音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
「マコくん、私、コイツの倒し方の最適解が解った気がしますわ」
過酷な死闘の最中だというのに菜緒葉ちゃんの声は砂糖菓子のように甘やかで、そしてどこまでも楽しそうだった。
《へえ。聞かせてよ》
崩れた団地の中心で傾きながらそびえ立つ給水塔の最上部──そのフチに立った真男佳が、余裕たっぷりに両腕を広げてみせる。だが、そのポーズはもはや痛々しいほどの虚勢に満ちていた。
無数の脚をカサつかせていたゴキブリの大群はとっくに底をつき、足元に広がる団地群はテクスチャのコピペがバレてすっぴん晒し状態。おまけに自信満々だった現代社会の講義は粉々に論破され、お父様の顔を模したその顔面には、もはや隠しきれない焦燥がへばりついている。お父様のビジュアルで、よくもまああそこまで三下らしくダサくなれるものだ。
菜緒葉ちゃんは蔑むように目を細めた。
「ええ、喜んで。──真男佳、あなたしばらく前に言いましたわよね。『この精神領域のプロジェクション設定の選択権は、今は俺の手元にある』って」
《言ったね》
「『会場を決めるのは試験を作る側だよ』とも」
《言った言った。で?》
菜緒葉ちゃんは可憐に唇を綻ばせた。その瞳の奥には、獲物の急所を正確に見定めた処刑人の光が宿っている。
「その設定、どうやって回してますの?」
真男佳の貼りついたような笑みが、ほんの一瞬だけピキリとフリーズした。
《……何が言いたいのかな》
「この団地の舞台設定は明らかに手抜き。マコくんが指摘した通り、1棟だけ真面目にレンダリングして、あとはコピペで水増しした張り子です。──ねえ、どうして手を抜いたのかしら?」
《節約だよ。リソースの最適化だ。賢いだろ?》
「ええ、節約。つまり──有限なんですのよ。あなたのプロジェクターの光量は」
そうだ。この空間で、コイツは無限に肉体を再構築する。痛みを麻痺させ、死すら超越して笑ってみせる。だが、この巨大な精神空間そのものを構築し、維持し、映像を流し続けるためのレンダリング・コストは、完全に別枠で走り続けているのだ!
「あなたは『予測』のフィルム保管庫。そして再生装置。──でも、投影機自体は自分で発電しませんの。ねえ、思い出して? あなた、ここ数年、何を食べて生きてきたんでしたっけ?」
《…………》
「私達の絶望ですわ。『予測』のせいで私にかかっていた負荷を徴収してた、って自分で言ったでしょう?」
菜緒葉ちゃんは嘲笑を深め、優雅に自らの胸元へ手を置いた。
「あなたの燃料は、私とマコくんが日々生産させられていた負の感情。今この瞬間も、あなたはそれをストローで吸い上げながら、この安っぽい団地劇場を維持している。……ゴキブリの大群を出したのも、お父様のお顔を被ったのも、マコくんにショックイメージを叩き込んだのも、直哉を呪霊にする最悪の提案をしたのも──ぜーんぶ、私達を揺さぶって、追加の燃料をカツアゲするためですわよね?」
膝を打つどころの騒ぎじゃない。
あの執拗で嫌味な精神攻撃のラッシュは、やはり俺たちの心を折るためだけのブラフじゃなかった! 俺たちの感情を激しく撹乱して怒りや絶望を搾り取り、それをそのまま発電機にくべて、この精神世界を維持していたんだ。だから、俺達の心が完全に壊れて廃人になって、感情すら持たない状態になってしまったら困る。程よい曇らせ具合の維持が、真男佳にとっては必要不可欠な復活手段だった。
そして真男佳のこれまでの最大収入は間違いなく「真依ちゃんに聞いてみよか」という、実の姉からすると絶対耐えられないような邪悪発言にまつわる疑惑である。なのについさっき、俺は菜緒葉ちゃんに、直哉を擁護する新説による癒やしを提供してしまった。加えて今後は『予測』メモリの受け渡しによる菜緒葉ちゃんの負荷減少により、絶望収入は先細り確定。リベラル系父性呪霊である真男佳は既に呪霊時代ほどの術式の強度を持てていないのだから、司る恐怖からして俺達に「自由な選択」をさせて支配権を奪取するしかない。その最大の機会は今で、真男佳はそこに全てを賭けた。
なんだよそれ! 堂々としたラスボス気取りだったくせに、実態は自転車操業の極小零細企業じゃねえか!!
そりゃそうだよな! コイツは何年も俺達の奴隷だったんだし、こっそり逆襲を目論んでたっつってもまあそんなもんだよ!!
真男佳は笑みを必死に保ったまま言った。
《………だとしたら、何だっていうんだい? 君達は感情を完全には止められない。怒りも、悲しみも、弟への罪悪感もね。人間である限り、君達は俺に燃料を供給し続けるんだよ!》
「ええ。止められませんわね。人間ですもの」
菜緒葉ちゃんはあっさりと認めた。そして、真男佳のプライドを無惨に踏みにじる宣戦布告を突きつけた。
「──だから、フィルムの方を
彼女が指先を優雅に一閃させると、真男佳を包囲していた光の刃が、霧が霧散するように一斉に消失した。攻撃の手を完全に止めたのだ。
真男佳が、いよいよ余裕を失った顔で眉をひそめる。
《何をする気だ……物理攻撃を諦めて、降伏でもする気かい? 『予測』のメモリは人間の魂にとっては負荷が強すぎる。取り返すなんて無理に決まってるじゃないか》
「無意味な希望的観測は却って惨めですわよ、真男佳。……マコくん。『空音滞図』、いける?」
言われるまでもない。
いつも通りに領域を展開すれば、真男佳のデータポイズニングと術式の焼き切れの両方に襲われて、自爆行為になると思い込んでいた。
だが、違ったのだ。
菜緒葉ちゃんの術式が演算し、俺が請け負い直した『予測』をその負荷ごと横からこっそり盗んで自分の保管庫に詰め込み、勝手に上映して、勝手に入場料を徴収していた……ただの無断転載・無許可上映の悪質な違法配信者。
それが真男佳の正体だ。
受け取り時の『予測』の負荷が案外軽かったのだって、本来俺に直接届くはずだった生データの大部分を、コイツがプロジェクターのフィルムとして抜き取っていたからだった。
ならば俺は渾身の領域を展開し、真男佳からそれを奪い返してやる!
いや──オリジナルの権利者が誰なのか、分からせてやるんだ!!
「──調子に乗って無断転載してんじゃねえぞ、違法アップローダーが。領域展開──」
印を結ぶ俺に、真男佳が叫ぶ。
《や、やめろッ! また音MADにして全てを解決する気かよ??! 精神領域の主導権は俺に──領域展開『無縫綴天』!!》
五条の『無量空処』のような洗練された宇宙ではない、星座の絵が天井に貼り付いたような空が真男佳の周囲から無理やり広がり始める。息が詰まるほど閉鎖的な、プラネタリウムの偽の星空。それが、俺達を閉じ込めようと空間を押し潰すように迫る。
だが──結界術の練度も、術式の純度も、そして何より素材の所有権の重みが違いすぎた。
「──『空音滞図』」
ガラスが砕け散るような澄んだ破砕音と共に、真男佳の描いた安物プラネタリウムの偽空が、内側から爆散した。
代わりにこの歪んだ公団団地の空間全体を塗りつぶした白の中に──巨大なDAWソフトの波形データと、鼓膜を直接殴りつけてくるような、圧倒的な低音域の波が流れ込む。
「さあマコくん! あの映画泥棒のフィルムを、最高のエンタメに料理して差し上げなさい!」
「任せろ菜緒葉ちゃん!! 肖像権保護の限界をぶっちぎった、悪夢のナイトコア・リミックスの時間だぁぁぁぁッッ!!」
俺の『カットアップ・サンプリング・リミックス』が、真男佳の保管庫からあふれ出たトラウマの暗黒フィルムをまるごと引っつかみ、超高速で切り刻み、繋ぎ合わせ、BPMを強引に跳ね上げる。
禪院家の人々が苦しみ、絶望し、呪い合った未来の凄惨な映像──そのすべてがハイテンポなビートと極太のアシッドベースによって、ダンサブルなトラックへと強制改変されていく!
(殴打音)(殴打音)(殴打音)(殴打音)
── 呪術も使えん 呪霊も見えん 取柄のお顔もグズグズ♪
── 三歩後ろを歩かれへん女は背中刺されて死んだらええねん ♪
── このッ偽もっ ♪
──ざけんなや 呪力が練れん ドブカスが♪
(ナイフで刺す音) (ナイフで刺す音)
刃物が肉に突き刺さる絶望の音が、ドラムの代わりに陽気なループを刻む。画像も左右反転させたり、増殖させたり、くるくる回したり。絶望の記録が、人々を笑顔にする動画へと次々と作り変えられてゆく。
俺達は何年も、そうして生きてきた。
今日もこれまで通りにするだけだ。
《やめろぉぉぉぉぉっ!! 返せ! 返せぇっ!! それは俺の……俺が何年もかけて集めた、最高のトラウマフィルムなんだぞッッ!!》
血反吐を吐きながら頭を抱え、耳を塞いで狂ったように叫ぶ真男佳。
その無様な姿を見下ろす菜緒葉ちゃんの声は、絶対零度の氷よりもなお冷たかった。
「あなたの?」
静かな一言が、大音量で響き渡る音MADの爆音すら切り裂いて真男佳に突き刺さる。
「私達の
音MADの波形が限界を突破し、クライマックスのドロップへと向かって最高潮に加速する。光の奔流と化した音の波の中で、俺は真男佳に向かって、ビシッと中指を突き立てた。
「オマエのくだらねえ無断上映会は、今この瞬間をもって永久BANだ、真男佳ぁぁぁぁぁッッ!!!」
鼓膜を焼き切るような爆音と、視界を白く染め上げる閃光が弾け飛び──。
……どれだけの時間が経っただろうか。
やかましい幻覚の背景が剥がれ落ちた向こうに、元の静かな景色が戻ってきた。
どこまでも真っ白な、何もない無機質な空間。俺と菜緒葉ちゃんの、共有された生得領域。
ここは最初から俺達の部屋だ。団地も給水塔も、存在しなかった。
その真っ白な床の中央に、小さな肉塊が転がっている。
かつての禍々しい天秤の形すら留めていない、小さな目玉と、ひび割れた唇だけがついた、拳大の奇妙で哀れな生き物だ。誰も愛さず、誰からも敬意を抱かれないような、醜悪な呪いの残骸。けれども、その絶対的な無力さ故にほんの少しだけ……可愛らしくも見えた。
《……どうして。俺は、もう、痛みには慣れて……》
途切れ途切れの小さな声が嘆いている。
「ええ。痛みには慣れましたわね。よくできました」
菜緒葉ちゃんがしゃがみ込み、どこか寂しげに、幼子をあやすような優しい声で答えた。真男佳の小さな肉塊が、ビクンと震えた。
「でも、子供はみんな、いつかは親離れするものですわよ。自分自身の業について、本当の意味で責任を取らなくてはいけなくなる日が来るんです。それは、あなたの言う『自己責任』とは違う」
《……》
「だからもう、黒幕探しは、おしまいにするの」
《……》
「私はずっと、お父様と向き合うのが怖かった。好きだからこそ、怖かった。けれども本当に怖かったのは、きっと当主としてのお父様だったのでしょうね。お父様は人間で、そして昔は子供だった」
その一言で、肉の塊が小さく震えた。
「あなたも子供です。ずっと、私達のおなかの中にいたんだから……やっぱり、私達の絶望を啜って育った、不恰好な私達の子供なんですのよ。いつまでも、怖がってはいられません」
俺は歩み寄って、その正面に立った。
「矛盾とか、逸脱とか、自分でも理由のわからない衝動とか。そういう人間らしい葛藤が自分の中にないこと、オマエ、何年もずっと気にしてたんだな」
《……》
「なんで知ってるかって? 今、オマエの保管庫から、フィルムと一緒に全部貰ったからだよ」
真男佳の中に溜まっていたのは、未来の『予測』のトラウマ映像だけじゃなかった。桐永会の、蛍光灯の白い光。デスクに伏せた読みかけの文庫本。誰もいない教室で考えたこと。
──
「答え合わせしてやるよ、先生」
俺は呪霊の近くにしゃがんだ。
「何も残らない。でも、それって別に珍しいことじゃないぜ」
《……は?》
「俺は前世じゃ大した意味のある人生なんか送ってなかったし、大人の菜緒葉ちゃんだって似たような悩みがあった。何百年も生きてるあの羂索ですら、自分の人生をもっと意味のあるものにするためにもがいてる最中だ。人間だろうが呪いだろうが、空っぽな自分を持て余してるのは、みんな似たり寄ったりなんだよ」
肉の塊がぐずぐずと崩れ、白い床に溶けかかりながら、それでも必死に唇だけを作って喋った。
《……じゃあ、なんで、俺だけ》
「母親2人が俺達みたいなロクデナシだったのが不運なのかもね。あるいは……自分の中の空欄は、他人から奪った呪いや恐怖なんかじゃ、絶対に埋められるものじゃないからだ。自分でも答えの出ていない問題を他人に処理させるのは、やめましょうって話だよ」
《……くだらない》
「菜緒葉ちゃんもよく聞いて。俺は時々考えるんだ。両面宿儺は、本当に自分の兄弟を取り込んでまで生まれてきたかったのかなって。たとえ弱くたって、悩み事だらけだって、兄弟2人で生まれて、何も奪わず、協力しあって生きていったほうが幸せだったんじゃないのかなって」
菜緒葉ちゃんの憧れた呪いの王。
双子の片方がもう片方を取り込んだ存在。
あるいは──双子の片方がもう片方に全部を捧げた。命も。呪力も。術式も。
そうやって、ひとりぼっちで生まれてきた存在。
俺は彼を知らない。
でも、一緒に破るはずだった世界の殻を孤独に破って、ひとりぼっちで生まれてくる気持ちは、今ならわかる気がする。
状況に共通点があるからそう思うというだけの、まやかしの理解だけど。
もちろん、真男佳は冷ややかだった。
《馬鹿らしい。その場合はどうせ2人とも脆弱になって、揃って飢え死にしていただけだよ。子宮から出られずにジ・エンドさ》
まあ、そういう考え方もあるだろう。
でも──。
「それでもだ。奇跡が起きて、一緒に生きていく道を、夢見たっていいじゃないか。真希ちゃんと真依ちゃんもそうだったと思う。これは、ただの祈りだけど」
ふたつで生きるべきだったものが、ひとつを喰らってしまった悲劇──その呪いを抜け出して、強く、そして幸福に生きる道がどこかに存在することを、俺は菜緒葉ちゃんと一緒に祈りたい。
俺の言葉に、菜緒葉ちゃんは悲しそうに、けれど憑き物が落ちたような晴れやかな顔で笑った。
「私ってやっぱり悪い姉ね」
白い空間に、静寂が落ちた。
《…………ひどいなぁ》
真男佳は最後にそう言った。
《俺、ちゃんと、いい先生だったのに》
「ええ」
菜緒葉ちゃんは深く頷いた。
これまでで一番静かで、姉のように優しい声で。
「授業は、役に立ちましたわよ」