音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
甚爾くんがその圧倒的な暴力で禪院の家を半ばぶっ壊して出て行った時、俺は心の底から「敵わないな」と思った。
俺が菜緒葉ちゃんの立ち位置を利用して必死に頭を回し、ちまちまと進めていた家の改革も、地道な根回しも異議申し立ても、あの男が起こした台風の目から見れば、全部がちっぽけな砂上の楼閣に思えるくらい、アレは鮮やかで絶対的な破壊だった。
人は配られたカードで戦うしかない。……いや、それは少し違うか。今の俺は、万人の手札を配り直させるという目的のために、呪術界そのものをひっくり返そうとしているのだから。
でも、あの時の彼の、因習を蹴り飛ばしたロックで自由な背中を見て、俺は間違いなく火をつけられたのだ。俺も俺のやり方で、甚爾くんに負けないくらい、禪院家をひっくり返してやろうって。
けれど。俺が甚爾くんに「敵わない」と本当に思い知らされたのは、その圧倒的な身体能力を見せつけられた時じゃない。
彼が不格好にエプロンをつけて料理を覚え、スーパーの特売品を求めて真剣にチラシを睨んでいるのを見た時だ。
だって異常だろう。あの禪院家で育った男が、愛する女のためにごく自然に主夫をやっているのだ。それは物理的な暴力なんかよりもずっと強靭な、途方もない心の強さの証明だと思う。
前世の俺は体が弱く、男としては少々頼りないタイプだった。友人からは「家事スキルは高いんだから、バリキャリ女子にアプローチして専業主夫を目指した方がモテるぞ」と揶揄い半分で言われたこともある。だけど、俺にはそこまでの割り切りを持てなかった。仕事が好きだったというのもあるが、つまらない男のプライドが邪魔をしたのだ。焦ってマッチングアプリで恋人を作った時も、結局すぐに自分から手を離した。もしも将来病気が再発して、相手に介護されるだけの無惨な重荷になったら……。そんな不安と恐怖に耐えきれず、自分に自信が持てなかった。
結果的に、あの時別れたのは正解だったと思う。恐れていた通り、病気は結構すぐに再発して、俺の人生をあっけなく終わらせたからだ。
だから転生して菜緒葉ちゃんの健康な体に宿り、「世話される側」の惨めさを脱して「世話する側」になれたことには、心底安堵している。転生して健康な体を得て、俺は人を守る側、戦う側、食べさせる側になれた。そうなったからこそ、俺は甚爾くんの視界に入れたのだろう。
直哉は「アッチ側」なんて寂しいことをよく言う。元から決して交わらない、別の川岸の住人みたいな言い方。俺は違う。俺は最初から、甚爾くんと同じ岸辺に立って、彼のすぐ近くにいるつもりだった。あの頃必死に腕立て伏せをして体を鍛えていたのは、甚爾くんの近くに行きたいんじゃなくて、甚爾くんみたいになりたかったからなんだよ。
俺も甚爾くんのことをカッコいいなあって思っていたのは──直哉にはもちろん、甚爾くん本人にだって、絶対に墓場まで持っていく秘密だけど。
──でも、もう見る影もないね。
だから甚爾くんがこれ以上ぶっ壊れる前に、新しい人生を押し付けてやる。かわいい女の子になれる術式が見つかるまでは俺の部屋で大事に飼って、昔みたいに毎日美味しいごはんを作って、ちょっとずつ呪力を注ぎ込んでやる。
監禁なんて最低なことをしたら最初は恨まれるだろうけれど、TS美少女になった甚爾くんの理解者になってあげられるのは俺だけ。そしてこの世界でTS美少女が愉快にサバイブするための生き方を教えてあげられるのも俺だけだ。きっといつかはわかってくれる。
そうしたら、甚爾くんはきっと元通りになってくれる。
なってくれるはずなんだ。
そうじゃなかった場合のことなんて──考えたくもない。
これまでの努力が全部無駄なんてこと、あっていい訳がない。
とりあえず、監禁系TS友情ルートに行っちゃおう!!
たとえその結果、元々あった友情が極限まで歪んで、壊れてしまうとしても。
◇
冷たい雨の中、甚爾くんの背中を追う。
甚爾くんは、明らかに俺を撒こうとしていた。「ついてくるな、関わるな」と背中が叫んでいる。
その後ろ姿はすぐに大通りから外れた。シャッターの下りた寂れた商店街の脇道。アーケードの破れたビニールの隙間から、雨が斜めに刃のように差し込んでくる。野良猫が1匹、俺を見て毛を逆立て、すぐにゴミ箱の裏へ消えた。そりゃ逃げるか。今の俺の腹の底で渦巻く感情には、甚爾くんから「悪霊」認定を受けた本体の菜緒葉ちゃんですらドン引きしているレベルだ。
『██████』
『██████』
『██████……なんで効かないの!』
頭の奥で、何度も何度も菜緒葉ちゃんが繰り返し何事かを唱えていた。まるで世界の階層がズレているかのように、ずっと上手く聴き取れない言葉だが、それが呪詞だということは次第に認識できるようになってきた。
本来なら、その呪詞で動きを封じられるべき存在である俺が何者なのか。真面目に考えるべきなのだろうが、まあいいや。傘だってお気に入りだったのに喫茶店に忘れた。お気に入りのコートも重く濡れてきている。
でももう、色々とどうでも良くない?
俺は甚爾くんをまた失う方が怖かった。
やがて甚爾くんが足を踏み入れたのは、高い仮囲いに覆われた解体中のビル工事現場だった。巨大な重機が恐竜の死骸のように並び、剥き出しの鉄筋とコンクリートの瓦礫が散乱する無機質な空間。濡れた土とセメントの粉の匂いが雨に混じって肺を満たす。一般人は立ち入らないし、あるいはここで何かが起きたとしても、すぐには見つからないような薄暗い死角。
甚爾くんが立て掛けられた鉄骨の影にスルリと姿を消してすぐ、俺は一切の躊躇なく、立ち入り禁止の黄色いテープを潜り抜けて現場へ踏み込んだ。そして、誰にも邪魔されないように『帳』を張った。
「……あのなァ」
解体の瓦礫の山をいくつか越えた先。
降りしきる雨の中、泥水の水たまりの向こうで立ち止まっていた甚爾くんが、酷く鬱陶しそうに振り返って濡れた頭を掻きむしった。
「迷惑なんだよいい加減。着いてくんな」
「待ってよ甚爾くん!」
「話は終わりだ」
低く、地を這うような凄みのある声。常人なら命の危険を感じて竦み上がっていたかもしれないその殺気にも、今の俺の心は微塵も揺らがなかった。この程度の暴力の気配など、このまま離れてゆくことへの絶望に比べれば児戯に等しい。
「終わらせられない。そんな風にヘラヘラ逃げ回ってて恥ずかしくないの? あなたがそうやって自分を安売りしていい加減なことばかりしてたら、お姉様が遺した人生の意味はどうなるの?」
「……死人を勝手に代弁するなよ、気色悪い」
雨音の向こうから響く甚爾くんの声は、明確にキレる寸前だった。だが、不思議と傷ついた感覚はなかった。死んだお姉様が本当はどう思っているかなんて実際には誰にもわからない。でも、俺は少なくとも甚爾くんよりは正しく理解している。そう言い返してやりたい。コイツこそ愛する者を遺して死にゆく側の恐怖と無念を味わったことがないから、愛する人の忘れ形見にこんな扱いができるのだろう。
「死人も幼子も声を上げられないから粗雑に扱う、そういうあなたの都合のいい被害者ぶった性根の方が、よっぽどあり得ないと思うけど?」
甚爾くんの広い肩が、微かに跳ねた。
次の瞬間、視界がぶれる。
ドンッ、という肺の空気を全て吐き出させる重い衝撃音とともに、俺の背中は冷たく濡れた鉄骨に叩きつけられていた。
瞬きをする暇すらなかった。10メートル以上は離れていたはずの距離を一瞬でゼロにされ、甚爾くんの巨大な手が俺の細い首を鷲掴みにしている。ギリッと食い込む指の力は、あと数ミリ力を込めれば俺の頸椎などあっさりと砕け散ることを、一切の感情を排して告げていた。
天与呪縛。フィジカルギフテッド。
呪力を完全に捨て去ったがゆえに手に入れた、圧倒的で純粋な、暴力の結晶。
「……ガキが。調子に乗るのも大概にしろよ。オマエに何がわかる?」
殺気。本物の殺意だ。かつて火葬場の控え室で腕を折られた時の比ではない。この男は今、本当に俺を障害物として排除しようとしている。
見下ろす甚爾くんの瞳は、光の届かない深海のように濁りきっていた。そこにあるのはただ、己の良心を麻痺させ、ただ呼吸だけを繰り返す哀れな獣の姿だった。
頭の中で菜緒葉ちゃんが悲鳴を上げ、再び呪詞を必死に紡ぎ出す。彼女は俺を止めたいのか、甚爾くんから俺を護りたいのか、それすらも混濁しているようだ。だけど、首を絞められ、息が詰まる苦しさの中でも、俺の唇は自然と歪な弧を描いていた。
「……こんなに健康に動く体がある癖に、どうして何にもしないでいられるの?」
首を絞められても仕方ないような酷いことを言った自覚はある。
でも、俺だって、本当は甚爾くんみたいになりたかった。力が欲しかった。健康が欲しかった。
……子供が、欲しかった。
それを全部持っているのに、要らないと言って簡単に手放すんなら、俺と同じ場所まで堕ちてくればいい。
常識的に考えてコイツを死刑にしたい奴は五条に限らず大勢いるだろうが、友達のよしみだ。誰にもそんなことはさせない。『術師殺し』の悪名が薄れるまで閉じ込めて、美少女化術式がポップした時には……甚爾くんを最初で最後の適用者にしてあげて、それから一緒にかわいい服を買おう。フリルがいっぱいのやつ。
俺は、一切の予備動作なく──ノーモーションで術式を発動させた。
狙いは甚爾くんの背後にある太い鉄パイプ。
最近、羂索が『偽解』と名付けた通常斬撃。『偽解』は人間の肉体に対しては刃がすり抜け、一切の物理的損傷を与えない。その代わり、無機物や呪霊であれば十中八九容易く両断できる仕様になっている。
だから彼ごと丸ごと切り裂く軌道で放っても、背後のパイプだけが両断される。それで彼の強靭な腕を離させる。そういう算段だった。
呪力の起こりを察知したのか、あるいは純粋な野生の勘か。
甚爾くんは俺の首からパッと手を離し、「どうせ大したことねえだろ」と言わんばかりの面倒くさそうな顔のまま、それでも念のためにといった具合で、最小限の動きで体を逸らした。
背後で、分厚い鉄パイプが斜めにスパッと切断され、轟音を立てて瓦礫の中へ崩れ落ちる。
俺は首の拘束から解放され、水たまりの泥の中へと咳き込みながら崩れ落ちた。
「ゲホッ……っ、ゴホッ……!」
むせ返りながら顔を上げ、俺は言葉を失った。
甚爾くんの頬に、一筋の赤い線が走っていた。
そこからツーッと血が滴り、冷たい雨水と混じって、鋭い顎のラインを伝い落ちている。
「……え?」
あり得ない。俺は人を斬らないし、斬れない。この縛りを破れば、とんでもない災厄が即座に術者である俺自身に跳ね返ってくるはずだ。
俺は慌てて自身の内側に意識を向ける。
……どこも異常はない。呪力の巡りも正常そのもの。縛りを破った悪影響による不調など、微塵も存在しなかった。
呆然と瞬きすると同時に、眼前には生得領域の悍ましい風景が広がる。中央に据えられた、真の菜緒葉ちゃんが座る肉塊に、ぬちゃりとした巨大な唇が浮かび上がる。
《ここで真男佳先生の特別レッスン! (どれだけ長く喋っても、現実での経過時間は0.03秒⭐︎) 君の『菜切り包丁』は縛りを結んですぐに、自動的に人の肉を斬らない仕様への適応と進化を遂げた。ノーマルな術師にはあり得ないスピード、クソガキの直哉くんが「菜緒葉ちゃんは天才なんやって!」と大騒ぎしたレベルでね! ──で、ここでクイズ。そもそも『人の肉』の定義って何さ?》
べらべらと喧しい、俺の中の呪い。
最後の質問の答えは、考えるまでもなく、もう絶望的なほど明確にわかってしまっていた。
どんな人間も、一般人だって微量ながら必ず呪力を持っている。「人の肉」というのは、絶対に呪力を帯びている。それが世界のデフォルトだ。
つまり。
他でもない俺自身の術式が、甚爾くんの人間性を根本から否定したのだ。「コイツは呪力が完全にゼロだから、無機物と同じだ。だから斬ってもペナルティはないぞ」と。
それは禪院家の連中が浴びせたどんな罵倒よりも遥かに暴力的で、おぞましい事実の突きつけだった。
《「主人の道具で主人の家を解体することはできない」。オードリー・ロードの言葉さ。〈父〉を喰らい、〈父〉の語彙で禪院家の革命を推し進めてきた君は、俺にとっては素晴らしい教え子だった。でも、それゆえの盲点が……呪術にどっぷりと浸かり、多数派の血肉に合わせただけの刃を万人にとって安全だと信じて疑わなかった愚かさが、革命で一番に救いたかった相手をヒトの定義から漏らしたんだ。ねえねえマコくん、今どんな気持ちだい?》
本当の菜緒葉ちゃんは──とても悲しい顔をしていた。
『マコくん、お願い。甚爾くんに謝って、一度撤退しましょう? 落ち着いて、もう一回話せば、きっと……』
菜緒葉ちゃんのどこか怯えた物言いは、俺の目にはものすごく幼稚に見えた。謝って許してもらえるレベルなんて、とっくのとうにぶっちぎっている。激情に任せての暴言で許される範疇を超え続けて、とどめにこれだ。友情は既に粉々だろう。甚爾くんが着拒してきてからはこの友情すらも一方的な思い込みだったのでないかと、何度も疑ってきたけれど。いま、本当にぶっ壊した。だから後戻りは不可能だ。
俺がいざとなったら甚爾くんを捕まえるために考えていた作戦は全部吹き飛んだけど、それでも今引き下がったら、二度と甚爾くんに手が届かなくなる。
結局、やるべきことは何一つ変わらない。
ただ、新しい戦略が必要になるだけだ。
反転術式のアウトプットは、相手によって効きやすかったり効きづらかったりする。俺のそれは禪院の血族には圧倒的に効きやすいが、他の相手にはブレがある。治療を受け取る側の呪力との相性が影響してきているのだろう。翻って、甚爾くんについては「そもそも相性を合わせる呪力が存在しない」。だから、後で反転術式による治療はしてあげられないという最悪の前提で動くべきだ。
とはいえ甚爾くんは身体的にはバケモノじみて頑健で、普通の人間に比べれば怪我はしづらいし、自然治癒力も異常に早い。軽い斬撃はおそらく効果を発揮しない。
つまり。
死なないが、確実に動きを奪う程度の『菜切り包丁』の行使。その絶望的な加減を、俺はこれから
──俺は、親しい相手と波風立てずに上手くやるのは、そこそこ上手い方だと思ってた。波風が立った後は…… いや、修復が必要になるほど致命的に踏み込んだ経験が、前世の俺にはなかったっけ。離れて行かれた時に追いかけるための力が、あの頃はあまりに足りなかった。でも、そもそも俺だって、子供がいるのに殺し屋をやってるような相手じゃなかったらここまで踏み込まなかった。魔法少女にするしかないなんて思わなかった。甚爾くんが元通りに戻ること以外、俺は何も望んじゃいない。
だから、俺にこの攻撃を使わせた甚爾くんにだって責任が……。
そう思いかけたけれども、菜緒葉ちゃんが言った。
『お願いだから、いつものマコくんに戻って……』
普段はワガママな菜緒葉ちゃんが縋りながら懇願してくるのを見て、俺の自己正当化の試みはあっさり砕けてしまった。
俺だって、戻れるもんなら戻りたかった。
そして、雨の降りしきる現実の世界へと戻る。
気づけば俺は嘔吐していた。
さっきのケーキは台無しで、口の中はゲロの味がする。胃袋が痙攣して止まらない。そんな俺の無様な姿を、甚爾くんはただ静かに見下ろしていた。彼は無表情のまま、頬から流れる血を親指で無造作に拭い取り、指先についた赤い血を、冷めた瞳で見つめる。その目には、もはや苛立ちすらも存在しない。ただ、路傍の石を見るような、絶対的な虚無があった。
心が折れそうになる。
自分がやっていることは、ただの傲慢な破壊ではないのかと。
それでも。
それでも俺は。
「──『蜘蛛の糸・改』」
ゲロの味のする口の端を吊り上げ、俺は地面に触れて破壊の引き金を引いた。次の瞬間、地面だけでなく、甚爾くんの周囲を囲む解体中のビル群が、土台の鉄骨を正確に切断され、鼓膜を破る轟音とともに一斉に崩壊を始めた。
感想・高評価ありがとうございます!
滅茶苦茶嬉しいです〜
ちなみにマコの『菜切り包丁』が甚爾に有効なのはマコ個人の問題ではなく、当人の機構の問題というか…一時期流行ってたフィジギフまこーら調伏パーツ説が発想元です。とはいえモジュロでのまこーらのヤバさ見てると流石に火力不足な気がしてならないので、この説自体については本作での採用予定はありません。