音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

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極力グロや残酷描写を避けてきたし今回も概ねぼかしているんですが、今回人間型の呪霊を調理するのにタグなしはまずかろうと気づき、念のため追加しました。将来は術師同士の戦いも出てくると思うので、その際また今回つけたタグが役立つはずです…!


頭特級呪物ガールズ(?)の会

「もしもこの術式がもっとヒトのカタチを変革する可能性に満ちた物だったなら、私は全人類に子宮と呪力を与え、呪術師の美少女に改造していましたのに」

 

 私の語る壮大な福音に対し、マコくんが脳内でかつてないほどのボリュームで絶叫している。

 

『待って! ストップ! 落ち着いて菜緒葉ちゃん!! それ完全にラスボスの思考回路だから! 「人類は一つになるのだ……」とか言いながら謎の光に包まれて全人類をLCL化させるタイプのアレだから!! そもそもみんなが女の子になっちゃったら子孫繁栄はどうすんの、人類滅亡へのカウントダウンが始まっちゃうよ!!』

 

 びっくりした。私はてっきり、いつも優しいマコくんなら「それは趣味と実益を兼ねた完璧な考えだね菜緒葉ちゃん、俺も手伝うよ♡」と大賛成してくれるとばかり思っていたのだ。

 けれども彼が指摘した後半部分については、ぐうの音も出ないほどの正論だった。

 

「ああ、子孫繁栄ができないのは大問題ですわね。……あまり気は進まないけどふたなり美少女で妥協します? 生殖機能を維持しつつ可憐さを担保する。順当なソリューションではなくて?」

 

 嫌だなぁ。ちゃちゃっと女同士で普通に子供が作れる技術などを、誰かが開発してくれないものだろうか?

 

「……ふ、ふた……? 何やて、菜緒葉ちゃん。さっきから何を言うとるんや……?」

 

 直哉が困惑と、そして本能的な恐怖が混ざったような顔で私を見上げてきた。

 禪院家という明治時代で時計が止まったような閉鎖環境で、箱入り息子(性格は最悪だが)として育ってきたこの子に、インターネットの深淵が生み出したニッチなジャンルの概念を理解しろというのが酷な話だ。

 懇切丁寧に解説してあげようとしたら、脳内のマコくんがとうとう限界を迎えたらしくキレた。

 

『直哉に変な言葉を教えるな!!というか世界中の人間を勝手に改造しようとするその発想自体が邪悪だって早く気がついて!? 倫理観どこ行ったの!? ニコニコ動画のコメント欄にでも置いてきたの!?』

 

 マコくんったら、常識人ぶっちゃって。

 そういうところはキライではないけれど、私も私なりに色々考えている。

 これは決して、おふざけの発想ではないのだ。

 

 ちなみに真男佳は現在喋れない。醜い命乞いや聞くに堪えない教育論がうるさかったので、悲鳴を上げるための喉をあらかじめ掻き切っておいたからだ。

 しかしたった一つ残った右目に浮かぶ色は、もはや教師の威厳など微塵もなく、ただ純粋な恐怖と屈服に塗り潰されていた。

 指先を動かすたびに、その肉は『菜切り包丁』の術式に沿って美しく分離されていく。剥離した呪霊の肉を口に運ぶたび、ドロリとした重厚な呪力が喉を焼き、腹の底に沈殿する。それに呼応するように、私自身の術式への解像度が、脳裏でバチバチと火花を散らすように高まっていくのがわかる。

 

 ──そして同時に、最悪なことを沢山思い出す。

 マコくんが呪霊食で私を目覚めさせた時に、私自身が眠らせた記憶。

 男の3歩後ろを歩くしかできなくなった、弱く醜い私の記憶。

 

 それを思い出すと、かわいい弟にちょっとした意地悪──あるいは復讐さえしたくなる。

 

 人間のカタチをしたものを淡々と解体する今の私は、客観的に見ればさぞ悍ましく見えるだろう。マコくんはなんだかんだで感覚がイカレているからこれを単なる『調理』というクリエイティブな作業としか思っていないようだが、直哉は違う。

 男の子のプライドで「別に怖くなんかないんやけど?」というていを装いつつも、その瞳は明らかに怯えを孕んでいる。姉の言葉が本気だと察しつつも理解不能だし、姉の行為についても不気味だと思っている様子だ。

 そのことが、たまらなく気持ちいい。

 もしこれが初めて挑むような繊細な調理の最中でなければ、もっとじっくりと怖がらせて、泣きべそをかくまで遊んであげるのに。

 

「世界中が女になるのも呪術師になるのも、社会が根底からひっくり返って大混乱に陥るやろ。……そんなん日本が滅ぶわ。正気か、菜緒葉ちゃん」

 

 直哉が震える声で反論を試みてきた。

 私はそこで調理の手を一旦止め、とりあえず気絶したまま転がっている兄の傷を『反転術式』で修復しながら答える。

 

「あら、人間案外逞しいものですから、みんな案外すぐに慣れて平気になりますわよ。日本最初の女性総理大臣の誕生が今から楽しみじゃありません? 内閣が全員美少女で、優雅に呪霊を狩りながら政務を執る……。まるで魔法少女アニメみたい。想像するだけで、心浮き立つような気持ちになりませんこと?」

 

 ──『反転術式』の行使は、今の私にとって驚くほどスムーズだった。真男佳の肉を喰らったことで、以前は一発で枯渇していた呪力量の底が、目に見えて深くなっている。兄の肉体は、数日入院すれば元通りになるレベルまで急速に再生していった。

 致命的な欠点だった呪力不足が、この禁断の食卓によって改善されつつあるのだ。

 

「冗談……やよね? 菜緒葉ちゃん。笑えないで、それは」

「あら、私の言葉が冗談なんかじゃないのは、弟のあなたが一番わかっているでしょう。それなのにどうして何度も訊くんですの? 今回は力及ばずでしたが、いつかまた試します。相応しい術式を持つ術者が見つかれば取引する。呪霊がいたら調伏の方法を見つける。あらゆる素材をサンプリングし、世界をリミックスするのです」

 

『いやいやいや。そんなヤバすぎる取引に乗ってくれるの、ろくでもない呪詛師くらいじゃないかなぁ?」

 

 マコくんは延々と脳内で非難の声を上げているけれど──

 

 考えて欲しいですわ。

 世の中に呪力の有無や性別を自分で決めて生まれてくる人なんて1人もいないでしょう?

 運命という名の暴力に万人が襲われているのに、私の計画だけが特殊な暴力だと言われる筋合いはございません。

 インターネットの人たちはよく、「来世は美少女に生まれ変わりたい」と切実な願望を垂れ流しているのですから、これはむしろ救済ですらありませんこと?

 

『それは……願望と強制は違うというか……』

 

 呪力の有無。性別。ルッキズム。

 それに基づく差別と迫害。

 呪力がないからというだけで、自尊心を極限まで削られて苦しむ人がいる。

 女であるというただそれだけの理由で奴隷のように扱われ、殺されてしまう人がいる。

 この残酷なシステムがなぜ動き続けるか──それは、動かしがたい身体的差異という、呪いよりも強固な現実が横たわっているからでしょう?

 

『それについては……まあそうだね』

 

 全部どうしようもないことだと思っていた。  

 だから私は自分の中に引きこもって、マコくんに「禪院の女」としてのロールプレイを丸投げしていた。

 けれどもここ一年近く、マコくんと融合して泥の中を這いずって、ようやくわかった。

 私も、もっと戦わなくてはいけない。

 これは単なる私の性癖ではない。全ての人間のために必要なアップデートだ。

 

『……』

 

 私はまだ子供だけど、全人類の身体を均質化した先にユートピアが来ると信じる程幼稚じゃない。ただ、差異に基づく秩序を人類は数千年にわたって堪能した。もう十分だろう。そろそろ別の、もっと愉快でデタラメな方法を試すのも面白い。

 弟の領域の風景を見て、私のこの決意は加速した。

 

 生の場にして死の場。私達を産み育てた牢獄。〈男〉のパフォーマンスの下層にある「基本形」の露出が、〈父〉的な権威のパフォーマンスをする悪夢。

 

 私は弟と一緒に、もっと新しい世界を見てみたい。禪院家とは違う場所へ行きたい。弟が酷い男の人なんかにならなくても済む世界へ行きたい。その先にはきっと、マコくんみたいな私の理想の美少女達の楽園が広がっているはずだから。

 

 ──当の弟は呆然としているけれど、まあいいか。

 この子がすぐに私の新世界プランを受け入れられるとは、私も思っていない。

 

「………とは言え、あなたを女の子にするというのだけは、少しだけ複雑な気分ですわね」

 

 真男佳の体液に濡れた指先で、私は呆然としている直哉の頬をなぞった。

 

 私の片割れ。

 男の子に生まれた場合の私。

 

「あなたが女になれば、それは私がもう一人増えるようなものでしょう。……それって、少しだけ気持ち悪くないかしら?」

 

 直哉は完全に絶句してしまった。瞳孔が開き、呼吸を忘れたように固まっている。

 姉の語る、かわいい夢物語だ。別にそこまで怖がることはないでしょうに。

 

『いや怖いよ!! 君が2人になるとか怖すぎる。直哉の方が君より一万倍わかりやすくて扱いやすいからね!!!』

 

 と、マコくんだけがうるさかった。

 そうは言ってもマコくんの直哉への理解度は私より断然低いと思うけど。ただ、その割には私以上にいいお姉さんをしているのもまた事実なので、言い返すのは我慢しておく。

 

 マコくんとはゆっくり話し合う必要がありそうだ。彼の嫌がることはしたくないし、彼の人道的方針()とやらに私を納得させるだけの論理的なメリットがあれば、一部受け入れてもいい。

 でもまあ、彼もそのうちわかってくれるはず。

 私達は結局、同じ未来を目指しているののだから。

 

 ──そうこうしている内に『定名綴魂』の術式発動に関わる中枢部分は、概ね『調理』し終えた。

 

 眼球、唇、手のひら、胸部にある核の周辺、脳みそ、それから──。〈父〉の呪霊の術式と関係がありそうなパーツなんて、言われなくても誰だってわかるだろう。

 吐きそうなほどおぞましくて気持ち悪かった。余さず食べるつもりだけれども。

 

 術式と関係のある部位の肉は毒性が強い。以前、私達が『調理』した1級をネズミに食べさせたら、その個体は即座に凶暴化した。

 禪院の大人たちは色々ともっともらしい仮説を立てていたけれど、私の直感では、これは呪物が受肉する際と類似のメカニズムだ。耐性がある人や私のように魂が2つあるというバグを抱えた者でなければ、自我が食われてしまうリスクがあまりに大きい。

 術式とあまり関係のない部位ならそんな心配をせずに軽く手を加えるだけで安心して食べられるようになるけれども、術式と関係ない部分の肉はそもそも少ない。おまけにちょっとでも手が滑れば、別の箇所の毒がそこにも回る。実質フグ調理のようなものだ。

 そこでお父様も、費用対効果が合わないし何より危険すぎると判断して、この「術式持ち呪霊の調理プロジェクト」は一時中断しようとお考えになった。

 

 この辺りの、大人達の密やかな会話について、直哉はどこまで知っていたのだったか。

 すっかり忘れてしまった。

 この子はバカそうだし、実際バカな部分は山ほどあるが、真性のバカではない。

 そろそろ私とマコくんの関係性についてだって、勘づき始めた頃だろう。

 

 現に直哉の視線はさっきから少し痛かった。

 肩から血を流し、ついさっき絶望的な状況を乗り越えたはずの次期当主は、今や凄まじい目で私を凝視している。その瞳の奥では、凄まじい速度でニューロンが火花を散らし、何か思考を巡らせているようだ。

 

 マコくんが『可哀想に、「この女、禪院家を全員美少女にする気なんか?」って顔で怯えてるじゃん!』と脳内で同情の声を上げるけれど、とりあえず無視する。マコくんってたまに鈍いんですわよね。

 真男佳の腿のあたり、術式的な毒性が極めて低い肉をお刺身のように一口大に切り分ける。

 真男佳の術式と私の術式は凄まじく相性がいいので、『菜切り包丁』の調理技術も以前よりかなり上がっているし、ここなら他人に食べさせても安心そうだ。

 

「ほら直哉。口を開けなさい」

 

 血と呪霊の脂に濡れた指先で、真っ赤な肉片を彼の唇に寄せる。直哉はひきつった笑みを浮かべた。

 

「……な、菜緒葉ちゃん……これ、食べなあかんの?」

「ええ。この真男佳という呪霊、回復速度が異常に早くてなかなか死んでくれませんの。それとも姉の作ったごはんが食べられないとでも?」

「……っ」

 

 笑みを絶やさないまま、肉片を弟の口内へと半ば無理やり押し込んだ。咀嚼する弟の目は、切り刻まれてもなお勝手に再生しようとする肉塊と、それを『調理』し続ける私の顔を交互に見て、本気で、人生で初めての正解のない問いに直面しているようだった。 

 ちょっといじめすぎたんだろうか?

 

「さっきからどうしたんですの、直哉? そんなにダメでしたか? 人類総魔法少女化計画……」

 

 私は首を少し傾け、甘い声を出してみた。

 マコくんが時々素でやるやつの、人工バージョンだ。私は仮にも禪院の女だ。男が何を欲し、何に弱いかなど、骨の髄まで理解している。

(でもマコくんはどうしてこれを天然で、しかも全方位にバラ撒けるんですの? マコくん、恐ろしい子……)

 

『ダメに決まってるだろ!!「呪術廻戦」って絶対そんな漫画じゃないよ! 』

 

 脳内のマコくんがまたもやツッコミを入れるけれど、マコくんの原作知識はスカスカもいいところなので、この世界を確固たる現実として受け入れている私の考えの方が正しいに決まっている。むしろ、これまでにそういうことをしようとする術師がいなかったことの方が不思議だ。大人は案外バカなのかもしれない。

 で、現実の直哉の方はと言えば何も答えなかった。ただ、呪霊の肉を飲み込み、恐怖と憐憫が入り混じったような複雑な表情で私を見つめ返してくるだけだ。怖がられるのは当たり前だけれども、何故憐れまれるのだろう。

 

 沈黙が落ちた。

 少し悲しくなった。

 私はただこの子の手を取って、楽しい場所へ連れ出したいだけなのに。

 ワクワクするこの思いつきを、誰かと分け合いたいだけなのに。

 

 

 

 

 

 ──そこに、静寂を切り裂くように、鈴の鳴るような澄んだ声が響いた。

 

「私はとてもいいと思うよ、その発想。もっと詳しく聞かせてくれないかな?」

 

 反射的に入り口を仰ぐ。

 教室のドアの側に、額に縫い目のある綺麗な女性が立っていた。

 直哉に呼ばせた家からの増援などでは断じてない。その立ち姿からは、生物としての格が違うと言わんばかりの底知れないプレッシャーが溢れ出している。

 それでも私と直哉の2人が警戒よりも戸惑いを優先させてしまったのは。その女性が、あまりにも優しげな笑みを浮かべ──そして、そのお腹が誰の目にも明らかなほど、大きく膨らんでいたからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 待てど暮らせど、直哉に呼ばせておいたはずの禪院家からの人員は来ない。

 

 その間に額に縫い目のある女性──香織さんは、「とりあえず香織と呼んでくれ。で、私もこれ、食べてみたいんだけど」と言いながら、まるで近所のスーパーの試食コーナーに立ち寄るような軽やかさで、血生臭い203号室に踏み込んできた。

 

 まず考えたのは「結界を張ってるのにどうしてこんな不審者が入ってくるんですの?」ということだった。

 その答えは一瞬で思いついた。

 ……あ、この結界張ったの、役立たずのお兄様だった。 

 事前に指定した「味方」は出入り自由な仕組みになっている。

 罵ってやりたいが、兄本人も一度は死にかけた身で、おまけに気絶中だ。

 

 直哉が手負いの身で必死に私と彼女の間に立ちはだかった。

 

「……誰か知らんけど、そこどけや。……それ以上菜緒葉ちゃんに近づいたら殺すで」

「おや、威勢がいいね」

「ハッ、当たり前やろ! 俺、りょーいき展開使えるねんけど! 天才なんやけど!」

 虚勢を張っている。さっき目覚めたばかりの1秒ぽっちの不完全な領域を切り札に、愚かでかわいい私の弟は目の前の格上を牽制しようとした。

 香織さんは、慈愛に満ちた笑みを深くした。

 

「うん、私も当然使えるよ」

 

 撃沈。

 どう見ても嘘をついてる顔じゃなかった。

 私達とは格が違う。

 呪霊みたいな単純な生き物には本来そう入り組んだことはできないはずだから、今回の件には彼女が──呪詛師が噛んでいたのだろう。

 指名手配されている有名な呪詛師の顔はそれなりに覚えているが、彼女の顔は見覚えがない。つまり、捕捉されないレベルで狡猾で優秀な人なのかもしれない。

 この人のお腹の中の子は本当に人間なんだろうか、とさえぼんやりと考える。

 普通の子だったら可哀想だし、そうでなければ怖い。

 

『音MADしか知らなくてもコイツがヤバいのはわかる。ラスボス並みだ、本物のやつだ! とにかく地雷を踏まないように立ち回ろうね……!』

 

 脳内のマコくんの訴えに、私も全面的に同意できた。私達は消耗しきっている。そして目の前の女性は底知れないプレッシャーを放ってはいるが、今のところ明確な敵意は見せていない。

 ──精神汚染系の術式持ちの可能性は?

 考えれば考える程何もかもが疑わしいが、その手の術式だったらもう何を考えても無駄。やれることと言ったらせいぜい、なるべく彼女に触れられないようにし、目も合わせることも避けるくらいだ。

 ならば、今の私にできるのは──。

 

「こちらのお肉をどうぞ。ゆっくり座ってお話しましょう」

 

 私は努めて優雅な態度で壊れていない椅子を勧め、真男佳の肉を彼女に差し出した。

 精一杯の友好の表現にして、余裕のあるフリ。底知れない天才であるフリ。

 私は弟のような下手は打たない。

 彼女と上手く会話し、興味深い情報を与え、代わりに向こうの情報を引き出す。そして私達を見逃させる。

 

 ──驚いたことに香織さんは躊躇なく私が差し出した真男佳の肉を受け取り、口にした。

 それも、フォアグラのテリーヌでも吟味するような優雅な所作で。

 

「……ふん。呪霊の肉は味気ない物だと思っていたけど、君の料理は美味しいね。素晴らしいよ」

 

 なんだかわからないが絶賛してくれた。

 しかしその視線は顕微鏡で未知の細胞を観察する研究者のそれだった。

 でも、気にしてはいけない。

 

「核を凍結してから血肉を濾すとそうなりがちですわよ。呪霊の肉というのは、生かして絶望させて、肉を削ぎ落としながら死の淵ぎりぎりで呪力の質を書き換えていくのが、一番『美味しい』状態になりますの」

 

 私は満面の笑みで答える。

 傍らで直哉が信じられないものを見る目で私達を見ているが、構ってはいられなかった。

 香織さんは優雅な笑みを浮かべた。

 

「で、さっきの面白いお話の続きをしようか。具体的な方法は考えているのかい? ……全人類の女性化と呪力の最適化。なんというか、途方もない話だと思うけれども」

 

 香織さんは、大きく膨らんだお腹を愛おしそうに撫でながら、私の全てを肯定するように続きを促した。

 彼女はもしかしてただの呪詛師という訳ではなくて、私と似たようなことを考えているのだろうか。

 

「粗は多く、解決しなければいけない課題だらけですわ……呪術名家から絶えて久しい、呪霊を使役する有名な術式がありますわよね。こう、ポケモンみたいに呪霊をコレクションするようなやつですわ」

「……ああ、呪霊操術か」

「そうですわ! その血を我が家で取り込める機会を待ちます。きっと特級でしょうし、お父様なら喉から手が出るほど欲しがるはず。その使い手を禪院に引き入れて、真男佳のような『魂の形を定義する』呪霊をストックさせ、全人類の脳と生殖器官をリモートで一斉にアップデートしてもらう。……ただ、どうしたらこれを世界中にスケールできるかが課題ですわね。真男佳の場合は接触型でしたし、まさか世界中の人にタッチしに行く訳には行かないでしょう?」

 

 香織さんの瞳に、濁った水底で光るような共感と好奇心が灯る。

 

「うん、王道の発想だ。及第点かな」

『メッチャ悪いよ!!! 倫理の教科書をシュレッダーにかけてから話してない!?』

 

「──そのためには、どうして日本にだけ呪術師や呪霊が多いのかも調べないといけません。『150億年前に宇宙から飛来した初代天皇が、超次元呪術で日本列島を創造したせい』というのが、私のお気に入りの仮説です。呪術師のご先祖はUFOを乗り回すアヌンナキ!! ですの!!!」

『はいはい、君はノストラダムスブームに便乗して竹内文書とか超古代文明説を読み漁ってはしゃいでたもんなー!ラスボス候補相手にトンデモ歴史学をぶつけるなよ! 恥ずかしくて俺の魂が消滅しちゃうよ……』

 

 マコくんはいちいちツッコミがうるさい。

 たしかに今の話は突飛かもしれない。だが、この底知れない女の関心を繋ぎ止めるには、凡庸な正論など無意味だ。

 

「日本には一般出どころか海外の血が入った呪術師の方だって大勢いるんですから、日本列島という地場に何かあるのは確実ですわ。その『何か』を、全世界に広げるのです。血統には、御三家の大人が言っているほどの価値はない。……あっていい訳がございませんもの」

 

 私の言葉に、香織さんはフフッと声を漏らして笑った。

 

「いかにも禪院の娘らしい祈りだ。もっと実証的になった方がいいと思うが……まあいいか、続けて」

 

 直哉はまたもや私を憐れむ顔をした。

 

「日本に格別呪霊や呪術師が多いことの手がかりは多分、1000年を生きる天元様の知識にあるでしょう。私に結界術の才能がもっとあれば、天元様に弟子入りして、歴史の裏側を根掘り葉掘り聞けたでしょうに。……ああ、いや」

 

 ここは呪詛師好みの面白い話をしてみるか。

 

「単純に人々に呪力を与えたいだけなら、歴史のお勉強は要らないのかも。たしか、星漿体の同化は数年後ですわよね? 同化が失敗して日本が危機に陥り、強い呪霊が出てくるようになれば、人類はそれに適応するはずです。死に瀕すると非術師でも呪霊が見えると言いますしね。最初の十数年はそれはもう悲惨でしょうけれども、100年後はどうかしら。1000年後は?」

 

 真男佳の局部の肉を切り刻んで作った滅茶苦茶食べづらい刺身を噛みちぎりながらそう言う。この部分を食い尽くした瞬間、呪力量が一気に高まったのを自覚した。過去に体験したことのないレベル。もう出涸らしなんて誰にも言わせない。

 瞬間、直哉の表情が明らかに引き攣った。

 

「それは……それは絶対にアカンよ菜緒葉ちゃん」

 

 アカンどころではない。

 私は社会を危機に陥れる話をしている。

 勿論、ただの仮定だ。実践困難な妄想。これをすすんで実践するほどには私は狂っていない。

 けれども香織さんは盛大に笑い始めた。

 

「……君、まだ子供なのにそんなことを考えてるの?」

「だって人柱を捧げて結界を守るなんて、非人道的ですもの。私達はそろそろ先に進んでもいい。天元様に頼らずにこの国を守る方法を探せなかった先人達を、私は心底軽蔑しています」

 

 この言葉については本音だった。

 今までに何人が結界の生贄にされて、苦しんできたんだろう。

 天元様が凄いからと言って頼りきりで、それで大勢が助かると言い訳して、その子達の声など誰も聞かなかったのではないのか。

 私の家みたいでゾッとする。

 

「──で、私のプレゼンを特等席で聞いてくれるあなたはいったい何者ですの、香織さん。この呪霊……真男佳に、あなたも私と同じ可能性を見ていたのでしょうか?」

「いや、私が気にしていたのはむしろ君の方だよ。本当は遠くから観察するだけのつもりだった。君という容れ物はまだ頼りないけれど、真男佳を食べ続ければ、もう少し『育つ』かもしれないと思って」

「あら、もう十分育っておりますわよ。……こう見えて私、意外とトランジスタグラマーですから」

 

 このジョークはあまり受けなかった。

 香織さんは完全にスルーしてきた。

 私もあんまり面白くなかったと思う。

 

「だが、君の外殻よりも中身の方が高く査定できるかもしれない。もっと話を聞きたいな」

「あら、さっきから私ばっかりお話しして。……はしたない女だとお思いにならない?」

 

 ここからは探り合いになる。

 私が真男佳を解体する様を、香織さんは心底楽しそうに眺め、肉を食べる。

 私も作って、呪力で随時味変しながら食べて、時々弟の口にも突っ込む。少しでも回復できるように。

 それが切羽詰まった行動ではなく、楽しいお食事会に見えるように装う。

 

『装えてないと思うけど……』

 

 でも、何もしないよりマシでしょう?

 

『そうだな。この女相手には、俺より君の方が上手く対処できそうな気がする』

 

 完全にその通り。

 マコくんはいい人なので、悪党への解像度が低いのだ。その点私は──言うまでもないだろう。

 

「──そもそも香織さんはお腹に赤ちゃんがいるのに、どうしてこんな場所で私のような卑賤な女の話を聞きにいらっしゃったんですの? 旦那さんが心配なさるんじゃないかしら?」

 

 まずは私生活に探りを入れてみた。

 

「アレは私にゾッコンだけど、呪術については何も知らないから問題ないよ」

「あら、旦那さんに内緒で呪詛師をしているんですのね……。けれどもお金に困っているようには見えませんわ。思想犯の顔つき。『Q』とか?」

 

 呪術界を転覆したがっていそうな大きい呪詛師集団の名を、適当に上げる。反応で所属が読めるかもしれない。

 香織さんは不機嫌そうな顔をした。

 

「そんな雑魚と一緒にするなよ」

 

 ──えっ、『Q』って全然雑魚じゃないですわよね??

 

『情報ゲットだ。この女は1級術師レベルの構成員のいる組織を雑魚呼ばわりできる』

 

 つまりは指名手配のかかっていない、特級レベルの呪詛師の可能性がある。

 激ヤバだ。

 ──直哉はあからさまに「激ヤバやね」みたいな顔をしない! ポーカーフェイスを1から教えなくちゃ駄目?

 

 でもまあ、マコくんという一般社会で真っ当に働いた社会人の記憶がある私と違って、直哉は完全に子供。おまけにさっきから調子に乗っていじめすぎたせいで、精神的に追い詰められている。今日はキャパオーバーかもしれない。責めるのは可哀想だ。

 

『……そもそも姉が不審者と盛り上がってて口を挟む余地すらなかったら、誰だってこういう顔するよ』

 

「そんなに怖い顔しないでよ、禪院の弟くん。私は君たちとケンカする気はないよ」

 

 香織さんが直哉に微笑みかける。気さくな声色だったが、直哉は全く弛緩しなかった。

 こういう時の直哉は何をするかわからないので、正直ヒヤヒヤする。

 香織さんの情報は十分に揃ったし、彼女の機嫌を多少損ねてしまったことは事実なので──

 

「直哉。お客様にお茶くらいお出ししなさいな」

 

 私は努めて冷静に、日常のトーンで言い放った。

 

「菜緒葉ちゃんはさっきから変なことしか言わへんね。どこにお茶があんねん。ここ塾の教室やぞ!」

「馬鹿ね。自販機で買ってきなさいな。フロアのどこかにはあるでしょう」

 

 ──そして、そのまま逃げなさい。

 目配せにその意図を込める。

 幸い香織さんは今のところ私にしか興味を示していない。直哉がこの場を離れても、追うような真似はしないはずだ。

 

「菜緒葉ちゃんをこの人と二人きりにする訳ないやろ! 何考えとるんや!」

 

 直哉が吼えた。

 この子が私のお願いを断ったのは、生まれて初めてかもしれない。

 いても特に役に立たなそうだから遠ざけようと思ったのだが、物分かりの悪い子だ。

 香織さんは私達のやり取りを、動物園の来園者がミーアキャットの展示か何かを覗くような顔で眺めている。30秒後ぐらいには「畜生如きにも家族愛ってあるんだな〜と一瞬感動しかけたけど、いかんせん地味だね! さっさと本命のライオンコーナーへ行こうか!」と言い出しかねない雰囲気だ。気持ちはわかる。私もこういうテンプレみたいな庇い合いをアニメなどで見るたびに「もうわかったから次の場面に行きましょうよ」と思う。

 

「──と。まあ、とにかく! 失礼しましたわ。不躾な詮索でしたわね。あなたほどのお方が、その辺のチンピラの群れに収まるはずがございませんものね」

 

 マコくんの記憶にある得意先へのヨイショのノウハウを無理やり引っ張り出し、最大限の敬意という名のコーティングを施したつもりだったが──。

 

「……禪院菜緒葉。君、おべっかを使うのが致命的に下手だって言われたことないかい?」

『マジで下手だよ。こういうのは真心が大事なの! その点君は根本的に世の中を舐めてるっていうかぁ……」

 

 それはマコくんの勘違いだ。マコくんと、あの時私を受け入れてくれたお姉様以外の存在は、すべていつ牙を剥くかわからない捕食者だと私は認識している。

 

『……なお悪くないか? その「敵か味方か」の二択は極端すぎる』

 

「……ふふ。まあいいよ。その不器用さは、君の未熟さや愚かさではなく、中身の歪みから来ているんだろうからね。で、話を戻そうか。呪霊操術を引くまで待つ……なんていう受動的なプラン、本当に君の本心か? 全人類の呪力最適化、そのためのもっと具体的な手段は君の手の中にある」

「そうですわね。闘争よりも穏健なサブプランもございますの。名付けて……『呪霊食の一般化による全人類覚醒計画』ですわ! 」

 

 真男佳の肝臓を丁寧にペースト状にしながら、説明する。

 これはたまに妄想していたが、しっかりと考えるのは初めてだ。

 

「ほう? 詳しく聞かせて」

「大きな食品会社をフロント企業として設立し、給食やレトルト食品に高度に加工した呪霊の肉を混入させるのです。非術師に微量の呪力を日常的に摂取させ、呪術師の数を増やします」

「なるほど、バイオテロに近いアプローチだね。最終的にはアメリカに輸出できたら楽しいかもしれない。でも、資金も時間も足りないだろう?」

「……実は私、今持っている資産のほとんどを、アマゾンとアップル、それからエヌビディアの株に全振りしていますの。予言しますが、20年後の私は大金持ちになっているはずです。私の術式がそう言ってます……」

 

 実際は現在ITバブル崩壊の真っ只中であるのを幸いにマコくんが「転生チートやっちゃうぞー!」とはしゃいで買っただけなのだが、今の文脈では、未来を見据えたクールな戦略的投資に聞こえるはずだ。

 でも、話しながら自分でもいいアイデアな気がしてきた。

 

「とはいえ私の本命は人類美少女化の方なんですわよね。それこそ時間が必要です。とりあえず親類がうるさくなりそうなアラサーくらいの年齢で呪物になろうと思ってますわ。詳細な手順が見つからないので自信はないですが……世の中には二重人格になる程楽しいことってありませんし、いい子に食べられて楽しく共生したいですわよね。……失敗のリスクはあっても、結婚しなくて肩身が狭くなるよりはマシですし?」

『アレって純粋に不死?に憧れる野望だと思ってた。俺もちょっとなりたかったけど……呪物のなり方なんて一緒に調べるんじゃなかったぜ……』

 

 弟は私の本気と猫被りの違いを見抜く完璧な技能の持ち主なので、何かを察して表情が凍った。しかし香織さん側の反応はこれまでで一番良かった。

 

「人を呪物にするのは何度もやっていて得意だよ。なりたい時は私に是非声を掛けてくれ」

「本当?? 嬉しいですわ! でも、コールドスリープ詐欺みたいなのはごめんです。受肉の実績は?」

「いっぱいあるよ。疑わしいなら縛りを結んだっていい」

 

 ここで新情報だ。

 この人は何らかの方法で普通より長く生きていて、呪術師をフリーズドライする技能の持ち主。

 

「…………私にそんなに親切にして、香織さんに何の得があるのですか?」

 

 私は真男佳の肉を削ぐ手を止め、真っ直ぐに彼女を見据えた。

 

「得、か。そうだね。君とは確実に、途中までは上手くやれる。そう確信したからかな」

「途中……?」

 

 つまり、ある一線──彼女の思い描く変革のグランドデザインから私が逸脱するまでは、彼女は私に同意するということだろうか。

 

「ただ、君の呪霊食プランは単独で走らせるにはやや穏健すぎる。一億人に等しく薄めた呪力を分配したところで、生まれるのは一億人の『呪いが見えるだけの弱い術師』だ。それでは世界は何も変わらない。……いささか、退屈だ」

「退屈、ですか。……贅沢な悩みですわね。私だって禪院に生まれた女。そう、女です。人から見れば退屈で、卑しく、交換可能なパーツに過ぎない存在ですわ」

「今時そんなこと言うのかい? 君、もう平成だよ?」

「表向きの暦が変わったところで、根底の価値観はそう簡単には錆びませんわ。この塾も、禪院家も、結局のところ何も変わりませんでしたもの。……きっと世界中が、本質的にはそうなんです」

 

 甚壱くんに「顔がアカンわ」と直哉が言えば、禪院家の大人は怒る。けれども女中相手なら皆何も言わない。桐永会の男子達は、直哉が女の子に同じことを言った時に面白がっていた。偏差値が70以上あっても、そんなことにはあまり意味がない。

 この世界はそういう場所だ。

 でも、そのままにはさせない。

 傍らで直哉が、また悲しそうに私を見た。

 

「だからこそ私は信じています。どんなに弱い人間も等しく理想を持ち、志を持って世界を変革するための芽を宿しているのだと。呪術的な意味で、万人が強者に成り上がることに意味があるとは思いません。それでも、泥にまみれながら、自分の目指す美しき世界のために抗い、一歩を踏み出す。……そうやって気高く生きる人たちを私は尊敬するし、私もそうなりたい。私の計画は、そういう人に少しでも武器を与えるためにある。まだ誰も見たことのない世界を、私は、私の一番大切な人に見せてあげたいんですの」

 

 それはマコくんが教えてくれたことだ。

 香織さんはしばらく黙り込んでから、心底愉快そうに、それでいて慈しむように目を細めた。

 

「──100点だ、禪院菜緒葉」

 

 その賞賛は甘い毒のように私の中に染み込んだ。

 100点だと言われて嫌な気分になる人間がいるだろうか。少なくとも私は嫌じゃなかった。禪院の人達が褒めるのはあくまでもマコくんが丹精込めて作り上げた「私」であって、本当の私を褒めるのはマコくんと直哉だけだ。純粋な私自身が値踏みされることが、こんなにも心地よかったなんて。

 

『いや、菜緒葉ちゃんが昔と比べて前向きになってくれたのは嬉しいけど方向性がなー! まさかとは思うけど、ダークサイドに落ちたりしないよね?」

 

 肝心のマコくんは大呆れだったけれども、私は止まらない。香織さんは穏やかな声のまま、本題に入った。

 

「さて、合格点のご褒美。あるいは先行投資といこうか。君はいつか呪物になりたいと言ったね。その秘儀は、然るべきタイミングで詳細に教えてあげよう。他にも君の聞きたい呪術的な知識を追加で2つ3つ説明してもいい。その代わり……」

 

 彼女は膨らんだお腹を愛おしそうに撫で、私を射抜くように見つめた。

 

「君の術式について詳しく教えて欲しい」

 

 取引の天秤に乗せるべきものは、既に決まっている。呪物のなり方は正直なところ自力で研究してもいいし、不明瞭な期限は少し焦れったい。だけど、香織さんとの約束には十分な値打ちがある。

 

「ええ、いいでしょう。ただし条件がございます」

 

 声に震えが出ないよう細心の注意を払いながら、私は瞬時に条件の文面を組み立てた。

 

「この話は他言無用とすること。そして──あなたが認識できる範囲で、私の弟、禪院直哉への加害の意図を放棄すること。この2つを条件として追加した縛りを結ぶなら、私はあなたにすべてを教えますわ」

 

 完全な不可侵を求めれば拒否されるだろう。けれども「認識できる範囲で」と付ければ、自発的な加害のみを封じ、香織さんの行動の自由はほぼ損なわない。彼女にとっては大したコストではないはず。……逆に言えば、直哉一人の安全など、この女にとっては取るに足らない代物でしかないということでもある。

 私は生まれて初めて、外の世界での弟の命の値段を知った。

 そして私達自身の身の安全を取引に入れなかった私のエゴを、マコくんは怒らなかった。

 

『いい縛りだ。ありがとう』

 

 どうして怒らないんですの、と心の中で尋ねれば、少しカッコいい答えが返ってきた。

 

『アレだけ大言壮語をかました俺達が、ケチくさい自己防衛なんてできるかよ』

 

 大言壮語をかましたのは、全部私なのに。

 

 ──直哉は確実に怒るだろうが、構わない。目の前のこの怪物の気まぐれな食指があの子に向くことだけは、何としても阻止しなければならない。

 そして、案の定。

 

「……ッ、舐めんなや! 俺は次期当主やぞ! 菜緒葉ちゃんに、命乞いみたいな真似させて守られるなんて、死んでも御免や!! このおばはんに、そんな……そんな屈辱的な……ッ! 自分の身ィ守れや!」

 

 プライドをズタズタにされながらも、弟はまだ〈男〉という呪縛の中で足掻こうとしているらしかった。

 声が震えているのは怒りだけではなく、屈辱のせいだろう。女に庇われることは弱さであり、それはこの子にとっては死に等しい。

 その健気さが、今の私には酷く滑稽で、そして耐え難いほど愛おしかった。

 私は真男佳の体液に濡れた指先で、戦闘態勢に入りかけた弟の手を取った。まだ少年の柔らかさを残した手。骨格は男のそれになりかけているのに、掌だけはまだ子供のままだ。

 その手首から、頸へ。

 指先をゆっくりと滑らせた。

 頸動脈の拍動が、指先にトクトクと伝わる。

 

 人を斬らない縛り──あれはマコくんの術式に紐づいた約束だ。

 じゃあ、私のは?

 

 弟の瞳にもそれが理解として浮かぶのを、私は見た。さっき「焼き切れたのは私の術式ではない」と口を滑らせた時点から、この子は情報の断片を組み立て続けていたはずだ。

 

 私の中には「禪院菜緒葉」という完璧な女の子を演じるためのもう一つの魂がある。それにこの子は、もう気がついている。

 

「私の前に立たないで、直哉」

 

 私は静かにそう言った。

 

「私、あなたの背中を見るのがキライなの」

 

 あなたが前を向いて、私の手の届かない場所へ行こうとするのがキライ。

 あなたが私に背を向けて、自分の世界だけで勝手に強くなろうとするのがキライ。

 あなたが私の3歩前を歩くのなら、私はその背中を迷わずに刺すだろう。

 

 

 直哉は絶望と混乱が混ざり合った瞳で私を見つめ、そして──力なく俯いた。

 弟が黙り込むと、私は香織さんに向き直った。

 香織さんは軽く頷いた。やはりこの女にとって、直哉一人に手を出さないことなどは何の負担にもならないのだ。

 

「いいよ。条件は呑もう。菜緒葉と香織──いいや、羂索の間で縛りを結ぶ。で、聞かせてくれるかい? 君の本当の術式を。『菜切り包丁』──宿儺の御厨子の派生みたいなものじゃないのか?」

 

  さて。

 ここからが本当の勝負だ。

 

「……じゃあ、マコくん。少しだけ眠っていてくださる?」

『えっ、俺には教えてくれないの? やましい事情があったりする?』

「ないですわ」

『ダメだ。あの女の前で君を一人にはできない』

「仕方ないですわね。── ██████」

 

 内なる深淵へ向けて、私は呪詞を投げかけた。マコくんがこの体に宿って以来、彼という光に頼り切りだった私が、初めて彼を暗闇へと押し込める。

 

 これまでにこの手段を絶対に取らなかったのは、私なりの誠意。

 でも、私の本当の術式はマコくんにだけは教えられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 香織さん、ううん、羂索さんへの術式の説明は、真男佳の残りの肉を削ぎながら行った。

 直哉は壁際に背を預け、傷を押さえたまま聞いている。兄は床に倒れたまま気を失っている。気絶した塾生達は教室の隅に折り重なっている。蛍光灯が二本切れかけていて、明滅する光が教室の惨状を断続的に照らしていた。

 

 

「──と、いう訳で。男の子の3歩後ろしか許されない無様な禪院菜緒葉は無事に壊れていなくなったのですわ」

 

 

 ──私が説明を終えたのは、真男佳が力尽きて、その体が霧散するのと同時だった。羂索さんは、椅子の背にもたれかかり、期待外れだと言わんばかりに盛大な溜息を吐いた。

 

「……はぁ、それだけ?」

「ええ。それだけですわ」

「心底つまらない術式だね。期待させすぎだよ、君」

 

 羂索さんは窓の外を見遣り、それから再び私を見て、懐かしいものを見るような優しい顔で笑った。

 

「──でも、君は面白い」

 

 絶対に悪人なのに憎めない気がしてしまうのは、私も悪い子だからだろうか。

 しかし直哉の反応は全然違った。

 

「……俺のことそんなにイヤだったん?」

 

 泣いてはいない。泣いていないが、泣くよりもっとひどい顔をしている。この子がこんなにも弱々しく何かを語りかけてくる声を、私は初めて聞いた。

 私の二重人格状態は、羂索さんへの説明の過程でどうしても話す必要があった。どうせ直哉にはバレかけているし、一緒に縛りに巻き込んで他の家族に知れるのを防ごうという算段だ。

 けれどもこの事実は、直哉を傷つけてしまったらしい。

 あなたのことがイヤだった訳じゃない──と言ってあげようとして、少し悩んだ。女なんかに生まれてしまったばかりに、ずっと見下されていることが辛かった。音MADにでもなってくれないと受け入れられないくらいにイヤだった。

 でもそれはこの子だけのせいじゃない。家庭環境もそうだし、何より私にも責任があったかもしれない。マコくんが育てた直哉はちゃんと素敵だ。

 だから私は、自分にできる唯一の誠実な答え方を選んだ。

 

「直哉。私なんかよりもあっちの『菜緒葉』の方が、あなたをずっと高みへ連れていける。あの人があなたを導いたから、あなたは領域展開にまで辿り着いたの。お父様も、甚爾くんも、皆あっちの私を愛している。全部あの人のおかげでしょう?」

「……」

「だから気にしないで。最初のきっかけにはあなたもいたけど、あなたは何も悪くない。何もかも、あなたにそうさせた世界が悪い。……だからあなたはこれからも、もう一人の『菜緒葉』と仲良くしていてね。私はその間に、この世界そのものをリミックスして、誰もが美少女として愛される『正しい世界』への道筋を見つけますわ!」

 

 真っ暗な私は、マコくんの真似をして明るく笑った。

 私はマコくんの笑顔が好きだ。太陽みたいな、私の理想の女の子だから。私は美少女が好きだけれども、残念ながら世界は美少女の価値を理解しきれていない。マコくんは禪院家を少しずつ変えてくれている。美少女は世界を変えてくれる。だから世界中の人がTS美少女になってくれたら、本当に最高だと思う。

 

 羂索さんが笑い始めた。くすくすではない。上品に口元を隠すでもない。涙が出るほど笑い転げている。

 

「ははは! 素晴らしいよ! お互い頑張ろうじゃないか。いずれまた、今回のテストプレイなんかよりも断然面白い遊びを提案しに来るよ」

 

 そう言って、羂索さんは私に手を振り、立ち上がった。

 私は微笑み返した。

 

「ありがとうございます。羂索さんも息災であられますよう。……お腹の子のためにもね」

 

 最後の言葉を付け加えたのは、おそらくお姉様の影響だろう。

 以前の私にはこういう気遣いはなかった気がする。お母様を見て、子供を産むのは単に怖くて悲しいことだと思っていたから。

 でも今は、新しい命の誕生を純粋に祝福できる。

 真希ちゃんも真依ちゃんも恵くんも健やかであって欲しい。

 そして、羂索さんの子も、同じようでありますように。

 

 

 羂索さんが去り、沈黙が降りた瞬間、直哉は声も上げずに泣き始めた。

 私にはどうしてこの子が泣き始めたのかがわからなかった。

 もうすぐマコくんが目を覚ます。

 起きたら泣いている弟を見て「また何かやったなサディスト!」と私を問い詰めるだろう。

 

 私はマコくんに怒られるのが苦手なのでそれが面倒くさいなぁと思っていて──そして同時に直哉に対して「お母様が死んだ時すら泣かなかった癖に」と、少しだけ考えた。

 

 

 

 




シン菜緒葉ちゃんに初めてのお友達ができました。
やったね!
脳みそ露出状態で「キッショ」と言ってる音MADの愉快な登場人物とミステリアスな美人妊婦が同一人物だという残酷な事実を、彼女は夢にも知りません。

後日談1話挟んで第2部は完結予定。
第3部タイトルは「掌中の珠を砕く」かな。
ちょうどいいタイミングかと思い、せっかくなのでコメントで来ていた質問に回答しておきます。

Q1.2話前の姉弟連携の原理って要するにどゆこと?

A1.説明難しくて書きながら自分でこんがらがっていたし今もこんがらがってますが、以下の想定で書いてました。
直毘人が水止めるのに使ってた技の応用です。

①術者に触られた対象も「1/24でいい感じの動きを考えてお前も行動しろよ」というミッションが課せられる→②事前知識がなければ(あっても上位層じゃなきゃ)不自然じゃない1/24の動きを即座に思い浮かべるのは不可能なので、普通は失敗してフリーズ→③「これめっちゃサポ向き性能じゃん!」と気づいたマコが10通りほど1/24刻みの動きのパターンを記憶しストック。「あっこのコンボ使えそうだな」と思ったタイミングで直哉に触ってって頼む。直哉側にも姉の脳内ストックは事前連携されてるから「使えそうやん」と思ったタイミングで即触ってくれる。→④ミッション成功!

前者はともかく後者は常識的に考えて事故りまくりそうだが、シン菜緒葉が隠し持つ東堂ばりの気持ち悪さのおかげで一切事故らない。
(「事前特訓の賜物だよ!」とマコくんは供述していますが、事前特訓でもほぼノーミスです)
とはいえ時間経過で攻撃の単調さがわかってくるはずなんで、頭いい人なら余裕で対処してくる。
(触ったものに無条件発動ではなく任意発動なら、シチュによってはこれ使ったブラフを組み込むのも可能だけど…任意の認識でいい?)

もし違和感ある点あれば「術式って解釈で結構変わるからな…」と優しい目で見逃してください…多分これから拡張してくし


Q2. 「術式を使って人を斬らない縛り」の詳細

A2.マコは斬る対象の指定が化け物じみて上手いので、どう足掻いても人の肉だけは一切斬れない仕様に『菜切り包丁』完全適応・魔改造して使ってます。もし五条を斬ったら服だけ斬れます。
シン菜緒葉のスキルツリーの詳細はまだ回答できませんが、今回から『菜切り包丁』使用時の掌印省略が可能になりました。そして人を斬らないというのはマコの意志で結んだ、マコの未来の可能性に関する縛りなので、シン菜緒葉の方は斬ろうと思えば人を斬れます。でも現状世界斬をマスターできてないので、五条を2.5条にはできません。


Q3.「毎日術式を使って料理しないと呪力が半減する縛り」の詳細

A3.数日意識不明とかのやむにやまれぬ事情でも呪力が半減します。こっちの縛りはボディの問題なので両方に有効です。ただし料理の定義については相当ガバガバで、自分か食べる人のどっちかが料理認定してればオッケー。
とはいえマコは「普通にガッツリ料理するのが一番経験値が入るんだよな〜」ということで、いまだにキッチンにも結構な頻度で立ってます。マコのこの行動のせいで今後の禪院家の女術師は苦労するだろうとシン菜緒葉ちゃんは気づいてますが、これをやめて禪院の男術師の反感を買うリスクと天秤にかけ、何も言ってません。
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