音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

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花が咲いても

「直哉ってほんっっっとにドブカス! 救いようのないドブの底に沈んだ、反転術式でも治せないタイプのカスですわ! 真希ちゃん、早く大きくなってアイツに物理的な鉄槌を! そうなったら私はその瞬間を全角度から4K・120fpsの動画に収めて、最高にキレのある音MADを作ってYoutubeに全世界配信、ついでにニコ動でミリオン達成してやりますの!!」

「そうだねー、最高にバズるだろうね。でも、呪術規定8条違反ですぐに消されちゃうだろうね。だからそろそろ落ち着きなよ」

 

 生得領域の菜緒葉ちゃんは夜まで大荒れだった。俺は脳内の彼女を宥めるのに丸一日を費やしたが彼女は一向に落ち着かず、仕事中にも関わらず勝手に涙がこぼれてきて参った。視界が滲むたびに「玉ねぎが目に染みて……」「花粉症ですの」などと適当な言い訳を並べたが、切っていたのは大根だし、俺は花粉症じゃない。

 それにしても、今回の直哉はマジで酷い。

 甚爾くんに会いに行くなと言ったのは、どうせ誰かの伝書鳩を嫌々やらされているだけだろう。そんなのは適当に聞き流して無視すればいい話だから別にどうでもいい。

 だが今回の菜緒葉ちゃんは、自分の最も大切な居場所が脅かされている心細さを、同じく甚爾くんのことが好きな直哉ならわかってくれるんじゃないかと期待して、真男佳の件以来初めての不器用な和解の申し出を試みていたのだ。それに対してあの反応というのはちょっといただけない。自分が絶望させて精神的な避難所に引きこもらせた相手に対して、真正面から「引きこもり」なんて悪口を投げつけるか? 普通。他人の足を折っといて「歩けないんやね」って言うようなもんだろ。そもそもあの子、禪院家の人がいないところでは結構頻繁に出てくるし、俺が疲れてる時は呪霊退治も代わりにやってくれるし、呪詛師相手の殴り合いも俺より上手いし……。

 絶対に言ってはいけないことの一線というのを平気で踏み越える奴はいる。直哉はそれだ。

 前段階での菜緒葉ちゃん側の物言いのきつさと、直哉の立場を可哀想に思う気持ちがなきゃ、もう一回決闘して公衆の面前で大恥かかせていたと思う。

 

 だが、そんなボロボロの俺達を、特に優しく労わってくれた人が二人いた。

 おばさまと蘭太くんだ。

 

 

 

 

 朝食をささっと食べた後、おばさまは、周囲を凍りつかせるような冷たく厳格な空気を纏いながら、贈答品だという見事なマンゴーを取り出した。最近は対外的な事務連絡や呪具の買取業者との交渉の一部がおばさまをはじめとする事務方の女衆の担当になっているので、こういう物が先に女のもとに届くのだ。

 おばさまが慣れた手つきで花咲カットにしてくれたマンゴーを、キッチンに残っていた数人の女中で分け合って食べた。

 

「初めて食べましたわ……。美味しい、毎日食べたい……」

「馬鹿なこと言わないの。ひとつ数千円するから流石に無理よ」

 

 前世も今世も生の完熟マンゴーなんて食べたことがなかったが、こんなのを食べたら冷凍にはもう戻れないかもしれない。

 とろりと濃厚な甘味が舌の上で溶け、南国の熱気と芳醇な香りが脳を痺れさせる。冷凍のマンゴーとは比較にならない、圧倒的な本物の質量。

 無心で果肉を頬張る俺をおばさまは感情の読めない涼やかな瞳で見つめ、淡々と、しかし突き放すのとは違う温度で言った。

 

「菜緒葉。別に、辛いことがあった日までキッチンに立たなくていいのよ。あなたは今や正真正銘の、当主様お気に入りのお嬢様なんだから」

「お気に入り、だなんて……」

「当主様に限らず、みんなあなたが好きよ。たったの数年で、この家は非術師の女でも息がしやすい場所になった。あなたがそうしてくれた。それなのにまだここに通うのは……私達への罪悪感?」

 

 難しい質問だった。

 俺だけ義務を免除されているというのはたしかに気持ちの収まりが悪い。

 けれども、それだけではなかった。

 

「いえいえ。私はここから始まったから、ここにいるだけです。それに料理は好きだし、呪力操作のキレを磨くにもうってつけですから。……おばさまこそ、真希ちゃんや真依ちゃんを抱えて、ここまで厳しく自分を律しなくたって大丈夫だと思いますけれど。……それと、おばさま。昨日、古い荷物の中から綺麗な絵本をいくつか見つけましたの。真希ちゃんたちにいかがかしら? 『シンデレラ』と『赤ずきん』なんですけれど」

 

 俺の提案に、おばさまは一瞬だけ表情を緩めた——いや、それは苦笑に近いものだったかもしれない。

 

「ありがとう。……でも、赤ずきんだけ頂戴。シンデレラなんて読ませたら、二代続けて結婚という名の博打に失敗してしまいそうだもの」

 

 若い頃のおばさまは文字通りのシンデレラだったらしい。おばさまは非術師だが家柄は悪くなく、顔立ちも端正なので、非相伝とはいえ本家筋の男と結婚できた。だが、ガラスの靴を履いた先に待っていたのは封建制度の重圧と、呪いと暴力に満ちた家。扇のおじさまにかつて王子様のような輝きがあったとは俺には到底信じられないが、そこは「恋は盲目」というやつなのか。それともあの人も昔はもっとマシだったのか。

 

「菜緒葉、この家の男の話すことをいちいち真に受けていたら身が保たないわよ。こうやって適当に息抜きしなさい」

 

 

 ——蘭太くんの慰め方は真逆だった。

 呪霊料理のお手伝いをしてもらい終えた後、蘭太くんは爽やかな笑顔のまま、まっすぐに訊いてきた。

 

「直哉さんが何か滅茶苦茶やばいことしたせいで、菜緒葉さんが一日中泣き腫らしてるって家中で噂になってましたよ。……それ、ホントですか?」

「……滅茶苦茶直球で来ますわねー」

「だって、曖昧に聞いたら、どうせ菜緒葉さんのことだから『大したことありませんわ』とか言って適当に煙に巻くでしょう? それに、原因がハッキリしてるなら最短ルートで聞くのが一番効率的ですから」

 

 蘭太くんの瞳からは、淀んだ家風を撥ね退けるような眩いばかりの主人公属性が溢れ出している。おばさまの静かな慈愛と違って、まるで真昼の太陽のようだった。

 

「……アッチに聞いてくださいな」

 

 実際のところ、直哉は可哀想な奴ではあるのだ。俺という人格が姉の肉体に同居しているなんていう、オカルト全開の二重人格(?)事情。それをたった一人で抱え込まされている弟の重圧は、並大抵のものではない。

 

「あ、それなら既に本人に直接特攻してきました! 『最近いい子ぶってたの、全部パフォーマンスだったんですか?』って」

「えー……蘭太くん、それ本人に言ったんですの? 命知らずすぎますわ……」

「大丈夫です、術式使いながら訊いて、すぐ逃げました! 直哉さん相手には基本それですよ」

「目は痛くなりませんでした?」

「へーきです! 『機嫌ぐらい日によって変わるやろが普通。最近の俺を聖人か何かと思とった君の方がアホなんちゃう?』とかなんとか言われて、詳しい事情は結局教えてもらえなかったけど! ……別に聖人とは1秒たりとも思ったことはないんですけどね……」

「ですわよねぇ……」

「でも、喧嘩自体はそんな驚きじゃないって、甚壱さんが言ってました!」

 

 蘭太くんは真面目な様子のまま言った。

 

「禪院の子は小さいうちから呪霊退治の現場に連れ回されたりするけど、正式な部隊配属は本来ならもっと後です。菜緒葉さんが呪霊をバンバン現地調達して成果を出し続けるもんだから、他の男児もみんな前線に出すペースを早められてるんです、僕ふくめ。分家でこれなんだから、本家の、しかも相伝の子がキャパオーバーを起こすのは……まあ、自然な流れっていうか」

「……そうなんですの?」

 

 カマトトぶって無知な反応を返した。

 ……本当は気づいてたけど。

 我が家って馬鹿だなぁ。そこまでして男の方が優秀ってことにしたいんだ。いやまあ、あの弟なら外圧とは関係なく勝手に頑張るだろうが。

 

「で、結局直哉さんの八つ当たりなんですか? もしそうだったら、一緒に戦いますけど」

「あの子はそういうことをする子じゃありません。事情は……言えないけど、普通の姉弟喧嘩ですわ」

「……ふーん。なら、いいですけど」

 

 蘭太くんは少しだけ不満げに頬を膨らませた後、パッと顔を輝かせ、屈託のない笑顔で俺の手を握った。

 

「じゃあ、約束してください。直哉さんと仲直りできるまで……もし、夜に一人で寂しくなったり、怖い夢を見そうになったりしたら、いつでも僕を呼んでくださいね!」

 

 蘭太くんはそう言って、再び輝くような笑顔を見せた。その明るさは、救いだった。

 

 

 

 

 

 ──と、日中にそんな温かいやり取りがあって。

 そして今。

 

 

「直哉じゃなくて蘭太くんが弟だったら、私の人生はハッピー・ラッキー・ラブ・スマイル・ピースな感じだったはずなんですの……。ついでに甚爾くんがお兄さんだったら最高だったのに……。あとは禪院家が京都の因習一族じゃなくて、宮崎のマンゴー果樹園を経営する平和な一族だったら良かった……。日照時間最高なトロピカルランド……」

 

 生得領域。不気味な可塑性を持つ真男佳チェアに深く身を沈めた菜緒葉ちゃんは、弟および禪院家への愛を完全に失いつつあった。

 

「落ち着けって、京都だってなかなか悪くないよ。世界遺産いっぱいあるじゃん」

「世界遺産なんていりませんわ。京都が誇ってる寺社仏閣、あんなの元はと言えば女人禁制の歴史を持つ男性聖職者のサロンじゃない? 全人類を美少女に変える予定の私達がそれをありがたがる訳にはいかないわよ」

「お、おう……」

「そもそも過去のモニュメントというのは切り刻んで素材としてしゃぶり尽くすべきモノですわ。権威によって守られてツーリズム資本と結託しているようなモノは、私の美意識に真っ向から反しますのよ。おわかり?」

「はぁ……。この話の着地点どこ?」

「というか、久々に話しかけてあげたのになんなのあの子の反応! やっぱり直哉は私のことなんか嫌いなんだ! マコくんがお姉さんな方が嬉しいんだ!!」

 

 ──色々理屈を並べ立てちゃいるが、とりあえず重要なのは最後の部分だけっぽいな。

 いつものパターンなら感情を抑圧して冷笑的に振る舞うか、奥深くに引きこもっていくかなので、菜緒葉ちゃんによるこの手の理不尽な爆発は珍しい。というか、初めてに近い。それだけ直哉の「引きこもり」発言が急所を射抜いたということだろう。

 

「そんなことないよ。直哉はちゃんと菜緒葉ちゃんのこと好きだよ。単に不器用なだけだって……」

 

 と、何回も言ってるんだけど、

 

「アイツは女がキライなんですのよ! 好きな子を3歩後ろに押し込みたがる弟がこの世に存在する?」

 

 そう返されてしまうと、ぐうの音も出ない。

 とはいえ、かわいいはずの弟を音MADにしてネットの海に放流しようとする姉も相当だとおもうが、それは元を辿れば俺が汚れたネット知識を彼女の脳にインストールしたせいなんだよなぁ。俺のせいで菜緒葉ちゃんは普通に傷つくこともできず、謎の論理武装をした地獄のオタクになっちゃったんだよ……。

 

 

 と、俺が自責の念でため息をついていると

 

《あの〜、お二方。少々、発言の許可を頂戴しても?》

 

 座り心地だけは最高な天秤状の謎肉チェアの肘掛けから不気味に蠢く唇が生えてきて、へつらうような声を上げた。

 

「げっ、真男佳。まだ喋れたのお前」

「許可しませんわ。その厚顔無恥な唇を、今すぐ私の美意識の圏外へパージなさい」

 

 俺と菜緒葉ちゃんの拒絶は、もはや様式美の域に達していた。

 『定名綴魂』の再現ついでに生えてきた呪いの声は、調伏され切って実害こそゼロだが、とにかくうるさいので、俺たちは普段無許可の発言を厳禁している。

 

《いやいや、そう言うなよぉ……。俺を足蹴にするのは構わないけど、かつてカリスマ講師真岡と呼ばれたこの俺の有益なアドバイスを聞き逃すのは、勿体無いんじゃないかな?》

 

 俺は椅子の肘掛けを、これでもかとばかりに強く握り潰した。

 こいつは所詮、俺という現代人の魂と菜緒葉ちゃんの魂の境界を観測し、その融合を防ぐためのただの観測装置、あるいは調整用のバッファーに過ぎない。

 

《厳密には混濁ね。魂って術式効果でもなければ本当は融合しないんだよ。記憶が流れ込んでどっちがどっちのかわかんなくなったり、片方の存在感が圧倒して、もう片方が忘れられちゃうだけ》

 

「わー、勝手に人の懸念を読み取って解説を挟むな。キモいんだよ、お前。というか融合も混濁も、当事者の俺らからすれば一緒なんだわ」

「そうですわ。消えなさい。不愉快ですの」

 

 俺と菜緒葉ちゃんの息は完璧に一致していた。

俺たちが天秤の左右で同時に椅子をげしげしとキックすると、椅子の基部から不気味な紫色の液体が漏れ出すが、構わず踏みつけ続ける。この生得領域において、俺たちは絶対的な支配者なのだ。

 

「ところで、俺の前世と菜緒葉ちゃんの女中ifの夢、お前を食べてから1年経つのに、未だにリピート放送が終わらないんだけど。おかげで次のおかわり(呪霊食)のペースがガタ落ちだよ。アレってお前の嫌がらせ?」

《もう十分呪力量は増えたんだからいいだろ。あと、副作用が重いのは俺がそれだけ格の高い呪霊だった証拠だよ。あと数年あの塾に籠もって力を貯めていれば、間違いなく特級認定されていたはずのエリート呪霊なんだよ、俺は》

「なんで無様に喰われて消化されて死んだ癖に誇らしげなの、コイツ? 菜緒葉ちゃん、やっぱりこいつの口、縫い合わせようぜ」

「同感ですわ。これ以上のノイズは精神衛生上、非常に有害ですもの」

 

 さらに追加で二、三発、体重を乗せたキックを見舞う。

 

《待って待って待って! 暴力反対! 術師ならもう少し倫理的になって! 僕の有用性は、この一年で十分すぎるほどプレゼンしてきたでしょ!?》

 

 真男佳は潰されるのを恐れて、マシンガンのように新しい情報を吐き出し始めた。

 

《俺の肉、カオリンのお腹の男の子にも影響与えたんだよ。元々あの女が呪物を取り込ませたり、縛りとかを色々使って我が子が将来アッチ側へ行けるように努力を重ねているところに、俺の呪力がプラスされてちょっぴりパワーアップ! いやぁ、未来の再会が楽しみだね!》

「人んちのお子さんに勝手な味付けしてんじゃねえよクソ呪霊!」

 

 というかあの羂索とかいう女、我が子を使ってそんなセルフ人体実験をしてたのかよ。

 その男の子が、単なる祝福された誕生を迎えるわけがないことは察せる。そして真男佳の力が、その歪な計画の一助になってしまったことへの、言葉にできない罪悪感が込み上げる。

 

「あら、パワーアップしたんなら、別にいいことですわね! 強い子が生まれれば、羂索さんはきっとかわいがって下さるでしょう? 逆に弱く生まれてたら、一体どうなったことか……」

「菜緒葉ちゃん……」

 

 菜緒葉ちゃんの言葉は残酷なまでに合理的だった。確かに、強ければ破棄されることはないのかもしれない。……いや、それでも。あの女の瞳に宿っていた、人間をサンプルとしか見ていないような虚無を思い出すと、どうしても素直に喜ぶことはできなかった。

 

《いやぁ、シン菜緒葉さんって、カオリンの感性とかなり近いよね! 好奇心旺盛で、一般的な人倫ってものがあまりなくて。俺、前から思ってたんだ》

「呪霊に人倫がないと言われるのは心外です。完全に祓われたいのか、あるいは、それ以上の地獄を見たいのか。どちらですの?」

《あ、ごめんごめん。怒った? 最高の賛辞だったんだけどなぁ》

 

 これほど虐げられてなお、こちらの逆鱗を的確に突いてくる煽り性能。それでもコイツの意識を完全に消去せずに生かしているのは、単なる観測装置以上の実利が2つあるからだ。

 

 まず、『定名綴魂』を自分たちの体内に限定して再現する際に、こいつは魂の整体師として機能する。毎月の生理痛の劇的な軽減から、脳内物質の分泌調整による集中力の向上の役割。菜緒葉ちゃんの文系的な感性だけでは、現代医学レベルの精密な自己管理は不可能だった。真男佳の教師としての管理能力をほんの一部だけ残し、術式行使の演算ユニットとして利用することで、俺たちは身体的なコンディションを最適化している。

 俺たちはこの忌々しい呪霊の残滓を、徹底的に搾取し、管理下に置くことでリソースに変えているのだ。

 そして、2つ目は──。

 

《取り消すよ、今の失言は。さて、お詫びにサービスタイム。もとい、本題の話をさせてよ。……マコくん。君、直哉くんについて今日ずっと無意識にモヤモヤしてることがあるんじゃないかな? 大人の君なら気づくはずだ。彼の言動の違和感に》

 

 コイツは俺たちの潜在意識が捉えていながら、主観が無視してしまった見落としを拾い上げ、ヒントをくれることがある。

 俺たちの心身が健全であることは、寄生先であるこいつの安寧に直結する。だからこそ、命の危機や重大なターニングポイントにおいて、こいつは稀に有益なナビゲーターとなる。

 死ぬほどウザい講義形式が下手したら1時間くらい続くのが玉に瑕だが、大抵の場合、現実での経過時間は1秒足らず。

 なんなんだコレ。

 まじで呪霊ってキモイよ。

 

「不自然ってなんだよ。というか真男佳、お前さっきからしたり顔で語ってるけど、直哉の領域のこと滅茶苦茶怖がってなかった? 敗北者のお前にアイツの深層心理の何がわかるってのさ」

 

 俺はあえて突き放すように言った。こいつは調子に乗せると無限に自分語りを始めるタイプだ。かつて教壇に立っていた頃の承認欲求が、呪霊になってもなお腐臭を放ちながら燻っている。

 

《ひっどいなぁ。怖いよ、怖い。そこは否定しないよぉ。なんなら君達みたいなサイコパス共より、直哉くんの方がよっぽど純粋な恐怖の対象だよぉ。……でもさぁ、だからこそわかるんだよ。敗北者は勝者の背中を一番近くで見ているものだろう?》

 

 菜緒葉ちゃんの趣味全開な、パステルカラーのきらら系アニメポスターが並ぶ生得領域の空中。その合間から、古い黒板がどろりと不気味な気配を放ちながら出現する。

 

《というか、君らでもすぐにわかるはずだ。俺の術式の原理から論理的に導ける範囲の答えだから、難しくないよ。……ヒント、あの日のこと思い出してごらん。シン菜緒葉さんは俺の肉をどうしたんだっけ?》

 

 キィィィィン、という、耳の奥を直接削るような不快な高音が響く。チョークが虚空を走り、黒板の右端に不気味な図解が描かれ始めた。解体される真男佳自身の姿だ。

 あの日、と言えば桐永会の203号室。菜緒葉ちゃんが生きた真男佳を刻んで食べた夜。その後の記憶を手繰る。

 

「そういえば、直哉と羂索さんにも食べさせましたわね。お裾分け、なんて言って。……つまりあなたは私とマコくんの悪夢を管理するだけじゃなくて、直哉と羂索さんの心とも繋がっている?」

《ピンポーン。シン菜緒葉さん正解。理解が早くて助かるよ〜。ま。『定名綴魂』による接触で人間の心を弄るののクソ雑魚バージョンみたいな感じだね。重要な部位は全部君たちが食べちゃったから、俺という存在の解像度は滅茶苦茶低い。でもさ、夢とか、あるいは爆発的な負の感情みたいな、魂が大きく揺れる瞬間の『信号』は、Wi-Fiの微弱な電波みたいに拾えちゃうんだよ。少なくとも、俺の肉が彼らに完全に溶け込むまでの向こう数ヶ月間はね》

 

 続いて黒板に描かれたのは、肉の椅子の絵に繋がるぐちゃぐちゃの回路図だった。

 

「キモ。盗聴器付きの寄生虫かよ。……というか直哉、あいつそんなに酷い悪夢を見てたのか? 俺の前では副作用なんてすぐ忘れるって涼しい顔してたし、実際、呪力量の増え方も異常なほど順調だったけど」

《あはは、そりゃそうだよ! かわいい弟が壊れないように、あの日シン菜緒葉さんが丁寧に俺を『調理』したんだから。彼の精神構造は今、どんな過酷な悪夢を見てもそれを自分に必要な負荷として処理するように最適化されてる。メンタルヘルス的には鋼鉄の安定感と言ってもいいね!」

 

 菜緒葉ちゃんが心配そうに首を傾げる。

 

「それって羂索さんは大丈夫なんですの? ヤな夢を見たせいで怒り狂ってるんじゃないかしら。私、あの人に嫌われちゃったんじゃ……」

《いや、面白がってるっぽいよ。禪院菜緒葉という少女を壊した男尊女卑は、あの女からすれば、悪夢のうちにも入らない。あの女は既に性別を超越しているから》

 

 俺は「性別を超越している」という言葉に引っかかったが、これ以上話が脱線すると嫌なので何もいわなかった。

 

《で、夢を通じて気づいたんだけど、直哉くんってすごいね。あの子の魂、呪いの塊みたい》

「性格が悪いって言いたいんですの? そんなの、あなたがわざわざゴミみたいな黒板を使って講釈垂れるまでもなく、この家の人間全員が知ってる事実ですわ。何を今更」

 

 菜緒葉ちゃんが鼻で笑う。

 

《そういう次元の話じゃないんだよ。過呪怨霊は生前の人格を留めないのはなぜか。それは負の感情を抑制するための複雑な葛藤が捨象され、最も強く純粋な感情(のろい)のみが残っているからだ。けれどももし、生身の人間のままで、人格の全てが感情(のろい)によって構成されている個体がいたら? それはもう、社会不適合者どころか人間の形をした呪霊そのものだ。直哉くん、人間の体を捨てた方が普通に幸福になれるだろうな》

「……」

 

 俺は菜緒葉ちゃんを見た。

 菜緒葉ちゃんは目を逸らした。その目には一切の驚きがなく、ただただ悲しそうだった。

 

 黒板には芋虫のような呪霊と、骸骨みたいな顔をした蛹に似た呪霊の絵が描かれている。それを見て、俺は謎の懐かしさを覚える。どこかで見たことのある気がする呪霊。何年か前に祓ったヤツだろうか。

 

《で、菜緒葉さんはその一番の協力者。マコくんはシン菜緒葉さんが全人類を〈女〉にするのではなく〈美少女〉にすると言った意味をもう少し構造的に考えるべきだよ。呪いの本性を持った弟の全部を姉が許して、全部を飲み込んで、全部を肯定してあげる。『あなたのやり方は正しい』『あなたは愛されている』『あなたの軽蔑も怒りもあなたの一部で、私はあなたの全てを受け入れる』。そう言われて献身されれば、直哉くんは自分の邪悪さに迷わずに済む。確信を持って、呪いとして完成できるんだ。だって、賢い姉が『それでいい』って笑ってくれるんだから》

「私は、直哉の幸せを考えて……」

《それで自分の心が潰れちゃったのに、まだそんなこと言ってるの?》

「……」

《そういう訳で、けなげでかわいかった菜緒葉さんは完全に荒んで、今のシン菜緒葉さんになった。けど、直哉くんは最近までそれに気づきもしなかった。彼にとって、姉が自分のために壊れていくのは呼吸と同じくらい当然の供物だったからね》

 

 たしかに、と思った。

 真男佳による姉弟評は、俺がこれまで目にしながら上手く言葉にできなかったそれと、驚く程符合している。それでも、俺は真男佳の評価を受け入れる訳には行かなかった。

 かわいい弟が、呪いだなんて。

 

「……直哉だって、普通の家で育てばもうちょっとマシだったはずだよ。この環境があいつを……」

 

 俺の言葉を、真男佳は遮る。

 

《マシだっただろうね。でもさ、善人にはなれなかったと思うよ。マコくんが大変な環境でも善人だったのとは対照的にね。君は不治の病という極限状態でさえ、他者を思いやって生きた。家はまあまあ裕福で、病気さえなければ間違いなく社会的に成功してただろうに、全部を病気に奪われて……それでも何も呪わないっていうのは珍しいよ。人気少年漫画のラスボスには、闘病生活で性格が歪んで主治医を撲殺したヤツすらいるのに》

「……」

《直哉くんの生まれつきの邪悪さは一周回って当人の責任ではないのかもしれないけれど、現に菜緒葉さんは壊れた。マコくんが呪霊を100匹食べるまで心が壊れていた。そして一回壊れた今でさえ、その献身は続いている。酷い話だよね。で、そういう事態になって初めて、直哉くんの側は、自分の本性を肯定的に完成させることを諦めた訳だ。マコくんが来たから。菜緒葉さんがいなくなったから。呪いのまんまで、呪いじゃないふりをすることにした。遅すぎるけど》

「……俺らの大事な弟について知ったように語るなよ。テープでぐるぐる巻きにして、永久に喋れないようにしてやろうか」

《いや、君らこそ考えなよ。呪いの塊が、わざわざ下手くそながらも人間の真似事をしてる理由》

 

 菜緒葉ちゃんは気がつけばさめざめと泣いていた。

 

「……直哉は、私のことなんかどうでも良かったんじゃないの? あの日、3歩後ろを歩けって言ってきた時から……」

 

 ──えっ、そのレベル?????

 トラウマになってるのはわかってたけど、この子、単に拗ねきってたんじゃなくって「直哉は自分のことどうでも良くなったんだ」って心の奥底から思いながら数年間を過ごして来たのか??????

 

「……俺は何回も言ったよ。違うって」

 

 今日だけでも5回くらい言った。

 菜緒葉ちゃんってたまに(いつも?)やばいし態度もデカいけど、こういう所があるから大人としては放っておけないんだよな。

 泣きじゃくる情緒不安定な菜緒葉ちゃんの背中を撫でて慰める。

 そんな俺に真男佳は言う。

 

《愁嘆場はその辺までにしておこう。シン菜緒葉さん。マコくん。じゃ、本当は君らのことを大好きな直哉くんが急に突っかかってきたのはなんでだと思う?》

「当然、大人の使い走りだろ?」

《じゃあ、なんで大人は急に態度を変えたと思う?》

 

 俺は考えた。

 そして、答えに気がついた。

 

「……甚爾くんが何かやらかしたんだな」

 

 肉の椅子に浮かび上がった真男佳の唇が言った。

 

「大正解。マコくん、よくできました」

 




光ののりとし君からのクエスチョン「どうして呪霊直哉には生前同様の自我があるんですか?」
アンサー「生きてる時から呪霊みたいなモンだったから」
(この仮説、大外れだったらとんでもない名誉毀損なのでは…?)

ちなみに本作の虎杖は宿儺の術式が刻まれるまでのペースが早まったり身体能力がさらに高まったりします。マコくんは色々心配してましたが、ふつうにいいことづくめですね!
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