原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第10話 名探偵ならば笑えるはず

 

 

 

 

ノートを開くと、紙の匂いがした。

 

新しいノートの匂いだ。

 

まだ何も失敗していない匂い。そこが少しだけ助かる。

 

机に肘をついて、一ページ目の真ん中に書く。

 

『名探偵シェリー運用マニュアル』

 

書いてから、少し笑う。

 

笑って、すぐ消す。

 

やっていることはだいぶしょうもない。自分の命を守るために。これだけ見ると中学生が書きそうな内容だ。中学生なのだが。

 

でも、会社でも似たようなことはあった。

 

できる先輩ほど、感覚でやっているように見えて、裏ではちゃんと手順化していた。問い合わせ対応。客先への謝罪。上司の機嫌が悪い日の会議。全部マニュアルがあった。先輩の口癖は才能は魔法のようなものだ。でも俺たちは仕組みで動く生き物だ。だから大前提として再現性のない行動は慎め、というものだった。

 

今回は作る。

 

最初から。

 

一、口調

 

二、表情

 

三、距離感

 

四、禁句

 

五、禁忌

 

六、緊急時対応

 

ここまではすぐ書けた。

 

嘘だ。悩んだ。

 

四と五は悩んだ。

 

口調はですます調

 

表情は笑顔

 

距離感は表面は近く、内心は遠くだろうか。出来るなら逆が良かったが。

 

そもそも考えてみると魔女として処刑されるということは、魔女(魔法を持つ少女)になった原因があったということだ。

 

ではその原因は何か。俺は感情がトリガーなんじゃないかと推測する。魔法少女がモチーフになる作品は、思春期の少女の感情の揺らぎを重視している。

 

もちろん、生まれつき無作為に魔女の細胞みたいなものが自己増殖していくとも考えられるが、それなら少女である必要性が分からない。つまり、何かしらの強い感情だ。にしても強い感情が原因だとしてもそれで姿形が変化するなら、摩訶不思議だな。

 

橘シェリーの場合は人殺しとかだろうか。いや。それは安直だ。むしろサイコパスなら、相手から極度に道徳的な反応を受けると魔女化するのかもしれない。相手を利用することに人生で初めて罪悪感を感じて自分がサイコパスだと自覚して、とかだ。相手がいい奴だと尚更。橘シェリーにはできないことだ。それなら感情の揺れもあり得る。

 

俺にそのような兆候はない。別にサイコパスでないが利用するつもりだ。その過程で、外面はアレだが、内心では共感もすれば良心もある。だが、数か月以上生活するなら分からない。相手は少女だ。魔女化するリスクがあるので気をつけないとな。

 

次に禁忌と禁句という点だ。禁忌が感情の揺らぎを増長するイベントなら言葉と出来事は分けてもいいのではないだろうか。何日か何か月か知らないが同世代と話すなら会話は多くなる。自分が言われたくない言葉が言われるだろう。何かしらの出来事に加えて言葉でも攻撃されれば魔女になりそうだ。こちらが禁句。どちらも重要だということ。ただ、禁忌は、たぶんもっとまずい。

 

ただこれらは当然、断言はしない。

 

断言すると、それが本当にそうかどうか試される感じがある。まだ証拠がないうちは、曖昧な書き方の方がいい。

 

次のページへ行く。

 

緊急時対応。

 

これは必要だ。必要というか、ここを決めておかないと、その場で焦って余計なことを言う。

 

想定は三つ。

 

これは橘シェリーでなく俺の問題だ。橘シェリーなら自然体だが俺が橘シェリーになりきらないと、ただの普通の人になってしまう。

 

・正体を疑われた

 

・怪力が暴走しそう

 

・監視が強まった

 

まず、正体を疑われたら。

 

答えは簡単だ。

 

もっと妖精さんになればいい。

 

理屈で押し返すのは危ない。まともに説明しようとするほど、余計なことを言う。だったら最初から「こいつ意味わかんない」で押し切った方が早い。変人に徹したほうが、相手も深追いしない。

 

次。怪力。

 

ここは書きながら嫌になる。

 

まず人から離れる。

 

近くに誰かいると最悪だ。掴んだだけで折れるかもしれない。押しただけで飛ぶかもしれない。そういう力を、「ある」と前提して動かなきゃいけない。何かしら必要なときにのみ使えるようにだ。

 

次に、物を壊して――と書きかけて止める。

 

駄目だ。

 

壊したら証拠が残る。

 

証拠が残る。監視が増える。

 

自由が減る。動きにくくなる。拷問でもされるかもしれない。次に詰んだとき、逃げ道がなくなる。

 

全部つながっている。

 

会社でやらかしたときと似ていた。一つの処理ミスが、午後の会議と夜の電話と翌日の謝罪まで全部引っ張る。あの感じだ。

 

じゃあ、怪力はどうする。

 

人から離れて、物も壊さず、感情も上げない。

 

そこまで考えて、結局書けたのは一文だけだった。

 

『感情を上げない』

 

最後。監視が強まったら。

 

ここは少しだけ早かった。

 

“従順に見せる”。

 

反抗は目立つ。目立つと記録される。記録されると次から扱いが変わる。だったら最初は頷く。頷いて、別の経路を探す。会社でやっていたのと同じだ。嫌な会議ほど、最初に否定しないほうが通りやすい。

 

鉛筆を置いて、ノートを見返す。

 

中身はだいぶ情けない。

 

でも、情けないくらいでちょうどいい気もする。立派なことを書いても、どうせ守れない。

 

ページの下に、少し大きめに書く。

 

『断言は禁止。未来は仮説。』

 

これだけは、たぶん大事だ。

 

未来を言い切った瞬間に外れたら、動けなくなる。

 

仮説なら、外れたときに修正できる。少なくとも、そう思っていた方がまだ動ける。

 

ノートを閉じようとしたところで、廊下の向こうから足音がした。

 

「シェリー、夕飯できたよ」

 

養母の声。

 

やわらかい。普通の家の声だ。

 

ノートを閉じる。

 

閉じた瞬間、さっきまで机の上で動いていた頭が急に止まる。部屋の静かさが戻ってきて、そのぶん、さっき書いた内容の薄さが目立つ。

 

この家の優しさは、危ない。橘シェリーにとって。問題なのは快適かどうかでない。環境があまりに良くなりすぎだ。

 

そこまで考えて、また止める。危ない、で済ませるのも雑だ。

 

俺は笑顔を作って、ドアを開けた。

 

「わあ〜! 名探偵シェリーちゃん、お腹ぺこぺこです〜!」

 

養母が笑う。

 

養父がテレビから顔を上げる。

 

夕飯の匂いが流れてくる。

 

嘘は、繰り返すと滑らかになる。

 

滑らかになったぶんだけ、何かが減っている気はする。するだけで、いまは深く考えない。考えたところで腹は減る。

 

席に座って、箸を取る。

 

「学校どうだった?」

 

「んふふ。初日から事件の匂いがしました〜」

 

「なにそれ」

 

「名探偵には分かるんです」

 

養父が苦笑する。

 

養母が味噌汁をよそう。

 

何でもない会話が、そのまま続く。

 

それを受け答えしながら、頭の端ではさっき書いたページがまだ乾いていない感じがしていた。

 

運用マニュアル。

 

大げさな名前だ。

 

でも、こういうしょうもない手順書でもないと、たぶん俺は途中で自分を忘れて、他の少女たちを助けたくなってしまう。

 

食卓の向こうで、養母が「明日、お弁当どうする?」と聞く。

 

俺は一拍だけ遅れて返事をした。

 

「名探偵用に、ちょっと多めでお願いします!」

 

笑いが起きる。

 

それで済む。

 

今は、それでいい。

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