わたしは、あの子がこわい。
かわいい顔で、かわいい声で、にこにこ笑っているのに。近づくと、息が詰まる。胸がぎゅっとなる。たぶん、目が笑っているようで笑ってないから。
橘シェリーは、今日も明るかった。
「おはようございま~す! 今日もみんな、元気にしてますか〜?」
そう言って、笑う。教室が一瞬だけ静かになって、それから小さい笑いが起きる。誰も返事をしない。返事をしたら、何かが起きそうで。
事件は、昼休みに起きた。
先生が集めていた募金の袋が、消えた。
「え? 昨日までここにあったのに……」
先生が困った顔で机の上を探す。みんながざわざわする。誰かが言った。
「……ねえ、あいつじゃない?」
目が、わたしの隣の席の子に向いた。転校してきたばかりで、まだ友だちがいない子。その子は顔を真っ赤にして、首を振った。
「ち、違う……!」
先生は困ってる。みんなは疑ってる。わたしは助けたいのに、助け方がわからない。
そのとき、橘シェリーが手を挙げた。
「先生、ちょっとよろしいですか?」
先生が目を丸くする。でも頼るものがないから、うなずいた。
「……橘さん、何か知ってるの?」
シェリーは教室を見回した。その視線がひとりひとりに刺さって、みんなが少しずつ固くなる。
「まず整理しましょう。募金袋は"消えた"んじゃないですよ。"移動した"んです。物が消えるって、物理的に難しいですから」
言い方が先生みたいだった。でも声は子ども。そこが気持ち悪い。
「次に。昨日まで募金袋があったのは先生の机の引き出し。鍵は先生しか持ってない……と思ってますよね?」
先生がびくっとした。みんなの顔が動く。わたしの隣の子が、もっと赤くなる。
「でも先生、体育のとき、鍵を机の上に置いてましたよね。わたし、見てたんです」
先生が口を開けて、閉じた。確かに昨日、鍵が机の上にあった気がする。でも、そんなこと言っちゃだめじゃないの?
シェリーは笑った。
「犯人は先生じゃないですよ。先生が犯人なら、こんなやり方しません。もっとうまく隠す。先生ならそんな失敗しないと思うので」
わたしの背中が寒くなった。わからない。先生のことを、どうしてそんなふうに言えるの?
「じゃあ、誰が……」
先生の声が震える。シェリーは、わたしの隣の子を見た。
でも責める目じゃなかった。虫眼鏡で標本を見るみたいな目だった。
「昨日、鍵に触れた可能性があるのは、先生と、その時間に教室に残っていた人。鍵で引き出しを開けて、中のものを取り出して、また閉めた。だとしたら、移動先があるはずです」
シェリーは立ち上がって、先生の机をぐるりと回った。それから、何でもないみたいに言った。
「机の裏側、確認してみてください。さっき授業中にずっと見てたんですけど、脚の影の形がちょっとおかしかったので」
先生がしゃがんで、机の裏を見た。募金袋が、テープで貼り付けてあった。
教室が、一瞬で静まり返った。
そのあと、先生は「よかった……」と言った。みんなは笑った。隣の子への疑いが、そっと消えた。
隣の子は、助かった。でも助かったのに泣いていた。泣きながら、わたしに小さい声で言った。
「……あの子、こわい」
わたしも、うなずいた。
放課後だった。
みんなが下校するために次から次へと教室から出ていく中、橘シェリーは何やら作業をしていた先生に近づいていった。
なんだろうと思い、2人に見えない位置から聞き耳を立てた。
しばらくは雑談をしている様子だった。
なーんだ、つまんない。そう思って帰ろうとした。
わたしは足が止まった。
だってシェリーが会話の最後、先生に言ったから。
「次から鍵はポケットに入れておいた方がいいですよ。……それとも、誰かに試されたかったんですか?」
先生の顔が、固まった。
その日から、みんなは橘シェリーのことを「妖精さん」と呼ぶのが共通認識になった。かわいい言葉のはずなのに、呼ぶときだけ声が小さくなる。
妖精って、人じゃないから。
人じゃないものに正しさを突きつけられるのが、怖いから。
シェリーは今日も笑っている。
事件の度にシェリーはこう言う。
「えへへ〜。事件解決ですよ〜!」
その笑顔が、わたしにはいちばん怖かった。
怖いのに、どこかずっと見ていたかった。それが余計に怖かった。