私は、曲がったものが嫌いだ。
廊下の掲示物が斜めになっているのも嫌だし、係の仕事をサボるのも嫌だし、誰かを笑って傷つけるのも嫌だ。見つけると、手が先に動く。直さないまま横を通ると、喉のあたりがずっと引っかかる。私の信じる間違いは正す。
正しいと思っているからだと思う。だが、私の正義が正しくないなら?
そこまで言って、やめる。たぶん、それだけじゃない。そう思っていないと、自分の立つ場所がずれる。
中学に入って一週間。クラスはもう、見えない順番を作り始めていた。
笑い声の中心がある。中心に近いほど言葉が強い。強い言葉は、だいたい離れた席へ飛ぶ。
月代ユキは、最初からそこにいた。
誰も「いじめている」とは言わない。いじめている人間はそう思っていない。他の言葉で正当化する。それを正義だと謳う。間違った正義だ。ただ少し離れる。理由を口にした瞬間、言った側が悪く見えるからだ。正義ではないという自覚が含まれる。
朝のホームルームで、先生が「班で配るプリントを後ろへ回して」と言ったとき、ユキのところだけ一度流れが止まった。
前の席の子が手を伸ばしかけてやめる。後ろの子が「そっちから回して」と別方向へ逃がす。たったそれだけのことなのに、見ていると妙に残る。
エマはそのたびに、小さく笑って埋めようとする。だが笑っても、止まった流れまでは戻らない。
昼前、女子の一人が小さく声を上げた。
「え、私の髪留め……」
ユキの机の上に、赤いリボンが置かれていた。
可愛い。目立つ。すぐ分かる。だからちょうどいい。
「近くにいたし」
「さっき触ってなかった?」
空気が結論へ向かって走る。
証拠がないとか、まだ確認してないとか、そういうことは途中で消える。
「待ってくれ。」
思ったより硬い声が出た。
みんなの目がこっちへ寄る。
「誰が最後に見たのか教えてほしい。」
問い返された女子は、答えながら目を泳がせた。周りはその目を“怪しい”と読む。でも、私には別のものに見える。責められることそのものより、輪の中からはじかれるのが怖い顔だ。
エマは隣で笑っていた。空気を丸くしようとしている。でも、丸くしたところで誰も動かない。
「順番に確認する。まず教室を探すべきだ。」
誰かが舌打ちした。
小さい音だった。小さいのに、空気がはっきり変わる。
「そこまでしなくても……」
「“そこまで”するのが当たり前だ。」
言い切った瞬間、やりすぎたかもしれないと思った。
でも止められなかった。
担任は困った顔をしたまま、私の言葉に従った。机の中。ロッカー。教卓の裏。教室のすみ。探す場所はたいして多くないのに、時間だけ長かった。
リボンはロッカーの奥の床に落ちていた。埃がついている。
「ありました」
私が拾い上げると、教室が一瞬だけ静まる。
そのあと、みんな一斉に逃げ道を探し始める。
「……じゃあ盗んでないじゃん」
「紛らわしいだけでしょ」
紛らわしい。
その一言で全部を事故にする。
ユキは何も言わない。担任は「よかったね」で流そうとする。そこで終わらせたくなくて、私はまた口を開いた。
「月代さんに謝るべきです」
数人が顔をしかめた。
誰かが「疑ったわけじゃなくて」と言う。
「疑いました」
教室の空気が、今度ははっきり冷えた。
そのとき、エマが私を見た。
助けて、ではない。やりすぎないで、に近い顔だった。
胸の奥が少し痛む。
エマは優しい。優しいから、輪を壊したくない。輪を守るために、誰かが端に押し出されることも、見て見ぬふりをする。調和を重視する姿だ。
そこまで思案し、今は違うと切る。今はそれを整理している場合じゃない。
授業が再開してからも、教室の温度は戻らなかった。
先生が板書を始めても、みんなノートを取る手つきが少し硬い。私の方を見ないようにしているのが、かえって分かる。
正しいことを言ったはずなのに、居心地が悪い。そういうのは初めてじゃない。それでも私はクラスの中心だった。
放課後、廊下でユキを呼び止めた。窓の外は雨の色をしている。
「さっきは……」
その先が出ない。
謝るつもりだった。でも謝ったところで、何が変わるのか自分でも分からない。
ユキは小さく首を振った。
いい、にも見えるし、どうでもいい、にも見える。
「ヒロが悪いわけじゃないですよ。」
言ってから、軽すぎたと思う。
正しい言葉の形をしている。形だけが先に立っている。
ユキは少しだけ笑った。
「ヒロは正しいことをしました。」
それだけだった。
褒められたわけじゃないのは、すぐに分かった。
私が立ち尽くしているうちに、ユキは先に行った。追いかけるほどの距離でもないのに、追えなかった。
何を言うかはいくつか思いつく。他のクラスメイトならそれで済む。しかしユキは別だった。私は彼女をまだ分かっていない。なら、エマには分かるのか?
正しい言葉で届かないとき、どうしたらいいのか、私はまだ知らない。
駅前で、転んだ子を見かけた。
私は反射で膝をつく。鞄が開きかけていて、中身が少し出ていた。こういうのは、考えるより先に手が出る。
「大丈夫? どこか打った?」
その時だった。
「大丈夫ですか~!」
どこからか私に向けた声が聞こえた。
驚いて後ろを振り向く。
誰もいない。
幻聴だろうか。
私としたことが....疲れているのか?
今日、私は同じことをした。
正しいと思う方向へ、教室の空気ごと押した。
だが今日のユキの件とは違う気がした。
違いがあるとしたら何だ。どんな前提条件だ。
関係性か?
そこを考えかけて、やめた。簡単な答えをつけると、あとでそれに寄りかかる。
転んだ子は立ち上がって、小さく頭を下げた。
私は「気をつけて」で済ませる。
誰かがその横で、まだ笑っていた。
違う。誰もいない。
変わった笑い方だった。
誰かを助けた後だからだろうか。私とは違う、助けても相手が寄りつきすぎない。そういう計算したような笑い。
正しさは、たぶん便利だ。
便利だから、見えなくなる。
空を見上げる。
今日はそれ以上、何も言えない。
もうすぐ雨が降る。
そんな天気予報を思い出したのはしばらくしてからだった。