「いや〜、急に呼び出されたと思ったら大変な事になってるね〜」
薄暗い控室に、緊張感とかけ離れたお気楽な声が響いた。白い髪を揺らし、目隠しの奥から周囲を見渡すのは、現世最強の呪術師・五条悟である。
「そんな、呑気に言ってる場合? 相手は神様なんだけど」
煙草の煙をふうっと吐き出しながら、若干呆れた様子で返したのは家入硝子だ。母胎の開腹と治癒を担う彼女の表情には、事の重大さが陰を落としている。
「ふふふ、この依頼が成功した時の報酬が今から楽しみだね。神降ろしの阻止、それも特級案件中の特級だ。上からの色付けも期待できる」
巨大な斧を傍らに置き、銀髪をなびかせながら銭勘定に余念がないのは冥冥。その傍らで、うっとりとした眼差しを彼女に向ける少年がいた。
「あぁ〜! 相当な困難が予想される任務の中でも、何時もと変わらぬ凛々しい姉様!!」
冥冥の実弟・憂憂がベタ褒めする声を上げる。そんな個性豊かな特級・超一流の呪術師たちを前に、一人の少年がパン、と両手を叩いた。
「はい、は〜い、全員注目!」
引き締まった声で視線を集めたのは、土師菅公(はじすがきみ)。十五歳という若さでありながら、今回の難攻不落の調伏任務における要を務める男だ。五条家の遠い先祖である菅原道真、そのさらに源流に位置する「土師家」の血を引く男である。
「今回、急な呼び出しに応じてくださった五条さんと家入さんには感謝します。お聞きしているとは思いますが、改めて説明をさせて頂きます。今回の相手は『迦具土(カグツチ)』、日本神話に古くから登場する炎の神です。その迦具土がとある女性の体に宿っており、自らの神話をなぞる形で現世に顕現しようとしている。今日の任務はその阻止です」
菅公の言葉に、一瞬で場の空気が変わった。おちゃらけていた五条の顔からも笑みが消え、鋭い視線が注がれる。
「で、どうやって祓うのか聞かせて貰おうか?」
硝子の問いに、菅公は一切の表情を変えずに恐ろしいほど残酷な手順を口にした。
「今、母胎となる女性は全身麻酔で眠っています。出産が始まると同時に家入さんがお腹の開腹を行い、中にいる赤子、いや顕現前の『迦具土』を僕の『落落雷雷』と五条さんの『無下限呪術』を使って全力で殺します。そして、殺した赤子の死体を摘出し、家入さんの『反転術式』で一気に治癒させてください」
淡々と語られる殺害計画。敵対する者は容赦なく皆殺しにするのが菅公の主義ではあるが、相手が胎児であろうともその冷徹さはブレない。
「了解〜。にしても中の赤子は殺すの前提か〜。嫌な任務になるね〜」
五条が髪をぐしゃぐしゃと掻き回しながらボヤく。
「えぇ、ですが迦具土は胎児の魂と完全に癒着してしまってますから助けようがありません」
「確かにね。僕の六眼でも覗いたけど、コレじゃ引き剥がしようがない。諦めるしかないね」
五条の追認に、控室には重苦しい沈黙が流れた。菅公は言葉を続ける。
「それと、迦具土がただ祓われるのを見ている筈がありません。おそらく全力で僕達の行動を阻止しに来る筈。真っ先に狙われるのは家入さんです。冥冥さんはその妨害を全力で防いでください。憂憂はいざという時に五条さんと僕以外を緊急脱出させてね」
「了解した。硝子には傷一つつけさせないよ」
余裕の笑みを浮かべる冥冥に、憂憂が「流石は姉様!」と再び歓声をあげる。菅公は苦笑いを浮かべながらも、心の中で深く気合いを入れ直した。
菅公が冥冥に自ら弟子入りしたのは十年前のことだ。父である土師宗矩の紹介もあったが、最大の理由は幼い頃に五条家の屋敷で目撃した五条悟という存在への強烈な憧憬だった。圧倒的な強者へ至る道標として、効率と実力を至上とする冥冥の指導を乞うたのだ。
(真希や真依、姉妹交流会で競い合った仲間たちに顔向けできないような無様な戦いはできない……)
昔、五歳で禪院家の屋敷を訪れた際に出会った同い年の真希と真依。ポニーテールを揺らし男勝りに尖っていた真希や、気弱だった真依。高専での交流会でも互いに牙を研ぎ澄ませてきた。自分はここで立ち止まるわけにはいかないのだ。
◇
東京都立呪術高等専門学校が管理する土地の、地下四十メートルに存在する特殊地下壕。
前大戦時に構築され、終戦後に放置されていたものを高専が買い取った空間だ。冷たいコンクリート壁に囲まれた中央には簡易ベッドが置かれ、一人の女性が全身麻酔によって静かに息を立てていた。
そのベッドを取り囲むように、五条悟、家入硝子、冥冥、憂憂、そして土師菅公が立つ。
静寂の中、刻一刻とその時が近づく。そして――
「来たよ」
五条の低い声が響いた瞬間、麻酔で眠る女性の膨らんだ腹部から、咆哮のような呪力の奔流が噴き出した。赤黒い炎が渦を巻き、空間の酸素を一気に焼き尽くしていく。神の現世降臨が始まったのだ。
「作戦開始!!」
菅公の合図と共に、家入硝子が迷いなく執刀を開始する。
危険を察知した迦具土の意志が、母胎を守るべく超高熱の火柱を放射。津波のような炎が硝子へと襲い掛かる。
「させるかい!」
その灼熱の前に立ち塞がったのは、巨大な斧を構えた冥冥だった。呪力を込めた一撃で火柱を力任せに打ち払い、硝子の領域を完璧に死守する。
開腹が完了し、胎内が露わになった。そこに蠢くのは、人にあらざる神話の異形。
「五条さん!」
「おう!」
五条の無下限呪術『茈』の超極小圧縮版と、菅公の『落落雷雷』から放たれる青白い雷光が、寸分違わず胎内へ叩き込まれた。
ドガァァァァンッ!!
凄まじい衝撃波が地下壕を揺らし、厚いコンクリートの壁に蜘蛛の巣状のヒビが入る。
胎内にいた赤子の肉体に亀裂が走り、次の瞬間、人間の耳では耐えきれない歪んだ甲高い鳴き声が地下壕内に響き渡った。
「ぐああああああッ!!」
声なき悲鳴をあげる迦具土に対し、五条と菅公は容赦なく術式の出力を上限まで引き上げる。二大術師の圧倒的な火力が神の存在を摩耗させ、迦具土の呪力は急速に弱まっていった。
(行ける!!)
菅公が確信を抱いた、その一瞬だった。
消えかけていた炎の中から、突如として太古の威圧感を纏った極太の火柱が立ち昇った。それはまるで蛇のように蠢き、菅公の右腕を強固に捕える。
「菅公!?」
五条が咄嗟に手を出そうとしたが、菅公は叫んだ。
「必要ありません! 五条さんは母胎に集中を!」
一瞬の判断。菅公の意志を感じ取った五条は瞬時に視線を母胎へ戻し、指先に生成した極小の『茈』を赤子の形をした迦具土へ直に押し当て、その魂ごと粉砕した。
「ガァァァァッ……!」
断末魔と共に迦具土の本体は消滅したかに思えた。しかし、菅公の腕を掴んだ火柱だけは消えず、異様な質量を持って菅公を空間の歪みの中へと猛烈な力で引きずり込んでいく。
「五条、菅公は!?」
胎児の摘出と反転術式による即座の治癒を進めながら、硝子が悲鳴に近い声を上げる。
「硝子は治癒に専念!」
五条が制するが、背後から駆け寄った憂憂が取り乱したように叫んだ。
「五条悟! 兄様はどうなったのです!?」
「……少なくとも“此処”にはいないね」
五条は目隠しの奥の六眼を細め、空間に残された微小な歪みを凝視しながら曖昧に答えた。
「“此処”には、とはどういう意味だい五条君?」
巨大な斧を担ぎ直し、冥冥が静かな表情で歩み寄る。
「おそらく、“神域”に引き摺り込まれたんだ」
「神域?」
馴染みのない単語に、冥冥が鸚鵡返しにする。
「そう。神様っていうのは本来、現世には存在しない。彼らは自分たちの住処を現世とは異なる空間に持っていて、そこに住んでいる。それが“神域”。菅公は肉体を丸ごとそこに引き摺り込まれたんだよ」
「そこに行く方法は?」
弟子である菅公の身を案じ、冥冥が問う。しかし五条は、残酷な現実を首を振って突きつけた。
「残念ながら、僕たち人間が自らの意思でそこへ踏み込む方法はない。神様自らが招かないとね」
「なるほど、神隠しか……」
冥冥は短く息を吐き、思考を巡らせる。
母胎の治癒を完全に完了させた硝子が、汗を拭いながらキツい口調で五条を睨みつけた。
「じゃあ、このまま菅公を放っておくの?」
「悔しいけど、本当に現世にいる僕たちには何も出来る事が無いんだよ」
五条は爪が皮膚に食い込むほど拳を強く握りしめた。最強を誇る自分が、目の前で身内を連れ去られたのだ。不甲斐なさに奥歯を噛み締める。
「ただし……アッチから出て来るなら話は別。菅公が神域内で『迦具土』の本体を完全に倒せば、神域そのものが崩壊して現世に戻ってこられる……はず」
なんとも不確定でか細い可能性。だが、あの土師菅公という少年の強さを知る四人は、今はその可能性にすべてを賭けるしかなかった。
今回は短めになってしまいました。次回から迦具土との本格戦闘となります。