京都の地に刻まれた秋の空気は、どこか澄んでいて冷たい。
本来であれば二日間にわたって開催されるはずだった京都府立呪術高等専門学校と東京都立呪術高等専門学校による姉妹校交流会は、驚くべきことに、たった一日でその幕を閉じることとなった。
初日の団体戦において、東京校が見せた戦術と個々の戦闘能力は、京都校の想定をはるかに凌駕していたのである。
今回の東京校の出場メンバーは、二年である秤金次、星綺羅羅。そして特例として一年生から選抜された乙骨憂太、そして土師菅公の四名であった。
真希、パンダ、狗巻棘といった残りのメンバーは東京校でお留守番となっていた。出発の前、髪を高い位置でポニーテールに結んだ真希は、頼もしい笑みを浮かべながら男口調で「まあ、菅公たちがいるなら負ける気はしねえけどな。派手にやってこい」と送り出してくれたものだった。
その言葉通り、東京校の戦局を支配したのは、一年でありながら全体の司令塔を務めた土師菅公であった。
菅公が構築した作戦は、極めて明確かつ大胆なものだった。
『バケモンにはバケモンをぶつけるんだよ作戦』。
京都校最強の戦力である二年・東堂葵に対し、規格外の特級被呪者である乙骨憂太を衝突させ、その絶大な戦力を完全に足止めして釘付けにする。
東堂が乙骨と峙している間に、菅公と秤金次が正面から突入。京都校の主力である二年・加茂憲紀や西宮桃を中心としたメンバーを迎撃・排除していく手はずであった。なお、京都校の一年生である禪院真依、三輪霞、与幸吉(メカ丸)の三人は、一年生ということもあり見学に回っていたため、戦場には出ていない。
そして単独行動をとる星綺羅羅が、高専内に放たれた無数の呪霊を的確に狩り集め、着実に跋術数を稼ぎ出していった。
菅公は通常の戦闘において、自身の術式を意図的に使用しない主義であった。敵対する相手に対しては容赦なく「皆殺し」を遂行するような冷酷非情な一面を秘めている彼だが、交流会という規律ある実戦の場においては、鍛え上げられた圧倒的な体術のみで京都校の面々を抑え込んでいった。
三年ほど前から交流のある顔馴染みの加茂憲紀に対しても、菅公は一切の術式を使わず、体術の極致である黒閃を完璧なタイミングで叩き込み、一撃で沈めて見せた。
その後、秤と合流した菅公は、その他大勢の京都校生を瞬く間に叩きのめし、残る西宮桃を挟み撃ちにして綺麗にゲームセットを迎える……はずであった。
しかし、戦場に予期せぬ突発事故が発生する。
東堂と激しい打撃戦を繰り広げていた乙骨が、戦局のなかで負傷したのだ。
それを見た特級過呪怨霊『祈本里香』が激怒。完全顕現に近い暴走状態を引き起こし、東堂を叩きのめすと、周囲の空間ごと破壊し尽くさんばかりの呪力を放出し始めた。
一刻を争う危機的状況のなか、超特急で現場へ急行したのが菅公であった。
菅公は自身の術式『落落雷雷』を限定解除。全身から放たれる圧倒的な赤い雷光をその右拳に集約させると、暴走する祈本里香の頭上から渾身の一撃を叩き込んだ。
凄まじい衝撃とともに里香を叩き沈め、間一髪で暴走を抑え込むことに成功したのである。
事なきを得たものの、この一連の事態によって京都校の戦力は完全に壊滅。
唯一、直接の戦闘を免れて無傷だった西宮桃も、あまりの衝撃と激戦の余波により愛用の箒がボロボロに砕け散っており、とても試合を続けられる状態ではなかった。
結果として、団体戦は東京校の跋術数が15、京都校の跋術数が8となり、なし崩し的に東京校の勝利が確定。
当然、京都校の主要メンバーは全員動けなくなった。このような状態で、翌日に予定されていた個人戦など行えるはずもない。
かくして、東京校の完全優勝という形で、交流会はたった一日で閉幕したのだった。
「はあ……まったく、あいつら無茶苦茶やりすぎなのよ」
翌朝。京都高専の女子寮の一室で、禪院真依は姿見の前に立ち、大きなため息をついていた。
予定よりも一日早く交流会が終わり、図らずも丸一日浮いてしまった休日。
真依の手元には、昨晩届いた一通のメッセージがあった。差出人は菅公だ。
『せっかく京都に来たんだ。明日、二人で街をぶらぶらしない?』
幼少期、五歳の頃に禪院家の屋敷で出会って以来、菅公と真依、そして双子の姉である真希の三人は大の仲良しだった。菅公は当時の面影を残したまま、二人を「真希」「真依」と呼び、真依たちも彼を「菅公」と呼んで親しんできた。
だから、二人で出かけること自体は珍しいことではないはずだった。
……はずだったのだが。
「ちょっと真依ちゃん! これって絶対にデートでしょ! デートだよね!?」
「普段クールな真依が、男の人と二人きりで京都ぶらり旅……! 青春ですねぇ……!」
昨晩、このお出かけの予定を知った西宮桃と三輪霞の二人に、どれほど散々弄られたことか。
『デート? デートなの?』と目を輝かせる二人の追及を、真依は顔を真っ赤にしながら「ただの幼馴染とお出かけよ!」と追い払ったものの、ふたりが寝静まった後は一人で落ち着かない夜を過ごす羽目になった。
そして今、真依は姿見の前で念入りに服装チェックを行っている。
選んだのは、体のラインを美しく見せるセクシーでありながら上品なデザインの黒のノースリーブワンピースに、サマーニットのカーディガン。
「……別に、あいつのために気合いを入れたわけじゃないわ。私が着たいから着てるだけ」
鏡の中の自分に向かって言い訳をつぶやきながらも、真依の唇には隠しきれない嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
一方その頃、高専の敷地外にある待ち合わせ場所に向かって歩く土師菅公もまた、普段とは少し違う雰囲気を纏っていた。
菅公の着用している服は、深みのあるネイビーのライトジャケットに、スリムなスラックス。インナーには落ち着いたグレーのカットソーを合わせている。大人の落ち着いた装いを残しつつも、堅苦しくなりすぎない絶妙なカジュアルさを両立させたコーディネートだ。
実は、この服を仕立てるにあたり、菅公は事前に策を講じていた。
団体戦が終わった後、菅公は密かに西宮桃と三輪霞の二人に接触し、真依が普段どんな服やデザイン、色合いを好んでいるのかをさりげなく聞き出していたのだ。
西宮たちは「菅公くんってば意外と抜け目ない!」とニヤニヤしていたが、菅公にとっては真依と過ごす大切な一日を最高のものにするための、至極当然の準備に過ぎなかった。
前述した様に菅公は、敵対する者や危害を加えようとする相手に対しては「皆殺し」も辞さない、冷酷で果断な思考を持っている。
だが、そんな冷徹な術師としての顔を持つ菅公が、唯一、無条件の優しさと温もりを注ぐ相手が、真希と真依の姉妹だった。
「待たせたかな、真依」
高専の門前。約束の時間の十分前に到着した菅公が声をかけると、ちょうど歩いてきた真依が足を止めた。
朝日を浴びて立つ真依の姿に、菅公は一瞬、息を呑んだ。
セクシーでありながら洗練された装いは、真依の持つ大人の魅力を最大限に引き立てている。
「ううん、今来たところよ」
真依は足を止め、菅公の全身を頭から足先までじっくりと見つめた。
そして、少し驚いたように目を丸くした後、照れくさそうに髪を耳にかけながら微笑んだ。
「……ふうん。案外、ちゃんとした格好してくるのね。似合ってるじゃない、菅公」
「ありがとう。真依こそ、すごく綺麗だ。本当によく似合ってるよ」
菅公がまっすぐに目を見て褒めると、真依は「……なっ」と声を詰まらせ、瞬時に耳まで真っ赤になった。
「な、なに言ってるのよ急に! 馬鹿じゃないの!」
つむじを曲げてそっぽを向く真依だったが、その口元が嬉しさに緩んでいるのを、菅公は見逃さなかった。
「さて、どこに行こうか。真依は京都高専に通っているから、有名な観光名所なんかは見飽きてるだろうと思ってね。今日は少し趣向を変えてみようと思うんだ」
菅公がそう言って歩き出すと、真依は驚いたようにその隣に並んだ。
「へえ……観光地じゃないなら、どこへ連れて行ってくれるわけ?」
「僕に任せてくれればいいよ」
二人は並んで京都の街へと繰り出した。
菅公が案内したのは、清水寺や金閣寺といった大混雑の有名寺社ではなく、京都市内の路地裏に佇む洗練されたセレクトショップが立ち並ぶブティック街であった。
古い町家を改装したセンスの良い店々が並ぶその通りは、観光客の喧騒からも離れており、ゆっくりと街歩きを楽しむには格好の場所だった。
「へえ……こんな場所があったのね。知らなかったわ」
真依は興味深そうにショップのウィンドウを覗き込む。
「真依はオシャレが好きだからね。ここなら気に入ってもらえると思ったんだ」
「……ふん、私の好みを分かったようなこと言って」
口では強がりを言いながらも、真依の目は好奇心に輝いていた。
二人はオシャレなブティックに入り、並べられた服やアクセサリーを見て回った。
「菅公、これなんかどうかしら? あなたに似合うと思うんだけど」
真依が手に取ったのは、シンプルなシルバーのネックレスだった。
「真依が選んでくれたなら、付けてみようかな」
菅公が素直に首を傾けると、真依は少し誇らしげにそれを彼の首にかけてやり、鏡越しに二人で並んだ姿を確かめた。
「うん、悪くないわね。決まり。これ、私が買ってあげる」
「えっ、真依に買わせるわけには――」
「いいのよ、日頃の感謝。受け取りなさい」
真依は少し澄ました顔でそう言い、会計を済ませてしまった。菅公は苦笑しながらも、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
ブティックを出た後は、菅公が見つけていた隠れた名店のカフェへと向かった。
細い路地の奥にひっそりと暖簾を掲げるそのカフェは、美しい日本庭園を眺めながら、最高級の和洋折衷の甘味と香り高い抹茶や紅茶を楽しめる隠れ家的なお店だった。
運ばれてきた季節のパフェと紅茶を前に、真依は「美味しそう……」と思わず声を漏らした。
「真依、一口食べる?」
「いいの? じゃあ、そっちの抹茶のムースと交換ね」
二人で甘味を分け合いながら、穏やかな会話が弾む。
「そういえば、真希はどうしてるの?」
真依がパフェを口に運びながら尋ねた。
「東京校で留守番だよ。出かける前、『留守番なんて退屈だ』って、ポニーテールを揺らしながら不満そうに言っていたよ。パンダ君
と棘君と一緒にトレーニングでもしてるんじゃないかな」
「相変わらずね、真希は……。相変わらず、バカみたいに真っ直ぐで」
真依はどこか懐かしむような、愛おしむような瞳で窓の外の庭園を見つめた。
五歳の頃、禪院家の暗い屋敷で出会ったあの日から、自分たちを取り巻く環境は大きく変わった。呪術師という過酷な世界で、真希は己の道を突き進み、真依もまた京都で自分の居場所を探している。
「真希も真依も、昔から何も変わっていないよ」
菅公は優しく微笑みながら言った。
「二人とも、僕にとっては大切な幼馴染だ。だから……何か困ったことがあれば、いつでも僕を頼ってほしい」
通常、敵対する相手には殺意を隠さない菅公だが、真依に向けられるその眼差しには、一切の毒気も偽りもなかった。
真依は菅公の言葉に一瞬目を見開き、それから照れくさそうに視線を外した。
「……まったく。相変わらず甘いのよ、菅公は。でも……ありがとう」
カフェを出る頃には、空は鮮やかな茜色に染まり始めていた。
二人は鴨川の河川敷へと足を延ばした。
夕日を受け、川面がキラキラと黄金色に輝いている。川沿いの道を、風を感じながらゆっくりと二人は歩いた。
「ねえ、菅公」
真依が立ち止まり、夕日を背にして振り返った。
風に揺れる髪を抑えながら、真依は心からの柔らかい笑顔を浮かべた。
「今日は、本当に楽しかったわ。こんなに穏やかな一日を過ごせたの、いつ以来かしら。……連れ出してくれて、ありがとう」
その笑顔を見つめながら、菅公は静かに思った。
術式『落落雷雷』の覚醒により、自身の放つ雷は赤く染まり、その破壊力は数十倍に跳ね上がった。どれほど強力な呪霊や敵が立ちはだかろうとも、自分はそれを全て叩き潰し、消滅させることができる。
けれど、その絶大な力は何のためにあるのか。
冷酷非情な殺戮のためだけではない。
目の前で可憐に笑う真依や、東京校で待っている真希、そして常に己を導いてくれる冥冥――菅公にとってかけがえのない大切な存在たちの日常と笑顔を守り抜くためにこそ、この力はあるのだと。
「また、来よう」
菅公は真依の隣に歩み寄り、優しく微笑みかけた。
「今度は真希も一緒に、三人でね」
「ええ……そうね。真希が来たら、また賑やかすぎて大変そうだけど」
真依はくすくすと笑い、菅公の腕にそっと自分の腕を絡めた。
茜色の夕暮れが二人を包み込むなか、京都の静かな風が、満ち足りた休日の終わりと、確かな絆の温もりを告げるように吹き抜けていった。
コレにて交流会編は本当に終了です。次回から本格的な0のストーリーを進めて行きます。皆様の評価をお待ちしております。