白色で埋め尽くされた世界で、蹲る少女を見る。光の無い目の向く先には小さな花があり、柔らかな風に揺れていた。
俯瞰した視点で見る自分には気づいていない。
「……アズサ。お前はどうして、前を向くことが出来るんだ」
少女は答えない。
当たり前だ、これは夢の中の話だからだ。夢の中の人間が現実のように話すことなんてあるわけない。ましてや、質問に答えるなど…。
「お前は、どこに行くんだ。私はまだここにいるのに…まだ、答えが分からないのに」
しかし立ち尽くす少女──サオリの疑問は止まない。
「何が正解で、何が間違いで……これからどうするべきなのか、わからないんだ……」
ここにいる直前の記憶はあの地下通路に通ずる道で途切れている。その後はどうなったのかもわからない。
唯一覚えているのは、目の前で蹲る少女が自分を止めようとしたこと。忌み嫌っていた筈のトリニティ生が自分が引こうとする引き金を止め、諭そうとしたこと。大切な家族が無事だったこと。
ぐちゃぐちゃになった感情のままに気絶したせいで、それ以外の記憶が朧気だった。
「……」
銃を握りこむ右手を見る。あの時、震えた手でアズサを撃とうとした手。優しく握りこまれ、促されるままに銃口を下ろした手。
人を殺すための訓練を続けた手は、その古聖堂で一度も血に染まることなくぶら下がったまま。
そうだ。自分は、アリウスで生きる人間は人を殺すための訓練を続けた存在で、そんな存在を受け入れる世界は無い。虚しさだけを抱えて生きるしかないはずなんだ。
なのに、なのになんでお前は、アズサは……虚しさを抱えずに生きていける。只人の中で笑って生きることが出来る。
「……教えてくれ、アズサ…。私は、どうすればいいんだ……」
Vanitas vanitatu et omnia vanitas.全ては虚しいもの。
呪縛のように脳にこびり付いて離れない言葉とその身に刻み込まれた教えがサオリの内でヘドロのように渦巻く。
だがそんな自分を信じようとするミカの言葉が、アズサの眼差しが瞼の裏に焼き付いて離れない。
自分を騙したはずの存在を信じ続けると言ったミカと虚しさの一かけらも存在しないアズサの意思。刷り込まれ続けた規律と二人の記憶がサオリを板挟みのまま解放しない。
ついにはアズサから視点を外し、地面だけを見るようにして俯く。答えの出ない迷路の中にいるようで、吐き気がしてきた。
どうしてお前は前を向ける。何故虚しさを、憎しみを抱かない。なんで私のことを止めようとした。
何故、何故……。
「───全てが虚しいものだとして、それが今日最善を尽くさない理由にはならない」
「……!?」
何も言わなかったはずの相手からの返答に弾かれるように顔を上げる。変わらず蹲ったままの少女は、その目に光を宿して花を見つめる。
「教えはただの教えで、習っただけのもの。それが生きる指標にはならない」
「だが、私達にとってはそれが全てで…!」
「サオリ、私はサオリのおかげでヒフミ達と出会えた。勉強という物が楽しいものなんだって気づけた」
立ち上がった少女の姿が変わる。煤で汚れた姿ではなく、今も着ているであろうトリニティの制服。あの地下通路で出会った時のように、今を生きようとする意志で満ち溢れている。
「サオリ。私はサオリのおかげでやりたいことが見つかった。楽しいことが見つかった。虚しさで溢れていると思っていた世界には、星みたいに光るものがあったんだ」
「だからサオリ……もう、虚しさを抱えて生きなくていいんだ。やりたいこと、やりたかったことのために生きてもいいんだ」
「やりたい、こと……」
自分のやりたいこととは、何だろうか。拷問のような訓練と、血反吐を吐き続けるような環境では考えようもなかったこと。
だが心の奥底に抱えた思いは、アズサの言葉で息を吹き返した。
「……ミサキに、もっと生きてほしい。ヒヨリに、もっと外の世界で逞しく生きてほしい。アツコに、もっと笑ってほしい……アズサに、もっと友人が出来てほしい」
あぁ、そうだ。今はまだ自分自身のやりたいことなんて見つからないけど。
「もっとみんなに、家族に……笑って生きてほしい」
家族に向けた願いは、確かに存在した。
「……そっか。やっぱりサオリは、優しいんだな」
淡く微笑むアズサの姿はサオリが知るそれよりも、何処か大人びて見えた。何処かで聞いた話では、夢の中で見る事象はすべて見聞きしたことが元に構成されているという。何故自分の知る彼女と違って見えるのだろう。
だがそれでも、アズサはアズサであることに変わりはなくて。
「……お前のおかげだ。ありがとう────」
「……アズ、サ…」
暖かい何かに包まれた体が熱を持ち、瞼が薄く開かれる。頭の下にはクッションが置かれていて、アリウスでは考えられない居心地の良さの中で眠っていた。
先程まで見ていた物はやはり夢か。そう思いながらも、ここは何処なのかを確認しようとする。
「うわあああああん!!こんなに美味しいカレーをお代わりしても良いんですか!?」
「いいよ~!ちゃんと食べてちゃんと休んで、元気になってね!」
「食べさせるだけ食べさせていきなり毒ガス訓練を始めたりしませんか!?いやしい人だけ苦しめたりしませんか!?」
「するわけないよ!?あたしのことなんだと思ってるのさ!?」
「や、やっぱりこれが最後の晩餐になるんですね……!うわあああああん!最後のご飯ぐらいいっぱい食べたいです!お代わりください!!」
「…鬼さんから呼ばれたあたりで珍しいな~なんて思ってたけど、キミみたいな子は初めてだなぁ……。あ、お代わりね!はいどうぞ」
「鬼面さん、他の子達の分の配膳が終わりました」
「あぁ、ありがとさん。急に頼んだのにわざわざここまで来てくれて助かったよ。この人数の料理ってなったらフウカとかジュリとか呼ばないと間に合わんからな……本当にすまん、折角の休日なのに」
「いえ、私も会長も手持無沙汰でしたし。それに、いつもお世話になっている人が助けを求めてるのに断るわけないじゃないですか」
「…本当に助かる。事情もちゃんと話せないってのに……」
「構いませんよ。お腹を空かせた誰かがいて、そんな人達を助けようとする人がいる。それだけで動く理由になりますから」
「ナグサ~そっちのお粥どう?」
「アヤメ。こっちは……うん、ちょうどいい味だよ」
「よし、なら早く持ってちゃおっか」
「鬼さんが危惧してた通り、すぐには食べられない子もいたね……ルミさんがいなかったら、普通に食べられる子にご飯が行き渡るのも遅れちゃったかも」
「やっぱり鬼さんの人脈ってすごいよね~。玄武商会の会長さんとも知り合いなんだもん」
「……」
ヒヨリの泣き声とも鳴き声とも言える声で脳が覚醒する。
外側から聞こえてくる話し声や食器が擦れる音から考えるにどうやらどこかの食堂のようで、自分は厨房の中にある休憩室にいるらしい。
体に掛けられた掛け布団をどかし、話し声の聞こえたドアから外の様子を見る。
「おうサオリ、起きたみたいだな」
「っ!?」
「そこにある着替えを着たらこっち来て飯食いな。腹減ってんだろ」
開けた瞬間に鬼に話しかけられて驚いて後退ってしまう。すぐさま銃を構えようとして、銃そのものが無いことに気づいた。
そんなサオリの様子も気にせずに鬼がドアから離れ、そのまま何処かに行ってしまう。
ただただ様子を確認しに来ただけだとわかり、少し拍子抜けしてしまう。
「……。着替えるか」
銃が無い以上、鬼に抵抗すら出来ないだろう。仕方なく言う通りに着替えることにした。
◇◆◇◆◇
「あ、サッちゃん。こっちこっち~」
「リーダー、やっと起きたんだ」
「リーダー、ここのご飯とっても美味しいです~!」
「姫、ミサキ、ヒヨリ、無事だったか…!…三人とも、ここは何処なんだ?目覚めてすぐにこれを渡されてここへ向かうように言われたきりで、何もわかっていないんだ…」
用意されたジャージに着替え終えたサオリがカレーの乗ったタッパーを持って歩けば、聞き覚えのある声に呼ばれた。声に釣られて歩けば、アリウススクワッドのメンバーが仲良く座って食事をしていた。
開けられた席に座れば各々の食事にありつきながらも説明を聞く。
「物流会社、『大和』……」
「の、食堂にいるの。サッちゃんが倒れてからまだ一日も経ってないよ」
「なら、調印式は……」
「あんなことがあった後だけど、また別日にやり直すらしいよ。あの鬼面の人が言ってた」
「あの鬼面の大人は、一体…?」
「大和の社長さんらしいです。他のアリウスの子達と一緒に、私達のことを保護してくれたんです」
「他のアリウスの子達、だと?」
カレーを頬張るヒヨリの言葉に、サオリが辺りを見渡す。よく見れば周りにいる生徒は全員アリウスにいた者達で、何故気づかなかったのかわからないぐらいの人数が周りにいた。
「……何故こんなにいたのに気づかなかったんだ…」
「ふふっ…それはねサッちゃん、みんな笑ってるからじゃないかな?」
蕎麦を啜るアツコの言葉で、今度は周りにいた者達の表情にも目が行くようになった。彼女の言う通り、ぎこちない仕草ながらも食事をして、一緒に座っている誰かと笑い合っている。
その目に少しだけ涙があるのは、気のせいではないだろう。
「この、チャーハン?美味しいね…!」
「こっちのカレーも美味しいよ。食べ相っこしよ!」
「……美味い」
「アリウスでこんなご飯、食べたことなかった……ぐすっ」
「…そうだな」
「……」
「リーダー、私達はこれを食べたらあそこの鬼面の人いるところに集まるように言われてるから。忘れないでね」
「…内容は?」
「『アリスクにしか出来ないことをしてほしい』だってさ。詳細な内容は集まった時にだって」
「わかった」
チャーハンを口にするミサキから伝えられた通達を聞き、あの大人は何をさせようとするのだろうかと思案に耽る。
わざわざ清潔にして食事もさせて、英気を養った後の自分達にしか出来ないことをしてほしい。
薄暗いことが頭の中に浮かんでは、だがあの大人はそういうことをさせそうにないという反論ですべての予想にバッテンマークがつく。
結局わからないまま考え込んでしまい、隣にいたアツコからカレーが冷めてしまうと言われてからカレーに手を付け始めるのだった。
◇◆◇◆◇
「失礼する。あなたに謝罪と礼をしに────」
「ヒフミ、待って…!」
「お願いします、私も連れて行ってください!」
「そう言われてもな……お前さんがアズサのことを考えてんのかはわかる。だからオレに直談判しに来たんだろうが、かといって一般人が行くのは……」
「わ、私は、ただの一般人じゃありません!私は覆面水着団のリーダー、ファウストです!これなら一般人ではありませんよね!?」
「余計無理だわ!?なんで「自分は犯罪者です、通してください!」っていう言い分が通ると思ってんだよ!」
「くぅぅぅっ!こうなったら……このスカルマン様をどうぞ!こちらはお布施用の物ですので、是非!」
「物で釣ろうとすんな。アズサ、お前さんもヒフミのこと説得してくれ………なんでお前さん、目を光らせてんだ…?」
「…鬼さん、鬼さんも是非モモフレンズのことを知ってみないか?」
「堕ちてんじゃねぇよ!?モモフレンズは今は置いとけ!あとで聞いてやるから」
「「よし!」」
鬼が「よしじゃねぇッ!」と頭を抱える場面に出くわしたアリウススクワッド。すでに四人とも元の服装へと着替え直しており、汚れはきれいさっぱり落ちている。
その礼と調印式での謝罪をするために予定より早く部屋に向かったのだが、まさか身内とその友人が直談判しに来ているとは思ってもいなかった。
サオリがドアで様子を見、他の三人がどうかしたのかとドアとサオリの隙間から覗き見る。するとアズサが立ち尽くすサオリの姿に気づき、嬉しそうに駆け寄ってきた。
「サオリ、起きたのか!傷はもう大丈夫か?」
「アズ、サ……あぁ。もう、傷は無い」
「そうか、それはよかった…!そうだ、サオリは食堂でのご飯はもう食べたか?今回は鬼も手に塩を掛けて作ったらしいんだ、とても美味しかった…!」
「あれ、アズサちゃんも食べてたんですね?見かけなかったので別の場所でお食事を?」
「いや、みんなよりも少し遅めに食べていただけだ。先生達に色々と質問されていてな……」
「…で、なんで鬼面の大人がそこのトリニティの子に押されてるのさ。その子、アズサの友達みたいだけど」
「あぁ、私の友達の阿慈谷ヒフミだ。今は、その……これから四人に話す内容に関わるから、私からはまだ言えない」
「私達が関わること?もしかして…鬼さんが言ってたことかな」
部屋に入った四人がアズサに連れられ、ソファでヒフミと鬼の話し合いを見守る。まったくと言っていいほどヒフミは折れず、しかして鬼はヒフミの要求に答えられないのか困った様子だ。
「そもそもお前さん、どうやってオレのことを知ったんだ。アズサもオレのことは最小限しか言ってないからこれからすることも知らないはずだし、他も釘は差してるんだぞ」
「ハナコちゃんがミカ様とナギサ様のやろうとしていることを聞いた後、鬼さんがその裏にいるのではないかと推理してくれたんです」
「……。先生には伝えてんのか?そもそもオレは今回の作戦にはついていけん。だから先生主体で動く予定だろ?」
「先生は……私がやりたいことを伝えたら、条件付きで許可を出してくれました。条件は今回の作戦立案者の人の許可を得ること、です」
「……ハァ。で?お前さんのしたいことはなんだ。それ次第だ」
「……私、アリウスにいる悪い人に言ってやりたいことがあるんです!」
鬼が妥協し、ヒフミのやりたいことを聞く姿勢に入る。そしてヒフミが拳を握りこんで話し出すのは、何処にでもいるような少女の心からの訴え。
「アズサちゃんやアリウスの人達がずっと辛い思いをしてきたのはその人のせいだって聞きました。そしてその理由が、ただただ人を苦しめるためだけのものだということも……」
「……」
「そんな人には一言言ってやらないと気が済まないんです。この世界はたった一人のためにあるんじゃなくて、みんなのためにあるんだって」
「そいつは下らない理由で動いちゃいるが、口だけは達者だ。お前さんの言いたいことも変な理屈で言い逃れようとするぞ?」
「だとしても、誰かを傷つける理由にはなりません。大人の人なのに、そんなこともわからない人だとは思いたくないです!」
「────フ、ハハハハハハハハッ!そうか、そんなこともわからない馬鹿な奴に現実を付けつけてやりたいと来たか!ハハハハハ!!」
鬼はヒフミの答えに呵呵大笑となる。まさかあの大人も子供に正論を突き付けられる羽目になるとは思ってもいないだろう。その姿が見れないのは、なんと残念なことか。
「……え?あっいや、そこまでのことをするつもりは…!」
「いいだろう。絶対に前線で戦わないって約束できるのなら付いていってもいい」
「…!ほ、本当ですか!ありがとうございます!!」
「だが絶対に前に出て戦わないこと、被害が及びそうになった瞬間に下がること。これを約束してくれ。オレも行きたいが…どう足掻いても足引っ張ちまうからな。約束してくれ」
「はい!」
何度も頭を下げて退出するヒフミ。ヒフミの気配が無くなり、アリスクとアズサが鬼に近寄る。まだツボに入っているのか、生徒が鬼を待っている状況でも失笑気味に笑いが漏れている。
「ククッ、あー笑った笑った……。先生がいるなら別に大丈夫と信じるとしよう。保険は掛けておくが……っと、待たせちまってすまんな」
「いや、大丈夫だ。……彼女の言う作戦が、私達にやってほしいことなのか」
「そうだ。これにはシャーレ、トリニティ、そしてアリウススクワッドの協力失くしては成功しない」
「そんなに大掛かりなのに、私達が必要なの?」
ミサキの質問に鬼が頷き、横に置いてあったホワイトボードを引っ張り出して裏側を見せる。そこにはシャーレ。トリニティ、そしてアリウスのマークが書かれていた。
「お前さんらに協力してほしい作戦。それは……ベアトリーチェをアリウスの座から引きずりおろし、アリウスそのものを解放する」
「「「「っ!?」」」」
「そしてそのための前哨戦は、すでに始まってる」
鬼がテレビをつけると、ニュース番組に速報が届いたところだった。どうやら緊急性のある速報のようで、アナウンサーの生徒が焦りだす。
『そ、速報です!今回の調印式を襲撃したとされるアリウス分校でしたが、なんとアリウス分校は
『少なくともアリウス分校で洗脳教育を行い、拷問まがいの訓練を課していたという悪逆非道の行為が確実にされていたとのことです!』
『トリニティの生徒会、ティーパーティーからの通達では────ベアトリーチェという大人がこの事件の首謀者であることがわかっているとのことです!!』
そこにはアリウスの生徒にとっては恐怖の象徴である、異形の大人の姿を捉えた写真が映っていた。