見学を許された範囲は広く見えて、実際には狭かった。
ラウンジ。食堂。浴場。洗濯室。医務室前。
どれも生活に必要だが、必要以上の自由だけ綺麗に削ってある。
最初に案内された食堂は、洋館じみた内装のわりに、妙な実用性が目についた。
壁がやけに厚い。床の排水溝が目立つ。長机も椅子も、見た目よりずっと重い。
食べる場所というより、何かを処理するついでに食事機能を貼り付けたみたいな空間だった。
「わあ〜。素敵な食堂ですね!」
俺は明るく言ってから、すぐ付け足す。
「……なんだか、ずいぶん掃除しがいがありますね〜」
「同じこと思いましたわ!」
ハンナが勢いよく頷いた。
「汚れても困らない構造というか……なんか、あれじゃないですの? 食べる場所っていうより……もっと、えっと、こう、何か別の用途が?」
「でも食堂で汚れるって食べこぼしくらいじゃね?」
アリサが面倒くさそうに言う。
「普通はそうですねえ〜!」
俺は笑う。
「ですがここは普通の共同生活施設には見えませんので! 事件が起きる前提の設備に見える場所で、事件の起こり方を考えないようにする方が難しいですから!」
ヒロが不快そうに眉を寄せる。
「不謹慎だろう」
「現実的、といってほしいですぅ〜」
俺は肩をすくめた。
その言葉でエマが少しだけ顔を伏せた。まずい。早い。裁判の話は、まだ空気が硬い。
ミリアが慌てて割って入る。
「ま、まあまあ! 食堂なんだから、今は美味しいご飯が出るかどうかだけ考えようよ、ね?」
「ボク、あんまり食欲ないかも……」
エマが弱く笑う。
その笑い方が嫌だった。大丈夫じゃない時の、大丈夫なふりの笑い方だ。
ゴクチョーの通知がそこで割り込んだ。
『食堂の利用は決められた食事の時間帯内に限ります。食器の持ち出しは禁止。破損行為、投擲行為、あるいは食事の残飯を意図的に散乱させる行為はお控えください』
「最後のやつ、具体的すぎない?」
ここが言う。
『前例があったのかもしれませんねえ』
ゴクチョーは気の抜けた声で返す。
『あるいは、今後のための注意喚起かもしれません』
今後のため。嫌な言い方だ。まだ何も起きていないのに、起きたあとの処理だけ先に用意されている感じがする。
次に向かった洗濯室は、食堂よりさらに露骨だった。
壁際に大きな回収箱があり、金属の投入口がぽっかり口を開けている。白いタイル。排水。換気口。清潔なのに、妙に冷たい。
「おや〜。便利な穴ですね!」
俺が蓋に触れると、ナノカがすぐ隣へ来た。
「危ないわ」
「おや、失礼いたしました!」
「触るな、じゃなくて。……音、聞いて」
ナノカが先に投入口の蓋を軽く叩く。鈍い音がして、それが長く落ちていく。深い。かなり深い。
「遠い」
ナノカが言う。
「下に空間がある」
「洗濯物を落とすにしては、やけに本格的ですね〜」
俺は笑ったまま答える。
「業務用大型ランドリーでもぶら下がっているんですかね?」
「違うと思う」
ナノカは壁の継ぎ目を見ながら言った。「落とすためにしては高さが、変」
ココが覗き込む。
「は? 何それ。やめて。嫌な想像しかしないんですけど」
「想像で済めばいいんですけどね〜」
思わず出た本音に近い言葉で、メルルの肩がびくっと跳ねた。
「ご、ごめんなさい、メルルさん。今のはあまり優しくありませんでしたね〜!」
「……い、いえ」
メルルは首を振る。でもその顔には、怖いものを怖いと認める子の色が出ていた。
医務室前は鍵が閉まっていた。
扉のガラス越しに見えるのは白い棚と診察台の端だけ。消毒液の匂いが廊下まで漏れている。
「医務室は自由に使えないんだ」
エマが言う。
どうやら一度に使えるのは病人と付き添いの2名までのようだ。
ハンナは扉を見ていた。
「鍵の形式、監房やラウンジと違いますわね!」
「ええ。医務室だけ別系統っぽいですね〜」
俺は言う。「中に入れる人間をかなり絞っている感じがします」
「人間、ねえ」
マーゴが小さく言った。その一言で、さっき見た看守の輪郭が頭に戻る。
次に確認した浴場は、妙に広かった。
湯船の広さのわりに、隠れ場所は少ない。鏡は多い。床は滑りやすい。湿気がこもる。音が響く。
事故も、転倒も、口論も、全部起きやすい。
「ここ、嫌ですね〜」
俺が言うと、レイアがすぐ返す。
「珍しく率直だね」
「率直でなくても嫌なものは嫌ですから! 視界が悪く、床が滑り、逃げ道も少ない。素敵な事故現場候補ですから〜」
「だからそういうこと言うなって」
アリサが吐き捨てる。
「でも」
ナノカが湯船の縁を見ながら言う。
「言ってることは間違ってない」
ヒロがそれを聞き、険しい顔になる。
「事件を前提に行動するのは、かえって誘発する危険があるだろう」
「逆ですよ〜!」
俺は答えた。
「起こり得る事故の形を知っておいた方が、少なくとも初動で死ににくくなりますから!」
「そんなものは、誰かが率先して覚えなくても――」
「率先して覚える人間がいないと、最初に死ぬのはだいたい優しい人か、正しい人ですよ〜!」
言った瞬間、浴場よりさらに冷たい沈黙が落ちた。
エマが目を丸くする。ヒロの顔が固くなる。ミリアは何か言おうとして、やめる。
ハンナが
「ぐ……」
と何か言いかけて止まった。反論したいが言葉が出ない顔だ。
言い過ぎた。だが、撤回しても遅い類の言葉だった。
その時、スマホに通知が入る。
『言い忘れておりました。衣類は毎日回収箱へ。不要物は廃棄口へ。焼却炉にて燃やされます』
「焼却炉?」
エマが顔を上げる。
『清潔は大切ですので』
あっさりとした返答。清潔のためだけじゃない。誰だってそう思う。
「全部、処理するための道具みたいですねえ〜」
俺は笑ったまま言う。今度は誰もすぐ反論しなかった。
投入口。焼却炉。懲罰房。鍵付き医務室。広すぎる浴場。出口を塞ぐ看守。
この屋敷は住まわせるための場所ではない。管理し、違反を処理し、必要なら消すための場所だ。
ルールそのものより、その運用の方に牙がある。
見学を終えてラウンジへ戻る途中、俺は一度だけ後ろを振り返った。
看守は一定の距離を保ったまま、ずっとこちらを見ている。追い立てるでもなく、放っておくでもない。歩幅も立ち位置も、きっちりこちらの可動域だけを削る場所にいる。
あれを見ていると、自由時間という言葉の意味が分からなくなる。時間だけが自由で、行動は最初から囲われている。
「ねえ」
エマが小さく言う。
「もし、本当に誰かが死んだら……ボクたち、ちゃんと犯人を見つけないといけないんだよね」
誰もすぐには答えなかった。ラウンジへ戻る階段の途中で、足音だけが上に響く。
「見つけないと、っていうか」
ココが先に口を開く。
「見つけられなかったら、誰か一人を生贄にしてでも終わらせろ、ってルールだろ」
「ココちゃん……そういう言い方は……」
ミリアが眉を下げる。
「だってそうじゃんか」
ここは肩をすくめた。
「真犯人じゃなくてもいいって言ってたし。時間かけすぎたら勝手に吊られるんでしょ。まともな裁判じゃないし」
「裁判の形をした処理手順、ですね〜」
俺は言う。ヒロが不機嫌そうにこちらを見た。
「それでも、真相を明らかにする努力は必要だ」
「ええ、もちろんです!」
俺は軽く頷く。
「ただ、真相に届く前に空気が誰か一人を犯人にしたがる可能性も、頭に入れておかないといけませんから〜!」
それは、自分に言い聞かせるための言葉でもあった。
推理を外すことより、推理が間に合わないことの方が、このゲームではたぶんずっと怖い。
ラウンジへ戻ると、誰からともなく席へ散っていった。
さっきまでいた場所へ戻る者。さっきとは違う位置を選ぶ者。それだけで、見学の前後で少しだけ人間関係が動いたと分かる。
ナノカは窓際へ行った。景色ではなく外壁の継ぎ目を見ている。
エマはミリアの近くへ自然に寄る。
メルルはエマに寄りたいのを一瞬ためらって、それから結局、少し離れた位置に座った。
ヒロは相変わらず出口が見える席を取る。
ハンナだけが、座る前にラウンジ全体を一度だけ見回した。お嬢様らしく振る舞おうとしている姿と、こっそりエスケープルートを確認している目が、全然かみ合っていなかった。
ノアは棚の前をふらふら見て回っている。「ここの飾り付け、昨日と変わってるよ?」と言ったが、誰も気に留めていなかった。
否、アンアンだけがスケッチブックを抱え、ノアの相手をしている。
マーゴは全員を眺めながら「まあ、なんとかなるんじゃないかしら。ウフフ」と言って誰とも目を合わせなかった。何かが落ち着かなくなる種類の笑い方だった。
「では、初日の施設確認としてはこんなところですかね〜!」
俺は明るく両手を合わせた。
「娯楽室でも見に行きましょうか!」
「どういうテンションなんだよ」
アリサが言う。
「テンションを保たないと沈む方が早いですから!」
それは冗談の形をした本音だった。
初日でこれなら、二日目以降はもっと簡単に死ぬ。
見学は終わった。けれど、あれは施設の案内ではなく、死に方の見本市に近かった。
この屋敷は最初から、バッドエンドのルートだけが妙に親切にできている。
そのことが、帰ってきてからもずっと腹の底に残っていた。