原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第3話 自由に操るための魔法

 

 

 

 

「重……くない。いや、軽いのか?」

 

 

 

夕暮れ時の、人気のない公園。錆びついた鉄製のベンチを両手で掴み、俺は困惑とともに呟いた。

 

力を入れたつもりはない。ただ、そこにあるから持ち上げた。それだけの動作で、数十キロはあるはずの鉄塊が羽毛のようにふわりと浮き上がった。

 

 

 

これが『怪力』の魔法だ。

 

 

問題は、持ち上げられることではない。

 

 

 

降ろし方がわからない。

 

 

 

試しに、少し力を緩める。ベンチが落下し、錆びた脚が地面に深々と食い込んだ。派手な音が響き、公園の鳩が一斉に飛び立つ。

 

 

 

地面に残ったへこみを見下ろす。コンクリートに、四本の脚の形がくっきりと刻まれていた。

 

 

 

これが今の俺の「精度」だ。

 

 

 

 

誰もいなくてよかった・・・いない、よな、?

 

 

 

 

目覚める直前、橘シェリーが施設の職員の頭を砕いたとき、このポテンシャルはすでに完成されていたのだろう。あの場面は、意識的に脳の隅に押し込んでいる。それでも時折、唐突に浮かんでくる。割れたスイカ。ぶちまけられた赤い果肉と人間だった白いモノ。

 

 

大の大人を即死させる力。俺に必要なのは出力の強化ではなく、精密な「制動」の習得だ。ブレーキのない重機を運転している、というのが今の俺の正確な状態だ。

 

 

 

ゆくゆくはあの牢屋敷で、魔女やなれはてに向けてこの質量を投擲する日が来る。そのとき「力が入りすぎて仲間を巻き込んだ」では笑えない。笑えないどころか、それ自体が処刑の理由になりかねない。

 

ベンチのへこんだ跡を足で踏みならし、ため息をつく。

 

 

 

 

「ふふっ、名探偵に不可能はありませんから。重力すら、私の前では礼儀正しくなるんですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

誰もいない空間に向けて、あえて橘シェリーの台詞を吐き出してみる。

 

目覚めて一か月。これにはまだ慣れない。

 

語尾の跳ね方、芝居がかった仕草、そして何より、自分を「妖精」か何かだと勘違いしているような全能感に満ちた雰囲気。社畜だった頃の俺の魂が「やめろ、恥ずかしい」と絶叫している。

 

だが、羞恥心の問題ではない。。

 

 

 

監獄島でのデスゲームが始まってから練習しているようでは遅すぎる。極限状態では、人は素が出る。そのときはそれは即座に疑念に代わる。15歳の子供同士なら尚更。

 

 

 

鳥肌が立つのを無視して、もう一度口角を吊り上げる。鏡がなくてもわかるようになった。今の俺は、「異常で明るい少女」の顔をしている。

 

 

 

ベンチに腰を下ろして、シェリーのノートを開く。

 

 

 

彼女が遺した趣味のノートは、ミステリ小説の考察で埋め尽くされていた。密室の事件、キャラクターの動機、それらが探偵日誌として整理されている。少女らしい端正な筆致と可愛らしい丸みが融合しているが、どこか執念というか異常さを感じる。

 

俺もミステリは嫌いじゃない。ただ、娯楽として消費するだけだった。彼女のように読んだことは一度もない。

 

名探偵を自称する少女が、エラリー・クイーンの『国名シリーズ』も知らないようでは話にならない。彼女がノートに書いていた未読リストを、片っ端から図書室と古本屋で漁ることにした。黄金時代の本格パズルから現代の叙述トリックまで。必要なのかは分からないが13人の中でミステリオタクは橘シェリーだけだったはずだ。

 

 

 

 

だが、一つ、引っかかることがある。

 

 

彼女はなぜ、ここまでミステリに執着していたのか。

 

 

 

 

施設の、あの暗い廊下で育ちながら。大人の理不尽と暴力の中で育ちながら。それでも彼女は、謎を解くことにこだわり続けた。俺には理解できない動機だ。

 

 

 

ただ、一つだけ考えられることがある。

 

 

 

 

設定上、シェリーは「一切の道徳心を持たない」人物だ。俺がそれを読んだとき、最初は「本質は冷酷な計算高いヘイト役」

だと推測していた。

 

 

演じてみて、どうも違う気がしている。

 

礼儀正しい。感情的にならない。誰かを意図的に傷つけようとしない。いや、そういうことは個人的にしたくないだけであるが。もしそうであったとしても気は乗らないけども。

 

ただ「道徳心がない」というより、「道徳が何かを知らない」に近い感触があってもおかしくない。それは、教わる機会がなかったといえるかもしれない。

 

施設の職員が「正義」を口にしながら子どもを殴るような場所で育てば、「道徳」という概念そのものへの信頼が育ちようがない。だから彼女は、感情ではなく論理だけを拠り所にした。ミステリが好きなのも、そこに「感情に左右されない答え」があるからではないか。

 

人の数だけ正義があると言われる。それは正しいけど詭弁にもなる。他人の正義を拒否できないなら、自分の正義では対抗できないから。

 

 

 

俺の推測に過ぎない。本物のシェリーに聞けるわけでもない。

 

ただ、そう考えると、ノートの文字たちが踊っているような気がした。

 

 

ページを閉じ、空を見上げる。まただ。夕焼けが赤い。

 

 

 

 もうすぐ魔女因子検査がある。建前では違うようだが。

 

確か、小学校入学前、中学入学前、高校入学前の三回。魂が入れ替わったことで魔法が消えた可能性は最初から考えていたが、今日のベンチで間違いなく答えは出ている。怪力は健在だ。

 

それが安堵なのか絶望なのか、自分でもよくわからない。 俺はあの島から逃げられないということでもある。でも、橘シェリーなら逃げなかったと思うから。

 

魔女因子があれば、必ず検査に引っかかる。引っかかれば、候補者として次の段階に向けて、選別される。それは避けられない。

 

ならば、やることは一つだ。

 

今できることをやる。魔法の制御。ミステリの知識。橘シェリーの演技、情報収集。

 

ベンチのへこんだコンクリートに、指先でそっと触れる。

 

 

 

「……上手くやろうとしなくていい」

 

 

 

 

誰に向けた言葉かも、よくわからないまま。

 

 

 

俺は立ち上がって、公園を後にした。

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