフィアンセである異形の存在が、その姿の一部を現世に顕現させたのだ。
『ユウタニ……サワルナアアアアアッ‼︎』
空間を割るような甲高い咆哮とともに、人間の胴体ほどもある巨大な異形の拳が生成され、超音速の踏み込みで菅公の顔面へと迫る。空気が爆縮し、衝撃波が教室のガラス窓を丸ごと粉砕した。
異形の一撃。それは間違いなく、並の二級、一級術師であれば肉塊に変えるほどの殺傷力を秘めていた。
乙骨は絶望に目を背けた。「また、僕のせいで人が死ぬ」——そう確信した。
巨大な拳が菅公に突き刺さる——筈であった。
ズンッ! と教室の床が叩き割れる重低音が響く。しかし、そこに血飛沫は舞わなかった。
里香の巨大な拳は、虚しく空を切り、床のコンクリートを粉砕していただけだった。
「え……?」
乙骨が恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
菅公は、相変わらず穏やかな表情を崩さないまま、そこに立っていた。
術式『落落雷雷』すら発動していない。ただの洗練された呪力操作と、限界まで高められた身体能力による超絶的な体術。里香の拳が放たれた瞬間のわずかな予備動作を看破し、最小限の体さばきで回避すると同時に、呪力の波長を滑るようにして間合いを詰めていたのだ。
里香の攻撃を完全にいなし、菅公はいつの間にか乙骨の息遣いすら聞こえる至近距離へと肉薄していた。
『ガアアアッ! ユウタカラ……離レ……!』
狂乱する里香が再び呪力を肥大化させようとした、その瞬間。
菅公は静かに右手を伸ばした。
そして——ポンッ、と優しく乙骨憂太の頭の上に手を置いた。
「な……」
乙骨が息を呑む。
菅公の手は温かく、大きく、そして何よりも絶対的な安心感に満ちていた。ポンポンと、子供をあやすかのように優しく頭を撫でる。
「大丈夫」
菅公は、目の前でうずくまる怯えた少年に向かって、満面の笑みを向けた。
「君にも、その子にも何もしないから」
その一言には、嘘偽りのない真実の響きがあった。
総監部の「生死は問わぬ」という冷酷な指令など、最初から無視するつもりだった。菅公の「敵対者は皆殺しにする」という流儀は、反転させれば「守るべき者、敵でない者には徹底的に慈悲を注ぐ」ということでもある。この傷ついた少年と、彼を護ろうとして暴走する少女の霊は、菅公にとって滅ぼすべき「敵」ではなかった。
菅公の手から伝わる温もりに、乙骨の身体から急速に毒気が抜けていく。それと同調するように、乙骨を覆っていた暴虐な呪力の渦——折本里香の顕現も、威嚇をやめ、緩やかに収束していった。
『ユ……ウタ……』
名残惜しそうに消えていく里香の気配を感じながら、乙骨の目からポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「ほんと……ですか……? 僕……人を、傷つけちゃったのに……」
「君が意図してやったことじゃないんだろう? 大丈夫だよ。僕の知っている『最強の術師』なら、君のことも、その子のことも、きっとうまく扱ってみせる」
菅公は優しく微笑みながら、乙骨の手を取って立ち上がらせた。
「僕は土師菅公。呪術高専の術師だ。……一緒に行こう、乙骨君」
暮れなずむ仙台の校舎。壊れた教室の中で交わされたこの温かな手と手の温もりこそが、後に呪術界を揺るがす特級術師・乙骨憂太と、赤き雷を宿す土師菅公の、始まりの出会いであった。
乙骨憂太君の登場!!菅公と彼の関わりがストリートにどう影響するのかお楽しみに。