音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
虚式『茈』。
その暴威の、直撃だけは免れた。しかし私が丹念に構築した死の厨房は絶対的な質量の前に飴細工のように粉砕された。領域の崩壊に伴う強烈なバックラッシュと爆風に吹き飛ばされ、瓦礫の上を無様に転がる。
激痛。なくなった手首の先を咄嗟に塞いだ黄金の鎖——ホップファイブレーションの幾何学模様は、脈打つように膨らんでは縮む。輪と輪の距離がデタラメに伸縮し、空間のバグのように明滅しては部分的に不可視になる。こんなけったいな挙動をする代物が、少し前まで私の中に組み込まれていたのだ。なるほど、これでは六眼の彼から見て私が寄生虫に憑かれた憐れな存在に見えていたのも大いに頷ける。私の個人的な審美眼からすれば、この上なく前衛的で最高にイカしている意匠なのだけれど。
「……っ、あ……」
息を吐くたび全身の骨が軋んで悲鳴を上げた。結っていた髪はすっかり解けてしまい、汗と砂に塗れた頬へとべったりと張り付いている。満身創痍という言葉すら生ぬるい。
私はマコくんのと自分ので『菜切り包丁』を2つ持っているので、五条みたいに危ないことをしなくても術式の焼き切れに悩まされることはないのだが……。
目の前の五条はどう見ても、現状私より何倍も余裕がある。十数箇所の遅延斬撃は彼の体にまだ刻んであるけれど、それだけで勝てるなんてもう思わない。
そして手首が飛んだ今の私には、『真・世界斬』発動のための印が組めない。
ならば先に反転術式を全開にして腕を丸ごと再生させるべきか?
いや、手首から先を一から作り直すような大掛かりな治癒を行えば、脳と呪力へのリソースが持っていかれる。反転術式と複雑な術式行使の併用なんて自信がないし、そんな悠長な真似をしている間に、間違いなく五条の次の一手が来る。
「……“正相”“連星”“不昧因果”」
血と泥の味のする唾を飲み込み、震える唇で術式反転の呪詞を紡ぎ、強引にバフをかける。ようやく、まばゆい光を纏った短剣が2本、五条の背後の空間にゆらりと浮かび上がった。『真・世界斬』(残弾2発)でしばらく五条の猛攻をしのぎ、あとはさっき直接触れて乱数タイマーをセットした遅延斬撃の群れと、この術式反転『偽・退魔の剣』のセットアップで確実に競り勝つ気だったが——もう出し惜しみしている余裕はない。
私が対象指定と合図の命令を与えさえすれば、この光の剣は五条という標的を的確に狙い始める。
痛みに濁り、焼き切れそうな思考を極限まで集中させ、残った左手の指先を動かそうとした、その瞬間だった。
空気を物理的に叩き割るような爆音が轟いた。
砂塵の壁が一直線に弾け飛ぶ。常人の動体視力では到底追えないであろう、まるでフィルムのコマ送りのような超高速の軌跡。プールの跡地に残された巨大なコンクリートの瓦礫を瞬く間に蹴り砕きながら、その影は五条でもなく、他の誰でもなく、一直線に私のもとへ突っ込んできた。
「やめるんや菜緒葉ちゃん!! その術だけは使ったらアカン!!」
凄まじい勢いのまま、私は抱き上げられた。
土煙の中から現れたのは弟だった。
「……直、哉……?」
「アホか! アホやろ君は! どんだけボロボロになっとるんや!」
私をお姫様抱っこしたまま、直哉は血相を変えて叫んだ。投射呪法によるトップスピードからの急停止。その致死的な慣性を、完璧な呪力操作と狂気的な体幹で殺しきった腕の中で、私はぽかんと彼を見上げた。この極限の空間に、一切の躊躇なく飛び込んでくるなんて、正気の沙汰ではない。
「直哉、降ろして。私はまだ——」
「アホ! いやもう、今日の集団戦はとっくのとうに京都校の勝利で終わっとるんやけど!? さっきからドッカンバッコン、何やっとるんや君らは!」
直哉の悲痛な怒声が、荒れ果てたクレーターの如きプール跡地に木霊した。
……はい?
京都校の勝利? 終わっている?
私が呆然として瞬きを繰り返していると、少し離れた場所で、制服をボロボロに引き裂かれ、鼻血を垂らしたままの五条が、キョトンとした顔で首を傾げた。
「えー、マジで? 全然聞こえなかったんだけど。放送、ちゃんとやってた?」
「やっとったわアホカス! 何十回も校内スピーカーから鳴っとったわ! 菜緒葉ちゃんのスマホも10回以上鳴らした!!」
「いやあ、俺は聞こえなかったなー。なあ、菜緒葉?」
五条が無責任極まりない顔で同意を求めてくる。それに頷きかけたところで、私はハッと悟った。
「もしかして……閉じない結界のせい??」
この一帯は、先ほど私が展開した閉じない領域によって、あらゆる無機物が極小のサイコロ状に微塵切りにされていたのだ。上空を飛んでいた中継用のカラスはもちろんのこと、グラウンド周辺の放送用のケーブルもスピーカーも鉄塔も、すべてが私の刃によって容赦なく木っ端微塵の塵に還っている。
「そこは成功おめでとう菜緒葉ちゃん! 効果範囲が広がる前に直感でギリ逃げられたけど、実の姉の斬撃に危うくミンチにされるかと思ったわ!」
「あらごめんなさい。でもこれくらい凌げないと、禪院家の当主になるなんて夢のまた夢ですわよ♡♡」
「……なんつー女や……。というか、そのちょっと前から放送はしとったはずやぞ。俺が大急ぎで呪霊を祓ったの、もうちょい前やもん」
「あらごめんなさい」
「『あらごめんなさい』の連呼で誤魔化せると思うなやボケ」
未だかつてない本気の声で直哉は叱ってきた。
「ていうか悟くんも悟くんで、なんで人間相手にこないなエグい技使とるねん! 『茈』に無量空処? 交流会は殺しナシのルールやぞ!!」
直哉は五条に対しても怒り始める。キレにキレている。
でも、しょうがなくない?
だって滅茶苦茶盛り上がっていたんだもの。
欲望の赴くままに戦いを楽しんでたんだもの。
あんな楽しい呪術戦は生まれて初めてだったし?
そもそも直哉だって、たとえば甚爾くんが1対1で本気で相手してくれるようなシチュエーションがあれば「ここで死んでも本望や……」となり、周囲の声なんて聞こえなくなるでしょう!!
そしてちなみに、私の連絡手段であるスマホは……。
「あっ! 私のスマホ、五条が濡れるかどうかの実験の時に水没させて、そのままどっかにやっちゃいましたわ……」
ポケットを探っても何も出てこなかった。買ったばっかりの最新機種だったのに。あれもきっと、今は電子部品の破片に成り果てて瓦礫の下に埋もれていることだろう。
直哉は苛立たしげに舌打ちをすると、私を片腕に抱え込んだまま空いた手で懐から拳銃を引き抜いた。甚爾くんの形見は、呪具については呪術高専と禪院の間で所有権について揉めているようだが、通常兵器は渡してもらえた。直哉はそのまま何の躊躇いもなく、五条に向けてトリガーを連射する。
パンッ、パンッ、パンッ、と乾いた発砲音が連続して響く。今日はゴム弾だけ持って行くと数日前に言っていた気がしたのに、実弾だ。それも試作品の呪具。対象を術式効果まで含めて1秒だけ強制停止させることを目指した試作品なのだが——まあ、あくまで試作品だけに、五条の周囲に展開された無下限呪術の分厚い壁に呆気なく阻まれ、空中でぺしゃんこに潰れてポロポロと地面に落ちていく。
五条は直哉に構わず、私の出した術式反転『偽・退魔の剣』を凝視していた。まあ、凝視したくもなるだろう。彼も一応男の子なんだし、この刃の味が気になってこっそりドキドキしていたりするのかもしれない。
「まあまあ直哉、落ち着いて。弾の無駄遣いですから……」
私は寛容で落ち着いた姉を気取りながら、直哉の腕にしっかりと抱き抱えられているその死角を最大限に利用して、こっそりと反転術式を全開に回し始めた。ズチュ、ジュルッ、ボコッ、と自分でも少し引くような嫌な音を立てて、失われた手首から先の肉と骨、神経と血管の束が凄まじい勢いで編み上げられていく。こういう狡猾な時間稼ぎができるのも、身内の特権だ。
それにしても、だ。
「……いくら放送設備が壊れていたとはいえ、試合が終了しているなら、なぜ教師陣や他の皆さんがもっと早く止めに入らなかったのでしょう?」
私の至極当然の疑問に、直哉はピキッと青筋を立てて周囲の惨状を顎でしゃくった。
プールの原型は跡形もなく消え去り、周囲の森は薙ぎ払われ、地面は巨大なクレーターとなって抉れ、ところどころから紫色の煙が燻り、異様な熱気と呪力の残滓が渦巻いている。
「この怪獣大戦争に、俺以外の誰が入れると思うん?みんなドン引きして遠巻きに見とるだけで、誰一人近寄ろうとせんかったわ! ぶっちゃけ何人か泣いてたで??!!」
「あー、なるほどね。……で、直哉、お願いだから降ろして頂戴」
新しく生え揃った真新しい指先をゆっくりと動かし、感覚が正常に戻っていることを確認してから、私は直哉の肩を軽く叩いた。
そしてその間、五条は依然として『偽・退魔の剣』をガン見しながら呟いていた。
「えっ、ちょっと待ってこれ、ロックオンされてるよね? どうすんのこれ……。本当にどうすんの? 女が開発していい術じゃねえだろ……」
五条はドン引きしきった様子で顔を引き攣らせていた。回避方法を考えているのか、あるいは困惑のあまり私の人格形成や禪院の闇について思いでも馳せているのだろう。その隙をついて私は弟と口論を続けた。
「降ろさへん! もう勝負は着いたんやから、これ以上やる意味ないやろ!」
「意味ならありますわ! 私は五条悟に勝つという無理難題の縛りを結んでしまったのですから、勝負が着くまで待って!」
私が焦って言い張ると、直哉は一瞬目を丸くし、それから大きく、本当に心底からの安堵の息を吐き出した。抱きしめる腕の力が少しだけ緩む。
「……はぁー、なんや。マシな縛りで良かったわ」
「え?」
「俺はてっきり、菜緒葉ちゃんがもっと自己犠牲系の変な縛りを結ぶんやないかと、心配で心配で……ホンマに、寿命が縮むかと思ったわ」
直哉の顔には心底からの安堵と姉を想う純粋な労りが浮かんでいた。私は引き攣りそうになる頬の筋肉を必死に抑え込み、曖昧に微笑んでみせた。なぜなら私は最初、普通にその気だったからだ。マコくんに私の自我も肉体も全てを捧げて、特攻を仕掛ける手筈を整えていた。私が今ここで人間の形を保っているのは、マコくんの優しさと愛によって奇跡的に生き延びたにすぎない。
しかし、今の直哉の顔を見てしまったら、口が裂けても本来の予定なんて言えなかった。
「……ふふ。私がそんな安い命の使い方をするわけないじゃありませんの。ねっ五条様♡」
私は弟の腕の中から首だけを五条へ向け、極上の笑顔で、キュートでか弱いぶりっ子ボイスを放った。声の裏には「空気を読んで話を合わせないと、未来永劫恨みますわよ!!」というドス黒い圧をたっぷりと込めて。
五条は「突如ぶりっ子とかキモー」と言わんばかりの顔をしつつも、私の地雷を踏み抜いて命懸けの縛りを結ばせる一因になっていた自覚があるからか、少しだけばつが悪そうにした。
「菜緒葉ちゃんがその喋り方する時は嘘をついとる時やね。さあ悟くん、これから話をきっちりと……」
直哉が五条への尋問を始めようとした、その言葉を遮るように。
「ごめん、今は無理」
五条は即答した。
「はぁ? 我が家を舐めとるんかカス」
「いや、禪院家を馬鹿にしてるとかじゃなくて! 後ろ! 後ろの剣!」
この剣が消えるまで、五条は直哉なんかに付き合っている場合じゃないのだ。私はにんまり笑った。直哉が思い出したように叫び声を上げた。
「そうだ、その剣!? 脅しやないの? その術だけは絶対人間に当てたらアカン言うたやろ。禪院・五条両家の面汚しもええところや!!」
私の胴体を抱え込んだままの腕に尋常ではない力がこもり、ガシガシと私の脇腹を揺すってくる。
「騒がないで直哉。私だって本当はこんなモノ使いたくありませんわよ。これが刺さったら最後、五条を私達のおうちに婿入りさせなくちゃいけなくなりますものね」
私が弟の頭をポンポンと優しく叩いて宥めながら溜息をつくと、五条の眉間が見事に寄った。
そう。もしも私のこの術式によって無力化させられたなら、五条の男としての威厳は粉砕される。その時は、責任を取らないと。
私だって本当の本当に、心底使いたくないのだ。これを使ったら最後、私は「五条悟を追い詰めた凄腕の呪術師」ではなく、「極めて不潔で恐ろしいド変態」として呪術界の歴史にその名を刻むことになる。今後の私とマコくんの閑雅で気品あるスクールライフに取り返しのつかない傷が残る。
だが、相手は五条悟だ。
五条が強くて倒れなさすぎて、格式ある呪術戦による手札はもう大方切ってしまった。私にはもうこれしかない。
そしてそのためには避けては通れないステップがある。術式の開示だ。縛りによって術式の効果を底上げし、更に五条の精神を追い詰める。
「聞くがいいわ、五条悟。——私は正のエネルギーによる『美味しい』刃を生み出す我が術式反転『偽・退魔の剣』の小型化と省エネ化、大量化、追尾機能追加のために、なんと——」
私は左手の指先を立て、天に向けて静かに宣言した。背後に浮かぶ光の短剣が、ジジジ……と高周波の音を立てて明滅し、その輝きを増していく。五条の六眼が、私の言葉と連動してその構造をリアルタイムで読み取り、顔色を曇らせているのがわかった。
「『生物の肉にも骨にも働きかけず神経にのみ作用する』『治癒を一切行わない』『悦楽のみを与える』『刃を完全に可視化する』という4つの縛りを加えましたわ!」
静寂。
プール跡地の荒れ果てた風が、ヒュッと虚しく吹き抜けた。
五条が、そして私を抱っこしている直哉が、完全に固まった。
人体の神経系へと直接ダイレクトに介入し、快楽中枢を焼き切るだけの正の過剰エネルギー。そう、一言で言えば——
「それって、いわゆる…………」
五条が引き攣った顔で、信じられないものを見る目を向けながら口を開きかけた。
「言っちゃダメですわ。お下品ですわ」
私はピシャリと言い放ち、胸の前でバツ印を作った。TS美少女ならともかく、男が乙女の前でいやらしいことを言わないで欲しい。恥ずかしいから。
「下品はオマエだろ!!」
五条が怒号を上げた。心底嫌そうな、ドン引きした顔で私を指差してくる。
「なんなのそれ!? バカなの!? 術式反転の無駄遣いにも程があるでしょ!! なんでそんな気持ち悪い方向にリソース全力投球してんの!? 俺達、さっきまで超シリアスに戦ってたと思うんだけど」
「今だって私は大真面目ですわ!! 常時大真面目です!!」
私は胸を張った。
途中までは本当に、人間に対しては完全に無害な呪霊特攻の攻撃を開発していたつもりだったのだ。けれどもムッツリスケベな直哉とマコくんがこの技の危険性に気づいて大騒ぎし始めたので、私もついつい面白半分で威力の強化を更に進め……。
マコくんは「両面宿儺の術式反転が後世に伝わってない理由がわかっちゃった気がするよ。俺は何があってもこんな技は絶対使わないね!」と言い放った。
そういう訳で、結果的にはとんでもなく恥ずかしい技を開発してしまったが、恥を捨ててこそ得られる勝利があるのだ。
「薄々わかってるでしょうけれど、私はあなたに刻んだ遅延斬撃の発動に合わせて『偽・退魔の剣』を発動するつもりでいます。追尾式ですけど、100パーセント防ぐ自信はあります?」
私の問いかけに、五条の言葉が詰まった。
「…………ふ、防げるし!」
五条が明らかに目を泳がせながら言った。
あの五条が、だ。
術式順転と反転の同時使用という意味不明なスキルの使い手である五条だが、呪力操作に関するデバフ付きの傷を負いながら無下限呪術を行使するのも、追尾攻撃を避け続けるのも、流石に相当苦心するだろう。成功と失敗の可能性は半々だ。直哉がいるぶん、ここからは多分2対1にもなるだろうし……。
というか、そもそもだ。
「本当に防げます? 無下限呪術は不快なモノ全般を通さないようオートで弾いているというのが私の見立てなのですけれども……無害で気持ちのいい正のエネルギーならどうかしら? あなた自身、ちょっぴり受けてみたいと思ってません?」
「思ってねーよ!! 1ミリも思ってねーよバーカ!!」
「まあ、嘘がお上手。本当は『現代最強』の重荷から解放されて、私にメチャクチャにされたいって顔に書いてありますわ。……かわいそ。特別に飼い犬にして差し上げてもよろしくてよ? お膝の上でよしよしして、脳みそトロトロのワンちゃんにして差し上げますわ♡」
私は五条を見つめ、笑みを浮かべて煽りに煽った。
強者を蹂躙し辱める程楽しいことはない。
「順序ってモンがあるでしょ! いや、3回くらいデートした後で、直哉抜き、その他の目撃者抜きで、もっと雰囲気あるところだったら、その、1発くらいなら気にならなくもないけど……今この状況で当てられたがる奴がいるかよ!」
五条はそう反論してきた。この男は何を言っているんだ。
「あらぁ? 3回デートすればこんな破廉恥な術式を無抵抗で喰らってくださるのね? なんて軽い男! 私、未成年のうちに家族以外の異性と2人きりで遊びに出かけるのは良くないことだと思っておりますの。最近の若者はアグレッシブすぎていけません。あなたも、そういうことは自分で自分のことに責任を取れる立場になってから言いなさい」
「そっちのガードは死ぬほど固いのなんなの」
五条は戦闘中には一度も見なかったような嫌そうな表情を浮かべた。
でも、私にはわかる。
「格好をつけなくてもいいのよ、五条。男のプライドとやらがあるから強がってるだけで、あなたもしてみたいんでしょう? サプライズメス堕ち」
「何言ってんのオマエ!?」
五条の叫びがクレーターにこだました。
しかし私は己の見立てに絶対の自信を持っていた。
何しろ私はマコくんと体を共有し、彼の生態を間近で観察し続けてきたのだ。この世のどんな女性よりも男心というものの深淵を熟知している。なんなら、五条のような17歳のガキンチョより、格好いいオトナのマコくんである前世記憶を共有する私の方が、男としての酸いも甘いも噛み分けているかもしれない!
マコくんはいつだって「菜緒葉ちゃんの体でもあるんだし……!」と毅然としているが、私は知っている。前世の彼が、TS美少女がハイスペックな親友に迫られて体を許しちゃうエッチな漫画を、何本か読んでいたことを!!
あと、触手エロ同人は女に感情移入すると興奮するという話でディスコのお友達とも盛り上がっていた。
……ギリシャ神話のテイレシアス然り、殿方は自分の経験不能な快楽を過大に見積りがちで滑稽だ。禪院家の女社会ではそれなりに他人の経験談を耳にすることはあったが、あんなに気持ちよくなるのはありえない。呪霊の触手も、実物は殺しにかかってくるだけだ。
つまり男という生き物は極限の快楽と不可抗力に憧れ、心の奥底で敗北と屈服の快感に夢を見ている生き物なのだ!!
しかし残念ながら、スマートかつ強引な態度でマコくんに迫り、そのままメス堕ちさせるような知と武を兼ね備えた全知全能の美青年は、この「呪術廻戦」ワールドには存在しないのである。
ああ、なんて可哀想なマコくん!
あなたは強くなりすぎたのよ……。
——そんなことを考えながら慈母の笑みを浮かべる私の優しさに、五条は顔をしかめた。
「……おい直哉、禪院家の男はそういう、サプライズメス堕ちを志望してる感じなの?」
「ちゃうわ。騙されるな悟くん。菜緒葉ちゃんはキスどころか俺以外の男とは手すら繋いだことがないんやから、全部アニメか、クソ親父に連れて行かれたコミケの本由来の怪しげな知識や! 出鱈目や!」
領域が子宮モチーフの奴が何か言っている。困ったものだ。たしかに彼氏こそいないが、私は、男心については論文を書けるほどマスターしている自負があるのに。
「とにかく五条、順風満帆な人生を破滅させたくないなら、降参することね! それともやっぱりしたいんですの? メス堕ち。私は全然構わないのよ、憐れに涙ぐむあなたを婿にしたって」
「……どうせハッタリだろ。オマエ、結婚して子供産むのが嫌みたいな感じだったじゃん」
勿論ハッタリだし、五条の指摘ももっともだ。私は日頃から「女は子供を産むのが当たり前」という偏見に嫌気がさしていたし、自分の体をマコくん以外の都合で使われることを何より嫌悪している。アラサーで呪物になり、婚姻の圧力から逃れようとひそかに画策しているくらいだ。
でも……。
「婿入りの暁には、あなたが産むに決まってるじゃない」
「……は?」
五条の動きが止まった。六眼が私の表情から嘘や冗談の気配を探ろうとして、完全にフリーズした。
「勿論、私は傲慢な男達と違って、その分のメリットも提供しますからね。世間では一夫一妻だなんてケチくさい概念が流行ってますけれど、殿方の甲斐性は、どれだけの女を侍らせるかで決まりますわ。という訳で、『セクシー担当(私)』と『キュート担当(マコくん)』に加えて、愛人も3人までなら構いません」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ、毎日美味しいおやつも出して差し上げますわ♡ 呪霊退治の合間はゴロゴロしててよろしくてよ?」
「そうじゃなくて、俺、男だけど。男は産めないんだよ……?」
私は五条にガッカリした。
ふーん。
ひそかに尊敬していたのに、そんな凡庸なことを言っちゃうんだぁ。
羂索さんなら絶対そんなこと言わないのに!
「一般人ならともかく、私たちは呪術師ですわよ。ソレ系の呪具を私が禪院の名前を使ってコレクションしてるの、ご存知ないの? 生憎永続的な性転換を可能とする呪具は見つかっていないけれど、応用すれば男を孕ませられそうな呪具なら、幾つか持っていますわ」
「?????」
「そもそも自然界では、体格が大きい方が出産するのが普通らしいですし」
五条がなぜかじりじりと後ずさった。
直哉もだ。
私はただ、責任を取って五条を娶らなくてはいけなくなった時に備え、効率的なソリューションを提案しているだけなのに。
「オマエ……思った以上にイカレてんね……」
五条の声が微かに震えていた。
「悟くん!! 頼むから降参してくれ!!」
直哉が半狂乱になって叫んだ。
「これ以上この女を刺激したら何言い出すかわからん!! 頼むから他の連中や中継用のカラスがまた来る前に『参りました』言うてくれ!! 禪院家の未来と俺の精神衛生と、ついでに悟くん自身のために!!」
「嫌だね!!」
五条がヤケクソのように叫び返した。
「じゃあ直哉、スマホを構えなさい♡」
私は笑顔のまま、弟に優しく命じた。
「スマホぉ? 俺の??」
「ええ。そして録画モードにしなさいな! これから『ウェーイ五条家の皆さん見てるぅ?』っていうビデオレター用の動画を撮りますから♡……と言ってる間に、遅延斬撃の傷が喉元と脇腹で開きそうですわね。さあ、カウントダウンをはじめますわよ?」
私は指先を構えたまま、天使の笑顔でカウントダウンを始める。
「10……」
直哉は「まあええか」とスマホを取り出した。
「待て!! 待て待て待て!! スマホを構えるな!! 動画を撮るな!!」
五条が両手を大きく挙げて、全力のお手上げポーズをとった。
「わかった!! 俺の負け!! 参りました!! 降伏!! 降参!! 俺の負けでいいよもう!!」
脳内でファンファーレが鳴った。無理難題の縛りが達成されたことを、本能的に感じる。世界のすべてが輝いて見える。
私は術式を解いた。背後に浮かんでいた『偽・退魔の剣』の光が、スッと霧散するように消えていく。
「……ふう。最初からそう言えばよろしいのに」
胸を撫で下ろし、疲れ果てて直哉の肩に頭を預けた。
勝った。あの五条悟から、公式の場で(不本意な形とはいえ)勝利の言質を取ったのだ。
五条はその場にガクッと膝をつき、両手で顔を覆った。
「……最悪だ……。俺の呪術人生で一番最悪の敗北だ……」
「悟くん。尊厳が無事やっただけマシやと思え……」
直哉がまるで悲惨な事故の生存者を慰めるように言った。
五条に対しては最初から最後まで汚い手段ばかり使って全面的に申し訳ないと思うが、直哉はそこまで私を悪役扱いしなくてもいいじゃないの。弟として、姉の偉業を褒め称えて欲しいのに。
しかしそれを言おうとしたのと同時に、糸が切れたように全身の力が抜けた。極限まで集中させていた思考が急速に冷却され、縛りでバフをかけて全身に行き渡らせていた呪力が霧散していく。反転術式で手首を突貫工事で丸ごと再生させた反動と、領域展開からの一連の死闘による精神的・身体的疲労が、巨大な津波となって私を襲う。もう、永遠に眠れてしまいそうなくらいの激しい睡魔まで押し寄せてきた。
よく考えると、それ以前にも今日は本当に色々なことがあった。
私がもう二度と誰にも会えなくなる覚悟で縛りを結んだり、マコくんが五条と戦ったり、生得領域で真男佳に殺され続けたり……。
でも、自分が大事にされていたことにようやく気がついた。他人と比べて自分はどうせ駄目な人間なのだと思い込んで、直接他人と関わることから逃げすぎていたのかもしれない。
直哉についても同じだ。頭の中の邪悪な弟への不安で頭がいっぱいで——でも、そういうのは明日からはやめにしよう。
「な、菜緒葉ちゃん!? 固まったまま動かへんようになったけど、大丈夫か!?」
焦る直哉の声が、どこか遠くの水底から聞こえるように遠のいていく。
視界が一気に狭まる。世界が黒く塗り潰されていく。直哉の腕の中で、私は最後になんとか言葉を絞り出した。
「安心しすぎて疲れちゃった。直哉……あとは、よろしく……頼みますわ……」
「菜緒葉ちゃん!? おい! 菜緒葉ちゃん!!」
直哉のその声を聴きながら、私の意識は完全に途絶えたのだった。