原罪:自称ニセモノ名探偵     作:三日月ノア

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2章 三年間の執行猶予
第9話 名前のない檻の居心地


 

 

家の玄関は、静かで温かい匂いがする。

 

油の残り香。柔軟剤。昨日の味噌汁。

 

そういうものが混ざって、ここは「帰ってきていい場所」みたいな顔をしている。あの施設にはなかった。鍵が閉まっていて、朝が来て、飯が出る。そんなことが最初から約束されている場所の匂いだった。

 

「シェリー、今日は早いね。制服、似合ってる」

 

養母が笑う。

 

その笑顔を見るたび、胸の奥が少し遅れて痛む。早く痛めばまだ楽なのに、だいたい一拍遅れる。

 

「もちろん! 名探偵ですから!」

 

養父が新聞を畳む。仕事に行く前の顔。疲れているのに、俺を見るとほんの少しだけ柔らかくなる。

 

「無理しないでな。何かあったら言え」

 

言えるわけがない。

 

言えたらどれだけ楽か、そこまで考えてやめる。そういう想像は、先に首を絞める。

 

「えへへ。大丈夫ですよ〜。世界で一番大丈夫です!」

 

玄関の鏡に自分が映る。

 

青い髪。整った顔。買ってもらった虫眼鏡。制服の襟はまだ硬い。新品の布は、他人の服を借りているみたいで落ち着かない。

 

これが橘シェリーだ。

 

そう思い込むしかない。

 

形から入るのは悪くない。

 

仕事でも、客先に行く前はまずネクタイを締めた。締めれば少しだけ、その場にいる理由ができる。虫眼鏡も同じだ。役に立つかは別として、持っていれば「そういう子」で押し切れる。

 

玄関を出る。春の空気は冷たい。

 

家の中の匂いが、扉一枚で切れる。

 

歩きながら、頭の中でやることを並べる。

 

中学は三年。

 

長いようで短い。短いようで長い。問題はそこじゃない。この三年のあと、牢屋敷があるかもしれない、ということだ。断言はしない。できない。俺が知っているのは、発売前に見た公式サイトの断片と、SNSに流れてきた数行だけだ。犯人も、トリックも、結末も知らない。たぶん知っていた方が怖かっただろうが、知らないのも普通に困る。

 

だから、今やることは一つだ。

 

原作キャラの学校を特定して、遠くから見る。

 

見るだけで済めば、一番いい。

 

接触はしない。したくない。本来はそうなる、可能性が高い。

 

俺が話しかけた一言で何かがずれたら、その先がどうなるのか分からない。バタフライエフェクトなんて言葉は便利だけど、要するに責任が取れないというだけだ。

 

見つける。近づかない。記録する。

 

この三つで行く。

 

教室に入ると、視線が刺さった。

 

小学校のときより、少しだけ鋭い。年齢のせいじゃない。中学生くらいになると、みんな自分の席から教室全体を見る。誰が中心か、誰が浮くか、誰に話しかければ安全か。まだ何も起きていないのに、選別だけは始まっている。

 

担任が名簿を読む。

 

俺の番が来る。

 

「橘シェリーです! 名探偵です! 事件があれば私をお呼びくださいっ!」

 

笑いが起きる。

 

あたたかくはない。かといって露骨に冷たくもない。

 

ちょうどいい。

 

このくらいが一番助かる。

 

嫌われきらず、好かれもしない。触ると面倒そうなやつ。そういう位置に最初から置かれておけば、後が楽だ。

 

昼休み、弁当箱を開ける。

 

隣の席の子が虫眼鏡を見て言った。

 

「それ、ほんとに使うの?」

 

「証拠品を見逃さないためです〜!」

 

相手は笑う。でもそこで終わる。

 

話は続かない。続かないのが助かる。助かること自体には、なるべく意味をつけない。意味をつけると、あとで苦しくなる。

 

放課後、まっすぐ帰らない。

 

図書館。塾の掲示板。模試会場の案内。駅前のポスター。そういうものを見て回る。

 

“頭のいい中高一貫校”を探す。

 

制服の色。校章。送迎バス。部活の実績。文化祭の日程。学校名だけ見ても足りない。必要なのは導線だ。いつ、どこに、どう集まるか。導線が分かれば、向こうから近づいてくる。

 

ヒロとエマ

 

あいつらのいる場所を、街の中から逆算する。

 

書店の前で足を止める。高校受験案内の冊子が並んでいる。中高一貫のページを立ち読みして、店員に怪しまれる前に戻す。

 

塾の前では何校かの制服を見た。図書館では司書が学校行事のチラシを整理していた。話しかければもっと取れる。でも初日からやりすぎると目立つ。

 

今日は顔合わせだけ。

 

街の様子を見る。使えそうな場所を覚える。それで十分だ。

 

帰宅すると、養母が「どうだった?」と聞く。

 

養父が「友達できたか」と笑う。

 

「名探偵は単独行動が基本ですよ〜! でも、みなさん優しい子たちばかりですよ〜!」

 

嘘ではない。

 

本当とも言い切れない。

 

夕飯の匂いはちゃんと温かい。

 

味噌汁の湯気。揚げ物の音。箸が皿に当たる音。そういうものが、何でもない顔で並んでいる。この家では、それが普通だ。

 

俺は食卓に座って、出されたものを食べた。

 

養母が学校の話を聞き、養父が途中で仕事の愚痴を一つだけ言って、それを養母が軽く流す。テレビではニュースが喋っている。うるさくない。静かすぎもしない。

 

この音に慣れるのは危ない。

 

そう思う。思うだけで、箸は止まらない。

 

部屋に戻ってからノートを開く。

 

大きなことは書かない。まだ早い。

 

『まだ分からない。断言はしない。仮説で止める』

 

『近づくな。だが見失わない』

 

『役割を維持する』

 

『危険は優しさ、謝罪は軽く』

 

それだけ書いて閉じる。

 

窓の外では街灯がついていた。

 

白い。見慣れた白さなのに、なんとなく眠りにくい。

 

静かな夜だった。

 

静かなものは、あとで面倒を起こすことが多い。会社でもそうだった。何も起きていない時期ほど、あとで大きめの事故が来る。

 

布団に入って、目を閉じる。

 

家の中は静かだ。

 

でも、それが続かないのはこの世界で俺が一番知っている




まのさばの原作キャラ成り変わりものの二次創作、出てきてほしいですね。ハーメルン以外だとあるんですかね。はのうら、まのむらはどうなるか、続報が楽しみです。




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