音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
ちなみに学生組の中で菜緒葉達が絶対上手く行かない相手としては、他にも東堂と真依がいます。東堂とは上手く行く人の方が少ないでしょうが、真依との関係についてはまた次回!
当たり前にずっと続くと思っていた物は案外あっけなく壊れてなくなる。
その法則が呪術師の世界でも非術師の世界でも何ら変わりないのだと気がついたのは、お姉様の件があってからだ。そしてそれは私達にとって、この世界には出口がないと教えられたのと一緒だった。
私は別にそんな大したことを望んでたつもりなんてなかった。任務の合間にあの家に遊びに行って、一緒にご飯を食べて、恵くんが大きくなるのを隣で見守って、禪院家の外にはそういう「普通に楽しい生活」があるんだって思うだけで十分だったのだけれども──その夢は、もっと早く呪術を使っていれば治っていたかもしれないような、くだらない病気なんかに奪われた。
だからもう、普通の女の子にそうするみたいに、私なんかにお日様みたいにあったかく優しくしてくれる女の人はいない。楽しかったあの家はなくなってしまったし、平和な日常なんていうのは虚しいものだとわかったし、私の手元には、形見のお花だけしか残っていない。
それでも、ううん、だからこそ、私は前に踏み出さなくてはいけない。
マコくんがどう考えているのかはよくわからない。
マコくんはあの日からどこか変わってしまった。『定名綴魂』でもストレスを完全に消せる訳ではないので、マコくんは無意識にずっと怒り続けている。口では茶化してばっかりいるけど、私にはわかる。あの場所に戻りたいから。戻れないのがわかっているから。甚爾くんにとって本当に大事だったのはお姉様だけで、私達と恵くんのことなんか最初からどうでも良かったんじゃないかとも疑っているから。そしてそのうえで、今の甚爾くんがお姉様の気持ちすら無視しているように見えるから。
私は元から友達がゼロだし、自分の好きな人が自分と同じくらいの気持ちを返してくれるなんて滅多にあり得ないのだと知っている。だからマコくんみたいに甚爾くんを恨んではいない。禪院家での甚爾くんはマコくんが来る前からとっくに限界で、お姉様に抱きしめてもらえたのは大人になってからのことだった。疲れてしまうのは当たり前だ。どんな状況でも頑張ってきたマコくんならともかく、いざとなったらマコくんにバトンタッチできた恵まれた私から彼に言えることなど、何もない。
ただ、まだ子供のうちにお姉様に助けてもらえた私は、この世界に新しい出口を作り出したいと思ってる。
考えてもみれば、呪力を祓除のためだけに使っているのが全ての間違いだった。
──
──代わりに
禪院の呪術師が受ける教育は簡単に言えばそういうモノだ。呪術師がそういう風に考え始めるの自体は当然のことで、でも、そう言っている人達が楽しそうに人生を送っているのを、私は見たためしがない。
非術師にとっては病気で死ぬのも事故で死ぬのも呪霊に殺されるのも同じことで、毎日そんなことを気にして生きている人なんていないだろうし、現状では、私達がいるのといないのとで何が違うかもよくわからない。そのせいで禪院の呪術師達は頭がおかしくなってしまったんだと思う。
だから私達は非術師が作ったアニメやゲームに感謝しつつ、もっと楽しい何かのために身を捧げ、呪力の可能性を探るべきなのだ。
たとえば世界を美少女だけにするとか。
呪霊被害者よりももっと多い病人を世界からゼロにするとか。
呪力をエネルギー源にしてクリーンな社会を作るとか。
世界をよくしていくには、他にも色々な呪力の可能性があるはず。
そのためにも、私では思いつかないもっとすごい遊びを思いつくであろう他の非術師の皆様に、呪力という力を配布しないとね。
……世界がもっと悪くなる可能性?
当然あるけど、世界を悪くするための手段を一部の人間だけが持っている今よりもよっぽどいい。
私は全ての可能性を祝福する。
それに、全員が同じ力を持っているのに誰も世界が悪くなることを止められないというのなら、それは必ずしも「悪」ではないのかもしれない。
なので。
「……天元様を使って日本国民を不死の最強生物に進化させる??? 何それ、とんでもなく面白そうですわ!! 何を食べて生きていればそんなアヴァンギャルドなこと思いつきますの?? 実質エヴァですわよ、それ!!!!」
──羂索さんの愉快な計画の概要を聞かされて、私は文字通りのテンションマックスだった。
私が羂索さんから泳ぎのレッスンを受けながら教えてもらったことは4つだ。
① 羂索さんは千年以上もの時間を生き続けていて、呪霊・術師を問わずコツコツと契約を結び、有用な術師は「呪物」という形でコレクションしているということ。
② それは決して慈善事業などではなく、進化した天元様と日本人の同化を行い、日本全土を対象として全人類を強制進化させるという、壮大な計画の一環であること。
③ その過程で日本国土での呪力活性化が不可欠になる。プランは複数用意しているが、「人類総術師計画」の進行は、その選択肢の一つとして極めて有効な触媒であるということ。
④ そもそもの第一段階として、天元様を進化させるためには、星漿体と天元様の融合を阻止しなくてはいけない。けれども不思議な因果の力が働いて、五条家生まれの六眼の術師に毎度阻まれる。どんなに念を入れて抹殺しても必ずより強い六眼がリポップしてくるため、今回は暗殺は諦めて、因果の破壊や六眼封印の方法について研究することにした、ということ。
……ふむ。
ミステリアスな美女人妻を音MADにすることに対してオタク達が日和っていたせいでマコくんが一切の情報を得られなかっただけで、この世界の真のラスボスって、羂索さんなんじゃない?
『いや、ラスボスは宿儺。そこは確実。この世界の主人公は宿儺に取り憑かれた哀れな少年なんだ……。原作読者に聞いたから間違いないね!』
マコくんの訂正が入る。
じゃあ、羂索さんは外伝や劇場版だけで死んでしまう、特別ゲストか何かかしら?
でも、何はともあれ。
1000年を生き、一億人を集合意識化したいと考え、500年単位で人類進化のサイクルを観測し、知的好奇心に基づいて世界の構造そのものを書き換えようとする存在。こういうスケールの大きな思考を持つ存在に出会えた喜びは、確実に私を陶酔させている。
とはいえそれはあくまで稀有なサンプルとの遭遇への感激であって、決して彼女の思想への無条件の賛同や肯定を意味する訳ではない。
①はもう、直哉への加害放棄とあわせての条件で縛りを結んでしまったから仕方ないとして。
②をやられたら、私の描く美少女だけのユートピアがただのドロドロしたLCLに溶かされてしまって、困っちゃう。
『③は俺達のプランが羂索に素材にされちゃうリスクがあるよね……』
そして④について。
……私個人としては星漿体なんていう可愛らしい女の子を生贄を捧げるクソみたいな風習は消えてなくなった方がいいと思いますし、天元様がどのように進化するのかを見てみたい気持ちがかなりありますの。
『俺も生贄制度は良くないと思うけど! だからってセカイ系エンドも困るというか……』
マコくんがごちゃごちゃ悩み始めるが、これ系の任務は高専か五条家の管轄だろうから、禪院で介入できるものでもない。
ただ、たしかこの融合イベントは2年後。そして私の術式を使ったシミュレーションによれば、この件は甚爾くんが星漿体を殺して、五条が甚爾くんを返り討ちにして終わっていたはずだ。
『早く甚爾くんを見つけて「この任務を受けたら絶対負けるからやめなさい」って言ってあげないと!』
全くだ。とは言えあれだけ大暴れしているなら、甚爾くんは遅かれ早かれどこかで五条とぶつかることになる気もする。
さっさと恵くん共々禪院で保護しないと……。
しかし今はそれについて考えている場合ではない。
問題はシミュレーションにおける天元様の同化イベントがどのように決着したかだ。おそらく、新しい星漿体が見つかって日本は無事にどうにかなった……ような気がする。術式が指定した『適応』対象は私自身と直哉周りの出来事だけなので詳細はわからないのだが、たしか甚爾くんの死の12年後まで私と直哉は生きていたので、同化はつつがなく完了したのだろう。
「……でも、羂索さん。どうして私のような小娘にそこまで詳しく教えてくださるんですの?先行投資? それとも、ただの暇つぶしのお喋りかしら?」
抜群の見晴らしで、空中に浮かんででもいるような開放感のある、透き通ったプール。その水深は120cm。小柄な私だと顔がギリギリ出るくらいなので、羂索さんに支えられていないと少し溺れそうで怖い。
結局、彼女の腕に縋って浮かびながら尋ねた。
羂索さんは穏やかな笑顔で答えた。
「強いていうなら籠絡のためかな。……力を抜きなさい。水に身を委ねるんだ」
そう言われてお腹の辺りに触れられると、呪力を感じて、体がふわふわ軽くなる。
彼女の術式は『不老』と『浮遊』?
──ただ、術式を2つ持っているというのは普通ならあり得なくて、式神遣いがそれっぽく振る舞っている場合が多い。あとは『模倣』か『簒奪』、受肉体という可能性もある。
でも、『模倣』か『簒奪』の可能性が高いか。もしそうだったら『菜切り包丁』を得られないことに落胆し、私の術式をつまらないと評した理由もよくわかるから。
──さて、彼女が友好的な間に、どれだけ上手くこういった情報を拾えるかだ。彼女は以前会った時「私達は途中までは確実に上手くやれる」と言った。私もそれには同意だ。仲良しのうちになるべく手の内を知るしかない。そして、私の価値を知ってもらおう。
ついでに、私は以前羂索さんと会った時よりも圧倒的に結界術について詳しくなっているので、天元様と日本人の同化についてフカシではないかときちんと確認したのだが、彼女の計画は実行可能以外の何物でもなかった。途中で必要になる『呪印による遠隔マーキング』という技術についても彼女の方法は通常よりも大規模なそれを実現させている。沢山の人をいっぺんに美少女にする時に活用できそうだ。
というかこの人、結界術に詳しすぎない?
「いい質問だ」「筋がいいよ」と微笑みながら、私の疑問全てに的確な解を与えてくれる。そして泳ぎまで教えてくれる。「結界術に詳しいから色々教えてあげようか?」と言ってきた癖に私より全然無知だったうえ、やけに距離が近くて胸とか見てきてキショかった『炳』の先輩とは大違いだ。
羂索さん、しゅき……♡
『戻りなさーーーい菜緒葉ちゃん!! その性癖はアカンわ』
マコくんが脳内で必死に警笛を鳴らしてきてうるさい。
マコくんだって灰色のTS人生に年上美人のヒロインを実装したいって言ってたじゃないの!
ラスボス系知性派ヒロイン。最高じゃないの。
マコくんはBLEACHだとなんで味方の枠なのかもよくわからない悪人の涅マユリのことが「頭がよくて面白い」って理由で一番好きなんだから、マユリ様の女体化と思えば許容範囲でしょ!!
『マユリ様は好きだけど付き合うのは絶対無理! 倫理観がマユリ様レベルの女なんて、いつ爆殺してくるか……』
脳内からのツッコミを華麗にスルーして、私は羂索さんの腕の中でぷかぷかと心地よい浮遊感に身を任せた。
爆死のリスクくらいなんだって言うんだろう。
どうせ呪術師なんて畳の上では死ねないし、この人は直哉には手を出せないんだから、別にそこまで怖くはない。私の人生において本当に怖いのは、家の中で朽ち果てることの方。直哉とお父様に、黙殺されることの方。
ラスボス丸出しの美女と渡り合うというのは私にとっては特級呪霊とのバトルみたいなもので、むしろワクワクの範疇だ。
かつての禪院家では男の人しかできなかったようなことをやれるんだから、楽しいに決まってる。
◇
地下から直接引き上げているという、肌に吸い付くようなとろみのある温泉水。その余熱を孕んだジャグジースパで十分に身体を芯から温めた後だというのに、羂索さんの指先は死体のように冷たかった。
プールに長く浸かりすぎたせいかしら、と少し心配になって、私はその細い手を両手で包み込み、ぎゅうぎゅうと必死に摩擦で熱を伝えようとした。羂索さんはそれを拒むこともなく、慈しむような、あるいは珍しい標本を観察するような、得体の知れない微笑を浮かべてずっと私を見下ろしていた。
「どうしたの?」
声が降ってくると同時に我に返って顔を上げると、彼女の底の見えない瞳と視線がぶつかった。自分が小動物のように彼女の手をやわやわと一心に揉んでいたことに気づき、猛烈な羞恥心がこみ上げてくる。
「……あ、あっためて差し上げたかったんですの。あまりに冷たかったから、凍えてらっしゃるのではないかと……っ」
顔が熱くなるのを我慢した。
すると、羂索さんは「ふふっ」と喉を鳴らして笑うと、空いている方の手で私の頭をゆっくりと撫でた。
──待って。何これ。
この間、禪院の親戚の男に頭をポンポンされた時は「髪型が崩れるんですけど! クッソうざいですわ。くたばれ」とブチギレて、その後3日は無言で全ての行動をマコくんにお任せするモードになっちゃったくらい嫌だったのに、今の私はなんだか抗いがたい浮遊感に包まれている。
私はこんなナデポに落ちる程度の女だっただろうか。
これはまずい。致命的にまずい。
マコくんという大人の男の人の魂が体に入ってしまっているばかりに、美女を純粋に観賞用として愛でていたはずの私はあらぬ方向に……!
『責任転嫁すんな! 俺がこんな、笑顔の裏で一億人の同化を企んでるヤバ女にときめく訳ないだろ!!!』
そうやってマコくんはすぐ、自分の無意識の性癖から目を逸らすんだから!
往生際が悪いですわよ!
──脳内でそんな醜い擦り付け合いを繰り広げながらも、私は必死に平静を装う。
羂索さんは私を籠絡しに来たと言った。ならばこれは、彼女が仕掛けた甘い呪縛なのだ。毒入りの飴玉を転がすように、私は重要すぎる情報は秘匿しつつ、彼女を飽きさせない程度の面白い対価を支払わなくてはならない。
私は私の計画についての前に話した時より詳細を詰めた部分や、着手した内容のうちのいくつかについてを軽く話した。
そしてその後、ラウンジで人気のアフタヌーンティー(生まれて初めて食べる!)をスイートルームに運んできてもらった。
カーテンの隙間から差し込む夏の強い日差しを反射して、銀色の三段スタンドが眩しく輝く。そこに並ぶのは、目が眩むほど鮮やかなイエローとオレンジに彩られた、天国みたいなお菓子達だった。
一番下のセイボリーの段には、完熟マンゴーとスモークサーモンのタルタルを乗せた薄焼きのブルスケッタ、そして、タンドリーチキンにマンゴーチャツネを添えたミニバーガー。夏の食欲をそそる香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
中段には、黄金色の焼き目が美しいプレーンスコーンと、ドライマンゴーを練り込んだココナッツスコーン。その隣には、濃厚なクロテッドクリームと、太陽の恵みをそのまま煮詰めた宝石のようなパッションフルーツとマンゴーのジャムがガラスの小鉢で輝いている。
そして最上段のスイーツには、涼やかなガラス器に入った、層をなすマンゴープリンとライチのジュレ。さらには大粒の宮崎県産完熟マンゴーが惜しげもなくあしられた小さなローズタルトや鮮やかなマカロンまで、まるで芸術品のように鎮座していた。
夏のメニューなのでマンゴーをテーマにしているらしい。
そして、マンゴーは私の一番好きな食べ物と言っても過言ではない。
このホテルに来られたのが羂索さんの恐ろしい陰謀の結果だというなら、彼女は私という人間をどこまで理解しきっているのだろう。
事前にネットで調べた通りにまずは下の段に手を伸ばす。
私は一応由緒正しい旧家のお嬢様のはずなのだが、禪院家が女に投資する文化資本というのは大したものではない。せいぜい、何年か前に小笠原流礼法を軽く仕込まれた程度だ。茶道とピアノと書道と、他にも色んなことを習わされていた直哉の方が、断然きちんとしていると思う。
なので、いつものようにアニメに出てくるお嬢様の優雅な挙動をトレースする。羂索さんの前でマナーを知らない野良犬だと思われないよう、背筋を伸ばし、ブルスケッタを上品に一口。
──美味しい。美味しすぎる。
マンゴーの濃厚な甘みとサーモンの塩気、そしてレモンの酸味が完璧な黄金比で殴りかかってくる。
「……おや、本当に美味しそうに食べるね」
「……! あ、あまりに素晴らしい味でしたので、つい……」
羂索さんは琥珀色のダージリンティーを私のカップに注ぎながら目を細めた。
「今の時代の果物は本当に甘いね。非術師たちが何百年もかけて、ただ『美味しく食べたい』『より美しいものを生み出したい』という欲望だけで命を繋ぎ、品種を改良してきた結晶だ」
「まったくですわ。世界にはこんなに素敵なものがあるんですのね。こんなモノを作れる人を、私の家族はどうして見下すんでしょう?」
禪院家はとんでもない場所だ。
この間、マコくんと直哉と一緒に4回目の若手向けの勉強会をした。術式の有無を問わず優秀そうな同年代の子を集めて、戦術と呪術史と法制についてを特定の事例をもとに教えつつ、私達の考えをさりげな〜く刷り込んでいるのだけれども……これが中々難しい。
特定の地域に住む人が受けている迫害がきっかけで被害が大きくなってしまった悲惨な呪霊事件の話をしたのだけれども「こんな差別をするなんてなんて許せない! これだから猿は野蛮で困る!」みたいなトンデモ反応が返ってきた。マコくんが「そうじゃない、そうじゃないんだ……」と頭を抱えていたけれども、その場で直接的に否定するのでは多分納得してもらえないだろうと思って諦めた。もっと時間をかける必要があるのだろうか。
──その話をすると、羂索さんは小さなハンバーガーにナイフを入れながら大笑いした。すごくいい笑顔だった。
『な〜にが「たはー」だよ……。乾いた笑いしか出ねーわ』
とマコくんは軽くキレていたが、上品系の美人がこういう、隙の多い笑い方をするのは、正直かなりのギャップ萌えだと思う。
「それは非術師の社会でもありふれた話だ。折角の呪力をゴミ掃除の仕事にしか使っていない分際で、仕事をくれる人にその態度っていうのは、笑っちゃうよね」
「まったくですわ。禪院の家は『強者が弱者を支配する』という原始的なドグマを、呪術という不可視の権力で粉飾しているだけに過ぎません。非術師が数千年かけて積み上げてきた法治や倫理といった大きな物語への敬意は、そこには欠片もない。彼らにとっての世界は、術師という頂点から見下ろす箱庭にすぎないのでしょうか」
「呪力というエネルギーは、負の感情から生まれる。だからこそ、それを取り扱う術師のコミュニティは、放っておけば負の螺旋に飲み込まれていく。……呪力にはもっと可能性があるのに。呪術師も非術師も呪霊も、皆異なる呪力の可能性なんだよ」
可能性。いい言葉だ。
「天与呪縛についてはどう思いますか?」
「好きだよ。呪物にした中にも、それらしい面白い剣士がいたし」
「ですわよね! 最近の私達の関心事項は、フィジカルギフテッドに私の呪霊食を食べさせたらどうなるかなんですのよ。親類の女の子がそうだった関係で、数年前から大人達はずっとそれについて議論してたみたいなんですけど……」
「へぇ。それは興味深いね。結果が出たら真っ先に教えてよ」
「勿論ですわ♡ あとでメルアド交換しましょうね!」
脳内で『やめなやめな、そのアドレスにウイルスとか呪いとか送られてくるぞ!』とマコくんがうるさい。そうは言うけど、呪いのメールなんて実在しませんからね。この人の呪術知識だけでもかなり有用だし、ちゃんと気をつけていればむしろ有意義だと思う。
「で、私が思うに、術師のコミュニティがこれほどまでにジメジメしているのは、世間に知られず、秘匿という閉鎖環境に甘んじているせいもありますわ。けれども今の呪術の秘匿も男尊女卑も、せいぜい明治以降に確立された新しい風習に過ぎません。平安の呪術全盛の世のようになれば、もう少し風通しも良くなるはず。……なぁんて話の展開なら、少しは保守派ウケもいいかしら。平安時代は女性術師も沢山いたんでしょう?」
「大勢いたね。会津の万という女は、たしか禪院の開祖と、血縁があったような……なかったような?」
それから羂索さんは、平安時代の話を少ししてくれた。万という女の叶いっこない恋。両面宿儺がどれだけ最強だったか。あとは羂索さん自身の、喧嘩してそれっきりのお友達のこと。
羂索さんはその人を「つまらない女」と吐き捨てるように言ったが、同時に、彼女から結界術の基礎を教わった瞬間の話をする時だけは、どこか遠くを見るような目をしていた。
私はそれを、この怪物が持つ僅かな隙──柔らかい部分に触れる話だと認識した。
それが彼女の計算による演技である可能性も十二分にある。けれど、ここで私も自分のカードを切らなければ、この対等なフリをしたティータイムは終わってしまう気がした。ここで腑を晒さないのは、あまりに不義理だ。
だから、2枚ある重要なカードの一方──全人類をかわいくしたい動機の片方について、私はスコーンを上下に割りながら話し始めた。
「……私にも、小さい頃に良くしてくれた女中の子がいたんです」
スコーンの内側にジャムをたっぷり塗る。室内の照明を反射してキラキラ光る、橙色のジャム。
「あと2、3年もすれば彼女の年齢に追いついてしまうんですけど……姉のような存在でした。彼女は禪院の呪術師に殺されました。ずっと一緒にいてくれると思っていたのですけれどもね」
このことはあまり人に話したことがなかった。怒りすぎていて、処理の仕方がよくわかっていないから。私がマコくんと違って、人殺しの罪に頓着しない女だと初めて気づいた時の記憶だから。
私は人殺しになってもいいから復讐したいと思った。それでお父様を後悔させてやりたいと思った。綺麗なマコくんも、私と同じ憎しみで汚れてくれるだろうと期待した。けれどもマコくんはもっと泥臭い、けれどもずっと気高い道を選んだ。
「結局、私の従兄がその男をぶっ飛ばして、彼女の無念は晴らされました。私とマコくんは以来そのお兄さんのことが本当に大切なんですけど……でも、私はずっと考えていました。その場しのぎの報復をして終わりでは、きっと駄目なんだろうって」
甚爾くんに比べればマコくんの破壊なんて些細だ。
それでもマコくんは報復を拒否し、構造を壊し、跡地を作り替えた。
引きこもっていた私の心には、その光が美しく見えた。
彼女の仇を直接的に討ってくれた甚爾くんのことも大好きだけど、あんなにも強い彼は今も傷ついたまま、物理的には壊せたはずの家からの最低な暴力に、今も囚われている。
だから、私は……。
「──ああ。それが計画の出発点?」
「ええ。『呪術師はアニメの魔法少女とは違う』って父が言ってた理由が、あの時初めて心の奥底からわかりました。でも、私がステキだと思う呪術師って、どちらかというと魔法少女なんですのよね。だったら、呪術師の方を魔法少女に寄せればいいじゃない?」
羂索さんは、私には解釈しかねるような表情を浮かべた。
戸惑いと、なんだろう?
決して悪い感情ではなさそうだった。
外側はカリッと、内側はふわっとしたスコーンを美味しく食べながら、私は笑った。
マコくんはそれを聞いてから、何も言わなくなった。
子供っぽくて変な思想だとでも、相変わらず考えているのだろう。
全くおんなじ経験をしているのに、私達の考えることは全然違う。
◇
さて、羂索さんはアフタヌーンティーの最上段に手をつけながら、息子さん(ユウジくんというらしい)を今はお義父様に預けているのだという話をしてくれた。
好奇心に抗えず、彼女の心を射止めた旦那さんについて踏み込んでみたけれど、返ってきたのは期待していたロマンスとは程遠い、乾いた事実だけだった。
「子供が欲しかっただけだよ。『器』としてね。……夫? ああ、悪い人ではなかったけれど、好きではなかったかな」
今はフレアカットのデニムと淡色のトップスに包まれて見えない羂索さんのおなかは、赤ちゃんが入っていた時期があるとは思えないくらいに細くくびれていた。水着のときに直接見たそのほっそりした様子を思い出しながら、私は少しだけ、変な想像をした。
男の人を好きになると、女の人はその好きだという気持ちの分だけ命を吸い取られて、子供を産んだら弱って死んでしまうのかもしれない。
男の人を好きにならない、カマキリみたいな女の人だけが生き残れる。
そして、親がいなくたって息子はどうせ元気に育つ。
「家族愛なんてさ。飽きるほど『見た』んだよね」
羂索さんはくっきりした眉を不快げに寄せて、苛立ったように言った。その声は、数百年以上も同じ舞台演劇を最前列で観劇し続け、台詞の端々まで暗記してしまった観客のそれによく似ていた。
「君のおかげで見た悪夢の中でも嫌というほど見せられた。あの記憶は君が
彼女がその先の言の葉を紡ごうとした瞬間、私は制止した。
その言葉の続きは、マコくんには決して聞かせてはならない禁忌だ。
「羂索さん、その話はやめて」
私の声から余裕が消えたのを察したのか、彼女は「おっと」と口角を上げた。しかし、その瞳の奥にある冷徹な光は消えない。
「……とにかく、君ほどの人間ならもっと早く前に進めるはずだよ。あの夢に出てきた、あの火傷だらけの、呪力を持たない女がそうしたみたいにね。……なのにどうして、未だにあの弟を生かして、許しているの?」
氷のような問いかけが苦く響く。
実を言えば、弟を許せてなんかいない。昔は我ながらいいお姉さんをやっていたはずだが、やり方を思い出せなくなった。
それでも、許せないのと嫌いになるのは違う。
まだ家族が好きだというのは、この人から見ればせせこましく見苦しくも見えるだろう。
でも、私には別の感じ方があった。
「ふふ。千年も生きれば、個人への執着なんて路傍の石ころと同じになるんでしょうけれど。……あなたは、少しばかり飽きっぽすぎるんですのよ、羂索さん。あなたにはガラクタでも、私にとって弟はストラディバリウスなんですの。どれだけ奏でても飽き足らないわ」
弟が私と同じに無事出涸らしになった暁にはこの執着を断ち切れるはずだけど、いつになったらそうなってくれるのだろう?
ちゃんとした人間に擬態するのがだんだん上手くなってきているせいで、弟の側にとってはもう、私の存在は必要なくなった。私のためらしいけど、本音を言えば全然嬉しくない。どんなに取り繕ってもカスはカスだから。それでも弟が私を好きになって、頼ってくれるなら、弟がどんな最低な子でも我慢できた。私は、駄目な弟が泥の底でのたうっているのを眺めるのが好きなのだ。なのに結局は、私一人がまた泥の底から遠い星を見上げてもがいている。
けれども、羂索さんにはその痛みはバレなかった。
高所から弟を愛でているだけの上位者を、私は上手に演じられているようだった。
「……強いんだね、君は」
羂索さんは穏やかに言った。
それは否定しなければいけなかった。
「私は弱くて陰湿な女ですよ。だからもっと強くなりたいんですわ」
私と違ってちゃんと恵まれているはずの直哉も、甚爾くんと出会ってからはずっとそんな感じのことを考えているのだろうか。私には甚爾くんの弱い部分ばかりが見えてしまって、私も一歩間違えればこうなると思って、全然それどころではない。
そして私自身、アニメの戦闘美少女には毎回憧れるけれど、いわゆる『強い女』は8割がた嫌いだ。ああいうお綺麗な啖呵を切れる人間というのは、生まれつき五条悟並みに強いか、あるいは周りの男性に恵まれただけだと思ってしまうから。
寒い台所で立ったまま冷めたお米を食べるような、そういう人間の人生を想像もできない境遇の女の言葉には、私は1グラムの重みも感じない──というのは『強い女』の視点から見れば不幸に酔ったドブカス女のみっともない恨み言なのだろうし、それを思うと余計にムカつく。
だから直哉の気持ちがさっぱりわからない。自分より強そうな同性って、そんなに憧れるものだろうか。見ていて自殺したくならないんだろうか。顔の良さで大量加点が入っているというのなら全面的に理解できるんだけれども……マコくんが「男はそういうことは考えない」って何度も言うので、だんだん自信がなくなってきた。
直哉の欲しい強さと私の欲しい強さは、どこかで交わるだろうか。
そうでないと困る。
「……私は殿方に対してときどき生意気なことを言いますけど、実は生死をかけてやってるんですのよ。禪院の女が呪術師でいるためには、完璧を演じるだけでは足りない。私はマコくん抜きのありのままの自分を好きになれたことが一度もないし、術式に目覚める前の『禪院菜緒葉』が本来どういう人間だったのかも、もう思い出せません」
気持ちいいので煽らずにはいられないだけで、一応本心だ。
私みたいな女はいつお千代さんみたいに男の不興を買って殺されるかもわからないけれど、甚爾くんも直哉も、私のこと殴らないでくれていて、ありがとね。
なんて、死んでも言わないけれども。
「私には私自身のことさえわからないから『楽しみたい』という衝動だけが残った。そして全ての欲望を成就させるためには、強さも時間も全然足りない……。だから死ぬまで頑張ってみようと思うの。どうか、道が交わっている間は、仲良くしましょうね」
1000年生きた怪物に、対等なふりをしてダンスの誘いを持ちかける。
それは私にとっては手慣れたことだ。
マコくんの存在だって、最初のうちは訳がわからなかったんだから。
──その、私の言葉に。
羂索さんは慈母のような、あるいは酷く無邪気な少年のような笑顔で、こう切り返す。
「……道が交わっている間は仲良く、か。冷たいことを言うね。でもいいよ、約束しよう。自分という枠組みが壊れて何者でもなくなっていくことは、そう大した問題じゃない。君が私に飽きるか、あるいは私が君に飽きるその日まで、目一杯楽しもうじゃないか」
羂索さんはそう言って、最後に残った橙色のマカロンを細い指先でつまみ、自身の薄い唇へと運んだ。サク、と繊細な生地が崩れる音が、ひんやりとした静寂に妙にリアルに響いた。
いかにもな「若者が生意気にも足掻いている。もっとやってごらん」という、ラスボスの言い草。けれども私はこの人を退屈させる気はないし、格下に甘んじ続ける気もない。今はまだ子供だけど、そのうち下剋上してあげるから待っていなさい。
そんな私の内心の毒さえ、彼女はとうに織り込み済みなのだろう。
「せいぜい、早く大きくなりなさい。私と対等になれるくらい」
薄笑いを浮かべて優雅な仕草で髪をかき上げると羂索さんは音もなく席を立ち、電話の側に置いてあるメモにメールアドレスを書きつけて私に渡した。私はそれを余裕のあるフリをしながら受け取った。本当は恐怖と緊張とドキドキの全部の感情があったけれども、辛うじて上手く行ったようだった。
──世界を書き換える。
そのためのチケットは、どうやら手に入ったみたい。