音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
半壊した和風建築の重厚な室内。濛々と立ち昇る粉塵と、ひび割れた瓦礫の山の中で、私と五条悟の距離はわずか数メートルにまで縮まっていた。
「逃げんの?」
「……逃げてなどいませんわ! ただのステージチェンジですわよ!!」
そう啖呵を切ったものの、目の前に立ちふさがる男は正真正銘の最強にして理不尽の結晶だ。先ほど喉元を深く掻き切るように仕掛けた時限爆弾すら容易にねじ伏せられた。彼のその蒼く澄んだ六眼は、依然として底知れぬ圧力を放って私の魂の底まで射抜いている。
——真っ向勝負で呪力出力を競い合えば、一瞬で塵にされるのは間違いなくこちらだ。
私は思考を極限まで巡らせ、即座に戦術を再構築する。
通常、私の放つ斬撃や、チェーンから派生させる攻撃は不可視だ。見えないからこそ避けづらい、というシンプルな強みがある。しかし、相手は世界そのものの情報を視覚として読み取る六眼を持つ五条悟。呪力の微細な揺らぎや空間の歪みを直接視る彼にとって、不可視というアドバンテージは全く意味をなさない。
こういう相手のために——縛りによって拡張した技は、一応ある。
「……『飾り包丁』!」
五条から一瞬のステップで距離を取り、中距離を保ちながら指先を軽く一閃させる。すると空中に、はっきりと目視できる漆黒の刃が複数顕現した。周囲の光すらも黒々と吸い込むような、凶悪な断層。さらに遅延発動を付与した斬撃には、空間そのものに蛍光イエローの点線——まるで工作用紙の切り取り線のような輝く線が、露骨なほどはっきりと浮かび上がる。
拡張術式『飾り包丁』。
不可視のメリットを全面破棄。その代わりに出力の大幅な底上げ、対象への呪力操作レベルの強制的な引き上げ、操作精度の補正、そして——ただでさえ少ない使用呪力コストのさらなる極小化を成功させた呪術の秘奥!!
なんて言えば格好いいけれど、実際のところは可視性があるせいで相手に容易く回避されてしまい、メリットがほぼ無駄になっている。通常斬撃を通すためのブラフに使うくらいしか使い道がない上、そもそもわざわざブラフを使わなくても大抵の呪霊は普通の斬撃1発で死ぬ。必死に開発した割には実戦投入の機会がなく、ほぼ使い道のない失敗技として塩漬けにし、そのまま忘れかけていたのだが……六眼相手の目眩ましなら、それなりに役立てられそうだ。
しかし、五条もおとなしくはしていない。
「”位相“”黄昏“”智慧の瞳“……」
「ああもう! ちょっぴり隙を見せるとすぐこれなんですから!」
「──術式順転 『蒼』」
複数発動された『蒼』と、それに巻き込まれた瓦や瓦礫が襲ってくる。指先を振りながら光のチェーンを自律的に唸らせ、『偽解』と『飾り包丁』、遅延斬撃を縦横無尽に走らせた。狙うは五条への直接の切りつけではない。『蜘蛛の糸・改』と『カットアップ・サンプリング・リミックス』の併用による跳ね返しと五条の足止めだ。
切り取り線が入った木造の柱や豪華な襖絵が、設定した時間のラグを経て一斉にサイコロ状に細かく切断される。
数百に及ぶ瓦礫の礫が、まるで一つの巨大な意志を持った群れのように、五条悟の頭上、左右、背後から一斉に殺到した。
もちろん、これで五条悟に致命傷を与えられるなどと微塵も思っていない。無下限呪術という絶対不可侵のバリアがある限り、物理的な瓦礫の質量攻撃は彼の十数センチ手前でピタリと停止し、虚空に揺れるだけだ。
だが——目的はダメージではない。足止めと五条の脳への処理コストの負荷だ。
可視の漆黒の刃と、わかりやすい切り取り線が付いた遅延斬撃。常識的に考えれば五条は目立つ切り取り線を真っ先に意識して回避しようとするはず……!
そして本命は、その陰にある。
私はあえて切り取り線を付けず、従来の不可視のまま潜ませた遅延斬撃を数十本同時に乱射して空間に縫い付けていた。
私が検証したいのは、五条の無下限呪術がオートなのかマニュアルなのかだ。3ヶ月前に彼が伏黒甚爾に殺されかけた理由については、独自に調べて突き止めた。甚爾くんは五条を3日間寝かせず、滅茶苦茶に疲れさせて脳を鈍らせたらしい。ならば、瞬間的な判断に絶大なコストをかけさせれば、五条の不可侵を力技で犯すことは可能なのか。
いくら六眼がスゴイとはいえ、異質な呪力の軌跡を同時に、かつ全方位から叩きつけられれば、選別の判定条件そのものを飽和させられるかもしれない。うっかり目立つ切り取り線に気を取られれば、見えない刃がその隙を突く。
検証には、悪くないシチュエーションだ。
「というか、私、考えていたんですけれども!」
「一応聞くけど、何を?」
「あなたがここまで容赦なく『蒼』を撃ちまくって、歴史ある建物を豪快にぶっ壊しているということは……交流会のあいだは建物を壊しても怒られない……というか、壊してもオッケーなんですのね!?」
眼前では空間が強力に圧縮されている。迫り来る瓦礫の群れと見えない斬撃を、五条は凶悪な引力でまとめて粉砕しようという目論見だろう。視界を埋め尽くす瓦礫が、木っ端微塵の粉塵へと破砕されていく。
その『蒼』の連発による無軌道な削り合いを見つめながら、五条は獰猛に笑った。
「ハッ、何言ってんの? お互い、体面気にして戦えるような生易しい相手かよ!」
了解ですわ! 言質は取りました!!
私はチェーンのリール機能をフル活用し、爆風を蹴って一気に天井の穴から上空へと躍り出た。
眼下に広がる、広大な和風建造物。すかさず全身の呪力を探知器官へと回し、建物の内部を瞬時に走査する。内部に他の生徒や関係者が残っていないことを完璧に確認する。自慢じゃないが、呪力探知はかなり得意なのだ。
よし、クリア!
内部にいるのは五条悟だけ。
ならば遠慮は不要だろう。
先ほど五条自身が『蒼』で粉砕してくれた大量の木屑が、狭い室内全体に異常な高濃度で充満している。
私は上空から、可視化した漆黒の斬撃を室内へ向けて勢いよく、十字に交差させて放った。刃同士が激突し、バチィッ! と激しい火花を散らす。高濃度の可燃性粉塵が漂う密閉空間に、決定的な着火源を放り込む——!!
ドッゴォォォォォンッ!!!!
と、劇的な粉塵爆発。
建造物の窓という窓、壁という壁から真っ赤な業火と衝撃波が吹き出し、巨大な屋敷全体が内側から風船のように膨れ上がって炸裂した。鼓膜を破るような轟音が響き渡り、空に黒煙が立ち昇る。
その凄まじい爆炎の合間。熱風の吹く青空に浮かぶ「それ」を私は見逃さなかった。
無防備にふよふよと浮きながら、凄まじい爆発と五条の放つ覇気に当てられ、恐怖でガタガタと震えて逃げようとしている1匹の雑魚呪霊。等級で言えばおそらく4級にも満たない、級外の矮小な呪霊だ。
ドロドロに溶けたオレンジ色の泥のような胴体に、頭頂部からは枯れかけた緑色の葉っぱのような触角が生えている。顔面にはぐちゃぐちゃに歪んだ子供の泣き顔が浮かび上がっており、「イヤァ……マズイ、マズイ……」と不快な鳴き声を上げていた。
あの気配、あの形状……間違いない。『ニンジンを嫌うちびっ子の負の感情から生まれた呪霊』だ!!
なんて惨めで、なんて美味しそうな呪力!
私は光のチェーンを伸ばして、逃げ惑う呪霊の胴体をシュルッと瞬時にとっ捕まえた。
「見つけましたわ! あなたは私の今日のごはん、特製ニンジン・グラッセになるんですのよ!!」
そのまま抵抗する呪霊を引き寄せ、間髪入れずに切れ込みを入れる。表皮のみを剥き、呪力のノイズを削ぎ落とし、旨味を凝縮する。
生皮を剥がれて暴れる可哀想なニンジン呪霊を両手で掴み、私はそのまま豪快に頭からガブリと食らいついた。
——ん……っ!!
美味しい♡♡♡♡
細胞の隅々まで染み渡る、呪力の滋養。私のお腹の奥底で、深く深く眠っていたマコくんの核が、まるで心臓の鼓動のようにドクンと脈打った。
まだ意識の覚醒はない。けれど、その魂の気配が確実に強くなり、私の胸の奥がじんわりと、泣きたくなるほど温かくなっていく。
マコくんの存在を内側に確かに感じ取り、私は決意を新たにする。
待っててね、マコくん。
もっともっと美味しい呪力を集めて、絶対に起こしてあげますから……!
そう思いながら、私は爆炎を見下ろす。
私のとりあえずの戦略は——「五条悟の『無下限呪術』の自動選択フィルターの条件を、できる限り洗い出す」というものだ。
ずっと疑問に思っていた。
マコくん特製オーブンを受けても、五条は完全な無傷だったという。
しかし、私(マコくん)は直哉と一緒に、私はお父様から江戸時代における無下限術師 vs 八握剣異戒神将魔虚羅の戦いの記録と、無下限呪術の我が家が入手できる範囲のトリセツについて、それこそ嫌というほど詳細に叩き込まれていた。そのロジックから行けば、マコくんの特製オーブンは本来なら五条の無下限を貫通してもおかしくなかったはずだ。
なのに、全く効かなかった。
あの防御は、本当に無下限呪術によるものだったのか。それとも五条個人の圧倒的な身体強化や、別の結界術による相殺だったのか。
術式がマニュアル式なのかオート式なのかも含め、情報が足りない。
だから直接観察する。マコくんのそれよりは小さく、観察のしやすい爆発という類似条件に、五条がどう対応するかを。
——そして、はっきり確認できた。
五条の服には煤も灰もついていない。
炎と、建物を吹き飛ばすほどの爆発の衝撃波を至近距離でモロに浴びたはずなのに、髪の毛一本すら焦げていない。
つまり、無下限呪術のフィルターは、マコくんや、かつての呪術師たちが想定していたよりも遥かに細かく、異常な精度で調整されている。
たとえば日常の光や適度な電磁波、呼吸するための空気は生きるために当然通す。しかし熱として人体に有害な温度帯・波長だと脳が認識した途端、あるいはそれが明確な攻撃行動だと判定された瞬間、無下限のフィルターの目が原子レベル、あるいはそれ以下の概念レベルで極小化し、熱エネルギーの伝播すら完全に遮断してしまう。
とか?
ロジックはわからない。はっきり言って五条が私やマコくんよりも圧倒的に理系分野に詳しいということは、少し前のやり取りで理解している。
重要なのは結果だ。
「ついてらっしゃい、五条。次は水遊びですわよ!」
私は背後にそう叫び、光のチェーンを最大出力で地面に叩きつけ、その強烈な反動を利用して躍り出ながら、次の実験場へと向かった。
◇
さて、ここで私の手札を一旦整理しよう。
【使用可能・健在】
• 『菜切り包丁』:形状設定精度はマコくんより劣るが、人斬り可能の斬撃、遅延の任意設定が可能。不可視を破棄する縛りで威力を底上げした可視刃の派生技『飾り包丁』あり。
• 遅延切断の複数同時管理:切り取り線の可視化・不可視化を織り交ぜた100以上の並列処理。
• 反転術式:自身の肉体修復。
• マコくんのボディのチェーン運用:拘束・牽引移動・リール巻き取りのようなことができる。領域展延中は斬撃効果が停止し、ただの超絶頑丈な光の物理ワイヤー化。
• チェーン+『偽解』:呪力操作攪乱を載せた鎖。無下限の突破はできない(実証済み)。
• 領域展延:無下限を中和する数少ない手段。ただし生得術式との併用は不可。
• 呪詞:言霊によるチェーンの統制・回復・機能強化。
• 体術:空気の面を蹴るスキル。真男佳との死にゲーで洗練された近接格闘。
• 無理難題の縛り:『五条悟を倒す』——全体的な全ステータスの上方補正。
• 話術:煽り、揺さぶり。マコくんより人をイラつかせる自信あり!
【制限つき・リスクつき】
• 真・世界斬:発動可能だが、私自身の呪力総量と負荷の関係上、明確な残弾制限あり。掌印と呪詞と方向指定が必須。
• 『空音滞図』:領域展開後の術式の焼き切れリスクを警戒中。
• 『空音滞図・リミックス』:真男佳は今や瀕死の肉塊。息を吹きかけただけで死ぬ。顕現させても戦力どころか保護対象にしかならない。
• 『カットアップ・サンプリング・リミックス』:マコくんほどの精度はない。『蒼』クラスならいけるが、五条の最大火力の完全リミックスはおそらく私では精度不足。
• 術式反転『偽・退魔の剣』。:乙女のプライドのために対人初使用を温存中。
• 呪霊食による回復:引き続きフィールド上の呪霊を探しつつ補給。
【使用不可・失われたもの】
• マコくんの判断と声:(……本当にいないと寂しいですわ)
• 『グラニュラー・シンセシス』:今の私の精度では無下限呪術突破は不可能。
• マコくん版世界斬:マコくんならポンポン打てたぶっ壊れ技。
• 無限の呪力:ある方が異常事態だった。尽きれば終わり。
——まあ、ざっとこんなものか。
私が着地したのは、高専の演習場内にひっそりと佇む屋外プールだった。
視界いっぱいに広がるのは、9月の澄み切った秋空の反射と、並々と青い水が張られたままの静寂な水面。風が吹き抜けるたびに、消毒用の塩素の匂いが微かに鼻を掠める。
私にとっては、最高の実験器具だ。
しかし息を整える間もなく、鼓膜を破るような破空音と共に、五条悟がプールの対岸へと降り立った。その表情に怒りや嫌悪が意外なほどに欠如しているのに気がつき、私は思わず問いかけた。
「……ずっと気になってたんですけど」
「あ?」
「あなた、案外楽しそうですのね。もっと怒られて、憎まれると思ったのに」
騙し討ちで無下限の壁を突破し、心臓に刃を立てたのだ。私が逆の立場なら烈火の如く怒り狂っている。しかし、対岸に立つ五条の青い瞳に浮かんでいるのは、怒りというよりはむしろ、純粋な闘争の熱と愉快そうな光だった。
「縛っちゃったからにはもうな。発想はすごいよ、お前。あんな低リスクな縛りがアリだとはね。結局、俺はパクれない縛りだったけど」
「……どうして?」
「『無理難題』だって心の底から思えることとか、俺の人生に1個もないから」
からかうような、それでいて最強としての絶対的な自負を伴った五条の声。憎らしいほどに傲慢で、ひたすらに眩しい。
「なるほどね。本当に羨ましい人生ですこと」
「あと、俺もちゃんとオマエの顔面殴ったよ?」
私は自分の頬——先ほどの攻防で彼に殴られ、確実に青痣になっているであろう部分——にそっと指先を触れた。ジンジンとした痛みが、自分がまだ生きていることの確かな証として脈打っている。
「そういうのは『嬉しい』って言いませんでしたっけ」
ひとりでに、くすくすと笑みがこぼれた。
生得領域に迷い込んできた彼に言ったはずだ。禪院の男は女の顔を嫁入り道具だと思い、顔を殴らないのをデリカシーだと心得ているのだと。甚壱くんのお顔の傷は勲章なのに、女の顔の傷はダメ。そりゃ、私だって顔に傷がつくのは怖いし嫌だけど、それは私の心の弱さの問題であって、向こうが気を遣う理由にはならない。
だから、五条が御三家の人間の癖に私をただの敵として、一人の術師として全力で殴り飛ばしてくれたことは——正直、ものすごく嬉しかったのだ。
「マジでイカれてんな、オマエ」
「最高の褒め言葉ですわ、五条!」
少し恥じらいながら言った直後、対岸から五条が距離を詰めてきた。彼はすぐさま右ストレートを放ち、一気に決着をつけようと踏み込んでくる。
私は再び全身に領域展延を限界まで展開。生得術式を完全にオフにし、展延を纏った腕でその凶悪な拳を強引に防ぐ。骨が軋むような激痛に耐え、その勢いを利用して五条の懐へと深く滑り込んだ。
五条は『赫』を撃とうとしているが、そんな隙は与えない。すかさず右膝を五条の脇腹へと突き上げるが、五条はその打撃を受け止めると、間髪入れずに左の掌底で私の顎を突き上げて視界を激しく揺らしてきた。
口内に広がる鉄の味を飲み込みながら、五条の追撃の肘打ちを寸前で叩き落とす。互いに呪力を纏った拳と膝が超高速で交差を繰り返し、空気を次々と爆砕させる。
五条の正拳突きが肋骨を数本叩き割る勢いで襲ってきたが、呪力残量を考慮して反転術式の使用は避け、激痛を精神力でねじ伏せる。死角からチェーンを使って一瞬距離を取った。しかしこのまま距離を空けて『赫』や『蒼』を使われては堪らない。もう一度チェーンを補助に使っての高速移動で五条の懐深くへ滑り込み、彼の喉元を狙って展延を乗せた左貫手を突く。
だが、六眼によって完璧に見切られた拳は、彼の左手首によって容易く払いのけられた。
——それこそが私の狙いだ。
払い弾かれた衝撃の余勢を駆って、自らの身体をさらに彼へ密着させ、彼の胸元へと全体重を叩きつけるように潜り込んだ。
私はなりふり構わず、全力で五条にしがみついた。両腕で彼の首を、両足で彼の腰をガッチリとホールドする。
「なっ——」
「水遊びをするって言ったでしょうが!」
二人まとめて、9月の冷たいプールの中央へと豪快に飛び込む。
盛大な水柱が空高く吹き上がる。水中に潜り込んだ瞬間、水圧と秋の冷気が全身を包み込む。だが、私は止まらない。
展延を切り、水上に跳ね飛ばされながら呪詞を唱えた。
「——“円融無碍・事事無碍/一即一切・一切即一”!」
チリン、と清涼な鈴の音が水底で響いた。
同時に無数の光の輪が爆発的に噴出した。互いに触れ合うことも交差することもない。それなのに輪と輪はどこまでも複雑に絡み合い、プール全体の水面を覆い尽くすように広がっていく。式神の応用による蓋だ。五条悟をプールという巨大な水槽の中に物理的に閉じ込める。
プール内の水全体に『偽解』の刃を無数に走らせ、水分子そのものに刃を入れた。
そして水流を極限まで早め、一般人なら水圧だけで死ぬレベルにまで到達させる——だけでなく、水が帯びているわずかな呪力特性を、人体に極めて有害なものへと強引に操作する。
ここは明瞭な自分の弱点だと自覚しているが、私は毒の勉強に途中で挫折しているため、本物の猛毒は作り出せない。だが、料理センスをひっくり返していかにも体に悪そうなヘドロ水にするくらいなら造作もない。
しかし3秒もしないうちに鎖の蓋が内側から吹き飛び、紫色の毒水と濁流を巻き上げて五条が出てきた。
もちろん、想定通りだ。
「”逆相“”野狐禅“”昏き伴星“」
プールから五条が飛び出したまさにそのコンマ1秒の隙。私は温存していた最大の切り札、空間そのものを断ち切る不可避の斬撃を放った。
「——『真・世界斬』!!」
世界というキャンバスそのものを「面」で裁断する絶対の一閃。
空間が歪み、世界に一本の線が入る。
五条悟の真下にあった巨大なプール施設全体が、一切の音を置き去りにして上下に真っ二つに切断された。
コンクリートの底が割れ、何百トンという大量の毒水が切断された空間の亀裂へと一気に吸い込まれ、一瞬にして蒸発・消失していく。プールそのものが跡形もなく破壊され、広大な更地へと変わった。
しかし——。
「チッ……!」
私は悔しそうな表情を顔いっぱいに作ってみせた。世界を断つ刃は、五条悟の首筋をわずかに数ミリかすめ、彼の髪の毛を数本散らしただけだった。彼の超人的な直感と『蒼』による瞬間的な位置補正によって、ギリギリで回避されてしまったのだ。
五条は上空にふわりと浮かび、髪の毛1本濡らしもせずに破壊されたプールの惨状を見下ろしている。
それを私は、全身びしょ濡れになりながら見上げている。
水が滴り落ち続ける服が重く、上着を脱ごうかと思ったが、服が透けていたら嫌なので思いとどまった。
本当に見苦しい。みっともない。無様。
五条も私の醜態を内心憐れんでいるかもしれない。
——でも、本当は。
最初から、毒水が五条に効くなんて微塵も思っていなかった。
『真・世界斬』があの体勢から完璧に直撃するとも、思っていない。
当たればラッキー、避けて当然。
私がこのプールの戦闘で真に検証したかったのは——「五条悟が、水に濡れるかどうか」、ただそれだけだ。
プールに落とすという行為自体は、火や炎を叩きつけるような直接的な攻撃行動としては認識されにくい。さらに言えば私が混ぜ込んだ毒も特定の化学物質を合成したものではなく、体に悪そうな性質を帯びさせただけの呪力に過ぎない。ドブのような濁流は、視界を塞ぐ物理障害でしかない。
それなのに五条は水に濡れなかった。
——五条の無下限呪術は、単に危険な攻撃や質量、速度を随時判定して遮断しているのではない。五条悟という存在にとって不快なもの、有害なもの、汚らわしいものを全てオートで選別し、不可侵のバリアで弾き飛ばしている可能性が高い。
しかしそれなら、禪院の記録にある、江戸時代の無下限遣いなんて、コイツはとっくのとうに超えているじゃないか。
検証は終わり。
絶望的なまでに、完璧なデータが得られた。
「……はぁ、本当に可愛気のない男ですこと」
濡れた前髪をかき上げ、ため息をつく。
でも、向こうも攻めあぐねているはずだ。そういう時に彼が打つ手というのは、なんとなく想像がつく。案の定、空中に立つ五条が、ゆっくりと指を交差させ—— 殺気すら通り越した絶対的な虚無と圧倒的な呪力の奔流を放ち始めた。
「オマエもあんまり可愛くなかったよ」
五条はそう言った。
——領域展開『無量空処』。
その仕様はマコくんが味わい尽くした後だ。発動すれば最後一瞬で脳内に無限の知覚・伝達の情報が流し込まれ、思考を強制停止させられて死を待つのみとなる絶対不可避の必殺空間。逃げ場などどこにもない。破壊されたプールの跡地は、一切の遮蔽物のない完全な平原と化している。
ここまで来たのなら、やるべきことは一つしかない。
「——領域展開『空音滞図』」
私自身の領域は、マコくんのそれとは一味違う。