音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
真っ白な生得領域の床に溶けかけていた真男佳の肉塊が春の陽射しに晒された薄氷のように急速に縮んでいく。
勝った。完勝だ。完璧で圧倒的な大勝利。
違法アップローダーという名の社会の害悪は完全に駆逐され、俺たちを苛んでいたトラウマは、フロアを揺らす極上のクラブミュージックへと完全に昇華された。
そしてそのまま真男佳はシュワシュワと消滅し……。
……ん?
いや、ちょっと待てよ。
完全に消滅されるのは、ちょっとまずくないか?
脳髄を満たしていた多幸感あふれる勝利の余韻は、文字通り極寒の氷水を頭からぶち撒けられたように一瞬にして吹き飛んだ。
「真男佳ァ!? 待て待て待て、おい! 嘘だろ、しっかりしろ! オマエには今後も俺達の便利なパシリ……じゃなかった、我が子同然の心強いシステム担当として、末長く馬車馬のように働いてもらう予定なんだからなッ!」
「そうですわよ! あなたがいないと我々の二重人格ライフのQOLはダダさがりですのよ!!」
俺と菜緒葉ちゃんはなりふり構わず真っ白な床に膝を突き、消えかかる小さな肉塊を両手で必死にかき集めようとした。だが、その努力も無情に打ち砕かれる。真男佳の残骸は指の隙間から、まるで乾燥した灰のようにサラサラとこぼれ落ちていくのだ。物理的な質量そのものを失い、完全消滅しようとしている。
《……き、君らが……調子に乗って……メチャクチャに、やった癖に……》
肉塊の表面にかろうじてへばりついている小さな唇が、掠れきったノイズ混じりの声で恨み言をこぼした。
おいおい、さっきまでの威勢はどうした。
「わかってねえな! 殺す寸前までボコボコにしたかっただけで、消滅して欲しくはねえんだよ! ギリギリで寸止めして縛りに縛って再服従させたかったんだよ! わかるだろそのくらいの繊細なTS乙女心!」
そう怒鳴りつけると、真男佳はさめざめと泣き出した。
《……理不尽すぎる……ダブスタにも、ほどが、ある……》
ダブスタであることについては全面的に認めるが、乗っ取りを試みてきた呪霊に言われても申し訳なさが湧いてこない。しかし真男佳にはもはや、それ以上口論を続ける力も残されていないようだった。ピクピクと痙攣していた細かな動きすら完全に途絶え、ただ静かに、俺たちの足元で無害なシミのように蒸発していく。
親指の先ほどのサイズまで小さくなったところでようやく縮小だけは止まったが、あとはピク……ピク……と、まるで猛暑の干上がった泥の中で瀕死になっている虫けらのように、消え入りそうな命の脈動を残すのみとなった。
やばい。いくらなんでも弱らせすぎた。
俺の渾身の『空音滞図』による超圧縮ナイトコア・リミックスは真男佳の自我と存在基盤を粉砕してしまったらしい。
しかし問題は真男佳がただの憎き敵ではなかったということだ。コイツは俺と菜緒葉ちゃんという二つの魂が混濁せずに一つの肉体に安定して同居できるようにするためのサーバーの役割を担っていたのだ。そのサーバーが完全にダウンしかけている。そして、現実的な対処法を脳内で整理する間もなく、決定的な崩壊の兆候は俺たちの精神そのものを襲いかかってきた。
「……っ、ぐ……」
胃袋の奥にドロドロに溶けた鉛を流し込まれたように、急激に存在そのものが重くなる。視界がぐらりと致命的に歪み、完璧な白を保っていた生得領域の空間が、水に滲んだインクのようにグチャグチャにぼやけて見え始めた。自分の手足の感覚が、強力な麻酔を打たれたかのように急速に遠のいていく。
代わりに、すぐ隣にいる菜緒葉ちゃんの心音が、まるで俺自身の胸の中で鳴っているかのように響き始めた。
そしてその感覚に抗う間もなく、水底から何万本もの見えない腕で足を引っ張られるように、抗いがたい強烈な眠気が俺の意識を深淵へと引きずり込もうとしてきた。
「マコくん!? ちょっと、マコくん!!」
崩れ落ちそうになった俺の体を、菜緒葉ちゃんが必死に抱きとめた。
つい先ほどまで、真男佳を見下ろして冷酷な処刑人のような笑みを浮かべていた彼女の顔は、今はもう見る影もない。まるで迷子になった幼い子供のように青ざめて、俺の頬をペチペチと、次第にバシバシと強く叩いてくる。
「寝ちゃダメですわ! マコくん! 起きて! 私達、この交流会が無事に終わったら直哉と3人で一緒に北海道へ行くんでしょう!? マコくん、前世に美味しさを体験したでしょう! あの、現地の市場で食べる生の新鮮なウニ!! ミョウバン不使用の、甘くてとろけるウニの美味しさを思い出して、お願いだから目を覚まして!!」
……えぇ?
いくらなんでも、魂が沈降しているゴリゴリのシリアスな局面で、食欲一本で黄泉比良坂からUターンしてくる都合のいい人間だと思われているのだろうか?『ウニ食いてぇ!』でバッと目を見開いて完全復活できるなら、この世の苦労の8割は存在しないと思う。
……まあ、いつもなら。料理人としての矜持と食い意地で、美味しい食べ物の話を聞けば大抵の痛みは跳ね除けて起き上がる自信は、正直メチャクチャあるのだけれども。
だけど、今日ばかりはダメだ。
脳裏に浮かぶ橙色の魅惑的なウニの幻影すら、宇宙の質量すべてがのしかかったようなこの重すぎる瞼をこじ開ける理由には、到底なり得なかった。
「菜緒葉ちゃん……ウニは……また今度、絶対食うからさ……塩水ウニの、バフンウニ……」
「マコくんっ! そんな遺言みたいなメニュー指定をしないで!!」
今にもボロボロと大粒の涙をこぼしそうな顔で俺の肩を激しく揺さぶる菜緒葉ちゃんの手を、俺は最後の気力を振り絞ってゆっくりと握り返した。身体の感覚が着々と薄れゆく中で、彼女の華奢な指先の冷たい震えだけがやけに鮮明に、俺の魂の輪郭に直接刻み込まれるように伝わってくる。
「……君は一旦、表に出なさい」
「え……?」
「こんな精神世界の奥底で、俺と引っ付いてちゃダメだ。現実の肉体の主導権を、君が握るんだ。外では、五条がきっと心配して待ってる。……いや、心配っていうか、アイツのことだから覚醒した君と戦うのをワクワクして待ってるよ。だからアイツに大勝利して来い。アイツに、敗北を教えてやれ……」
呼吸をするという動作すら、肺に細かなガラス片を吸い込むように苦しかった。それでも俺は彼女を絶望させないために、掠れる思考を必死に回し、言葉を紡ぎ出す。
真男佳の観測機能がなければ、俺達の人格は次第に混濁し始める。前は菜緒葉ちゃんの側の意識が溶け込みかけた。今回は『予測』負荷を持ってる俺の番だ。だからこそ、俺が意識を沈めて眠りにつき、菜緒葉ちゃんだけを水面に押し上げれば、最低限一つの人格として肉体は稼働できるはずだ。
俺の意識が完全に消滅する訳じゃない。現実で適当な呪霊でも食らって体内に取り込めば、その呪力を触媒にして、また次第に俺の人格の輪郭を保てるようになるはずだ。制限時間も特にないし、理論上は詰んでいるわけじゃない。裏切り者の真男佳をチマチマ修復するか別のシステムと入れ替えるかは、目覚めてから改めて考えればいい。
「だから……大丈夫だよ。ちょっと、長い昼寝をするだけだ……」
言い聞かせるように笑いかけると、菜緒葉ちゃんの瞳からはついにポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「私のせいですわ……私が、全部私のせいで……」
彼女はギュッと唇を噛み締め、自らを呪うように俯いた。
ほら、まただ。この子はいつもそうだ。事あるごとに失態を自分のせいにしたがる。それははっきり言って、一周回って傲慢だと思うのだけれども。というか、現に普段はまあまあ偉そーにしてるのか。
「……菜緒葉ちゃん。自分を責めちゃダメだよ」
「……でもっ、私が!」
「全く……君はさ。敵に対しては、ドン引きするくらい容赦なくてサディスティックな癖に……味方相手には、本当にクソ雑魚なんだから……」
皮肉めいた俺の言葉に菜緒葉ちゃんは反論することなく、ただ服の胸元を強く握りしめてきた。俺から見た彼女はいつだってそういう人間だ。苛烈で反社会的に振る舞っていることが多いけれど、彼女の根底に存在するのは、繊細な脆さとあまりにも深い情なのだ。
視界がいよいよ完全な暗闇に沈みかけていた。白かった世界が黒いノイズによって塗り潰されていく。次の一言が、完全に沈む前の最後の言葉になるだろう。
じゃあ、あのことを言っておこうか。
「……人類を、美少女にする計画」
「え……?」
「君が……これから何を望んで、どういう未来を選んでも、それは君の自由だ。俺はもう、君の選択に口出ししないし、止めないよ……」
「……っ!」
全てが愛するに値し、全てが愛されるに値する社会。誰も誰かを置いて行くことのない、救済に満ちた世界。そういう思想に至ることで守れるギリギリのラインの尊厳も存在すると、俺は『予測』を通じて思った。
『予測』の中の菜緒葉ちゃんはいわゆる「正攻法」を全部試した。真面目に仕事をして女社会で出世して、男衆との関係も良好な状態を保った。家事の領域で誰よりも完璧に働き、揺るぎない地位を築き、結婚しなくても女が家の中で生きられるという前例を示そうとした。そして、その地位を使って厨房の環境を変えたいと考えていた。
なのにその末路は因習まみれの人殺し集団の一部として扱われ、かつて憧れた存在に無惨に殺されただけ。変えて行きたかったはずのものの一部として死んで、悼んでくれそうな人も含めて皆殺しにされただけ。
一般的なやり方で頑張った結果がこれなら、「普通の努力」の繰り返しになんて、二度と耐えられないのも無理はない。
ただ、これだけは伝えておきたかった。
「でもね——大人になった菜緒葉ちゃんを、俺は見たいなぁ……」
全人類が美少女になる日が来たとして、その時は29歳から先の菜緒葉ちゃんと会うこともできなくなってしまう。俺は『予測』の中の成長した菜緒葉ちゃんのことも好きだったし、幸せになって欲しかった。今の菜緒葉ちゃんがこれからどんな道を歩んでいきたいのか、その答えはまだ聞かない。けれども菜緒葉ちゃんが、ありのままに成長していくだけで、俺にとっては生きている価値がある。これから菜緒葉ちゃんが隣を歩く誰かを見つけるとしても、あるいは俺だけがずっと側にいるとしても、見つけた相手の性別がどうであれ、未来に恐怖しないで前に進んで行って欲しい。誰に後ろ指さされるとしても、俺は菜緒葉ちゃんの道を応援する。
その気持ちだけは伝えておかなくてはいけない。
俺の言葉に菜緒葉ちゃんはハッと顔を上げた。涙に濡れ、光を宿したその瞳に、俺はありったけの願いを込めて告げる。
「……約束だよ。俺を助けてね、菜緒葉ちゃん」
彼女の返事を聞く前に、俺の意識は深い深い水底へと完全に落ちていった。最後に皮膚感覚として残ったのは、俺を強く抱きしめる彼女の腕の感触と、首筋にぽたりと落ちてきた温かい涙の温度だった。
◇
「菜緒葉、おい菜緒葉……っ!」
焦燥に駆られた、ひどく近い声。
重い瞼を押し上げると、五条の顔があった。いつもは塵一つ付かないままに任務を達成しているであろう黒い制服に血が染み込み、ところどころ無残に破れているのが見えた。私はふわりと宙に浮いている。ううん、違う。いや、彼の両腕にしっかりと抱き上げられているのだ。
「よかった、目ぇ覚ましたか。おい、返事しろって! マコの方はどうなってるんだ?」
朦朧とする意識の中、下腹部の奥で、鈍く、ひどく重い痛みが脈打っている。私がそこに格納していた真男佳の核に、致命的なヒビが入ったからだろう。五条の六眼には、マコくんの本体が完全に沈黙してしまったことまで見透かされてしまっているかもしれない。
だから、彼はこんなにも必死な顔をしている。マコくんと彼が言葉を交わしてから、私達は一体どれくらい眠っていたのだろう。
わからない。
わからないけれど、起きたら五条に勝つ約束だった。
でも、私はマコくんとは違う。
世界を断つ斬撃——というか『真・世界斬』は多分使えるけれど、私の呪力はもう無限ではない。弾数制限がある。『グラニュラー・シンセシス』の使用も、私の『菜切り包丁』の精度では厳しい。
これで五条に勝つなんて、結構な無茶だ。
それでもマコくんと約束したから、ちょっと無茶な手段を使うしかない。
私は腕をゆっくりと持ち上げ、五条の背中に回して抱き返した。
「マコくんは疲れて眠っています。でも、あとで呪霊を料理して食べれば、また起きてくれますわ。それよりも……」
彼と私を隔てるものは何もない。無下限呪術は、私の状態を確かめようとした彼の焦燥によって、あるいは私に対する純粋な庇護欲によって、完全に解除されていた。
「……仕方のない人。術式を解いちゃダメじゃない」
緊張のあまりに喉の奥がカラカラにがさついて上手く声が出ず、結局は掠れた消え入りそうな声で囁くことしかできなかった。
五条悟は、少しいい奴すぎる。
それとも、やはり根底では私を舐めているのだろうか。
「あ? なに言って——」
疑問の声を遮るように、そのまま抱きついた腕を支点にして重心を大きくずらし、彼をその場で押し倒す。不意を突かれた最強の呪術師は、手負いの私を乱暴に払いのけることなんてできなかったようだ。されるがままに背中から勢いよく倒れ込んだ。その反動を利用して身を翻し、彼の腰骨を跨ぐようにして腰を下ろす。
完全な馬乗り。
顔と顔が触れ合いそうなほどの、致死の密着距離。
私達の術式『菜切り包丁』は、対象に触れた直後から数分後までの任意のタイミングで切断を発動させるという、極めて時限暗殺に適した性質を持っている。マコくんは幼い頃からその遅延性をあえて「3秒」という厳しい縛りで固定し、代わりに斬撃形状の精密なデザイン性を引き出す運用をしていた。
けれども私自身に転写されている当初仕様の術式は、遅延の性質をそのまま保持している。刃の接触した部分が、私が脳内で設定した秒数の経過と同時に避けることのできない確定の斬撃によって両断される。そして今、彼を守るはずだった不可侵の鎧は存在しない。
驚きに見開かれた青い瞳を見つめ返しながら、そのまま指先を彼の肌に這わせる。
まずは、密着している彼の背中に。——遅延設定、6秒。
同時に、土埃で汚れた無防備な頬へ優しく触れる。——遅延設定、5秒。
そのまま指を滑らせ、激しく脈打つ首筋、無防備な喉元へ。——遅延設定、300秒。
最後に、手のひら全体を彼の左胸、心臓の真上へとぴったり密着させ——。
時間にして1秒にも満たない、ほんの微かな接触。
それでも、五条の六眼は私の呪力操作の意図を完全に読み取った。至近距離で見つめ合う彼の表情が強張る。術式が再展開され、再び私と彼を隔てる壁が生まれたのがわかった。
でも、もう遅い。
タイマーの針はすでに動き始めている。刃の因果はすでに彼の内側へと到達しており、発動した術式を覆す術は私の慈悲以外には存在しない。ただ、驚愕によって見開かれたその六眼が、あまりにも——。
「綺麗な目」
本当に、抉り取って食べちゃいたいくらい綺麗だった。六眼という最高の呪術器官を調理して味わったらどんな味がして、私は一体どれほど強くなれるのだろう。
そんな料理人の本能に溺れた非常に良くない妄想に一瞬だけ耽りかけたところで、最初のカウントダウンがゼロになった。
同時に五条の頬から、胸から、そして背中から、鮮血が噴き出した。呪力強化による防御でだいぶ凌いだようだけれども、咳き込み、苦しげに眉根を寄せる彼の唇から、赤い滴が伝い落ちる。
「ぐっ……あっ、はぁっ……!?」
「ごめんね、五条。痛かったですわよね。でも、仕方ありませんのよ——。あなたに敗北を教えろって、マコくんに頼まれたから……」
とはいえ、私の期待ほどには傷は深くないようだった。
元々私の呪力出力は『炳』の基準では並みレベルだ。様々な縛りを駆使して必死に底上げしているのだけれど、羂索さんによれば「宿儺の足元にも及ばないね」とのことらしい。仮に宿儺と五条悟が同格であると仮定するなら、最強格にとっては私如きの攻撃は脅威にはなりきらないのだろうか。
それでも、五条は今、手傷を負って弱りきった顔をしている。
かわいい。直哉みたいにかわいい。いつも直哉をいじめているときみたいに、心臓がトクントクンと甘く加虐的に跳ねてきた。
数年前に扇のおじさまと手合わせをした時にハッキリと自覚したのだが、私は自分より圧倒的に格上の男を理不尽に虐げ、意地の悪いことを言ってプライドを傷つけ、屈服させるのが大・大・大好きなのだ。
男という生命体は、女の3歩前を歩こうとして無様に躓いている時だけが鑑賞に堪える。そうなれば、女に近づくから。これは事実上の小規模なメス堕ちと言ってもいいかもしれない(?)。
卑怯? 卑劣?
何とでも言いなさい。
血に濡れた彼の頬をもう一度撫でようとして、今度は新しく張り直された見えない壁に拒絶される。私はそんな拒絶など全く構うことなく、徐々に苦痛で霞んでいくであろう青い瞳をじっと覗き込み、嬉々として種明かしを紡いだ。
「私の第二の縛り、特別に教えて差し上げますわ。『五条悟を倒す』という、我が身に余る無理難題の縛り。……あなたが私に無防備な優しさを見せ、私の代わりに家を壊してもいいとまで言い、私を庇護すべき弱者だと心のどこかで侮ってくださっていたおかげで……この縛りが完璧に成立いたしましたの」
ありがとう、と。
純粋な感謝を込めて微笑む。
大人の私は真希ちゃんが五条の後ろ盾ありきで自由に振る舞えているんじゃないかと感じ、心底醜悪だと思っていた。なのに同じ道を五条が示した時、私は一瞬「楽になりたい」と思った。禪院の他の女の人がまだ完全に救われた訳でもなくて、改革の望みを全部無駄にされたも同然なのにね。私はあの時、自分のことをまた少しキライになった。でも、そのクソッタレな救済と最強の存在である五条との敵対という恐怖をトレードしたことで、縛りは無事に成功したのだ。
五条の善意は本物で、だからこそそれを投げ捨てることに価値がある。
甚爾くんの件で怨念を抱えたマコくんなら何がなんでも今日中に五条を蹂躙するだろうと思い、倒す期限や詳細などは特に設けていなかったガバガバの縛りだったが、戦い始める前とは事情が大きく変わった。今日勝たなかった場合のリスクを考えると、元々なんとなく想定していた通りにここでサクッと五条に勝って、おうちに帰って呪霊を食べるのが安牌な気がする。
「クソッ、そんな縛りアリかよ……っ!」
「あらあら、無理をなさらないで。さっきのお腹の怪我もあるし、たかが交流会如きでこれ以上の無理は良くありません。流石にリタイアでしょう? これで交流戦は私の勝ちですわね♡ ……反則だなんて言わないでくださいな! そして、喉にかけた術式を解いて欲しければ、『参った』って言って」
いくら五条が最強でも、反転術式の年季とスキルは私のほうが上。
おまけに私の刃は呪力の質を書き換える機能付きなので、家入先輩みたいなプロならともかく、まだ反転術式を覚えて3ヶ月程度のひよっ子の五条では、正のエネルギーを回すのには相当難儀するはずだ。
けれどももし素直に降参してくれたら、その可哀想な心臓の傷だって、私が綺麗に治してあげる。
数年前の私に心臓を治すテクニックがあれば——と絶望的な自己嫌悪がよぎりかけるが、逆だ。あのことがなければ、私もマコくんもここまで頑張らなかった。なら、考えても無駄。もっと楽しいことを考えましょう。
……そうだ。
せっかくの記念すべき勝利なのだもの。マコくんの知識の中にある、呪いの王・宿儺様が彼に勝った時の台詞。マコくんが以前、なにげに言ってみたい台詞ナンバーワンなのだと主張していた。あの特別な台詞を、真似っこさせていただきましょう♡
私は彼の耳元へ顔を寄せ、笑いながら囁いた。
「——じゃあね最強、まだ私を知らなかっただけの凡夫」