原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第12話 屋上の薄い空気はきっとキミの匂い(傍観者:桜羽エマ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとっ!ヒロちゃん、探すの手伝ってくれて!」

 

 

「全く、こんなところにあったとは。次は気をつけてくれ。」

 

 

 「うん!」

 

 

 

ヒロちゃんと一緒なら、大丈夫。

 

そう思っていれば上手くいったのは、小学校の終わりまでだった。

 

困ったらヒロちゃんが前に出る。迷ったら、たいていヒロちゃんが決める。誰かに何か言われても、ボクが口を開く前にヒロちゃんが片づけてしまう。助かったことは多い。たぶん、本当に。

 

だから……ボクにとってヒロちゃんが全てだった。お母さんもお父さんも大事だ。でもヒロちゃんはそれ以上。内心では、友達や親友という言葉でその関係性を表現することに自信がない、そんな事実に目を瞑りながら。

 

そのたびに一つずつ、自分で立つ感じが、自分が生きているはずの現実が薄くなっていった。

 

ヒロちゃんと同じ、この中学に合格すれば、もっと一緒にいられると思っていた。

 

同じ制服。同じ校舎。同じ時間割。朝も帰りも、たぶん同じで済むはずだった。家族同士での交流もあったから家でも一緒にいられるかも。

 

だから必死で勉強した。思えば今のところ、人生で必死に勉強したのはあの時が初めてだった。

 

でも普段とは勉強する理由が違った。有名で頭がいい中学だから、ではなかった。頭の片隅にはあったかもしれない。でも本当は、ボクが今のままのボクであるために、それが勉強する理由だった。

 

だから合格したときの感情は不純だった。きっと誰よりも。けどそれでいいと思っていた。

 

 

 

違った。

 

入学式の次の日にはもう、ヒロちゃんはヒロちゃんで勝手に前へ行っていた。

 

「エマ、廊下は走らないで。危ない」

 

振り向くと、ヒロちゃんはもう“中学生の二階堂ヒロ”の顔をしていた。

 

背筋が伸びて、声がよく通って、先生に呼び止められても慌てない。小学校のころと同じ顔のはずなのに、同じ場所に置くと少しだけ硬い。近いのに、遠い。

 

「ご、ごめん。急いでて」

 

「急いでもいい。歩くんだ。転ぶから」

 

正しい。けど、

 

その言い方が、変に残る。

 

ボクは笑って流した。流したつもりだった。口の端だけ上げれば、だいたいの会話は丸く終わる。空気も、少しは丸くなる。

 

でも、丸くなったのは周りだけで、ボクの息は浅いままだった。

 

教室は静かだった。

 

静かなのに、目だけが動いている。誰と誰が話したか、どこに座るか、誰が先に笑うか。まだ何も決まっていないから、みんな慎重だった。慎重なときほど、小さい違いが目につく。

 

席は出席番号順で、ボクは窓際の真ん中。前の席の子が振り向いて言う。

 

「桜羽さんってさ、給食好きなんだっけ?」

 

「うん。好き。揚げパンとか」

 

「わかる、私も。」

 

ボクも笑う。

 

相手も笑う。

 

そこで一つ、引っかからずに済む。たったそれだけのことで、肩の力が少し抜けた。

 

でも、輪はまだできていない。できていないからこそ、誰が入りやすいか、誰が外れやすいかが先に決まっていく。

 

ヒロちゃんはすぐだった。

 

先生に名前を覚えられて、係の話を振られて、委員を頼まれて、いつの間にか人の中心にいる。周りもそれを自然だと思っている顔をしていた。

 

ボクはその輪に入れないわけじゃない。入ろうと思えばたぶん入れる。けれど、そこへ行くには「ヒロちゃんと昔から一緒」であることを説明しなきゃいけない気がした。そこにいくのはズルい気がした。

 

説明した瞬間、何かが固まる。

 

(……ボクのヒロちゃん、じゃないのに)

 

思った瞬間、自分で嫌になる。

 

ヒロちゃんは誰のものでもない。そんなの分かっている。分かっているのに、こういうときだけ小学校のままでいたくなる。

 

休み時間、ヒロちゃんの周りに人が集まる。

 

ボクは行かない。机の上の筆箱を開けたり閉めたりして、輪の少し外で笑う練習をする。

 

うまく笑えれば、嫌われない。

 

嫌われなければ、一人にはならない。

 

でも、一人じゃないことと、誰かと一緒にいることは、同じじゃなかった。

 

昼休み。

 

教室の空気が、食堂へ流れる足音でゆるむ。

 

「エマちゃん、一緒に行こ~」

 

さっき話しかけてくれた子が言う。ボクはうなずきかけて、ヒロちゃんの席を見る。

 

ヒロちゃんはもう教室の前にいて、先生に何か言われていた。説明を聞いている顔。まっすぐで、ちゃんとしていて、こっちを見ない。見られたら、たぶんボクはまたそこへ寄っていく。

 

「……うん。行こ」

 

笑って輪に入る。

 

ぬくもりはある。あるけど、薄い。冬用じゃない毛布みたいだと思って、変なところで自分に腹が立った。

 

列に並ぶ途中で、誰かが鼻をつまむ仕草をした。

 

小さい声が落ちる。

 

「……くさ」

 

誰のことか、わざわざ見なくても分かった。

 

視線が教室の端へ流れる。月代ユキ。机の上に小さな弁当箱。あの子だけ、一人分の音がする。ボクよりもずっと居場所がない子だった。

 

ボクは見ないふりをした。

 

見たら、何か言わなきゃいけない気がした。言ったら、輪が冷える気がした。輪が冷えたら、たぶんボクはまた外へ出る。

 

それが怖い。

 

揚げパンのことを思い出したのに、甘さの感じだけ抜けた。

 

放課後、ボクは先に帰ろうとした。

 

ヒロちゃんの帰りを待つのが嫌だった。待って、待って、最後に「先に帰って」と言われるのが、一番こたえる。置いて行かれる気がした。ボクの手からヒロちゃんが零れ落ちていく。

 

階段を上がって、屋上の扉の前で足が止まる。

 

立ち入り禁止のはずだった。けれど鍵はかかっていない。誰かが閉め忘れたのか、それとも生徒が壊したのか、最初からこうなのかは分からない。

 

分からないまま、ボクは押した。

 

風が強かった。

 

校舎の匂いが急に薄くなる。教室の目が届かない。それだけで、息の入り方が変わる。

 

そこに、ユキがいた。

 

フェンスの近く。背中を丸めて、空を見ている。小さくて、細い。制服の袖が少し余っているのに、立ち方だけ妙に固い。

 

ボクは息を止めた。止めたまま、少しだけ近づく。

 

「……月代ユキちゃん、だよね?確か、同じクラスの……」

 

呼んでから、自分でびっくりした。

 

教室で陰口を言われていた子。匂いがひどいとか、近くにいると虫が湧くとか、そういう酷い理由で。

 

声をかけるつもりはなかったのに、勝手に出た。名前を知っているのも変な感じだった。少し恥ずかしくて、少し嬉しい。

 

ユキちゃんが振り向く。

 

目が合う。怒っている顔じゃない。でも、すぐ近くには来ない目だ。

 

「……」

 

そこに声はない。何もないのに返事をもらったような気がした。その距離が、今は楽だった。

 

ここでは笑わなくていい。うまく返さなくていい。そう思っただけで、喉が少しゆるむ。

 

それに、聞いていたような匂いも何も感じなかった。

 

ボクはフェンスの近くまで行って、校庭を見下ろした。下では部活の勧誘が続いている。私も本当ならあそこにいたのかな。声が小さい。別の学校みたいだ。

 

「屋上、来たことあるの?」

 

「ありません。今日が初めてです」

 

ユキちゃんが頷く。

 

風の音を聞くみたいに目を細める。

 

ボクは言葉を探した。

 

ごめん、と言いたかった。昼休み。食堂。見ないふりをしたこと。いろいろ。

 

でも、謝った瞬間に全部そっちへ流れていきそうで、口が重い。謝る側だけが軽くなるのも違う気がした。

 

だから、別の言葉を探した。

 

「……ここ、息がしやすくないかな?」

 

言ったあとで、自分の声のほうが驚いていた。

 

これはたぶん本音だった。輪の中じゃ絶対に言わないやつ。

 

ユキちゃんは少しだけ笑った。

 

声は出さない。顔だけ。

 

「……そうですね」

 

それだけだった。

 

 

 でも、その短さのほうが助かった。大丈夫とか、平気とか、そういうのを返されるよりずっと。

 

 

 

  静寂に包まれた。

 

誰も何も言わない。校庭には誰もいなくて、ここだけしか世界は残されていないような。気分が変になった。

 

 

 

 「あの……もしよければボクと友達に…なってくれないかな!!!」

 

 

  言った瞬間に、しまった、と思った。 もっと、他に言葉はあったはずなのに。

 

 

 

遠くでチャイムが鳴る。

 

 

 

 

屋上まで届くと、音が薄い。そのくせ、終わりだけがはっきりしていた。

 

 

  「……いいですよ、エマ」

 

 だから返事が返ってくると思わなかった。

 

 

  嬉しかった。

 

 

ヒロちゃんと一緒なら大丈夫だと思っていた。

 

違ったのかもしれない。ヒロちゃんと離れるのが怖かっただけかもしれない。

 

そこまで考えて、やめる。言葉にすると、急に薄くなる。

 

ユキちゃんが前髪を押さえた。指先が少し震えて見えた。

 

 

  「エマは……」

 

 

  まだ続きがあった。今度はボクが返す番だと思っていた。違った。難しい。

 

 

 

「……エマは、やさしいです。やさしくて素直で善良で可愛い………」

 

「えっ?」

 

 

 

ユキちゃんはそれだけ言って、また前を向いた。

 

答えられなかった。

 

分からなかった。自分がどんな顔をしているのか。

 

 

ユキちゃんと知り合ってからまだ日は浅い。

 

正しい返事を探し始めた時点で、たぶん違う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

風は冷たい。

 

でも、教室にいるより息が入る。

 

ボクはその感じを覚えたまま、扉へ戻った。

 

下駄箱の前では、ヒロちゃんを待っている子たちがいた。アイドルみたいだ。

 

ボクはそこへ行かないで、校門の方へ歩く。外に出た瞬間、校舎の匂いがまた少し離れる。

 

駅前の小さな図書コーナーの前で、足が止まった。

 

ガラス越しに、青色の髪が見えた。

 

別の制服。分厚い本。周りの人は、近くの席が空いていてもそこへ座らない。

 

その子は気にしていないように見える。気にしていないふりにも見える。どっちかは分からない。

 

強い、と思った。

 

違うかもしれない。ただ、そう見えた。

 

声はかけない。そこまで手が回らない。

 

でも目だけで追ってしまう。ページをめくる指先が、一度だけ止まった。ほんの一瞬、力が入ったように見えた。

 

バレたくないのかもしれない。

 

何が、とは分からない。でもそういう感じだけはあった。

 

ボクは視線を外して、駅の方へ向かった。

 

背中が少し軽い。屋上の風がまだ残っている。

 

次は、見ないふりをしない。したくない。

 

そう決めたところで、すぐ怖くなった。決めたことは、あとでだいたい自分に返ってくる。

 

あの子はボクを優しいといった。それは嘘だ。

 

 

 

 

でも、今日の屋上で感じた……あの空気だけは嘘じゃなかった。

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