世間の浮かれた空気と、呪術界の緊迫感の対比から始める。
街を彩る煌びやかなイルミネーションと、通りを満たす讃美歌の調べ。『最悪の呪詛師・夏油傑』が宣戦布告を行った『百鬼夜行』の宣言から二日、世間は間もなく訪れる聖夜の到来に胸を躍らせていた。ある者は恋人との甘い時間を夢見て高揚し、またある者は一人静かに自らの孤独と向き合いながら涙で枕を濡らし、「リア充、爆発しろ!」と呪詛の言葉を吐き散らす。非術師たちが生み出すそれらの負の感情は、淀んだ澱のように都市の闇へと積み重なっていた。
しかし、そんな世間の幸福や怨嗟とは完全に切り離された場所がある。呪術界だ。
表社会の人間たちが一喜一憂している間も、呪術師たちは彼らの負の感情から生み出される呪霊を祓い、混乱に乗じて牙を剥く呪詛師たちを汗水垂らして追い回していた。ましてや今回は、『最悪の呪詛師』と称される夏油傑が、呪術界の全面打倒を掲げて堂々と宣戦布告をしてきたのだ。呪術高専を中心に、界隈が上へ下への大騒ぎとなるのは必然であった。
夏油一派との戦争を見据え、東京校の深部に設けられた部屋。『対百鬼夜行戦略会議室』と大層な題目が掲げられたその空間には、呪術界が誇る最高クラスの戦力が集結していた。
自他共に認める最強の特級呪術師・五条悟。
東京高専の学長であり傀儡呪術の第一人者・夜蛾正道。
冷静沈着なる一級呪術師、呪術界の良心と称される七海建人。
同じく一級呪術師にしてシン・陰流の使い手、日下部篤也。
そして、守銭奴でありながら確かな実力を持ち、土師菅公の師でもある一級呪術師・冥冥。
錚々たる顔ぶれが並ぶ中、学生の身でありながらただ一人、この場に招集された少年がいた。
土師菅公(はじすがきみ)、十五歳。
彼は菅原道真の先祖にあたる土師家の血を引く末裔であり、まだ高専の生徒でありながら、その実力は既に呪術界全土に轟いていた。五条悟に匹敵すると噂されるその強大な能力は、間違いなく呪術界側の最高戦力の一角である。さらに、先日の呪術高専交流会で見せた極めて高い指揮能力と戦術眼を買われ、この日本社会の命運を左右する戦略会議へと呼び出されたのだった。
重苦しい沈黙の中、作戦会議の火蓋が切られた。
「夏油傑、呪霊操術を操る特級呪詛師。主従制約の無い自然発生した呪い等を取込み操ります。設立した宗教団体を呼び水に信者達から呪いを集めていた様です。元々、所持していた呪いもある筈ですし、ここ数年、呪いの報告数が減少傾向にあった事も考慮すると……数二千と言うのはハッタリでは無いかも知れません」
静まり返った室内で、補助監督代表の伊地知潔隆が、現在判明している最新の報告を読み上げる。緊張で汗を滲ませながらも、その声に狂いはない。
報告を聞き終えた夜蛾学長は、組み上げた指の上に顎を乗せ、厳格な面持ちで口を開いた。
「だとしても、統計的に見てその殆どが二級以下の雑魚、呪詛師だってどんなに多く見積もって五十そこらだろう」
「そこが逆に怖い所ですね、アイツが素直に負け戦を仕掛けるとは思えない」
目隠しの奥から、五条悟が低く緩やかな、だが確かな警戒を含んだ声を漏らす。かつての親友であり、誰よりもその知略と冷酷さを知る男だからこその分析だった。
会議室に一瞬の空隙が生まれる。その沈黙を破ったのは、優雅に紫煙をくゆらせるような笑みを浮かべた冥冥だった。視線を隣の少年に向ける。
「君はどう考える?菅公」
師である冥冥から問いを投げかけられた菅公は、感情を排した静かな瞳で会議室の面々を見渡した。十五歳という若さでありながら、その佇まいにはすでに完成された武人の風格が漂っている。
「あくまで“私”の私観ですが夏油傑には段階的な戦術目標があります。一つは我々、呪術師側の戦力を新宿、京都に分散させる事、次に奴がこの戦争の盤面をひっくり返せる奥の手を手に入れる事です」
簡潔にして明確な切り出しに、七海建人が眉をひそめた。
「奥の手?」
七海の短い問いに対し、菅公は淀みなく言葉を続ける。
「ええ、そもそもこの戦争。勝率的に見れば我々、呪術師側の方が圧倒的に有利です。現役世代にOB・OGそして御三家も加えれば、あちらさんの勝率は甘く見積もっても三割、アイヌの呪術連も参戦させれば二割にも満たないでしょう。五条さんが言う通りそんな賭けにもならない負け戦をあの夏油傑がする筈もない、おそらく奴の本当の目的は別にある筈」
言い切る菅公の鋭い眼光に、夜蛾正道が身を乗り出した。
「奴の目的は新宿や京都を占領する事では無いと?」
「はい、夏油傑にとっては新宿も京都もついで、その“奥の手”を手に入れる為のブラフに過ぎません」
菅公の断言に対し、集まっていた最高幹部たちは一斉に押し黙った。数値と戦力分析に基づいた論理的な推論。感情論を挟まないその言葉は、会議室にいる全員の腹に重く落ちていく。
静寂の中、五条が問いかけた。
「仮に傑が菅公言う“奥の手”を手に入れるのを阻止するにはどうすればいい?」
菅公の答えは、淡々と、そして冷酷なまでに簡潔だった。
「僕が担当する地域の呪霊及び呪詛師を2時間以内に殲滅し夏油が居る地点を特定し移動、夏油を消し炭にして奴等の馬鹿騒ぎを終わらせます」
部屋の空気が凍りついた。二時間以内に与えられた担当エリアの敵を一人残さず全滅させ、そのまま敵総大将の首を刈る。特級呪詛師を相手に「消し炭にする」と言い放つその口調には、一切の誇張も慢心も存在しない。ただの計算された確定事項として告げられていた。
菅公はそのまま言葉を紡ぐ。
「その為に今回は術式を解禁します」
その一言に、その場にいた全員の身体がわずかに強張った。
土師家の相伝術式『落落雷雷』。
かつて怨霊と化し、平安の京に未曾有の災厄をもたらした菅原道真が打ち下ろした雷霆の如き術式。その一撃は敵対するもの全てに無差別の破壊と絶望をもたらす最悪の厄災である。
菅公は普段の戦闘において、意図的にこの術式を使用しない。自らの鍛え上げた体術と型、そして選び抜かれた呪具のみで敵を圧倒し、術式という切り札を秘匿し続けてきたのだ。だが、更なる覚醒を遂げた現在の菅公が解禁する『落落雷雷』は、かつての伝承すら超越している。発生する雷は禍々しくも神聖な「赤」へと染まり、その破壊力は従来の数十倍へと跳ね上がっていた。
指先からワイドレンジにもロングレンジにも調整された稲妻を放つ術式順転『飛雷遠雷』。
自身を雷そのものへと変貌させ、光速の行動によって放たれる打撃で全てを破砕する術式反転『雷化舜動』。
強力な電磁波と磁力によって人体や物体、果ては呪力そのものすら分子レベルで破壊する拡張術式『死苦発苦』。
ツァーリ・ボンバに匹敵する膨大なエネルギーを槍状に収束させて投擲する極ノ番『雷帝』。
そして、無限の雲海と天を突く幾千の黄金鳥居が立ち並ぶ神域を展開し、数億の赤き雷を途切れなく降らせて対象を完全消滅させる領域展開『桑原桑原』。
それらの苛烈極まる力を解禁するという意味を、この場にいる者たちは痛いほどに理解していた。
「おいおい……冗談だろ」
日下部篤也が頭を抱えながら溜息を吐く。
「あの術式を市街地近くで解禁するってのか? そりゃあ夏油の一派だろうが何だろうが一瞬で灰すら残らんかもしれねえが……敵への容赦のなさが際立ってて、味方の俺たちまで寒気がしてくるぜ」
「いいえ、合理的です」
七海がメガネのフチを指で押し上げながら、抑えた声で言った。
「ダラダラと長引かせれば、それだけ非術師の被害と呪術師側の疲弊が増す。菅公君が圧倒的な火力で速攻をかけ、夏油傑の足止め並びに討滅を狙うのは最善の選択肢と言えます。問題は、菅公の言った『奥の手』の正体ですが……」
七海の視線が五条へと向けられる。五条はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、椅子の背もたれに深く体重を預けた。
「言わなくてもわかってるでしょ。傑が喉から手が出るほど欲しがるものなんて、一つしかない」
五条の言葉を受け、菅公が静かに引き継ぐ。
「特級過呪怨霊・祈本里香。そして、それを取り巻く乙骨憂太です」
言葉が出なかった。伊地知が息を呑み、夜蛾の表情が一層険しくなる。
「夏油傑の真の狙いは新宿でも京都でもない。我々主力級の呪術師を街へ釣り出し、手薄になったこの東京高専を急襲すること。目的は乙骨憂太の抹殺と、祈本里香の奪取。それが、奴がこの負け戦を勝ち戦へと覆す唯一の『奥の手』です」
菅公の分析は寸分の狂いもなく、夏油傑の本質を穿っていた。
「なるほどね」
冥冥が満足そうに目を細める。
「新宿と京都に数千の呪霊を解き放てば、呪術界は総出でその対処に当たらざるを得ない。我々一級以上の術師が防衛に忙殺されている隙に、本陣である高専を叩く。実にスマートで、悪趣味な作戦だ。だが……菅公、君がそれを読み切っているなら話は変わるね」
「はい。ですから、高専の防衛陣形および各配置を再考する必要があります」
菅公の思考はすでに、夏油の企みを潰すための次の段階へと移行していた。
「五条さんと冥冥さん、七海さんや日下部さんには予定通り新宿および京都の主力として動いていただきます。表向きは夏油の策にはまったフリをし、向こうの呪詛師と呪霊を惹きつける。そして僕は、担当する京都を『飛雷遠雷』と『雷化舜動』を用いて二時間以内に更地にし、高専へと即座に転進します」
「僕が担当するエリアに立ち塞がる敵は、呪霊であろうと呪詛師であろうと、全て皆殺しにします。生捕りの必要も、対話の余地もありません。敵対する者はことごとく消し炭に変える。そうすれば、余計な確認作業も時間のロスも発生しません」
淡々と語られる殺戮の予告。菅公にとって、敵対者に対する慈悲など一切存在しない。敵であるならば、徹底的に、存在の根底から絶滅させる。それが土師菅公という少年の徹底した戦闘理念であった。
「容赦がないねぇ、相変わらず」
五条がクスクスと笑う。
「でも、それでいいよ。連中に手加減なんて必要ない。僕と幼少期に五条家の屋敷で会った頃から、菅公はそういう割り切りが早かったもんね」
菅公が呪術の道を志し、最強の呪術師である五条悟への憧憬を抱いたのは幼い頃のことだった。父である土師宗矩の紹介を経て、単なる力量だけでなく「資本主義社会における生き残り方」を含めて冥冥に師事した菅公は、合理的かつ冷徹な判断力を極限まで高めてきたのだ。
「それにしても」
日下部が菅公を見つめながら呟く。
「高専の生徒で言えば、真希たちも今回の件でかなりピリピリしてるぜ。真希なんかポニーテールをきゅっと結び直して、呪具を握り締めながら『菅公にだけいい格好させねえ』って意気込んでたしな」
菅公の脳裏に、同い年である禪院真希と真依の姿が浮かぶ。かつて五歳の頃、禪院家の屋敷で初めて出会って以来、二人は菅公にとって特別な友人であり、高専で共に高め合う仲間だった。真希の男勝りな口調と凛とした佇まい、そして真依の不器用な強がり。二人を守るためにも、このくだらない戦争を早急に終わらせなければならないという思いが、菅公の中で静かに燃え上がる。
「真希も真依も、無駄な怪我をさせる気はありません。僕が戦場を掃除すれば、彼女たちが危険に晒される確率も大幅に減ります」
「ふふ、相変わらず手厳しくも優しいお兄さん気取りかい?」
冥冥が軽やかに笑う。
「だが、素晴らしい判断だよ菅公。君がそれだけの速度と火力で盤面を清算してくれるなら、私の株のポートフォリオも安全に守られる。今回の報酬、特別に弾んであげるよ」
「ありがとうございます、冥冥さん。ですが報酬は作戦が完全に成功してから頂きます」
菅公は軽く一礼すると、再び五条と夜蛾に向き直った。
「五条さん、高専本部の防衛には乙骨と、彼をサポートできる者を数名残してください。夏油が姿を現した瞬間、僕が光速で駆けつけます。奴が祈本里香に手を伸ばす前に、その腕を切り落とし、全身を赤き雷で焼き尽くしてみせます」
菅公の言葉には、寸分の揺らぎもない。彼が持つもう一つの切り札、和歌山の古代古墳にて手に入れた特級呪具『緋蝕刃』の存在や、研ぎ澄まされた七つの剣の型があることも、その絶対的な自信を裏付けていた。あらゆる物体、呪力、術式すらも切り裂くその刃と、覚醒した赤き雷の融合。それを前にして、いかな特級呪詛師といえども無傷でいられるはずがない。
夜蛾学長は深く息を吐き出し、重厚な声で宣言した。
「……決定だな。基本方針は菅公の提示した通りとする。各員、担当エリアの配置に着き、百鬼夜行の当日に備えよ。非術師の被害を最小限に抑え、夏油傑の真の企みを打ち砕く」
「了解」
七海と日下部が短く応じ、席を立つ。
「じゃ、頼んだよ菅公。僕も新宿で暴れ回ってくるからさ。傑の顔を見たら、僕の分も一発殴っておいてよ」
五条悟がひらひらと手を振りながら会議室を後にする。その背中を見送りながら、菅公も静かに立ち上がった。
部屋を出ると、廊下の窓からは冬の澄んだ空が見えた。街は今夜も、そして明後日の聖夜も、華やかな光に包まれ続けるのだろう。非術師たちが恋や孤独に浮かれ、他愛もない呪いを吐き散らす陰で、自分たちは血と雷光の渦へと身を投じる。
「リア充、爆発しろ、か」
菅公は小さく呟き、自らの手のひらを見つめた。
その指先から、一瞬だけ、禍々しくも美しい「赤」の火花がバチリと弾けた。
爆発させるのはリア充などではない。間もなく高専を脅かそうとする愚かな呪詛師どもと、自らの野望のために平和を乱す最悪の男だ。
自らの内に眠る怨霊の血と、絶対的な力を静かに集束させながら、土師菅公は決戦の地へと向かって歩み出した。開戦のベルが鳴るまで、あとわずか。聖夜の訪れと共に、赤き雷霆が邪悪なる者たちを悉く消し炭へと変える瞬間が、刻一刻と近づいていた。
すいません、ストーリーの都合上百鬼夜行の内容にオリジナル展開が入ります。次回は決戦に向かう直前の真希達との描写を書きます。