音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

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則人必爭非輕之

 甚爾くんに着拒された。

 無機質な音を聞きながらそれに気づいた瞬間、自分の部屋で携帯を持ったままその場で座り込んだ。

 

 ——なんで。

 なんでなんでなんでなんでなんで。

 もう7年の付き合いなのになんでそんなことするんだ。落ち込んでいる甚爾くんに厳しい言い方をしすぎたせいだろうか。でも縁を切られる程だっただろうか。そもそも甚爾くんって俺以外に友達が何人いるんだ。そのうちの誰が一緒にお姉様を悼めるんだ。恵くんのお世話を手伝える人はいるのか。

 このままではお姉様との約束を守れない。甚爾くんと恵くんをまとめて面倒見るって言ったのに。

 

 肉の椅子の向こうの菜緒葉ちゃんの声が頭の中で響き、それが辛うじて俺を立ち上がらせる。

 

『一旦落ち着いて。直蔵お兄様か直哉経由で連絡を取ってみましょう。2人のアドレスにも甚爾くんの名前がありますわ』

 

 これまでの彼女なら大切な人の死にショックを受けて今頃引きこもっていたかもしれないけれど、今回は言葉少なになりつつも淡々と現実に向き合っている。理由は多分、俺は俺で少しやばい状態だから。

 甚爾くんは菜緒葉ちゃんの腕を折った。これまでの甚爾くんは菜緒葉ちゃんのことを悪霊扱いしつつも、どこかで得体の知れない共感を持っているようでもあった。菜緒葉ちゃんもそれをわかっていて、あえて表に出てきては彼を揶揄って、兄に対するように甘えていたのに。——本当にショックだったと思う。傷は反転ですぐに癒えるけど、心はそうじゃない。

 なのに菜緒葉ちゃんは俺の意識をお骨を拾う寸前までシャットダウンし続けて、その間に甚爾くんには、俺の方を本体だと嘘をついたらしい。甚爾くんをこれ以上動揺させないため、彼女は自ら偽物の烙印を甘んじて受け入れたのだ。

 それを思うと申し訳なさと情けなさで胸が潰れそうだった。

 

『あのね、マコくん。前々から言っているけれど、強い甚爾くんが私を悪霊扱いしているのを面白がって揶揄ってたこれまでの私の方にもかなり問題があるから、別にいいですわよ』

 

 ——全然良くない。

 こんなことになるなら俺が偽物だってさっさと白状しておけば良かった。そうすれば、彼女が傷つくことも、甚爾くんに腕を折られることもなかったかもしれないのに。

 

 俺は全部に失敗した。甚爾くんが最悪なことをしたとわかっていても友達だと思う気持ちは消えなくて、ちゃんとして欲しくて口にした言葉のせいですぐに喧嘩になった。そして結局菜緒葉ちゃんにバトンタッチしては負担をかける繰り返しだった。ここ最近、ずっと。好きだと思う気持ちが消えた訳じゃない。ただ、どう接すればいいのかがよくわからなかった。何を言っても意見が上手く噛み合わなくて、彼のしたことを全く気にしないというのも中々できなくて。でも、もっとちゃんと寄り添えたんじゃないだろうか。自分の悲しい気持ちや責任感の中に耽溺して、俺は甚爾くんの友達としてやるべきことを怠っていたんだろうか。

 

 重い足取りで直蔵お兄様の部屋へ向かう。襖を開けると、医学書だらけの散らかった部屋の中でお兄様だけでなく直哉まで座布団に座ってお茶を啜っていた。

 

「あら。……直哉までいますのね」

「姉さん。遅かったやん、待っとったわ」

「私を? 本当ですの?」

「ウソ。兄さんが饅頭くれるっていうから遊びに来ただけ」

「あなたって子はどうしてそうやって呼吸するように意味のない嘘をつくんですの……」

 

 呆れて肩を落としたが、聞かなくてもわかる。直哉は直蔵お兄様と若干仲良くなってきていることを認めるのが恥ずかしくて、誤魔化したのだ。お兄様は少し困ったように笑って、俺に手招きをした。

 

「菜緒葉にもあげるよ」

「……ごめんなさい、食欲がありませんの」

 

 俺がそう答えると、お兄様は少し物憂げな顔をして「だよな」と深く頷いた。事前の報告時からお兄様自身は何故か理解を示していたけれど、この善人を葬儀に呼ばなかったのは激ヤバの範疇だと思う。

 

「俺も葬式、行きたかったんだけどな……。でも、俺が行ったら多分、地獄絵図になってたよなぁ」

「来なくても地獄絵図でしたけれど」

「もっとってことだよ。甚爾視点で考えろよ。俺の顔見てるだけでアイツ辛いんじゃない? お墓の場所はメールで教えてもらったから、別にいいって」

 

 永代供養墓の契約をしていたのは聞いている。俺個人としてはあまりいい印象はなかった。けれど、夫婦の生前からの決定なので、なるべく表に出さないようにした。もしかしたらそれが表情に出ていて、不快がられたんだろうか。

 

「……で、相談なんですけれど。私、何故か甚爾くんに着拒されてしまいまして。……代わりに二人から、電話をかけてもらえませんでしょうか」

「はぁ、着拒? 甚爾くんが? ……姉さん、何したん。また余計な説教でも垂れたんか」

 

 余計な説教なんてひとつもしたつもりはないが、俺は無意識に間違えていたのかもしれない。俺はただ、恵くんのために甚爾くんに元に戻って欲しい。

 

「とにかく、私の端末からは繋がりませんの。ふたりから甚爾くんに電話をかけてみていただけませんか? 恵くんの様子も気になるし、……このままじゃ、お姉様に顔向けできませんわ」

 

 二人は顔を見合わせた。お兄様が溜息をつきながら、枕元に置いていた携帯を取り出す。直哉も早々に電話を掛けてくれた。

 ——しかしどちらも繋がらなかった。

 直哉が即座にキレた。

 

「はぁ? 姉さんはともかくなんで俺まで連絡断たれなアカンの??!!」

「火葬場の控え室でのあなたの発言が、控えめに言って災害そのものだったからでは?」

「ゆーて他のどこで言うん? 母親(あのヒト)の時かて、通夜振る舞いの時からオジさん達がもうそれっぽい話始めとったやん。火葬場の控え室入った時には今後の支援の話、本格化しとったし。覚えとる?」

 

 ……。

 覚えていなかった。

 俺の中の菜緒葉ちゃんも黙り込んでいる。あの時は周りの話なんてきちんと聞いていなかった。

 

「そもそも甚爾くんの判断力がパヤパヤなうちに禪院へ囲い込みたいって最初に提案し始めたのは姉さんやん」

「それは……」

 

 そうだった。

 お姉様亡き後の甚爾くんがこれ以上堕落する前に、強引な手段を取るつもりだった。落ち着いた状態では絶対断るだろうから、判断力が鈍っているタイミングを狙ってだ。決して褒められた手段ではない。でも、まだ小さい子を抱えた甚爾くんのような立場の人に必要なのは国か親類の支援だ。しかし甚爾くんは殺し屋になってしまったので、前者の方がまだハードルが低いと考えた。

 ただし当初の考えでは、四十九日までの間に2人でゆっくり外堀を埋め、穏健化した禪院家のプレゼンを甚爾くんに少しずつ刷り込み、家内への根回しと並行でもっと時間をかける予定だった。ところが当日の甚爾くんが想定の数倍ヤバかったので、恵くんのためにもあの父子を一刻も早くどうにかしなければいけないという認識に変わった。

 直哉もどうせ同じことを考えて一足先にプレゼンを始めたんだろうが「禪院家壊滅させて当主になればええねん」プランは流石に乱暴すぎる。そもそもあれって直哉自身の死とセットだよね? 甚爾くんの傷心にショックを受けて言ってしまったのかもしれないけど、普通に悲しいし嫌だった。

 

 しかし直蔵お兄様は直哉の味方をした。

 

「俺は直哉からそれ聞いて、菜緒葉が言うほど悪くないと思ったけどな。だって、俺に甚爾のスペックがあったら絶対気に食わない奴皆殺しにするもん。囲い込みを最優先の目的とするならまあアリじゃない?」

「……真男佳になびいたお兄様は言うことが違いますわね。自分は甚爾くんに見逃してもらえそうなポジションだからって……」

「あの件は反省してるからもうやめてよ菜緒葉。……でも、奥さん亡くして投げやりになった甚爾が八つ当たりしに戻ってくる可能性は、直哉の煽動抜きでも事前に想定しとくべきだったぞ、俺達は。あんな感じのいい人が子ども残して死んじゃったら、誰だってちょっとおかしくなるよ。だから、事前に当人の殺る気のなさをチェックしてくれて『直哉ナイス!』って感じだ」

 

 この人は時折、甚爾くんのことをいじめられて学校で銃乱射する寸前のアメリカの学生か何かみたいに扱う。

 

「どこからどう考えたって、甚爾くんはそんなことしませんわよ」

「あのな菜緒葉、リスクヘッジって知ってるか? 菜緒葉は優しさで、他の人はプライドのせいでよくわかってないみたいだけど、あんないつ禪院を壊滅させてもおかしくないような強い奴、本来なら祟り神に対するみたいに丁重に扱った方がいいんだって」

「うんうん。兄さんもようやく甚爾くんの強さが理解できるようになったようで何よりや」

 

 お兄様は饅頭を片手に禪院の男の規範にあるまじきことを言い出した。そして規範から外れたのと引き換えに、物凄い勢いで直哉のポイントを稼いだ。貯めても何の景品も貰えないだろうが、それでお兄様が幸せになれるならまあいいだろう。

 

 俺はそのノリに付き合っている場合じゃないが。

 

「……って、菜緒葉。突然泣くなって。明日の出張任務の帰りに一緒に甚爾の家行こ。話せばきっとわかってくれるよ。合鍵持ってるだろ」

「……別に泣いてませんわ」

 

 喋っている間にちょっと涙が出てきちゃっただけだ。泣いてる暇があったら反省会と今後の対策について考えなくちゃいけない。お姉様を助けられなかったんだから、せめて、この後のことはちゃんとしないと。

 

「直哉、お兄様。……禪院家ってこの数年で良くなっていますわよね?」

「うん、飯は格段に美味くなったし、部屋でネトゲもできる。菜緒葉の呪霊飯のおかげで、若手は一昔前の倍以上強くなってるしな」

「俺も超ええ子やし」

「……なのに、どうして甚爾くんは、これっぽっちも私達を信じてくれないんですの?」

 

 俺の問いに直哉は表情を消した。

 

「そりゃ、姉さんが女の子やからって、どんだけ実力あっても特別4級のまま据え置かれとるからちゃう? 外から見たら結局何も変わってへんのと一緒やで」

「……お父様の配慮ですわ。昇級して目立つよりも、今は力を蓄える時期だと……」

 

 直哉との比較で自分の等級にムカついてはいる。だが、目立たない分やりやすい部分もあった。とりわけ扇のおじさま関連などで。だから高専へ行くまでの辛抱だと思って諦めかけていた。しかし直哉は残酷なまでに核心を突いてくる。

 

「結局菜緒葉ちゃん自身の政治的権力はゼロやん。たとえば姉さん、パパに謎の退屈な会合に連れて行かれて、五条や加茂の人にご挨拶させられたことあるんか?」

「五条悟とは7年前に喋りましたわ」

「アレはノーカンや。こっぴどくフられて、元々悪かった両家の仲を最悪にして帰って来ただけやろ?」

 

 直哉の言葉は腹立たしいが正論だった。

 ここにいる俺たちがどれだけ「良くなった」と自称しようとも、甚爾くんの目には俺が飼い殺されているようにしか見えなかったのかもしれない。そんな家には戻れないし、恵くんも置いておけないと思われたのだろうか。

 

『マコくん、ここからはこの家への適応方法を少し変えましょう。将来の真希ちゃんにこの家を滅ぼさせないための穏やかな変革ではなく、私達の都合で、この家を甚爾くんを救える場所に変えないと』

 

 それしかない。

 

 

 

 

 

 

 けれども甚爾くんは恵くんを連れてアパートを引き払っていた。

 それからしばらくして、『術師殺し』の名前が聞こえ始めた。

 

 

 

 

 

 

「甚爾くんを嫌いになりましたか?」

「……なってれば楽だったんだけどなぁ」

 

 俺が現代日本人として培ってきたつもりのモラルは思ったよりカスだった。お金目当てで人が殺されているというのに、俺が最初に考えたのは——

 

 甚爾くんが自殺とかせず、健やかに生きていてくれて本当に良かったなぁ。

 

 なんて。そんな心底しょうもないことだった。

 これじゃ、直哉のことをあんまり馬鹿にできない。直哉は同じようなことを声に出して言って、俺の手を取ってきた。笑顔だった。コイツは最近ちょっと大人っぽくなってきたけど、甚爾くんのことになると元に戻る。そういう安全地帯があるのはいいことだと思う。俺と菜緒葉ちゃんにはもうなくなっちゃったから。

 

 生得領域の白い空間に時刻はないが、体内時計のリズムだけは憂鬱に進む。

 俺は12個並んだ机のうちのひとつに腰掛けている。他の机の上にはあの家から持ち帰ったのと同じ花の鉢植えが咲き続けていた。葉の縁の色だけは、夢の外の鉢のものより少しだけ濃い気がする。それは現実の植物の摂理ではなく、菜緒葉ちゃんの記憶の精度から来る濃度だった。

 真男佳を素材とした肉の椅子の天秤、その傾いた片側に菜緒葉ちゃんは腰掛けている。今日の彼女は20代後半の姿だ。前世の俺が死んだ頃と、ちょうど同じ年齢。地味な着物を着て一切化粧はしていないけれど、不思議とくたびれてはいない。物憂げだが華やかな美人だ。彼女がこの形を選ぶのを、俺は最近で何度か見ている。

 もう片側の天秤は無人だった。今は真男佳の不気味な体温に背中を預ける気分にはどうしてもなれない。

 

「お姉様はもういないのに、どうしてあんな仕事を続けるんでしょう」

「……やけになってるんだろ。巻き込まれる人はたまったもんじゃないだろうけど」

「恵くんは大丈夫かしら。そもそも、甚爾くんは一体どうしてあんなことを。恵くんは十種影法術の天才だって教えてあげたのに……。あの時に凄く怒られたの……もしかして全く信じてもらえなかったんでしょうか」

 

 菜緒葉ちゃんは膝の上で両手を組んだ。その仕草が大人びていて、俺はまた一段、彼女に対する自分の年齢的な順序の感覚を狂わされる。

 けれども。

 

「……アレ、今思えば逆効果だったんじゃないかな」

「? ……どういう意味ですの?」

 

 訳がわからないというように首を傾げる。

 菜緒葉ちゃんは凄まじい十種信者だ。『十種影法術』——それを口にする時の彼女の声には、いつもほんのわずかだが宗教的な節がつく。

 お母様は『十種影法術』を持つ子を産むことを期待されてこの家に嫁いできた。そして双子の片方が相伝の『投射呪法』を発現させた段階で、半分は背中の荷物を降ろした。けれど降ろし切れなかった残り半分は、もう一人の子供——〈女〉として生まれてしまった方の子供の上に静かに積み直された。お母様自身がそれを意図したわけではない。期待というのは、意図せずに重力のように降る時もある。

 

 幼い菜緒葉ちゃんは、そのことを誰に教えられるでもなく察した。

 

 彼女が幼い頃に組み立てた仮説はこうだった。お父様が直哉ばかりを評価するのは、相伝があるからだ。そして、自分が期待された術式を持っていないからだ。お母様が体調を崩して離れ離れで暮らさなくてはいけなくなったのは、直哉の相伝だけでは双子を産んだ母の汚名を雪ぎきれなくて、お母様の心が弱ってしまったからだ。——十種影法術が、もし自分にあれば。

 もしも十種影法術であれば、女でも当主になれるかもしれない。

 彼女の妄想はどこまでも精緻だった。

 魔虚羅に『適応』させたい攻撃を術者が肩代わりできれば文字通りの初見殺し性能を誇るのではないかという仮説。そうは言っても調伏はあまりにも困難そうなので、魔虚羅を諦める縛りでその他式神の出力を底上げする計算。完全破壊が致命的な弱点なら、式神を呼び出さずに能力だけを抽出する経路はないか。自分の体内に極小化した式神を畳み込むようにして展開し、半ば憑依状態を自作する運用は可能ではないか。等々、等々。

 夜、布団の中で式神たちの名を順に呼び上げて、それぞれの能力を組み合わせるシミュレーションを試すのが、直哉が立派な別部屋を与えられたせいでひとりぼっちになった彼女の入眠儀式だった。そんな夜が何百夜。

 

 けれども甚爾くんはどうだっただろう。菜緒葉ちゃんへの被害妄想で力加減をミスっただけだと思っていたが、甚爾くんのあの時の表情は尋常ではなかった。あの発言は最悪のタイミングで甚爾くんの劣等感の最深部に火を点けてしまった可能性がある。

 

 俺はそれを菜緒葉ちゃんに言うべきか悩んで、やめた。

 

「それより、いい加減に君の術式についてもう少し詳しく聞かせてくれないか」

「……まあ、流石に逃げきれませんわよね」

 

 菜緒葉ちゃんの口角が、わずかに、自嘲気味に上がる。

 ——菜緒葉ちゃんが俺に「恵くんの術式は十種影法術ですわ。根拠は私の術式です」と打ち明けてきたのは告別式の前夜だった。俺はそれを信じた。甚爾くんがお金のために人を殺したと聞いた瞬間から、思い当たるふしはあった。菜緒葉ちゃんのよく見ている悪夢のことだ。

 

「私はね、自分に術式がなくて、代わりにそれに相当する量の呪力だけがあった場合の自分自身の一生についてのシミュレートのようなものを一度だけ行えるんですの。お母様の式神による『予測』と原理は同じです」

「ああ、『予測と適応』の派生か」

 

 少し黙ってから、菜緒葉ちゃんは微笑んだ。

 

「……そんな感じですわ」

「なんで躍起になって隠してたの」

「……」

 

 菜緒葉ちゃんはまた黙りこくった。

 

「あ! そうか! 音MADしか知識がない俺が自信喪失しないように、菜緒葉ちゃんなりに気を遣ってくれてたんだね」

「まあ、ええ。あとは、諸事情あって記憶にロックが掛かっている部分があまりに多くて……」

「諸事情っていうか普通にトラウマだったんだろ。未改革の禪院家の女中視点の記憶とか、ろくな情報もなさそうだし」

 

 どうせ、家事の苦労とセクハラと新規の直哉語録というゴミのような情報の中に、1/1000くらいは有用な知識が交じっているかどうかというような具合だったに違いない。無理やり記憶をこじ開けても、精神的負荷が酷すぎる。

 

「──あれ、情報の圧縮度で言えば、音MAD知識の方が断然優秀なんじゃ……」

「マコくんひどいですわ」

 

 菜緒葉ちゃんは天秤の片側からこちらを軽く睨んだ。しかし眦に強い怒りはなく、むしろ深い安堵で気が抜けた感じだった。

 

「で、君の『予測』通りなら甚爾くんはこのままだと五条悟に殺される。アレは何年後だ?」

「多分、3年後の春」

「……短いな」

 

 短いと思うが、恵くんのことを思えば本当は3年だってかけられない。甚爾くんは親族の世話もなしに、本当に恵くんを育てられるだろうか。

 ……いや、待てよ。

 親族なしで甚爾くんのような男の人が子供を育てる方法が、他にもう一つある。

 再婚だ。

 あの夢の甚爾くんの苗字は禪院じゃなかった。その辺りはたとえばお姉様とは出会わずじまいだったというような、夢特有の設定の飛躍かと思ってそのまま忘れていた。でも、気づいて然るべきだった。結婚は何回でもできる。甚爾くんなら簡単だろう。

 たしか、あの夢の中での甚爾くんの苗字は——。

 

 あ。

 禪院恵は、伏黒恵だ。

 

 今更気づいた。

 気づいたけれど、自分の中に湧いてきたのは「だからどうした」という感情だけだった。

 

 前世にユニバに遊びに行った時、呪術廻戦のアトラクションに入りたいと言われた。列に並んでいる間に女友達から主要キャラの簡単な解説を受けた。「伏黒はNARUTOのサスケポジだと思っとけばいいよ〜」とだけ教えてもらって、その後の野薔薇ちゃんの話の方が長かった。

 なので、原作の伏黒恵がどう生きたかなんてぶっちゃけどうでもいい。大事なのは、生まれたばかりの恵くんが——お姉様の忘れ形見が健やかに大きくなれるかどうか、それだけだ。

 

 俺の中で、いくつかの結論が出始めていた。

 

 甚爾くんが『術師殺し』として人を殺していようと関係ない。どれだけカスでもいい。お姉様との約束は守る。「甚爾くんと恵くんをまとめて面倒見る」と言ったのは俺なんだから。俺は呪術師だ。約束という行為がどれだけ大事かはわかっているつもりだし——道を誤った友人を放置しておく程、薄情でもない。俺は甚爾くんを助け、そしてお姉様のような悲劇は二度と繰り返さないため、家の外にまで届くような革命を起こす。

 

 甘い時間はもう終わりだ。子供のフリをしている余裕も、目立たない方が動きやすいなどと言っている余裕も、もうない。3年。3年しかない。

 その3年の間に、力を手に入れる。

 

 そのために、最も邪魔になりそうなのは——。

 

「菜緒葉ちゃん。まずは禪院扇から始めよう」

 

 そう言うと、菜緒葉ちゃんは花が咲き誇るように微笑んだ。

 




第三部もいよいよ終盤にさしかかってきました!
最近暗い内容続きでしたが、ようやくここまで来られました。読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます。
シン菜緒葉はまだ隠し事をしていますが、彼女の術式運用を詳細に推理するために必要な材料は今回でようやく全部ばら撒き終えました〜!

そして章ボスはまさかの扇です。
その次の章ボスが甚爾くんになる予定ですので、甚爾くんよりは罪が軽く現状の毒親レベルも低い扇をここらで一旦どうにかしないと…
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