原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第28話 スコープ越しの歪んだ景色(傍観者:黒部ナノカ)

 

 

 

黒部ナノカは、人より先に構造を見る。

 

ラウンジの窓。廊下の死角。監房の並び。階段の角度。隠れ場所。逃走路。。

 

 

 

見学を終えてラウンジへ戻ったあとも、ナノカはずっとそのことを考えていた。

 

食堂の排水。洗濯室の投入口。医務室の鍵。浴場の広さ。

 

どれも単体なら不気味で済む。だが、全部が同じ建物の中に揃っていると、意味が変わる。

 

ここは住まわせるための屋敷じゃない。管理し、隔離し、必要なら処理するための箱だ。

 

 

 

 

 

 

夕方、他の連中がラウンジで空気を作っている間、ナノカは一人で廊下へ出た。

 

群れるべきではない。しかもこういう場所では、誰かと一緒にいることでむしろ見えなくなるものがある。

 

上階の窓際。曲がり角。海側へ伸びる通路の行き止まり。

 

足音を殺しながら、一つずつ確かめていく。床板のきしみ。風の入り方。壁の厚み。冷気の流れ。

 

案の定、いくつかおかしい場所がある。

 

ひとつは、海側へ近い壁の一角だけ、空気が少し冷たいこと。外気の冷たさではない。もっと機械的な冷え方だ。

 

もうひとつは、洗濯室で見た投入口が、屋敷の見た目上の構造よりかなり深そうだったこと。

 

そして最後に、看守の動線。あいつらは見張っているようで、ただ巡回しているだけではない。通らせたい道と、通らせたくない道をちゃんと分けている。

 

「……やっぱり変ね」

 

誰に聞かせるでもなく呟く。

 

その時、廊下の先で何かが擦れる音がした。

 

ナノカは立ち止まる。すぐには動かない。音の正体が人か、看守か、機械か、それを決めてから動く方がいい。

 

引きずるような重い音。規則的で、体温がない。

 

看守。

 

ナノカの背中に、昼間の嫌な感覚が戻る。頭より先に身体が理解する。あれは真正面から相手にするものではない。隠れ場所。死角。距離。手近な扉。瞬時に全部を測る。

 

「おやおや。内見の続きですか〜!」

 

後ろから声がした。橘シェリーだった。

 

笑っている。昼からずっとそうだ。明るい。敬語。変。

 

だが、その目だけはちゃんと廊下の奥を見ている。

 

「散歩」

 

ナノカは短く答える。

 

「素敵な趣味ですね! おすすめはしないですけど!」

 

「そっちも」

 

「シェリーちゃんも散歩ですよ〜!」

 

軽い。軽いのに、視線は音の方から一度も外さない。

 

その時、廊下の奥に"いた"。

 

人の形。だが、人間じゃない。

 

ぼろぼろの黒衣。仮面。異様な大きさ。歩幅。肩の揺れ方。近づいてくるだけで、逃げ道の数を減らす存在。

 

看守。

 

ナノカはその場で、身体が理解した。頭より先に、隠れ場所と距離を計算した。戦うのではなく、避ける相手だ。

 

シェリーの笑顔が一瞬だけ消えた。

 

「戻りますよ」

 

短い。敬語はそのまま。でも温度だけ落ちた。

 

ナノカは頷く。こういう時に意地を張る意味はない。二人で一歩下がる。

 

看守は追ってこない。ただこちらの退避を見届けるように立っている。それが余計に気味が悪い。縄張りを示す獣に近い。

 

 

 

 

 

 

監房前まで戻ってから、シェリーが小さく息を吐いた。

 

「……想像していたより悪いですね〜」

 

「知ってたの」

 

「まさか。嫌な予感が当たっただけですよ〜!」

 

少しだけ間。

 

「エマさんには柔らかく言った方がいいですね。ヒロさんには事実だけ。アリサさんには多少盛っても伝わりますし。それぞれ対応を変えた方がよさそうです!」

 

妙に具体的だ。人を分類する順番が早い。

 

ナノカはその横顔を見る。

 

「……あなた、変」

 

ナノカが言うと、シェリーはまた笑った。

 

「学校では、妖精さんって言われたことがありますよ〜!」

 

「そういう意味じゃない」

 

「でしょうねえ〜」

 

それだけで終わる。だが、ナノカはそのまま引き下がらなかった。

 

「人を、最初から役割で見てる」

 

「役割?」

 

「桜羽エマはこう。二階堂ヒロはこう。そうやって先に置いてる」

 

シェリーの目が、ほんの少しだけ細くなる。図星だったらしい。

 

「観察の一環ですよ! 名探偵ですので!」

 

「便利そう」

 

「ええ、とても!」

 

「でも外す」

 

ナノカはそう言って、看守が消えた廊下の方を見る。「構造は変わらないから外れない。でも、人は外れるもの。」

 

シェリーは今度、すぐに返さなかった。軽口を探しているのではない。言うべきことと、飲み込むべきことを分けている間だ。

 

「……耳が痛いですねえ〜」

 

ようやく出てきたのは、少し遅い笑いだった。

 

ナノカはそれで確信する。この子は名探偵ではない。少なくとも、自分が何でも見抜ける側にいるとは思っていない。むしろ逆だ。外すことを怖がっているから、役割で仮置きしている。

 

そこまで分かると、さっきまでの違和感の形が少し変わった。

 

場違いなのは確かだ。でも、人間じゃないわけではない。違う世界から来たみたいな反応をしているだけで、怖がり方自体はたぶん普通だ。

 

 

 

 

 

 

ラウンジへ戻ると、空気はまだ硬かった。

 

エマがミリアの近くで小さく笑っている。笑っているが、元気ではない。ヒロは本を読むふりをして周囲を見ている。ここはソファに沈み込んだまま全員の気配を拾っている。メルルはエマに寄りたいのをためらっている。マーゴはひとり壁際でウフフと笑っている。ノアは棚の裏側を覗き込んでいる。

 

ナノカはそのまま窓際へ行った。外の海を見たいわけじゃない。窓枠の厚みと、外壁との継ぎ目を確かめたいだけだ。

 

「ナノカちゃん、何見てるの?」

 

ミリアが気軽に聞いてきた。

 

「壁」

 

「えっ」

 

「……た、たしかに、そういうとこ見てそうだねえ」

 

ミリアは困ったように笑った。エマも少しだけ振り向く。

 

「何かわかったのかな?」

 

「まだ。でも、ここは変ね」

 

「それは全員思ってるんじゃね?」

 

ココが言う。

 

「そういう変じゃない」

 

ナノカは窓枠を指先で叩いた。

 

「この屋敷、見せたい形と本当の形が違う」

 

ラウンジが少し静かになる。言葉の意味がすぐには伝わらなくても、嫌な感じだけは伝わる。

 

「見せたい形、ですか〜?」

 

シェリーが聞き返す。目は真面目だ。

 

「豪華な館。共同生活。一見すると安全な部屋。そう見せてる」

 

ナノカは順に言う。

 

「でも実際は、監房、懲罰房、投入口、焼却炉、看守。処理する構造が多い」

 

エマが目を伏せる。ヒロは反論しない。

 

「最悪」

 

ここが低く吐いた。

 

「まあ〜。それはつまり」

 

シェリーが軽く手を合わせる。

 

「素敵な共同生活施設ではなく、非常に洗練された事故現場候補、ということですからね〜!」

 

「まとめ方が終わってんな」

 

「でも合ってる」

 

ナノカは言う。

 

そこで、ラウンジの照明が一瞬だけ揺れた。

 

全員が反射で天井を見る。何も起きない。すぐ戻る。

 

だが、たったそれだけで、部屋の空気がまた少し悪くなる。

 

 

 

 

 

この屋敷はそういう仕組みだ。

 

人の神経を少しずつ削る。大事件が起きる前に、小さい不安を何度も差し込む。選択肢を間違える以前に、判断力そのものを鈍らせる。

 

ナノカはそれを理解していた。だから一人で確かめに行く。人に合わせると、微細なズレが見えなくなるから。

 

その前、夕食のあとにも、ナノカは一度だけ単独で動いていた。

 

B1へ近い踊り場まで行ったのだ。理由は単純で、昼に見た看守の巡回が気になっていたから。

 

地下へ近づくほど、空気が少し重くなる。潮の匂いに混じって、金属と薬品の気配が強くなる。

 

ここは少女たちが生活する場所ではなく、少女たちを置いておく場所だ。

 

ナノカは通路の角でしゃがみ、床を指でなぞった。擦れた跡。重いものを引きずったような筋。古いものもあるが、比較的新しいものも混じっている。生活の痕ではない。運用の痕だ。

 

その時、遠くで誰かの話し声がした。エマとミリアだ。

 

「ボク、ちゃんとできるかな……」

 

「大丈夫、大丈夫。……いや、大丈夫じゃないけど、なんとかなるよ!」

 

何をするつもりなのだろうか。

 

ミリアの声は柔らかい。柔らかい声ほど、こういう場所では折れるのが早いとナノカは思う。

 

ナノカはそこで立ち上がった。それ以上聞く気はない。他人の感情線より、建物の嘘の方がまだ信用できる。

 

戻ろうとした時、別の足音がした。ヒロだ。

 

「……一人で何をしている」

 

「.....見てた」

 

「単独行動は避けるべきだと言ったはずだ」

 

「そうね」

 

「なら何故」

 

「気になったからよ」

 

ヒロはさらに不機嫌な顔になる。正しさの人間は、説明できない単独行動を嫌う。

 

「ここは危険だ。看守がいる以上、規則から外れる動きは控えるべきだ」

 

「そう」

 

ナノカは答える。

 

ヒロは何か言い返しかけて、結局やめた。この会話は噛み合わないと判断したのだろう。

 

「気をつけることだ」

 

最後にヒロはそれだけ言って上へ戻った。命令ではなく、忠告に近い。それがかえって嫌に残った。

 

 

 

 

 

ラウンジへ戻ってから、ナノカは停電のことを話した。

 

「停電じゃない」ナノカは即答する。「落ちてない。揺れただけ」

 

「それの何が違うの?」

 

ココが聞く。

 

「電源の問題なら、他の場所もうもう少し乱れる。これは、見せた感じが強い」

 

「見せた? 不安にさせるためってこと?」

 

エマが続ける。ナノカは少しだけ迷ってから頷いた。

 

「小さい異常を何回も入れると、人は勝手に疲れる。疲れると判断が鈍る。判断が鈍ると、誰かが言ったことをそのまま信じやすい」

 

「……裁判とか?」

 

ミリアが小さく聞く。

 

「そう」

 

「あと、看守の動きも。見せ方がうまい。真正面から来ると怖いって、こっちに覚えさせてる」

 

シェリーが、珍しく少しだけ真顔で頷いた。

 

「条件づけ、ですかね〜」

 

「たぶん」

 

「それは非常に嫌ですねえ〜!」

 

「うん」

 

やり取りは短い。でも、ナノカにはそれで十分だった。この子は少なくとも、構造の話をするとちゃんと聞く。人間関係の話よりずっとましだ。

 

 

 

 

ラウンジの壁のボウガンが、照明の戻った明るさの中で鈍く光っていた。

 

誰も触っていないのに、そこにあるだけで十分に悪趣味だ。

 

エマが一度だけ目を向け、すぐ逸らす。ここは見たうえで嫌そうな顔をする。ヒロは見て、何も言わない。

 

この部屋の物の置き方一つでさえ、全部「事件の前提」に見える。

 

だから、誰かが死んだ時に驚くより先に、ああやっぱり、になるのだ。

 

それはもう、かなり。

 

消灯前、シェリーは監房に響き渡るが軽い声で告げた。

 

「夜中のお散歩は辞めたほうがいいですよ〜! 皆さん!」

 

何人かが嫌そうな顔をした。だが、その嫌そうな顔が少しだけ人間らしかった。

 

ナノカはそれを見て、ほんの少しだけ息を吐く。

 

軽口でも何でもいい。こういう場所では、空気が完全に沈みきらないだけで意味がある。

 

それでも、今夜のうちにもう一度だけ廊下を見に行こうと、ナノカは決めていた。

 

誰にも言わない。止められるからではない。説明する言葉は必要ない。必ず真実を暴いてみせる。

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