「ポーションより、とりあえず一杯」 作:高校ジャージ10年目
魔王城ビアホール『パンデモニウム』の夜は更ける。
喧騒が落ち着き、カウンターの隅で魔王(オーナー)が巨大なジョッキを傾けながら、ふと店主のユウマに問いかけた。
「ユウマよ。余は時折、不思議に思うのだ。貴様ほどの知識そして執念があれば、この世界で王にでも神にでもなれたはずだ。なぜ貴様は、それら全てを『ビール』に注ぎ込んだのだ?」
ユウマは、翌日の仕込みのために大麦の選別をしていた手を止め、眼鏡をクイと押し上げた。
「オーナー。あなたは、本当の『絶望』を知っていますか?」
「余は魔王だぞ? 絶望など、朝食の付け合わせのようなものだ」
「いいえ。本当の絶望とは、城を焼かれたり勇者に刺されたりすることじゃないですよ」
ユウマは、遠い目をして、語り始めた。かつて彼が「人間」としてではなく、「部品」として生きていた異世界の記憶を。
ユウマがいた世界、そこには魔王はいなかったが、代わりに『締め切り』と『コンプライアンス』という名の邪神が支配していた。
ユウマの職業は、広告代理店のシステム担当。大学で醸造学を修めたにもかかわらず、就職氷河期の荒波に飲まれ、辿り着いたのは「深夜 3 時に上司から怒号のメールが届く」そんな企業だった。
「……ユウマ、この修正、朝の 9 時までに終わらせとけよ。できないなら、お前の代わりなんていくらでもいるんだ」
それが、当時のユウマが耳にしていた「呪文」だった。
食事は三食コンビニのおにぎり。睡眠はオフィスの机の下。唯一の贅沢は、一週間に一度、土曜日の深夜(あるいは日曜日の早朝)に、帰り道の公園のベンチで飲む、一本の缶ビールだった。
「あ、あはは。今日も、生きてるなぁ……」
街灯の下、プシュッという乾いた音と共に、冷えた液体を喉に流し込む。
その瞬間だけは、誰からも命令されず、誰の役にも立たなくていい。ただの『喉を鳴らす生き物』に戻れる、そんな時間。
「でも、思ってたんですよ。この一杯を、誰かと笑って飲めたら。……『お疲れ様』って、心から言い合える相手がいたら、どんなにいいだろうって」
それが、ユウマの「聖杯」への願いだった。
しかし、運命の日は唐突に訪れる。
三日三晩の徹夜明け。ついにプロジェクトを完遂させたユウマは、帰り道のコンビニで、これまでの苦労を労うために「ちょっと高いプレミアムなビール」を買った。
それを手に、いつものベンチに座った瞬間。
あまりの解放感と疲労、そして「冷えたビールへの期待値」が臨界点を突破した。
「……っ。飲みたい。今すぐ、最高に冷えた状態で、これを……ッ!」
ユウマの強い念が、極限まで高まった精神と、徹夜明けの脳内物質に反応したのか。
彼がプシュッとプルタブを引いたその瞬間、目の前の空間が「ビールの泡」のように真っ白に弾けた。
「気づいたら、草原の真ん中でジョッキを持って立っていたんです」
「……何なのだ、その召喚理由は」
魔王が呆れたように鼻を鳴らす。
「まあ、そう言わないでください。召喚された先が、ポーション(苦い)と泥水みたいな酒(ぬるい)しかない世界だと知った時の、僕の絶望を想像できますか?」
異世界に転移したユウマを待っていたのは、伝説の剣でも美少女でもなく、「不潔なほど美味くない酒」だった。
「最初に酒場に入った時、出てきたのは木屑が浮いたエールでした。…僕は確信したんです。この世界に足りないのは正義でも平和でもない。……『徹底した品質管理』と『キンキンの喉越し』だと」
ユウマは、持っていた現代の知識を全開放した。
「そんなことをしていたら、勇者一行に出会ったんです。そして、セラフィナさんにも出会って。そうしたら気付いたんですよ。協力して最高の一杯を造り、それを一緒に飲む。……それが、僕が前の世界で出来なかった『人間らしい生活』なんだったんだなぁと」
ユウマは、懐かしむようにアレクが寝ている奥の席を見た。
「アレクさんに『アルマゲドン』を渡した時…正直、尿酸値のことは頭の片隅にありました。でも、それ以上に『命を懸けてでも、このビールの凄みを証明してやる』という、醸造師としての矜持もありましたね」
「…あやつ、ただの被害者ではないか?」
「でも、あんなに幸せそうに痛風で悶絶してる男、見たことないでしょう?」
「ははっ、それは否定できぬな……」
話しているうちに、仕込みの準備が整った。
ユウマは、新しく出来上がったばかりの『ピルスナー・魔王城スペシャル』を二つのグラスに注いだ。
「オーナー。僕は、この世界に来てよかったと思ってます。前の世界じゃ、あなたのような偉大な王と一緒に飲むなんて、夢のまた夢でしたから」
「…ふん。余も、貴様のような狂った男に出会わねば、今頃は退屈な虚無の中で、世界を滅ぼす計算でもしていたところだ」
「それは、怖いですね」
二人は、静かにジョッキを合わせた。
――カチン。
「クゥ…やっぱり、仕事上がりの一杯は最高ですね」
「……うむ。不覚にも、認めざるを得ないな」
その時、奥の席から「あああ、また風が吹いたぁぁ!! 痛い! 親指が光り輝いているぅぅ!!」というアレクの叫び声が聞こえてきた。
「ユウマ殿、リリィ殿を呼んでくれ!! 聖なる浄化(鎮痛)を!!」
「不潔だわ。あんなに叫ぶなんて、筋肉の収縮に伴う発熱が激しすぎて、近くのビールの温度が上がっちゃうじゃない」
ガレスが盾をガラガラと引きずり、セラフィナが温度計を片手にアレクの元へ向かう。
その光景を見て、ユウマは心から満足そうに笑った。
「…前の世界の僕に、言ってやりたいですよ」
「何とだ?」
「『安心して死ぬほど働け。そして死んでその先に、最高に騒がしい乾杯が待ってるぞ』…ってね」
「貴様、やはり魔王よりよほど残酷な男だな」
魔王城の夜は、黄金色の泡と共に過ぎていく。
一人の社畜が、その身一つで異世界の喉を潤し、最強の勇者を痛風に変え、魔王を店主に変えた物語。
その始まりは、ただの「一本の缶ビール」を愛した、切実な喉の渇きだった。
「さあ、オーナー。アレクさんの治療費(浄化代)を稼ぐために、明日も朝から仕込みですよ」
「分かっている。だが…とりあえず、『もう一杯だけ』おかわりを寄越せ」
「はいはい、喜んで!!」
【番外編・おまけ設定メモ】
• ユウマの元の世界でのあだ名: 「歩くビアホール」
• 飲み会の幹事をやらせると、予算内で最高のペアリングを叩き出すことで有名だった。
• 異世界召喚の真実:
• 実は異世界の神も「最近、この世界は酒が不味すぎて活気がないな……」と悩んでおり、適当に「酒に最も熱い魂を持つ者」を逆引き検索した結果、ユウマがヒットした。
• アレクの親指の輝き:
• リリィの浄化魔法の副作用で、痛みがある時だけ親指が黄金色に発光するようになった。今ではビアホールの「閉店の合図」として、客たちに親しまれている。
あと三話程お付き合いください。