天神の加護と共に   作:キヨシ

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今回は菅公の初実戦です。


第4話 実戦

日はとっぷりと暮れ、赤錆とカビの臭いが鼻をつく郊外の廃工場。そこには、一般人には視認することすらできないおぞましい気配――『呪い』の瘴気が濃密に立ち込めていた。

「さて、着いたよ。ここが今日の君の舞台だ」

長い銀髪を揺らし、特徴的な三つ編みを前に垂らした豪奢な美女が、楽しげに目を細めた。守銭奴にして一級呪術師、冥冥である。

彼女の視線の先、隣に立つのは一人の幼い少年だった。

土師菅公(はじすがきみ)。年齢、わずか七歳。

一般的な七歳の少年といえば、小学校に通い、友人と遊び、無邪気に笑っている時期だろう。だが、菅公の瞳に宿っているのは、そんな年相応の無邪気さとは無縁の、研ぎ澄まされた刃のような冷徹さと、強靭な意志だった。彼の小柄な肉体は、衣服の下でしなやかな獣のように引き締まっている。それは、彼が過ごしてきた過去二年間がいかに常軌を逸したものであったかを如実に物語っていた。

五歳。本来ならば親の庇護の下で甘えるべき年齢から、菅公は冥冥による地獄の特訓を受けてきた。

呪力を込めた大斧を平然と振り回す冥冥の猛攻を、ただひたすらに避け続ける回避訓練。凶暴な呪霊がうごめく暗闇の森に丸腰で放り込まれ、夜明けまで生き残るサバイバル。骨が砕け、肉が裂けることなど日常茶飯事。反転術式による治癒を前提とした、文字通り「死なないギリギリ」のラインを責められ続ける狂気の体術特訓。

冥冥は彼を一切甘やかさなかった。彼女にとって他者とは『利用価値』の有無が全てであり、菅公が自分の時間と労力を投資するに値する原石かどうかを試すための、残酷な二年間だったのだ。

そして今日。無数の地獄を這い上がり、強靭な肉体と精神を手に入れた菅公に、冥冥は初めての『実戦』での呪霊討伐を許可したのである。

「いいかい、菅公。今回の任務は三級呪霊の討伐。君にとって初めての実戦だが、私からのサポートは一切ない。私はただ、君の価値を見定めるための観客だ」

冥冥の言葉に、菅公は無言で頷く。七歳とは思えない落ち着いた所作だった。

「そして、もう一つ。これが最も重要な条件だけれど」

冥冥はスッと目を細め、菅公の顔を覗き込んだ。

「『術式』の使用は固く禁ずる。どんな窮地に陥ろうと、ね。これまで二年間、私が君の肉体に叩き込んだ体術と、基礎的な呪力操作のみで祓いなさい。術式に頼り切る術師は、いずれ必ず限界を迎える。君の基礎(ベース)がどこまで完成しているか、見せてもらうよ」

術式は、呪術師にとって最大の武器である。それを封じられるということは、丸腰で猛獣の檻に入るに等しい。だが、菅公の表情に一切の怯えはなかった。

「……分かりました、冥さん」

幼い、しかし芯のある声で菅公は答えた。

「フフッ、いい返事だ。期待しているよ。もし、この条件を守った上で見事呪霊を祓えた暁には……お姉さんが君に特別な『御褒美』をあげよう」

御褒美。その言葉に、菅公の瞳の奥でわずかに火が灯った。

「私の要求を満たした者には、相応の対価を支払うのが私の主義だからね。君の口座にボーナスを振り込むか、それとも……もっと別のものがいいかな?」

「……勝ってから、考えます」

「賢いね。取らぬ狸の皮算用は三流のすることだ」

『闇より出でて 闇より黒く その穢れを 禊ぎ祓え』

上空から漆黒の帳(とばり)が降り、廃工場は外界から完全に隔絶された。

菅公はゆっくりと廃工場の入り口へ足を踏み入れる。冥冥はその少し後ろを、足音一つ立てずに追従する。

中は不気味な静寂に包まれていた。剥き出しの鉄骨、散乱するパレット。そして、奥から漂ってくる生臭い瘴気。

菅公は深呼吸をし、全身に呪力を巡らせた。七歳の小さな体に、密度が高く洗練された呪力がピタリと張り付く。冥冥の訓練の賜物だ。無駄な呪力の漏出は一切ない。

キィン……と、耳鳴りのような音が響いた直後だった。

『ギ……ヂ……ヂヂヂヂヂヂヂヂヂ!!!』

天井の鉄骨から、巨大な異形が降ってきた。

それは、無数の人間の腕をムカデのように生やした、おぞましい姿の三級呪霊だった。体長は三メートル近い。口と思しき亀裂からは、粘着質な唾液が滴り落ちている。

「——来る」

菅公は姿勢を低くした。

呪霊が壁を蹴り、弾丸のような速度で菅公に襲い掛かる。無数の腕が、菅公の小さな体をミンチにしようと迫る。

だが、菅公の心は凪いでいた。

(冥さんの斧の速度に比べれば……遅い。殺気の出所も分かりやすい)

呪霊の巨大な腕が振り下ろされる刹那、菅公の体はすでにそこにはなかった。

「シュッ!」

鋭い呼気と共に、菅公は呪霊の懐へと潜り込んでいた。七歳という小柄な体格は、通常であればリーチの短さという絶対的な不利を意味する。しかし、菅公はそれを逆手に取っていた。巨体を持つ相手にとって、足元を高速で動き回る極小の的ほど捉えづらいものはない。

菅公は呪力を右拳に極限まで集中させる。

(体術の基本。足の裏から大地を蹴る力を、腰の回転を通して拳へ……そして、そこに打撃と寸分違わぬタイミングで呪力を乗せる!)

「ッハァ!!」

小さな拳が、呪霊の腹部と思しき場所に深々と突き刺さった。

『ギィヤアアアアアアアアアアッ!?』

ボドォン! という鈍い衝撃音と共に、三級呪霊の巨体がくの字に折れ曲がり、後方へと吹き飛ばされる。

だが、三級呪霊はこれで終わりではなかった。壁に激突した呪霊は激昂し、全身から棘のような骨を突出させた。遠距離攻撃だ。

ヒュンヒュンヒュン! と、鋭い骨の矢が菅公に向けて雨あられと放たれる。

(躱しきれない!)

瞬間、菅公の脳裏に「術式」を使いたいという強烈な衝動がよぎる。術式を使えば、この程度の攻撃は容易く凌ぎ、一瞬でケリをつけることができる。

しかし。

『術式の使用は固く禁ずる』

冥冥の冷酷な、しかし期待の籠もった声が脳をよぎった。彼女との約束を破れば、御褒美どころか、二度と自分に価値を見出してもらえなくなる。

菅公は術式を使おうとする本能を力ずくで押さえ込み、周囲に積まれていた木製のパレットを蹴り上げた。

バァン! パレットが盾となり、骨の矢をいくつか防ぐ。しかし防ぎきれなかった一本が、菅公の左肩を浅く掠め、鮮血が舞った。

「くっ……!」

鋭い痛みが走る。しかし、冥冥の特訓で味わった絶望的な痛みに比べれば、蚊に刺されたようなものだ。骨が砕けても立ち上がらされた地獄の日々に比べれば、この程度の出血で足は止まらない。

菅公はパレットの陰から跳躍した。鉄骨を蹴り、壁を蹴り、まるでピンボールのように変則的で予測不可能な軌道を描いて、呪霊の頭上へと迫る。

『ヂヂヂヂヂヂ!!』

呪霊が迎撃のために無数の腕を上空へ向ける。

だが、空中にいる菅公はニヤリと笑った。それは、戦いの中で冥冥が見せる好戦的な笑みに、どこか似ていた。

彼は空中で体を捻り、呪霊の伸ばした腕の一本を足場にして、さらに上へと跳躍したのだ。

「——これで、終わりだ」

重力と加速、そして七歳という幼い肉体が持ち得る全呪力を、右の踵に一点集中させる。足の裏が青白い呪力の光で鋭く輝いた。

狙うは、呪霊の頭部。冥冥が骨の髄まで教え込んだ「呪霊の核を最も効率的に破壊する急所」。

「穿てッ!!」

脳天に向かって、強烈な踵落としが振り下ろされる。

ドゴォォォォォォォォォォォン!!!

爆発のような衝撃音が廃工場に響き渡った。呪力の衝突によって生まれた衝撃波が、周囲の埃と瓦礫を円形に吹き飛ばす。

菅公の踵は、呪霊の強固な頭蓋を完全に粉砕し、そのまま床のコンクリートごと貫いていた。

『ギ……ガ……』

断末魔すら上げられず、三級呪霊の巨体はドロドロと溶けるように崩れ落ち、やがて紫色の霧となって跡形もなく消滅した。

静寂が戻った廃工場。

帳が上がり、外から冷たい夜風と月明かりが差し込んでくる。

菅公は静かに着地し、深く息を吐き出した。左肩から血が流れているが、呼吸は乱れていない。初めての実戦、しかも術式縛りという重いハンデを負いながら、七歳の少年は完璧に任務を遂行してみせたのだ。

パチ、パチ、パチ、パチ。

ゆっくりとした拍手の音が響いた。

「お見事。素晴らしい動きだったよ、菅公」

暗がりから冥冥が歩み寄ってくる。その表情には、いつもの底知れないビジネススマイルではなく、純粋な感嘆と喜悦の色が浮かんでいた。

「術式に逃げたくなる場面はあったはずだ。だが君は耐え抜き、己の肉体と呪力操作のみで三級を単独で祓ってみせた。七歳でこれほどまでの完成度……ふふっ、私の投資は間違っていなかったようだ。君は本当に、素晴らしい『価値』を持っているよ」

絶賛の言葉。二年間、どれだけ血反吐を吐いても満足に褒められたことのなかった菅公にとって、それは何よりも報われる瞬間だった。

「ありがとうございます、冥さん。俺、やりました」

極限の緊張の糸が切れ、菅公の顔にようやく七歳の子供らしい、安堵の笑みが浮かぶ。

「ああ、よくやったね。約束通り、君には特別な御褒美をあげよう」

冥冥は菅公の前にしゃがみ込み、目線を合わせると、血と埃に汚れた彼の頭を優しく撫でた。

その温かく、しかし剣ダコのある掌の感触に、菅公は少しだけ目を細める。

「さて。口座への振り込みがいいかい? それとも……このまま私と一緒に、高級フレンチでディナーなんてどうだろう? もちろん、私のおごりでね」

「……フレンチって、美味しいですか?」

「最高に美味しいよ。君がこれまで食べたどんなものよりも、ね」

「じゃあ、それがいいです」

「交渉成立だ。肩の傷を治したら、すぐに行こうか」

冥冥は立ち上がり、菅公の小さな手を引いた。

地獄のような二年間を耐え抜いた七歳の少年、土師菅公。彼が最強の呪術師へと至る長く険しい道は、この夜、確かな自信と共にようやくその第一歩を踏み出したのだった。

 




見事に呪霊を倒した菅公。本当はアッサリと呪霊を倒す内容にしようかと思ったのですが流石に初実戦でソレは無理があるので少し苦戦させました。冥冥姉様の御褒美はフレンチでした。読まれた方はよければ感想お願いします。
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