音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

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5話くらいで第三部終わるとか言ってたけど、ウソですごめんなさい…
10話くらい行くかも


花物語

 病室のドアを開けると、午後の柔らかな光が差し込んでいた。その光の中に横たわる彼女を見た瞬間、俺の心臓は一瞬嫌なリズムで跳ねた。

 お姉様の顔色は透き通るように白い。それは宗教画に描かれる聖母のような浮世離れした白さに見えた。その神々しさが、かえって俺を心細くさせた。

 

「……菜緒葉ちゃん、また来てくれたの?」

 

 彼女がゆっくりと目を開ける。その声は春の終わりの風のように儚い。

 俺は「禪院菜緒葉」らしいお嬢様らしい所作でガーベラを花瓶に差した後、椅子に腰を下ろした。

 

「少しでもお顔が見たくて。……ご気分はいかが?」

「ふふ、大丈夫。こないだよりずっと楽だよ」

 

 嘘だ、と俺の深層心理が冷徹に告げる。前世で何度も演じた、看病される側の気遣いの顔だ。

 

「甚爾くんが明々後日までお仕事で帰ってこなくて寂しいですわよね。我が家が恵くんを預かれる感じの家なら良かったんですけど……。あのシウさんって人の紹介でしょ、大丈夫かしら」

 

 明らかにまともな人脈じゃなさげだけど、それでも禪院家で恵くんを預かるよりは甚爾くんの精神衛生上ましだと判断した。それでも、変な仕事じゃないですわよね、と3回くらい確認してしまった。

 

「私も1回会ってるけど、意外にいい人だよ。シウさん。好きにはなれないけどさ」

「どうして?」

「甚爾を遠くに連れてっちゃう気がする」

「……」

「妬けちゃうねー」

 

 冗談めかしてお姉様はくすくすと笑う。

 

「……本当に、私の家がもっとマトモなら色んな手助けができたのに。いや、私がもっと大人なら」

「十分だよ。お花に水やってくれてるんでしょ? ……というか、大事な着物を甚爾に渡そうとしたんだって? 気持ちは嬉しいけど、張り切りすぎ」

「ごめんなさい……」

「5日後には心臓を助ける機械をつけるから入院は伸びるけど、甚爾がバッチリ稼いできてくれるから大丈夫だって」

 

 ああアレね、と思った。体の中に小さなポンプを埋め込んで、退院して、バッテリーパックを肩から下げて日常生活を送れるようになる装置。前世にそれを装着して元気に退院していった人は見たことがある。退院できて羨ましいなと素直に思った。だから安心したいと思いつつも、どこか誤魔化されている気もした。

 しかし深追いもできない。入院はもう3週間目に差し掛かった。そしてこの時代、がん告知ですら本人に伝えるか家族に任せるかで議論がある。なのに明るく振る舞っているお姉様に他人が変な質問をして、不安にさせてしまうかもしれないと思うと、詳しい話なんて聞けっこない。

 だから俺にできるのは当たり障りのない話ばかりだ。

 

「というかさぁ、いい着物って余裕で数十万するんでしょ。そんなものもらえっこないから」

 

 あっ、桁が違う。

 これ、本当の値段は教えられないやつだな。

 

『マコくん、体貸して。私もお姉様と喋りたい』

 

 ──いいよ。しばらく返すね。

 

 主導権を渡すと、菜緒葉ちゃんは言った。

 

「……お姉様。私にとって、着物なんてそう重要ではありませんのよ。何かしたかったの。私の『反転術式』が無力なばかりに何もできなくて、だから代わりに何かを」

 

 平安時代の術師は欠損部位をぽんぽん再生して、なんなら心臓をゼロから再生させていたようだが……俺達は明らかにその範疇には到達していない。自分の心臓ですら怖すぎるのに、効果が半分以下のアウトプットを他人の心臓に、それも大事な人の心臓に使うなんてとても無理だ。

 しかも俺も菜緒葉ちゃんも頭の作りがドのつく文系だから、医療知識もほぼ皆無。毒や病原菌の除去をできるような力もない。

 いや、アウトプットできるだけでもだいぶ珍しいんだけどさ。いざできるようになると、どうしてもっとできないんだろうっていう気持ちでいっぱいになる。考えても無駄だが、つい考えてしまう。

 

「私はお姉様が好きなので。誰だって、好きな人には何かしたいと思うでしょう?」

 

 俺にとって、そしてそれ以上に菜緒葉ちゃんにとって、この人は単なる友達の奥さんなんて枠には収まらない、決定的な重要人物だ。

 かつて甚爾くんが結婚という道を選んだとき、彼から遠ざかった。最強の破壊者が家庭という檻に入ったことが、直哉には耐えられなかったんだろう。

 けれども菜緒葉ちゃんはその真逆だった。

 彼女は、一方的な同族意識と憐憫の対象であった甚爾くんを決定的に変えたこの女性に、吸い寄せられるように近づいていった。

 菜緒葉ちゃんにとって、彼女は欠落した母親の代わりだったのかもしれない。

 いや、それもあるがそれ以上か。

 菜緒葉ちゃんが彼女を「お姉様」と呼ぶとき、そこには女学院モノのアニメで後輩が完璧な先輩に向けるようなちょっと重い献身が宿っている。

 

 友禅を持ち出したのは菜緒葉ちゃん発の提案だった。

 

 お姉様はベッドの上で頼りなげに手を差し出した。

 

「じゃ、ぎゅーってしてよ。前は私の顔を見るなりぎゅーってしてくれてたよね。甚爾が軽くキレて、無理やり引き剥がすくらい」

 

 俺は仮にも元男なので、菜緒葉ちゃんの影響を強く受けているタイミング以外では人妻に積極的なボディタッチはしない。

 けれど菜緒葉ちゃんは違う。

 菜緒葉ちゃんはゆっくりと身を乗り出し、彼女の細い肩に顔を寄せた。強く抱き留めるというより、彼女の熱を壊さないように支えるような抱擁だった。

 

「……私、もう、大人なんですけれども」

「何言ってんの、全然子供のくせに」

「我が家では、そう言ってくれる人はあまりいませんわ。私の判断力を軽く見積もりたいタイミングでだけ、みんな私を子供扱いするんですの」

 

 お姉様は菜緒葉ちゃんの頭を優しく撫でた。その感触は勿論、俺自身にも伝わる。

 俺はおそらく、この人に対してほとんど畏怖に近い感情を覚えている。

 この人の病状は多分、菜緒葉ちゃんが思っている以上に悪い。それでもこの人はまだ、聖母の顔をしている。

 

 この人はもしかしたら、俺が知っている中でも、最も誇り高い人かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前世は病死だった。中学生の時に発病して、高校は行けなかった。無事に治ってから高認を取って、親戚のやってる会社で働き始めたものの、数年後に再発してジ・エンド。

 俺の人生の多くは、消毒液の匂いと点滴の滴る音で構成されていた。

 

 今の俺も同じ場所にいる。

 ただ、隣には、20代の艶やかな姿をした菜緒葉ちゃんが座っている。彼女が纏っているのは、朝焼けのような薄紅に四季の花々が咲き乱れる、息を呑むほど優雅な友禅の振袖。

 甚爾くんに突き返されたアレだ。

 彼女はベッド脇に置かれた冒涜的な意匠の肉の椅子に腰掛けていて、その肌色の肉の一部はベッドのフレームに茨のように絡みついていた。

 俺たちは一つのイヤホンを分け合い、スマートフォンの小さな画面を見つめる。そこにはかつての俺が熱狂した音MADの世界が映し出されている。

 画面の中で家族が次々に死んでいく。

 こっちにきてからしばらくの俺はその動画群を最高に面白いと思っていたが、最近では菜緒葉ちゃんばかり楽しそうにしている。

 そろそろ見飽きた定番のパターンの中に、新たに煌めく新規のパターンを見つけてはしゃぐ。そんな時の彼女の、くすくす笑う声はかなりかわいい。彼女が見ているのが、自分の弟が女に背中を刺されて死ぬシーンでなければ、だが。

 そして動画再生が終わると、彼女は無表情になって言った。

 

「マコくんは人が死ぬ漫画なんか読みたくなかったし、短い動画しか見る元気がなかったのよね」

「……」

「可哀想な人」

 

 これは本物の菜緒葉ちゃんではない。

 俺の固有の悪夢だ。

 

 続きの展開はその日の呪霊料理の献立によって無慈悲に書き換えられる。エログロナンセンスなんでもあり。取り込んだ呪霊の等級が上がれば上がるほど、夢の彩度は増し、グロテスクな純度は高まっていく。

 

 特級に近いであろう真男佳を喰らったあの夜以来、俺が見る悪夢の質は明らかに変容した。

 以前の悪夢は菜緒葉ちゃんという個人の傷の記憶の断片に過ぎなかった。ドブカス時代の幼い直哉の所業五十選、あるいは名もなき女中として使い潰されるルート、もしも母方の実家で育てられていたら……という悲しいイフの切れ端。エトセトラエトセトラ。どれもやけにディテールが凝っていて、起きた時には決まって体が重くなった。

 しかし今では悪夢の内容は変質し、より一層俺という個人の深層心理に寄り添い始めている。おそらくは菜緒葉ちゃんのか弱く儚い魂を維持するために彼女の内側に注ぎ込まれていた呪いが真男佳という巨大な質量を取り込んだことで決壊し、俺の意識へと溢れ出し始めたのだろう。

 

 真男佳で経験値を貯めた最近は、1級呪霊を普通の術師でも発狂せずに安全に食べられるように捌くコツを見つけた。

 とはいえ俺と直哉以外は初回でダウンし「そもそもこんなのを必死こいて食べる程呪力に困ってない」と主張。費用対効果はやっぱり良くない……という話に落ち着きつつも、余裕がありそうな時は姉弟2人で勝手に食べている状態だ。

 

 で、たまの夜にはこうやってグロッキーになる訳だ。

 

「どうしてお姉様の未来を知らない訳?」

「……」

「どうして甚爾くんの知識なしでこっちに来たんですの?」

「……」

「音MADなんてクソくだらない物見てないで、原作のことをちゃんと知っときなさいよ!」

 

 死にかけていてもはやお喋りする元気もない俺に、粘着質に詰問してくる大人の菜緒葉ちゃん。

 音MADをこよなく愛する本物の菜緒葉ちゃんは絶対にこんなことは言ってこないので、これは単なる俺自身による精神の自傷である。

 

 病院には不似合いな沈香の匂いをふわりと漂わせる菜緒葉ちゃんは、俺の耳元で延々と甘い猛毒の声を被せる。

 

「お姉様に何かあったらそれはマコくんが無知で無能なせいだからね……」

 

 視界の端で、病室の白い壁がゆっくりと脈打ち始める。壁紙の合わせ目から真っ赤な血が染み出し、天井からぼとぼとと臓物や眼球、血に濡れた眼球の雨が降り続ける。

 ふと見ると、俺の腕に刺さった点滴のチューブの液体が、不気味な紫色になっていた。

 

 そして病室に漂う消毒液の匂いが死臭に変わる寸前で、俺は強引に意識の底から引き上げられた。

 

 

「……マコくん、起きなさいな。いい加減、私にヘンテコなことばっかり言わせないでくださる?!」

 

 

 菜緒葉ちゃんの声が歪んだハウリングとなって脳内に反響する。

 次の瞬間、風景はぱっといつもの生得領域に戻った。

 

 

「もー。なんて夢見てるんですの? 私あんなこと言いませんわよ」

「そうだね。君が音MADを馬鹿にする訳がない」

「じゃなくて、マコくんを無知とも無能とも思う訳ありませんから! 私は性格悪いですけど、自分の知らないことを相手も教えられないってだけの状況でそれにキレるほどダサいつもりはありません!」

 

 子供姿の菜緒葉ちゃんがぷくっと頬を膨らませて俺を睨む。さっきまで隣に座っていた大人の菜緒葉ちゃんとの表情のギャップがあまりに激しい。

 

「てかさ、菜緒葉ちゃん」

「何」

「甚爾くんがあの着物、受け取ると思ってた?」

「思ってましたわよ。当たり前じゃない」

 

 菜緒葉ちゃんは振り向いた。

 その頬は少し赤い。

 

「だってあの人、結婚前は直哉からサクッとお金をもらってたでしょう? 私達から受け取るのが当然みたいな顔してましたわ。だから、今回もそうするって……そう思って、一番効率のいい物を持ち出したのに……」

「まあ、数百万する着物は常識的に考えて受け取らないよな……」

「ふん、甚爾くんに常識が芽生えていたのが計算外ってことですわね」

「そういうナチュラルに無礼な態度だから悪霊だと思われるんだよ、君は。……でも、本当に大丈夫なのかな? 巨額の金銭援助を断られたら、もうやれることないし、お医者さんに任せるしかないんだろうけど……」

 

 とにかく胸騒ぎがする。

 病人が元気なフリをする時の演技は見慣れている。自分がそうだったから。

 しかもあのお姉様の性格からすると、個室を取っている時点で相当病状は重いだろう。

 

「……あの甚爾くんが『どうにかする』って言ってたから、どうにかなる範囲ではあるんじゃないかしら。あの人、無理なことを『どうにかする』って言う人じゃありませんから。でも、甚爾くんが無茶しないかは心配ですわね」

「じゃ、直哉経由でさりげなくお父様に頭出ししてみるよ。俺らの金はともかく、禪院家の金ならあの人も気にせず使うだろ」

「ハードルは高そうですけどねぇ」

 

 お姉様の病状について、菜緒葉ちゃんが俺ほど深刻には取っていないらしいのが、経験値の差なのか現実逃避なのかはよくわからない。俺達の魂は別々の形で確立していて、以前ほど感情が混じり合わないからだ。

 ……不安にさせるようなことを言うのは避けておくことにした。

 今の繊細な状態の菜緒葉ちゃんに変なショックを与えると、尖りに尖った思想が更に過激化しかねない。何より、それは俺達を心配させまいとするお姉様の意志にもそむくことだ。

 俺は真男佳の成れの果てに背中を預ける。最近ようやく見慣れてきた、不気味な可塑性の肉の椅子。菜緒葉ちゃんの、つまり俺達の体の中で擬似再現できる『定名綴魂』の発動用オブジェクト。用途は主に互いの記憶や思考が交じり合いすぎないようにすること。しかし肉の溝をなぞれば、今日の呪霊食で菜緒葉ちゃんが見た悪夢を確認することができる。

 

「待って待って待って……マコくんのエッチ! 女の子の夢を勝手に見るの禁止! プライバシーの権利を主張します!」

 

 菜緒葉ちゃんは軽口を叩きつつも結構ガチな感じで止めてきたが、やめてあげない。最近彼女に好き勝手されている意趣返しだ。

 

「君も俺の夢、勝手に見たろ」

 

 肉の溝に指を沈めると、ぬるりとした感触の奥からどこか懐かしい匂いが沸き立った。そのまま指を深く押し込むと、視界が切り替わる。

 

 

 

 

 パチン、と。

 布団と最低限の家具以外は何もない部屋に繰り返し響く、乾いた音。

 

 私は黒い着物を崩して座る弟——直哉のすぐ横に座って、彼の右手の爪を切っている。

 地味な着物は邪魔にならないよう襷で上げて、伏し目がちに主人の指先を捧げ持つ、だなんて。

 赤の他人が見たら、絶対に私達のことを姉弟だとは思わないだろう。こんなの姉への扱いじゃない。

 

 照明が反射する髪は、去年あたりから染め始めたんだったっけ。私は髪を染めたことがないのでよくわからないけれど、この金色を髪質を傷ませずに維持するのは、すごく手間がかかるだろう。「この家には坊主ルールを強制されながら頑張ってる躯倶留隊の同年代の若い子がいっぱいいるのに、陰口を言われないのかな」と一瞬心配になったが、元から言われてるか。

 第一、私は彼に諫言できる身分ではない、

 

 私は所詮ただの女中だった。そして直哉は私をこうして毎週水曜夜に呼びつけては、身の回りの世話を色々とさせる。内容は日によって違う。自分でできるはずのことをわざわざ私にやらせる意味については、あまり深く考えないことにしていた。

 

「……なあ君、聞いてるんか? 甚爾くんの最期の話や」

 

 パチン、パチンという乾いた音の合間に、黒い着物をだらしなく着崩した直哉は、私の苦労も知らずにベラベラと喋り続けている。

 あなたって、一体何歳児なの?

 爪くらい自分で切ったらいいのに。せめて、最近お気に入りだと噂の側仕えにでもやらせればいいのに。禪院本家の男を相手に本気になる程おつむの軽いあの新入りちゃんなら、愛に満ちた奉仕と奴隷労働の違いも、きっと判別できないだろう。

 私にはその境目が、いつもはっきり見えてしまう。見えてしまう程度の頭はあって、それでいてこの立場から動けない程度には、私は女だった。

 

「……聞いておりますわよ。あと少しで五条悟を殺せる、かなり惜しいところまでは行かれていた、というお話でしょう?」

「そうや! ほんでな、甚爾くんがほっぽり出してた息子の恵くん、ようやく見つかったんやけど……あの子は結局、悟くんが引き取って育てることになったんやて。それを聞いた時のパパ、ちょっとキレててオモロかったわぁ」

 

 直哉は愉快そうに笑う。

 

「……ふぅん。あの当主様が。いつも上機嫌でいらっしゃるのに……」

「君の前ではな。パパのお気に入りやもんね」

 

 直哉の言葉に、私は何も答えない。困ったような笑みを浮かべてみせるだけだ。答えれば角が立つ。答えなければ流れていく。誰に教わったのでもなく。この家で女として息をしていれば、この手の処世術は自然に覚える。

 

 ──というか、伏黒甚爾が死んだからって何よ。

 

 私は心の底で毒を吐く。

 

 たしか3年前だっけ。女子中学生を暗殺して、その後護衛の五条悟に返り討ちにされちゃったんでしょ。ドン引きするレベルのクズじゃないの?

 きっと誰も愛さず、誰も尊ばずに生きてきたんでしょうね。

 術師殺しと呼ばれていた、忌まわしい親戚。私は彼のことを、みんなが言うように猿だなんて思わない。罪もない女の子をたった3000万円ぽっちのために殺すなんて、お猿さん以下だ。

 動物はお金目当ての人殺しなんてしないから。

 

 でもまあ、そんなのは私にとってはどうでもいい。ただの女中の私にとっては。

 一度も言葉を交わさないままこの世からいなくなったあの人のことなんて、心底どうでもいい。

 

 問題はコイツだ。

 愚かでかわいい私の弟。

 

「そういえば、甚爾くんの息子が十種影法術やってんのはもう聞いてる?」

「……いいえ、初耳ですわ」

 

 術式の話なんて知らない。息子は汚い家から保護されて、もうしばらく放置されてたら餓死していたかもしれないとだけ同僚から聞いた。

 男というのは気軽な性別だ。どうせ適当な女を引っ掛けて、子供ができたら邪魔になって女ごと捨てたのだろう。

 そして自分を虐待した父親の血による、厄介な置き土産だけを残された。

 本当に可哀想だ。

 

「ほらみろ! やっぱり甚爾くんの血はすごいんや。猿やなんて言うとった連中、今頃顔真っ青にしてるで。傑作やわ」

 

 直哉は、本当に幸せそうに笑っている。

 狂っている。

 直哉はずっと前から、私の前で甚爾の話をする時にはこの笑い方しかしない。

 

 何をそんなに嬉しそうに笑っているの。

 あんたの憧れの人は死んで、その才能の証明は息子に奪われ、あんたのことなんか眼中にないもう一人の憧れの人がその子を囲っている。禪院家の次期当主の座だって、あっさり掻っ攫っていくかもしれない。

 それを自分のことのように喜んで、あんた、本気で言ってるの?

 

「その……甚爾様のご子息の歩まれる道筋が、いつか直哉様のお歩きになる道と重なった時には、どうなさるおつもりですの?」

 

 なるべく婉曲に、けれども芯だけは外さないように問うた。私が直哉にこういう質問を投げること自体が、本来であれば越権だ。けれども直哉は私が3歩後ろに侍る限りはその越権を許す種類の男で、だから私は時々、この一線を試すように踏んでみる。

 弟は、変わらない笑顔のままで答えた。

 

「え? その時はサクッと殺したるわ」

 

 爪切りから鑢に持ち替えた手が止まった。

 私は息を吸うのを忘れかけて、慌てて薄く吐いた。その動きを直哉に悟られないように、視線を手元から動かさなかった。

 

「……甚爾様のことがお好きなのに?」

「あーあ。君は賢いけど、やっぱし女の子だけあってアホやねえ。俺が好きなのは甚爾くんであって、甚爾くんが知らん女と気持ち良ーなった結果の副産物やないの。わかる?」

 

 甚爾という存在がこの家の仕組みに一泡吹かせたという事実だけが、直哉にとっての価値で、その価値は甚爾が死のうが息子が誰に育てられようが、一ミリも目減りしない。血筋も、遺された子供も、直哉には最初から関係がない。直哉が愛しているのは甚爾という一点の座標であって、彼の血を引く者は関わりがない。

 

「……よくわかりましたわ」

 

 にっこり笑って頷いた。

 わかっただけだ。納得はしない。

 

 その時、静かに襖が開いた。

 入ってきたのは、直哉の今のお気に入り。

 一緒に働いていてこれまでには見たことのない髪飾りをつけている。

 

「あの、今夜来るようにというお話では……」

「あ。曜日間違えたわ。今日は菜緒葉ちゃんの日」

 

 直哉のそっけない言葉に新入りちゃんは泣きそうになっていた。

 私が権力のある男だったら、6人の女中を日替わりで呼んで週末に7Pでも開催するし、真希ちゃん真依ちゃんを将来まとめて食うために今のうちに光源氏計画をスタートするから、彼の女性関係に文句を言うつもりは一切ない。無理強いじゃないなら勝手にすればいい。

 でも。

 私を見る、その娘の目に映る感情は……。

 

「……鑢がけ、あとはこの娘にお任せしますか? 私は今夜は下がります」

 

 気遣いのためだけにそう尋ねた。

 死ぬほど気まずいので一刻も早く立ち去ってあげたいが、直哉の許可なしでは帰れない。

 しかし直哉は心底つまらなさそうにした。

 

「菜緒葉ちゃんが残って。……君は帰ってええよ」

 

 当然のことながら、女の子は涙を堪えて去っていった。

 

「──で、甚爾くんの話しとったら、ついでに悟くんの話もしたなるやんか。知っとる? 悟くん、術式順転と術式反転と掛け合わせて新しい技使ったんやて」

「……」

「悟くんは甚爾くんと並ぶ『アッチ側』や。雑魚とか言われて全然相手してもらえへんけど、届かんでも負けてもゴミでもカスの雑魚でも、もっと頑張って……」

 

 直哉の話は続いた。

 

 はーキモ。

 それ以外の感想なんてなかった。

 

 姉にも、自分のことを好きな女の子の健気な気持ちにも興味ゼロ。憧れの男の生死にすら興味なし。彼の脳内の甚爾は、死んだことで永遠になった。それでおしまい。ろくに話したことのない人殺しに憧れて、家での自分の立場を削り取り続けながら、この子は何を目指しているんだろう。

 人間が色々考えたり生きたり死んだりするということの意味が、この子にはわかっているのだろうか。

 

 勿論、直哉だけじゃなくて、それをニコニコ笑顔で聞いて、可哀想だなぁこの子はどうして素直に泣けないんだろうなぁなんて考えてる私だって、情緒らしきものを使い果たした醜いヒトモドキなのだけれども。

 

 

 ──。

 

 

 

 肉の椅子から弾かれるように上体を起こすと、いつもの真っ白な空間を背に菜緒葉ちゃんが「おはようマコくん♡」と不自然な程の笑顔で言った。

 

「……あのさ」

「何ですの」

「甚爾くんがめちゃくちゃ落ちぶれて死んでた」

「そうですわね」

「五条悟による正義の制裁で死んでた」

「そうですわね」

「恵くんが五条悟に引き取られてた」

「そうですわね」

 

 俺は菜緒葉ちゃんの顔をじっと見た。胡散臭いまでにニコニコしている顔を。

 

「……どういう夢!?!?」

 

 菜緒葉ちゃんが呪術師になれずにノーマルな女中として働いていて、家の改革の進捗がゼロなのはいつも通りの内容だ。

 直哉が引くほどカスなのもいつも通り。

 おばさまを跪かせて草履を履かせる男なら、そりゃあ姉貴に爪くらい切らせるわな。

 

 けれどもそれ以外の細部がトンチキすぎる。

 情報量が多すぎて細かいところがどんどん頭から抜けていっているが、それにしても明らかにおかしい。

 

 禪院甚爾と五条悟が怪獣大戦争して殺し合いの果てに男の絆?が生まれて、その息子が五条悟に引き取られる???

 あり得ないの一言だ。

 

 甚爾くんはお姉様と結婚して真人間になったんだから女子中学生を殺すなんてあり得ないし。お姉様と出会えなかった設定でのダークな妄想なのか? 息子の名前出てこないし、苗字も違った気するしな!

 あと、甚爾くんって実は我が家の人間を皆殺しにしなかった程度には穏やかで安全志向の人だから、現代最強と戦うことなんかは極力回避して、程々のところで切り上げて逃げるだろうしね。

 

 ──いや、何か滅茶苦茶重大なことを忘れてる気がする。だって毎日のようにアップされる禪院家の愉快な動画群を見てたのは体感数年前のことだし……。その再現ならこの空間で見まくってるけど、コアな部分以外は結構忘れてきてるよね。

 

 ああ、そういえば。

 直哉的には、五条悟というのは甚爾くんを理解している唯一の人物らしい。(音MAD知識)

 それはまあそうだろう。俺も同意だ。甚爾くんが全部をぶつけられるような相手なんて呪術名家のウチにすら一人もいなかった。

 だけど五条は別だ。「昔五条を見に行ったら生まれて初めて気配を気取られてびっくりした」的な話は何度か聞いてるし、原作の直哉もその話を聞いて「天才同士にしかわからない領域があるんやね!」と感動したに違いない。

 

 ──菜緒葉ちゃんは俺のツッコミと沢山の疑念に対してたっぷり黙り込んだ後、

 

「…………ま、真男佳のせいでしょう。真男佳は『父権への恐怖』の呪霊でしたから、マコくんがいなくて、父権的システムが滞りなく機能し続ける世界線を再現して見せてくるのは当然ですわ」

 

 と答えた。

 

「え? 呪霊食が見せるのって、調理者の考える恐怖と負の感情に由来する夢じゃん?」

「真男佳はトクベツ! そういうことで行きましょう! ……でも、気をつけてね。お姉様に何かあったら、甚爾くん本当にグレちゃうかも。流石に夢の中レベルの酷いことにはならないとは思いますけれども…………。正直情報が乏しすぎて何ともいえないんですよねぇ。もっと深くアクセスしようかな。でもどうせまたすぐ忘れちゃうし、あの時みたいに発狂したら嫌だし…………」

「何? もう一回言って」

「…………」

 

 菜緒葉ちゃんはしばらく黙ってから、ぽつりと言った。

 

「……でもまあ、あの世界線の甚爾くんは自業自得ですわね。息子を放置して殺し屋なんかやってるような人間が返り討ちにされるのは、因果応報というものでしょう」

「君、辛辣だな……」

 

 菜緒葉ちゃんは隠し事をしている気がする。そして俺自身も何かとんでもない見落としをしている気がする。しかし結局、それが何かを突き止めることはその晩のうちにはできなかった。

 

 




原作に詳細な記載のなかった甚爾の再婚事情について、本作ではざっと以下のような経緯を想定しています。

・恵ママの死後、ヒモ兼殺し屋に逆戻りした甚爾は、直毘人に連絡して我が子を禪院に売る。さらにヒモとしての寄生先の一人である津美紀ママ(多分子持ちのキャバ嬢とか)に「小学校上がる頃までには実家に引き取らせるからよ(笑)」とほざいて恵の面倒をみさせる。津美紀ママは恵を内心不快に思いつつも「私と結婚してくれたらいいよ」と返答。甚爾の苗字が伏黒になる。
・甚爾はたまにしか伏黒家に帰らない。恵のことはさくっと記憶から消してほったらかしだが、津美紀ママと津美紀には本人なりに親切にする。
・理子ちゃん暗殺後、五条が甚爾を倒して最強になる。
・夫がまた別の女のところにいるとしか思っていない津美紀ママは、禪院家の連絡先など知る由もなく、恵を完全に持て余す。結果として心優しい実娘・津美紀との関係も悪化。
・津美紀ママは新しい彼氏を作って失踪。恵は津美紀母が自分の父親のところへ行ったのだと思い込む。

…みたいな感じでどうですかね?
この辺りを考えるために原作を読み返してたら、理子ちゃん暗殺から五条による恵の保護までに意外と時間が空いていることに今更気づいてびっくりしました……。
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