前だけ見てろ。
胸を張れ。

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勇気の旗を背に牽いて

 黒龍。またの名を、ブラックワイバーン。

 

 

 名に違わぬ漆黒の甲殻と鱗に身を包み、表皮までも暗灰に染めた禍き龍。鞭のように撓る長い尾を引き、前肢と一体化した双翼を以て天空を己が庭の如くに舞う、災厄の象徴にも謳われる怪物。

 

 ドラゴンを筆頭とした五匹の“龍”を名に冠する魔物、所謂五龍の中では末席に当たる存在ながら、こと飛行能力に於いては頂点に立つドラゴンをさえ時に凌ぎ得る。彼の者を討ち滅ぼす事は冒険者の登龍門と扱われ、その黒き威光を身に纏ってこそ一流の誉れを得るに相応すると言う。故に、数多の冒険者がその名声へと手を伸べては、無念の内に斃れていった。

 

 

 

 

 

 

「黒龍…………ですか?」

 

 そして今も、もう一人。

 

「確認致しますが…………黒龍の討伐依頼をお探し、という事で間違いありませんね?」

「そう言ってる」

「えぇ……?」

 

 冒険者ギルドは年中雑多十色な喧騒の坩堝であり、この日も受付嬢がそこそこに声を張り上げてやっと会話が成立する程の大わらわ。その為空耳の可能性も含めて問い質した訳だが、眼前の相手はにべも無く突き返す。

 そこで改めて、受付嬢は掲示板の依頼を無視して直接窓口に当たってきた相手の風体を浚った。

 

 少女、のようである。のよう、と言うのは、女が猫背がちだったり嫌に肩を萎ませたりで雰囲気が小ぢんまりしているだけで、それで居ても目線自体は受付嬢と同程度の高さには有ったからだ。現代の女性としては埒外と言える。長く整えられた藍紫の髪もそれのみなら地に足着けた気風。

 では少女という形容はやはり不適切か、と言えば表情はどうも修羅を知らぬ小娘のそれ、小顔をすっかり隠してしまう位の魔術師帽には完全に被られていると表すが正しい。片手に掴む杖の品格との均整も無し。そこから垣間見える翠の眼光には清濁を飲み干した狂人、或いは現の裂目を夢遊する少年然とした混沌が宿っている、少なくとも受付嬢の目には後者にしか見られなかった。

 冒険者業は百人百様、少女の姿は多くは無けれど珍しい物でも無い、口減らしの身売りを嫌って出奔とかの話はありふれている。上背も複数種族の混血とかで説明は付く。黒龍討伐目当ての冒険者も現れない日の方が稀で…………兎角にも、問題はそこでは無かった。

 

「えーと……伺いますが、今回はお一人ですか?」

「見れば分かるでしょ」

「ええー……?」

 

 どうも虫の居所が悪そうだ。勿論こうした態度劣悪の類も毎日のように相手取っているが、どれだけ相手が不作法でも此方は業務に殉じた口上を続けねばならぬのが受付嬢の苦悩である。

 

「あの……当ギルドの方では、黒龍初め一定以上の脅威を持つ魔物の出現リスクが高い依頼については、最低2人以上のパーティでの受注を推奨しておりまして」

「推奨でしょ?必須じゃない」

「しかしこれは、皆様の安全を少しでも保障する為の取り決めでもありますから」

「っ、ランクは足りてる!最近の受付嬢は字が読めなくてもなれるもんなの!?」

 

 良く言えば整然、悪く言えば杓子定規。典型的役人仕草に神経を逆撫でされた相手が身分証明を叩き付けながら一段声量を上げる。荒事も日常茶飯のギルドで一々怒号に目くじら立てるような輩は居ないから反応したのは受付の周囲ばかりのものだったが、しかし当の受付嬢はまだ場数に乏しく、ついその熱に乗せられてしまった。

 

「いやですから、此方も信用でやらせて頂いてますので……」

「私が張りぼてだってか?!」

 

 滑らせた口に慌てて手で蓋したが、時既に遅し。案の定烈火の着いた視線と交錯し……一瞬で鎮静したそれが逸らされ、また一際縮こまって悪童のように唇を噛み始めていた。自信家なのかそうでないのか、不安定な情緒を気味悪がりつつ、その振りを見て受付嬢も襟を正す。

 

「……その。現在はお一人でも、例えば以前パーティを組んでいた方に協力をお願いして、一時的にでも貴方をリーダーとするパーティを結成するという形を取って頂ければ、此方も受注だけなら許可出来ますし……」

「………………」

 

 少々掟破りな受付嬢の譲歩、その言外にはまさか魔術師の女の独力で彼女のランクにまで達するはずが無いという経験則からの確信があったのだが、それを知ってか知らずか相手は杖を握る力を強めるばかり。まさか、とは思うが___。

 

 

「なあ。お前、黒龍狩んの?」

 

 ふと、横から軽々しい声が掛かる。

 

「私も同じでさー、丁度良いや。折角だから私も交ぜてくれよ」

 

 救いの手が降りた。そんな受付嬢の期待も虚しく、正体見たる頃には忽ち消沈へと変わる。今度の声の主の出で立ちこそは、誰の視点をしても年端も行かぬ女子の見本だったのである。しかもまだ冒険者の心得自体は揃えていそうな直前までの相手と違い、彼女は世間知らずらしい何とも甘い物腰をしている事。その腰に佩いた剣を筆頭とした御噺の世界を駆ける剣士宛らの装備ばかりは立派だが、汚れ一つ無く煌めくそれらは逆に青臭さを助長しかしない。

 そしてそんな有り様に、直前の女は只今の受付嬢と鏡写しの怪訝な眼を瞬かせているのだ。お前も知らんのかい、次なる失言は辛うじて抑えた。

 

「えーと……失礼ですが、現在の貴方のランクは……?」

「ランク?さあ、知らねえ」

「し、知らない?でも、冒険者登録はされてますよね?」

「ああ、昨日済ませたよ」

 

 この時遂に魔術師の女と受付嬢の心は重なり、二人同時に愕然と膝を折りかけた。救いの手でも何でもない、疑いの余地すら無い厄介者であった事実に受付嬢は絶望する。

 

「何だよ、人が足りないんだろ?パーティリーダーのランクが届いてりゃ他のメンバーのランクは問題外みたいな話もあったよな」

「私に子守をしろって?冗談じゃない!」

「あー、その……流石に推奨ランクからの乖離が剰りに大きい場合は、ギルドとしてもちょっと……」

「そうよ、此方は信用で食ってんの!」

「信用ー……?」

 

 どの口で宣うのか熱り立つ女、しかし二人掛かりの反対も何処吹く風とその単語ばかり復唱した剣士は、やがて懐から何がしか取り出して受付嬢の下へ見せ付けた。今更何を御披露目されても状況は変わるまいと、諦念大半で受付嬢はそれを鑑みたのだが。

 

「信用ってなら、これで足りるか?」

「……こ、これは…………」

 

 それが何か認めた瞬間、受付嬢は目の色を変えた。

 

 

 

 

 

 

 周辺の大国間に於ける流通の要衝として隆盛したこの都市の根底には、やはり商人達の鋼鉄の意志が植わっている。激しく打ち合い時に赤熱するそれは諍いを生み、それを冷やし固める傭兵として冒険者が呼ばれ、そうした円環が研ぎに研ぎ澄まされ、遂には要国の首都と並べて遜色無い繁華に彩られる巨大自治区を完成させた。

 その栄耀の裏には今尚冒険者ギルドと商人ギルドの鼻も曲がる鍔迫り合いが隠れているとも言うが、精々光を享受するだけの下々の人間には縁もゆかりも無い話だ。現に大通りは何処までも熱苦しい活気の渦、三歩歩けば肩に当たる過密地帯。風に乗って舞う希望または欲望の薫りに浮かされ倒す雑踏の楽天ぶりと己の現状とを比して、魔術師の少女は泥龍の沼より深い嘆息をした。どうしてこうなった?

 

「うお、あれおいしそぉ。うわ、あれもいいなぁ。うひゃ、何だろあれ___」

「………………」

 

 道を挟んで連なる露店の逐一に吸い寄せられる観光気分一色のそれ、ついさっきに邂逅した名も所以も知らぬ女剣士。土くれから採れた田舎娘と小差も無い振る舞いに少女の方から発火しそうで向こう俯き道中である。

 

「なあなあ、おま……えー、あなたって歳幾つ?」

 

 不意に、そんな少女の顔を剣士の薄茶の瞳が下から覗き込む。

 何は無くともまず目に喧しい緋色の髪。頭頂より高くに結われたそれが流星の尾の如くに靡き、その鮮烈が前述した装備と白い玉肌に至るまでの清純たるを更に印象させる。顔立ちもあどけなさが抜けず、魔術師の少女のそれと見目は同等と言った所か。そこまで目算してから、やっと少女は問いに答える。

 

「…………十六」

「なあんだタメかよ、気遣って損した」

「ッ___!」

 

 果たして少女の見立ては的中した訳だが、それを嬉しむ素振りも無く剣士の手首を強く掴む。

 

「あぁ?んだよいきなり……」

「いいから来い」

 

 少女の豹変に困惑しつつも手引きされるまま横路の陰に消えた剣士。騒音に帳され人目も紛れぬそこで、少女は彼女を両腕で壁際に閉じ込める形で詰め、身長差も惜しまず使い威圧する。

 

「あんたがどれだけ偉いんだか知らないけどな、このパーティのリーダーは私。間に合わせでしかないあんたなんかその気一つで切り捨てられる」

「………………」

「私は五年、この世界で生きてる。ひよっこの分際で舐めた面するんなら即刻クビだから」

 

 剣幕だけは凄まじいが、少女の心中は幾分爽快だった。

 今でこそ父方の遺伝子の賜物で成長は果たしたが、その五年前に遡れば周囲の冒険者が口を開いてやれちみっこ、ニュービー。それがとうとう今日はこうして先輩風を吹かせられる立場になったのだから、安っぽい自覚はあれある種の感傷まで覚えているのである。

 

「…………そりゃ頼もしいや。宜しくな、センパイっ」

「………………」

 

 しかしそんな少女に対して剣士はと言えば毒気の欠片も無い微笑を返して、途端に面白くなくなった少女は悄々と甲斐無く引き下がった。

 

「しかし、やっぱ連中の言う事は出鱈目ばっかだなあ。何がこの紋の放つ光は地平の果てまで届く、だよ。五年冒険者やってる奴も知らないじゃん」

 

 愚痴りながら剣士が片手に仰ぐは例の代物、剣とそれに絡む一匹の蛇が模されたアクセサリ。材質等の見当は少女にも付かないが、まずその辺りの軒下で叩き売りされるような廉価品でないのだけは分かる。

 これを目の当たりにした直後から、あの紋切形受付嬢が姿勢をそっくり引っ繰り返して少女ら二人での依頼受注を容認したという始末だったが、どうした謂れを持った石ころだと言うのか。ただお堅いギルドの正規職員をしてあの変わり身なのを見るに、単に少女の浅学である線の方が色濃そうな。

 

「……いちおう。一応聞いとくけど、何なのそれ?」

「これ?」

 

 一時の恥と、少女の決めた覚悟の割に剣士は至極あっさりと説明する。

 

「此処の近くの街に騎士学校があってさ、成績修めた卒業生に寄越される証なんだとよ。ま、大した有難みも無いってのはたった今よく分かった」

 

 成程、と少女は内心で納得する……程でも無かったが、頷きはした。

 冒険者のランクとはそのまま冒険者としての格の代弁で、依頼の受注許可とは基本これに準拠され行われる。しかし特例として、或いは戦争で武功を立てたり、或いは野良の凶悪な魔物を討ち倒したりと、一連の冒険者業外での実績を証明出来る場合、ランクによる制限の免除や特権を得られる事がある。つまる所あの護符は、推奨水準のランクを持つ少女の引率が前提とは言え、真っ新の冒険者をすら黒龍に目通り叶うまでにする恩恵を包摂している理屈になるのだ。そんな無茶苦茶な話があるかと、ほぼ独り身で涙ぐましい五年を積んできた少女にすれば到底腑に落ちるものではない。

 

「騎士学校か、お貴族サマなのね」

「そんな煌びやかなもんじゃねぇよ、家も放って出ちゃったし」

 

 僻み全開の少女と、何故か照れ臭そうにはにかむ剣士。言葉を交わせば交わすだけ自分が小粒に思われて、少女の語調は相応に粗雑になっていく。

 

「優等生だったんでしょ?何処からでも引っ張り蛸でしょうに、何で態々冒険者になんか」

「いやあ、まあ……カッコいいじゃん?冒険者」

「……そ」

 

 いよいよ呆れた少女は二度目の溜め息を吐き、これ以上の雑談も無用と大路に戻っていく。その後ろを剣士が先程よりは慎ましく着いてくる。

 別に動機の如何で侮蔑はしない、それが月並みだったのでつまらなかっただけだ。所詮は仕事の付き合い、その背景模様が何だろうが、今や少女の彼女への評価の余白は役に立つか、そうでないか、二分でしかない。空気の換わった頭が続け様に運んでくるのは味気無い現実の話だ。

 

「取り敢えずは、当面の宿を決めないとね……」

「え、まだ昼前なのに?」

「当たり前だろ君。周りを見なよ、ちょっと探せば見つかる宿なんかとっくに埋まってる。……二人部屋で良いよね?まさかお一人様ご所望なんて言わないでしょうね」

「言わねえよそんな我儘。けど悪いなー、宿代まで世話して貰っちまうなんて」

「別に。これ位はリーダーの務め……………………?」

 

 ぴた、と、少女は往来の真ん中で足を止めた。人混みの中の背を辛々追い掛けていた剣士が思い切りそれにぶっ衝く。

 

「むぎゅ。……どした?」

「ねえ、今なんて言った?宿…………代?」

「え?ああ……やっぱダメ?」

「いや、え?いや…………無いの?宿代」

「あ、まあ、うん。昨日の分で最後だった」

 

 

 沈黙、そして。

 

 

「…………はああああああ!?!?」

「ちょっ……お前、あのさあ!」

 

 衆人環視も憚らず絶叫する少女を、今度は剣士が焦って路地裏へ引き摺り込む。しかし少女の気は煮えたまま、その間も箍が外れたように捲し立てた。

 

「きみ、や。あ、あんたね。宿も無しで!しかも女の子が一人!一晩無事に明かせるなんて思ってたわけ!?」

「いや、えーっとさ。宿代は今日工面するつもりで、ギルドにもそれが目当てで来てたんだよ!それが揉めてたお前に会っちゃったからあ……!」

「他人のせいだってぇ!?そもそも最低ランクが一日そこらの手間でこの街の並の宿なんか泊まれるもんか、最悪貧民街の破落戸と一つ屋根の下よ!大体何にしたって一日分の宿泊費は常に!欠かさず!押さえとくもんでしょ、残り残さず素寒貧てどういう了見だ!」

「そこまでじゃッ……ああもう、しょうがないだろ!家から金は幾らか持ち出したんだけど、この装備一式仕立てたらほっとんど飛んじゃったの!」

「馬ッッッ鹿じゃない!!」

 

 一喝。此度ばかりは剣士に理は無く、塩でも撒かれた風に弱ってしまった。初見のその様で漸く多少落ち着いた少女は、荒れた息を宥めつつ喫緊の目標を設定し直す。

 黒龍レベルの難度の依頼ともなればそれを請け負う側もある程度の格付けと好意要素を求める、故にギルドから特待として物資やそれこそギルド傘下の宿が手当てされる例もある。しかし何分今回は少女と箱出し娘の二人三脚であるからそんな気の利いた話も無く、概ねの用意は自前で面倒するしかない。幸いこれは普遍の権利として一定推奨ランク以上の討伐依頼はそれ未満の依頼との平行受注が可能になっている、上ばかり見上げて結果首が回らなくなるという笑えないオチは凡そ起こり得ない。

 

「はあッ、はあ……ギルドに戻るよ。まあ、君の品定めもしたいと思ってたし、都合は良いか」

「え?でも、宿見つけなきゃじゃあ……」

「ッッさいッ!冒険者なら自分の宿賃位自分で稼げ!」

 

 否、未だ盛んな怒気は叫声を止ませず、顔面紅塗れにした少女は泣きべそ掻く剣士に心置きもしないまま共々出遭いの場所へものの僅かで舞い戻ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 自治都市から所変わって辺境。花が石造りの道端に泥臭く開くように、人もまた自然の網目の隙間を強かに縫って暮らしを根付かせていく。数歩歩けば森の中という地理のその村落は妖精の隠れ里を思わせる神秘性を漂わせ、正にそれは此界と異界の境目という趣である。より正確には境目だった、か。

 

「止まって」

 

 少女の制止に従い、二人分の足音が静まる。

 それからは、現況の把握。立ち並ぶ木造家屋に既に人の気は見受けられない、払い古しの廃村かとも勘違いするが、地面に打ち棄てられた桶等の日用品には生活の温度が残っている。そして澄んだ緑の微風に紛れてくる、血とけだものの臭い。

 

「……村、なのか?」

「だったんだろうね」

 

 少女と剣士、二人に課せられている依頼は至極単純。魔物の襲撃により村が壊滅。可及的速やかにこれを掃討し、被害の拡大を阻止する。自然と隣り合わせというのは、その弱肉強食の営みとも添い遂げる事だ。

 

「村は全滅じゃない、依頼も近くの集落に避難した村民が其処の住民と連名で出してる」

 

 遂に目の当たりにする世界の過酷に並ならぬ様子の剣士を慮った言葉だが、それでも剣士は沈痛な面持ちで呟く。

 

「……私達は、人の不幸を漁って食い繋いでくんだな」

「今ある幸せを守る為」

 

 そう口にしつつ、この悲劇が少女達にとって見れば僥倖と名が変わるのも事実だった。自治都市から出て日没までに往復出来る距離で、且つ纏まった報酬を札された緊急の依頼が舞い込む、願っても無い顛末だ。冒険者業なぞ巡る日々を五体満足で迎えられれば万々歳、軟な人情味は捨てるのに慣れてしまうべきだが、慣れて欲しくは無い感覚であるのも確か。少女はそれ以上何も言わず、ただ自分だけ“慣れた”人間の佇まいを取る。

 

 討伐対象は、リードウルフの群れ。

 まずウルフというのが狼型魔物の総称。彼等は基本三から五匹程度の群れを作って狩りを行うが、時折何の因果か大きいと二十匹規模の大所帯を成してしまうウルフが出現する、本来そうした変異的な群れを統率する一匹を特定して呼称したのがリードウルフ。しかしその卓逸した指揮により御される群れは純粋な数という以上に強力なものとなり易く、構成する平の一匹単位でもリードウルフと称するのが界隈での慣習である。

 

「……さて。繰り返すけど、今回の依頼の推奨ランクは黒龍の一段階下。正直初陣には重過ぎる相手だけど、はっきり言って此処で躓くなら黒龍相手には要らない」

 

 その宣告で気勢も入り直したようで、剣士の面構えが引き締まる。

 

「森に入るのか?」

「いや。この分だと、恐らくは___」

 

 剣士の伺いに首を振ってから、少女は道すがら拾っていた大枝の端に火を掛け、振り被り村の広場の真ん中へ放り投げた。置いてけぼりの剣士の理解が追い付くのは、その後。

 

 煙に誘われる獣の鼻先が、廃屋の戸口から覗いた。

 

「最初は私がやるから、そこ動かないでね。私のスタイルは特殊だから、取り敢えず一回見て貰う」

 

 左手の杖先を傾げる少女。建家のそれぞれから出てきたのは一、三、六、計八匹のリードウルフ。鋭利な嗅覚は異物の気配を敏く捉え、十六の眼差しが一斉に少女の身を刺す。少女がほんの僅か身震いしたのを切っ掛けに、駿足、距離を一挙に詰めてくる。

 少女は怯まない。魔法の構築は瞬時、杖先で組まれた術式は水球の射出。しかし群れる敵に対して水球のサイズは一匹分相当、その一匹も既に軌道を見切って回避体勢を取る___同時、水球が炸裂する。直前で広場を網羅する程拡散したそれを往なす術は無く、八匹が漏れなく水を被って、

 それだけ。

 

「__効いてないけど!?」

「黙ってろ!」

 

 たかが水引っ掛けられた位で面食らう狩猟者は居ない。減速せず突貫してくる狼共に狼狽え前に出ようとする剣士を遮った右手を、握る。

 

 鮮血が散った。

 

「…………え?」

 

 剣士の目には、狼共が独りでに自傷したとすら見えたかも知れない。駆ける最中の八匹の体表で無から斬裂が発生し肉を切った、その前触れも無かった。尤も威力は小さく損傷も軽微、息の根を止めるには充たない。しかし連中の足が一秒死ねば、少女にはそれで十分だった。

 

「ま、こんなとこね」

 

 展開された八本の氷柱が、悶える狼共の各急所を冷徹に貫く。仕上がり。

 

「……へえー、すっげぇ……」

「……ふん、まあまあでしょ?タネを明かしても剣士には分かんないでしょうけど」

 

 一部始終に剣士が素直な称賛を漏らして、少女の顔は心持ち外方へ飛ぶ。

 

「……魔法を重ねてるのか。水球と、それを拡散する魔法の二つ……いや、最後の風刃も合わせて三つか?それを座標と速度を揃えて…………それとも、水の魔術式の中に編み込んでるのか……」

 

 そしてそれが、磁針の振り切られる様相で剣士に向いた。

 

「え。……魔法、分かるの?」

「ん?ああうん、勉強はしてたけど……無理だー、違う魔法を一点で同時に組むってのがムズい。位置と速度をずらせば再現だけは出来るかもだけど、それじゃ機能しないしなー……」

「………………」

 

 右の掌に炎を起こしながら首を傾ける剣士。一先ずの沽券が守られた安堵と積年の秘訣が一目にして筒抜けにされた衝撃とで少女の面容は暴れ狂っているが、一応先までの少女の言動が自惚れとかでは恐らく無い事は記しておく。

 この世界の魔法教育は一つの術式で一つの魔法、を基本体系としている為、真っ当な課程を経た魔術師はまずこの時点で少女の発想への橋が落とされる。加えて世に出る魔術師の殆どは他の前衛職とパーティ等の共闘形態を作る事になるので、その前衛を巻き込む拡散系の魔法は使用から忌避され此処でも篩に掛かる。要するに少女の魔術スタイルは、順当な教養に涵せず社会性もろくに育たなかった人間だけが到れる、または落伍する邪道の領域なのである。

 

「…………詳しいのね」

「へへ、騎士学校と魔術師学校、どっちに入るか死ぬ程悩んだんだ」

 

 悩めるだけ、余程贅沢だ。少女に暇があったらそんな嫌味を垂れていたかも知らないが……仲間の死臭に曝され、壁越しから膨れる殺気がそれを与えない。

 

「じゃ、いよいよ君の腕を見せて貰う訳だけど……残念なお知らせ。今私が仕留めたのは哨戒役で、次の波が群れの本丸、つまり今の奴より強い。前衛は複数相手だと死角を取られ易いから、私の指示をよく聞い」

「__望む所だッ!」

「てっ……聞けってのにいぃっ!」

 

 敵が全容を顕にせぬ内に剣士が飛び出し、済し崩しに二次戦闘の幕が上がる。少女は焦燥加減に構える訳だが、その中途で剣士の右手に抜き放たれた得物を見た。陰影だけならそれは、模範的造型の片手直剣(ブロードソード)であったが。

 

(……透けてる?)

 

 具体的には剣身の先から中心線を通って握りまで、透明な管の通った様な外観をしている。鑑賞とか祭祀用の模倣品ではないかとさえ思わされる、美麗というか、小綺麗な剣。あれで生きた魔物の骨身が断てるのか?少女の疑念は、果たして___早々に霧消する事となる。

 

 陽光に順応していた一匹の懐まで疾風の如く潜り込み、一刀の内に首を刎ねた。側面を狙った一匹を振り向き様にまた一閃、これも瞬殺。攻撃後の隙も足回りの妙技で潰しつつ、逆に相手のそれを抜け目無く両断する。三匹目。数で勝る筈の群れが気付けば控えに回って、四匹が力量を判じかねるように剣士を中央に囲んで歩いている、これで全員か。剣士もまた受けに転じて、余裕満面に四方を睥睨する。

 小休止は、示し合わせも無く終わる。痺れを切らした一匹の突進、少女にはそう映ったのだが、返す剣は空を切り、其処を一匹が急襲。それを回避すれば、また一匹……偽装と時間差を交えた波状攻勢を掛けていると悟るのは暫時が要ったが、剣士の体捌きは円舞の如く、血腥いそれとは思えぬ程優雅に畜生の牙をすり抜けて、遂には身を捻り損なった一匹の胴を切り上げる。その凛たる勇姿に、少女は声も失くし見惚れて___いる場合じゃない!

 

「__後ろッ!来てる!」

「分かってるよ!」

 

 手段を選んでは間に合わない。今の注意で剣士が防御行動へ移る前提で最高速での氷柱発射を試みたが、剣士は後方を顧みないまま振り上げた剣を戻す勢いで背を斜めに払う。視界と重心を欠いた斬撃は裏の一匹が飛び退きを紙一重挟む空白を余し、

 

「はっ!?」

 

 その身が燃えた。驚いたのは少女。

 

 剣が火を吐いた、そうとしか見えなかった。一太刀と共に生じた炎刃が、間合いから脱したはずの狼の虚を衝き直撃したのだ。

 当惑したのは少女ばかりではない、残った二匹もまた事態の嚥下が適わず立ち竦む。それを容赦しない剣士の手がその命を呆気無く刈り取るまで、結局少女は何一つと干渉出来なかった。

 

「____ふー、何とかなるもんだなっ」

 

 意気も揚々と緊張疎らに剣士が戻ってくる。もう背後を襲う敵も居らず、目的が全てに於いて達成されたのを知った少女の方に、しかし喜色は微塵も無く、ただ、瞑目していた。

 

「…………おーい?なぁ、結構良かったろ?」

 

 結構良かった、なんて口が裂けても言えない。只管見事だった。

 リードウルフの群れは熟練でも辛酸を嘗める難敵。それを素人どころか更地の新人が完膚無きまでに打ち崩し、傷一つをも負っていない。少女の援護も介さずだ。

 戦力としては、十二分だろう。結果が全てという通念もある。下手な水を差せば、却ってその翳り無き剣閃を鈍らせる事にもなり得る。

 

(…………だけど)

 

 帽子を外して杖に掛け、興奮冷めやらぬ剣士の肩に手を置き膝を屈めた。明滅する薄茶のその下から、視線を絡ませる。

 

「…………断言しよう。今の戦い方じゃあ、絶対に君は死ぬ」

 

 ただ棒立ちしていた分際で、そう唾棄されるだろうか。それでも、と、今度は先輩風でない、真なる先駆として、この場はご講説をさせて貰う。

 

「それは、私達が戦うのが黒龍だからって話じゃない。私達の不変の敵は、油断と慢心。それは何時でも、何処でも、如何なる勇者でさえいとも簡単に殺す。今だって、後から新手が出てきていたら?炎に耐性のある変種だったら?まず隠れた敵がウルフだけで無かったら?……一つ掛け違うだけで、全てが覆ったかも分からない。過信をするな。それは君だけじゃない、ともすれば他の何かだって終わらせる___。

 

 忘れるなよ、駆け出し。冒険者にとっての死は、常に、絶えず、その一寸先に在るんだ」

 

 

 情念を籠もらせた教諭は、幸い、剣士の耳朶も打ったようだ。

 

「…………わかった」

「ならいい」

 

 それを聞き届けた少女はその肩を叩き、破顔した。

 

「…………その剣。杖も兼ねてるんだね、驚いたよ」

「……え?あ、ああ」

 

 ふと指差され、剣士が惑いつつ胸の前に剣を持ち上げる。先の戦いで文字通り火を吹いた立役者。

 

「魔術師、諦めてなかったの?」

「まあ、そんな感じ。今は炎しか使えないけど……これも卒業記念でさ、特注して貰ったんだ」

「ほー。そしてそんな業物を賜っておきながら、出奔したと」

「っさいなぁ……」

 

 剣士の渋面に笑いながら、少女は都合十五匹のリードウルフの死体に歩み寄ってそれぞれを眺める。

 

「…………うん、綺麗に切ったねえ。良い仕事だ」

 

 感心して頷く。これならものになる部位も多いだろう、そこそこの小銭にはなるはずだ。

 

「後は、群れのボスのお頭が取れれば完璧なんだけど………………あ」

 

 唖然と共に、立ち止まる。

 

「ど、どうした?」

「…………ボス、こいつだ」

「あっ」

 

 少女の足下には、他より一回り大きな狼の焼け焦げた図体が転がっていた。

 

 

 

 

 

 

 自治都市に帰り一通りの報酬を得た少女と剣士の二人は、直ぐ様血眼となって宿を探した。一番初めに見つけた一部屋が空いているという安宿に選り好みする余裕も無いので即決し、最悪の結末はどうにか免れる事が出来た。冒険者向けを標榜する宿で、少女のランクの偶数パーティであれば人数分の朝食まで付くと言うので寧ろ望外の好条件である。肝心の黒龍討伐前に変な運を費したくないのだが、野宿にでもなっていればそれ以前の沙汰になるので大人しく有難がっておく少女だった。

 それにしても。

 

(二人部屋って、こんな安上がりなんだ……)

 

 何を隠そうこの少女、半生で一人部屋以外を借りた事が一度たりと無かった。

 実しやかに噂される二人部屋の危険を本気にしていたのである。宿側だって余計なトラブルは御免被る、女性冒険者への配慮は極力されがちと聞き及びつつも、腹を括れずその毎に奮発していた。結果少女は収入が安定し出すまで度々ひもじい思いをしたりもしたのだが…………閑話休題。

 

「絶対こっち見ないでね、恥ずかしいから」

 

 そんな事情なので当然、赤の他人と背中合わせで水浴びする経験もあるはずが無い。使うそれ以外の水音が耳に入るだけで頬真っ赤にしている、しかし移動と有事とで汗を流した上は乙女に選択肢なぞ示されていなかった。

 無心に徹して身体を拭う。無心に徹する、で頭内を埋めて他を追い遣っているだけなので端から無心でも何でもないが。錯乱の末さっきから同じ箇所ばかり擦っている、仄かに肌が赤らんできた。

 

「__へへ、おっぱいは私の方がおっきーい」

「見んな!!!」

 

 終ぞ此方は実らなかった貧しい胸元を片腕で覆い、汚言の元に手拭いぶん回して水ぶっ掛けてやる。無我の境地を諦め電撃作戦に移行した少女は魔法まで駆使し速攻で行水を完了して、さっさと下着に着替えお返しとばかりに剣士の肢体を目でじっくり舐め回してやる事にする。

 

「ねー、お喋りはいい?」

「…………いいけど」

 

 しかし結局自分が羞恥に参って所在無く宙に瞳を彷徨かせていると、剣士からそんな是非が聞かれる、拒む理由も無いので是としたが。

 

「やった。じゃあさ、お前なら黒龍の素材で何作る?」

「……そういうのあんた、皮算用って言うのよ。覚えときな」

「えー、いいじゃんかぁ」

 

 すっかり幼児のような剣士に呆れ果てながら、渋々と解答を考えてやる。渋々とはしつつ、やはり人間空想を捏ね繰り回している時がどうにも楽しい。

 黒龍素材の目玉と来れば、何と言ってもその翼膜だ。龍の巨体を空高くへ揚げる超常の部位、灼熱にも耐える程頑丈でありながらごく軽量という加工屋垂涎の代物であり、市場での需要も青天井になっている。

 

「……やっぱり、翼でスカーフとかかなぁ」

「うわ、つまんねえ」

「はぁ!?じゃああんたは!」

「私?私はねぇー……」

 

 少女の空想を足蹴にし、態々身体ごと回り向きにやつく剣士は__秘すれば花、とも覚えて欲しかった___両手で開いた手拭いを背へと翻して、答える。

 

「____やっぱり、マントだろ。戦士ならば!」

「………………」

 

 この日最大の吐息をしてから、少女は窓外の宵の空へと意識を流した。

 

「がきね。やっぱり」

 

 彼方で瞬くは、満天の星々。恒久の光に雑念を吸われ、目眩く心が去来する。

 そう。夢は見ている間が、一番楽しい。それが叶わなかった時、或いは、叶えたのに満たされなかった時。それを想えば、どうしようも無く傷んで___

 

(違うな)

 

 断じる。夢とは己で掴み、己で満ち足りる夢を築く。それが成せない夢は、元より夢等ではない。

 

「明日から五日は、毎日討伐依頼を熟すよ」

「毎日?」

 

 少女に告げられ、それを差し戻す剣士。

 

「そう、毎日。宿代も稼いで貰わなきゃ」

 

 剣士が勘所を撲たれ閉口したのを本当の意趣返しとして、残りを伝える。

 

「その中で連携を高めて、六日目は準備に充てる。そしてその次の日からは、本格的に黒龍討伐だ」

「……六日か。どうなんだ?それ」

「パーティ連携は本来もっと入念にやるべきもの。だから正直短いけど、仕方無い。代わりに手厳しくやるからね」

 

 少女の真意としては、黒龍打倒に際して六日は短いが長い、という微妙の塩梅である。

 第一剣士の加入という想定外が無ければ、少女は即日黒龍へ挑む腹積もりだった。黒龍の討伐案件は個数に対する倍率が非常に大きく、この不均衡にギルドはその資本を切り崩して常時ギルドを依頼主とする討伐依頼を保持し、同じ依頼を複数パーティに分配するという形を取っている。即ち今少女達の受注している依頼も既に他パーティの手垢が付いている可能性があり、彼らが先んじて黒龍を討ってしまえば、依頼はあるのに狩るべき対象は居ないという奇々怪々に陥るなんて事が少女達には有り得る。そうなれば契約期限までに黒龍と遭遇出来る割合は零とは無いにしても著しく低くなる、故に、成丈速やかに段取りを進める必要があった。

 

「……というか、連携ってさ。今日は別々にやったけど、これから同時に戦ったりもするって事だよな?」

「それはそうでしょ、でなきゃ言い分無しの名ばかりパーティじゃない」

 

 初歩以前の疑問で少女が余所に置いたままの眼を尖らせていると、鳴り放しだった水が唐突に止む。

 

「……て事はもしかして私、その度に水掛けられんの?」

「え?あー。風刃を展開する水の選別は出来るから、大丈夫」

 

 そういう問題じゃない、剣士がそのように首を振るのだが、少女は一瞥もくれない。

 

「いや。え、濡れはするんだな?要は」

「我慢しなさいよ。ほら、風邪引かれたら困るし早く服着て」

「…………声掛ける人、間違えたのかなぁ」

 

 連携の行く末に早くも暗雲立ち込めながら、二人の一つ目の夜は更ける。

 

 

 

 

 

 

「……んー、普通においしい。アタリだねこの宿は」

「…………肉も手掴みかよ」

「この期に及んでお高く止まってんじゃないわよ。冒険者は掌を皿にだってしなきゃ食ってかれないんだから」

「……ごめんなさーい!食器お願いできますかー!」

「……はあ、これだからお嬢様は。どうせ湯舟でゆったりで水浴びなんぞした事も無かったんでしょうね」

「え?いや、湯舟なんか知り合いの家だって持ってなかったけど。え、何、もしかしてお前……あーいや、流石にそれじゃな」

「…………ほら、食器も来たしさっさと食べる。冒険者は忙しいの」

「んん?なんで怒った?あ、ありがとうございまーす」

「怒ってない」

「怒ってるって。……うわ、直飲み……」

 

 

 

「お前ってさー、左利きなの?」

「右だけど、なんで?」

「だって杖持つの左だし、……物食うのも左だし」

「……利き手は色々触るから食事では使わない方が良いって話。杖もそれで殴ったりする訳じゃ無いから、利き手をフリーにしといた方が潰しは効くんだ」

「ふーん」

「……さて、今日の君の相手は蜂型の魔物。黒龍は空中機動がウリだから、こいつで目を慣らして貰う。だから直ぐには殺さずに、動きをしっかり観察して」

「__悪い、一振りで死んじゃった」

「……………………ふ、ふふ、そう。そうか。やっぱり、私が直々に相手する、それしかないみたいね……」

「ちょ、目ぇ怖……待て、それで怪我したらしょうもないだろ!おい、待てったらぁぁ!」

「五月蝿い、待てを躾けんのはあんたにだっ!」

 

 

 

「……髪の手入れとか気にするんだなー、お前。なんか意外」

「だから見んなっての。そんで失礼ね、あんただって放っといたら忽ち大炎上よ」

「……それ貸してー」

「やだ。高いんだよこれ」

「ちぇ。私は日銭を突く毎日だってのに、一人で贅沢しやがって」

「あんたみたいに向こう見ずな買い物しないからね、私は」

「ぐう」

「ま、こういうのは身を立てられるオトナの特権ってねー……」

「…………誰ががきだっ、このぉーー!」

「ひゃぁ!?っちょ、触るなってえ!」

 

 

 

「で、我儘言うから連れてきたけど」

「わ、あれほしい……あれもカッコいいな……これもカワイイかも」

「…………はしゃぐのやめにしないと奢りも無しよ」

「ご、ごめんって」

「全く……近くに通ってたんでしょ?此方は来た事無かったの?」

「規則が厳しくてさ。敷地からは殆ど出られなかった」

「へえ…………ほら、このバックラーとか良いんじゃない。片方手ぶらじゃ勿体無いよ」

「えー、盾なんかダサいって。邪魔だし重心も崩れるし」

「あんたね……じゃあせめて腕輪位着けときなさい、金属一枚で手が守れれば儲けものでしょ」

「んー……それならまあ、貰っとこうかなー。……へへ」

 

 

 

 

 

 

 鬱蒼した深緑の天蓋、その罅割れの中に、少女と剣士の影はあった。

 気も滅入るような木と木々の林立。際限無き森羅の向こう側に、二人はその蠢きを見た。

 

「いた」

 

 今度の討伐対象は、ウルフイーター。体を表す名で、狼をも一呑みにする大口を持った、植物である。今少女達の伏せる距離からも予知出来る草丈は、男の成人でも三人は連なるだろうか。その天辺に例の口があるという花、正しくは擬態する葉らしいが、それを戴いている。

 人間生活への直接的な被害は確認されていないようだが、ギルドは直近の狼型魔物による被害の一連には彼の者の森への定着が要因としてあると目しているらしい。その見通しが、有力な個の魔物との実戦を欲していた少女パーティの動向と交差したという経緯だ。

 

「言った事、覚えてるよね」

「火は使うな」

「そう。黒龍とも森で戦わないとは限らないからね」

 

 環境もそうだが、少女は剣士に先の対リードウルフのような魔法頼みの戦略を土台にさせないつもりでいた。それは下らぬ自尊心では無く、魔法が役に立たない戦況までを見据えての事。それに自分達はパーティだ、魔法の部分は少女が担って、正直な剣のその脇を補えば良い。

 

 森林のギャップの玉座に鎮まる魔物、視覚嗅覚を司る器官の見られないそれは、此方を感知しているのか否か。尤も無策の我慢比べは時間の浪費だろう。ウルフイーターはその腐肉に似た花香で獣を誘き寄せ有毒の花粉で衰弱させる、人体への影響は不明だが長期戦は芳しくない。黒龍までの道筋を引くのに、不動の敵への特効を思案する意義も無かった。

 

「____良し」

「ーーッしゃあっ!」

 

 少女の合図で鬨を上げ、絵に描いた程愚直に剣士が猛進し、

 

「うおぉいっ!?」

 

 数歩で目前を植物の波打つ根に妨げられ、急停止する。

 

「くっ、だっ、多すぎだろ!」

 

 それさえ尚切り開こうと右手の剣を走らせるものの、地中から生長する木の幹にも等しい緑の根__或いは、茎なのか___は次から次へ尽きる事を知らず、処理し切れない根の先端が鎌首を擡げるように剣士へ向くのを、その後ろで少女は見た。

 

「撒くよっ!」

「っ、ああもお!」

 

 宣言に上がったのは拒絶ではないが不服の声、全く意に留めず少女は杖から剣士を巻き添えに散水し、間髪入れず右の手を、握る。

 風刃が根の壁を、襤褸布でも裁断するように切り落とした。頭上に降る根を躱しながら剣士が叫ぶ。

 

「びしょ濡れだよ馬鹿!」

「いいから走れ馬鹿!!」

 

 少女の後方支援、更に剣士の剣がそれへの怨恨を乗せて加速し、着実に魔物の本体へと接近する。天秤は少女達へと傾き、そのまま一気呵成に___

 

「__は」

 

 その時。

 少女の足の間が、割れる。

 

「マジか……ぁ!!」

 

 浮遊感。薄気味悪い生温さの根に捕らわれた少女、その一人分と杖の重みが容易く地面から離され、頭から落ち手にも取り零した帽子が見る間に遠ざかっていく。安全に様子見が利くと踏んでいた距離すらが、敵の根が張る庭だったのだ。

 

「っ、おいっ!」

「私はいい!ダメだったら呼ぶ!」

 

 根を除く効率が淀んで異変を察した剣士が見上げるのを、少女の目は既に一人前以上も低くにしていた。落下すれば骨は折れるだろう高度を超え、それから少女の身体は垂直から平行へ、本体の方向に運ばれていく。

 恐慌し形振り構わず抗うのを少女は堪え、流動に任せるまま魔物から視線を外さない。少女を拘束する根はその左腕を特に手酷く締め上げ、先の杖をも取り落とさせようという目論見のようだった。思考放棄の非情には思えぬ所業に少女が憎悪を滾らせた舌打ちをしながら、これだけは離すまいと鈍痛に歯を食い縛る。

 

 林冠の庇から外れ、日照の中にそれを見る。

 毒々しい程鮮やかな花弁と見紛う葉、そして中心に開く、少女の体躯等簡単に収まるだろう悍ましい口。

 

「____ッ!」

 

 そこで少女はまだ自由な右手の人差し指、その付け爪の先から風刃を展開し、身を縛る根を断ちに掛かった。

 

「……無理か……!」

 

 しかし水を媒介にした密着、杖の出力を損なった風刃では切れ込みすら入らない。その上魔物が少女の意図に勘付いたらしく右手をも絡め取らんと新たに根が伸びて、差し詰まった少女はほんの逡巡の末。

 

「これでッ、どう!」

 

 術式を風刃から、炎刃へと切り換える。今度こそ根は紙細工よろしく裂け、魔物が苦悶でもするように本体を脈打たせた。

 

 空中に放り出された少女は解かれた杖先より足下へ氷柱を作る要領で足場を確保した、何処までが根の潜む範囲か分からぬ事には着地は得策でない。それが己の体重で砕けない内に前へ踏み出して次の氷、また次の氷と、間断無く足場を生成し続け敵本体を軸に周回する。

 即席の氷の回廊を駆け巡る様態になった少女が並行して右手から氷柱を本体に飛ばすと、口内への刺激を嫌うらしい魔物は葉を閉じて防御態勢へと変わり、それでも不足と見るや根をも盾にして守る。だがその多次元的な攻撃への対応に根一杯となった事で、地上の剣士までを抑止出来ない。

 

 驀進する剣が、遂に魔物の本体を肉薄する。

 

 刹那。

 理外の径の根が、その行く手を塞いだ。

 螺旋を巻く三本が剣士を囲い込む。生きとし生ける歯牙を封じ圧殺する、獣喰らい(ウルフイーター)の終身の獄。

 

 

「____……ぉぉおらああァッ!!」

 

 鋭気、裂帛。

 両手と全身で薙ぐ横一文字が、その奥の手諸共、人食い花の大本を斬り捨てた。

 同じくして無節操に生え散らかした根の全てが、糸の切れたように倒れ臥す。

 

 

「やった___……あ」

 

 少女は歓喜して、それから今自分が足を止めたのが、脆い氷上であったのを思い出した。

 その頃には再度足場を敷いても衝撃を殺せない位の勢いで衣服がざわめいて、せめてもと風魔法で足掻こうとしながら瞼を絞った矢先。

 

「__っ、と。無事だな?」

 

 痛みは殊の外小さく、そんな声で幻から醒めるように目を開けば、水を滴らせた剣士の見下ろす顔がある。

 抱き抱えられている。そう分かれば身を捩らせて早い所降ろすよう促すのだが、剣士の腕は物言いたげにそれを良しとしない。

 

「……お前、火使ってただろ」

「…………何の話?」

「惚けんな、見てんだぞ此方は」

「……しょうがないじゃん……」

 

 不貞腐れる少女を漸く放すと何やらを見回し始めたので、剣士はそれが探しているだろう少女の帽子を一足先に回収する。

 

「……ほい、落としたぜ」

「もぐ」

 

 そしてそれを、小生意気なその面にぐいと押し付けてやった。

 

 

 

 

 

 

 ある日の晩。

 

 この日の戦いで汚れてしまったという武具を剣士が入念に整備点検する間、少女は手持ち無沙汰にその緋毛と燭台に揺らめく灯火とを交互に見つめていた。

 同じ赫だと言うのに、嫋やかな静謐の明りと、此方は豪と鳴りそうな髪、これだけ風味が変わるものかと不思議になる。そしてそんな髪でもこう下ろしてしまえば昼下りの日向位に和らぎが浮かびさえするのだから、やはり髪とは魔法だと少女は認識を改め直した。様々に気象を染めながら、根本から本質が滲み出る。

 

「……あー、やっぱ水浴びの前にやるんだった」

 

 作業も一区切りしたらしい剣士が、黒ずんだ両手他に眉を顰める。

 

「なー。ちょっとで良いからさ、水魔法全身に掛けてくんない?このまま」

「身体冷やすよ…………もう。手だけ洗わせたげるから、出して」

「ごめーん」

 

 宿備え付けの桶を受け皿に渾々と少女の手から温水が湧き、剣士が恭しく片膝を着いて揉み手する。大袈裟なと、少女が薄く笑って、その後。

 

「そう言えば、君はさ」

「君ってやめろよ、他人行儀な……あんたで良いよ。素でさ」

「………………じゃ、あんた」

「……へへ、うん。いい感じ」

 

 何が彼女にとって愉快なのかも分からず、肩を微動しながら聞き直す。

 

「それで、あんたは……なんで、黒龍を狩るの?」

「なんで、って雰囲気?」

「いや、まあ…………たださ。やっぱり相当な夢、とかが無いと。冒険者になりたてでいきなり、それも知らない人間が見苦しく喚いてる前に割って入るまでしないと思ったから」

「見苦しく喚いてる自覚、あったんだな」

「……うるさい」

 

 目を背けて拗ねる少女に苦笑しながら、剣士は清めた手に顎を据える。珍しく少女の側から振られた故か、何処と無く弾んだ所作で。

 

「そうだなぁ……黒龍は別に、冒険者になったからには絶対超えときたい相手だろ?黒龍を倒して、他の龍も倒して、そして最後は、あのドラゴンへ!……みたいな」

「……そんなもんか、結局」

「へへへ。……がっかりした?」

「しないよ」

 

 剣士が何でか呆然としている内に、少女は水の溜まった桶を軽く抱えて所定の場に戻してから寝具の縒りを均し始める。

 その様子を心在らずのまま見ていた剣士は、やがて徐に口を開いた。

 

「…………黒龍を狩る理由じゃないけど。冒険者になった理由なら、話せる」

「カッコいいからでしょ?」

「そうなんだけど、違う」

 

 少女が振り返るのに、剣士は指に挟んだ小物__剣と蛇の装飾を熟視しながら、独り言つように語る。

 

「嫌だったんだ、狭い世界しか知らずに生きてくのが。それなりの良い家に生まれて、騎士学校に入って、卒業して。目出度く騎士になって、引退して、騎士の生き方以外覚えないまま、死んでゆく。誰かの掘った坑をそのまま潜ってくような、そんな人生が嫌だった。本当は剣か魔法かなんて選びたくなかったし、騎士の肩書きも要らなかった。だから冒険者になった」

 

 それを放り投げる。其処に居た少女が咄嗟に受け止め、意外の仕業をした方へ見開いた。

 

「その紋の蛇は、学校の図書館に保存されてる双頭の蛇の伝説に由来してる。大昔に二つの頭を持った蛇が居て、それはそれは強かったんだけど、ある時を境に互いの頭が啀み合いを始めて、果てはその身体をも別けてしまった。

 別れた後も二匹は、惨い闘争を続けた。普通なら世界を滅ぼしかねない壮絶な争いだったけど、二匹の力が完全に拮抗していたが為に世界の安寧は守られ、逆に其処から生命の鼓動が生まれた……みたいなまあ、そんな話」

「魔術師学校にも同じような物があって、そっちには杖に蛇が巻き付いてる。……もう分かったろ?騎士のと照らして、二匹の蛇さ。

 騎士学校じゃその伝説に託つけて、兎に角魔術師連中にだけは負けるなって教わってた。何方かが弱ければダメ、何方かが強過ぎてもダメ。互いに鎬を削って、高め合う限り、世界の秩序は保たれて___二匹は終に、身を結ぶ事は無い」

 

「……でもさ、私は思うんだよな。態々全力で休み無くぶつかり続けて、苦しい想いするんじゃなくてさ。もう一度二匹の蛇が分かり合って、またその身体を、一つに束ねる時が来たのなら。それってきっと、滅茶苦茶強いし、世界も断然平和だろ?」

 

 そして剣士は、立て掛けていた剣の鞘を外し、ゆっくりと掲げる。火の熱りと、月光すらを魅入らせて、剣身が清澄の輝きを錬磨する。

 

「この剣は、私の夢の表れ。冒険者として、剣も、魔法まで極めて、私は天をも這う蛇になる。そして、いつか___空を舞う龍さえ呑み込んでやるんだ」

 

 遠大な、此処に無い何かに誓いを奉じた剣士は、そこで剣を仕舞い……恥じらいがちに口角を上げた。

 

「……ってのが、ちょっと気取ったやつで。本音はやっぱり、カッコいいからだよ。家や図書館の本の冒険者は、誰も彼も皆、本当にカッコよくて。私もああなりたくてさあ……」

「…………読書家ね」

「褒め言葉だな」

「そう思って」

 

 軽口を叩き合いながらも、少女は考えていた。小波に漂流する心境のまま、ぽつりと垂らす。

 

「……なんか、いいな」

「…………無理に煽てんなら」

「そんなんじゃない」

 

 気色を消しかけた剣士に、即断する。

 

「ただ……私には魔術師として旅をするって、それしか無くて。それを不幸だって思った事は無いけど…………あんたはいろんな道があった中で、そこから自分の信じたものを選び取ってるんだもんね」

 

 そこまで伝えても、剣士からは何も返らない。心寒くなった少女はその顔を見られなくなる。手中の蛇が、睨んだ気がした。

 

「…………ごめん。嫌味とかじゃないの、本当」

「……ふふ、分かる分かる、それは。いつもとは違うもの」

「……普段は嫌味ったらしいって?」

「おっと、シッケイ」

「ほんとに……」

 

 それでも数刻の内には本調子らしくなる剣士に、また呆れつつもどこか救われる。ただ、前言が確かに皮肉で無いとは弁明したく、継ぎ足した。

 

「でも、やっぱりさ。もし私があんたでも、あんたには多分なれなかった」

「それは……そうだろ?」

「そうだけど、そう。……今の私だって、本当はあった他の道が見えてない、そのふりをしてきただけだったかもしれない……」

 

 奇妙に過熱しているのを自認した少女が口を結び、場に無音を横たえる。次にそれを退けたのは、剣士。

 

「…………お前は?」

「え?」

「黒龍を狩る理由。お前の」

「………………」

 

 そしてこの時になっても、少女は考量の答えを出せていなかった。

 きっと誤魔化しの無い剣士の本心、原理、それを今明かされた意味が、分かっていなかった。何せ少女は、一人だったから。

 

「…………私は……」

 

 だからか、すらも分からないが。

 少女自らの内面も吐露してしまえば、その欠片にでも触れられるものかと。

 

「……私は、ずっとひとりだった。これまでずっと、多分これからもひとり。だから、ひとりで強くなれてると思ってたし……ひとりで全部が、出来るようになるって。だけど実際、私一人で成し遂げられた事なんか、本当は何一つ無くて。本当に辛い時、いつも私を扶けてくれたのは、私じゃない、誰かから貰って、借りて、掠めてきた力で…………」

 

 少女の旅姿は、見る者が見れば大層な内訳だ。

 

 心臓部を護る地龍の殻、泥龍の鱗に祝われた杖、右手は水龍の牙の寵児。剣士は知らぬようだがその一つ一つでも一級冒険者が仰天するのに、それが三つなら卒倒ものだろう。

 しかしそれら何れもが、少女自身の力を裏付ける名代にはなり得ないのだ。地龍の殻は簒奪し、泥龍の鱗は施され、親指人差し指薬指にしか無い付け爪等は気持ちの良い記憶に彫られるはずも無かった。

 

「今なら……元々の持ち主が違う誰かでも、私の芯や血肉になっているのなら、それも私の強さなのかもって思えてる。それでも、だからこそ。この手が初めて龍を狩る、その時は、私だけの力の証明にしたい。私が初めて、ひとりで掴み取るものを、黒龍を討ち倒す誇りとしたい___。」

 

 食い込む程に握り締める。無意識だったその痛みで、やっと少女は正気を取り戻す。拙い身の上話をしてしまった、寝具の縁の両脚が窄んでいく。

 その間剣士は、黙っていた。ただ黙して…………暖かな表情で、少女の隣に腰掛ける。

 

「…………じゃ。やっぱり私、邪魔だった?」

「…………ふっ、いや。結局一人じゃ無理だったんだから、しょーがない。ま、新人一人居ても居なくても一緒だよね」

「言いやがってぇ」

 

 肩で小突かれる。穏やかならなかった空間も、幾分に居心地が緩んだものだ。

 その中でしかし、ふと剣士がしおらしく床に目を落とす。

 

「…………あの、もしさ」

「もしもの話はもう結構」

「いや、違くて。……もし依頼が終わったら、やっぱり、パーティは解散?」

「……まあそうでしょ、臨時のパーティなんだし」

「そしたらお前は、またひとりで?」

「そうね。此処も直ぐに出てくわ、物は高いし人多いし」

「………………」

 

 剣士の寝具に伏せた手が力んでいた。少女が気付くと、その甲へと自分の片手が寄って、半ばで止めたそれを剣士の肩に落ち着ける。

 

「…………いつか、また会えるよ。その時はまた、二人で龍にでも挑もう」

「っ___!…………だねっ。次は、泥龍辺りとか!」

「泥龍かぁ…………」

 

 綻ぶ剣士の様に少女までが色付いてきて、ついあらぬ方に温度を逃がしてしまう。

 

「……ま!その頃には私も両手に仕事で、あんたにかまけてなんか居られないかもだけど」

「……お前、絶対恋人とか出来ないよなー」

「な」

「今度こっそり持って来ようか?お気に入りのロマンス」

「っ、人までヒロイックに漬けるんじゃあない!」

 

 一頻り少女を揶揄った剣士はそれから、志に固めた拳を彼女へと突き付ける。

 

「__黒龍。絶対に倒すぞ」

 

 少女は目を丸くしながら、後に悪戯っぽく笑みを作り、

 

「____今更!」

 

 中指の背とその拳を、突き合わせた。

 

 

 

 

 

 

 少女と剣士、数奇な二人のパーティ結成から、七日が過ぎた。即ち、決戦の緞帳が開く時。

 見上げれば、一面の薄曇り。朧雲が空を遍く浸して、それでもその底からは太陽の煌々たるが確かに浮かび、しかしやはり、見れば眼を焼き焦がすその姿を晒してしまう通い路は無い。

 これは、全く。

 

(上々の天気だ)

 

 凍てつくような緊張と裏腹にほくそ笑みさえしそうになりながら、少女は一人立って、その時を待つ。

 

 その間に、前日の事を想起しながら。

 

 

 

 

 

 

「普通にやったら、まず黒龍には勝てない」

 

 確かめ合った決意を覆すような一言で、剣士の表情に影が差した。少女がその一点から瞳を逸らさなかったので、続きがあると示唆はされる。

 

「正しくは、負けはしないだろうけど、勝てもしない…………空を飛ぶ黒龍に手傷を負わせる術は、基本的に無い」

 

 黒龍を冒険者の壁足らしめるのは返す返すもその飛行能力、高高度を縦横無尽に舞う龍の身体に剣の刃は勿論、弓矢も魔法も届かない。

 そして黒龍の側にも、飛行状態を維持したまま地上に害を及ぼす手立ては無い。負けはしないとは、そういう事だ。

 

「よって要項の第一は、如何に黒龍を低高度に誘い、地へ堕とすか」

「堕とすって……魔法も何も届かないのに、やりようあるのか?」

「そう、私達だけじゃどうにもならない。だから、向こうから降りてきて貰う」

 

 少女の開いた右手が胸の高さから膝へ着いて、そこに剣士の口が挟まる。

 

「黒龍から?態々狩られに来降くださるって?」

「まあ聞きな。まず黒龍は雲より上を飛ばない、だから曇りの日は通常より高度が低くなるから狙い目。但し雨……雨が降ると此方もやり辛いから、雲行きの危ぶまれない日に限るけど」

 

 始めの時点で運否天賦だ。されど故に、上々。

 

「それが駄目でも……もう一つ、黒龍が地上まで降りなきゃいけなくなるタイミングがある」

「食事か」

「そう。捕食行動と、給水」

 

 そして、少女も舌に水球を乗せて話に渇く喉を潤す。最近の剣士なら茶化しでもしそうな所だが、飽くまで真面目腐った面立ちのまま。

 

「そして黒龍は樹木等の障害物を避ける傾向にあるから、あれが降りてくるとしたら草原しかない」

 

 少女の発言が真実なら以前森での常道を覚えた意義も怪しまれるが、戦闘の中で意図せず森林に侵入してしまうという状況は有り得ない訳ではない。剣士もそう言い含められている。

 

「じゃあ、水源のある草原が一番確実」

「皆考えそうな事ね。人や黒龍だけじゃなく、野生の魔物も」

 

 横槍の憂慮を言外にして遠回しに却下する。つまれば結局、選択肢は一つのみ。

 

「身を隠す物も何も無い野っ原なら、のこのこ入ってくる野良もそう居ない。其処以外無いわ」

「……でもそれって、黒龍の獲物も居ないって事だよな」

「そこはまあ、何とかする。しないと話が始まらない」

 

 強引に議論を進められ、急激に不安が剣士を席巻する。疾っくの疾うにではあるが、少女の本性というのが剣士には見え透いてしまっていた。

 

「……流石に、お食事中を狙えるなんて都合の良い話があるとは思ってない。低高度まで降りてきた前提で、そこから」

「高度が低けりゃ、魔法は効くのか?」

「概ね無理。天に逆らって撃てば魔法も萎む、黒龍の機動力なら見てから避けられる。致命傷にならなきゃ尻尾巻かれて終わり」

 

 だが此処まで逐一を否定されると、少女自身が本当に黒龍を討てると考えているかさえ懐疑してしまう。その空気を感じ取ったのか、少女も気持ち早口に。

 

「兎に角私達は、黒龍に私達を“脅威”と思わせて、その上で“逃走”でなく“排除”を選択させる必要があるわけ。此処までは良い?」

 

 それでも剣士が返すのは半端な態度、そこで少女は、まず迂遠な理屈より未来図の断片でも示した方が良いらしいと方針を転換する。

 

「……そこで使うのが、この魔法」

 

 勘案通りか、少女が片手に取った杖先に剣士が興味を起こされた様子で前のめる。

 

「…………何も、無くない?」

 

 しかし杖からは火も水も鬼も蛇も出る気配が無く、また剣士が疑心を滲ませた途端。

 

「きゃっ!?」

 

 耳を遠巻きに擽られる感覚がして、悲鳴と共に跳ね退いた。

 

「…………か、風?いや違う、これは……」

「……そう。“音”の魔法」

 

 首肯し、剣士が杖にまた恐る恐る躙り寄る。少女が出力を再び弄れば、次は頭蓋に響くような低音が鳴り始めた。

 

「……音の属性なんて、本には載ってなかった」

「吟遊詩人の間じゃ、(ソウル)なんて呼ばれて認知だけはされてたみたい」

「へえぇ……」

「…………私は魔力とは、世界で最も根源的な概念だと思っている。でなければ火と水、相反する属性に形を自在に変えるなんて事は起こり得ない。つまり私の推測では、魔力はこの世に存在する全ての事象を再現する可能性を秘めて___」

 

 一気に関心を惹かれる剣士を見ていると、つい自分もぺらぺらと無駄口を叩いてしまうのが少女の性。少女もこれは本筋でないと自制して、どうにか話の線を立て直す。

 

「こほん。……音の魔法なら有効射程も減衰しにくい。更に黒龍は、何でかは知らないけど高音を嫌うらしいから、これで奴の注意を煽る」

「他の魔物を引き寄せる可能性は?」

「指向性を持たせて空に飛ばす訳だから、地上まで影響はしない……はず。空中の魔物も、黒龍が近くを飛んでて呑気に居座ってるとは考えにくい」

 

 懸念を一つずつ潰して、二人は空の夢へと手を潜らせていく。

 

「ちょっかい掛ける程度じゃ逃げられるだけだから、しつこく追い立てる必要がある。あんたが騎士なら、馬とか借りられればベストなんだけど……」

「………………」

「……遭遇出来なきゃ無駄金だし、今の懐事情じゃ厳しいね。健脚頼みか」

 

 冗談の角度を誤ったようで、雰囲気は晴れない。仕様が無いのでこの重々しさのまま、少女が特段厳しい声色を作った。

 

「首尾良く行けば、黒龍は堪忍袋を切らして此方を襲って来るだろう。……此処で是が非でも警戒しなきゃいけないのが、奴の最初で最大の攻撃、急降下着陸」

「急降下……」

 

 剣士も見聞きした記憶があるのか、目を据えながら復唱する。火を吐け等はしない黒龍のその懐に忍ぶ、偽りも誇張も無い、必殺の一撃。

 

「これは何を用意しようが防ぎようも無いから、唯唯全力で避けるしかない。絶対に、絶対に此処は抜からないで」

「…………分かった」

 

 その肯定でやっと、少女の言葉に張り詰めた糸が緩んだ。顔付きも幾らか和らいで、後は重荷になり過ぎないように。

 

「地上に降ろしてさえしまえば、黒龍は並の魔物だそうだから。急降下まで凌げれば、後は為るがままね」

「なるがまま、って……降りてからの作戦は?」

「無い。地上に落とすまでが只管難儀だから、それ以上の話は噂じゃ殆ど聞かない」

「えぇ……?」

 

 これまで長々並べ立てられた割に盤石な部分が一握りも無く、いよいよ剣士は困惑を繕いもしない。初日にふんぞり返って人生の先輩面していた少女の名残は何処へ消えたと言うのか、しかもこの様で尚少女には自信が残っているらしい。

 

「……実の所、地上戦に限る命の危険って意味だと、この間のリードウルフの群れの方が黒龍よりやばい位らしいよ。だから、君は、大丈夫さ」

「…………私、初っ端からそんな手合いを相手取らされたのかよ」

「ふふ、いやー。受付で会った時はこんな大物ルーキーとは欠片も思わなかったね」

「お前なあ……」

 

 今度は多少上手く解れたようだ。けれども一切が霧散とはなかなか行かぬようで、剣士の苦笑はぎこちない。やはり自分は、人を導くには不足が過ぎる。

 

「……まあ、そうだね。正直黒龍を倒せるかは、半分、いやそれ以上、下手したら完全に運任せだ。そもそもお目に掛かれるかも不確かだし、それが叶っても、戦えるかどうかは……」

 

 それでも。少女には最後に一つ、五年の長を携えていた者として、伝えねばならない事がある。その肩に片手を乗せて、薄茶と翠を同位に合わせ、口端を微かに押し上げながら、一つだけ。

 

「だから。……これだけは、分かっておいて。

 

 ____私は、何があっても、絶対にあんたを助けない。

 

 そして、あんたも。私がどれだけ危なくなったとしても、絶対に私の事を構うな」

 

 剣士が呆気に取られ、瞬きも失くす。その肩を軽く叩いて、続けた。

 

「……決まった事は何も無くても、結局、生きてさえいれば勝ち。自分の命を、自分が全力で守る事を優先する、それだけを、徹底してやろう。最悪依頼が失敗したって、命が在る限りはやり直せるんだし。…………違約料は痛いけどね」

 

 少女の科白を、剣士はただ聴いて。

 

 そして、丁度来たる日の空の、そのような微笑をするばかりだった。

 

 

 

 

 

 

(____来た)

 

 遠方から接近する気配を拾って、少女は回想を打ち止めた。

 気配は岩肌を削る激流の勢いで少女の元へ迫り、迫り、その察知から概ねの間を持たずして方向までが特定される。それは___地上、森の方角から。

 

 混迷する草食獣の群れが、樹林の檻から飛び出した。

 本能の打ち付ける信号を盲目に口から発して同胞の背を叩く鞭としながら、幾重も地を蹴り草をも巻き上げる足音を轟かせて。

 

「__ぉらおらおらぁぁ!逃げた逃げたぁっー!」

 

 そして、武器を振り回して彼等を追尾し、もとい先導に押し遣りながら、続け様に剣士が奔走する。接触はしないが立ち止まる事も許させない絶妙の速度。

 

 正常の危機管理能力を喪失した被捕食者達が脇目も振らず草原のど真ん中を突っ切って行くまでを見送った所で、漸く威勢を緩めた剣士が軽く息を上げながら其処で待っていた少女の側に寄ってくる。

 

「はぁ、ひー……もおーあいつら、全然草原の方行かないんだから」

「おつかれ」

 

 少女が肩に触れ疲労回復の術を施す間も、剣士の愚痴は止まない。

 

「ふぅー…………本当に意味あんのかこれ、黒龍の影も形も見えないのに」

「何にしても取っ掛かりは無いと、向こうだっておいそれと尻尾は出さない」

「つってもさぁ……屍肉とか置くんじゃダメだったのか?」

「嗅覚は然程みたいよ、生き餌が一番」

「やれやれ、こんなんを毎日繰り返すのかよ。次交代しない?」

「だからそれじゃダメなんだって。音の魔法使えるのは私だけなんだから、あんた一人見張ってても仕方無いでしょ」

「分かってるけどー……意外と何とかなるんじゃないの?わー!って怒鳴ったりとかでも」

「____黙って!!」

 

 戯ける剣士を少女が戒めて、__それがお馴染みの癇癪でなく真に鬼気迫るものであるのを、剣士も感じ取る。

 

 

 音がする。生理的波長を描きながら、無機質と無機質を摩擦させる、その不快を聳やかす音。

 民間伝承にて凶兆とも喩えられた、一定間隔で大気の果てまでを震撼させる、甲高い咆哮。

 

(嗚呼)

 

 しかし地を這う酔狂にして愚鈍の人意は、摂理の齟齬より出でしその醜き存在をすら、斯くもに迎え入れる。

 

 栄光の化身と、祀り上げる。

 

「こんなにもなんて、運が良い___!!」

 

 遥か山脈より、巨影が飛来する。先の草食獣の脚とは比較するも莫迦らしい速度と、その甲声を除いた静音を以て。

 

「__っ、速いぞおい、捉まるか!?」

「やるっきゃ無いでしょ!」

 

 驚愕する剣士の横で、少女は杖先を限界まで天に差し伸べて一点を突き指したまま、それ程遠くは無いだろう機を睨む。

 

 曇天の背景に、果たしてその姿態が浮かび上がった。

 

 表現を渇する程の純黒は、正しく白日を以ても明るまぬ闇。ただ一対の大翼ばかりが射光を透過してその斑模様を顕示しており、まさかそれのみがその体躯に至天を適わせているとは想像だにし得ない。屈強の身に不釣り合いの靭やかな尾は今槍の如く伸直し、停止画を切り取ればそのような武装が擲たれているとも錯視したろうか。然様な異形が吹き抜ける風を鷲掴みにし、森林との境を辿る形に滑空している。

 

「はっ、はっ、はぁッ」

 

 現に溶けない光景に圧倒される、それだけで鼓動が激しく打ち響かされて、体裁無く震え竦み上がりそうになる。そんな己の胸に三本の指を突き立てまじないをし、研ぎ澄ました精神の鉾先と杖とを重ね合わせる。

 

 その延長と、龍の進路とが、交錯する。

 

「鳴れ___っ!」

 

 反射的に魔力を放出した。しかしそれを確かめたのは少女とその号だけで、指向された高周波は人間の聴覚に受け取られる事は無い。不可視の魔法を知覚し得るのは、この場では一頭。

 飛影が僅かに、身動いだ。

 

「反応した!」

「出力上げる、備えて!」

 

 余程耳に障るのか露骨に舵取りを変え遠ざかろうとする龍を追走する。人の脚力では到底追い付かぬが、捕捉し続ける杖先の魔力は尚濃度を増してその鼓膜へ纏わりつく。少女達には効果の如何を龍の挙動以外で識別する頼りを持たないが、それで居ても覿面に見られた。

 

 堪えの利かなくなった龍が行動を起こす。

 その身を左に傾け、草原上空からの離脱を図っていた。

 

「ッ逃がすか!」

 

 音波を一時中断し、導線を使い回して氷柱を発射する。気圧の膜を破って届かせるばかりを目的にした氷柱は軽く、繊細、故に龍に命中したところで水滴さえ残らない。しかし執拗な冷感は龍に地上の人風情よりの排斥ですらない、明確な敵意を認めさせるに事足りた。

 

 翻る。

 一層大きく旋回した龍が、草原の空域へと舞い戻る。

 

「よし、__っ、ぅ」

 

 少女が拳を結び、__硬直する。

 

 龍が断続的な咆哮を再開しているが……その波紋は明らかに、少女を一つ頂点として発散していた。金切り声が骨までを削り、喉奥から戦慄が引き摺り出される。飛行も少女を包囲するような軌道に変化し、前から背から側面から、間隙無き音圧に曝露される。

 人智の矩を超越して飛ぶ魔のものから遂に刺突される純全の殺意に、少女の情動の波浪も極限まで達した。

 

「落ち着け……落ち着けッ……」

 

 だが屈しない、計画は現時点で順風。残るは最大の脅威たる急降下攻撃、それだけが峠。

 龍の尾の一端、その細動までを注視して、前兆となるを見落とすまいと闘志を張り巡らす。乾いた目が、瞬きを一回。焦点を合わせ続けるのも困難な速さ、それでも懸命にしがみ着いて、瞬きを一回。目線を捻り、首を捩じ切られそうになる程捻り、それでも行き詰まれば身体も捻り、努々背後を取られぬよう徹底する。瞬きを一回。まだ飛んでいる、瞬きを、

 

 一回。

 

(______)

 

 

 龍の頭が、此方へ対していた。

 翼を畳み渾天を蹴る如く、たった一人を鋒に据え、錐揉みする巨躯が烈風をも切る鏃と化す。

 

 満を持して表向く切り札に、少女は___

 

 

(は、や)

 

 

 ____動かない。

 

 予備していた回避行動が、それすら遅い。そう判った途端に少女の指の間から、あらゆる手牌が零れ落ちていた。

 

 前途が喪われれば、後顧ばかり。仕落は無かった、そう宣えるのも結局、その時までなのだろうが。黒龍を追跡する段での疲労があったのだろうか。それとも初めから、少女の矮小の身に黒龍の全身全霊は有り余るものだったのか。だとすれば、これは運命か?何を思おうが、先立つ事は最早無い。

 

 

 最期に得られた啓蒙は、真に人の命運尽く時、走馬灯等の代物が流れる暇も無いという、そのようなことばかりだった。

 

 

 

 __________

 

 

 

 ________

 

 

 ______

 

 ____「馬鹿ッ!!!」

 

 

「っ___!?」

 

 一幕の冥界の景色、その正体を理解せぬ内に、聞いた。

 

 前方よりの剣士の声を。

 

 

 何が、何故、生きている。少女が感じたのは首横一枚を過った激甚の風威だけ。

 

 剣士が少女を庇った、否、同じ青年少女が肉壁になった所であの一陣の前には砂塵同然。受け流したのだ。その勇壮の剣で以て身体一人分、黒龍の捨身の突撃を___受け流す?

 

 

「…………ぁ……!」

 

 声を失う。見下ろすと、剣士が膝を折っていた。それと共に視界に染み着く、地面に塗された夥しい赤、血液。

 

 やはりだ、片手剣一本であの猛攻を喰って無事で済むはずはない。負傷の程度は分からない、だが見る限りでも致命に係る出血だ。処置を拙すれば、剣士は死ぬ。

 

「まっ、て。すぐ回復を」

「前だけ見てろッッ!!」

 

 駆け寄る間際に大喝され、振り返る。

 

 黒龍が、視ていた。

 此方の混乱を弛まず突こうと、既に鉤爪が地を噛んでいる。

 

「っ、ぁアッ!」

 

 大半悲鳴を上げながら、少女は魔術を放った。その一歩手前の地表を地属性魔法で砕く。意図的に粗く組まれた術式により尋常でない轟音を伴ったそれに怯み、出鼻を挫かれる相手。

 

 そこで少女は初めて、その化物の全貌を改めた。

 

 

 翼部の中程から生え接地する剛の爪は前脚が動力源としての能力を失していないと雄弁に語る。尻尾はそれを除いた体長と同等程にもあり、頭の横で息遣いと共に上下する末端を第二の頭部と錯視さえした。龍の冠たる両の角は小振りながらも、その叛骨の形を歪に主張する。

 

 双眸。

 揺らめく紺碧に、少女は直感させられた。

 

 これは、長閑な冒険等ではない。

 互いに互いの身命を賭した、生存闘争なのだと。

 

 

(__勝てる、の?わたしに___)

 

 一度、とうに自分は敗けている。

 半身までを死に浸された感触が、未だに体内で渦を巻いている。

 それを呼び水に、尚漂う死の香りが心身を過敏に粟立たせる。

 無力感に、塗り潰される。

 

 

(いや)

 

 黒龍との間合いは、少女の歩幅にして百を要するか。巨大故に距離感も正確にはならないが、近くは無い。最早機先は取れぬと悟ったらしい相手は此方に左側面と尾先を向け迎撃と思しき構えに入っている。滑空に特化した翼は羽搏く事による飛翔を念頭に置いておらず、この対峙中再び空に舞う芸当は不可能。黒龍もまた、葛藤している。

 

 杖を、構えた。

 

 冷静であれ。怖気付くな。

 まだ、生きている。

 生かされている。

 負ける訳には、行かない。

 

 

(____絶対に、倒す)

 

 

 術式を展開する。放つ魔法は、拡散する水球。

 

 感じ、尖らせ、練る。

 描き、固めて、絞り、

 

 __撃つ。

 

 水球は瞬く間に黒龍の眼前までを詰め、炸裂する。

 

「っ!?」

 

 そして右手を___握れない。

 

 黒龍が前脚を持ち上げ振り下ろし、散逸した水を余す事無く吹き飛ばしたのだ。風圧が少女の位置までを走破し肌を土が擦る。

 

「……まだ」

 

 常套は効かない。想定内とは言わないが、残弾はある。次は拡散を経ない、通常の水球。勢力と体積を削らないこれならば風圧による防御も突破する、そう見積もったが。

 射出の直後に構えを解いた黒龍は少女の目で左、何とも不相応に軽快な身の熟しで回避を果たす。

 

「やっぱりダメ」

 

 淡々と次段に移る。群れの木っ端狼でさえ見切れるのだから、黒龍が往なせる道理もあろう。続くは少女の主要火力、氷柱発射。撹乱は当然回避も猶予しない、制限を解いた最高出力。

 

「__穿てッ!」

 

 射出。水球とは歴然の超高速で放たれた氷柱は少女の目にも留まらぬ内に黒龍へ肉薄し、

 

 砕ける。

 

「は___?」

 

 とうとう少女の容量を超える。その尾が血糊を飛ばすように一度無を刈るのを見るまで手掛かりの一つも無かった。尻尾が刀剣宛らに振るわれ、氷柱を破砕した。結論だけは出ても脈絡を全く欠いている。

 

「……っ何が、地上じゃ並だよ……!!」

 

 事実無根の風説、またはそれを真に受けていた己への憤りか。

 それでも思考は棄てない。一つ一つが対処されるなら、織り交ぜる。水球を撃って回避を促し、その動作中に拡散水球と氷柱を同時に到達させる。何方かを防いでも何方かは確実に通る、それを狙う。

 

 まずは水球。やはり左に避ける、所詮獣らしい型に嵌まった立ち回り。

 其処には拡散水球が“置いて”ある。黒龍が即座に返す手を打つ直前で、氷柱がそれを追い越して襲い来る。どうだ、少女が趨向を凝視して。

 

「うそ」

 

 憮然。

 意味が分からない。あの状態から尻尾を強振する勢いだけで瞬発的に横回転し、氷柱諸共水を弾く?

 一縷に懸けて風刃を発生させるが、やはり付着した水量は少ないらしく効力は希薄。

 歯嚙みする。水は、通らない。

 

(ならば)

 

 答えは単純。真逆の属性で攻める。

 右手に魔力を集約し、黒龍に向けて突き出す。蒼光がさざめき、うねり、一際迸ったそれを___握り潰す。

 

 背に振り被った左の杖から、並行練成していた炎球を放り投げた。この際此処が焼け野原になろうが憚らない、それ程の決心と熱量を帯びた魔術。

 山なりに視界の外から降るそれに勘付いた黒龍が選んだのは、またも防勢。碧眼が暗がったと思う間も無く右の翼を傘にし、その業火を……受け切った。

 

「ちっ、くしょ……!」

 

 煤一つ付かぬように見える、元々の体色故に確言はしないが……結局少女の適性は水属性、黒龍の耐火力の考慮を如何にせよ少女に相反する火属性の真髄は引き出せない。

 

 やはり水しかないのか。先程は順序を誤った、初めに拡散水球の対応を誘って脚を縛り、そこに水球、氷柱の順なら。或いは氷柱を先にして水球、拡散水球か。氷柱と拡散水球を連ねれば纏めて掃除されるだけなのは分かっている。

 しかし気に掛かるのが悉く的確な黒龍の応手、どうにも少女の出方を見通されているように深慮してしまう。魔力型式の機微を読んでいる?だとすれば今の考えも無為では無いか。逆に言えば拡散水球を敢えて炸裂させずに飛ばす事で、却って意表を突けるのか?それとも、いっそ回り諄い小手先は忘れ氷柱だけを乱射した方が…………。

 

 煩悶に煩悶を重ねる中。

 黒龍が、動いた。

 

「____!!」

 

 駄目だ、考えては駄目だ。

 手を止めてはならない。手を止めて、黒龍に少女は取るに足らぬと括られ、攻めに転じられた時が終わりだ。最悪少女は生き延びても、その背の___。

 

「__ッ、動け。動けっ、動けぇェッ!」

 

 水球の連打。兎角相手を空隙無く動かし、消耗させる。算段通り黒龍は左へ、左へ、疾走する形に押し込められる。

 

 当然、一辺倒にも留めない。土魔法で泥沼を形成、黒龍の移動先を沈没させる。しかしそれすら寸前で察した黒龍は前脚で跳躍、飛び越すには至らぬまでも後脚のみを着いて液状を掻き、一杯に伸びた前脚を泥濘の縁に引っ掛け陥穽を脱した。

 否、二の矢が継ぐ。端から落穴として作った気は無いとばかりに少女は泥をそのまま魔力の大匙で根刮ぎ渫い、

 

「ガアァッ!!」

 

 杖先で直接持って行くように全身ごと、極大の泥塊を黒龍へと打ち棄てる。黒龍は尚これを横跳びで避け、しかしその瞬間、遂に黒龍の身が少女に正対した。

 

 三の矢。転がりつつ余った右手で築き上げた術式が、拡散水球を顕現させる。両翼の何れも此方に面しておらず尾も空中制動の後で撓み切っている今、風圧の防壁は発生し得ない。

 

(貰っ___)

 

 

 否、否。

 後方飛躍からの、羽撃き一回。

 身体を浮かせるには及ばず、なれど粗末な水遊び程度、撥ね付けるのは訳も無いのか。跪く少女が狼狽する。

 

「そんな……ぁっ!」

 

 更には衝撃波の如く暴風が吹き抜け、思わず肘で顔を遮ってしまう。

 次に前を見たその時。

 

「ひゅ」

 

 少女が短く喘鳴した。

 飛び退きの反発で地を踏み切った黒龍が、少女への突進を始動している。

 恐れた事態が、現実になる。

 

 

「____っ、ひ、ぁああッ!!」

 

 動くな。逃げるな。止まるな。止めろ。

 今度は見えている、大丈夫。手札は残っている。持ち得るその全てで、彼の龍を止める___!

 

 

 黒龍の進路上に土の柱が迫り上がる。巨木も斯くやに立ち塞がるそれが黒龍の猛勢に、

 

「ぁぁ」

 

 まるで用を成さない。回り込む事さえせず正面突破した黒龍が、剛速を翳らせないまま急迫する。

 

 一枚を切るのがもう精々、少女は此処で黒龍の阻止を二の次へと送った。

 即ち、攻勢は攻勢にて迎える。手段は一択、氷柱射出。相殺以上とは無くとも回避でも何でもさせて時間と間合いを稼ぐ。規模は背丈の倍大きく、速度は乗らないが相手の力の反動を食わす。先端は一意に鋭く___

 

 

(__無理だ!!)

 

 距離が足らない。氷柱に形作る間に接敵してしまう。

 

 

「止まれぇぇぇッ!!」

 

 錐体の構築を諦め、氷壁として撃ち出す。

 

 臓腑の冷える不穏な音が響き、一挙に裏側まで罅が奔る。撫ぜられただけで崩れ去るだろう有り様と化したそれが、忽ち脆く融解する。

 

 

 少女の目と鼻の先に、それが現れた。

 頭から尾の末に掛かるまでを水濡れにされ、眼を剥く黒龍の姿。

 

 

「ッああああああああ!!!」

 

 叫喚、刹那。

 皮を破るまでに右を握る。

 

 

 その黒を、風刃の嵐が埋め尽くした。

 

 

 

 ______、______。

 

 

 安穏の曇り空は変わらず、起伏一つも無かった平原に、邪魔は土草の靄ばかり。

 

「……はぁ、はあ、は……」

 

 少女が気息を荒げる中で、その煙が、晴れる。

 

「…………っは、あはは」

 

 其処には、黒龍が居る。

 

 頭角を高々と掲げ、少女を上から睨め付ける黒龍が。

 深黒の甲殻に無数の傷を付けながら、血の一滴も流さない黒龍が。

 

 薄皮一枚、裂けてもいないのだ。

 少女の凡そ最も理想の攻手を以てすら。

 

「……なんだよ、それっ……」

 

 擦れ枯らした笑いを余力にでも思い違うのか、五感が一時、不気味に冴えてくる。

 

 血の味は多分肺からだろう、無駄に喚き散らしたし。黒龍は随分低い声を漏らすようになっていた。甲殻の損耗自体は深く見える、もう一度同じ攻撃を通せれば、次は痛手になるか?片眼が閉じている、そこには効いたのか?両の眼を潰せたなら、勝算はあるか___?

 

「…………かッ、はあ、ッはぁ、ふうッ、はァァ……」

 

 不可能だ。

 そんな事は出来ないと、何より少女自身がよく解っていた。

 

 頽れる。

 魔力酔い。異なる属性の大魔法を矢継ぎ早に発動した、その代償。

 

「……っあぁ、はあっ、ぁぁぁ」

 

 肌は青白み、瞳孔は絶えず拡縮し、手足の末端が痙攣する。

 少女とて常態ならば___或いはそうで無ければ、魔法の多用程度でこれまでの惨憺に瀕するような無実の努力は重ねていないつもりだった。

 

 だが、魔力操作が侭ならなくなった事で、少女の張り続けていた見栄が剥がれる。

 

 

 ……精神漂白の魔法が、解ける。

 

「はっ、はぁっ……いやっ、ゃァア」

 

 剥身の心状に、中和してきた感情が原液となって浴びせられる。どれだけ爪を立てても氾濫を堰き止められない。

 

 疾うに昔。剣士と出会うその前から、少女は限界だった。

 孤独に溺れ、それでも孤独に縋った少女が依り処としたのは、まじないなんて生優しいものでは無く。有史に幾多の魔術師がその色香に狂い破滅した、一部都市では禁術にも指定される___虚勢の魔法。

 

 一度年長の冒険者に露見し忠言されても、少女は誘惑を払い切れなかった。魔法を常時維持するという事は無論、魔力の可処分量に制約を強いているのと同義。

 少女は黒龍という敵に有ってすらしかし、己の瑕疵をひた隠す弱さとの訣別を遂げられないままでいた。

 

 

「っく、ァ……ぅあぁぁあ゛…………」

 

 凭れるものを無くし、両の足でも、杖でしか上体を支えられない。

 吐き気が喉に詰まって何も吐けない。視野が外側から浸食され、焦点も亡失し、何処を見てもいまが視えない。突き動く心拍が巡らせるのが活力か、毒か、分からない。

 

 黒龍は何をしている?少女の無様を嘲っているのではあるまいが。仮にも自身を傷付け得た生物の実体が、斯様に浅ましいとは露とも思わぬのかも知れない。これすら布石と勘繰っているのか、その誤算も何時までだろう。

 その時は、また、兆しも無く___

 

 

(いやだ)

 

 死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、

 

 しにたくない…………

 

 

「……………………たすけて………………」

 

 

 誰かと、そう叫びたかった。誰かの名前を呼びたかった。

 けれどその誰もを、思い出せずに。

 

 それでも最果てに残った願いが、虚空に木霊したとき。

 

 

 

 

 

 

 ______緋色の流星が、駆け抜ける。

 

 

 

「え___?」

 

 

 それは少女の右、後ろから。

 

 その白熱で輪郭は陽炎のように溶け、その赤光は直視も叶わない程に眼の膜を焼いて。

 それでも、彼女しか見えない。

 

 亜光速で黒龍の喉元まで切り込んだ左手の剣が昇り、気炎万丈、天をも焦がす火柱を立てる。

 黒龍は堅靭の尾をして、それを真っ向から叩き伏せ___るのを止め、後退した。

 火風の如く連撃が延びて、黒龍は度々反攻を試みるものの、その全てを断念して退避に徹さざるを得なかった。斬撃の一重でも入ればその部位は即時焼き切れると、龍の身体でさえが警鐘していた。一旦は数歩という所まで接した少女と黒龍との位置が離れに離れる。

 

「なん、で」

 

 剣が、燃えている?違う、手から噴き上げているのか?まず傷はどうした?

 少女の惑乱をさえ、炎剣は灰燼へと帰さしめていく。

 

 紅蓮の羽を拡げるから、それは雄々しく舞う鳥だった。

 鱗粉を火花みたいに散らすから、それは華々しく踊る蝶だった。

 

 ほどけた赫が血潮に見えたから、それは儚く___

 

 

(____っだから、見惚れている場合じゃない!!)

 

 冗談じゃない。

 ただでさえあの損傷、それでこの酷熱を間近に受け続けている。

 

 あんな戦い方、長く保つ訳が無い___!

 

 

 自分の足で地に立ち、前へ。

 凍えてしまった心は、雲の下の太陽が照らしてくれる。

 

 剣筋を見極めたらしい黒龍が例の構えから反撃を挟み始める。何れも正鵠を逸らされてはいるが、黒龍もそれを含み故意に見当外れの一手を絡める等して的を絞らせず、双方一進一退で停滞する。

 

 酔いの症状ばかりは術が無い、使えるとすれば得意魔法だけ。氷柱も同士討ちの懸念がある。

 何倍も重く感じる杖を持ち上げて放つは、通常の水球。釘付けにされている今の黒龍にならば。

 

「…………ッッ、いい加減にしろよ……っ!」

 

 その一瞬此方に面を向けた黒龍が、凄烈な呼気を噴出する。それは周囲の高温を相乗した熱風となり、水球は泡沫と消えてしまった。

 構わない。どうせ一本道だ。動く魔力の片端より水球の展開に駆り出し、限りまで短い間隔で連射する。

 

 最早少女の戦法は単調の一言。火勢も最盛から弱まりつつある。

 対する黒龍は尻尾の一振りや脚運びの片手間で水球共々除ける、その余分が滲んでいた。

 

 

 ____それが気付かせ、見上げる。

 

 枝葉も何も無い、雲海ばかりの野中で、自らの場所を覆う大いな影を。

 

 

 少女が舌と歯の臼を鳴らしたが、ここまでに来た、もう立ち止まりもしない。

 

 不羈の龍に、少女の身の丈では至らない。ならばその断罪は、天穹よりの鉄槌を以て。

 

 

()()()ぉぉおオオッ!!!」

 

「______!!」

 

 

 それは咆哮にして、祈りで、意思。

 仲間にどうか、届くように。

 

 

 応じたのは、黒龍。予て看破していたそれを、悠然と躱す

 

 

「ーーーーーー!?」

 

 真際、豪炎が龍を斬り堕とす。

 左後脚の爪先余り、__陸上駆動の要を。

 

 

 その身躯が地に沈み、最後。

 

 

 

 大質量の氷柱が、黒龍を圧し潰した。

 

 

 

 

 

 

 __居ても立ってもいられず、少女は走り出した。

 

 刺さらなかった。

 先端が溶けたのだと思う。本当に仕留められているかも分からない。

 

 だがもし黒龍が生き存えていて、これから少女の背後を討ったとしても、少女は厭わなかった。

 

「だいじょっ…………ッ___」

 

 仰向けに倒れた剣士の元に屈み込み、__思わず、口許を塞ぐ。

 

 右腕は繊維数本が繋ぎ止めただけで、殆ど捥げている。傷口は衣服の切れ端と髪留めで止血を間に合わされ、それも激闘で開いてしまったのか何処が創部か布かも判別し得ない。

 左手も酷かった。肘まで深刻な火傷で、特に熱源を握り続けていたと疑われる掌は爛れて原状も窺えない。簡素な腕輪は半ば融解して皮膚と接着していた。

 

 何れも一刻を急がなければ手遅れになる。しかし何よりもまずはこの場を離れる必要があった、黒龍を下敷きにした氷柱がいつ倒壊してもおかしくない。

 

「……待ってて、もうちょっとだから…………」

 

「ねえ」

 

 

 背の下に差し入れた手が、止まる。

 

「もういいよ」

 

 彼女から。

 

「いいんだ、もう。他の龍に挑めないのは、残念だけど…………黒龍一頭倒すのだって、普通じゃできないんだから」

「__ッ___!」

 

 彼女の口からそんな言葉を、言わせたくなかったのだろう。

 怪我人を扱うには不当の力で抱き寄せた。

 

「……何言ってんのっ、大丈夫だから」

 

 ____「わたし、いま、幸せなんだよ。」

 

 

「………………!!」

 

 それでも、動けなくなる。

 

「いたくも、苦しくも、ないんだよ…………?」

 

 少女では、四肢の欠損までを治せない。命ばかりは掬えても。

 

 だから……動けない。

 

 

「ほんとなんだよ。ほんとに、幸せ」

 

「夢だった冒険者になれて。頼りになる先輩と、パーティを組めて。いろんな魔物を倒して、それだけじゃない、いろんな事をして。そしたら、それでも楽しかったのに。黒龍にだって、勝てちゃって」

 

「夢は夢でしかないって、どこかでは思ってた。でも、あなたがくれたんだ。あなたが……とっても不器用で。__優しくあって、くれたから」

 

「たった少しの間に、こんなにたくさんを貰って。こんなに幸せなひとは、この空の下にもういないよ。

 …………きっと、そうだ」

 

 

「だからさ、やめてくれよ」

 

「やめろ」

 

 

 

「やめて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 沈黙。

 

 

「…………………………」

 

 

 沈黙する。

 

 

「…………………………」

 

 

 少女は、独り。

 

 

「…………………………」

 

 

 星の瞬きも、火の灯りも、月の光も無い。

 一切の虚無だけが、夜を象形していた。

 

 

「…………………………」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

「…………………………なあ」

 

 

 否。

 

 

「なんでだよ」

 

 

 もう一人。

 何処からとも無く、声だけがする。

 

 

「なんでさ」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 それに少女は、答えない。

 

 

 

「なんで…………………………助けた」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 言える訳が無かった。

 

 

 

「もう……剣も握れないのに」

 

 

 所詮、自分の為だなんて。

 

 

「誰にも好かれないし、好きになる資格もないのに」

 

 

 自分の為に、誰かの命が終わる。

 その呵責から逃げたかった。

 

 

「物語の主人公には、もう、なれないのに」

 

 

 その事実をまた、受け容れたくなかっただけだなんて。

 

 

「本当。みんな、全部」

 

 

「……ほんと、だったのに」

 

 

 嘘。

 

 

 優しくなんて、在れはしなかった。

 純粋に、どうしようもなく、…………___

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

「…………………………」

 

 

「あのまま、放っておいてくれてたら」

 

 

 聞きたくない。

 

 

「こんな気持ちなんて、知らないままで」

 

 

 聞きたくない。

 

 

「初めての、友達を助けられて。そのまま…………格好良いままで、いられて………………」

 

 

 

「…………………………」

 

 

 聞きたく、ない………………。

 

 

 

「ねえ、なんで」

 

 

 

「……なんでっ…………」

 

 

 

 

 

 

「なんで……死なせて、くれなかったの…………!!!」

 

 

 

 

 

 

「…………………………っ!!」

 

 

 

 少女は走り出した。

 

 出口も見えない暗澹の部屋から、逃げた。

 

 

 逃げて。

 

 逃げて、逃げて。

 

 

 逃げた。

 

 

 

 真夜中の街並みを一人、駆け摺る。

 狂騒は白昼夢のように消えて、靴音さえが反響する。

 

 

 ふと、黒龍討伐の報酬を受領していないのを思い出した。

 結局素材も討伐証明の甲殻一枚と眼球の片割れだけ。現時点で手許にあるのは仮報酬のみで、それすら宿に全額置いてしまったようだ。これが、せめてもの見舞いに…………取って付けた言い訳までする己が只管、憎かった。

 

 それから、自分の頭に帽子が載っていないのにも気付いた。対黒龍の最中に吹き飛ばされでもしたのだろう。思い入れもあった気がするのだが、今やどうでもよかった。あんな物の為にもう一度彼処に戻りたくは、無い。

 

 

 相変わらずの曇り空。日の没しては夜闇の糧でしかないそれは、どこまでも陰鬱なだけ。

 

 

 いっそ、雨でも降ってくれたら。

 

 肌を湿らせる嫌悪感も、聞くに堪えない軋みも、自分以外のせいにできたのに。

 

 

 

(ああ)

 

 

 __なんで。

 

 

 

「……なんでっ…………」

 

 

 

 

 

 

 なんで……わたしはこんなにも、弱いんだろう…………___。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 半年後。

 

 

 少女はまだ、旅を続けていた。

 

 以前と違うのは、ただ飢えない為だけの旅だった。元より当ての無い行路だが、それに望む事も失くした、終着を待つだけの旅。決まっているのは方角のみで、偏にあの自治都市から遠くへ、遠くへと。死時を選ばなくなれば自ずと情緒も扁平に、精神漂白も不要になった。そうして残るのは、語るにも退屈な無色透明の旅程。

 

 少しばかり、潮目の変わる機会があった。依頼でとある田舎村に立ち寄った際、若い少女を気に入ったのか住民にやたらと饗され、その末に個人的な配達依頼を持ち掛けられたのである。

 何でも業者が捕まらず差し当たりギルドに話を通したものの一向に音沙汰が無いので、行きずりの根無し草である少女を頼りにしたらしい。前払いで報告に戻る事も無い、雲隠れでも恨まぬとまで言う先方に初め遠慮はしたが、厚意を無下にも出来ず仕舞いは少女が押し切られる形となった。一朝一夕で人となりを測られる少女の底浅さを表す始末だろう。

 

 道程を引き返す事になる、それも自治都市近辺の地域だ。とは言え直接都市に用向く訳ではない、言葉通り投げ放しにしたのでも寝覚め悪く少女も取り敢えずは実直を繕った。

 

 本当の転機は依頼の達成後、村民を宙吊りで置くのもどうかと最寄りのギルドの派出所へ一報ばかりに赴いた折。

 提示した身分証明を係が妙に見詰めるので居た堪れずあった所、矢庭思い出したようにその口が開かれた。

 

「ああ……ギルドの方で、貴方への伝言をお預かりしていまして」

 

 今度は少女が目を丸くした。此処に委細は融通されておらず、それを把握するのは…………かの自治都市のギルドだと言う。

 

 少女はあれから自治都市に一歩たり踏み入れていない、よって思い当たりもあの七日前後以外に有り得ない。

 心が濁る。しかし仮にその間の行為で大都市ギルドを背信しながら訓告をも黙殺した等となれば最悪少女の死活問題にもなる。それ程の事案なら現時点で少女の耳に入ってもいそうだが、何れ無視は出来なかった。

 

 足取り重く、少女は自治都市へと再訪した。

 その後ギルドにて、伝えられる。

 

 市内の加工屋へ向かう事。

 

 そして添えられた、たった一言を。

 

 

 

 

 

 

「来やがったな、クソッタレ」

 

 門戸を潜るなり悪態を吐いてきた加工屋は、小柄な老骨だった。

 少女を物差しにしても胸元まで達しない、腰曲がりというには限らず、恐らく小人辺りとの混じりと思われた。皺の深い相貌にはそれでも尚気鋭が光り、触れ難い金物味を色濃く醸し出す。

 

「いつだったかに装備を仕立てろと言うから聞きゃ、自分のじゃねえと抜かし腐る。其処に居ねえ人間に何を作れってんだよ、金だけ積まれたからやっつけはしたがな」

 

 少女と面も合わせないまま、加工屋は作業の手を止めず粗暴に口を回す。次に少女が問うのは及び腰ながら。

 

「あの……いつ、というのは」

「忘れた」

「その人の、えっと……特徴とか」

「知るかよ、あんなクソボケの事なんざ覚えんのも癪だ」

「………………」

 

 苛立ち等の熾る火種が未だ燻る事に少女自身が驚いていると、加工屋が件の品を少女の下に示してくる。

 

「一回着付けんぞ、立ってろ」

 

 呑んだ息が、咽喉の水気を直ちに奪う。

 

 

 灰黒の、斑模様。

 

 その外套は後ろ身のみで、袖口も無かった。

 

 

「…………肩を巻くなクソ、背中もひん曲げてんじゃねえよ。……嗚呼クソ、ちげえんだよな…………そのままだっつってんだろ!」

 

 その通り少女が従うのに機嫌を損ね続ける加工屋の傍ら、少女の唇は震えていた。加工屋の言動になのか、それが恐怖なのかも明瞭でない。一つ確かなのは今目前に姿見でもあれば、少女はそれを衝動のまま割り砕いていただろうという事だけ。活路無き懊悩の中で加工屋の舌打ちばかりが嵩んでいき、

 

 

「____こなクソがアアア!!!」

 

 突然の怒号に肩が跳ねた。

 

「一目で嫌な気はしたぜ、やっぱりクソ程合わねえじゃねえかよ!読み違えたアッ!」

 

 一通りがなり散らした加工屋はそのまま、野郎も尻込む形相で少女に詰め寄る。

 

「てめえクソガキ、直ぐにそれ外して寄越せ。控えの素材で仕立て直す。その分の金はてめえから取るからな」

 

 有無も挟ませない。流され留具に指を掛けた少女が、そこで、固まった。

 

「……もたついてんなら剥ぎ取るぞクソが。あああクソ甘ったれがよ。クソボケとどうせ同じかそれ以下なんて舐めた見立てしてからによお」

「………………これで、いい」

「ああ?!」

 

 そう溢した少女の胸倉が、体格も如何とせず力任せに手繰られる。

 

「巫山戯んじゃねえぞ。合わせねえってならそれも持ってかせねえ、それで大手振って歩かれたらうちの汚点だ。けちってねえで金払うか、それ置いて出てくか、何方か___」

 

 加工屋の啖呵がしかし、半ばで止む。少女が逆に、その胸板に片手で持てるだけの硬貨を突き返していた。

 

「これでいい」

「…………ぉ……」

 

 加工屋が気圧されていた。金額にではまさか無い。

 

 幽鬼の如き、翠の眼睛。

 齢を三回りさせても自らに届かぬような少女のそれが、何を礎に、贄にするのか。全く、推量の外に在ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 自治都市でも主に冒険者とそれに贔屓される商人乃至職人が集う区域、所謂冒険者区には、観光や羽休めの過客が少なく人口も目抜き通り程の飽和状態にはない。

 されども表に漲るのは将来に満ち満ちた若気の昂り、苦楽を共にした結束の凱歌、百の傷と英名に刻まれる矜持。其処に無数の冒険譚が紡がれ、羅列したそれらの重奏が、また新風を誘ってくる。その連鎖が敷き詰められたのが、この路。

 

 それなのに。それ故に、思う。

 

 あの始りの日ですら、こんなにも窮屈だっただろうか。

 あの畢りの夜でさえ、こうにまで惨めではなかったか。

 

 

 少女の歩みは、鈍かった。

 

 加工屋は結局金も受け取らず、「二度と来るな」との文句を追申して少女を蹴り出した。

 しかし、こんな事ならやはりこれも置いて行くべきだったと、伸し掛かる罪咎の標を強く、あえかに掴む。この場で脱ぎ棄ててしまいたいと、そうも過った。

 

 足元にばかり向いても、他の視線が粘り着くのを感じる。恥ずかしくて、虚しくて、情けなくて、よすが無く蹲りそうになる。また杖を握り締め、ふと失くしてしまった帽子の事を思い出すと、一度嘔吐(えず)いた。

 

 何を、読み違えたと言うのだ。ぴったりじゃないかと、少女は自嘲した。職人業だ。

 

 萎んで、小ぢんまりと、縮こまる。ちっぽけな自分に、何とも、お似合い…………。

 

 

 

「よう、ニュービー!」

 

 

 __それでも。そんな声の掛かる先が自分と考えない位には、少女も偉ぶったものだった。

 

「…………無視か?しょぼくれてる割にでかいタマしてるじゃねぇかよ、おい」

 

 流石に耳元で煽られ肩も叩かれでは素知らぬ顔も出来ず、忌々しくも身体を引いて見遣る。

 憶えに無い男だった。同じ高さまで来た少女の目鼻に一瞬不意を突かれた風にして後、少女の外套を摘み上げる。

 

「……へっ、もっと堂々と歩けよホープ。折角の黒龍の翼が泣いてんぜ」

 

 そこには笑みが湛えられていたが、少女の面差しは反対に沈むだけ。

 

「…………私のものじゃ、ないので」

 

 絞り出し、再び俯く少女。男はそれに口を噤んで、暫時。

 

「………………じゃ、持ち主が泣くんだろ?預かり物なら尚更、大事にしろよな」

 

 離した手を翻し立ち去るのを目で追って、漸く少女はその男の風采を確かめる。

 全身を黒一色の防具で覆い、闊歩していた。

 

 

 

「……………………」

 

 

 己を抱いた手を下ろす。顎を引き正面を見定め、背は折らない。

 外套が靡き音を立て始める。向かい風だろうが追い風だろうが、何も変わらない。

 

 どれだけ飾ったとして、中身はずっと弱いまま。

 栄光、名声、その証明。そんなものは相応しくもないし、いらない。ただ___

 

 

 私を生かしてくれた勇気を、殺さない為に。

 友の生きた息吹を、絶やさない為に。

 

 

 不似合いでも、不相応でも。

 

 嗤われてもいい。格好悪くていい。

 

 

 今は、ただ、____胸を張れ。

 

 

 

 涙は拭けない。隠せもしない。噛み下した嗚咽も心火に焚べてしまおう。

 

 どうせ張りぼてで、借りもの。わかり切っていた事。

 

 それでも、いつか。

 進み続けて、いつか辿り着いた時。きみの、みんなのおかげだったんだと、屈託も無く、そう言えるように。

 

 

 

 わたしも、「あきらめないから」______。

 

 

 

 

 

 

 前へと、戦士は踏み出す。

 

 

 勇気の旗を、背に牽いて。

 

 

 




穂先も乾かぬ内に少女ちゃんもの。何だかんだお気に入りなんでしょうね

某運命の戦争は関係無いです

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