音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
夏祭りの帰り、菜緒葉ちゃんはお風呂に入るタイミングになってもまだ落ち込んでいた。そして真男佳に八つ当たりをしつつ引きこもりをキメていた俺も、そうなると流石に外界に注意を向けざるを得なかった。
残念ながら湯船に入れない日だったので、広々とした大浴場じゃなくて個室の方。板張りの脱衣所は薄暗く、帯を解く音がやけに大きく反響する。大浴場の方へ行けば菜緒葉ちゃんも誰かしらと話して気晴らしができたかもしれないが──いや、元気なフリをするのも疲れるか。これでいいんだ。
帯を置いた瞬間に体の主導権がまた戻ってきた。
『はーーー、疲れましたわ!』
気の抜けた菜緒葉ちゃんの声に宿る明るさは、明らかに空元気だった。彼女を落ち込ませていたのは勿論、蘭太くんによる「品性を疑われます」事件だ。はっきり言ってこれ位の年齢の子達にはよくあるトラブルにしか見えなくて、心底どうでもいいと思っていたんだけど──菜緒葉ちゃんが何故か酷く悲しそうにしていたのが可哀想だったから、浴室の中で訊いた。
「アレってそんな落ち込むこと?」
『……別に落ち込んでませんけどぉ?』
──めんどくさっ!
あんまり真面目に一部始終を見聞きしていた訳ではなかったが、もしも本気でロマンチックなことになりたい気持ちが1ミリでもあるなら、あんな揶揄いは恥ずかしくて弟の前ではできない。なのに菜緒葉ちゃんはあれを言った。それも直哉に肩に腕を回されたりなんかしながら。一番ガキ扱いされたくないお年頃にはきつい。俺にとっては蘭太くんはガキだが、実際の肉体的な年齢差は1,2歳程度。イラッと来て当たり前だし、禪院の男ならあれ位の返しは当然する。とは言え、向こうもそろそろ後悔し始めている頃だろう。なんなら、菜緒葉ちゃんの側より落ち込んでいる可能性すらある。
要するに、よくある些細なコミュニケーションの食い違いだ。
そう思って軽く見ながら、シャワーの湯を出した。
「明日、寮に戻る途中でおやつ用のドライマンゴーを買って元気出そう? 第一さぁ……。菜緒葉ちゃんには俺からカワイイカワイイって常日頃から言ってるだろ。それでよくない?」
『マコくんがそれ言うのって半分ただの自画自賛じゃありません?』
「ハイハイそうですねー。俺サイコー! 菜緒葉ちゃんもサイコー!」
甚爾くんがいなくなってから、ずっと底なし沼に沈んでいるような気分だった。そんな状態だから、菜緒葉ちゃんを真剣にフォローしてやる気になれなかったんだと思う。俺の内側の熱量には限りがあって、その大部分を火葬場に置いてきてしまっていた。
菜緒葉ちゃんはそれをわかってずっと頑張ってくれていた。
──そのことに、俺はちゃんとお礼を言っていたっけ?
『ねえねえマコくん』
「何?」
『最近ずっと考えてるんだけど……五条と戦うの、マコくんは怖くないんですの?』
「全然。ゴキブリ呪霊の方が怖かったかなぁ」
『何を犠牲にしても五条に勝ちたい?』
「勝ちたいよ、そりゃ」
何も考えずに話を続け、何も考えずに答えた。
すると菜緒葉ちゃんは少しだけ追及してきた。
『……そう。本当になんでも?』
「それは、うーーーん。物による?」
菜緒葉ちゃんは「なるほどね」とだけ答えて、会話は終わった。
──今思えば、なんであんな軽率なことを言ったんだろう。
俺は何もわかっていなかった。だって、五条と戦う寸前に見せてもらったあの『予測』──あの中で蘭太くんがしていたのは、ある意味菜緒葉ちゃんの人生の否定だった。そしてそれは多分、これは彼に限った話でもない。自分に優しくなかった人達が俺には優しくしている光景を延々と見せつけられる。それが禪院家での菜緒葉ちゃんの日常だった。
代わりに表に出てあげることしかできなかったし、それで菜緒葉ちゃんに楽をさせてたつもりだったけれど、五条はそれが間違いだと言った。五条が正しかったのかもしれない。俺はただの式神だったんだから。
全部をくれると、菜緒葉ちゃんは言った。
それは縛りだ。
全部? ──全部ってなんなんだろうな。
……これって走馬灯?
いやいや。まさか。
◇
赤く輝く、破壊の極小宇宙。
「──術式反転 『赫』」
呪詞が紡がれた瞬間、対処しきれなければ死ぬということを確信した。
虚数空間の増幅。無限の発散。
空間が拉げ、視界が赤一色に染まる。
思考をフル回転させる。『赫』の破滅的な衝撃波を、『菜切り包丁』で迎え撃つ。波形を細切れにカットアップし、サンプリングし、リミックスして無害化する。
キャパシティが限界を越えて、差し出した右腕の骨が軋んだ。頭が割れるように痛む。出力が想定よりデカい。呪詞とさっきの黒閃のせいだろう。クリッピングを起こした強烈なノイズが激痛となってフィードバックされる。
「クソッ……!」
直撃だけは免れなければ菜緒葉ちゃんの体ごと塵になる。
空中に展開していた光輪の群れを強制的に防御シールドへと転用し、幾重にも重ね合わせた。
ガラスが砕け散るような、甲高く悲鳴のような連鎖音。俺の延長である光輪たちが、赤き無限の拒絶の前に次々と粉砕されていく。
光輪が稼いだコンマ数秒の猶予。体をよじり、直撃の軌道から強引に逃れる。
直後、轟音が響く。
衝撃波だけで内臓がシェイクされるようで、右半身に凄まじい熱と喪失感が走る。
吹き飛ばされ、泥と炭に塗れた大地を何度もバウンドしながら転がる。土煙の向こうに迫る五条を間一髪で躱す。頭上を通り過ぎた蹴りの風圧だけで、背後の煤けた木が爆発したようにへし折れた。
「あ……」
少しまずった。
右腕がなくなっている。
肩の少し下から綺麗に消滅している。代わりにほぼ全滅したはずの光輪が体からまた溢れ、ニョロニョロした光の鎖のようなものが傷口に密集しながら出血を防いでいるが、しばらくは残された左腕一本と両脚だけで、現代最強の体術を捌き切らなければならない。
息を吐く間もなく、五条の拳が雨霰と降り注ぐ。空間そのものを圧縮して殴りつけてくるような、規格外の質量を持った連撃。
『グラニュラー・シンセシス』で包んだ左腕のガード越しに骨が軋み、衝撃が全身を貫くが、後ろに飛んだ拍子に反転術式に切り替える。
──良かった!
初めてだけど上手く行った!
いっそ全能感すら覚える。
失われた腕を丸ごと一本再生させるというのは極めて高度で、呪力をドカ食いする行為だ。菜緒葉ちゃんの縛りがなければ、この時点で呪力の底が見えていただろう。
……菜緒葉ちゃん。
菜緒葉ちゃんがくれた力を大事に使わなければ。
それで、絶対に五条をやっつけるんだ。
五条の右ストレートが顔面を捉える。その間際に、たった今再生を完了したばかりの真新しい右腕によってその腕を掴んだ。
五条が楽しそうにする。大した付き合いでもないが、朧げにわかってきた。コイツは本当に呪術戦が大好きなんだろう。頭の回転が早くて、初見の技術に対応するヒリヒリ感が好き。
菜緒葉ちゃんと同じタイプだ。
いや、方向性が違うか。菜緒葉ちゃんは普段からどうすれば強者を出し抜けるかということばかり考えているから、戦闘中にもそれを思いつきやすい。一方、五条はスペックが高すぎて結果が不確定な戦闘の経験は相当乏しいはずだ。それなのに初見の術に対する即興での対応が予想以上に早い。過剰なまでに与えられるそれを快楽だと感じないことには呪術師を続けられない人間と、滅多に与えられないその快楽に心底飢えている人間。過程は正反対で、結果だけが同じになる。
俺も負けたくなかった。
五条の拳をがっちりと握り込んだまま、血塗れの口角を吊り上げてみせる。
「腕を生やすのってさぁ……。けっこー……センスが、必要でっ! 最近まで夢のまた夢ってかんじだったんだけどさぁっ!」
握り込んだ五条の腕を支点に跳躍し、顔面めがけて強烈な膝蹴りを見舞う。五条は空いた左腕でそれを難なく防ぐが、俺の狙いは体勢を崩すことだ。
後方へバク転して距離を取りながら、言葉を叩きつける。
「気づいちゃったんだよね! 肉体という器の中には、絶対に欠けることのない魂の輪郭ってやつが存在してるんだよ! 」
着地と同時に地面を蹴り爆発的な推進力で逆に五条へと肉薄する。左手で五条の死角から拳を振り抜く。五条はそのすべてを躱し、流し、的確なカウンターを合わせてくる。
「骨やら筋肉やら血管やらを細かく想像しながら治そうとするから難しい! だから、反転術式で肉を治すんじゃなく、その魂の輪郭を観測して、そこに沿って生のエネルギーを流し込み、肉体をっ! 元の形へと強制的に押し戻すっ! ブループリントがすでにあるんだから、あとはそれに従って材料を流し込むだけでいい!」
五条の回し蹴りをダッキングで避け、下からアッパーを突き上げる。無下限の壁は俺には無効だ。躱され、鳩尾に深く拳が突き刺さる。後方へ数メートル吹き飛ばされた。地面に手をついてブレーキをかけ、顔を上げる。
「甚爾くんのおかげで覚えたんだ。つまり甚爾くんはすごいんだよ。ドゥユウアンダースタン?」
「…………ふーん」
五条の表情が妙だ。
さっきまでと打って変わって、かなり興味深そうにしている。
もしかしたら六眼って魂の輪郭の知覚も可能にするようなポテンシャルがあったりするんだろうか?
呪力と術式だけのはずじゃないの?
だとしたら、今のは話さなかったほうがよかったかもしれない。
──いや、そういう戦闘関連の事柄への反応ではない気がする。
五条は、甚爾くんのことをゴミみたいに殺してなんとも思ってない……という訳ではなかったのか?
わからない。
ただ、先ほどの『赫』を受けて確信した。威力がデカい分、弾速は『蒼』より遅い。だから次はこんなヘマはしない。
「で、五条。甚爾くんにも『赫』使ったの?」
「当てたけど割とピンピンしてたぜ」
「……」
甚爾くんの強さが誇らしかった。これじゃ直哉のことをあんまり笑えないかもしれない。
……。
また苦しくなる。
五条の速度が上がる。光輪を盾にするが、五条の蹴りがそれを粉砕し、俺の脇腹に深々とめり込む。そのまま至近距離で、五条が言う。
「マコ、実は甚爾のこと好きだったり?」
五条の表情には困惑があった。
彼の質問に答える意味はあまりない。
だから別に無視しても良かった。
けれども、一歩下がって本音を話す。
「……親友の、つもりだったよ」
俺の答えを聞いて、五条は少しだけ意外そうな顔をした。その刹那の隙を見逃さず、殴る。ノイズが弾け、五条が微かに顔を顰めて後退する。
「……で、五条の坊や。そろそろ、俺のチマチマした無下限破りがうざったくなってきた頃じゃねーの?」
ダラダラと殴り合っていてもジリ貧だ。俺の狙いは最初から変わっていない。五条を衰弱させ、術式焼き切れの隙をうかがい、『定名綴魂』を使う。それだけ。
そして、さっき考えた。
菜緒葉ちゃんは「全部」を俺に渡すと言った。その結果、菜緒葉ちゃんの体は俺の物になってしまった。菜緒葉ちゃんは出てこられなくなった。──ここまではなんとなく推論できている。
それはつまり、菜緒葉ちゃん自身の体に刻まれたもう一つの『菜切り包丁』を使えるということではないか。
自分の正体に気づくまではよくわかっていなかったが、菜緒葉ちゃんの体に『菜切り包丁』が刻まれている理由ははっきりしている。呪霊食と俺の存在により呪力に付け込まれた菜緒葉ちゃんの肉体に、『予測と適応』という本来の術式の他に、
そういえば、逆に術者自身の術式が式神に付与される実例もある。あとは、受肉体の場合呪物の術式が器にも付与されるんじゃなかったか。それと同じような原理だ。
──で、たしか、受肉体の『器』が元々自分自身の術式を持っている場合はどうなるか。この話題については羂索と菜緒葉ちゃんがしばらく前に盛り上がっていた。結論は『器』の魂が完全に沈んでいて、呪物に主導権が移っていれば、術式を自由に使えるんじゃないかという所で落ち着いていたと思う。
俺は、菜緒葉ちゃんの術式を使えば人を斬れるのかもしれない。
確証はない。試したことは一度もないし、試す機会も二度目はない。外れていたら、無防備に晒した数秒分の隙を現代最強に献上して、それで終わる。心臓が、緊張のあまり脈を速める。
いつもなら、こういう賭けをする前には必ず2人で相談していた。けれども、菜緒葉ちゃんは俺に全部を渡して深い場所に沈んで行ってしまった。内側へ呼びかけても返事はない。水底へ落とした石がいつまでも着かないような沈黙だけが返ってくるだけだ。彼女は全部を渡して、俺の手の届かないところまで沈んで行ってしまった。
だから、自分で決めるしかない。
幸い、大乱闘の影響か、周囲にはカラスは見当たらない。
今は誰も俺達を見ていない。
だから、やっぱりやるなら今だ。
菜緒葉ちゃんならこういう時にどうしただろう。それを思いながら、菜緒葉ちゃんの言いそうなことを考える。
「ぶっちゃけいつまで出し惜しみしてるつもりですの? もっとすっごーい術式、まだ使わないのかしら? 領域勝負も自信ない?」
「……」
かわいく煽り立てる。五条は無言だ。
これじゃまだ、菜緒葉ちゃんの挑発には及ばないか。
五条の顔面スレスレまで一瞬で踏み込み、小悪魔的な声を出す。
「やーいやーい、ざぁこざぁこ♡ 現代最強様のくせに、こんなにちっちゃい女の子にビビッてるんですのぉ? ざぁこ♡」
俺の中に、菜緒葉ちゃんはちゃんといる。
それを思いながら、印を結ぶ。
菜緒葉ちゃんが大事にしてねと言ったものを大事に使う。
「”逆相“”野狐禅“”昏き伴星“」
呪詞を紡ぐ。
菜緒葉ちゃんとこれまでにしてきた全部を思い浮かべる。
「……菜緒葉ちゃん、君の力を貸して」
きっと、高圧的に「いいですわよ」と答えるはずだ。ラスボス思考で情緒不安定だけど、俺にとっては世界で一番守ってあげたかった女の子だ。彼女のためにやれることは、まだ沢山残っているはずだ。
「真・世界斬」
そして──。