音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?!   作:ポ予

8 / 48
主人公一人称ではどうあがいても拾えない情報がちょこちょこあるので、今日はいつもとは違う感じでいきます。



禪院菜緒葉について① Side:弟

 禪院直哉にとっての禪院菜緒葉は、外付けの自己肯定装置であり、負の感情を押し付けるためのサンドバックであり、世界で一番大好きな姉だった。

 この三つが矛盾しないのが禪院直哉の一種異様な精神構造である。

 

 直哉の記憶の最も古い層に、母の姿はほとんど残っていない。残っているのは、温かな感触でもなければ子守唄の残響でもない。いつ来てもじめじめと暗い奥座敷で、布団から首だけを出してこちらを見ていた女の虚ろな目だけだ。母は直哉と菜緒葉を産んだ後に衰弱し、直哉の術式が発覚する少し前に実家へと戻された。その経緯は直哉の中で「あの女は父の3歩後ろどころか、子供の近くにいることすら放棄した弱者だった」と処理されている。たまに見舞いに連れていかれる母の実家で、あの辛気臭い女の顔を眺めるたび、胸のあたりがむかむかする。弱さが嫌いなのか、弱さをひけらかす醜い性根が嫌いなのか、その区別を直哉はつけられない。

 そして代わりにあてがわれた乳母はと言えば、論外だった。父に稽古をつけてもらって青あざだらけで帰ると、彼女は「可哀想に」と言いながら薬を塗る。その手つきの優しさが直哉には我慢ならない。可哀想なのではなく、強くなっているのだ。なのにこの女は痛みの価値を理解しない。頭が悪いのだろう。慈悲深さを気取る自慰行為には我慢ならなかった。──これだから女は、と思う。

 女は程よく男を立て、軽やかに男の弱さをいなし、常に三歩後ろを歩くべきである。

 

 菜緒葉だけが、その条件を満たしていた。

 

 菜緒葉は直哉の言うことを一つも否定しなかった。直哉の面目を潰さず、常にどんなくだらない自慢話もにこにこしながら聞き、常に直哉のそばにいたがった。直哉が大人の真似をして生意気な口を利けば、大抵の女は決まって「そんなことを言ってはいけませんよ」と愚にもつかない説教を始めるが、菜緒葉は違った。こちらの目をまっすぐに見て、「圧倒的に有利な状況以外でそういうことを言うと、自分の立場を悪くしますわよ」と忠告するのである。

 ──いかにも女の子らしく、卑劣な弱者丸出しの発想だが、そんなにムカつかなかった。直哉だって女に生まれていたら、同じように考えていたかもしれない。姉は自分の鏡だ。同じ胎の中で十月十日を過ごした相手なのだから、思考が似ていて当然だろう。

 

 姉が男に生まれていたら完璧だったのに、と直哉はよく思う。ただし一卵性であったなら自分の扱いはもっと悪化していたはずだから、姉は生まれてくる時に最も良い部分を全部自分に譲ってくれたのだろうと、そう結論づけてもいた。直哉が強いのは、菜緒葉が出涸らしだからだ。

 

 ──オマエが強いのはオマエの兄が弱いおかげだったらどうする?

 

 別にどうもしない。兄の弱さは何も与えなかった。

 だが、姉ならば。

 姉の弱さこそが愛情の証であるならば?

 

 

 術式が判明した日のことを、直哉は鮮明に覚えている。自分のではない。菜緒葉の術式の話だ。

 自分も早く術式が欲しいと願っていた菜緒葉はかわいかったので、直哉としても姉の願いが叶ってほしいとは思っていた。ただし、あまり強い術式だと間違いなく自分の立場がなくなるので困るなとも思っていた。

 そこに判明したのが、殺傷性は低く、ついでに切った物を美味しくするという、ひどく女の子らしい術式だった。

 

 ──期待していた通りだと、直哉は思った。得意げに宴会場へ飛び込んできた菜緒葉が、必死な様子で黒檀の机に三ミリのかすり傷をつけている姿は、面白くてしょうがなかった。安心して、心ゆくまで揶揄った。周囲の大人たちも笑っている。みんなが笑っているから悪いことではない、と直哉は信じた。

 

 しかしあの日を境に、菜緒葉が変わった。

 

 翌朝、いつも通りに起きて姉の部屋を覗くと、布団はすでに綺麗に畳まれていた。菜緒葉は一人で早起きのできるようなストイックな子ではなかったはずだった。なのに、突然変わってしまった。逆に修行を終えて寝る前に会いに行くと、もう寝ている。前はそんなことはなかった。毎晩どちらかがどちらかの部屋に来て、庭の虫の声を聞きながら、くだらない話をしていたのだ。

 

 厨房で頑張っている菜緒葉を大人達は絶賛していた。術式の効果らしく、菜緒葉の作る食事は冷め切った後でも美味しい。元々いい物を食べている上級部隊の隊員はともかく、末端の連中は菜緒葉のもたらした食生活の向上に、明確に士気を上げていた。

 躯倶留隊──術式を持たない連中。直哉にとっては稽古で時々手合わせする程度の、とりたてて意識する必要のない存在。菜緒葉がその連中のために料理を作り、給仕をし、挙句の果てには笑顔で雑談までしているらしいという噂は、乳母経由で耳に入ってきた。菜緒葉こそ良妻賢母の鑑、まだ幼いのに禪院の女の完成形だと、皆が言う。

 

 心底気に入らなかった。

 

 甚爾に入れ込んでいるという話だけなら、容易に理解できる。甚爾は直哉の世界観に穴を開ける存在だったからだ。その穴から何が見えるのか、直哉にはわからない。わからないから惹かれる。わからないから怖い。わからないから名前がつかない。だから甚爾は素晴らしい。特別だ。甚爾を理解できない自分の未熟さが苦しいし、どうすればもっと近づけるのかとよく考える。そんな甚爾のすごさを、菜緒葉は他の大人達と違って見抜いている。双子だけあって完璧に思考が一致しているのだと、むしろ感心すらする。──だが、他は全く理解できない。術式もないようなパッとしない連中に、なぜあの菜緒葉がそこまで優しくする必要がある?

 そもそも、菜緒葉はこんなにも優等生だっただろうか。まるで別人になってしまったようだ。

 

 直哉はこの違和感の正体をうまく言語化できなかった。ただ、以前は自分だけのものだったはずの何かが、見知らぬ場所に流出しているような感覚がした。

 

 しかも菜緒葉はなにやらよくわからない手段で呪力を増やし始め、呪力効率もいつのまにかに物凄く上がった。しかもその理由を直哉に言わなかった。

 大人たちは何かを知っているようだったが、直哉には一切教えてくれなかった。深夜の厨房で強い残穢が検出されていると扇の妻から報告があったとか、菜緒葉の成長が想定の数倍だとか、菜緒葉の縁談がどうとか。

 ──盗み聞きをしていたら。甚壱に捕まった。甚壱は直哉をクソガキだと思い始めているし、直哉もそう思われていることは自覚している。だが甚壱は親戚の中では優しいほうだ。少なくとも実兄よりは断然優しいし、尊敬できるとも思う。仕方ないのでストレートに質問してみた。

 

「なあなあ甚壱くん、最近の菜緒葉ちゃんは何やっとるん?」

「お前は知らなくていい」

「はぁ? 菜緒葉ちゃんのことで俺が知る必要ないことってあるんか?」

 

 甚壱は心底呆れたような顔をしたが、直哉はそんな反応にはもう慣れていた。それに、本当に強い男は周りの視線なぞ気にしないのだ。甚爾がそうであるように。

 

「菜緒葉ちゃんのケッコン相手を強い奴にするゆうてたけど、誰? 甚爾くんか?」

 

 そう言った瞬間、甚壱の表情が変わった。まるで「王様は裸だ」と叫ぶ子供の声を聞いてしまったかのようだった。

 

「あの甚爾を婚姻の候補にできるはずがないだろう?」

 

 甚壱の声に明瞭な怒りが滲んだ。

 しかし直哉にとって、それは不当な怒りだ。不当な怒りを相手にする意味はない。「菜緒葉には最も優れた男をあてがうべきだ」と話していた。そして、最も優れた男と言える存在はこの世に甚爾しかいない。──だって、直哉が女だったら甚爾と結婚したい。

 

「大人はみんな言行不一致やね。うちにいる他の男はみんな甚爾くんより弱いし……そもそも顔もアカンやん」

 

 直哉がそう言葉を重ねると、甚壱の表情がますます硬くなる。自分の顔が「アカン」と言われたのだと受け取ったのだろう。で、実際直哉はそう思っている。拳が落ちてくるかもしれないので、今は口にはできないだけだ。甚壱は強い。だから尊敬できる。だが、もし甚壱の拳を容易に避けられるほどに速くなったら──その時は遠慮なく言ってやるつもりだった。甚壱くんは顔がアカン、と。

 甚壱は眉間に手を当てて呟いた。

 

「菜緒葉は完璧な禪院の女なのに、お前はどうしていつもこうなんだ。菜緒葉が胎の中で賢さを全部吸い取っていったのか?」

 

 直哉は鼻で笑ってやった。

 

「非道いこと言うなぁ。甚壱くんは人の心とかないんか? 並みのガキならグレるで」

 

 ──正直なところ、同じようなことは他の人間にも言われ慣れている。菜緒葉は直哉と違って昔から行儀が良く、空気が読め、言葉遣いが丁寧で、人の機微に敏い。しかし、この家での人間の価値は呪力と術式で決まる。菜緒葉は最も重要な部分を弟に譲るいい女だった。それで十分だと思うし、だから何も気にならない。

 そのやりとりを部屋の中から聞いていた父が、ぽつりと言った。

 

「完璧な禪院の女、か。……俺はむしろ、菜緒葉が男だったらと思うんだがな」

 

 完全に素面だった。

 酒を飲んでいる時の父は剽軽だが、素面だと少し怖い。父が酒を飲んでいるかいないかを瞬時に判断することは、直哉にとって日課のようなものだった。そして、どちらのパターンであっても直哉は別種の居心地の悪さを覚える。酔った父の陽気さは薄い膜の向こうにあるようで掴めないし、素面の父の静けさは底が見えない。

 菜緒葉は父のことが大好きなようだが、直哉にはその理由が昔からさっぱりわからなかった。接点が少ないからこそ、理想の父親像を投影できているのだろうか。

 菜緒葉は直哉のことをいつも羨んでいたが、父に本当に愛されていると直哉が思ったことはない。父は息子より酒の方が好きなのではないか。

 

 ──そういえば父は、どうしてそんなに酒ばかり飲むのだろう。その疑問を直哉は深追いしなかった。答えが出そうにない問いに頭を使うのは性に合わない。

 

 

 

 大人からは何も情報を得られないので、菜緒葉とよく関わっているらしい躯倶留隊の若い隊員と手合わせをすることにした。

 普段であれば、手合わせは直哉なりの腕試しと訓練の延長にすぎない。叩き伏せると後で文句を言い出す彼らを、直哉は見苦しいとだけ思っている。不平を抱くべきは己の弱さではないのか。よくもそのていたらくで甚爾を猿だなんだとバカにできるものだ。

 だが、今回は明瞭に加害の意図を持って望んだ。雑魚でカスの彼らなら、すぐに音を上げて菜緒葉のことを詳しく教えてくれると思ったのだ。けれどもその隊員は中々口を割らなかった。

 

 ──菜緒葉とこいつの間には、何か友情のようなものがある。

 

 その認識が腹の底で弾けた瞬間、手加減の箍が外れた。投射呪法の速度が一段上がり、相手の腕が不自然な角度に折れ曲がった。

 健太郎という名前の彼が地面に這いつくばってもなお立ち上がろうとしているのを見下ろしながら、直哉はぼんやりと思った。──なんでこいつは菜緒葉の近くにいるのだろう。こんなに弱いのに。こんなに弱い癖に、菜緒葉に何かをしてもらえている。

 

 そこへ、女中が割り込んできた。名前はたしか千代。いかにも善良そうな顔をして甚爾にこっそり飯を運んでいるのを、直哉は何度か目撃していた。腹が立つ。自分はまだ甚爾ときちんと話すことすらできていないのに、こんな何の取り柄もない女がニコニコと甚爾の周りをうろついて、その評価を稼いでいる。──許せなかった。自分だって女に生まれていれば、この女よりも上手く甚爾の世話を焼いただろう。たとえば、菜緒葉がそうしているように。

 叩いた。やりすぎたかもしれないとも思ったが、甚爾に擦り寄る身の程知らずを叩くのは、それなりに楽しかった。

 

 しかしその真っ最中に菜緒葉が現れた。

 現れてしまった。

 怒っていた。心底怒っていた。

 ──驚いた。菜緒葉の毒舌が自分に向くのは初めてのことだった。意味がわからない。菜緒葉はいつも自分の味方だったはずなのに。

 軽く小突いて泣かせて、元通りにしてやろうと思った。少しおどかせば、諦めの早い菜緒葉はいつもすぐに折れる。少なくとも、毎日一緒に遊んでいた頃の菜緒葉はそうだった。

 だから、決闘になってしまったのは意外だった。

 

 

 本気を出す気はなかった。

 遊びの最中に手加減をすると、菜緒葉はいつも激怒する。けれども本気なんて出せるはずがない。父の前で本気を出さなきゃいけなくなった時点で、直哉にとっては負けたのと同じになるからだ。

 菜緒葉が男だったら良かったと父は言っていた。つまり、父から見れば菜緒葉の方が当主向きなのかもしれない。菜緒葉は頭がいいのだ。

 そして現に彼女は火力がない代わりに、環境を変える賢い戦い方をしていた。食材の性質を変えるように、戦場そのものの前提を書き換える。

 素直にすごいと思った。

 

 で、負けた。

 厳密には負けていないが、本気を出した時点で負け。公衆の面前でタマ蹴られた時点で負け。

 

 ただ、その時の姉が、いつも一緒に遊んでいた頃の印象に戻っていたことは心に残った。

 

 最近の菜緒葉はどこか他人行儀だった。まるで大人が子供をあしらっているような余裕があって、それが直哉には一番気に入らなかった。双子としての長年の蓄積ゆえに、それを肌で感じた。

 だが、菜緒葉が頬を挟んで覗き込んできた瞬間。直哉はその目の中に、見覚えのあるものを見つけた。何かに追いつきたくて、追いつけなくて、でも諦められなくて、ずっとずっと走り続けている人間の目。それがやっと追いついた瞬間の、歓喜と安堵と、そしてどこか残酷な愉悦が混ざった目。直哉はこの感情を知っている。だから少し安心した。「菜緒葉ちゃんは性格がアカンけど、やっぱり俺のこと大好きやもんねぇ」と思った。

 これまでの態度が自分と一緒に術師になりたくて頑張っていたという女の子らしいかわいい動機の発露なら、どんなに屈辱的でも、全部許せる。

 とは言え、父から見れば出涸らしはこっちだったのかもしれないと認識した。──詰みや。そう思った。

 

 しかし。

 父はなんだか頭の良さそうなことをいっぱい言い出して、とにかく直哉の立場は守られた。

 そして菜緒葉が泣いて、また遠くなった。別人みたいな雰囲気に戻って、口もきいてくれない。

 日課の「甚爾くん観察」をしていて、菜緒葉が決闘の発端についてまだ怒っている可能性に思い至った。菜緒葉の正義感がそこまで強いとは思っていなかったので戸惑ったが、謝罪するだけならタダだと思ったので、扇の妻がいないタイミングを見計らって厨房に赴いた。千代の前で両手を合わせ、にこっと笑い、言った。

 

「千代ちゃん、叩いて悪かった。あと、躯倶留隊の奴にもやりすぎた。ごめんちゃい♡」

 

 この言い方をすれば大抵の女は許してくれる。経験則だ。菜緒葉は呆れた顔をしていたが、千代が「もう気にしていません」と微笑んだので、やっぱり許されたのだ。

 

 そのまま菜緒葉の腕を掴んで厨房から連れ出した。そしてずっと言いたかったことを全部言った。菜緒葉はあっけに取られているようだった。なので、切り札を出した。──菜緒葉があの戦闘の後で口走っていた不思議な言葉が、そう言えば、ずっと引っかかっていた。

 

「あと、菜緒葉ちゃんがそれで嬉しいなら、録画して、俺の声で『オトマッド』? とやらも作ってええよ」

 

 菜緒葉の目が見開かれた。

 さっきまでのどこかくらい目が嘘のように、そこに何かが灯った。直哉は『オトマッド』が何なのかを知らない。知らないが、この言葉を口にした瞬間の菜緒葉の反応だけは正確に読み取った。

 

 ──そして、元の菜緒葉が少しだけ戻ってきてくれたことを、無邪気に喜んだ。

 

 

 

 

 

 直哉は何も知らなかった。自分が次期当主としての尊厳を未知のデジタル領域に永久に投げ出す契約を結んでしまっていることを。禪院菜緒葉の中に何者が潜んでいるかを。そして、弟を3歩後ろから支えていたブラコンの菜緒葉が彼の影響で歪みを顕在化させ、弟の苦悶の声を愛好する怪人になりつつあることを。

 

 けれどもそんなことは直哉にとってはどうでもよかった。

 姉の目に光が戻った。

 今はそれだけで十分だった。

 

 

 

 

 




呪術廻戦には頭の回転が早い人しか使えなさそうな術式がいっぱい出てきますが、投射はその一つです。なので直哉も当人なりに実はいろいろ考えてます… 出力がドブカスなだけで
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。