音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

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2006年3月の再会

 窓口の前で伏黒甚爾はいつも同じ過ちを犯す。

 

 配当だけが法外な、当たる道理のない1頭を、指が勝手に選ぶ。万にひとつ。十万にひとつ。来る訳がないと、並んでいるあいだからわかっていた。わかっていて、それでも甚爾はその馬を買う。手堅い配当を律儀に拾っていく賢い連中を横目に、ありもしない奇跡に賭ける。

 どうせ無理だ。

 そう胸の内で呟きながら、それでも、万にひとつを、どうしても見たかった。

 

 結果は、無理だった。

 当然のように、無理だった。

 

 舌打ちが止める間もなく漏れる。腹立たしいのは負けたことではない。負けるとわかっていてなお、馬群が最終コーナーを回るほんの数秒、心臓のどこかが勝手に逸った──その、まだ死にきらずにいる自分の中の未練だった。これさえ死にきってくれたら、こんな音は漏れずに済む。

 

 馬を買うための金はつい先日、顔も覚えていない男を一人始末して得たそれの一部だった。誰かを殺して得た札を勝つはずのない馬に賭けて、紙屑に変える。順に並べてみれば、何かが律儀に循環しているようにも見える。けれども甚爾はその循環がどこへ向かっているのかを、知りたいとは思わない。

 

 腹の底には常に穴が空いている。

 いくら詰めても塞がらない。底が抜けているのだから、注いだものはそのまま下から抜けていく。それでも甚爾は注ぐのをやめられない。やめられないのは、満ちないから。

 一度だけ──たった一度だけ、この器が満ちていた時期があった。甚爾のような人間が引き当てていいはずのなかった大当たり。それを甚爾は自分の無能さによってぶち壊しにした。それなら二度と当たりを追い求めてはいけないし、どうせ二度と当たらないともわかっている。なのに、器が満ちる感触を追うのをやめられない。

 何が満たしてくれるのかも分からないまま、当たるはずのない方へ、当たるはずのない方へと賭け続ける。体だけがあの満ちる感じを覚えていて、勝てない盤面に手を伸ばし続ける。

 

 パチンコ屋でも同じことが起きた。

 

 甘く煽る演出ばかりがやたらと派手で当たりはついに来ず、終わってみれば財布はほとんど空になっていた。台の縁に肘をつき、しばらく液晶のリーチを眺める。あれが当たるところを本当はずっと見たかったのだという感情が、煙と一緒に胸に降りてきた。見たいと思うことと当たらないと知っていることが、頭の中で別々の場所に並んで暮らしている。『術師殺し』として自分を拒絶した世界に何度も手を出し続けるのも、勝てない盤面に戻り続ける同じ衝動だ。甚爾は殺し続けている。けれどもまだ勝ててはいない。世界に勝つ方法がわからない。

 

 ──外へ出ると、空は鉛色に垂れ込めていた。雨が来る、と肌で知れた。

 駐車場の隅、アスファルトの割れ目から、場違いに鮮やかな黄色いものが咲いている。タンポポだった。それを摘み取ろうかと、甚爾は足を止めて少しだけ悩んだ。

 すっからかんのヒモを女がどんな顔で迎えるかは見るまでもない。しかし花の一束でも握らせてやれば、女というのは案外ころりと機嫌を直す。たとえそれが道端の雑草でも、渡し方さえ間違えなければいい。女が全員花を好きだとは言わないが、甚爾のような男に優しくするような女は、大抵花が好きだ。放っておけばすぐに枯れる、手のかかる物に水をやり続ける──それを苦にしない性質の女だけが、甚爾の近くには残った。

 昔、これをやって殴られたことがある。全然痛くなかった。むしろ女のあまりの弱さに不安になってくるほどだった。しかも彼女は最後にはその花を、ニコニコしながらコップに飾ったのだ。それから2人で笑い合って、ガラス細工の小鳥を抱え込むようにして一緒に眠った。

 甚爾はそれを思い出し、すぐに思考をまた底へと沈めた。近頃はその繰り返しばかりで、その都度もう、自分が何を沈めたのかさえ思い出せなくなっていく。

 

 携帯が鳴ったのは、駅へ向かう途中だった。

 今夜の宿にする予定だった女の名前が、液晶画面に光っていた。出た瞬間、耳が痛くなるほどの声が飛び込んでくる。甚爾は携帯を耳から少し離し、雨の気配を嗅ぎながら、相手の言葉が一通り尽きるのを待った。

 内容は半分も入ってこないが、とんでもなく若い別の女に手を出したと思われているらしかった。甚爾は「誤解だ」と「悪かった」を適当な間隔で挟みながら、声がやむのを待った。やがて通話は一方的に切れた。

 これで、今夜転がり込めるはずだった家が消えた。もうひとつの家には、帰れなくはない。けれども、あの女が自分に愛想を尽かすその瀬戸際でしか甚爾は帰れなかった。あの家には、あの女に預けた息子がいるからだ。自分のような人間は、いずれ魔が差して息子を殺すかもしれない。だから息子のことは思い出したくなかった。甚爾の罪の証、最大の失敗、禪院で育てばきっと甚爾を見下すようになるであろう我が子──それでも、忘れ形見。直哉は禪院家を変えると言っていたが、恵が十種を発現させるという予言が本当ならば、恵が禪院本家に迎え入れられた途端に直哉の立場も揺らぎ始める。それを思えば──いや、予言ってなんだっけ?

 

 雨が降り始めた。

 最初の一滴が首筋に落ちて、あとはあっという間だった。甚爾は走りもせず、近くのコンビニの庇の下へ歩いて入った。傘立てには何本かの傘が挿してある。そこから一番手近な、まだ新しいビニール傘に迷いなく手をかける。

 

「──あら」

 

 喜色に満ちた声がした。

 地声の甘さをあえて冷たく凛と律しているような、清涼飲料水を連想させる声。

 甚爾は手を止めて振り返る。

 

 すぐ後ろに、16本骨の丸いシルエットが重たげな、ボルドー色の気品ある傘を差した小柄な娘が立っていた。

 

 髪型は丁寧に整えられた編み下ろし。それなりの値段がしそうな上質な黒のウールコートに純白のハイネック、タイトなストレートデニム、足元は厚底のブーツといういささか背伸びをした大人の服装だが、年齢は10代半ばだろう。顔立ちと肌の質感を見れば、歴戦のヒモである甚爾からすると一目瞭然だ。

 目尻のきゅっと吊り上がった大きな瞳の光り方にはどこか見覚えがあったが、甚爾はその引っかかりを数秒弄び、まあ、週刊誌のグラビアで似た系統のタレントを見かけただけだろうと結論付けて思考を打ち切った。

 

 彼女は言った。

 

「泥棒はいけませんわよ。持ち主が濡れて困るでしょう?」

 

 怯えもせず、ずいぶんと立派な口の利き方をする娘だ。

 甚爾は黙って、その娘を見下ろした。

 甚爾に睨まれて平気でいられる人間はあまりいない。ガラの悪い男ですら9割9分黙って引き下がる程だから、正義感が無駄に肥大化しただけの無知な少女なら、尚更恐怖に竦むだろう。そう思った。

 

 しかし全く効かなかった。

 

 それどころか、冷たい憐れみと底知れない愛憎がドロドロに入り混じる灼けつくような視線が、下方から自分の顔を真っ直ぐに睨め上げてくる。

 最初は世間知らずそうな令嬢だとしか思わなかったが、見れば見るほど不気味だ。

 挙措や服装は完全に大人の女だが、体は成長途上の子供だ。だから、女でない何かが女のフリを完璧に演じているように見える。

 体の造りもよく見れば違和感がある。

 普通の人間とは魂の構成そのものが異なっているような気配だ。

 そして何より、自ずから発光しているような瞳。内側が空洞になった、陶器の人形のように見える体の中の、どこにそんな光源があるのか。

 甚爾が黙って観察していると、彼女の小さな唇がゆっくりと開く。

 虚ろな、つまり呪いのみっしりと詰まっているかのような暗い口の中が見える。

 そして娘は微笑みながら、自分のボルドー色の傘を少しだけ甚爾の方へ傾けて、こう言った。

 

「──でも、困っているんでしょう? 私の傘に、入れてあげますわ」

 

 

 

 

 

 よし、甚爾くんと再会できたぜ!

 

 いやあ、マジでここまで辿り着くの、しんどかったんだからな? 仕事関連のツテを辿っても『術師殺し』の足取りなんてさっぱりだし、禪院家の情報網も「裏社会で大活躍してますよ」ことくらいしか教えてくれない役立たず。

 結局、頼りになったのは甚爾くんがこれまでに渡り歩いてきた女性達のネットワークだった。過去にちょろっと面識のあった元カノさんから順に辿って行き、かなり頑張って、執念でここまで行き着いたわけ。

 どうやって成功したかって?

 前世で28歳まで生きた俺の社会人経験と、先日手に入れたホールド力強めのボリュームアップブラ(危険物なので普段使いは諦めた)によって完成した胸。このふたつを武器に大人っぽい服着て化粧して18歳を自称してみたら、案外いけるもんなんだよ。「甚爾くんとどうしても早く会わなきゃいけない事情があるんです……っ」って涙目で訴えれば、カノジョさん達は最悪の事情を想像して、同情心からあれこれ最新の目撃情報を流してくれた。

 そして今に至る訳だ。

 

 ……というか。

 甚爾くんのカノジョ、ちょっと多すぎない????

 途中からは演技じゃなくて本気の怒りがこもってくるようになって、今夜甚爾くんを泊める予定だった今カノさんとは大盛り上がりしてしまった。

 

 甚爾くんにボルドー色の傘を持たせ、並んで雨の中を歩きながら、俺は彼から放たれる凄まじい困惑のオーラを肌で感じ取っていた。

 まあ、気まずいに決まっているよなぁとは思う。けれど、さっきから一言も喋らずに完全無言を貫き通すのは、いくらなんでもコミュニケーション拒否が過ぎやしないか?

 本体の癖に甚爾くんから悪霊扱いされている可哀想な菜緒葉ちゃんには一旦ガッツリ沈んでもらい、なるべく警戒心を削ぐ方針で行っているつもりなのだが──

 

「着拒のことは、全然怒ってませんからね。甚爾くんもあの時は混乱してたんでしょうし。ちなみに私、腕折り事件はもう、全然気にしていませんわよ……」

「……」

「お仕事のことについてはものすご〜〜く言いたいことがありますし、許せないけど、もういいの。いや、良くはないけど、甚爾くんにもう一度会えただけで嬉しい! だからね……」

 

 ──結構、乙女(偽)としての勇気を振り絞って健気に喋りかけているのに、甚爾くんは一向に口を開かない。それどころか、心底不審なものを見る目で……というか、まるで初対面のガチ恋ストーカーを警戒するような冷ややかな視線をこっちに送ってきている。

 

 ……あ。

 もしかして、俺が変装によって完璧な大人のレディになりすぎてて、誰だかわかってないのか!?

 胸のサイズもだいぶ成長しちゃったしな!

 

「甚爾くん、菜緒葉ですわよ。な〜お〜は〜!」

 

 と、俺はコートの裾を翻しながら、猛主張する。

 すると甚爾くんは驚いた顔をして──

 

「直哉の姉か……?」

 

 は???????

 

「失礼しちゃいますわね! なんでここで、大親友の私を直哉の付属物扱いするんですの?」

 

 あまりの理不尽さに、思わず甚爾くんのダル着(お姉様が生きてた頃はもうちょいマトモな格好で外出してたのに、何そのヨレヨレの服!)をグイグイ引っ張って詰め寄ってしまった。

 こう言っちゃなんだが、俺は直哉があの家から遠ざかってた時も、甚爾くんの側にずっといた。

 仲良し度メーターで言えば、断然俺の方が上に決まっている。

 

「俺と直哉は仲良いぞ」

「えっ」

「先週は『甚爾くんのそういう所本当にイヤや!』ってブチギレながらラーメン奢ってくれた」

「えっえっえっ」

 

 アイツ後でぜってーシメる!!

 

 最近、俺が外出するたびに「どこ行くねん、誰と会うねん」って滅茶苦茶しつこく訊いてくる癖に、自分だけはこっそり優雅に甚爾くんと密会してラーメン食べてたって訳????

 ずるいずるいずるいずるい! 仲間外れ反対!!

 

 ……いや、待てよ。

 直哉は知らないんだ。

 甚爾くんがこの先、五条悟と戦って死ぬかもしれない未来の運命を。

 そう思い至った瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 それを前提に考えたら、メンタルが限界の時の事故とはいえ、菜緒葉ちゃんの腕を折った上に悪霊認定した甚爾くんを俺達から遠ざける直哉の判断は、家族として当たり前の防衛策だったのかもしれない。

 もしかしなくても……隠し事はお互い様?

 

 ──罪悪感もろくに持たずにこれまでしていた隠し事について思い出した途端、すぐ泣く菜緒葉ちゃんのせいで涙もろいこの体が、勝手にぽろぽろと涙を零し出す。

 

 扇のおじさまに『定名綴魂』を使ったり、羂索とメル友になったり──そもそも真男佳がメゾン・ド・禪院菜緒葉の同居人になっていること自体内緒。しょっちゅう見ている悪夢の内容も内緒だし、音MADによる未来予測の内容も当然ぜ〜んぶ内緒。

 直哉だって、自分が隠し事をされていることくらいは察していたかもしれない。そしてそこへ来て先日の乳揉み事件だ。「大好きな姉の頭の中に、姉と完全に意気投合して乳まで揉んでいる幽霊がいる」という最悪のサイコホラーは、彼のSAN値をゴリゴリに削ってしまったに違いない。

 直哉はいつも人生に悲しいことも辛いことも何もないような顔をしているけど、本当は不安だったのだろう。

 甚爾くんに会うのにこんなに絶望的な時間がかかったのは、直哉の信用をじわじわと削り続けてきた、俺自身の自業自得だったのかもしれない。

 

 で、俺は今日も直哉には秘密でここに来た。今更気づいたが、俺と菜緒葉ちゃんは自覚していた以上にやばい方向に来ているのではないか。

 

 激しく泣きじゃくり始めた俺を見て、甚爾くんは酷く困り果てたように足を止め、無言のままボルドー色の傘を俺の頭上へとそっと差し掛け直した。

 




感想や高評価などについていつも本当にありがとうございます!

さて、記憶改竄についての見落としおよび傘を差すなどの優しさの残存ゆえに、甚爾が要カウンセリング状態なことをマコはあんまりわかってません。わかっていればもうちょいマシな結果になりそうなんですが…
でもマコ自身も客観的に見てまあまあ不安定なんですよね…
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