目覚めは最悪だった。
夢を見た。
暗い廊下。閉ざされた扉。泣き声。振り下ろされる拳。
飛び起きる。
「……俺じゃない」
呟いた瞬間、自分で違和感を覚える。
"俺"?
違うだろ。今は橘シェリーだ。
袖を通す。鏡の前で髪を整える。しばらく練習した。最初は慣れなかったが、時間はたっぷりあった。まさか自分が、大学院ならまだしも小学校に通うことになるとは想像すらしていなかった。
学校へ向かう道すがら、周囲の視線を感じる。
事件は公にされなかった。ただ、事件とは関係なく施設のいくつかの不祥事が発覚して、俺たちは別の施設に移ることになった。あの夜のうちに、賄賂の証拠になりそうな資料を見えないところに隠しておいたのが功を奏した。シェリーが持っていた情報を、俺が使った。
転校かと思っていたが、近場なので通える距離らしい。学校側からは、事件のアレコレが落ち着くまでの間、登校しなくていいと言われた。しばらく休んだ。
好奇。警戒。わずかな恐れ。
それが分かる。
彼女は、孤立していた。
改めて思う。本当に、小学校に通うことになるとは。
校内を一通り回ってみたが、原作キャラは誰一人いなかった。それより驚いたのは、クラスの全員が蛍光色に近い髪と目の色をしていることだった。一瞬美大でも来たのかと思い、帰ろうか迷った。よく考えたら13人全員が違う学校に通っているのが自然か。日本全国から集めるだろうし。
学校生活は、特に問題なかった。
「えー、そうなんですか〜!」「名探偵シェリーちゃんに言わせてもらうと……」
これで大体事足りる。話しかけてくる人は少ないし、少ない方が楽だ。こんなにキャラが強くてズレた感性でいいのかとたまに不安になる。元のシェリーの記憶でもあれば参考にできるのに。
授業中は、彼女の残したノートを読んでいた。授業のノートは真面目に取ってある。それとは別に、ミステリ小説の内容をまとめたノートがあった。事件の概要、登場人物、推理の手順、証拠の一覧。図書館で借りた本をもとにメモしたのだろう。お小遣いもなく、スマホもなかっただろう。彼女はずっとミステリを読んでいた。
放課後、ひとりで帰路につく。
涙が出た。
なぜだろう。
一人で寂しい。そういう理由の方が良かった。
夕焼けが赤いのだ。
これほど早い時間に夕日を見るのは久しぶりだ。
綺麗だ、と少し思った。周りの同級生はゲームだのアニメだのスマホだので盛り上がっていて、空なんて見ていない。
夕日か。
瞬間、先日の事件がフラッシュバックした。
倒れる職員。血の色。叫び声。悲鳴。
どれも昨日のことのように鮮明だった。
「あと、8年か9年……」
原作が始まる。魔女裁判が始まる。俺はそこで推理をするか、追い詰められるか。どちらもやるのかもしれない。
だが、もし。
俺の存在が原因で未来が変わるなら。犯人が変わるなら。
――俺の存在が、罪なのではないか。
全ては無駄になるのか。
立ち止まる。笑う。
「はは……名探偵が自分を疑ってどうするんだよ」
高くて可愛い声には似合わない口調。そうだ。
俺は演じる。最後まで。本物以上に橘シェリーを。嘘も貫けば真実だ。たとえその先に待つのが断罪でも。
再び、歩き出す。
奪った名探偵として。偽物の名探偵として。裁かれる日まで。
だからさ、今は休んでいても、必ず帰ってきてくれよな。
……橘シェリー