原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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第32話 第1裁判

 

 

 魔女裁判の部屋は、広いのに息苦しかった。

 

円形に並んだ席。中央の壇。高すぎる天井。声がよく通るように作られているのに、誰かを助けるには向いていない。

 

空席が二つあった。

 

ヒロと、ノア。

 

ヒロが死んだとき、共同生活は一段壊れた。あのときの俺は、何もできなかった。看守へ向かっていく背中を止める言葉も、止める理屈も間に合わなかった。

 

ノアが死んで、今度は裁判だ。

 

席は残る。座っていた人間だけがいなくなる。そこを見ると、もう戻らない、と椅子に説明されているみたいだった。

 

『それでは、魔女裁判を開始いたします』

 

ゴクチョーの声が、天井のどこかから降ってきた。

 

『お時間は有限ですので、感傷の類は手短にお願いしますね』

 

言い方が最悪だった。

 

しかもこいつは、本気でそう思っている。泣こうが喚こうが構わない。ただし結論だけは時間内に出せ。そういう作りになっている。

 

俺は壇の中央を見た。

 

ここで全部を綺麗に説明しようとすると、たぶん失敗する。論理で勝っても、場で負ける。必要なのは正解だけではない。全員の視線を、少なくとも今だけは、同じ方向へ向けることだ。

 

時間切れになれば、いちばん怪しく見えた人間が押し出される。

 

それだけは、避ける。

 

「まず最初に、申し上げておきますね〜」

 

俺は笑った。外面だけは崩さない。

 

「私も、全部が分かっているわけではないんですよ〜!」

 

いくつかの顔が上がった。

 

捜査中に動き回っていたせいで、名探偵なら断言してくれ、という期待がある。期待は外したときに疑いへ変わる。首に掛かる縄が、少し太くなる。

 

「ただ、成立しない話がいくつかあります。まずはそこから潰していきましょう〜!」

 

俺は手元のメモを開いた。

 

「ノアさんの床に残っていた、蝶のような血の痕。あれを何だと思いますか〜?」

 

「ダイイングメッセージ……じゃないの?」

 

エマが小さく言った。

 

「ボク、そう思ってた。ノアちゃんが、犯人を示そうとして……」

 

「ええ。そう考えるのが自然です〜。ミステリっぽいですしね!」

 

俺は頷く。

 

「ですが、待ってください。ノアさんの魔法は、何でしたか?」

 

「……液体操作」

 

ナノカが答えた。

 

「そうです〜。血は液体です。液体を操れるノアさんが、死ぬ間際に床へ血を這わせたのだとしたら、それは——」

 

「自分で描いた、ということですわね」

 

ハンナが言った。

 

俺は頷いた。

 

「ダイイングメッセージかどうかは、まだ分かりません。でも、あの血の形が単なる飛沫や転倒の跡ではないことは言えます。ノアさんは、死ぬ直前に、何かを描こうとした」

 

「何を?」

 

ココが聞いた。

 

「それが見えていたら、今ごろ私はもっと偉そうにしていますよ〜!」

 

「普段から十分偉そうなんですけど」

 

「ココさん、裁判中の名探偵に対して辛辣すぎませんか〜!?」

 

軽く笑って返したが、空気は戻らない。

 

蝶の形。

 

描きかけ。完成していない形。

 

ノアは死ぬまでの短い時間で、血を動かした。何かを残そうとした。けれど、言葉ではなかった。文字ではなかった。

 

たぶん、見たものを描こうとした。

 

「次です。匂いの話をしましょう〜」

 

俺は視線を上げた。

 

「ノアさんの監房に入ったことがある人なら分かると思いますが、あの部屋は、いつも強烈な匂いがしました」

 

「塗料じゃん」

 

ココが即答した。

 

「あてぃし、隣通るたび鼻痛かったし」

 

「ええ〜。スプレー塗料の匂いです。死体が発見されたのは今朝。でも、もしノアさんが昨夜のうちに亡くなっていたとしても——」

 

「血の匂いが分からない」

 

マーゴが静かに続けた。

 

「そうです〜。塗料の匂いが強ければ、血の匂いは覆われます。扉の前を通っても、中で人が死んでいるとは気づけない」

 

エマの指が机の縁を押した。

 

「じゃあ、ボクたちが気づかなかったのは……」

 

「当然です〜」

 

俺は言った。

 

「誰かが気づけなかったこと自体は、責める材料になりません。むしろ重要なのは、そこです」

 

「そこ?」

 

ミリアが眉を寄せる。

 

「死体が朝に発見されたからといって、殺されたのが朝とは限りません。夜の遅い時間とも限らない。塗料の匂いが血の匂いを隠したなら、ノアさんはもっと早く亡くなっていた可能性があります」

 

「……死亡推定時刻が、ずれる」

 

ナノカが言った。

 

「そうです〜!」

 

俺はメモの時刻欄を指で押さえた。

 

「昨夜、ノアさんが最後に生きていると確認されたのは、夕食を届けたときです。メルルさん、間違いありませんか?」

 

「は、はい……。夕食を持っていったときは、ノアさん、生きていました。絵を描いていて……少しだけ話しました」

 

メルルの声は細い。

 

「何時ごろですか?」

 

「十九時半より少し前、だったと思います……」

 

「ありがとうございます〜」

 

俺は続ける。

 

「そして、ココさんの配信準備の音声記録では、十九時四十分ごろにノアさんの監房前を誰かが通った音が拾われています。ココさん、合っていますか〜?」

 

ココが渋い顔で頷いた。

 

「合ってる。映像には映ってないけど、音は入ってた。一歩か二歩。床がきしむみたいな音」

 

「そのあと、二十時ごろには、ココさん、ミリアさん、レイアさんが廊下を通っていますね〜」

 

「あてぃしとおっさんとレイアね。ノアの部屋の前も通った。でも塗料臭かっただけ」

 

「うん……血の匂いは、分からなかった」

 

ミリアが頷いた。

 

レイアも、少し遅れて頷く。

 

「そうだね。塗料は強かった。私にも、それ以外の匂いは分からなかったよ」

 

「つまり」

 

俺は言った。

 

「ノアさんが殺された可能性が高いのは、十九時半から二十時までのどこか。特に、十九時四十分前後です」

 

場が、少し動いた。

 

二十時から二十一時の話ではない。もっと前。準備が始まる前。全員がまだばらけていて、誰がどこにいたか曖昧な時間。

 

「その時間の所在を確認しましょう〜」

 

俺は順番に視線を向けた。

 

「ココさんとミリアさんは?」

 

「十九時半から二十時まで、配信機材を確認してた。おっさんと一緒」

 

「……うん。ボク、ココちゃんに呼ばれて手伝ってたよ。機材の箱を運んで、ラウンジと廊下を往復してた」

 

「マーゴさんとナノカさんは?」

 

マーゴが微笑む。

 

「私は娯楽室にいたわ。ナノカちゃんも途中から来たわね」

 

「……いた。マーゴの本の山をどかしていた」

 

「人を家具みたいに言わないでくれるかしら」

 

「本は家具より邪魔」

 

「仲がよろしいですね〜!」

 

「よくない」

 

ナノカに即答された。

 

「エマさんとアンアンさんは?」

 

アンアンがスケッチブックを掲げた。

 

『医務室。わがはいの体調が悪かった。エマが付き添っていた』

 

「ボクも医務室にいたよ。アンアンちゃん、ずっと横になってた」

 

「ハンナさんとメルルさんは?」

 

「わたくしの監房にいましたわ。メルルさんと一緒に、配信を見るために待機しておりましたの」

 

「はい……。ハンナさんと一緒でした」

 

「そして私は、そのときハンナさんの監房にいました〜!」

 

俺は手を挙げた。

 

ハンナが一拍遅れて、あ、と声を出す。

 

「そうでしたわね。シェリーさんもいましたわ」

 

「私の扱い、ひどくないですかっ!?」

 

「普段の行いですわ」

 

「そんな殺生な〜!」

 

反射で声を上げた。

 

そのあと、すぐに口を閉じた。

 

場が少しだけ緩んで、すぐ戻った。

 

「ここまでで、十九時半から二十時までの所在が互いに確認できる方がかなり絞れました」

 

俺は言った。

 

「残るのは、アリサさんと、レイアさんです」

 

「は? ウチかよ」

 

アリサが舌打ちした。

 

「ウチは塀の方にいた。外の空気吸ってただけだ。証言してくれるやつはいねえ」

 

「ええ〜。だからアリサさんを完全に外すことはできません。ですが、もう少し見ます」

 

俺はレイアを見た。

 

「レイアさんは、その時間どこに?」

 

レイアは、姿勢を崩さない。

 

「監房だね。配信に出るから、髪と服を整えていた。二十時前に部屋を出て、ココ君たちと合流した」

 

「一人で、ですか〜?」

 

「一人で、だね」

 

「その時間帯、レイアさんを見た人は?」

 

誰も手を挙げなかった。

 

レイアは小さく息を吐いた。

 

「アリサ君も同じだ。アリバイがないだけで犯人にはならないよ、シェリー君」

 

「もちろんです〜。アリバイだけでは決めません」

 

俺はメモを閉じた。

 

「次は、現場の話です」

 

壇の上に置かれた簡易見取り図を指す。

 

ノアの監房。扉。床。死体の位置。描きかけの血の痕。

 

「ノアさんの部屋には、犯人が中で動き回った形跡がほとんどありませんでした。画材は散っていましたが、それはノアさんの周囲だけです。椅子が倒れた形もない。足跡が交差した跡もない。揉み合った痕もない」

 

「つまり、犯人は部屋に入っていない?」

 

エマが言った。

 

「あるいは、入ってもほとんど動いていない。ですが、私は前者の方が自然だと思っています〜」

 

「入らずに殺すって、どうやってだよ」

 

アリサが言う。

 

「長くて細い凶器を使えばいいんですよ〜」

 

俺は扉の絵を指で叩いた。

 

「ノアさんの監房の扉には、下側にわずかな隙間があります。それと、覗き窓の金具の噛み合わせが甘くなっていました。そこから、細いものなら差し込める」

 

「細いもの?」

 

「針金です」

 

部屋が静かになった。

 

「長い針金を廊下側から斜めに差し込む。ノアさんが扉の方を見ていなければ、胸元まで届く角度があります。傷口も、刃物で大きく切られたというより、細いものが深く入った跡でした」

 

「そんなので、人を殺せるの?」

 

ミリアが顔を青くする。

 

「殺せる場所に届けば、です〜。ただし、普通は無理です。相手が気づくから」

 

「……ノアちゃんが、気づいていなかった」

 

エマの声が小さくなる。

 

「はい。そこが次です」

 

俺はレイアを見た。

 

「ノアさんの顔は、天井の少し下、空中の一点を向いていました。床でも、扉でも、窓でもない。描いていたキャンバスとも違う場所です。まるで、そこを見るように固定されていたみたいに」

 

レイアの指が、机を一度だけ叩いた。

 

「視線誘導」

 

ココが言った。

 

「あてぃし、もうそれしか浮かばないんだけど」

 

「ええ〜。視線を一点に集める魔法。相手に見せたいものを見せる。見てほしくないものから目を逸らさせる。舞台では便利そうな魔法ですね〜」

 

レイアの口元が少しだけ動いた。

 

「私の魔法を、そう使ったと言いたいのかな」

 

「言いたい、というより、現場がそう言っているんです〜」

 

「現場は喋らないよ」

 

「喋りますよ〜。人間よりは嘘が少ないです」

 

自分で言って、少し嫌になった。

 

今の言い方は、橘シェリーっぽかった。

 

「ノアさんは、自分へ向かってくる針金を見ていなかった。だから抵抗が遅れた。刺されたあと、自分の血を動かして、最後に何かを描こうとした。けれど完成しなかった」

 

「それなら」

 

レイアは笑った。

 

「アリサ君だってできるんじゃないかな。針金で刺すだけなら、魔法は必要ない」

 

「それは半分正しいです〜」

 

俺はアリサの方を見た。

 

「アリサさんは、その時間一人でした。針金を持っていれば、犯行自体は不可能ではない。ですが、アリサさんには視線を固定する方法がありません。ノアさんに気づかれず、ほぼ抵抗なく刺す説明が足りない」

 

「ウチが火を使ったら?」

 

アリサが自分で言った。

 

「塗料の部屋で火を使ったら、たぶん部屋ごと燃えます〜」

 

「だよな。ウチでもそこまで馬鹿じゃねえよ」

 

「そこは自分で言ってくれるんですね〜!」

 

「うるせえ」

 

「対して、レイアさんには、視線を固定する方法がある。十九時四十分前後に単独で動ける時間がある。二十時には何食わぬ顔でココさんたちと合流できる。そして、ノアさんの部屋の前を通ったとき、塗料の匂いを確認している」

 

「確認?」

 

レイアの声が低くなった。

 

「ええ。死体がまだ見つからないことを、確認できた」

 

少しだけ、空気が冷えた。

 

「シェリー君」

 

レイアがゆっくり言った。

 

「君は、ずいぶん残酷な見方をするんだね」

 

「そう見えるなら、申し訳ありません〜」

 

謝った。笑ったまま。

 

喉の奥が乾いていた。

 

「でも、ここで見方を甘くすると、誰かが死にますから」

 

もう死んでいる。

 

その言葉は飲み込んだ。

 

「もう一つ。レイアさんは、現場について、少し詳しすぎました」

 

「詳しすぎる?」

 

「捜査のとき、レイアさんはノアさんの顔の向きについて、かなり早く触れました。死体を見た人間がまず気にするのは、血、倒れ方、凶器、部屋の荒れ方。そのあたりです。でも、レイアさんは顔の向きにすぐ目を向けた」

 

「役者だからね。人の顔を見る癖がある」

 

「ええ。それはあり得ます〜」

 

俺は頷いた。

 

「ですが、ノアさんの視線がどこに向いていたかは、この事件では犯行方法そのものなんです。犯人にとってだけ、最初から重要な情報なんですよ〜」

 

マーゴが、そこで小さく笑った。

 

「視線を向けさせた人間なら、当然気になるでしょうね」

 

全員の視線がマーゴへ向く。

 

マーゴは頬杖をついたまま、レイアを見ていた。

 

「あなた、ずっと舞台の話をしている顔をしていたわ。誰がどこを見ていたか。誰に見られていたか。誰に見られなかったか」

 

「勝手なことを言うね」

 

「詐欺師の勝手な感想よ」

 

「信用ならないな」

 

「ええ。だから、信じなくていいわ。けれど、あなたが嘘をついていることくらいは分かるの」

 

レイアは、マーゴから目を逸らさなかった。

 

ハンナが机に手を置く。

 

「レイアさん」

 

「何かな、ハンナ君」

 

「あなた、ご自分の魔法を、ずっと話していませんでしたわよね」

 

「話す機会がなかっただけだよ」

 

「自己紹介の日に、十分ありましたわ。みなさん、魔法の話をしましたもの」

 

「不安を煽りたくなかったんだ」

 

「言い訳の上手な人は、信用できませんわね」

 

「お嬢様らしくない言い方だ」

 

「今それを言いますの?」

 

ハンナの声が、少しだけ崩れた。

 

「あなたは、見られることに慣れすぎていますわ。だから、見られない場所で何をしたか、少し雑ですの」

 

レイアの顔から、笑みが薄くなった。

 

「シェリー君」

 

「はい〜」

 

「君は本当に、私がノア君を殺したと思っているのかな」

 

「思っています」

 

声が、少しだけ低くなった。

 

すぐに笑顔を貼り直す。

 

「十九時四十分前後の単独行動。扉外から届く長い針金。視線誘導の魔法。現場の抵抗痕の少なさ。ノアさんの顔の向き。そして、証言の不自然さ。全部を束ねると、レイアさん以外に、ここまで綺麗にはまりません」

 

「全部、状況証拠だね」

 

「ええ。全部、状況証拠です〜」

 

俺は一度、息を吸った。

 

「でも、状況証拠だけで、ここまで1人の人物を指すことは、なかなかありませんよ〜」

 

レイアは黙った。

 

その沈黙に、ゴクチョーの羽音が混じる。

 

『おやおや。議論が温まってきましたねぇ』

 

「まだ終わっていません〜」

 

俺は天井を見ずに言った。

 

「最後に一つだけ」

 

レイアの目が、俺へ戻る。

 

「ノアさんは、何もしなくても人の目を集める人でした。ふわふわしていて、つかみどころがなくて、けれど作品を見れば、誰もが足を止める」

 

レイアの指先が止まった。

 

「レイアさん。あなたは、あの子が羨ましかったんじゃありませんか」

 

「……」

 

「自分が必死に舞台へ立って、声を張って、姿勢を作って、視線を集めてきたものを、ノアさんは絵一枚で持っていく。そう見えたんじゃありませんか」

 

「やめるんだ」

 

レイアの声が、初めて揺れた。

 

「私は、そんな理由で——」

 

「そんな理由、ではないんですよね」

 

俺は言った。

 

「あなたにとっては」

 

レイアの顔が固まった。

 

ここを踏むのは、嫌だった。

 

でも、踏まないと終わらない。

 

「例えば…お母さんに、見てもらいたかった。とか」

 

レイアの口が、少しだけ開いた。

 

誰も何も言わなかった。

 

「違いますか?」

 

「……どこで、それを」

 

「以前に聞いた話と、あなたの反応です〜。レイアさんは有名人ですからね。当たっているなら、今の顔で十分です」

 

 ハッタリだ。事前に調べていただけだ。他の少女たちはまだしも蓮見レイアのような有名人ならば、調べればある程度の情報は出てくる。あとは出まかせの想像にすぎない。

 

「名探偵は、ひどいね。間違っていたら君が不利になっていたんじゃないかい。」

 

レイアは笑った。

 

今度の笑みは、舞台のものではなかった。

 

「自覚はしてますよ~」

 

「それでも誰かは処刑されないといけません。」

 

 全員処刑という形だけは避けねばならないから。

 

 

「それで、君は平気なのかい?」

 

「平気に見えますか〜?」

 

レイアは、俺を見た。

 

しばらく見ていた。

 

それから、肩の力を抜いた。

 

「いいよ」

 

短い声だった。

 

「そこまで見られたなら、もういい」

 

エマが息を呑む。

 

ココが小さく舌打ちした。

 

ハンナは目を伏せなかった。

 

レイアは、中央の壇へ視線を向けた。

 

「私は、ノア君を殺した」

 

言葉が落ちた。

 

誰かが泣くより先に、ゴクチョーが小さく笑った気がした。

 

「ノア君の部屋の扉の前に立って、長い針金を差し込んだ。彼女の視線は、私が別の場所に向けた。あの子は最後まで、私を見なかった」

 

声は静かだった。

 

静かすぎた。

 

「どうして……」

 

エマが言った。

 

「どうして、ノアちゃんを……」

 

レイアは、エマを見ない。

 

「見てほしかったんだ」

 

「誰に?」

 

ミリアが聞いた。

 

「母に」

 

レイアは答えた。

 

「舞台に立てば、画面に映れば、賞を取れば、いつか見てくれると思っていた。けれど、届かなかった。届かないまま、ここに来た。ここへ来たら、もう表舞台へは戻れないというのに」

 

その声が少し細くなる。

 

「なら、せめてここでは私を見てほしかった。私が中心でいたかった。馬鹿みたいだね。分かっているよ」

 

「分かってんなら、なんで殺したんだよ」

 

アリサが吐き捨てた。

 

レイアは、少しだけ笑った。

 

「分かることと、止まることは、別なんだ」

 

その言葉は、軽くはなかった。

 

軽くなかったから、余計に腹が立った。

 

『はいはい、たいへん結構です。では、投票へ移りましょうか』

 

ゴクチョーの声が割り込む。

 

『お手元の端末に、処刑対象を選ぶ画面が出ています。真犯人でも、そうでなくても、どなたかお一人をお選びください。全員が選ばない場合は、当然ながら全員処刑ですので』

 

スマホが震えた。

 

画面に名前が並ぶ。

 

俺は自分の指を見た。

 

これを押すのは、ゴクチョーではない。看守でもない。俺だ。全員に一回ずつ押させる。そういう仕組みだ。誰も後から、自分は関係ないと言えないように。

 

指を置く。

 

蓮見レイア。

 

押した。

 

画面が暗くなる。

 

『集計、終了です』

 

一拍。

 

『得票数の最も多い、蓮見レイアさんの処刑が決定いたしました』

 

レイアは姿勢を崩さなかった。

 

最後まで、背筋を伸ばしていた。

 

「最後くらい」

 

レイアが言った。

 

「ちゃんと見ていてくれたまえ」

 

誰も答えられなかった。

 

床が低く鳴った。

 

中央の壇が割れ、下から白い天使像がせり上がってくる。綺麗な彫像だった。綺麗なものほど、この屋敷ではろくな役をしない。

 

看守が、レイアの左右に立つ。

 

レイアは抵抗しなかった。

 

自分の足で歩いた。まっすぐに。舞台袖から中央へ出る役者みたいに。

 

像の内側が開く。

 

レイアが中へ入る。

 

扉が閉じる。

 

金属の音がした。

 

歯車。鎖。何かが巻き上がる音。

 

それから、人の声。

 

長くは続かなかった。

 

続く前に別の音が重なるように、最初から設計されている。死を、死として聞かせない。演出の一部にする。拍手の代わりに、機械が鳴る。

 

エマが小さく声を漏らした。

 

ミリアが、その肩を抱いた。アリサは顔を背けた。ココは耳を塞がなかった。ハンナは目を閉じなかった。メルルは両手を握りしめている。マーゴは、最後まで像を見ていた。

 

俺も見ていた。

 

見ていないと、レイアの最後の言葉を踏みにじる気がした。

 

終わったあと、裁判場には変な静けさだけが残った。

 

安心ではない。

 

今回は自分じゃなかった、という事実が、足元を少しだけ軽くする。その軽さが、いちばん嫌だった。

 

『引き続き、仲良く共同生活をお送りください』

 

ゴクチョーの声が響いた。

 

ふざけるな。

 

口には出さなかった。

 

出したところで、何も減らない。

 

裁判場を出るとき、エマが一度だけ俺を見た。

 

助かった、でもない。ありがとう、でもない。何か聞きたそうな目だった。けれど、何も言わなかった。

 

マーゴも、少し離れた場所からこちらを見ていた。

 

初めてではない目だった。あの子はたぶん、最初から何かを測っている。俺がどこまでやるのか。どこで止まるのか。

 

ラウンジへ戻ると、レイアが座っていた席がそのまま残っていた。

 

誰も片づけなかった。

 

片づければ、処理になる。処理になれば、死が手順になる。もう半分そうなっているのに、それでもまだ、完全には認めたくないらしい。

 

俺は紙コップに水を汲んだ。

 

ぬるかった。

 

飲み込むのに、時間がかかった。

 

指を離すと、紙コップの縁が少し潰れていた。

 

ヒロの席。

 

ノアの席。

 

レイアの席。

 

誰も、そこに座らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

正しかったかどうか、という考え方を、蓮見レイアはあまりしてこなかった。

 

正しいかどうかより、見えていたかどうか。それが、ずっとレイアの物差しだった。舞台に立っているあいだ、客席の視線が届いているあいだだけが、本当の時間だ。見られていない時間は、ただの準備に、すぎない。

 

ノアの部屋に入ったのは、夕食の片付けが終わった少しあと。20時を回ったところだった。

 

塗料の匂いが、出迎えた。

 

ノアは床に座って、まだ蛇のような何かを描いていた。背中越しに名前を呼んだ。振り返らせない、と決めた。ノアの目に映ったのは、空中の、何でもない一点だ。レイアの視線誘導が、ノアの意識を、そこへ縫い留めた。ノアの魔法は液体を操る。だから最後に視界へ入ったのも、たぶん何か綺麗な、光のようなものだったのだろう。それくらいは、選ばせてやったつもりだった。

 

 

 

気付いたら、ノアが床に手を伸ばして、自分の血を動かしているのが見えた。蝶のような形を、たどたどしく描いていた。止めなかった。止める必要が、なかった。塗料の匂いが、すべてを覆ってくれる。

 

ノアが消えなければならなかったのは、結局のところ、スポットライトの位置だ。

 

あの子は、何もしなくても視線を集める。言葉もいらない。演技もいらない。ただそこにいるだけで、人の目が、向く。舞台に立てないレイアには、我慢のできない種類の引力だった。

 

母のために、誰よりも目立たなければ、ならなかった。

 

ノアが描き終わるのを待たずに、レイアは部屋を出た。配信の時間が近かった。21時きっかりにラウンジへ姿を見せる必要があった。塗料の匂いが、レイアの服に少しだけ移っていたが、配信の途中で誰も気づかなかった。塗料は、最後まで、味方だった。

 

そのまま、夜が過ぎた。誰も、ノアの扉を開けなかった。

 

 

止めようとする気力よりも先に、舞台が終わるときの、あの感覚のほうが、来てしまった。幕が下りる。照明が落ちる。客席が、立ち上がる。

 

どうせ終わるなら、最後くらいは、そんなカーテンコールが良かった。

 

私は中途半端な役者だ。

 




レイピア・・・


少し加筆修正しました。
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