音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

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テストプレイ⑦ 領域展開

 禪院直哉は性格が悪い。日頃から「このポンコツな兄さんがいつ死んでも、俺は葬式で一滴の涙も流さんやろな」というシミュレーションを繰り返していた程だ。そしてここ数十秒の間に至っては、その空想はより具体的かつ過激なものへと変貌している。

 けれども直哉の拳は、その決定的な一線を越えられずにいた。

 兄が洗脳という不可抗力の被害者だからか?

 菜緒葉の助けとなる『転傷』という稀有なリソースを失うのが惜しいからか?

 あるいは、血を分けた兄弟としての情が1ミリくらいは残っているからか?

 ──否。

 理由はもっと単純で、吐き気がするほど残酷な事実に基づいていた。

 

 今の兄は、すぐには殺せないくらいに「強く」なっている。

 

 猛攻の中。兄が振るう刀が銀の弧を描く。直哉の眼前に白刃が煌めく。

 兄が受けているのは自我を完全に消失させるような安っぽい洗脳ではない。心の底に沈殿していた汚泥を汲み上げられ、全肯定された末の暴走だ。

 ──「殺したい」と「死んで欲しい」は違う。前者は冷徹な実務であり、後者はただの甘ったれた願望だ。直哉は兄に死んで欲しいと思ったことは腐るほどあるが、自分の手を汚して殺したいと本気で思ったことはない。

 しかし目の前の兄は違う。この男は明確に、そして心の底から直哉を「殺す」という実務を完遂したがっている。

 

「常識的に考えてさ、お前みたいな歪んだガキを当主にしちゃダメなんだよ。いいか直哉、禪院甚爾は一族を裏切った『猿』だ。そんな猿を神様みたいに崇める異常者に、一族の未来を託したい馬鹿がどこにいる?」

 

 ぶつぶつぶつぶつと。兄は憎悪の言葉を漏らし続ける。菜緒葉だったら「可哀想に……。完全に目がイッちゃってますわ……。早く元に戻してあげないと……」と同情するターンだが、残念ながら直哉にそのような情緒はない。

 

「……ハッ。ようやく本音が出たんか」

 

 嘲笑を浮かべながら、限界まで加速した反射神経で白刃を躱し続けるだけだ。そして内心では、最近では表立って甚爾の悪口を言わなくなっていた兄の本音に、著しい不快感を覚えている。

 甚爾を慕っていた千代が殺されたのは、弱く、そして女だったからだ。

 一方、菜緒葉のような賢い立ち回りができず、家中で平然と甚爾の名を出す直哉が殺されていないのは、直哉が男だから。

 ただ、それだけの理由。

 それを自覚しているからこそ、直哉は禪院家というシステムを憎悪し、同時にそこから脱却できない女や弱者を心底見下している。

 

 それでも兄の剣撃は直哉を菜緒葉から引き離すための緻密な間合いの制御を伴っている。真男佳から分け与えられた呪力のバフと、『定名綴魂』による思考の最適化ゆえだ。自分にも武器があれば一発やのに──不意にそんな弱音がよぎりかける。

 そこで脳裏に母の声が閃いた。

 

 ──呪力があるくせに得物ブラブラ下げとるような男は、何やってもアカン。

 

 直哉は奥歯が砕けるほど歯を食いしばり、自分の一瞬の弱さを叩き潰した。

 

「俺の方が強ければ、俺が当主になったって別にいいだろ? 実力主義なんだろう、この家は。みんながいつも言ってる通りだ」

 

 刀を振るう兄の声には、積年のコンプレックスが混じっていた。

 

「……はぁ? そういうこと言い出すから、兄さんはいつまで経っても間抜けのポンコツなんやて。本当に我が家が実力主義やったら、甚爾くんがとっくに当主の座に座っとるわ」

「当主の座を何だと思っている? 甚爾は呪具なしじゃ呪霊1匹祓えない猿だぞ!」

「じゃあ兄さんが今ブンブン振り回しとるそれ、何? ダッサ。甚爾くんみたいな気の毒な事情もないのにそんなん使てるやつは短小野郎だって、俺の母さんも常々言うてはったわ」

「……っ、母親の出が卑しいと、教育もその程度になるんだな!」

 

 兄は、どこかで聞いたことのあるような、使い古された悪口しか言わない。今のもきっと、酒の席で誰かが吐いた受け売りだろう。直哉ならこんな言い方はしない。言いたいことを言いたいように、強者の特権として、男の絶対性として出力する。それがどのような破滅を招いても、後悔など欠片もない。

 しかし、直蔵の剣撃は次第に過熱し、重さを増してゆく。

 

「お前も菜緒葉も、所詮は卑しい畜生腹の出来損ないの癖に調子に乗って……! 昔お前が躯倶留隊の奴の腕の骨を折った時、誰が報告書をお前を若干擁護する形で誤魔化してやったと思ってんだ? 菜緒葉が千代の件で『懲罰房の呪霊なんか未来永劫捌きたくない』ってワガママ言った時、各方面に頭を下げて調整したのは、誰だと思ってるんだよ!」

 

 兄は叫ぶ。

 それは『定名綴魂』の効果で《子》にされ、理性のブレーキを破壊された彼の、かつての磨耗の記録だった。

 菜緒葉なら反省を示しただろう。「本当は感謝していましたわ、元のお兄様に戻って……」くらいのことは口にしたに違いない。

 そうすれば、この男も多少は我に返ったかもしれない。家族愛の麗しさが、兄に禪院の秩序への忠誠を思い出させたかもしれない。

 

 だが、直哉は。

 

「知らんがな。そんなもん」

 

 一切の揺らぎもなく、心底どうでもいいと思いながら吐き捨てた。

 直蔵の表情が凍りつき、振り上げられた刀が空中で静止する。

 

「──は?」

「知らんもんは知らん。そもそも頼んどらんし」

「頼んでない、だと?」

「だって兄さんが勝手にやったことやん? 感謝して欲しかったんなら最初にそう言えや。黙って裏でコソコソやって、後から褒められなかったからって拗ねるんこそ卑しいわ。……反吐が出る」

 

 その瞬間、直蔵の瞳の奥で、何かが完全に砕け散った。

 彼が「兄」として長い間積み上げてきた自己犠牲の塔。それは直哉のたったの一言で、価値のない瓦礫へと成り果てた。

 

「……そうか。そうだよな。お前は、そういう奴だったよな」

 

 深い落胆と、冷え切った失望。

 直蔵の次の一閃は、これまでの猛攻を遥かに凌駕する速度と重さを伴って、直哉の肩口を掠めた。

 制服の生地が裂け、鋭い痛みが走る。鮮血が舞い、床に飛び散った。

 

 この攻撃を受けて、直哉は初めて感心した。

 ずっと馬鹿にしてきたが、兄は強くなれる素質のある人だったのかもしれない。

 もっと優しい弟がいたなら、もっとまともな父親がいたなら、兄だってもっと強くなれた。

 直哉の言葉は兄にとっては悉くが呪いだった。直哉が禪院家を呪っており、兄のような存在こそがその地盤だと思っていたからだ。外の世界は禪院家とは違って気が合いそうな面白い子達が沢山いたが、彼らは文字通りに他人を呪っていた。悪人だった。けれどもそれは自分も同じなのかもしれなかった。

 ──そのせいでほんの一瞬だけ「俺は他人が強くなる邪魔をしてばっかりやね」と思った。

 

「──ッ、どけやカス!」

 

 直哉は思考を振り切るように一気に加速した。

 兄の猛攻を紙一重で躱し、ボロボロになった廊下を蹴る。目的はただ一つ。菜緒葉のいる教室に戻ること、菜緒葉を助けに戻ることだ。

 

 

 ──しかし角を曲がった直哉の視界に飛び込んできたのは、203号室の入り口を塞ぐ、光沢を帯びた漆黒の外殻であった。

 

 それは呪術師にとっての最高到達点。

 一生を懸けても辿り着けぬ者が大半を占める、極致の風景。

 

 それを、自分と変わらぬ年齢の姉が。

 この土壇場で形にしようとしている。

 

 呪術師の成長曲線は一定ではないと父から聞いたことがあったが、まさかこれ程とは。

 

 心底嬉しい。誇らしい。

 

 けれどもこのままでは、直哉は母親と同じだ。

 愛する者の側にいられず、無様に死んでいっただけの女と大差ない存在に落ちぶれてしまう。

 甚爾の近くに行けない。

 菜緒葉に置いていかれる。

 そんな醜い存在には──女のようには絶対になりたくなかったから、直哉は愛する者以外の何もかもを呪い続けてきたはずなのに。

 

 

 

 しかしそんな直哉のナイーブな感慨など、今の菜緒葉(とマコ)は知るよしもない。

 

 そして203号室で展開されているのは、直哉が勝手に神聖視しているような高潔な領域などでは断じてない。

 もっと猥雑で馬鹿馬鹿しく、そして最高に愉快な再構築(リミックス)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 という訳で行ってみよう。

 10秒間の狂気、音MAD的領域展開!

 

 

 まず、視界から一切の色が失われた。

 いや、正確には世界が圧倒的な白一色に塗り潰されたのだ。

 203号室のヒビ割れた壁もひっくり返った学習机も飛び散った生々しい血痕も、すべてがキャンバスから消しゴムで消されたように消去される。

 そこに残るのは、影も光源も奥行きすらも存在しない、平坦で無慈悲なホワイトアウト。すなわち、新規プロジェクトを作成した直後の空っぽのタイムライン。

 その空中に極太のゴシック体で、無機質な文字列がポップアップのように浮かび上がる。

 

 

 

 

 

 

 

等級不明呪霊・真男佳 × 空音滞図(クオンタイズ) 音MAD

Composition / Directed by:禪院菜緒葉&魔虚(マコ)

 

 

 

 

 

 

 

 

「スタートですわよ!」

 

 俺の号令とともに、何もない白い空間の中に増殖した何十人もの真男佳が配置される。

 彼らは左右反転したりしながら一定の動きを繰り返し、BPM180の高速テンポに合わせて「あ、がっ、あ、がっ」と音階を刻み始める。

 

 領域内のルールは極めてシンプルだ。

 この203号室に垂れ流されていた真男佳の膨大な呪力、発せられた言葉、動いた軌跡──そのすべてを素材(フッテージ)として強制的にサンプリングし、白い空間に貼り付けていく。

 そしてタイムラインに並べられたすべての素材は、必中効果を伴う位置補正(クオンタイズ)によって、対象の魂をリズム通りに叩き続ける。

 必中攻撃の内容は対象の呪力や術式由来。必殺効果はなし。したがって、領域展開としてはかなりの省エネだと思う。これくらい省エネにしないと、俺では発動すら無理だとも言える。

 領域展開ガチ勢がこれを領域展開と呼んでくれるのかはよくわからないけれども──

 

「こんな……こんな汚いものが領域展開な訳あるか! 肖像権の侵害だろうが!! 遵法意識はどうしたんだ、教育者(おれ)に対して!! 俺は、俺は、俺は……!」

 

 ──どうやら、呪霊視点ではこれを領域展開とは絶対に認めたくないらしかった。

 真男佳はこれまでの余裕ぶったメンターの外ヅラをかなぐり捨てて絶叫している。自らの数十人の分身に包囲・攻撃され、見たこともない形相で怒り狂う真男佳。しかしその悲鳴すらも、今の俺たちにとっては面白おかしい音声素材にすぎない。

 音声を波形レベルで切り貼りし、ピッチをいじり、文脈を捻じ曲げる。

 すると必中の術式によって、真男佳の分身の口から絶対に言っていないはずの言葉が、一部ガタガタな滑舌で放たれた。

 

《俺は! 俺は! 俺は!……重度のロリコンなんかじゃなーい!!》

 

 ……言わせてみました。

 人力ボーカロイドチャレンジ、完。

 どうかな?

 

「言わない! 俺はそんなこと一言も言ってないから!! 捏造だ! 悪質な印象操作だ!!」

 

 真男佳が顔を真っ赤にして叫ぶ。

 ……コイツ、呪霊の分際でなんでそんなに肖像権とか名誉毀損を気にしてるんだよ。現代っ子の悩みを吸い込みすぎて、変なところまでアップデートされちゃったんだろうか。

 

 その間に領域はいよいよクライマックスへ向かう。

 真男佳の術式『定名綴魂』による「再配置」の効果が、音MAD的な過剰編集という必中効果によって逆流し、真男佳自身の魂を粉々にリマスタリングしていく。 

 そして、10秒目。

 

「……レンダリング終了ですわ」

 

 俺は言いながらパチンと指を鳴らした。

 瞬間、白い世界がガラスの割れるような音を立てて崩壊し、現実の新宿がなだれ込んでくる。

 総計10秒。

 即席にしては上出来すぎる、狂乱の領域展開。

 

 

 元の新宿の雑居ビル、桐永会の203号室。

 そこには、原型を留めないほどにぐちゃぐちゃに捩じ切れた肉塊が、壊れた蓄音機のように「あ……あ……」とノイズを漏らし続けながら転がっていた。

 これでもう大丈夫そうだ。

 同時に、脳を直接かき回されたような疲労感が襲う。

 視界がチカチカしてきた。

 

『マコくん、よく頑張りましたわ。でも、音圧はもっと強い方がドパガキ向けに再生回数を稼げそうじゃありません? あと最後の爆発エフェクト、もう少し低音を効かせて心臓に響かせた方がよかったですわね。次はもっと重厚なリミックスを……』

 

 菜緒葉ちゃん、今はニコニコ動画に投稿する場合の妄想を含めた反省会をするよりも、生き残ったことを喜ぼうよ……。

 

 俺はその場に膝から崩れ落ちた。

 全身が疲れて、もう一歩も動けそうにない。

 あとは直哉がお兄様をどうにかして戻ってさえ来れば──

 

 

 

 

 

 しかし、その時だった。

 床に転がっていた真男佳の肉塊が、既視感のある光を放ち始めた。

 

「……あ、は……。あははは……っ!」

 

 不快な笑い声とともに、ぐちゃぐちゃだった肉体が、あり得ない速度で再生していく。

 いや、再生ではない。

 真男佳のダメージが、まるごとどこかへ消えていくのだ。

 同時に、教室の外から——。

 

「……がっ、あ……あああああッ!!!」

 

 絶望的な絶叫。

 それは直哉と対峙していたはずの、兄の声だった。

 ドサリ、と何かが力なく倒れる音が静まり返ったビルに響く。

 

「……お兄様……?」

 

 振り返ると兄が倒れていて、そして直哉が兄の血を浴びて立ち尽くしている。『転傷』の発動だ。

 真男佳は眼鏡の位置を直しながら、何事もなかったかのようなスカした澄まし顔で立ち上がった。その顔には先ほどまでのダメージの痕跡など微塵もない。

 

「さっきのは流石に壮絶だったよ、菜緒葉さん。……でも、俺には子供がいて、親は子供への投資の配当を受け取る権利がある」

「……」

「『反転術式』は呪霊にとっては猛毒。だけど『転傷』は呪霊にも効くんだ。俺の致命傷を、彼はすべて自発的に引き受けてくれたよ。……直蔵くんは『転傷』が君の術式より優れているゆえんを、自分できちんと考えて行動したんだ。まだ息があるみたいだし、あと1回は使ってくれるだろうね。さて、君には大人を散々バカにした罰を受けてもらうよ! 菜緒葉さん」

 

 ──呪霊のために『転傷』を使うほどに堕ちていたのか、兄は。

 

 いや、違う。俺はちゃんとその可能性を、戦闘開始の時点から最悪のシナリオとして想定しておくべきだった。

 そもそも当初の兄は「これは子供の手に負える相手じゃない。炳に案件を移譲すべきだ」と正論を吐いていた。それを俺たちが自己都合で押し切った。その結果がこれだ。兄は真男佳の強化装置に改造され、俺たちの全力の領域展開さえ無効化された。

 

『もう少し上手くお兄様の手綱を引いていればよかったんですわ。……あんな人、適当におだてて転がしておけば離反されずに済みましたのに』

 

 脳内で菜緒葉ちゃんが冷徹な後悔とともに吐き捨てる。でもそれは違う。俺達は。あの人がこの家でどれほど孤独で、どれほど承認に飢えていたかを、心のどこかで知っていた。知っていて、見て見ぬふりをした。

 

『私はあの人に十分優しくしてましたわよ! 『反転術式』を覚えて、肉まんも買って、家事だってちゃんとして……態度が悪かったのはあちらでしょうが……!』

 

 反論する彼女の声は、どこか言い訳じみて聞こえる。

 あちらが上っ面だったように、こちらも上っ面だった。どちらが先だったのかを今更言い訳しても、もうどうにもならない鏡合わせの拒絶。

 曲がりなりにも、血の繋がった家族だったはずなのに。

 

 けれども。

 血にまみれ、肩から鮮血を滴らせた直哉が、動かなくなった兄さんのそばに膝をついた。その光景は、どこか宗教画のような静謐さと、反吐が出るようなおぞましさが同居していた。直哉は兄さんの力ない掌を無理やりこじ開けると、そこに何かをねじ込んだ。

 

 ……あ。あの、万年筆だ。

 兄がいつも使っている万年筆。なんとなく「兄さん忘れとるやん」とでも思って、出がけに持ってきていたのだろう。

 これは兄にとって大事な物だったのだろうか。

 俺はそんなことすら知らなかった。

 

「……何をしているんですの、直哉」

 

 声が震えた。直哉は答えず、ただ兄さんの指を万年筆に添えさせた。それは不器用な優しさなんかじゃなかった。呪いのようにも見えた。

 

「今の『転傷』、意趣返しのつもりか? 俺がこれくらいで絶望すると思ったん? 兄さんが俺をどう思おうが、禪院家の次期当主は俺や」

 

 兄の顔の近くで小さく言い、直哉が立ち上がる。制服は無残に裂け、左肩の傷口からはドクドクと血が溢れている。だが、その瞳だけは爛々と光を湛えていた。直哉はこの期に及んでも笑っていた。俺達の敗北、兄の裏切り、真男佳の脅威。そのすべてを、この弟は試練として喰らい尽くそうとしている。

 

「……ハッ。姉より脆く、弱いだけの君に、今さら何ができるんだい?」

 

 真男佳は愉快そうに肩を揺らし、こちらに手を伸ばす。

 ついさっきまで音MADの素材にされて「ロリコンじゃない」とか言わされていたくせに、とことん面の皮の厚い、空虚な奴。

 

 直哉は何も答えずに俺を見下ろしてから、技芸天印を結んだ。

 

 

 

 

 領域展開・時胞月宮殿

 

 

 

 

 景色が、漆黒に沈む。

 

「…………っ!?」

 

 真男佳の顔から余裕が消え、その場に倒れ込む。

 

 暗黒の中に、巨大な赤黒い臓器が浮かんでいた。両側に腸のような管が伸び、足元にも肉の道が広がる。そして、その中心。巨大な、あまりにも巨大な眼球が、静かに、だが絶対的な解像度でこちらを見つめていた。

 

 臓物の道に真男佳が沈む。 

 闇に浮かぶ臓器が何かを俺が認識する前に、風景は元に戻る。

 1秒にも満たない、刹那の領域展開。

 けれども、それだけで事足りた。 

 

 兄はどこか嬉しそうに目を閉じる。

 兄の『転傷』は発動しなかった。

 どうしてかはわからないけれど、兄は自ら、真男佳を『転傷』の対象から切り離したのだ。

 

 

 呪術師の成長曲線は一定ではない。

 弟は、色々な意味で成長したのだ。

 

 教室には静寂が戻る。

 倒れたままの兄。意識を失った子供達。

 そして、直哉の領域によって肉の屑と化した真男佳。

 

「姉弟揃って……なんて不潔で醜い領域なんだ……。こんなの想定外だ……」

 

 真男佳はギリギリ生きている。そして俺達のことをボロクソ言ってくる。

 子供の自由を重んじてるみたいなことを言ってなかったか、この呪霊?

 クッソ毒親じゃねーか。

 

 でも、今度こそ終わった。

 滅茶苦茶だるい。指一本動かしたくない。

 それでも体は動く。というか、菜緒葉ちゃんが主導権を握って、勝手に歩き始めた。俺の体は死にかけた真男佳の方へと引き寄せられていく。

 

 

「なあなあ菜緒葉ちゃん、俺も来たで、コッチ側っ!」

 

 

 疲労を隠せないながらも得意げにVサインを見せてくる直哉──俺達と違ってコイツだけ真面目に少年漫画してないか? 今回に限っては……。

 しかし菜緒葉ちゃんが動かすこの体はそんな直哉を普通にスルー、そして真男佳を相手に『菜切り包丁』を使い始める。

 

「……え、菜緒葉ちゃん。術式の焼き切れはどないなっとるん? 領域使った直後やろ」

 

 直哉が肩で息をしながら、信じられないものを見る目で俺を見てくる。

 

「焼き切れたのは『私』の術式ではありませんもの」

 

 菜緒葉ちゃんは淡々と言い放った。

 おい、それって俺の魂が持ってる術式だけがオーバーヒートしたってことか? じゃあ、実は菜緒葉ちゃんには違う術式があるとか?

 っていうかこれ、そもそも直哉に言っていい情報か?

 術式の焼き切れは「使用不可」じゃなくて「使用困難」なんだとでも言い訳しといた方が良かったんじゃないか?

 菜緒葉ちゃんは相変わらず脇が甘くて心配だ。

 直哉がスルーしてくれることを祈ろう。

 

「直哉、今からこいつを『調理』しながら食べ、食べながら『調理』します。あなたはそのままお兄様の応急処置を。あと、外部への連絡もよろしくね」

「あのぉ……菜緒葉ちゃん? 術式持ちを食うのは危ないんやなかったの? あと、今の『焼き切れたのは自分の術式やない』って話、詳しく聞きたいんやけど」

「一刻もはやく仕込みをしなければならないので、話しかけないでくださる?」

 

 ……自分でもやばいと気がついて誤魔化そうとしたのだろうが、結果的にはあまりにも人の心がなさすぎる菜緒葉ちゃんのコメント。あまりにも塩対応である。可哀想だから俺が主導権を奪い返して、何かフォローの言葉でも……と思ったが、無理だった。消耗が激しい。

 人間のカタチをした物をバラすのはあまりに重労働で、普通に余裕がない。しかし一刻も早く呪力を回復して『反転術式』で兄さんを救わないとマジで死ぬだろうし(菜緒葉ちゃんは「呪霊に加担した男なんて別に?」というスタンスっぽいが、あの洗脳は多分不可抗力だったろ!)、放置されてる塾生たちも心配だ。

 ということで直哉に大人を呼んでの後処理など諸々任せ、その間に今はとにかく真男佳に集中する。

 

 術式持ちの呪霊の肉は、他の雑魚とは密度が違う。『菜切り包丁』の刃を入れるたびに、真男佳という呪いの構造が脳内に流れ込んでくる。核を避けながら、生きたまま組織を分離し、不純物を削ぎ落とす。凌遅刑を施す処刑人の気分だ。

 

「痛い……。もうやめてくれ……。助けて……。君たちやっていることは拷問だ……。知性を持つ呪霊を生きたまま食べるなんて、マトモな人間のやることじゃない……」

 

 ミンチになった真男佳がどんな情けない声で命乞いをして倫理を説こうが、俺の心は凪いでいた。こうしていると、人間と呪霊の決定的な違いを感じる。真男佳は痛がっているけれど、そこに人間らしい後悔はない。単なる反射的な反応だ。

 

 まずは真男佳の足の肉を削ぎ、最小限の呪力を通した一品を作り、一口。その瞬間に自分の中で何かが決定的に変わるのを感じた。俺と菜緒葉ちゃんの境界線が一層クリアになり、同時に前世の記憶の解像度が跳ね上がる。最近は完全に忘れていた前世での友人たちの笑い声、退屈だった会議の風景、居酒屋のビールの味。それらが色彩を持って蘇る。

 

 そこで初めて、菜緒葉ちゃんは呪霊の返り血にまみれたままの体で、弟をぎゅっと抱きしめた。

 

「ごめんなさいね。事情があって、急いで食べたかったから。──あなたの『時胞月宮殿』、本当に興味深かったですわ。〈父〉殺しにはピッタリの素敵な領域。……あなたの一番深い部分に触れられた気がします」

 

 俺だと逆立ちしても出ないような妖艶さの混ざる声。

 その言葉に直哉は耳まで真っ赤にして黙り込んだ。

 俺に対してもたまにやる時があるけど、なんで菜緒葉ちゃんはこういう局面で謎のインモラルな色気を出し始めるんだ? メスガキお嬢様としての新境地開拓か?

 

「直哉。私達があなたの領域内で傷つかなかったのは、どういう設定条件? 気になりますわ。私達はあなたの思い通りに動けたの? それとも、私達だけはどう動いてもいいという指定? どうせコソ練してたんでしょうけど……正直、生きてる間のあなたには、領域展開なんて絶対に無理だと思っていましたわ。これこそ、家族愛の奇跡かしら?」

 

 菜緒葉ちゃんは矢継ぎ早な質問に交えてナチュラルなド畜生発言を繰り出す。生きてる間にお前に領域展開とか絶対無理だと思ってたとか、人の心とかないんか????

 

「失敬な。菜緒葉ちゃんにできることが俺にできひん訳ないやろ」

「ふーん。まだ強がるんですの?」

「強がりちゃうわ。……言っとくけど、俺の領域があんなんなのは、全部菜緒葉ちゃんが女なんかに生まれたせいやからね」

 

 直哉が蚊の鳴くような声で毒づく。

 

「いいえ。私がいなくてもあなたの生得領域はきっとあの形だった。私はあなたにわかりやすい物語をあげただけ。その物語が、あなたにとって救いであったのなら良かったのだけれども」

「……」

「ご存じ? 妊娠2カ月頃までの胎児は、体も脳も男女の違いはなくて、ホルモンの指示がないかぎり、すべての個体は『女性』の方向へ発達していくんですの。つまり、生物としての基本形は女。……ヴィクトリア朝の学者は、女のことを『男のなり損ない』だなんて呼んだそうですわ」

 

 俺には菜緒葉ちゃんが何を言いたいのかはさっぱりわからないが、その言葉は直哉には響いているようだった。

 引き続き真男佳をバラバラにしながら、菜緒葉ちゃんは続ける。

 

「みんな弱さを抱えてる。それは環境だったり、生来のモノだったり、『強くなることを諦めた自分は女とそう変わらないのかもしれない』というパラノイアだったりする。私としては、あなたにとって最も生きやすい世界を作ってあげたいところだけれども……」

「……菜緒葉ちゃん、もうやめてや。恥ずかしすぎて死ぬわ。……それより、術式持ちの呪霊を喰ったらそいつの術式を奪えるかもっていう仮説、前に話してたけど結局どうなったん?」

 

 直哉が強引に話題を逸らす。そういえば夢物語みたいな調子で、はしゃいでそんなことを言った気がする。けれどもそれは無理そうだ。まあ、人格問題が無事に片付いただけで十分なんだけれども。

 菜緒葉ちゃんもその辺りについては素直に答えた。

 

「……引き続き調伏を続けながら丸ごと食べても多分、体内で『定名綴魂』を疑似的に再現するのが精一杯。……本当に残念ですわ」

 

 菜緒葉ちゃんは俺と違って心底残念そうだった。真男佳の目玉で作ったキャンディを口に入れながら、とんでもない企みについて白状しはじめた。

 

もしもこの術式がもっとヒトのカタチを変革する可能性に満ちた物だったなら、私は全人類に子宮と呪力を与え、呪術師の美少女に改造していましたのに

 

 

 

 

 

 は?????????

 待って。さらっと言ったけど、菜緒葉ちゃん、それ……。

 

 人類補完計画ならぬ、全人類TS美少女化計画……?

 

 

 

 

 

 

 

 

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