夜の帳(とばり)が下りた廃工場跡地。むせ返るような錆とカビの臭いが漂う中、ただ一人、静かに佇む影があった。
土師菅公(はじすがきみ)――現在10歳。
一般的な小学四年生であれば、暖かい布団の中で微睡んでいるはずの時間帯である。しかし、彼の纏う空気には、年齢にそぐわない異様なほどの冷徹さと、張り詰めた鋼線のような殺気が満ちていた。
「視えているよ、菅公。今日の君の働き次第で、君の今後の『値段』が決まる。期待しているよ」
廃工場の鉄骨に止まった一羽の烏。その烏の嘴から、一級呪術師であり彼の師でもある冥冥(めいめい)の艶やかな声が響いた。黒鳥操術(こくちょうそうじゅつ)による視界の共有と通信。彼女は今、安全な場所からこの見極めの儀式を値踏みしている。
「了解しています、冥さん。パパッと終わらせて、帰って寝ますよ」
菅公は軽く首を鳴らし、準備運動を終えた。
彼が自らの意志で冥冥の下に押しかけ、教えを乞うたのは5歳の時。莫大な資産を持つ土師家の財力を背景に、冥冥に「自分を最強の術師に育て上げるための対価」を支払い、地獄のような体術修練を積んできた。
生まれ持った生得術式『落落雷雷(らくらくらいらい)』。それは余りにも強力過ぎるが故に、幼い肉体では制御が難しく、一歩間違えれば自らを滅ぼしかねない諸刃の剣だった。だからこそ、冥冥は彼に「術式に頼らない圧倒的な基礎戦闘力」を叩き込んだ。呪力による肉体強化、打撃、回避、受け流し。来る日も来る日も血反吐を吐くような体術の修行が5年間続いた。
その結果、10歳にして菅公の体術と呪力操作は、並の二級呪術師を優に凌駕する領域に到達していた。今日この場に用意されたのは、その5年間の総決算。ターゲットは、この廃工場に巣食う一級呪霊の祓除任務である。
しかも今日は特別だ。
「今日は特別ボーナスだ。お前の術式の使用を許可しよう。存分に、自分の『価値』を私に証明して見せなさい」
「……感謝します。ずっと、ウズウズしてたんです」
菅公は薄く笑うと、暗闇に沈む廃工場の入り口へと足を踏み入れた。
内部に侵入した瞬間、生ぬるい風と共に複数の呪霊が蠢く気配がした。等級で言えば三級から二級。一級呪霊から生み出されたであろう有象無象の群れが、侵入者である幼い少年を喰らおうと殺到してくる。
「ギチ……ギヂヂヂッ!」
異形の四つん這い呪霊が、天井から菅公の死角を突いて飛びかかってきた。
しかし、菅公は視線すら向けない。彼の練り上げられた呪力は、肌の表面を薄く、しかし極めて強固に覆っている。
――スッ。
最小限の動きで半歩横にスライドし、呪霊の爪を躱す。同時に、腰の回転から生み出された運動エネルギーを呪力で爆発的に増幅させ、右の裏拳を呪霊の側頭部に叩き込んだ。
ゴシャァッ!!
甲高い破裂音と共に、二級呪霊の頭部がスイカのように粉砕され、紫色の体液を撒き散らしながら消滅していく。
「遅い。動きの無駄が多すぎる。冥さんの蹴りの方が100倍怖いね」
次々と襲い来る呪霊たちに対し、菅公は舞い踊るように打撃を的確に急所へと叩き込んでいく。術式を一切使わず、徒手空拳のみでの蹂躙。呪力で強化された彼の拳は、文字通り鋼鉄をも砕く質量兵器と化していた。回し蹴りで二体を両断し、掌底で胸郭をぶち抜く。開始からわずか3分足らずで、工場内の前座は全て塵と化していた。
その時、工場の最奥、巨大な溶鉱炉の跡地から、空気が重く沈み込むような圧倒的な呪力の奔流が膨れ上がった。
『アァ……アァアア……!!』
現れたのは、巨大なムカデと人間の赤子が融合したような、悍ましくも巨大な一級呪霊であった。無数に生えた人間の腕が蠢き、その全身は刃のように鋭い外骨格で覆われている。さらに、呪霊の周囲の空気が歪んでいた。術式持ちだ。空間の圧力を操作し、不可視の真空刃を作り出す能力を持っているらしい。
「なるほど、一級呪霊。流石にプレッシャーが違う」
菅公は低く構えた。
シュパッ!という風切り音と共に、菅公の頬に一筋の切り傷が走る。不可視の斬撃。
「……見えない斬撃か。なら、当たる前に潰す」
ダンッ!と床を蹴り、菅公は一級呪霊の懐へと砲弾の如く飛び込んだ。その踏み込みの速度は、呪霊の認識を上回る。
『!?』
「シッ!」
呪霊の硬い腹部装甲に対し、呪力を一点に集中させた正拳突きを放つ。
ドゴォォォォン!!
強烈な衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。しかし、一級呪霊の外骨格は亀裂が走ったものの、致命傷には至っていない。逆に、呪霊は反撃とばかりに無数の腕を振り下ろし、全方位からの真空刃の嵐を巻き起こした。
「チッ……硬いな」
菅公は瞬時に後方へ跳躍し、連続バック転で斬撃の網目をギリギリで回避する。工場の鉄柱やコンクリートの壁が、豆腐のようにズタズタに切り裂かれて崩落していく。純粋な体術と呪力強化だけでは、あの装甲を完全にぶち抜くのに時間がかかる。何より、広範囲の不可視攻撃は長期戦になればなるほど不利だ。
カァ、と鳴く烏の目が、菅公を見下ろしている。
(冥さんに見られているんだ。泥臭い時間は見せられない。……終わらせよう。一瞬で)
菅公は深く息を吸い込み、構えを解いた。だらりと両腕を下げ、全身をリラックスさせる。
その瞬間――廃工場内の空気が、ビリッ、と鳴った。
ただの呪力ではない。高密度のエネルギーが菅公の体内で圧縮され、大気を震わせているのだ。彼の生得術式『落落雷雷』。ただ雷を放つだけでも、その電圧と熱量は数万度に達し、対象を炭化させる一撃必殺の威力を誇る。あまりにも強力なため、放出のコントロールを誤れば周囲一帯を焼け野原にしてしまう。しかし、5年間の緻密な呪力操作訓練は、この膨大なエネルギーを完全に彼の統制下に置いていた。
「術式順天――『飛雷遠雷(ひらい)』」
菅公が右手の二本指をスッと呪霊に向けた。
指先からバチィッ!と青白い火花が散ったかと思うと、次の瞬間、周囲の空間から酸素が消失したかのような錯覚に陥った。
菅公の指先から放たれたのは、単なる電撃ではない。極限まで圧縮され、指向性を持たせた落雷。その通過する軌道上の空気は瞬時にプラズマ化し、光の槍となって一級呪霊へと直撃した。
ズガァァァァァァァァァァン!!!!
鼓膜を破るような轟音と、視界を白く塗り潰す閃光。
『ギィアァァァァァッ!?』
一級呪霊の絶叫が響くが、それも一瞬だった。プラズマ化した雷撃は、呪霊の誇る強固な外骨格も、防御のための真空の壁も、全てを物理的・呪術的法則を無視して「消滅」させた。物質を構成する分子そのものをプラズマの超高熱で分解し、空間ごと抉り取ったのだ。
閃光が収まると、そこには一級呪霊の「右半分」が完全に消失した姿があった。断面からは血すら出ない。瞬時に炭化し、灰となって崩れ落ちていく。
「……まだ生きてるのか。生命力だけは一丁前だな」
半分になりながらも、呪霊は狂乱し、残された全呪力を振り絞って周囲の空間そのものを圧縮し始めた。菅公ごと工場全体を押し潰そうとする、自爆にも等しい巨大な圧力球が形成されていく。逃げ場はない。
だが、菅公の表情に焦りは微塵もなかった。
彼は自らの内側で渦巻く雷の呪力に、反転させた呪力――プラスのエネルギーを流し込んだ。
順転が「雷を外部へ放つ」術式であるならば、反転術式による効果は己の肉体へと向かう。
「じゃあ、これで本当に終わりだ」
菅公の輪郭が、チカチカと青白く発光し始めた。彼の肉体そのものが、雷というエネルギー体へと変換されていく。
「術式反転――『雷化舜動(らいかしゅんどう)』」
――世界が、止まった。
いや、正確には菅公の体感時間が極限まで引き延ばされたのだ。
自らを雷のエネルギー体へと変え、光速(それに極めて近い速度)での移動を可能にする神速の領域。
彼が床を蹴った音は、誰の耳にも届かない。なぜなら、音よりも先に彼が到達しているからだ。
圧縮されつつある圧力球の隙間をすり抜け、空中に浮かぶ一級呪霊の背後へと、青白い一条の光の筋が走った。
「チェックメイト」
次の瞬間、時間が再び動き出した。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!!!
凄まじい衝撃波と雷鳴が廃工場を吹き飛ばす。
菅公が光速で通過した際に発生した絶大な運動エネルギーと、雷化による超高圧電流の余波。それらが一級呪霊の残された半身を内側から完全に爆散させた。断末魔を上げる暇すら与えられず、一級呪霊は跡形もなく消滅した。
後に残されたのは、天井が吹き飛び、星空が見えるようになった工場の残骸と、空中に漂うオゾンの匂いだけだった。
「ふぅ……」
静寂を取り戻した瓦礫の中心で、菅公は雷化を解き、元の少年の姿に戻った。息一つ乱れていない。衣服に少しだけ煤がついた程度だ。彼は小さくあくびをすると、首を鳴らした。
パサッ。
残った鉄骨に、再び烏が降り立つ。
「見事だ。素晴らしいよ、菅公」
烏を通じて響く冥冥の声には、確かな感嘆と、そして底知れぬ欲望が混じっていた。
「5年間の体術の仕上がりも完璧。そして何より、その術式。一級呪霊を相手に、まさか文字通り『一瞬』で片付けるとはね。君の才能は、私が想定していた利回りを遥かに超えている」
「お褒めに預かり光栄です、冥さん。これで俺も、一人前の術師として認められますか?」
「ああ、無論だ。今日から君は立派な『商品』だ。君が稼ぎ出す莫大な金が今から楽しみで仕方ないよ。……10歳にしてこれほどの化け物とはね。五条悟に次ぐ規格外になるかもしれない」
「俺は俺ですよ。それに、金稼ぎもいいですけど、もっと強い奴と戦ってみたいですね」
10歳の少年は、無邪気に、しかし底知れぬ残酷さを秘めた笑みを浮かべて夜空を見上げた。
土師菅公。彼が呪術界という血塗られた盤上に、最狂の雷神としてその名を轟かせるのは、そう遠い未来の話ではない。
と言うわけで菅公君メチャクチャ強くなりました。やはりオリ主はこれくらい強くなくちゃもの足りませんよね(笑)よければ評価と感想をお願いします。