音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
──五条の領域展開。
当初描いていた勝利の青写真は、これをどうにかやり過ごすことだった。領域対策はきちんと用意している。それに、五条は明らかに本調子とは程遠い。だから適当に凌げばいい。凌げば確実に勝てるはずなのだ。
でも、俺の中の呪術師としての部分が囁いた。本当にこんなやり方でいいのかと。
五条が残りの全部をぶつけようとしているのに、逃げるのは呪術師としてどうなのか。いいや、人間としてどうなのか。俺の正体は菜緒葉ちゃんのお腹の中の式神で、実際の本体は光り輝くクネクネした物体に過ぎなかったらしいが、それでも人間の心を持っている存在としての誇りはある。菜緒葉ちゃんの相棒としてのプライドがある。
俺は呪術師だ。菜緒葉ちゃんに力を託された。そして五条が殺した甚爾くんの弟子だった。黒閃だって決めた。最高潮の今なら、五条の領域を正面切って叩き潰せるかもしれない。
だから俺は、危険な賭けを選んだ。
「——領域展開『空音滞図』」
領域の成立はほとんど同時だった。
純白と銀河が、切断と無限が、編集と永遠が交差し合う中で衝突する。
俺の白へと夜の色が流れ込んでくる。一瞬でも区切りが緩めば、全部の情報が一斉に鳴って俺の意識は終わる。それがわかる。だから俺は世界を升目で刻み続けた。連続する現実を、有限の点で近似する。サンプリングとは元々そういう技術だ。無限だろうが永遠だろうが、小節線で区切ってしまえば数えられる。俺のレートより細かい無限は、丸め誤差として切り捨てる。逆に五条を譜面に載せてしまえば、俺の作品に成り果てるまでバラバラにしてやれるが、五条は俺の設定したBPMを鼻歌ひとつで跨ぎ越してくる。
互いの必中効果を、互いが打ち消している。
「……なにその領域。音ゲー?」
「DTMって言えよ、坊や」
「うわ、返事する余裕あるんだ」
「そっちこそ。意識高い系のスクリーンセーバーみたいなのを出しやがって」
軽口と一緒に拳が来る。打ち消し合う必中効果。マーブル模様に融解する景色。膨張を続ける銀河が影ひとつない完全なる虚無を貪り喰らい、空っぽのグリッドの空には、星の音符が降り注ぐ。
喪失感を唯一埋め合わせる戦闘の快楽。それはまるであの幻の続きのようで、その心地よさは、奇妙に心を凪がせさえしたかもしれない。
──呪霊と向き合うときは、相手の呪力を値踏みする。どうすれば『美味しく』できるか。今日初めて気づいたことだけれども、人と向き合うときには、それが双方向になる。
そうしてみて、甚爾くんが撤退しなかった理由が初めてわかった。五条がさせずに嬲り殺したんだと勝手に思っていたけれど、なんて傲慢な勘違いだったのだろう。少しでも人間としての自分を肯定したい気持ちがあったら、絶対に引き下がれない局面というモノがこの世には存在する。
野の花は働きも紡ぎもしなくとも美しい。何の役にも立たなくても、ただ心地よく揺れているだけでいい。けれども人間は違う。誰かの瞳に映りたい。認められたい。そして、屠りたい。そう渇望しながら、醜い呪いを重ねずにはいられない。どうしても、他者との闘争を愉しんでしまう罪深い生き物だ。
五条が菜緒葉ちゃんを助けようとしたよりもずっと、俺は菜緒葉ちゃんを助けたかった。だから俺はその分だけ五条を呪い続けるし、そしてその分だけ、五条という素材を味わいたい。菜緒葉ちゃんの刃で五条の全てを斬って斬って、ひたすら切り刻んで、骨の髄まで味わい尽くして、菜緒葉ちゃんがどれだけ強かったのかを、じっくりと教えてやりたい。
言葉はそれからひとことも交わさなかった。
領域のせめぎ合いと、肉と肉がぶつかり合う暴力の交歓。それだけで、今の俺がどれ程拗れきって面倒くさくて救いがたいヤツなのかが五条にはわかるし、五条がどれだけひん曲がってヤンチャなクソガキなのかも俺にはわかる。何故なら、俺は五条と戦うために存在しているからだ。五条が気色の悪い寄生虫と呼ぶ、強い攻撃を受けるたびに塞ぐ前の傷口から漏れ出す、光るウネウネとした輪っか。五条の六眼がその異形を捉え、嫌悪と好奇心を交じり合わせるたびに、輪の震えが異様なまでの濃度で俺に告げてくる。俺の術式は、目の前に君臨するこの規格外の男に対する、完全な適応の産物なのだと。
破滅的な天蓋の下で、俺たちはただひたすらに殴り合った。
そして臨界に達したふたつの領域は、数十秒後にはガラス玉が砕けるように同時に崩壊した。
純白も銀河も降り注いでいた星の音符も、外側から布巾で拭い取られるみたいに消えていく。代わりに戻ってきたのは、焦げた下草と血の匂いだ。激しい動悸がどくどくと胸の中で鳴っているのを感じる。
「……領域の同時崩壊なんて初めてだよ、マコ」
吹き荒れる呪力の残滓の中、五条は口の端の血を親指で拭った。声は遠足の感想紛いで軽いが、傷は明らかに五条の方が深い。息は上がり、最初の致命傷が塞がりきっていないせいで、動きの精彩も落ちている。それなのに瞳だけが冷徹な捕食者の色を取り戻していた。
「俺も。初めての接戦は楽しかった?」
「別に?」
強がる五条を、最高にかわいこぶったポーズで挑発してやる。
「負っけ惜っしみぃ♡」
「……そっちこそ」
六眼が鋭い値踏みの気配に染まる。俺の何を見ているのかは知らないが、いいように解釈されては困る。俺自身の術式については現状焼き切れ中だが、普通にまだ全然動けるし、呪力だって底なしだ。
領域崩壊による術式の焼き切れ。その後の展開としての通常の呪術戦のセオリーに従い、五条が純粋な肉弾戦へと移行すべく身構えたのが見える。
この判断は本来なら正しい。俺だってこの局面で他人と戦う時には間違いなくそうする。しかし俺には『定名綴魂』を改めて展開する余力がまだあった。
大きく距離を取り、再び指先を絡めて印を組み上げる俺を見て、五条の表情には初めて明確な驚愕が走る。
「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え。──出てこい真男佳、『空音滞図・リミックス』」
宣言と同時に、中空でプラネタリウムが点灯した。ダンベル型の投影機。片側へ傾き切った天秤の成れの果て。そのレンズの光が届く範囲へ無数の唇と目が浮かび上がり、全方位から肉色の腕が伸びて、五条の胴を掴む。
──よし、触れる!
無下限呪術の焼き切れだ。
「……っ!」
五条の目が見開かれる。
「悪いな、常識外れで。俺が使えるのは、俺の術式と菜緒葉ちゃんに刻まれた俺の術式。それから──菜緒葉ちゃんが食った真男佳の術式だ。かなり制限はあるし、チートってわけでもないけど……まあ、敵に言うことじゃないかな」
小さな『帳』の外殻を補助輪に、練習中の『閉じない領域』の原理を用いた、真男佳というオブジェクトのみの顕現。一度の対象人数を1人に絞る縛りだけでは足りなかったので、外壁を視覚効果のみのクソみたいにショボい『帳』にすることで、逃亡のしやすさというデメリットも与えている。更には必中もなければステータス上昇もない、相変わらずの欠陥品であるという状態を維持することで──大量のデメリットと引き換えに、効き目だけは以前とは比べ物にならないくらいに引き上げた。
真男佳の腕が触れた瞬間から、術式は脳に働きかけ始める。
「五条、オマエは菜緒葉ちゃんを助けようとするべきじゃなかったよ。……ごめんな、お節介の勇者様」
言いながら少々感傷的になってしまって、ふと思い出した。
そういえば、甚爾くんにも同じようなことを言われたな、と。
冷たい雨。泥と血の味。
左肩から右脇腹を、魂ごと持っていった一閃。
──俺は『人間にしてくれ』なんて頼んでないし、オマエは俺に傘を貸すべきじゃなかった。
たしか、そう言われたんだっけ?
これはあの時のバチが当たったのか。でも、悪かったのは俺だ。菜緒葉ちゃんは全く関係なかったのに。あの時だって斬られて泥水に沈んだのは菜緒葉ちゃんの体だった。
俺と五条は案外似た者だったりするのかもしれない。善行のつもりで色々間違えて、大事な物を大事にすることに失敗したりして。
いや、単なる誤認かも。自分がセンチメンタルになりやすいタイプだっていう自覚は、まあまあある。
これだから人間と戦うのはあんまり好きになれないんだ。直哉は俺を呪術師向きでないと言ったが、対人戦闘に限ればその見解はやっぱり間違いじゃないのかもしれなかった。
無数の唇が、五条の魂の周波数に合わせて音程を探り始めた。オーケストラのチューニングみたいに、バラバラだった囁きが少しずつひとつの基準音へ収束していく。
あとは扇のおじさまにそうした時と同じようにやればいい。
五条は子供だ。
まだ17歳。守るものも育てるものも何も持っていない。コイツの心の鍵穴は無防備に空いている。真男佳の対象年齢ど真ん中。
だからコイツを〈子〉と定義して、承認の毒を注いで、好感度をMAXまで引き上げて、自分から縛りを結ばせる。俺という式神の存在については金輪際他言しない縛り。人類総術師計画に協力する縛り。ついでに、こっちに都合の悪い記憶を全部封じて、放り出す。
そして、俺は術式を起動しようとして──。
「このプラネタリウムって、さっきの?」
五条がそう呟くのを聞くと同時に、さっきの幻の中の光景を思い出した。
全部を終えた顔で身体を預けた菜緒葉ちゃんが、青い光に照らされながら、慌てて涙を拭って、澄まし顔を作り直したあの瞬間を。
──あれは妄想でも幻覚でもなかった。五条は菜緒葉ちゃんを傷つけたけど、水族館を見せようとしてくれたのも事実だった。菜緒葉ちゃんは五条に「花が好きなら虫も可愛がりなさいよ」なんて言っていた。
俺は──俺はあのとき、何かが違えば菜緒葉ちゃんと五条は普通に仲良くなれたのかもしれないと想像してしまった。
彼女がもし俺の中でこの光景を見ているとして、今の彼女も俺に全部を託した時と同じように、五条の尊厳を貶めるようなことを今も望んでいるんだろうか。本当にこれでいいのか。
悩んでしまったのはほんの数秒だったと思う。
だが、五条を掴んでいた真男佳の腕が一瞬にして振り解かれた。
──
「なんで……?」
「んー? 内緒。──というかあっぶな。今、脳いじられかけてたような……?」
五条がなんとも言えない異常な生き物を見るような表情でこちらを見てくる。
ご名答。
ご名答だが、答えてやる筋合いはない。
というか、そもそも……。
これはどういうことだ??
びっくりドッキリ身体構造の俺でも、領域展開直後に術式が使えるなんてあり得ない。
第一、『定名綴魂』の効果は既に線条体と扁桃体に出始めているはずだ。今の五条は頭がぼんやりして、動けなくなっていないとおかしい状態なのだ。真男佳がサボったのか? いや、アイツ程度が俺に逆らえる訳がない。俺が躊躇っている間に、五条が単独で初期段階の洗脳を破ったのだ。
「化け物め」
つい、本音が漏れた。
もう勝ったと思ってたのに!
どうなってるの?
俺の罵倒に、五条は謎にキレ返してきた。
「食った呪霊の術式を使い始めたり、違う術式で2回領域展開してくる異常者より万倍マシだろ!」
そうかな? そうかも……。
だが、落ち着けよ俺。
「……だっ、騙されないぞ! 五条は俺と違って普通の……普通か? まあアニサキスと比べたら普通じゃん! あとで反動が来るやつだっ!」
「そう言うオマエもそろそろ限界だろ。体の中は8割がた駆虫完了したし?」
駆虫?
菜緒葉ちゃんの体の中に入っている俺の本体らしき光るニョロニョロ輪っかの残量が減っているということだろうか。
いちいち嫌な言い方をする奴だ。
ダメージは一切感じていないというか、時間をかければまたどんどん増えていくような気は本能的にしているのだが……。
まあ適当に言わせておくか。
いい加減にでも頷きながら次の策略を練ろう。
そう考えていた俺の余裕は、五条の次の一言によって完膚なきまでに吹き飛ばされた。
「じゃ、
お気楽なその声を聞いた次の瞬間、俺は策略も何もないままに拳を振り上げた。そのまま五条を殴ろうとして、復活した無下限の壁に阻まれた。舌打ちしながら展延をつかって殴り直す。今度は頬に届いた。手応え。でもこの程度で済ませる気はなかった。
さっきの俺は、どうしてこんなお花畑テンションなクソ野郎を相手に躊躇してしまったんだろう??
後悔してもしきれない!!
展延を使ったままの腕で、五条の胸倉を掴んで怒鳴ってやる。
「出せる訳ないだろ! オマエの最っ低なお節介のせいで、菜緒葉ちゃんは俺に全部捧げる縛りでいなくなっちゃったんだよ! 戻せたら苦労しねーんだよ!! カス! クソガキ! 自己中! 傲慢!」
思いつく限りの悪口を並べながら、馬乗りになって全力で殴る。
お行儀がどうとか女の身体がどうとか、そういう問題は全無視だ。そうせずにはいられなかった。五条に悪意がなかったとして、だからなんだっていうんだ? 菜緒葉ちゃんはもう自らを捧げてしまったんだ!
「マコ……ストップストップ!」
「ストップする訳ねーだろうがくたばれ!!」
俺とコイツは何もかも噛み合わず、五条には俺達に対する想像力ってものがまるきりない。こっちの苦労なんてわからない。俺の本気の攻撃だって、なんだか面白いアニサキスの芸くらいのノリで楽しんで、挙句これか??
ふざけんな。
渾身の呪力を込めた拳を振り上げる。
その殺意の頂点で、馬乗りになられた五条は微かに目を細め、まるで雨の降り始めでも告げるような無造作さで呟いた。
「いや、菜緒葉はまだ間に合うんだって」
感情のまま振り下ろそうとしていた拳が、空中でピタリと止まる。
俺は五条の顔を二度見……いや、三度見くらいはした。
……おい。それってどういうこと???