音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
鼓膜の破れそうな轟音とともに突如視界が反転した。
胸に穴が空いたのを、痛みより先に音で知った。ひゅう、と自分の中を風が通る音。ボロ布みたいに体が跳ねて、背中から地面に落ちる。三度、四度と跳ねて、最後に何か硬いものにぶつかって止まった。
学習机だった。スチールの脚が半分ほど土に埋まって、律儀に前を向いて並んでいる。なんと教室ひとつ分。
その正面には教壇と黒板が、同じように地面へ突き刺さっていた。
虚無は消えていた。
俺が寝転がっているのは踏み固められた乾いた土だ。見渡す限り何もない。木も塀も建物もない。ただ広い。空は白いが、太陽がない。風がない。鳥も虫も、遠くの車の音もない。音のない屋外というのはこんなにも気味が悪いものなのか。
ここは禪院家の野外訓練場だ。
長寿郎おじい様が、何十年か前に術式で土を固めて作った場所。
障害物なし、遮蔽なし。俺(とごく稀に菜緒葉ちゃん)も、直哉との模擬戦闘でたまに使う。使うたびに、俺の戦績は微妙になる。
その訓練場の中心に、教室の隅から引きずってきたみたいなホワイトボードだけが場違いに立っていた。赤い丸の中の「自己責任」の文字が、まだ乾いていない。現実離れした光景。
胸の穴が粘土を指で寄せるみたいに塞がっていく。 その向こうで、お父様の姿をした真男佳がゆっくりと立ち上がった。
《やあ。まずは1問目》
口調は全然違うのに、声はお父様だった。喉の奥で笑うときの、あの少し掠れた低音まで正確に。
《俺に主人格の座を譲る。イエスかノーで答えて。……大丈夫、間違えても減点はしないよ。試験は何回でも受け直せるからね》
「ノーに決まってんだろ。あと、その顔で喋んな」
《声も似せたんだけどな。褒めてくれてもよくない?》
「口調が違いすぎてキモいんだよ」
《おっと。じゃあ二問目に行こうか》
声が聞こえた時には、真男佳はもう背後にいた。
後頭部への衝撃。
西瓜が割れる音を、俺は自分の頭蓋の内側から聞いた。
息を吹き返したのは土の上だった。頬に細かい砂粒が食い込んでいる。頭も内臓も元通りだ。……この空間で真男佳をしばき倒したとき、うっかり脳みそにあたる部位を潰したことが何度かある。それでもあいつは翌日にはヘラヘラ喋っていた。ここにあるのは実物の肉体じゃない。心が折れきらない限り、俺たちは何度でも五体満足で立ち上がる。
顔を上げると、目の前で真男佳の首が落ちていた。 お父様の首が土の上に転がって、切断面から赤黒い血を噴いている。
その少し先に、指を伸ばしたままの菜緒葉ちゃんが立っていて、怒ったような切迫したような声を上げる。
「──バカ! さっさと逃げなさいマコくん!」
言われて転がると同時に、一瞬前まで俺の頭があった位置を、首のない体が正確に蹴り抜いた。
速い。不自然なまでに速い。
予備動作がない。
踏み込みの前にもう蹴り終わっている。
この加速を、俺は飽きるほど見ている。
真男佳の持つ『定名綴魂』。対象の魂を再配置し、精神や肉体まで捻じ曲げるこの術式だが、イレギュラーな魂を持つ俺達には致命傷を与えることはできない。敵に回ったところで脅威としてはたかが知れたものだろうと、俺は正直完全に舐め腐っていた。だが、奴は自らの魂を最悪の形に『改造』したのだ。菜緒葉ちゃんの28年分の絶望を燃料とし、肉体の隅々までお父様を再現した。その結果がこれだ。
真男佳は転がった自分の首を拾い上げると、帽子でも被り直すみたいに肩へ載せた。継ぎ目が消える。
《『投射呪法』。視界を起点に1秒を24分割し、あらかじめ作成した動きを自動でトレースする。失敗すれば1秒スタン。生物非生物を問わず、触れた対象への適用が可能》
澱みなく諳んじて、真男佳は首を軽く回した。
《術式開示ってやつをやってみたけど、これ、効くのかな。どうせ種は割れてるけど》
「効かねーよ。開示は隠してた手の内を晒すから割に合うんだろ。全部バレきってるもんを読み上げても、ただの音読だ」
《手厳しいなぁ。じゃあ実験結果は「効果なし」と。ノートに書いといてよ》
「テメェのノートは自分で取れ」
言いながら、俺は膝を折って地面に指を突き立てた。
「『蜘蛛の糸・改』──」
これは『投射呪法』対策のために生み出した技だ。1秒スタンを凄まじく老獪に使いこなす本物のお父様はギリギリ対処したりもするが、直哉相手にはかなり効く。
術式発動。
ガガッ、と乾いた音。地面に蜘蛛の巣状の切り込み線が入り──それだけだった。崩れない。砂礫が跳ねない。切れ目の入った土は、切れ目が入ったまま、平らな足場としてそこに居座っている。
真男佳はその上を、何事もなく踏んだ。
《うん、そうなるよね》
「……」
《転んでも大怪我しない程度に硬くて、踏み外す隙間だけがない。子供を何十年も転がすための地面だからね。──いい教室だと思わない?》
「テメェがステージを操作してるのか」
《当たり前でしょ。会場を決めるのは試験を作る側だよ》
学習机は背中に当たった時には痛かった。地面も踏みしめた感覚がある。けれども地面は崩れない。何もない平地は、相手の呪力を刻んで返す俺にとって、素材のない厨房と同じだ。
《ちなみにさ》
真男佳が思い出したように言った。
《君ら、長寿郎さんの歳、知ってる?》
「……知らねぇよ。何回聞いても教えてくれねーもん、あの人」
《俺は知ってるよ》
言って、それきりだった。
答えは言わない。教えない。
この呪霊の一番嫌なところが出た。索引も注釈も余白も読める再生装置は俺の知らないことを知っていて、知っているという事実だけを机の上に置いていく。
「そんなことよりも、マコくん、右!」
菜緒葉ちゃんの声と同時に指を薙ぐ。菜緒葉ちゃんが放った、前方全面に格子状の切断線。俺は隙間を縫って側面から横向きに2本。挟み込みの形だ。
真男佳は避けなかった。
お父様のカタチをしたモノが格子に沿って16の肉塊に分かれ、分かれながら前へ出た。落ちる前に繋がる。繋がりながら加速する。
そのスピードは直哉よりも、お父様よりも速い。自壊を恐れない速度だった。
《いい連携だ。──で、次の質問》
菜緒葉ちゃんの体が真横に吹き飛んだ。並んだ学習机に突っ込む音。天板が3枚まとめて折れる。
《シン菜緒葉さん。君ん家の術式で一番古いのってどれだと思う?》
菜緒葉ちゃんは息を乱しながら顔を上げた。結んでいた髪がほどけかけている。
「……はぁ、十種影法術?」
《いや、実は『構築術式』の方が古いよ。ハズレ扱いで相伝認定されてないから影が薄いんだ。ま、それでも呪力量や出力、縛りのセンス次第では1級になれるから……術式の当たりハズレを云々するのって、ちょっとナンセンスだと思うけど。君らの『御厨子』モドキも、初期段階では微妙どころの話じゃなかった訳だし》
俺は気配を消し、反転術式を掌に練りながら距離を詰めた。呪霊にとって正のエネルギーは絶対的な猛毒だ。頭を潰した上で内側から治癒をぶち込めば、構造ごと拒絶反応で崩れる。
その顔に対する躊躇いを堪えて無言で拳を叩き込むと、真男佳の頭蓋が弾ける。 しかし弾けた端から丁寧に元へ戻っていく。
なんだこれ。変な感じだ。
アウトプットは間違いなくできている。手応えもある。なのに、こいつの体は俺の治癒を拒絶しない。
《あ、それ無駄だよ。俺の術式、今はこの世界の形ごとこっちで定義する仕様にしてあるから、反転術式も外で使うのとはちょっと違うことになるんだ。俺の体が勝手に恒常性を保つ》
「……道理で気持ち悪い訳だ。自作自演の体してんな」
《自己管理と言ってほしいね。──で、実は、最古の術式は結局資料が残ってないからよくわからないんだけれども、『投射呪法』の先祖については、俺の見解では蘭太くんのじゃないかと思うんだよね》
真男佳は教壇に片手をついて、板書を促すような間を取った。地面に突き刺さった教壇に。
《自分の眼球と同期する仮想の眼球を具現化させて、その目で見たものを鈍らせる、止める。呪力があろうがなかろうが、石ころだろうが効く。邪視だね。地中海圏を中心に世界中どこにでもある、非常に古い呪いの形だ。禪院家はもともと、光にまつわる術式の家なんだよ。目、影、像。『十種影法術』だって、手の作った影を外に出す術だろう?》
「……詳しいじゃん」
《フィルムに入ってる》
「便利なレンタルビデオ屋だな。延滞料金は払ってたの?」
《君らからは毎日ちゃんと徴収してた》
その一言で白い空の下の温度が下がった気がした。俺たちの絶望が全部こいつの飯だったことを、よくもまあこんな軽い言い回しで思い出させてくれるものだ。
菜緒葉ちゃんが、折れた机を押しのけて立ち上がった。口の端が切れている。
「……写真が日本に入ってきたのが、『投射呪法』の始まりかしら」
《おっ》
「写真を撮られると魂を抜かれる。影を取られる。寿命が縮む。──あの信仰、間違っていませんわ。カメラは、機械の邪視ですもの」
《90点。続けて》
「止めた像を1秒に24回めくって、もう一度動かすのが映画。だから『投射呪法』は最新の相伝。もとは自分が速くなる術ではなく、触れた相手に術者の描いた動きの列を課して、なぞれなければ止める──型を強いる術だった。走馬灯とカメラから生えた呪いは、分家に残った古い呪いと違って、眼球を内に籠らせた」
《95点。惜しいな。あと5点は?》
「……お父様が、縛りで最適化した。他人を止める術を、自分を刻む術に折り返した。おかげで『投射呪法』の格は上がり、お父様は五条悟を除けば最速の術師に。──満点でしょう?」
《花丸をあげようか》
真男佳はお父様の顔で、心底楽しそうに笑った。
《でも、ピーキーな術式だよ。その分『十種影法術』より格は落ちるし、それどころか通常運用なら甚壱くんの術式の方が「当たり」の相伝と言えそうだ。常人の情報処理能力と空間把握能力、決断速度での実用は不可能。……子供の頃からこれを完璧に運用できていた直哉くんは、だから天才って呼ばれたんだ。あの子の唯一、誰にも文句をつけられない部分だね》
「……お前は、なんで使える?」
俺は言った。
《おっ、いい着眼点。──どうしてだと思う?》
真男佳がお父様の顔で、お父様が良く浮かべる笑みを浮かべながら問う。
「呪霊食の副作用ですわね」
答えたのは菜緒葉ちゃんだった。声が平坦だった。恐怖ではなく、計算が終わった者の平坦さだ。
「『予測』の内容は、調理者由来の悪夢として、食べた人間に届くことがある。あなたの肉を直哉は喰い、そしてその結果、直哉の感情にまつわる信号を拾えるような接続ができた。数年前にあなたはそう言っていましたわね』
《うん》
「あなたはあの時、接続は数ヶ月で消えると言った」
《どうだっけ》
「消えていなかったんでしょう」
《俺、嘘は言わない主義だから。実のところ「消える」じゃなくて「消えると思うよ」って言っていたはずだ。覚えてない?》
そんな何年も前のことなんて覚えていない。俺はそれをそういうものだと思って、それきり考えなかった。
直哉の視点で再生された『予測』。つまり、特別1級術師の実戦経験。プラス特級呪霊と化した後の戦闘。それをこいつはずっと──。
「……冗談だろ」
というか、真希ちゃんは結局どうやって呪霊直哉に勝ったんだっけ。
その辺の『予測』は破損していたので、上手く読み込めていない。
厳密には、最期に領域内で背中を刺される直哉の一瞬のイメージだけが明瞭だ。残りは「真依ちゃんに聞いてみよか」のショックで術者の菜緒葉ちゃんが完全に壊れてしまっていたせいか映像がバグり気味なうえ、支離滅裂な「存在しない記憶」が大量に入り混じって使い物にならないのだ。
真希ちゃんと加茂家の同級生(?)のピンチに菜緒葉ちゃんの「直哉を成敗したいですの!」という欲求により召喚されたかのようなポッと出の強すぎる剣士がお助けキャラとして登場したり、真希ちゃんが河童と相撲を取る修行編が開始したり……そしてその合間では、禪院家の面々が仲良くきららジャンプの練習をしているほのぼの映像が上映されていた(音MADでごくまれに見かけるシーンだ)。
信朗と蘭太くんは大人の菜緒葉ちゃんが必死にお願いすればきららジャンプの撮影会に付き合ってくれそうだけど、甚壱くんと長寿郎おじい様は流石に絶対無理だろ。
というか、この段階では確実に全員死人なのでは??
剣士登場は都合が良すぎる気もするが、助っ人がいないと真希ちゃんが負けそうなのでとりあえずガチと仮定し、そして真希ちゃんはなんだかんだで呪霊直哉を成敗したんだろうけど……残りはなぁ。
絶対幻覚だよ。
俺がこれまでの人生で戦ったどの呪霊よりも呪霊の直哉は強かったけど、マジでどうすんのコレ?
《本当はカオリン由来の記録の方が面白そうで拾いたかったんだけどね、彼女の身体は普通に生きてる人間のモノじゃないし、『予測』にも出てこないみたいだから……まあ、直哉くんで妥協さ、妥協! と、──ここまで念を入れて初見の知識を講義したら、マトモな術式開示としてカウントされて、出力が強化されたりしないかなぁ?》
真男佳が指を鳴らした。地面に埋まった学習机が、根こそぎ引き抜かれるように一斉に浮き上がる。
《ほらぁ、これも懐かしいだろ。「子供のモノは自分のモノ」。覚えてる?》
「その曲芸、大して面白くないから飽きましたわ! 少しは新作をお出しなさいませ!」
菜緒葉ちゃんが叫び、飛来する天板を斬り伏せる。割れた板が左右から挟み込んでくる。俺は身をかがめて土に指を突き立てた。今度は跳ね上げようとはしない。机の一群を足場ごと斜めに削って崩す。
崩れた鉄の山の向こうから現れる真男佳のスピードは目で追うのもやっと。直哉のトップスピードである亜音速を超えている。しかし、進行方向はわかっているのだから、一面を覆う斬撃を罠のように用意してさえおけば──。
《やめてくれ菜緒葉》
お父様の声が、お父様の口調で言った。
思わず、手の動きが止まった。
「マコくん、何やってるんですの!」
菜緒葉ちゃんの怒声が飛んだ。
「この手の精神攻撃、アニメで見るたびに滅茶苦茶バカにしてたじゃない! 『いや幻覚だってわかってんだから殴れよ』『主人公はここで泣くな』って!」
「わかってるって……!」
「じゃあ殴りなさい!」
「わかってるんだけど──俺、リアルでは殺人したことなかったから!」
言った瞬間、顎を粉砕された。
《どうした? 避けないとまた死ぬぞ》
真男佳はお父様の顔で薄く笑った。
《父親の形をしたものを殺し続けるのは、そんなに苦しいかい?》
苦しいよ。苦しいに決まってる。
俺は禪院直毘人のことが好きだ。
実際は菜緒葉ちゃんの父親だけど、俺自身としては、もはや本当の父親だと思って接している。
だが。
「マコくん。……前衛はここからは私がやります。ここからは援護中心でお願い」
菜緒葉ちゃんが俺を後方に投げ、前に出た。真男佳の顔を、真正面から見上げている。その目には何の揺らぎもなかった。
「私、お父様のお顔を正面から見たことなんて、数えるほどしかありませんの」
……ああ。 そうか。
こいつが被った仮面は、俺には効いて、この子には効かない。
菜緒葉ちゃんが最後にお父様としっかりとした会話を交わしたのは、菜緒葉ちゃんが直哉の股間をキックし「あなたで音MADを作りたい」と言い放った事件の直後だ。
あの時、お父様は菜緒葉ちゃんを術師にする気はない、いい家に嫁に行かせる、というようなことを告げ、菜緒葉ちゃんを生得領域に引きこもらせた。もう10年近く前の話になると思う。
《へえ》
真男佳が、初めて少し声の調子を変えた。
《それ、悲しい話だと思わない?》
「思いますわよ。でも、あなたに言われる筋合いはございませんわね」
菜緒葉ちゃんは真男佳に抱きつくように近づき、その指が愛おしげにお父様の喉を撫でた。3秒後にその首が、6秒後に腕が飛んだ。
◇
頭を潰されること4回。胴を両断されること3回。心臓を抉り出されること3回。
痛みは全部ある。普通に痛い。死ぬほど痛いから、当然死にたくない。脳が痛みを記録し、記録した分だけ次の一歩が遅れる。真男佳は攻め方を毎回変えてきた。教師というのは、生徒の苦手分野を丁寧に潰してくるものだ。
固定した空気を拳で砕いて爆ぜさせるという、現実の弟も最近よくやる技の大規模バージョンで俺と菜緒葉ちゃんを吹き飛ばしてから、真男佳は空中を蹴ってこちらに来た。こちらもお父様がやっていたのを見たことがある。これが中々厄介で、的として巨大なデカブツの呪霊ならともかく、人間がマッハで空を飛んでくるというのはなかなかに面倒くさい。
《6回目。まだ立てる?》
「立てるに決まってんだろ」
《7回目。ねえ、痛いのって慣れると思う? 俺はあまりそうは思わないな。人間の体は、そういう風にできてない》
「……呪霊が知った口利くなよ。痛いのに慣れるシステムかもしれないじゃん」
《だから質問の体裁を取ってるんだよ》
前衛の菜緒葉ちゃんは俺よりもっと沢山死んでいる。真男佳自身はさらに沢山。本来なら呪力切れで何らかの決着がつきそうなものだが、五条相手の縛りで一度は無限になった呪力の余波なのか、それとも真男佳が細工でもしているのか、中々そうは行かない。
俺が9回目の復活を遂げている最中に、菜緒葉ちゃんが呟くように言った。
「……直哉にそっくりの動きなのに、あなた、迷いなく私達の顔を蹴るし、お腹をぶち抜くんですのね」
6歳のとき、直哉は顔を狙うのを躊躇って、左肩を殴った。乳母にそう躾けられて育ったからだ。あんな躾のどこが優しさかとその時は思ったし、今も思っているが、それでも直哉は未だにそんな感じだ。
真男佳は同じ体の動かし方で、直哉がやらないことを平然とやる。
《そりゃそうだよ。俺は直哉くんじゃないもの。あの子、マコくんなしですら殺人に失敗するヘタレだろ。俺はそんなヘマはしない》
視界が再び暗転する。
11回目の死を過ぎて、土の上でゆっくりと立ち上がりながら、俺は自分の指を見た。
俺は対人戦がそんなに得意じゃない。
俺の縛りは、生きた人間は生涯斬らないというものだ。その代わり斬撃の質は菜緒葉ちゃんのそれよりもいい。対人戦で俺の勝率が微妙なのは、人を相手にした瞬間、手数の半分が使えなくなるからだ。しかもこの地面はそれを更に削る。ついでに人間を殴るの自体にうっすら抵抗感があるし、相手の呪力を味わえば味わう程、次第に相手への情が湧いてくる。
でも、目の前にいるのは人間じゃない。
呪霊だ。
「……うん。なんかもう、段々どうでもよくなってきたな」
痛覚が振り切れて、脳内で何かのリミッターが外れる音がした。父親の顔? 知るかそんなもん。あの人の顔にあの動きを載せている時点で、これはあの人じゃない。ただの的だ。
《元々大して躊躇ってないだろ。何十回も殺してきてるし。でも、君たちに勝機は──》
「あるよ」
俺は笑い飛ばした。
「菜緒葉ちゃんは段々オマエの動きに着いてくるようになってきている。この調子だと空気の面を捉えて、空中ジャンプをマスターしちゃうかもね」
《希望的観測ってやつ?》
「うるさい。──あとさ、この会場選んだの、失敗だったな」
《ほう?》
「逃げ場がないのが不利なのは、逃げる側だけだろ」
言い終わる前に、菜緒葉ちゃんが動いていた。真男佳の拳が菜緒葉ちゃんの胸を貫いた。貫かれたまま、彼女は笑ってその手首を掴み、手のひらを引きずりだす。掴んだ位置から3秒。切断線が肘まで走る。その手のひらに触れて菜緒葉ちゃんが加速。真男佳に絞め技をかける。その間に俺は真男佳の呪力をカット。それを刻んで、並べ替えて、返す。
「『カットアップ・サンプリング・リミックス』」
真男佳の左半身が、内側から弾けた。
《……》
爆発が続く。
真男佳が何も言えないうちに、爆破し続ける。「もう参りました、諦めます、死にたいです、殺してください」と懇願するまで、これを続けてやる。父親の顔をしたものを殺すのはともかく、拷問するのはしんどいが、そろそろやらなきゃ埒が明かない。
父親の顔をした化物を、娘である俺たちが何度も何度もミンチに変える。悪夢みたいな無限ループの泥試合が、そうして幕を開けた。
イカレ女の幻覚扱いされている三代六十四に悲しき現在