音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
お母様の四十九日が過ぎるのを待たずして禪院家での日常は戻ってきた。しかし俺の心には未だお母様の遺言がこびりついて離れない。禪院家が滅ぶ未来。それを回避するためには、まだ生まれていない禪院真希が何に絶望し、何をトリガーに一族を滅ぼしたのかを、音MADの断片的な知識以上に深く理解しなきゃいけない。
そのために対処の必要な相手として真っ先に思い浮かぶのは、真希ちゃんのお父様である扇のおじさまである。しかしながら俺はこの人を若干避けていた。音MADでは実の娘を出来損ない扱いして殺す描写がある人が、姪に容赦なんかするだろうか。何もしていない現状でも俺と直哉のことも薄っすら嫌っている気配があり、目つきもなんだか怖い──そんなおじさまに近づくのは、好きなアニメが徹底的にディスられている匿名掲示板のスレを覗く時並みに勇気がいる。
おまけにおばさまとの仲も冷え切っているようだ。夫婦のことだからどっちか片方だけが悪いということはないだろうけれど、滅多に会わないおじさまよりは毎日会うおばさまの味方をしてしまうのが人情だろう。
実の弟の直哉のことすらまだきちんとわかっていない俺が、この人が将来娘を大事にする親になるように動くだなんて、土台無理な話である。
……という訳で、まずは菜緒葉ちゃんのアドバイス通りに、甚爾くんの所に来た。と言っても、すぐに色々聞き出そうと言う気はない。
なぜなら──
「……498、499、……500ッ! 500回突破ですのよ〜!」
実は、念願の腕立て伏せ500回をついに成し遂げたのだ。
俺の根性と菜緒葉ちゃんの肉体の才能の両方がなければ絶対に叶わなかった偉業。甚爾くんに修行をつけてもらうための条件は、これでようやく整った。膝をつき、肩で息をする。呪力で筋力を強化しているとはいえ、幼女の肉体で腕立て伏せ500回。我が事ながら信じられないレベルだと思う。
「……意外に元気だな。母親が死んだばかりだろうが」
甚爾くんは腕立て伏せ実演の結果息も絶え絶えになった俺を見つめながら言った。その暗く底知れない瞳は何を考えているのかもわからない。だが、若干気遣ってる気配もあった。そういうことにしておこうと思う。
「いつまでもメソメソしていられませんもの。こちとら、このクソみたいな家を改革して、日本を背負って立つ呪術師になりますのよ(予定)」
胸を張ってしっかり笑ってみせた。
しかし、それに対する甚爾くんの反応は微妙だった。不気味なものを見ているような──いや、それとは違う。よくわからない。他の誰とも全く違う反応だということは明らかだった。
「……仕方ない、ちょっとくらいは付き合ってやる」
結局甚爾くんは呆れたようにこちらを見下ろし、懐からオレンジ色のピンポン球を取り出す。禪院家のリラクゼーションルーム(なぜあるのかは知らない。そんな金があるなら厨房の改修をしてくれよ)の卓球場に置いてある物をくすねてきたのだろう。
「ほらよ。これ投げるから持ってこい」
「……はい?」
ひょい、と軽いスナップで投げられた球は弾丸のような速度で庭の茂みの向こうへと消えた。
「あのぉ……甚爾様。これ、本当に修行なんですの?」
「あー、修行だ修行。動体視力と瞬発力を鍛える超ハイレベルな特訓だ(笑)」
今「(笑)」って言わなかったか?
だが俺は必死だった。球を追いかけ、拾い上げ、彼の元へ届ける。それを10回、20回、30回……。
池に落ちた球を泥水にまみれて拾い上げ、ゼェゼェ言いながら彼の足元に戻すと、彼はまたニヤニヤしながら、今度は反対側の生垣へ遠投する。
待てよ。
これ、修行じゃない。
部屋の端から端へおもちゃをぶん投げて、仔猫を走らせ遊ぶ例のアレじゃないか!!?
俺は本気でキレた。お嬢様モードをログアウトする勢いでキレた。
「この野郎……! アンタも音MADの素材にしてやろうか……!?」
でも甚爾くんは一瞬驚いた後、面白そうに笑っただけだった。
「オトマッド? ……何だか知らねぇが、この修行について、お前の人見知りで大人しい弟は羨ましそうだぞ」
「はぁ? そんな性格の弟なんかいませんわよ」
俺にいるのはドブカスな性格の弟だけである。
人見知りとは正反対、思ったことを全部口に出してはあちこちで大顰蹙を買っているやかましいクソガキだ。
しかし甚爾くんは静かに指差した。
「アレだよアレ」
振り返ると、なんかいた。
直哉が柱の影から目をきらきらさせてこちらを覗いている。それは、伝説のロックスターの出待ちをしている熱狂的ファンのような、あるいは神を間近で拝む信徒のような、狂気すら孕んだ憧憬の眼差しだった。
こいつ、甚爾くんの前ではこんな顔すんの?
いっつも偉そーなのに!
「……どうしたんですの、直哉?」
俺が声をかけると、日頃アホみたいに口の悪い弟は、あからさまに肩をビクつかせて視線を泳がせた。
「あいつ、いっつも俺の後をストーカーみたいにつけてくる癖に、いざ目が合うと何もしてこねぇ。変なガキだよな。お前は無駄にキャンキャン吠えてうるさいのに」
「うるさくないですわよ。適切な自己主張ですわ」
「いいや、うるさい。……なぁ、お前ら。性別逆の方が良かったんじゃないか?」
甚爾くんの何気ない一言がグサリと胸に刺さる。そんなことは初めて言われた。直哉の方は甚爾くんの言葉に本気でブチギレるんじゃないかと心配したが、意外にも黙って俯くだけだった。
「直哉。来いよ」
と甚爾くんは呼んだ。
──あ、甚爾くん。こいつの名前をようやく覚えてあげたんだ。
直哉は小走りで駆け寄ってきた。俺の隣に並び、甚爾くんの顔を恐る恐る見上げる。定番のドブカス発言は一切出なかった。まるで借りてきた猫だ。
もしかしたら、憧れと同時に恐怖心もあるのかもしれない。姉の前ですら弱音なんて一切吐かない奴だが、心の中では色々考えているはずだ。
「お前ならこの修行の意味、わかるよな?」
甚爾くんは意地悪な笑みを浮かべながらピンポン球を指先で回した。直哉は一瞬だけ口を噤み、甚爾くんの表情を盗み見てから、早口で答える。
「……予測される弾道への最短ルートでの介入。それと、脚力による空間制圧……やろ。そんくらい見たらわかるわ」
「ってことだよ。……じゃあ取ってこーい」
甚爾くんは半笑いでそう言うとさっきまで俺に対してしていたのの数倍のスピードで球を投げた。直哉は一瞬にしてすっ飛んで行く。
「ちなみに俺はこの応用で、素手で銃弾掴めるぞ」
甚爾くんは言う。
かっこいい。俺も早く強くなって、銃弾止められるようになりたい。
でも……。
「なぜだか、言いくるめられた気がしてならないですの……」
脳内で『私も来世は甚爾くんに生まれ変わって直哉にフリスビーを投げまくる犬と飼い主プレイをしたいですわ』と囁きかけてくる菜緒葉ちゃんのことは無視だ、無視。
◇
「……これって本当に修行なんですの?」→結局言いくるめられる、という流れはその後も繰り返された。
甚爾くんはいつも滅茶苦茶だった。
しかしそれでも、甚爾くんに遊ばれながら身体の使い方を学ぶ時間は確実に俺を変えていた。
前世の俺はかなりの虚弱体質だったが、この体は真逆だ。毎日朝4時に起き、厨房での仕事に勤しみ、呪霊を生きたまま調理して食べ、休憩時間は筋トレと読書。夜のフリータイムはインターネット。シン菜緒葉ちゃんの心がお昼寝している時間がちょくちょくあることに影響してか、肉体の睡眠は4時間でも元気いっぱい。体力は有り余るほどである。考えてみれば、こちとら頭蓋骨が粉々な状態で「詰めが甘いんじゃクソアマ」とのたまっていた禪院直哉の姉なのだ。姉が弟に劣る道理などない。
しかし格闘訓練については時々直哉と、あとはたまに顔を合わせる分家の蘭太くんが相手してくれる程度。躯倶留隊の人達は「女の子がお転婆しちゃダメだよ」と優しく言ってくるし、灯や炳の大人は普通に怒る。
だから体を動かし慣れていないというのが俺の最大の弱みで、そこが解消され始めているというのは、とてもありがたいことだった。
あとは、甚爾くんの強さの一端を見られたのも最高である。特に俺の心を鷲掴みにしたのは、さりげない感じで見せてくれたあの謎の空中機動だ。空気の面を捉えてそこを足場にしているらしい。この技術の一端でも掴むことができたら、飛ぶ斬撃くらいは余裕。さらには今よりもっとすごいモノを斬れるだろう。(感動して何度も空中ジャンプをおねだりしていたら、普通に代金を取られた)
「菜緒葉ちゃんは何やいっつも楽しそうな修行しとるね。ええなー」
「おいで」と一言声をかけるや否や0.3秒で走り寄ってくる弟はそんなことを言う。
「女の子相手だから甚爾くんも優しいんかな」
「…………お父様はもっと厳しいですものね」
「ん、メッチャ蹴られる」
鳩尾を蹴り飛ばされてさえ涙ひとつ溢さない弟に俺の中の現代人の部分はドン引きしているが、曲がりなりにも禪院の娘である菜緒葉ちゃんは、そういう考え方は決してしない。
「本当にすごいですわね、男の子は。お父様にそんなに目をかけてもらえるあなたが羨ましいですわ」
体が勝手に動いて、弟の頭まで撫で始める。世辞ではなく本気なのだ。弟の髪は音MADのサムネでお馴染みの金髪ではなく、まだ染めていないさらさらの黒髪で、撫でられると滅茶苦茶嬉しそうにする。そして甚爾くんは姉弟のやり取りをちょっぴり気持ち悪そうにそれを見ていた。
俺も気持ち悪いと思う。
最近の俺は弟に愛着が湧いてきていて、恨みを買って刺されたりはして欲しくない。生きたままで楽しい音MADになって欲しい。だから、これ以上歪んだ価値観を植え付けるのもどうかと思う。
でも、常識的な態度で弟を可哀想な子扱いするのだって残酷だ。「お前は一般家庭の基準で見れば虐待されてるんだぞ」などと言える訳がない。お父様だって我が子が任務中に死ななくていいように心を鬼にして鍛えているのだし、直哉自身だって子供ができたら似たような教育をしなければいけない立場である。
菜緒葉ちゃんが先日指摘してきたのはおそらく、俺の頑張りが禪院家の根本を変えられていないということだった。でも、この件を含め表面にある問題が多すぎて、まずは何から立て直せばいいのかがわからない。
甚爾くんに修行のお礼に焼いたクッキーを渡しながら、前から考えていたことを聞いてみることにした。
「……甚爾様はこの家に将来どうなって欲しいとか、ありますの?」
結構漠然とした問いになってしまった。
答えは一瞬で返ってきた。
「ねぇよ、そんなもん」
甚爾くんはクッキーを口に放り込みながら、彼は事も無げに言い放つ。でも、そんな簡単に切り捨てられたら困る。
「そんな簡単に言わないでくださいまし。私はこの家を変えたいんですのよ。将来直哉を当主にして、その側近として色々頑張るつもりですわ。呪力や術式の有無、それに性別だって関係ない。本当の意味で、実力がある者が正当に評価される場所に……。ねえ、直哉もそうなればいいと思ってるでしょう?」
「はあ? 何で菜緒葉ちゃんが俺を当主にしたげる、みたいな上から目線なん? 当主になるんは俺の実力やし、当たり前のことやろ」
直哉は不満げな顔をする。俺はすかさずお嬢様スマイルで言い返した。
「現状のあなたのままだと、私が支えてあげなきゃ人望ゼロ当主になってしまいますわよ。誰もいない空っぽのお城でたった一人でふんぞり返るのが、あなたの理想なんですの?」
「なっ……! 誰が人望ないんや!」
しかしいつものように始まった小競り合いを、甚爾くんの低く冷めた声が遮った。
「──まあ、無駄な努力だな。コイツが当主になる頃には、俺はこの家にいねぇし」
一瞬で小競り合いなんかしている場合はなくなった。直哉なんて完全にフリーズしている。
「い、いなくなる……? どこへ行くんですの?」
「そりゃあ外だよ。数年以内には出る」
甚爾くんは空になったクッキーの袋を指先で弄びながら、淡々と続けた。
「そもそも、俺が今さらこの家に居座ってるのは、外に出たところで呪力のない俺じゃろくに階級を上げられねぇのは同じだろうし、かと言って一般人の稼ぎ方も知らねぇからだ」
「……」
「だが、ここにいりゃあ外野の陰口を無視するだけで飯は毎日食える。修行と称してお前らと遊んでるだけで、直毘人も小遣いをくれるしな」
「……。お父様、そんなことを……」
俺が絶句する傍らで、甚爾くんの瞳が一層暗く鋭い光を宿した。
「だが、その小遣い期間もあと一年ってところだろう。今までは出涸らしと猿……逸れ者同士が寂しく寄り添ってると思って、周りも同情してたんだ。……けど、今のお前はもうどこからどう見ても出涸らしじゃねぇだろ」
甚爾くんの手が、俺の頭を乱暴に撫でた。
「直毘人はこれまで放置していた娘からオトモダチを取り上げたくもないんだろうよ。だが、それもお前がガキのうちだけだ。当主のご令嬢が呪力のない男とベタベタするのは、常識的に考えてナシ。……で、こっちの弟についてはお前以上に立場がある。次期当主様が猿に憧れるなんて禪院の恥だって、もう散々怒られてるはずだ」
彼は顎で直哉を指した。
「…………そうなんですの、直哉?」
少しも気づかなかった。
「……そないな雑魚が何言うたって、俺が強ければ関係ないやん」
直哉のこの返答は明らかに人望を失くす理由の一端だが、この家のしがらみを無視しているという点では好感を持てる。一族の反対さえ無視して甚爾くんへの憧れを貫くなんて、骨のある奴だ。
直哉は、呪力がない相手のことも素直に認めることができる。
「私、あなたが誇らしいですわ!」
本気で褒めた。
しかし同時に、俺の脳裏には激しい違和感が走った。
──じゃあ、真希ちゃんは?
そもそも、直哉はなぜ、呪力はないけど強い女の子だった真希ちゃんを執拗にいじめていたんだ?
《呪術も使えん 呪霊も見えん 取り柄のお顔もグーズグズ♪ もう誰も君のこと眼中にないで》
音MADではメジャーとは言わないまでもそこそこ頻出の語録。怪我人にこの語録をかますのは最悪だが、直哉ならまあやりそうだと思って、これまで深く突き詰めて考えたことがなかった。だが、直哉は甚爾くんに熱烈に肩入れしている。それは音MADからも十分に読み取れる程だった。つまり直哉は、俺がいなくても元々呪力のない人間を認めることができる人間だったのだ。
それなのに同じく呪力のない真希ちゃんに対しては、どうしてあんなにも残酷なことを言うように変貌してしまっていたのだろうか?
その問いの答えは、いくら考えても出なかった。