音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
《『予測』ってさ、基本的には菜緒葉さん視点がデフォルトだと思ってただろ? まあ、実際そうだよ。所詮は人間の君達にとっては》
「……真男佳」
《俺は『再生装置』だからさ。再生しているフィルムの中身は、当然全部読めるんだよ。索引も、注釈も、画面の端の余白も、行間も。──彼女が背負い込んだ、地獄の28年分すべてをね》
暗転した空間に、唐突に映像が浮かび上がった。映し出されたのは直哉とお父様だ。直哉の姿は20歳くらいだろうか。あの『予測』の中で、姉弟が動物園へ行った翌朝の光景だ。
底冷えのする日本家屋の長い廊下。朝の冷たい光が差し込んでいるものの、その場を支配するヒリつくような殺気と重圧は、画面越しにもビリビリと肌を刺してきた。
『どういうつもりだ』
押し殺した低い声。当主としての威圧感を纏い、お父様が直哉を睨みつけている。音声はどこかくぐもっていたが、はっきり聞こえた。
『菜緒葉ちゃんの服のこと? ええやろ。なんでいっつもパッとしない着物しか着せへんの。実の娘に』
実の娘。その言葉に菜緒葉ちゃんが隣で無言のまま衝撃を受けているのがわかった。俺は直哉が姉弟関係に気づいていたことを知っている──何なら途中から双子だったことすら察していたんじゃないかと思って『予測』を見ていたが、菜緒葉ちゃんはそこまで深く潜れていなかったらしい。彼女の気持ちは察するに余りあるが、映像は構わず続く。
対する直哉は壁に背を凭れかからせ、全く悪びれる様子もなくヘラヘラと笑っていた。その態度が余計ににお父様の神経を逆撫でしたのだろう。
『違う! 表口から入ってきただろう。おかげで大騒ぎだ。菜緒葉の人生を潰す気か?』
お父様の声に抑えきれない怒気が混じった。
──まあ、俺もこういうイベントが起きてたんだろうとは想像していた。縁談を前にした娘を次期当主候補である息子が外泊させ、あろうことか堂々と正面玄関から連れ帰ってきたのだ。そして、周りは知らないが2人は実の姉弟。ロックどころの話ではない。
『ゆーて菜緒葉ちゃん、泣いとったで。名前も顔も知らん男に嫁がされるのが嫌やて。そんな雑な態度で、父親ヅラして気遣いを語るなや』
『──何も聞かずに、わかりましたと言ってきたんだよ』
吐き捨てるように言ったお父様の顔には、不器用な親としての苛立ちと焦りが滲んでいた。けれども直哉からすると、そんなことはどうでも良かったようだ。見たこともないような冷たい表情を浮かべたままだ。
『は?』
『相手のことも家のこともひとつも気にするそぶりも見せん。どうせお嫁に行く身ですから、当主様のお決めになったことには絶対服従いたします、とな。笑ってだ』
『信用ないんやね。要するに、言っても意味ない関係性って思われとるんやろ』
痛いところを的確に抉り、直哉は嘲笑う。
『俺の信用の有無はどうでもいい! 急拵えにしては相当いい条件、渡りに船だった! 口約束の段階だったからまだいいものの……いや、それ以前に姉だとわかれば冷静になって引っ込むと思った。オマエはその辺りはマトモだと思ってた。──教えた数日後に朝帰り? 正気か』
声をひそめつつも激昂するお父様。お父様の脳内では、娘を逃がそうと組み上げた盤面が無惨に崩されたことへのパニックが起きているのだろう。菜緒葉ちゃんに自覚があったのかは微妙だが、この時期の姉弟の距離感は第三者目線だと相当危なかった。だからこれも突如降って湧いて出た縁談とかではなく、息子と娘の関係を心配する憐れな男がひそかに抱えた危機感の産物だったのだろう。恋愛経験のない菜緒葉ちゃんには、その辺りの推測は少し難しかっただろうが。
『俺も結婚せえへんから。姉弟とか関係ない。菜緒葉ちゃんにガチで本気。他の子は要らん。それでええ?』
全然本気でなさそうに、まるで呼吸でもするような軽さで、直哉はとんでもないことを言った。しかしその口調の裏には重たい執着がへばりついているのが、俺には透けて見えた。
『…………困るのは家だ。無理にでも嫁を取ってもらう』
伝統と血筋の維持。禪院家の呪いそのものの言葉で、お父様が圧をかける。内容は順当でもあるが、直哉を甘やかしきっているイメージのお父様がそういう態度を取るのは意外だった。
しかし直哉は構わず、タブーを軽々と踏み越えた答えを返した。
『ハイハイ。ほな、その時は相伝の種はアンタが俺の嫁につけたらええやん。得意やろ、そういうの』
次の瞬間、お父様が目にも止まらぬ速さで直哉の頬を殴りつけた。呪力と術式を使った拳だ。直哉の身体が吹き飛び、壁に激しく叩きつけられる。
なのに。
口の端からタラタラと血を流しながら、直哉は立ち上がりもしないまま、ひどく嬉しそうにヘラヘラと嗤い続けていた。親の逆鱗に触れ、激痛を与えられたことすらも極上の娯楽であるかのように。
『昨日のことは聞かへんの?』
『……』
『縛りで禁止されてるのは無理強いだけやろ。菜緒葉ちゃんは優しいからすぐ絆される、クソな父親を一度も恨まなかったみたいに』
『……』
『なあ、昨晩、俺と菜緒葉ちゃん、何してきたと思う? 聞く勇気あらへんの? 聞けやカス』
後のことは見えなかった。凄まじい衝撃波が生まれ、轟音と共に分厚い襖と土壁が数枚まとめて吹き飛ぶ。もうもうと舞い上がる土煙が廊下を飲み込み、映像はそこでプツリと途切れた。
俺の隣に座る菜緒葉ちゃんが初めて怒りの声を上げた。
「……コイツら、人の頭越しでよくも。というか、こんな嫌な物を勝手に見せないでくれます?」
《じゃあこっちは?》
ノイズが走り、再び映像が切り替わる。晩酌の座敷だ。
上座に座るお父様が空になった盃をことりと置く。そして、静かに酌をする娘の横顔を、ずいぶん長いあいだ、瞬きもせずに眺めている。
何も言わない。本当に、ただの一言も。
沈黙のまま、彼は再び盃を持ち上げ、ただ酒を煽る。
《この人、何回これやってると思う? 1200回超えてるよ。俺、暇だったから途中までは数えたんだ》
「やめて」
《一度も娘を愛してるって言わなかった。言えば、何かが変わったかもしれないのに。そう言えばシン菜緒葉さん、君が父親と最後に直接話したのっていつだっけ? いっつもマコくんに代わりに話してもらってるもんね》
「やめてって言ってるでしょう!!」
菜緒葉ちゃんが悲鳴のように叫んだ。俺は咄嗟に彼女を背中で庇い、繭に包まれた不気味な投影機をキッと睨みつけた。
「真男佳。今すぐ止めろ」
《──止めるよ。命令されたからじゃなくて、もう十分だからね》
ふっと映像が途切れ、空間に白が戻ってくる。だが、その白は、さっきまでの目が痛くなるような純白ではなく、薄汚れた灰を混ぜたような、淀んだ暗い白だった。
《シン菜緒葉さん、質問。君、姉妹校交流会の開始前にも、俺にこれと同じことをさせてたよね。その時、君は俺のこの行為をなんて呼んでた?》
「……『予測』の、メモリの外部出力……」
《そう大正解。俺達の呪いに耐えられなくなって『予測』の封印が解けた後、俺のボディはそのまま、28年分の絶望を詰め込んだフィルム保管庫に化けたんだ。俺は全部見たよ。禪院家の腐りきった内情も、渋谷事変の惨劇も、死滅回游の総則も、五条悟が封印される未来もね。これほど極上の情報を手に入れた呪霊なんて、歴史上他にいないと思うよ》
「まさか、あなた……」
《それに加えて、このメモリのおかげで君の自己肯定感は見事に大幅ダウンしてくれた。君、自分でも前にそう言ってたよね? 6歳の菜緒葉さんは『予測』の重圧で心が完全に砕け散って、今の君は、その壊れた破片をかき集めて再構成された不完全な存在。純粋な『禪院菜緒葉』なんてもうどこにもいない。──思い出してよ、俺は呪霊なんだぜ? 心の死、後悔、絶望……そういう負の感情による養分は、全部こっちの腹に入る仕組みさ》
「……っ」
《ああ、勿論マコくんも、極上の餌で協力してくれたね。大好きな呪術師殺しが死んだショックで「もっとリラックスできる空間が欲しい」って、数ヶ月間も俺に八つ当たりしてくれて。生得領域を改装したら君、俺が屈服したと思って「やればできるじゃねえか」って得意げに褒めてくれたよね? あれさ、実はシン菜緒葉さんよりマコくんが強いままの暴走状態を保つための、俺の仕込んだ機構だったんだよ》
ガタッと菜緒葉ちゃんが立ち上がる音がした。
「……最近、『定名綴魂』のストレス低減効果が効きづらくなったのは、あなたが意図的に……?」
《そ。バレないギリギリのラインでサボってたの。甚爾のおかげで、君達の心のバランスが大幅に狂った。そこが最高の付け入る隙だったのさ》
「……」
《でも、誤解しないでね。マコくんのドス黒い憎しみを作ったのは、決して俺じゃない。俺の術式は「元々の方向性をもとに、本人が望む方へ上手く誘導する」だけ。五条悟を恨むのも、彼に勝ちたがるのも、全部マコくん自身が自分で選んだこと。その感情が冷めづらかったのには俺の影響もちょっとはあるけど、式神としての機構がここまで暴走して、五条から見て醜くおぞましい状態に成り果ててたのは……》
真男佳は、心底楽しそうに言った。
《やっぱり、全部君が自分で決めたことだよ》
ふと視線をやると、置きっぱなしになっていた会議用のホワイトボードの表面で、赤いマーカーがひとりでに宙を舞い、円を描いていた。その赤い丸の中に、殴り書きのような字で「自己責任」と記される。
《俺、自主性を謳う教育が称揚される現代に生まれた呪霊だからさ。人間の「自由な意思」ってやつは、すごく重んじるんだ》
「テメエ……いい加減にしろよ!」
怒りで頭に血が上り、俺はソファから立ち上がろうとした。しかし動けない。いつの間にか座面から無数の白い糸が生き物のように這い出し、俺の手足や指先にきつく絡みついていた。
《まあ焦らないでよ。まだ最終講義の途中だ。──どうして強固だった『予測』の封印を俺達が破れたかについても、ちゃんと話しておきたいしね》
「……とりあえず聞いてやるよ。せいぜい遺言のつもりで喚いとけ」
俺は抵抗を諦めたふりをして、糸の張力を確かめながら低く唸った。
《まずは、俺の性質について。菜緒葉さんも読んでいた、とある哲学の本にこんな面白い話が出てきた》
日曜の午後、老いた祖母を訪ねるという退屈な義務を負った子供がいる。
古風で権威主義的な父なら「お前の気持ちなど知らん、行って行儀よくしろ、義務を果たせ」と言う。
現代の許容的な父は「おばあちゃんがどれだけ喜ぶか知っているだろう。でも、本当に行きたいときだけ行きなさい」と言う。
子供は誰でもこの罠に気づく。自由な選択に見えるものの下に、はるかに抑圧的な命令がある。祖母を訪ねなければならないだけでなく、それを『楽しまなければならない』のだ。
試しに「選択肢があるなら行かない」と言ってみるといい。父は「おばあちゃんがお前に何をした? どれだけ愛しているか知らないのか?」と罪悪感を煽り返すだろう。
「スラヴォイ・ジジェクですわね。──古風な父は、少なくとも内面の自由までは奪わない。祖母の家へ行くことを好きになれとは要求しないし、好きなふりをしろとも言わない。ただ顔を出し、話を聞き、馬鹿なことを言わずにいろという行動を要求するだけだ。けれど、現代のリベラルで寛容な父にとっては、顔を出すだけでは決して足りない……内面まで服従しろと要求してくる」
《ご名答。それが俺の、『定名綴魂』の仕様。俺は我が子に「行け」と強制はしない。優しく「行きたいんだろう?」と問うだけだ。そして、自らの意思で「行きたい」と言ってしまった哀れな子供は、その後で「やっぱり行きたくなかった」と言う権利を、永遠に失うんだよ》
高尚な哲学の話らしいが、俺にはあんまりピンと来ない。
「要するに、責任取る気もない癖に裏からネチネチ口出す、ヘタレの雑魚父親ってことだろ。陰湿だな。ちっとも怖くなんかないね!」
思いっきり鼻で笑って「ざーこざーこ」と悪口を言ってやった。
《本当にそう思う? ジジェクの答えは否だ。今日の「エディプスの衰退」、すなわち父の象徴的権威の衰退は、まさに「原父」の論理に従って機能する人物たちの回帰をもたらす。全体主義的な政治指導者から、父権的なセクシャルハラスメントの加害者まで。なだめる象徴的権威が停止されると、欲望の不可能性という行き詰まりを避ける唯一の方法は、その到達不可能性の原因を、原初の享楽者を表す専制的な人物に置くことだ。我々が享楽できないのは、あいつが全部の享楽を独占しているからだ、と》
「……?」
哲学用語の羅列に眉をひそめる俺の横で、菜緒葉ちゃんがわかりやすく言い換えた。
「要するに……分かりやすく理不尽なルールを押し付けてくる絶対的な権力者がいない世の中では、人類はかえって裏で全てを支配し、楽しみを独占している見えない黒幕を勝手に想像して怯えるようになった、ってことですわ」
「見えない黒幕? ……真男佳お前まさか、自分がそのポジションだってイキってる訳? お笑い草だな」
《違う違う。俺はむしろ黒幕メーカーのポジションかな。で、創造された見えない黒幕についてだけど……さて──答え合わせをしよう。マコくん。君が『適応』した最大の脅威の名前は?》
「…………五条、悟」
《せいかーい。で、実際君は五条と会ってどう思った?》
繭糸の隙間から不気味に輝くレンズの奥から投げかけられた問いに、俺はしばらく言葉を失った。
どう思ったか、だと?
言えることは色々あるが……。
「まあ、『予測』内の菜緒葉ちゃんが憎悪していたような、呪術界の腐敗の権化ってわけじゃなさそうだね。無神経なとこはあるし、甚爾くんの件についてはまだ一生許す気はないけど……概ね、イイ奴じゃない?」
《いや、彼が呪術界の腐敗の象徴であること自体は、客観的な事実だろ?》
「……」
俺は黙った。
真男佳の言わんとすることが、一瞬で痛いほどわかってしまったからだ。
五条悟は、両面宿儺の器である虎杖悠仁を見逃した。そして過去には、百鬼夜行を引き起こした同級生の夏油傑をも見逃している。俺がクリスマスに起きるものと思っていた破滅は実は2段構えで、五条が取り逃した親友がハロウィンにまた暴れ回るという、壮大な尻拭いの結果だったらしい。
でも、俺には彼のその選択を責められない。
『予測』内の菜緒葉ちゃんのような、末端で理不尽に耐え忍ぶ人からすれば、それは許しがたい悪行だろう。だが、俺達は──今ここにいる「禪院菜緒葉」は、おそらく虎杖悠仁と全く同じ理由で、五条の個人的な情によって見逃されたのだ。
夏油傑の件にしてもそうだ。俺も甚爾くんのためなら同じようなことをする覚悟があった。現に俺は御三家という特権階級のコネを使って彼の遺体をなるべく綺麗に修復させたり、裏から賄賂を使って甚爾くんの遺骨の一部を、お姉様と同じ場所にこっそり埋葬したりした。俺だって、五条と同罪だ。
五条の気持ちはなんだかわかる気がする。誰が五条を責めようと、この世界でただひとりこの俺だけは、五条を絶対責められない。
《五条悟の動機はおそらく善良そのものだ。でも、その動機の清らかさは、彼が御三家の権力を行使してルールをねじ曲げたことや、結果として出た無数の犠牲を正当化するのかな?》
「……あら。今の私は、五条悟のやり方を尊いものだと思いますわよ」
沈黙を破ったのは菜緒葉ちゃんだった。彼女は毅然と言い放った。
「いいじゃありませんか、御三家パワー。総監部の老人たちを一瞬で皆殺しにできるような化物が、わざわざ人間らしい泥臭い手段の中で必死にもがいている。……それは、とても美しいことですわ」
《今の君はそう言うと思ったよ》
真男佳は気味の悪い笑い声を漏らした。
《でも、じゃあ『予測』の菜緒葉さんはどうしてそう思えなかったのかな?》
「それは……大人の私が五条とちゃんと話したことがないからじゃ……」
《ぶっぶー。それ、0点》
挑発的なブザー音。俺は既に、その真の答えを嫌というほど理解していた。菜緒葉ちゃんは因習一族育ちだが、俺は仮にも現代社会でサバイブしてきたのだ。菜緒葉ちゃんが目を逸らしているものの正体など、とっくにわかりきっている。
「五条悟がお父様の敵だったからだ」
《大・正・解》
パチパチパチ、とどこからか無機質な拍手の音が響いた。
《可哀想な女中の菜緒葉さんは、真希ちゃんを憎み、真希ちゃんのママを憎み、直哉くんを憎み、五条悟を憎んだ。でもさ、それって根本を辿れば、どっかの誰かさんがちゃーんと『父親』をやらなかったからだよね?》
「……っ」
菜緒葉ちゃんが息を呑む気配がした。
《禪院直毘人。──『予測』の28年間の中で、この人、一度でも君を殴った? 怒鳴った?》
「……いいえ」
《だよね。彼は「分かりやすく理不尽なルールを押し付けてくる絶対的な権力者」ってヤツじゃなかった。だから大人の君はなかなか気づけなかった。いや、気づきかけた瞬間はあったね》
真男佳の言葉に合わせて、空間のあちこちに映像の断片が浮かび上がる。
《禪院真希。女中の菜緒葉さんが心底惹かれ、同時に激しく嫉妬していた女。禪院直毘人に愛され、機会を与えられ、自分の憧れる道に力強く邁進する娘であることが、菜緒葉さんから見た彼女が『光』であった理由だ。そこに付随する菜緒葉さんのセクシャリティの問題は一旦どうでもいい……いや、俺としては『予測』の中の彼女が呪術師を目指す博打を打てなかったのは、直哉くんへの気遣いや忌み子の引け目だけでなくて、『常日頃から女にメロついてる「異常」な女なのが禪院のみんなにバレて迫害されるのが怖くて、今よりもっと目立つような異常行動には走れなかったから』じゃないかと思うから、人生のトータルで言えばそんなにどうでもいい要素じゃないんだろうけどね》
おそらくは当たっているが、それゆえに尚更悪意に満ちた分析が、灰色の空間にねっとりと響き渡る。
《とにかく、禪院真希が受けた昇級妨害に、女中の菜緒葉さんは大ショックを受けた》
「……」
《禪院直毘人は姪を躯倶留隊に入れて、呪術高専へも行かせた。呪術師になることを禁止せず、昇級だけ止めた。この意味はわかる?》
真男佳のその問いには俺が代わりに答えた。
「俺達もやられた。実力相応の危険な任務に出したら、殉職の可能性が出てくるからね」
《……それだけじゃないだろ》
「当主になると言い出して家出したことへの対処だ。真希ちゃんが下っ端のまま燻っていれば、真希ちゃんを嫌ってた人たちは溜飲を下げる。善人であっても『呪術高専に行かせてもらってるなら等級さえもらえなかった甚爾くんより断然マシな配慮を受けてるじゃん、自分の言動の責任は自分で取れよ』となって助ける気を失くす。……親の悪口はあんま言いたくないけど、最高にズル賢い戦略だな」
《だねぇ。優秀な善人を取り込んで従順にさせておくのが体制維持の秘訣だよ。だからああいう穏健派閥に囲い込まれるタイプの改革派の若者ほど、組織に都合のいい存在っていないよね。構成員が全員直哉くんみたいな家なら「さっさと滅べ」ってなるけど、蘭太くんみたいなのがいると「皆殺しなんて残酷すぎるよ」感が出るだろう? 特に君達みたいなちょろい人間目線だとね》
他人事みたいに──実際他人事なのだが、真男佳は笑い交じりに言った。
このクソ呪霊、俺と仲のいい相手を1人ずつ徹底的にこき下ろして、精神攻撃を仕掛けていく気なのか?
手元の糸を断ち切り、俺は立ち上がった。真男佳の言いたいことの全容が、少しずつだが見えてきた。
コイツは──。
《まだある。もし真希ちゃんが呪術師としての出世を諦めたとして、結婚する相手は間違いなく禪院ではなく呪術高専のツテで見つける。『予測』での噂通りに特級呪術師を婿として捕まえてきたら、あの禪院扇でさえワンチャン手のひらを返したよね? とりあえず躯倶留隊と女中ネットワークが表面上彼女にへーこらするようになるのは確実。そうすれば真希ちゃんはそこそこハッピーになるし、優秀な血を迎え入れるのは禪院家全体にとっても利益だ》
「……」
《逆に、そういう不潔な道に流されず必死に頑張って、独力で1級まで行ったとしよう。そうすれば禪院家に最高に優秀な呪術師が1人増える。この場合の方が、禪院扇が手のひらを返す可能性はより高い。蘭太くんは順当にお祝いするだろうし、直哉くんもしぶしぶ認めそう。美談だよ、美談。不遇な1人の女の子が一生懸命頑張って、自らの力で古い禪院家に新しい風を吹かせましたよ、ってね》
ホワイトボードに描かれた『自己責任』の赤い丸が、脈打つように明滅している。
《どのパターンに転んでも全部の結果が家の得になる完璧な盤面を組んで、あとは真希ちゃんが血と汗と涙の犠牲を払って、血眼になって頑張るのを特等席で待つだけ。──禪院直毘人はきちんと選択の自由をあたえたんだから、あとは全部、真希ちゃんの自己責任》
ピタリ、と映像が消えた。
《君の父親は俺そのものだよ、シン菜緒葉さん。滅多に理不尽を押し付けてこなくて、賢くて、話が通じて──そして強制なしに、自分の望み通りの盤面を完成させる男》
その言葉が、澱んだ白い空間に響いた。
「よくわかりましたわ。……〈父〉に支配された世界をシミュレーションした『予測』の内容は、現代の父を司る呪いであるあなたと相性抜群だったという訳ですわね」
《イエス。加えて君が喰らった黒沐死の呪力だ。ワモンゴキブリやクロゴキブリを含むPeriplaneta属は、単為生殖能を持つことが古い文献で紹介されている。メス同士をグループにすると単為生殖卵の形成が促進されるんだ。1匹の雌が卵鞘を一つ作り、その中に複数の卵が並ぶ。無限に単為生殖する雌のゴキブリ。シン菜緒葉さんの『人類総魔法少女化計画』みたいでしょ。君の食べた黒沐死はね、〈父〉のいない娘だったんだよ》
「御託はもう結構。まとめると、『予測』を使ってあなたは自分を強化し、マコくんを暴走させ、五条とぶつけようと踏んだ。で、私たち両方が弱ってる今がずっと狙っていた乗っ取りのチャンスだとでも? 愚かなこと」
菜緒葉ちゃんは不敵に笑い、言い捨てた。
俺も同感だ。
「そうだ! そもそも五条がこんな異変に気づかないわけがない! 100歩譲ってオマエが乗っ取りに成功したとしても、一瞬で五条に祓われて終了だよ」
真男佳は嘲笑の声を上げた。
《おやおや、忘れたのかい。俺はもう、五条悟の心に触れた。泣いているシン菜緒葉さんを慰めるために、彼は無害な面白オブジェクトを装っていた俺に触れ、この空間に綺麗な沖縄の水族館を投影してくれただろう? 流石に彼は手強くて、バレないように魂に触れるのは至難の業だったけどね、ほんの1個だけ、暗示を与えることに成功した。『禪院菜緒葉の中身が呪霊になっていたとしても、絶対に気づかない』ってね》
「なっ……!?」
その瞬間だった。
空間の中央に鎮座していた巨大な白い繭がドロリと溶け始めた。粘着質な液体となって崩れ落ちる繭糸の中から現れたのは、無機質なプラネタリウムの投影機ではない。鉄の部品が軋みを上げ、肉と骨のようにひしゃげ、再構成されていく。
直感的に、羽化だと思った。
繭の中から現れたのは、見慣れた姿だった。
白い口髭を蓄えた、和服の男。
──お父様。禪院直毘人。
それは真男佳が吸収した28年分の絶望の根源、禪院家の象徴、〈父〉という絶対的な呪いの受肉だった。
偽りの父親はかつて数え切れないほどそうしたように不敵に笑って、こう告げた。
《俺は何も強制しない。自由に選ばせてやる。──マコくんはシン菜緒葉さんとこの箱庭で、ずっとふたり仲良く暮らしたらいい。誰にも邪魔されずに。表の体は、俺が有効に使ってやる。それでも君達は損しないだろ? 二度と会えないかもしれなかった一番大事な相手と、心ゆくまで愛し合え。君達は、永遠にここで満たされろ》
それは、最悪の「自由な選択」の提示だった。
マコは「俺と五条は同類なんだ…」的なことを言ってますが、マコが原作の学生五条と同じ立場だった場合には新宿で闇堕ち直後の夏油を倒したあと手足を落として監禁し、合間でストレスによる奇行を挟みつつ、10年くらいしてほとぼりが冷めたところで「大量殺人者としての君はもう死んだ…」と言いながらTSさせます!