「ポーションより、とりあえず一杯」 作:高校ジャージ10年目
黄金色の夕日が海面を叩き、ポートサージの浜辺を琥珀色のビールの如き色に染め上げていた。
『シーサイド・エール』と『クラーケン・イカリング』という、異世界が生んだ究極のペアリングに、一行はもはや言葉を失い、ただただ喉を鳴らす音と、衣が砕ける小気味よい音だけが響いていた。
だが、その至福の時間を破るように、海面が不自然に盛り上がった。
「……ッ!?何?この魔力の高まりは。不潔……不潔なほど、攻撃的な波動だわ!」
セラフィナが、手に持っていたイカリングを咄嗟に口に放り込み(味わうことは忘れない)、杖を構える。
海を割って現れたのは、巨大な鱗を夕日に輝かせる半魚人の軍団――『シー・デビル』の精鋭部隊だった。その数、およそ五十。彼らの中心には、さらに巨大な銛を携えた指揮官が立っていた。
「愚かなる人間どもよ! 我らが神、キング・クラーケンを……あろうことか『輪切り』にして揚げ物にするとは、言語道断! その罪、万死に値する!!」
「げっ、クラーケンの親戚かよ! ユウマ、こいつら怒ってるぜ!」
アレクが聖剣を抜こうとするが、先ほどのイカリングの旨味とエールのアルコールが回り、わずかに足元がふらついている。
「アレクさん、動かないでください! 今、急激に動くと次の日が大変ですよ!」
ユウマが叫ぶ。その怒声の優先順位は、相変わらず「命」よりも「ビールの状態」だった。
「キサマらぁぁ!! 死に晒せぇぇ!!」
シー・デビルの指揮官が銛を振り上げ、突撃の合図を出した。
その時、一行の前に「白い壁」が立ちはだかった。
「……待て。……ここは、私が……食い止める……」
その声は、こもっていた。
全身、頭の先からつま先まで、ドロドロの真っ白なタルタルソースに包まれた騎士、ガレスである。彼はソースの粘り気で足取りを重くしながらも、その「ソースまみれの盾」を毅然と構えた。
「な、なんだあの白い化け物は!? 雪の精霊か!?」
シー・デビルたちが、あまりの異様な姿に足を止める。
「……これは、雪ではない。……ユウマ殿が、英知を結集して作り上げた……『情熱(たまご)』と『希望(マヨネーズ)』の結晶だ!!」
ガレスは、盾の裏側にある「緊急圧力解放レバー」を握りしめた。
先ほどの誤作動は、ユウマの計算ミスではない。ガレスの騎士としての魔力が、あまりの空腹により無意識に暴走した結果なのだ。ならば、今度は意識的にその暴走を利用する。
「ユウマ殿! 後の清掃は頼んだぞ!! 必殺――『タルタル・プロミネンス・ノヴァ』!!」
――ドォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
先ほどの噴射とは比較にならない規模の「白い濁流」が、盾から放たれた。
それはもはやソースではない。高圧で圧縮された、粘性を持つ質量兵器だった。
「ギャァァァッ!! なんだこれ、目に染みる! 酸っぱい! 鼻の奥がマヨネーズで満たされるぅぅ!!」
「ぬるぬるして槍が握れん! 不潔だ、不潔すぎるぞ人間どもぉぉ!!」
浜辺を埋め尽くすシー・デビルたちが、一人残らず真っ白なタルタルソースの海に飲み込まれていく。リリィが浄化魔法を込めた隠し味の「ハーブ」が、魔物たちにとっては強烈な聖属性の刺激となり、彼らの戦意を根こそぎ奪い去った。
「……演算終了。シー・デビル軍団の無力化、完了よ。……でもガレス、今の技は本当に不潔だわ。後で念入りに洗浄結界を張ってあげるから、そこに直立不動でいなさい」
セラフィナが引き気味に呟く。
「……ハハ。……勝ったぞ。……私は、……勝ったのだ……」
ガレスは白い霧(ソース)の中に立ち尽くし、勝利の余韻に浸っていた。
騒動が収まり、再び静寂が戻った浜辺。
ユウマは、散乱したソースの海(一部は砂と混ざって惨憺たる有様だが)を横目に、予備のジョッキをガレスに手渡した。
「ガレスさん、ナイス『噴射』でした。……おかげで、二杯目のビールのコンディションを守ることができましたよ」
「……うむ。ユウマ殿にそう言ってもらえると、顔の隙間に入ったピクルスも報われるというものだ」
ガレスは兜を脱ぎ(その中からもソースが溢れたが)、ユウマが注いだ最後の一杯を煽った。
「……っ、ぷはぁ!! ……ユウマ殿、一つ提案がある。……このソース、……美味すぎるのが欠点だな。敵を倒した後、つい自分の鎧を舐めたくなってしまう……」
「……ガレス。それはさすがに、騎士としてのプライドを再計算したほうがいいわよ」
セラフィナが冷たく突っ込むが、その手にはちゃっかりと、ソースを掬うための「追いイカリング」が握られていた。
「リリィさん、お疲れ様。……リリィさんの浄化魔法のおかげで、この油っこい揚げ物とビールのループが、永遠に続けられる気がします」
「えへへ、良かったです! でもユウマさん、クラーケンさんの親戚たちが『タルタル漬け』になって海に帰っていきましたけど、彼らも美味しくなっちゃいますかね?」
「……それはそれで、海の生態系に新たな革命が起きるかもしれませんね」
ユウマは、赤く染まった水平線を見つめながら、残りの『シーサイド・エール』を飲み干した。
温度が上がったことで、より一層際立つ麦の芳醇な香り。
イカリングの衣の油っぽさを、エールの苦味が綺麗に拭い去り、潮風がその全てを完成させる。
「……さて。王都へ戻る前に、まずはガレスさんの高圧洗浄から始めましょうか。その後は、このタルタルソースをベースにした『海鮮サラダ』のレシピを考えないと」
「……ユウマ。俺、もう食えねぇよ……。……いや、あと二つだけイカリング取っといて……」
砂浜に大の字になって寝転ぶ勇者、その横で黙々と後片付けを計算する魔女、祈りを捧げる聖女、そして真っ白な騎士。
ユウマの「ビール道」は、また一つ、新たな伝説(と不憫な被害者)を刻んだ。
ポートサージの潮騒は、今日もどこまでも黄金色に輝く波を運んでくるのだった。