原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第26話 友だちは地図から生えてこない(傍観者:氷上メルル)

 

 

私は、何百年ものあいだ、同じ事を繰り返し続けてきた。

 

確かなことがある。

 

泣くのは、そんなに難しくない。

 

悲しい時だけ泣く人間の方が、たぶん少ない。

 

怖い時。困った時。相手を止めたい時。涙にはだいたい無数の理由がある。

 

だから今もメルルは、少しだけ泣き声の質を混ぜながら話している。完全に演じるのではなく、本物の怖さに少しだけ乗せる。全部芝居だと相手は気づく。全部本物だと自分が壊れる。その間が一番長持ちする。芝居の仕方は全部自分で身につけたものではない。真実と嘘を混ぜるのが一番いいやり方だと、大魔女様は教えてくれた。

 

 

 

白い廊下も、冷たい石壁も、ゴクチョーとのやり取りも、全部気持ち悪い。看守はもっと気持ち悪い。慣れない。繰り返してきているはずなのに、胃の奥がひやっとする感じが、ずっと消えない。

 

メルルはこういう場所が苦手だ。閉じ込められるのも、見られるのも、先が見えないのも、見えなくするのも、全部苦手だった。苦手だったからこそ、どうすれば人を動かせるかを学んでいった。

 

誰の隣にいればいいか判断するのが上手かった。

 

選んだのはエマだった。エマは優しい。弱いものが近くにいると、ちゃんとそっちへ意識を向ける。皆が心を許したくなる。そんな雰囲気が彼女にはあった。

 

ハンナは綺麗だけど距離がある。ヒロは正しいけれど、正しい人間は壊れた時が怖い。ミリアは柔らかい。柔らかい人は、折れるまでが早いこともある。

 

だから結局、エマの近くが一番だった。

 

「メルルちゃん、大丈夫?」

 

やっぱり声をかけてくれた。

 

すでに、少女たちはラウンジから出ていく。施設見学が始まっている。

 

「……は、はい」

 

細い声で返す。震えを少しだけ残す。全部止めると変だし、出しすぎても変になる。

 

その時、エマの腕に小さな傷があるのに気づいた。

 

「……えっ、え、エマさん……その傷、どこで……」

 

「あっ、これ? 大丈夫だよ、たいしたことないから」

 

「だ、大丈夫じゃありません!」

 

メルルはエマの腕に手を当てた。治癒の魔法をかける。傷口がゆっくり塞がっていく。エマの肌が元の状態に戻る。

 

「わ……す、すごい……」

 

「た、たいしたことはできないんです……エマさんの傷を止めるくらいしか……」

 

メルルは目を伏せた。こういう時は、大げさに照れるより控えめに見せる方が好感を持たれる。

 

エマはそれ以上、無理にメルルを励まさなかった。そこがいいところだ。優しい人は、たまに優しさを押しつけに変える。エマはまだそこまでいっていない。

 

 

 

気になっていた人物がいた。橘シェリーだ。

 

笑顔が引っかかっていた。

 

明るい。変。敬語。全部が少しだけ作り物のように違和感がある。

 

外側のキャラ付けは雑ではない。むしろ上手い方だ。でも、笑う順番が変だった。

 

人より先に建物を見ている。悲鳴より先にカメラを見ている。怖がる代わりに、怖いものの位置を見ている。

 

あれは、ただ変な子というだけでは少し足りない。

 

「シェリーちゃんって……なんか不思議だよね」

 

エマが小さく言う。

 

「変わっていると言うか、落ち着いてるっていうか」

 

落ち着いている、ではない。

 

優先順位をつけるのに慣れているのだろうか。怖いものの中で、何を先に見れば損をしないか知っている目。

 

「………そう、ですね……」

 

メルルは曖昧に頷いた。

 

その時、スマホの通知音が鳴った。ゴクチョーからだ。

 

『立入可能エリアはスマホの魔女図鑑をご覧ください。禁止エリアに勝手に入ると、看守が対応いたします』

 

「対応」という言葉が嫌だった。柔らかいのに、意味だけが硬い。

 

「対応って、何されるんだろ……」

 

エマが不安そうに言う。

 

「試してみる気は起きませんね!」

 

シェリーが明るく返す。ラウンジを出たはずなのに、いつのまにか戻ってきていた。

 

「だってシェリーちゃん、まだ死にたくありませんから! できれば老衰コースが希望です!」

 

ラウンジに残っていた何人かが変な顔をする。でも、メルルには分かった。

 

今の軽口は、場を和ませるためでもあるけれど、自分を落ち着かせるためでもある。

 

怖がらない人じゃない。怖がる様子を、人に見せないだけだ。

 

 

 

見学が始まってからも、その違和感は続いた。

 

食堂へ入った瞬間、シェリーはまず窓を見た。次に椅子の重さと床の排水溝。そのあとでようやく「わあ、素敵な食堂ですね! 名探偵の捜査もはかどりますっ!」と言った。

 

洗濯室では、投入口を見た瞬間に表情が少しだけ止まった。でもすぐに笑って、「これを私たちが使えないのはもったいないですよねえ」と軽く流した。

 

他の部屋もそうだった。怖がっているのではなく、すでに使い道を考えているみたいな目をする。

 

それが、メルルには少し怖かった。

 

「シェリーってさ」

 

歩きながらココが言う。

 

「ビビってるくせに、ビビり方が変だよな」

 

「おやおや。ココさん、私のことをよく見てくれてますね!」

 

「見たくて見てるわけじゃないっつーの」

 

ここの返しは刺々しい。でも、言っていることは間違っていない。

 

エマが困ったように笑う。

 

「でも、シェリーちゃんがいてくれるとちょっと助かるよ」

 

その一言で、シェリーの笑顔がほんの一拍だけ遅れた。

 

「そ、そうですか〜。それはどうもありがとうございます!」

 

遅れた。

 

たぶん、あの子は、優しくされるのが苦手なんだ。優しさを返す形は知っていても、向けられると置き場が分からない。

 

メルルは、その瞬間だけ少し安心した。意外と普通の人間だ。完璧に見えるものより、そういう小さい不器用さの方が人間っぽい。

 

けれど、その安心も長くは続かなかった。

 

図書室の前を通った時、ナノカが立ち止まる。壁、窓、廊下の曲がり方を見ている。シェリーも一緒に立ち止まる。でも、同じものを見ていても二人は少し違う。

 

ナノカはこの部屋の構造を見ている。シェリーは構造が事件が起きた時、人にどう使われるかを見ている。

 

それが分かった瞬間、メルルはまた少しだけ冷えた。この子は、たぶん事件が起きる前から、事件の起こり方を想像している。

 

「メルルちゃん?」

 

エマがまた声をかけてくれる。

 

「あ、す、すみません……」

 

「謝らなくても……ぼーっとしてた?」

 

「は、はい、ちょっと……」

 

本当は違う。考えていた。橘シェリーの、明るい敬語の奥にある何かを。

 

あの子は怖い。でも、こわい、のとは少し違う。うまく言えないけれど、「場違いな匂い」がある。人間として、じゃない。この牢屋敷に置かれた時の反応として、少しだけ。

 

それが何かはまだ分からない。分からないままの方がいい気もした。

 

 

 

見学が終わり、ラウンジへ戻った時には、全員が少しずつ疲れていた。

 

エマは気を張りすぎて目が疲れている。ミリアは和ませようとして逆に消耗している。ヒロは苛立ちを押し込めている。ハンナは綺麗であろうとしているが、その理由が分からない。ナノカは一人で何かを納得させようとしている。ここは全部を茶化すことで距離を取っている。

 

アリサは威圧的に振る舞って遠ざける。

 

マーゴは

 

「ウフフ」

 

と笑いながら、全員のことを観察している。誰かに話しかけるようで、実際には誰とも目を合わせない。あの笑い方は、柔らかい場所に刃を隠している人間の笑い方に近い。

 

ノアは「のあ、ここの棚の配色が気になる」と言いながら一人で壁を眺めていた。

 

アンアンはスケッチブックを開いて、メルルが横に来ると、スケッチブックに一言書いた。

 

「(うむ、この部屋に、人が隠れられる場所は何箇所あるか)」

 

メルルは小さく息を止めた。

 

「わ、わかりません……」

 

アンアンは頷いて、また描き続けた。

 

そしてシェリーは、まだ笑っていた。ずっと笑っている。それが余計に、嘘っぽい。

 

でも、とメルルは少しだけ思う。

 

今この中で、最初に壊れないために一番必死なのは、案外あの子かもしれない。

 

怖いのは本物。でも、怖いものを前にした時ほど、人の本当の形は見えやすい。

 

そういう意味で言えば、橘シェリーは最初から、少しだけ形がおかしかった。

 

だからこそ、目が離せなかった。

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