音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
マコくんはどうも、直哉がちょっとおかしくなり始めてると思ってるらしい。
直哉が時々「甚爾くんが死んでるって本当にわかってる?」と疑うくらいのサクッとしたノリで万物の比較対象に甚爾くんを出してくるからだ。直哉は昔より賢くなっていて、禪院の人たちの前では流石にそれを大っぴらに言わない。そのせいで、主に私と同じ京都校の生徒たちに直哉の面倒くさい絡みと甚爾くんトークの被害が集中している。まあ、マコくんからすると辛いだろう。
でも、私は甚爾くんが死んだ場合の直哉がこうなるのを知っていた。マコくんには言えていなかっただけだ。そして、覚悟していたことには十分に対処できる。
だから問題はマコくんだ。
私に言わせれば、マコくんだって中々におかしくなっている。
呪詞がヨユーで効かないのは、なるべく使わないようにしてるからまあいいけど、ここ2年近くマコくんを言いくるめてオートで設定していた『定名綴魂』のストレス低減効果まで効かなくなったのは困りものだ。一定以上の瞬間的なストレス上昇は自動的に、音MAD制作欲などの楽しい欲望へと変換されやすい仕様にしていた(例:黒沐死討伐後)けど……ここ半年くらいは一切新作を作っていない。
今のマコくんと直哉を見ていると「男の人は強さレースが好きですわね」とちょっぴり思ってしまう。いや、私の価値観が禪院ナイズドされて古臭くなっているだけで、本当は性別なんて関係ないのかもしれないけれど。
甚爾くんのことがあって以来、週末に実家に帰るたびに禪院のみんながやけに優しい。マコくんはそれに対しては割といつもの反応でいるけれど、その後で寮に帰る前に恵くんの所へ顔を見に行って、この子の両親の話をした後に、いつもちょっと泣く。いや、泣いてるのは私? そこはまあ、どうでもいいんだけど──「甚爾くんはすごくカッコよくて女にモテモテで最強だったんですのよ」とマコくんが恵くんに話して聞かせているのを見ると、別に嘘をついている訳ではないけれど、何か決定的にズレている気がしてならない。
そこに、その強さをかつての弟子として証明するという目標が加われば、尚更に──。
「最強と戦う……って、どういうモノになるのでしょうね」
薄暗い廃ビルの中、今日の任務で組むことになった傍らの女性に、私は問いかける。大斧を背負った彼女は青みがかった白い髪をさらりと揺らし、それでいて私の内面を解剖するように優美で抜け目ない瞳を細めた。
「五条悟の話?」
「ええ。普通、強さというのは複合的なものになりますでしょう? 攻撃力、防御力、速度、あるいは搦め手。得手不得手があって当然です。けれども彼は、そのすべてのパラメーターが振り切れているそうじゃありませんか。だって、私の父より速いと聞きましたもの。……冥冥さんは、あの男をどう評価なさいます?」
──1級呪術師・冥冥。
呪術師家系ではあるらしいが、家の名前には一切頼らず、己の腕一本で成り上がったフリーの女術師。依頼料は天文学的。自立していて、現代的で、美しく、強い。禪院の保守的な女性像とは完全に真逆で、この違いは、私には目が眩むほどの高低差として映る。
体のラインがバッチリわかる黒衣ですらいやらしく媚びて見えず、ラグジュアリーでカッコいいのは、背が高くて佇まいも優雅だからだろうか。
私の目下の関心は、彼女が最近五条悟と衝突したという噂にあった。じゃれ合いや瑣末な意見の食い違いの一環だったのか、懸賞金目当ての襲撃だったのか、単なる新技の実験だったのかは不明だ。ともあれ彼女がだいぶ前から五条に一目置かれているというのは、他の術師も言っていることだ。彼女の術式はカラスとの視界共有のようで、そんなに強くもなさそうなのに、どうして五条に認められているのか。呪具の扱いに秀でているからか、知略のためか、それともさらに追加でまだ見ぬ隠し球があるのか。
気にならない訳がない。
本当は質問攻めにしたいが、質問料を取られそうなので、なるべくさりげなさを装っている。
冥冥さんは蠱惑的な表情を浮かべた。
「週末に大規模な台風が来ると天気予報で見たら、君はどうする?」
「……金曜日までに必要な買い物を済ませて、お出かけの予定をキャンセルしますわ」
「その通りだよ、禪院のお嬢さん」
艶やかな唇を歪めて心地よさそうに短く笑う冥冥さんの笑い声はこの薄暗い廃ビルの空間には似つかわしくないほど、シャンパンの泡のように上品で冷ややかだった。
「巨大な台風が来ると分かっているなら、人間は備え、身を隠し、やり過ごす。それが最も合理的で、生存確率の高い選択だ。間違っても、庭先に出て突風に向かって素手で殴りかかろうとする馬鹿はいない」
「……」
「五条悟という存在は、つまりそういうことさ。彼は人間という規格に収まった、歩く自然災害だ。強さ比べをすること自体がそもそもナンセンスなんだよ。評価などできない。ただ『在る』という絶対的な現象に対して、どう対処し、どう自分の利益を損なわないように立ち回るか。私が彼に対して抱いている感情があるとすれば、ただその一点に尽きるね」
そうだ。普通はそう考えるはずなのだ。
なのに甚爾くんは、最後に台風を殴りに行ってしまった。
そしてマコくんもその気でいるらしい。
無害を証明できなければおそらく彼に処刑されちゃうんだから、私は正直恐ろしくて堪らないんだけれども、マコくんは表向き理性で糊塗しつつも殺る気満々なように見える。
私や直哉からすると、その度胸は理解不能だ。直哉だって、五条に対抗心がない訳ではないだろう。似たような立場なのに五条の方が断然強くて、直哉なんかはおそらく彼の視界にすら入っていない訳だから。けれどもその対抗心は、特級呪霊をたくさん祓えるようになりたいとか、同じように当主になりたいとか、主にそういう所で昇華されている。常識的に考えれば私達は呪術師どうしだ。わざわざバトルしたいだなんて思わないし、する必要もない。というか、ぶっちゃけ五条を恨む気にすらなれないでいる。甚爾くんが殺されたのが、なんだか単なる酷い事故のような気がしてしまう。そういう所が、私達姉弟が「コッチ側」たる所以なのかもしれないけれど。
「──さて、お喋りはここまでにしておこうか。クライアントからの依頼はこのビルに蔓延る呪霊の祓除だ。君も禪院家の名に恥じない働きを見せてくれると期待しているよ」
冥冥さんが細い顎で前方をしゃくり、背の大斧を掴むと同時に、暗闇が蠢いた。
廃ビルの2階、かつてはオフィスだったであろう空間に、湿った悪臭が立ち込める。影から這い出たのは、無数の口を全身に縫い付けたような異形の呪霊だった。等級は1級。この呪霊が今日の本命だが、他にも大量の雑魚を引き連れている。
「雑魚狩りは私にお任せあれ。終わったら援護いたしますわ」
私は即座に全方位へ斬撃を放つ。私に刻まれた『菜切り包丁』の術式は、かつてマコくんと直哉の決闘の際に結んだ縛りを一切反映しておらず、人を斬れる上に切断所要時間も自在に操作可能だ。マコくんのものに比べれば形状操作や精密さは劣るが、雑魚の調理にはこれで十分。 30秒でもあれば片が付く。
──私は一刻も早く冥冥さんの助太刀に入りたかった。彼女が1級呪霊相手に手こずるとは思わないが、私自身の有能さを見せつけたい。ここだけの話、冥冥さんに対してはひそかな対抗意識があるからだ。
冥冥さんからはお金になりそうな女だと思われ始めている気配はあるが、それだけでは全然足りない。前に「稼いだお金で何を買いますの?」と訊いて「増やすんだよ」とユーモアに満ちた答えを返されて以来、私はこの人を何度か見下そうとしたが、無理だった。お金は私にとって世界を変えるための道具だ。資本主義、あるいは現代社会そのものと言ってもいいけれど、その結果として咲いた成果物を私は心底愛している。でも、作りたいものがなく、見たい世界がなく、単にお金を集めるだけというのはつまらない。私の哲学からすると、侮蔑に値すると言ってもいいレベルだ。とは言え、もしもこの人が私と違って、世界を変えなくてもいいと考えられるくらいに強くて優秀なだけだったら?
そして現に彼女と一緒に行動することが数回あって、非の打ち所がないと毎回感じるので、悔しかった。
私も少しはすごいと思われてみたい。
だが、私が斬撃の範囲を広げるより速く、窓から一羽のカラスが突っ込んできた。
カラスが触れた瞬間、轟音と閃光が空間を支配した。1級呪霊は断末魔すら上げられず、一撃で蒸発する。カラスは突入の衝撃で死んでしまったが、鳥一羽の特攻で高位呪霊を葬り去る威力は衝撃的だった。
冥冥さんの術式だろう。
初めて見た技だった。
私だって、呪霊狩り自体で彼女に遅れを取るとは思わない。マコくんだけが使える世界を断つ斬撃か、私達両方が使える反転術式のアウトプットで、呪霊はみんな死ぬ。とは言え、純粋な破壊力で言えば、今の攻撃には全然敵わないと思う。前者は単に防御無効で絶対斬れるだけの斬撃だし、後者は人間に対してはプラスの効果しかないからだ。けれど、冥冥さんの今の攻撃は、いわば追尾式の呪力無制限爆弾だった。
冥冥さんの術式自体は便利だけれども戦闘向きでないと思っていた。けれども違った。
私は内心の感嘆を隠し、クールに……。
クールに……。
「スッゴイですわね!! 今のカラス、何故だか呪力量がとんでもなかったですわ!! 今のが当たったら私、絶対死んじゃいますわ!! これなら五条悟の無下限すら突破できたんじゃありませんの???」
クールに振る舞うのは、無理だった。
五条が認めたというのはこの攻撃のことに違いない。無下限呪術というのは結局は呪力を使った術式効果なはずだ。私やマコくんの術式によるちょっとした呪力攪乱程度では効かないだろうが、この呪力の箍が外れたカラスを操る攻撃でなら、上手いことどうにかなるかもしれない。五条だって無事では済まなかっただろう。
しかし、冥冥さんは冷ややかに笑った。
「それは五条悟を舐めすぎ」
「……えっ」
「彼はこの攻撃を防いだよ」
つまり、この圧倒的な一撃さえも五条はやり過ごしたというのか。絶望的なまでの格差だ。『予測』の大部分の記憶をおそらくは取り戻している今の私は、マコくんが五条に勝つための『適応』によって今の術式を持っているのだという仮説を立てることができている。マコくんの言う通りに、私達はいずれ五条とぶつかる運命なのだろう。でも、マコくんのスペックは私という制約に縛られている。そしてその限界は真男佳というレベル上限突破素材を使ってもなお、色々な無理によって既にぶっちぎられた状態であり、そろそろ限界な自覚がある。
それに対して、今の五条は特級呪霊ですら片手間に祓ってしまいそうだ。
圧倒的な、格の違い。
──じゃあ、私はどうすればマコくんを五条に勝たせられるのだろう?
廃ビルの呪霊を全て祓い終え、活け作り状態の呪霊達を回収していると、冥冥さんが買取を申し出てきた。「お父様に聞いてからでないと……」と上手いこといなす。本当はお父様の意向自体は割とどうでもよくて、どこに転売されるかわからないのが怖いだけだ。
冥冥さんは深追いしなかった。あっさりと肩を竦め、それから歩み寄り、私の耳元で深い艶のある声を落とす。
「君が五条悟に並々ならぬ興味を持ってるのは、9月の姉妹校交流会のためかな?」
「……ええ、まあ。彼ほどの呪術師を間近で観察できる機会など、そうそうありませんでしょう?」
「私も中継のために手伝いに行くよ。交流会で顔を合わせるのが楽しみだ。姉弟揃っての参加かい?」
「ええ」
「呪術界きっての仲良しの姉弟らしいね。私ももうすぐ弟が生まれるんだけれど、上手くやりたいものだ」
揶揄うような響きだった。私は鼻で笑ってしまう。マコくんならともかく、私と直哉が仲良し? 冗談も大概にしてほしい。
「そんな馬鹿げたこと、誰が言っているんですの? 私は弟に『好きだ』なんて言われたことは一度もありませんわよ。いっつも喧嘩ばっかり。つい先週も、友達と一緒に買ったオフショルの服に痴女みたいだなんてケチつけてきましたし……」
冥冥さんのような女性なら、生まれてくる弟を3歩後ろどころか、自分の影の中を喜んで歩くように完璧に調教できるかもしれないけれど。
でも、本当に羨ましいなー。
私もしたい、調教を!!
(※私&マコくんが、姉の視線一つで「姉様のために死ねるなら本望!」と空間転移を繰り返す狂信者と化した彼女の愛くるしい弟・憂憂くんと邂逅するのは、10年後のことである。)
◇
さて。
五条悟に対して少しでも勝ち筋を見つけるにはどうすればいいのか。冥冥さんのカラス爆弾はたかが畜生の分際でどうしてあんなに強かったのか。その思考で、私の頭は何日もいっぱいになっていた。
今は、勉強会の参加者の子が中心になって、最近凹んでいる直哉とマコくん(私も?)を誘ってくれた地蔵盆のお祭りに着ていく浴衣を考えている最中なのだが──
「冥冥さんがカッコよかったから黒にしましょう、マコくん」
『……菜緒葉ちゃんってああいう危なそうな年上女性が好きだよね』
「マコくんも年上趣味じゃありませんの?」
『まあ、リードされたり振り回されるのは好きだけど』
脳内のマコくんと会話していても、お互いどことなくキレがない。そもそも禪院家関連のイベントで、マコくんが表に出てきていないことが異例だ。オシャレをすれば少しはマコくんの気も晴れるかと期待していたのだが、そういえば、折角買ったローゼンメイデンのフィギュアの箱でさえ、直後に甚爾くんの訃報を聞いたせいで、2ヶ月以上放ったらかしになっている。「菜緒葉さんってりんご飴食べたことないんですか? ……えっ、そもそも夏祭りの経験がない??」とびっくりされたのが癪で、私は今日をすごく楽しみにしているのだけれども。
「……やっぱり、あの一撃の秘密を解き明かさないと」
鏡の前で浴衣の襟を合わせながら、小さく呟いた。動物は基本的に、殆ど感じ取れないような微弱な呪力しかない。なのにあの時のカラスは違った。
冥冥さん自身の呪力を注いだ説は真っ先に否定できる。あの時の私の目には冥冥さんの呪力の総量がずっと見えていた。カラスが窓を突き破ってから爆発するまでのあいだ、彼女の呪力は1ミリも減っていない。それどころか、あの爆発の規模は、冥冥さんが全呪力を注ぎ込んでも到底届かない。1級呪術師どころか、特級が出し切って足りるかどうか。人ひとりの器から出た量ではない。
『菜緒葉ちゃん、帯』
「あ」
考え込みすぎて、白磁色の紗献上を半分ほど巻いたところで手が止まっていた。慌てて文庫に結び直す。羽根の形を整えて、銀細工の虫籠の帯留めを通した。籠の細い格子の中では、虫の代わりに小さな珠が揺れる。
籠の中の珠。
器の中の呪力。
そうだ。器の容量を超えるものを注ごうとするなら、器の側をどうにかするしかない。呪術において、規格外を成立させる方法はひとつしかない。
「──縛り、ですわね」
口に出してみると、これしかないと感じられる。冥冥さんは何かを差し出している。何かを禁じるか、何かを捨てるか、何かを支払うかして、あの規格外の一撃を成立させている。あの人の術式はカラスと視界を共有するような、戦闘向きでない補助術式のはずだった。それをあそこまでの兵器にしているのは、術式そのものの力ではない。取引だ。
じゃあ、何を差し出している?
……わからない。
わからないけれど、そこまでは確実だ。
私は鏡の中の自分をもう一度見た。浴衣の地色は墨黒で、生地は綿紅梅。格子状に太糸を織り込んだ生地から、白い長襦袢が透けるのが優雅で涼しげだ。裾から膝へ、金茶と若草の暈しが夜の草叢のように立ち上って、その中を金糸と銀糸で数匹の蛍が飛んでいる。動くたびに蛍の刺繍が光り、本当に明滅しているようだ。少し前にお父様が「オマエに似合いそうだ」と言って私に(というかマコくんに)誂えてくれた一枚だった。
蛍は好きだから嬉しかった。
あんなに小さな虫が、熱を出さずにあんなに光るのは、どうしてだっけ。
前に調べたのに、理系分野に弱すぎて忘れてしまった。
髪型の最終確認──編み込みに一本通した玉虫色のリボンをチェックしながら、私はもう一度、あの一瞬を巻き戻す。窓を割って飛び込んでくる黒。轟音。閃光。断末魔すら上げられずに蒸発した1級呪霊。カラスは惨死して可哀想だったが、あれだけの速度で1級呪霊に激突したのだから、当然の帰結だ。
微かに涼しい風が吹き抜け始めた廊下から、薄っぺらい襖を隔てて直哉の声が響いた。
「姉さんまだー?」
ずいぶん前からそこで待っていたと主張するような、それでいて別に急かしてはいないという余裕をアピールするような、相変わらず絶妙に鼻につく感じの悪い声だ。私は最後に鏡で襟元の崩れがないかを確認し、すっと立ち上がった。
「もう準備はできましたわよ。そんなに急かさないで頂戴」
ピシャリと襖を開け放つと、そこには対照的なふたつの影が立っていた。
「わっ、菜緒葉ちゃん」
私の登場に何故か驚く直哉の背後に立っているのは、岩山のように屈強な体躯を持つ甚壱くんだ。彼は立派な大人であり、禪院家きっての武闘派でもある。だから勿論彼自身が地蔵盆の祭りに興味津々で「俺も綿飴が食べたい!」などとウキウキでついてきている訳ではない。眉間に深く刻まれた皺とお目付役オーラが、彼の同行理由の全てを物語っている。
どうやら、この古臭い屋敷の大人たちからすれば、年頃の男女が夜の祭りに出歩くと、由々しき「間違い」が起こりかねないらしいのだ。
たしかにマコくんの前世知識と今世のアニメ知識によれば、夏祭り帰りというのは不純異性交遊の温床らしい。花火のドサクサに紛れてチューしたり、人気のない神社の裏手で抱き合ったり、ついでに制服じゃない私服姿であることをいいことに、周囲にバレずにラブホにまで直行できちゃう夢のイベントなのだそうだ。現代日本のティーンエイジャーはなんとまあアグレッシブで進歩的なのだろう。
でも今回のは、分家が土地の面倒を見て世話方を務めている町の小さなお祭りだ。ふたりきりで夜道を歩くならともかく、参加者は複数人いる。しかも、その殆どが私より年下の、小中学生くらいの年齢のガキんちょ共なのだ。さらにはその子達の妹だって混ざっているし、おまけに、血を分けた実の弟である直哉まで同行している。
そんな状況で「間違い」が起こる余地など、物理的にも状況的にも皆無だ。それに、本家の嫡男である直哉や、その姉である私を勇気を出して誘ってくれた年下の子達に対して、あまりに失礼な考え方だろう。過保護というか、禪院家特有の息苦しい謎の貞操観念には本当に頭が痛くなる。
でも、脳内でマコくんが、ひどく冷静な、それでいて妙に納得感のある分析を落としてきた。
『……いや、俺達が本気で不純異性交遊をしようとしてた場合の防壁としては直哉は力不足だし、なんならアリバイ作りを手伝いそうだとおもわれてるんじゃないかな? しかも直哉自身も恋愛方面はお行儀悪そうだし』
私はハッとした。
た、たしかに……!
その視点はなかった!
直哉は数ヶ月前、私とマコくんが甚爾くんと殺し合って朝帰りするという前代未聞のやらかしをした際、大人たちの目を誤魔化してくれた実績(?)がある。もし私がひそかに懸想している男性(そんなのいません!)と夜の闇に紛れようとしたら、「姉さん達がそうしたいならしゃーないな。バレんように俺が見張っといたるわ」くらいの軽いノリで、私達の逢瀬(相手が誰かはさておき)を完璧にアシストする未来が容易に想像できる。
そして今の直哉にカノジョはいなさそうだが、マコくんと私の矯正程度で、彼が女の子に対して誠実になるとは思えない。
つまり甚壱くんの険しい視線は、私だけでなく直哉にも向けられているのかもしれない。
元々、最近の直哉はマコくんに負けず劣らず不安定気味だし……。
私が一人で勝手に納得していると、直哉が腕を組み、露骨に嫌そうな顔をして私の全身をジロジロと舐め回すように観察し始めた。
「何やけったいな布やね。たかが近所の地蔵盆やのに、気合い入れすぎてアホちゃうの。どうせ人混みに引っ掛けるか、りんご飴でも落として汚すんが関の山やわ」
直哉の口から飛び出したのは、相変わらずの可愛くない減らず口だった。
私は苛立ちをスッと隠し、くるりとその場で一回りして見せた。
「変?」
あえて小首を傾げて甚壱くんの方を見る。しょっちゅう私の洋服にケチをつけてくる直哉の保守的すぎる美的センスなど、端から信用していない。それに対して甚壱くんは意外にオシャレで粋な格好をしていることが多い。
甚壱くんは一瞬だけ気まずそうに視線を逸らしたが、すぐに咳払いを一つして、真面目な顔のまま頷いた。
「いや、似合うぞ」
「ふふ、ありがとうございます。甚壱様もとても素敵ですわよ」
マコくんと違って根っから女な私には、甚壱くんの男特攻(なんと元男のTS娘にまで及ぶ)の魅力は一切効かない。でも、直哉がくれない褒め言葉は嬉しかった。私は再び直哉へと視線を戻し、わざとらしくため息をついてやった。
「それに比べて、直哉はいつも通りすぎですわ。だいたい、夏の夜にそのきっちりした書生服、暑くないんですの?」
「全っ然余裕やね」
余裕らしかった。
でも、甚壱くんがいるということはマコくんは今夜のお祭りには出てこなさそうだ。マコくんは永代供養墓にすらいい印象を持たない呪術師にあるまじきとんでもなくコンサバな死生観の持ち主だから、四十九日も新盆もスルーするしかない現状にはかなり思う所があるらしい。そこにプラスして、甚爾くんの実の兄である甚壱くんがそんなに悲しんでいない現状というのは、仕方ないとはわかっていてなおマコくんにとってはあまりにハードすぎるようだ。
私は別にそうは思っていない。甚爾くんは十分幸せだ。真希ちゃんと仲良しになったのもあって、マコくんは非常に実現可能性の低い出来事だと思い、気にするのをやめたようだが──たとえば、目の前にいる甚壱くんの生首は本来鯉の餌になる運命だった。キレてた真希ちゃんが後で甚壱くんを池から引き上げて禪院家のお墓に埋めてあげた可能性は、せいぜい0.001%程度だろう。
この体で呪詛師の1人くらい殺して、マコくんを死に慣れさせておけば、今こんなに傷つくことはなかったのだろうか。そう思わないこともないが、すべては後の祭りだ。こういう時こそマコくんの代わりに私が頑張らなくてはいけない。
──そう、覚悟を決めた1時間後。
私はすっかり疲労困憊し、ダウン気味になっていた。
蛍の浴衣は周囲の目にはさぞ涼しげに映っていることだろう。だが、着ている私からすれば布地を何重にも巻き付けて太い帯で締め上げているのだから、涼しいはずがなかった。盆地特有のねっとりとした湿度が纏わりつき、じっとりとした汗が背中を伝うのがわかる。
その上、初めて食べる屋台のご飯はお世辞にも美味しいとは言えない。付き合いで口にした焼きそばは油っぽくて味が濃すぎるし、期待していたりんご飴はひたすら歯にへばりつく。食べきるまでにすごく時間がかかった。こんなものにお金を払うくらいなら、冷房の効いた部屋で美少女アニメでも見ている方がよほど有意義だ。何より、すれ違う人波や親戚のみんなに向けて絶やさずにいたお嬢様スマイルが、顔の筋肉を酷使してひどく重たかった。
足元も最悪だ。黒塗りの台に真新しい白鼻緒をすげた新品の下駄は、見た目こそ完璧に浴衣と調和しているが、裸足の甲を容赦なく削ってくる。反転術式を使ってもいいのだが、流石に些細な傷すぎてアホらしい。
「足、疲れちゃったから一旦抜けますわね」
絆創膏でも貼ろうか悩みながら偶然近くにいた蘭太くんの袖を引っ張って訴えると「あそこのベンチ空いてますよ!」と、普通に案内してくれた。すごく気が利く子なので、ベンチの埃を払ってハンカチまで敷いてくれる。
「菜緒葉さん、飲み物か何か買ってきましょうか?」
「いいえ、お気遣いなく。少し休めば平気ですわ。蘭太くんこそ、せっかくのお祭りなのだから、他のみんなと回ってきてもよろしくてよ?」
「いえ! ここで菜緒葉さんの護衛をします!」
なんていい子なのだろう!
マコくんの親戚と思えばまあ納得が行く出来だけれど、私と直哉の親戚とは思えない。
聞いていると意外に家族関係が大変だったり、直哉に意地悪されたり、結構苦労人なんだけれども。
「じゃあ座りなさい。あなただけに立ってられると正直気まずいの」
「……あっ、はい?」
しまった。
今のは、直哉以外の身内相手には、マコくんがあんまりしない言い回しだった。ちょっと衝撃を受けたような顔をしながら蘭太くんが私の左側に座る。こんな時でも少し距離を空けているのが紳士的で素敵なので、1000菜緒葉ちゃんポイントを進呈しましょう。
(マコくんポイントとの交換は残念ながら不可)
と、少し微笑んでいると、直哉が疾風のようにすっ飛んで来て、当然のような顔をして私の右側に腰を下ろし、肩に手を回して来た。こっちの愚弟は蘭太くんと違ってデリカシーがなくて、滅茶苦茶近い。というか暑い。別に嫌ではないけど、流石に甘えん坊さんすぎない?
「……2人そろって着いてくることなかったのに。案外仲が良かったりしますの?」
冗談めかして尋ねると、両方にとんでもなく嫌そうな顔をされた。
「ちっちゃい頃から幼馴染の菜緒葉さんにそんな誤解をされるなんて、悲しいです」
「はっ、キモ」
コイツら……。
ちなみに直哉と蘭太くんの不仲は、マコくんが罪なTS美少女なこととは全然関係ない。
現に私の『予測』でも普通に仲が悪かった。
というか、直哉という生命体は基本的に男と仲が悪く、男社会で上手くやれるタイプの子を滅茶苦茶軽蔑している。
マコくんは直哉にコンプラ意識と弱者への想像力を与えたが、性格の悪さは簡単には変わらない。
下駄から足を浮かせながらぼんやり呆れていると、水飴みたいにとろけて滲む屋台の灯りの向こうで、金魚すくいの水槽が青白く光っているのが見えた。ちいさな子が1匹掬い上げて移そうとして、零す。朱色が砂利の上で煌めきながら跳ねた。二回。三回。四回。それから跳ねなくなった。子供が半泣きで拾い上げ、水に戻した時には、魚はもう沈んでいた。
「江戸時代には金魚はすぐに死ぬのが儚げでいいって言われてたらしいですよ」
「可哀想やね。思ってへんけど」
くだらない話をしている男子達の話を聞き流しながら、私は暗い星が一瞬だけちかちか瞬いたようなその朱色について考えた。
どんな生き物も死に際には強い呪力を放つ。それは殆ど呪力のない小動物ですら変わらない。ここに縛りを上乗せすれば、呪力上限を外すことすら可能だろう。
「……あっ、わかっちゃった♡」
冥冥さんは、カラスの生涯を丸ごと呪力に両替して撃っている。カラスは突入の勢いではなく、最初から死ぬと決められていた。順序が逆なのだ。冥冥さんは無駄がなくて、合理的。そして賢い。何百と鳥を操って、1羽ずつ弾丸に変えて、綺麗な顔で笑っている。
理解とともに羨望と侮蔑がいっぺんに来た。彼女が差し出すのは、決して自分ではない。
そこそこ強めの1級術師が死して呪霊に変異する事例を、私は『予測』中で観測している。
私が今まで戦ったどの呪霊よりも強く、愛らしく、深い呪い。今私の隣にいる、私の一番大事な人の中に巣食うモノ。それを完成させてあげた方がこの子にとっての幸せなのかと数えきれない程の回数考えてきたけれど──今の問題は、それ以上のポテンシャルが、片割れの私の中には眠っているということ。
あの『予測』の中の彼よりは、私の方が今や強くなっている。
つまり……。
「どしたん菜緒葉ちゃん?」
「なんでもなーい。お祭りに来て良かったと思っただけですの。ま、人混みはキライですけどね」
嘘。だけど人混みがキライなのは本当で、来てよかったのもたぶん本当。
……さて、冥冥さんの隠し球のネタが割れたけど、ここからどうしよう。わかって嬉しい。でも、はいそうですかって気軽に使える話でもない。
甚爾くんの死について私がマコくんほどショックを受けていないのは、気持ちがわかるからだ。
自分の半分がとつぜん死んじゃったみたいな感じには、私も覚えがある。死んじゃいたいのに、生きてる意味なんてこれっぽっちもわかんないのに、自殺なんかしたら生きた意味がひとつもなくなってしまうから、何かこれからいいことがまたひとつでもありますようにって思いながら、呪いを振り撒いて、それを止める方法が自分でもわからなくなるような、あの感じ。
マコくんは、甚爾くんにとっての「いいこと」になっていただろうか。
絶対なってた。
マコくんのような、ONE PIECEを読んでてポートガス・D・エースのアンチになりかけるようなTS娘には未来永劫理解不可能だろうが、承認とかプライドって、息するのと同じくらい、生きるのに必要なモノだと思う。
私も死ぬ時は、エースみたいに海軍本部に捕まったときにみんなが助けに来てくれる感じのシチュエーションを選びたい。
──なんて、死にざまを選べるのは強者だけだ。
やっぱり甚爾くんは強者だったのだ。
未来の私はどうだろう?
「直哉。あなたもいつまでも不機嫌な顔してないで。お祭りとか学校とか。こういうちいさないいことは、ちゃんと噛みしめておきなさいよ。あとで頑張らなきゃいけないとき、支えになりますからね」
見上げて言ってやると、直哉はちょっとつまらなさそうにした。流石にこの言葉が響くほどには情緒が発達していなかったらしい。
でも、マコくんも、ね。聞いてるかしら。──胸の内側の返事のない席に向かって、そう付け足す。
この頃、今まで出会ったことのないタイプの女の人にいっぱい会うようになって、ひとつ気づいちゃったことがある。私は、世界にどうなってほしいかなら、いくらでも喋れる。呪術界をどう変えたいか、この家をどう組み替えたいか、なのに、自分がどういう女になりたいのかという一項目だけ、驚くほど白紙なのだ。マコくんサイコー。以上。──それで文章が終わってしまう。私という実存の欄に、書きたいことがない。その空欄に劣等感を感じて、ときどき惨めになる。けれどもこれは面倒くさいことをマコくんに全部丸投げしてきたドブカスな私の自己責任だし……。私の浴衣を結局甚壱くん以外は褒めてくれてなくて、マコくんが表に出てたら違ったんじゃないの? 浴衣ももしかしたらマコくんが選んだ方がセンスがあったんじゃないの? 彼氏が欲しいって思ったことはないけど、『予測』の中で私に嫌味を言った男の子がマコくんには惚れてたりとか、同じ顔同じ乳でモテ度の差が出てしまうというのはやっぱり内面の問題な訳で、それでも私だって性格を良くしようと直哉同様最近は地味に頑張ってるんだけど効果出てるんですのこれ?? なんてぐるぐるぐるぐる考えていても何の意味もないし、今は明らかに私の葛藤をマコくんに無理やり慰めさせるべき期間ではないので、何も感じないことにしよう。感じる必要がない。だから劣等感なんて感じたことはない。そもそも、マコくんは私で私はマコくんなんだから。自分という枠組みが壊れて何者でもなくなっていくことは、そう大した問題じゃない。羂索さんだって、以前そう言っていた。
そこまで自分に言い聞かせて、私は左を向いた。よく考えたら、蘭太くんと私自身が直接お喋りをしたことは、数える程しかない。
「今日は誘ってくれてありがとう」
そう言ってから、なんだか足りない気がして付け加えた。
「いや、今日だけじゃなくて……そもそも私、直哉とあなたがいなければ呪術師になれていたかも怪しいですものね」
術式がわかったくらいの歳から、この子はちょくちょく、うちに連れてこられるようになった。お父様は直哉に「遊んでやれ」って言ってたけど、直哉は意地悪だから当然遊んでなんかあげなくて、かわりにマコくんが「組み手ごっこしましょう」なんて言って、お庭の隅っこで逆に構ってもらっていた。マコくんは都度感謝の言葉を口にしていたはずだが、私にとっては、人生の後部座席から眺めていた景色だ。だから今のこの感謝は、私がまだ一度も声にしていない種類の感謝なのだった。
「昔、みんな女の子が危ないことするのはよくないって怒ってたのに、あなたは頼んだら相手をしてくれて、嬉しかった」
「光栄です」
急に改まって言ったせいか、蘭太くんの態度は少し硬かった。
「ついでにあの頃のあなたは、豆粒みたいにちっちゃくてかわいかったですしね」
ちなみに、今は年下の癖して生意気にも私より20センチ近く大きいので、そこまでかわいくない。
直哉と言い、なんで男ばっかり急激に背が伸びるのだろう。
ちょっと妬ましい。
「……そんな小さくなかったですけど?」
「カワイイって褒めてあげたのに怒らないでよ。怖いから。──でも私、本当に感謝していますのよ。高専へ行ってから本当に毎日楽しくて」
絆創膏を貼りながら、考える。
──今思えば、蘭太くんとはもう少し直接話してみても良かったかもしれない。恵くんの性別がわかる前くらいまでの私は、ガキと言えどしょせん男だと思って例外なく軽蔑していたし、この子もどうせ大きくなったら冷たく見下してくるんだろうと思っていた。
そんなことはなかった。
徹頭徹尾性格が悪いのは私と直哉だけ。
なのに私は善に惹かれる。
でも、蘭太くんとはこれから仲良くなればいいか。
……なれるだろうか?
今の私なら、少しくらいは。
「蘭太くんが後輩になってくれたらもっと楽しくなるでしょうね。そうしたら、昔みたいに私の部屋でオセロしましょう?」
後輩になって欲しい、というのが本題だけどちょっと重すぎかと思って、軽いジョークを付け加えた。マコくんはちびっ子と接戦になるレベルでオセロの腕前がクソ雑魚で、私が脳内アドバイスをすることでようやく年上の威厳を保っていた。だからオセロは、数少ない私と彼の共通の思い出なのだ。ついでに『私の部屋』というフレーズを出せば、純粋な彼ならきっと顔を赤くして照れるだろう。実際は禪院家にせよ寮にせよ激ヤバのオタク部屋にすぎないのだが、蘭太くんのような子はどうせ「菜緒葉さんの趣味もそろそろ大人っぽく女性らしくなっているだろうな」と想像しているに違いない。そうやって少しからかった後で「冗談ですわよ」と笑い飛ばせば、少しシリアスになってしまった空気も明るくなって、距離も縮まるはずだった。
しかし──。
少しの沈黙の後に返ってきたのは、ひどく冷ややかな硬い声だった。
「オセロなんて子供扱いはやめてくださいよ。あと、仮にも男相手にそういうことを言うのってどうかと思いますよ。品性を疑われます」
蘭太くんは金魚すくいの出店の方に視線を注ぎ、こっちを見もしなかった。
予想外の拒絶。しかも、まるで私が無用心で勘違いした品性のない女であるかのような正論。
そういえば、この子は浴衣を褒めてくれなかった。前に「かわいい」って言ってくれたから今回もそうして欲しかったのに。男の人は案外見た目より中身を見ている。つまり、そういうことだろう。今日一日、内心では「いつもの清楚な菜緒葉さんの方がいいなー!」とか思っていたに違いない。
直哉に助けを求めようとすると、この状況を心底面白がって嗤っていた。
やっぱりダメみたいだ。
私ではダメ。
五条は勘違いしてるみたいだけど、甚爾くんが最後に心配してた「本当の菜緒葉」はマコくんだ。蘭太くんがマコくんだけを好きなのと同じように。
マコくんは甚爾くんのことが大好きだった。
私は、ずっと助けてくれたマコくんにとって一番大事な人になりたい。
何をあげれば、そうなれるだろう?