「ポーションより、とりあえず一杯」 作:高校ジャージ10年目
玉座の間が、物理的な「熱」で歪み始めた。
勇者アレクが手にした漆黒の瓶――『アルマゲドン』の栓が抜かれた瞬間、そこから漏れ出したのは香りなどという生易しいものではなかった。それは、数千リットルの麦芽を凝縮し、魔女の冷気で水分を叩き出した「エタノールの咆哮」だった。
「……ユウマ。俺、これが終わったら……あんたの造った『普通に美味いラガー』を、縁側でゆっくり飲むんだ」
「フラグみたいなこと言わないでください、アレクさん。……飲み干せ。一滴も残さず、その魂に叩き込め!!」
アレクが瓶を煽った。
ドロリとした琥珀色の液体が喉を通った瞬間、彼の眼球がカッと見開かれ、全身の血管が黄金色に発光した。
「ガハッ……!? ご、ゴフッ……!! あ、熱い……!! 胃袋の中で、何かが爆発してやがる!!」
「演算……限界突破!! アレクの全細胞に強制冷却魔法を上書き! 蒸発を阻止し、その莫大なアルコールエネルギーを全て『聖剣』の指向性へと変換しなさい!!」
セラフィナの杖が、過負荷でミシミシと悲鳴を上げる。
「聖なる泡よ……! 彼の内臓を、シルクのような優しさで守り抜いて!! 『ホーリー・クッション』!!」
リリィの祈りがアレクを包むが、それでも『アルマゲドン』の威力は凄まじかった。
「……馬鹿な。ただの人間が、そのような高密度のエネルギーを摂取して、生きていられるはずが――」
魔王ディアヴォロが初めて、その玉座から立ち上がり、後退りした。
「魔王ぉぉぉぉ!! 覚悟しやがれ!! これが……これが俺たちの、最高に『キレ』のある……最後の一杯だぁぁぁぁ!!!」
アレクが地を蹴った。
もはや音速を超え、空間そのものを焦がしながら、彼は黄金の彗星となって魔王へ突っ込む。
「奥義……っ!! 『とりあえず、終末(アルマゲドン)・ショット』ぉぉぉ!!!」
ドォォォォォォォォォンッ!!!!!
魔王の虚無の壁が、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
アレクの放った一撃は、魔王の胸を貫き、背後の『終焉の門』ごと、魔王城の天井を吹き飛ばした。
黄金の光が、漆黒に染まっていた世界を隅々まで照らし出していく。
魔王ディアヴォロは、自らの身体から溢れ出す「麦芽の温かな光」に包まれ、ゆっくりと膝をついた。
「………はは。……温かいな。……虚無などよりも、ずっと……」
魔王の身体が、浄化の泡と共に霧散していく――かと思われた、その時。
「待て、死ぬな!! まだ乾杯が終わってねぇぞ!!」
アレクが、消えゆく魔王の手をガシッと掴んだ。
アルコール度数 65%の余波で、アレクの手からは凄まじい「酔い」の魔力が魔王へと逆流する。
「……な、何をする、勇者。……余は、敗北したのだ。……消え去るのが、理というもの……」
「うるせぇ!! 俺の命を懸けた一杯を飲ませたんだ、タダで死なせてたまるか!! ほら、ユウマ!! 出してくれ、一番いいやつを!!」
ユウマは、崩壊しかけた城の瓦礫の中で、奇跡的に無事だった樽のコックを開いた。
注がれたのは、何のひねりもない、完璧な温度で冷やされた『勝利のラガー』。
「……魔王さん。世界を滅ぼすよりも、このビール一杯を維持する方が、ずっとずっと難しいんですよ」
ユウマが差し出したジョッキを、魔王は呆然と受け取った。
そして、アレク、リリィ、セラフィナ、ガレス……全員がボロボロになりながらも、笑顔でジョッキを掲げる。
「……かん、ぱい」
魔王が、小さく呟き、喉を鳴らした。
ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ……。
「………………くぅっ。……不覚にも、……美味いな」
魔王ディアヴォロの魔力が、攻撃的な漆黒から、夕焼けのような穏やかな琥珀色へと変わった。
こうして、世界を滅ぼす戦いは、「飲み仲間」の誕生という前代未聞の結末を迎えたのである。
一ヶ月後:魔王城改め、ビアホール『パンデモニウム』
「いらっしゃいませー!! ドラゴン手羽先焼き上がりましたー!!」
リリィの元気な声が、かつての玉座の間に響き渡る。
「……オーナー、そこの『スタウト』の泡が 2 ミリ厚すぎるわ。やり直し。……不潔なほど雑な仕事ね、魔王のくせに」
セラフィナが、エプロン姿でカウンターに立つ魔王(現・オーナー)を叱り飛ばしている。
「……す、すまぬ、魔女よ。……この『泡の比率』というのは、虚無の計算より難しいな……」
魔王は、一生懸命にジョッキを磨いていた。
そんな賑やかな店内の、一番奥の特等席。
そこには、かつて世界を救った勇者アレクがいた。……が。
「……あ、あだだだだだだだだっ!!!! ああああ、風が吹いたぁぁ!! 誰だ今、ドアを開けたやつは!! 痛ぇんだよ!! 親指が爆発するぅぅぅ!!!」
アレクは、右足をクッションの上にうず高く積み上げ、顔を真っ赤にして悶絶していた。
その右足の親指は、まるで熟したトマトのように赤く腫れ上がり、神々しいまでの殺意を放っている。
「……アレクさん、だから言ったでしょう。『アルマゲドン』の代償は、命を落とすことより辛い地獄ですよ、って」
ユウマが、呆れ顔でお盆を持ってやってくる。
「ユウマぁぁ!! お前、これ(痛風)が来るって知ってただろ!! 俺、魔王と戦った時より泣いてるぞ!!」
「ええ、知ってました。……ビールの旨味を濃縮するということは、すなわち『プリン体』を極限まで濃縮するということですから。……セラフィナさんが計算したアレクさんの尿酸値、測定不能の『オーバーフロー』でしたよ」
「オーバーフローってなんだよ!! 勇者のステータスじゃねぇだろ、それ!!」
ガレスが、新開発の「車椅子用・ビールお盆盾」でアレクに寄り添う。
「案ずるな、アレク殿。この盾があれば、君の痛む足を守りつつ、寝たままビールが飲めるぞ!!」
「ガレス……! お前の優しさが今は痛い!! 揺らすな! 盾を当てるなぁぁぁ!!」
そこへ、リリィが聖なる光を纏った氷嚢を持ってやってきた。
「アレクさん。……浄化魔法で痛みを和らげてもいいですけど、その代わりに……『禁酒一週間』ですよ?」
「………………」
アレクは、激痛に顔を歪めながら、カウンターに並ぶ黄金色の液体を見た。
シュワシュワと弾ける泡。
喉を鳴らす客たちの笑顔。
そして、隣で「余も、この『から揚げ』というやつを極めたいのだ」と真剣に話す魔王の姿。
アレクは、親指の激痛を堪えながら、震える手でジョッキを掴んだ。
「……っ、ふ、ふざけんな。……この痛みがあるからこそ、ビールが美味いんだろうが!!」
「「「「やっぱり言った!!」」」」
全員の声が重なり、爆笑が巻き起こる。
ユウマは、店の窓から広がる平和な夕焼けを眺めた。
社畜時代の知識が、異世界の命運を変え、魔王をオーナーに変え、勇者を「痛風」に変えた。
「ははっ…次は『痛風に効くビール』の研究でも始めましょうか」
ユウマは、自分用に注いだ完璧な一杯を掲げた。そして。
「……さあ、皆さん! 最高の人生に――」
「「「「とりあえず、乾杯!!!!」」」」
魔王城に響き渡る乾杯の音。
それは、どんな魔法よりも強力に、世界を幸福で満たしていくのだった。
最終設定メモ
• 勇者のその後:
• 普段はビアホールの用心棒だが、天気が悪くなると親指が痛み出し、使い物にならなくなる。
• 魔王のその後:
• 「破壊」の魔力を「超高速・瞬間冷却」に転用することに成功。セラフィナとの「冷却理論バトル」が毎晩の恒例。
• ユウマのその後:
• 世界一の醸造家として名を馳せるが、一番の悩みは「勇者の治療費(浄化代)が経費で落ちないこと」