原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第16話 友達と呼べない、そんな関係で

 

 

評判は、道徳よりも、正しさよりも重要になる時がある。

 

 

サッカーが下手なのに、怪我だと嘘をつき、試合には出ないで莫大な給料をもらい続けた選手が昔いたらしい。SNSがなかった時代の話だ。

 

 

 

 

 

評判は小さいコミュニティだと特に重要だ。

 

 

 

橘シェリーを演じつつ中学校の教室でどう過ごすかは二つしかない。空気に溶けるか、最初からラベルを貼られるか。

 

溶けた方が楽そうに見える。でも、あれは危ない。空気の一部になると、誰かが落ちるときに一緒に引っ張られる。中心に近いほど、その確率が上がる。

 

俺は外側を選ぶ。

 

施設で見た。真ん中にいるやつほど、壊れるとき派手だ。

 

「みなさーん、おはようございまーす!」

 

朝のホームルーム。教室の空気が一段だけ引く。

 

担任の眉が少し寄る。でも何も言わない。注意するには、こっちへ足を踏み入れないといけないからだ。先生たちも、そのへんはだいたい賢い。

 

授業中、当てられる。

 

「橘。ここ、答えて」

 

黒板の前へ出る。チョークを持つ。そこで一拍空ける。

 

間は便利だ。変なやつだという印象を自分で濃くできる。

 

「ふふ……名探偵シェリーちゃんの推理によりますと……答えはxです!」

 

一瞬だけ笑いが出て、すぐ消える。

 

クラスメイトは少し笑う。

 

正解。担任は「そうだな」で流す。

 

優秀な生徒であるべきでない。違う。できすぎても駄目。不良であるべきか。違う。できなさすぎても駄目。

 

“変で、そこそこ”が一番安全だ。

 

でも、橘シェリーの安全圏は自分で維持しないと崩れる。

 

だから休み時間も気を抜かない。椅子の引き方、立ち上がるタイミング、誰の目を見るか。普通の子が無意識にやっていることを、こっちは毎回少しだけ選んでいる。

 

隣の男子がシャーペンを落とした。

 

助けるのはいい。問題は、どう助けるかだ。

 

俺は机の下に潜って、大げさに探すふりをする。拾い上げたシャーペンを仰々しくその子に向け、掲げた。

 

「大丈夫ですか~!名探偵シェリーちゃんは人助けもしますよ!」

 

男子は困った顔で「ありがと」と言う。

 

周りは少しだけ距離を取る。悪意はない。ただ関わりにくいだけだ。会話の輪が、その分だけきれいに避けていく。

 

助けたのに、好かれない。

 

助けたのに、仲間に入れない。

 

妖精さん。言い得て妙だな。

 

でも、そのくらいならちょうどいいか。

 

昼休み、購買の列には並ばない。

 

押されるからだ。後ろから体重を乗せられると、反射で手が出るかもしれない。怪力が本当に危ないのは、こういうしょうもないところだと思う。殺意がある場面じゃなく、イラついた瞬間とか、びっくりした瞬間とか。橘シェリーは苦労しただろうな。

 

教室の端で弁当を食っていると、女子が一人寄ってきた。

 

悪意はない。軽い好奇心。いちばん扱いづらいやつだ。ただどこか勇気を出したのが分かる雰囲気。

 

「シェリーちゃんってさ、なんでそんな喋り方なの?」

 

ここで真面目に返すと失敗する。

 

俺は笑って、箸を揺らした。

 

「だって名探偵ですから! 名探偵はいつでも明るくですよ!」

 

女子は笑うか迷って、結局笑わなかった。

 

「へ、へぇ」とだけ言って去る。

 

それでいい。

 

会話が成立しない子、というラベルが少し厚くなる。成立しない会話は噂になる。噂は、触れなくていい理由になる。

 

午後の総合。班活動。前世でもやったが未だにあの時間の意義は曖昧だった部分がある。

 

最悪だと思った。

 

「橘さんも一緒に――」

 

委員長っぽい子が言いかけて止まる。視線が横へ流れる。誰かが小さく首を振った。こっちから見えない程度の排除だ。

 

見えないから便利なんだろう。

 

断られる前に、こっちから立つ。

 

「大丈夫ですよ!名探偵は単独行動が基本ですからね!」

 

班の連中は助かった顔をする。気まずいからだ。俺も内心で助かった顔をして戻る。

 

子どもとの関りは慣れない。どうしても大人の目線になる。大人の社会に慣れ切っていたせいだろうか。助けたくなる。聞きたくなる。向き合いたくなる。小学校からそうだ。牢屋敷での課題だろう。

 

だから、便利だな、と思う。

 

便利すぎる。

 

“変人”は、誰も責任を負わずに端へ置ける。置いた側も悪く見えにくい。俺はそこへ自分で座っている。

 

ただ、便利なものは使っているうちに形が馴染む。

 

そこは少し嫌だった。

 

放課後までに、もう一つ小さいことがあった。

 

後ろの列の女子二人が、俺のことを話していた。聞こえないくらいの声で話しているつもりで、半分くらい聞こえる。

 

「シェリーちゃんって面白いけど、でもさ、ちょっと優しくない?」

 

「いや、優しいっていうか……変」

 

「助けてくれるし」

 

「でもなんか、一緒にはいたくはないかな」

 

最後の一言が一番役に立つ。

 

一緒にいたくない。そこまで来れば、当面は安全だ。

 

その日は帰り道でも二回、小さいことがあった。

 

一つ目は、昇降口の前。

 

後ろの棚の上に置いてあった雑巾が落ちて、近くの女子のローファーを汚した。誰が置いたのか分からない。分からないまま、「やだー」で済まされる。ああいうのは便利だ。犯人が見えないほど、空気は勝手に標的を選ぶ。

 

ただ、見ていると分かる。標的は急に決まるわけじゃない。いつも少し前から、場所が空いている。誰が笑っても許されるか。誰に触れても冗談で済むか。そういう下準備が先にある。

 

俺はあれに巻き込まれたくない。だからラベルを自分で管理する。

 

二つ目は校門の外。

 

誰かが自転車のチェーンを外して泣いていた。

 

喉の奥が少し動く。

 

助けろ、と言う声と、近づくな、がだいたい同時に来る。

 

俺は先に近づく方を選んで、しかも大声でやった。

 

「おやおや〜? これは大事件ですねー! チェーンが外れるなんて大変です〜!」

 

ぽかんとする。

 

そこで感情的な慰めは入れない。入れると、相手はこっちに寄る。

 

見ればすぐに原因が分かった。

 

「ほら、ここ。チェーンを少し持ち上げて、ギアに引っかけて、ペダルを逆に回す。そう。はい、終わり〜」

 

後輩は「すごい」と言った。

 

その目が嫌だった。尊敬でも感謝でも、長く向けられると距離が詰まる。それは、

 

だから最後に、余計なことを足す。

 

「でも次は自分でやらないといけませんよー! 名探偵は難事件じゃないといけませんから!」

 

後輩の顔が少し曇る。

 

それでいい。良くはない。でも、そのくらいで止めておく方が、あとで面倒が増えない。

 

帰り道の途中、コンビニの前のガラスに自分が映った。

 

制服、虫眼鏡、青い髪。だいぶ板についてきた気がする。

 

家に着く前に、図書館の外を回る。窓際の席が見える時間帯だ。今日は混んでいる。空席は少ない。その中で、ちゃんと避けられて空いている席が一つある。そういうのを見ると、自分のやり方は間違っていないと思う。

 

帰宅すると、養父母が「おかえり」と言う。

 

夕飯の匂いがする。味噌汁。焼いた肉。揚げ物。普通の家の音と匂いだ。

 

それに慣れてきているのも、半分良くて、半分まずい。

 

夜、ノートを開く。

 

・助けた(ただし距離は詰めていない)

 

・班から外れた(自発的排除で処理)

 

 

 

・“会話が成立しない子”を維持する

 

・好意を持続させない

 

そこまで書いて、手が止まる。

 

今日の俺は、わりとうまくやった。

 

それはいい。

 

問題は、そのやり方がもう少しで自然になりそうなことだ。

 

最後に一行だけ足す。

 

『演技が、少し楽になってきた』

 

書いてから見返す。

 

嫌な感じがした。

 

楽になるのは危ない。

 

危ないけど、やめない。

 

 

 

ページを閉じる。閉じた瞬間、部屋の静けさが戻る。

 

それでも、明日の教室で何を言うかはもうだいたい決まっていた。そういう意味では、本当に楽になりつつあるのかもしれない。

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