音MADでしか呪術廻戦を知らない俺が禪院家にTS転生?! 作:ポ予
「最初から素で嫌われていたという可能性はないですか?」という無慈悲な一撃は、俺の精神に防御力無視のクリティカルヒットを叩き込んだ。自室に戻った後、敷きっぱなしの布団にダイブした俺は、そのまま芋虫のようにぐるぐると丸まり、真っ暗な虚空を見つめた。
嫌われていた。素で。最初から。
過酷な環境で肩を寄せ合って生きる可哀想な双子の妹を、陰ながら見守ってあげている心優しい親戚のお姉様——という、俺の脳内にしかなかった美しい自己満フィルターが、粉々に砕け散って風に吹かれていく音がした。ピエロだ。完全に道化だ。
今にして思えば、宝石は女の子が好きなキラキラしたもの、真珠は負担の少ない練習——どちらも一般的な女の子と一般的な初心者に向けた正解で、真依ちゃん個人を知らなくてもできるアドバイスだった。
というか、蘭太くんの方が真依ちゃんに詳しいってどういうこと?
彼は俺のことが好きなのに、俺に嫌われるリスクを承知で事実を指摘してくれた。真依ちゃんをちゃんと見ないままの行動で、真依ちゃんを幸せにできるはずがないからだ。彼は、昔の約束を今でも果たしてくれている。その善良さと比較して、俺たちはどれだけアホだったんだろう。
自己嫌悪と共に意識を沈めていくと視界が切り替わり、『ゆゆ式』と『星屑テレパス』のポスターがフワフワと浮遊する生得領域に辿り着いた。するとそこで待ち構えていた俺と同じ顔をした女の子が背後からギュッとハグをして、耳元で優しい慰めの言葉をかけてきた。
「まあまあ、元気出してマコくん。『予測』の私とお揃いなフレネミーになっただけじゃありませんの!」
——優しい慰めか、これ?
抱きしめてくる菜緒葉ちゃんの腕の力が少し強く、俺の背中をぽんぽんと叩くリズムが、心なしか軽やかに弾んでいる。
「これでマコくんも、ようやく私と釣り合いが取れましたわね♡」
「……ねえ、君ちょっと楽しんでない?」
「楽しんでなんかいませんわよ? 私はマコくんの深い悲しみに寄り添う、慈愛に満ちた天使ですの♡♡」
嘘だ。この子は昔から、自分と同じ場所まで誰かが転がり落ちてくると、ほんの少しだけ機嫌が良くなる。直哉がその最たる被害者だった。
ぐるぐると暗い思考の渦に沈んでいく中、ふと、数日前に聞いた真男佳の言葉が脳裏をよぎった。
愛しの姉を大量殺人者にする遺言を残すようなクソ女。
真男佳は真依ちゃんをそう呼んだ。
死に際の恨み言を倫理的にジャッジするなんて無理に決まっているので、同意する気は一切ない。けれども禪院家壊滅の惨劇について、本当に起爆スイッチを握っていたのは誰だ?
——真希ちゃんではなく、真依ちゃんなのでは?
俺は手近にある棚を見上げた。『予測』の記憶は封印を解かれ、俺の側にも徐々に流れ込んできている。これは流れ込んできた膨大な悲劇の演算を、精神を壊さず管理するための場所だ。
棚の中身はブルーレイディスクだった。
見上げるほど高く天井まで届く棚に、透明なケースが隙間なくみっちりと刺さっている。1枚抜いて裏返してみる。真っ白だ。もう1枚抜いてみる。やはり白い。背表紙にもレーベル面にも、タイトルはおろか日付すら書いていない。
全部同じ見た目をしたディスクが少なくとも数百枚。図書館の閉架書庫から分類番号のシールだけを全部引っ剥がしたような、不気味で無機質な眺めだった。
菜緒葉ちゃんが隣に立った。
「ごめんなさい、揶揄いすぎました。……これ、真男佳の体調チェックついでにどれか流してみます? 真依ちゃん関連のメモリを探して」
「……今はやめとく。真依ちゃんの出番を探して見返すの、大変そうだし」
前世の俺は、死の概念と男がほぼ現れないタイプの軟弱で優しい萌えアニメばかりを愛好して生きてきたのだ。ジャンプ漫画も有名どころは読んでいるが、熱心な読者ではないので中盤からどんどん記憶が抜けて行っている。そして『予測』に対する感想は無料公開時に一気読みした鬱漫画に近かった。音MADならともかく元素材を見に行くのは本当に必要な時だけにしたい。
「それに、真依ちゃんがどんな感じだったかはだいたい覚えてるよ……」
フィルターをかけすぎていただけで、覚えてはいるのだ。
少ししか出てこなかったから、尚更に。
「大人の私は真依ちゃんのことをたしか同類だと思っていた気がしますけど、マコくんはどう感じました?」
「実は全然君に似てるとは思わなかったんだよね。というか……」
「何ですの?」
「……やっぱり何でもない」
実は『予測』の彼女に対する印象は決して良くなかった。
もしも学校や会社で一緒だったら、なるべく関わらないようにしていたであろうタイプの相手だ。実力もないのに術式の有無で他人を見下し、権力者に阿り、反論できない立場の相手を薄汚い言葉で傷つける。一番嫌いなタイプ、と言っても過言ではない。
しかし彼女は明確に被害者で、あんな環境で育てばやさぐれて当然でもある。一方の俺は加害者の身内。真依ちゃんが歪んだ原因かもしれない直哉の、真依ちゃんに輪をかけて駄目だった部分をよく知っていて、それでも大事な家族だと思っている。
そして何より菜緒葉ちゃん自身が真依ちゃんを同類だと感じていたなら、否定は禁物だ。
よって数日前に『予測』を見てもなお、音MAD知識とぱっと見の所感以上に俺の真依ちゃんに対する理解は深まることがなく、結果、俺は彼女を必要以上にか弱くて純粋な被害者に仕立て上げたがっていたのかもしれない。俺と菜緒葉ちゃんはそれぞれに自分に都合のいい見方をし、結局本物の真依ちゃんには向き合っていない。
……。
…………。
何故だかふと『予測』のフラッシュバックがやけに鮮明に頭の中をよぎり、俺は思わず顔を顰めた。
被害者というフィルターを完全に差し引いて見たあの子のことを、俺は全く好きになれない。菜緒葉ちゃんに対するあの女は、直哉より何倍も酷い。なんなら、あの女以上に菜緒葉ちゃんにとって残酷な存在はいない。自分より能力がない、身分が上なだけの女から下品な罵倒を受けて自分を責め続け、教育の機会も与えられず、それでも真摯にやってきた労働の内容まで軽視され、最後には殺されて、女中の菜緒葉ちゃんはあまりにも報われない。菜緒葉ちゃんがあの子を気遣う意味なんか1つもない。直哉が真依ちゃんに色々したという説に気を取られるあまり、菜緒葉ちゃんは自責でおかしくなっている。そのせいで、自分自身が受けた被害に気づいていないだけだ。『予測』の中で真依ちゃんを案じながら死んで行った菜緒葉ちゃんのことを思えば口が裂けても言えないけれど、俺の本音はそういうモノだった。
——とはいえ『予測』とこの世界は今や全く別物。これを真依ちゃんの人格に関する判断材料には一切せず、現実に向き合うことが重要だ。
でも、こんなことになるのなら、親切のつもりであの子の修行方法なんてそもそも考える必要なんて……。どうせ嫌われてるんだし……。
そもそも『予測』の真依ちゃんとリアルの真依ちゃんの間に、言うほどの差があるのか? 同じように嫌われてるんだから、一緒だよ一緒。
向こうにも事情はあるんだろうが、こっちの事情を慮らない相手の事情をどうして気遣う必要があるんだ?
割に合わない。
戦いたくない? 本当は呪術師にもなりたくなかった?
女中の仕事は適当な雑用? 羨ましい?
そういう舐めた態度の女がいるから、いつまで経っても女全体が見下されて、権利向上が進まないんじゃないのかな。
……いや、これ以上考えてはいけない。
俺は令和の人間、自由と個人主義の申し子だ。
人の考えはそれぞれあるものだ。
どんなに許容しがたいものでも、ケチをつけるのは良くない。
多分俺はさっき無意識に『予測』の元データを脳内再生してしまっていて、きっとその負荷による凄まじい憎悪を感じているんだ。
いや、内容自体はほぼ正論のつもりだけど、これで今の真依ちゃんに対する見方まで偏らせるのは許されない悪行だ。
力のない子供を傷つけることになる。
あとでお気に入りの音MADでも見て気分転換して、元気を出そう。嫌なことは大抵がそれだけで吹っ飛ぶ。かつての菜緒葉ちゃんも、そうやってメンタルを復活させていたのだ。
「マコくん、どうしたの?」
「いや、真依ちゃんが意外と図太い子だったなら、それを本気で追い詰めて泣かすって、切実にヤバい状況だよねって思って……」
上手く誤魔化した。菜緒葉ちゃんはディスクを1枚抜き出し、光に透かした。白いレーベル面に生得領域のぼんやりとした明かりが反射する。
「じゃあどうするんですの。おじさまは今でも暴力を封じられてだいぶマシになっているのは事実ですし、何より私達はそれとは別口で嫌われているんですのよ? しかも、それに気づかず好かれてるつもりで真依ちゃんをかわいがって、自己満足に耽ってたイタい女だった訳でしょう」
菜緒葉ちゃんの冷静な分析が、俺の心の傷に塩を塗り込んでくる。
「こっちだってまだ本調子じゃないのに、おじさまと真っ向から事を構えてもどうにもなりませんわ。頼りの直哉は完全におじさま派だし、真男佳はもう使えないし、そもそも、懲らしめようと攻撃したって最悪返り討ちに遭うだけですわよ。我々の攻撃に対する自衛は禁じてないんだから」
その通りだ。
しかし構造を俯瞰してみて、俺は恐ろしい事実に気づいてしまった。
今、スパルタ教育によって、真依ちゃんの心は限界まで削られようとしている。このまま彼女が潰れてしまったら、形は違えど禪院家滅亡のスイッチは押されてしまうのではないか?
真希ちゃんが禪院家を滅ぼすフラグは折ったつもりだったが、鬱憤を溜め込んだ真依ちゃんが将来「全部は壊さなくていいけど、あの善人ヅラしたウザったい菜緒葉とその周辺はぶっ殺して」と真希ちゃんに言い出す可能性は、全然ある気がしてきた……。
あまりの八方塞がりっぷりと自業自得感に、現実に戻った俺は布団の中で「あーっ」と深いため息をついた。
完全に落ち込んだ。心が荒んでいる。
一旦、禪院家のドロドロした因習とはまったく関係のない、爽やかな外の空気を吸いたい。
俺はのろのろと起き上がり、文机の上に放り出していた携帯電話を手に取った。
パカッと開き、アドレス帳をスクロールして、ある名前で指を止める。
『夏油傑』。
アドレスを教えたあと、彼から「少し込み入った話をしたいので、余裕がある時に電話をできないか」という連絡をもらっていたことを思い出した。
禪院家の起爆スイッチならぬ、東京の方の起爆スイッチ。だが彼なら鬱屈とした禪院家のドロドロとは無縁の場所にいる。何より声が滅茶苦茶良いから、荒んだ心も癒やされそうだ。
『上級生を勝手にASMR扱いしないでくれます? 恥ずかしいからっ!』
脳内からのもっともなツッコミを華麗にスルーし、俺は発信ボタンを押した。コール音は3回鳴るか鳴らないかのうちに途切れた。
『もしもし、禪院さん?』
耳元に響いたのは、夜の静寂に溶け込むような穏やかで落ち着いた声だった。
「もしもし、夜分遅くにごめんなさい、夏油先輩。今、お電話大丈夫ですか?」
『うん、平気だよ。ちょうど報告書を書き終えたところだからね。そちらこそ体調は?」
「ええ、問題ありませんわ。……ところで、先輩が私の連絡先を知りたがるなんて意外でした。もしかして、私の絶品呪霊料理のケータリングでも御希望で?」
冗談めかして言うと、電話の向こうで相手は少し言い淀んだ。
『いや……その通りというか、なんと言うか』
「えっ?」
『……実は、自分が呪霊を取り込む時の手伝いを頼めないかと思って』
「取り込む時の、手伝い……?」
『術式の仕様上、私は普段から呪霊を食べて取り込んでいるんだけれども。この間、君の料理を食べて……少し考えたんだ。取り込み時の負担を減らせないかとね。勿論、ただ頼むだけでは申し訳ないから、代わりに私の手持ちの呪霊を君に提供しよう。だから、落ち着いたら直接会えないかな」
元々呪霊の買い取りは企んでいたが、向こうから持ちかけてくるとは思わなかった。思っていたよりずっといい条件で話を進められそうだ。
「全然構いませんけど……ちなみに先輩、普段はどうやって呪霊を食べているんですの? 」
『ん? 普通に玉にして飲み込んでいるけど』
「玉? その玉はどうやって摂取しているんですか。焼くとか、煮るとか、お出汁につけるとか……」
『……そのままだけど?』
「そのまま?」
『うん。生のまま、丸呑み』
「…………は?」
俺の思考が完全にフリーズした。
え、ちょっと待って。
生のまま?
火も通さず!?
味付けもせず!?
そのままダイレクトに胃袋へ!?
「せ、先輩……っ!? 呪霊を、生で食べてたんですの!?」
生の呪霊がどんな最悪な味かは、散々自前で調理を試みてきた俺が一番よくわかっている。あれは人間の味覚に対する暴力だ。
『いや、だって……そういうものだと思っていたから。そもそも火を通すという発想がなかったし、通した程度で味がマシになるとも思えなくて……』
「馬鹿ですの!? あんなの生で食おうだなんて、普通は思いませんわよ!!」
俺は思わず叫んでいた。
すごい。特級呪術師って、色んな意味ですごすぎる。常識のタガが完全に外れているというか、生命体としてのハードルがおかしくなっている。
そりゃあんなもんを日常的に生で丸呑みし続けていたら、遅かれ早かれ味覚も精神もぶっ壊れて、いつか大量殺人鬼の犯罪者にもなるだろう! むしろ今までよく正気を保っていたな!
このままでは、夏油先輩の胃袋とメンタルが、吐瀉物風味の生玉によってマッハで崩壊してしまう。禪院家の問題も深刻だが、こっちの特級呪術師のメンタルケアも急務だ。というか、未調理呪霊を食べながら頑張っている人がいるのに、従妹に嫌われた程度でお布団の中で落ち込んでいる場合じゃないだろう。
俺は布団からガバッと起き上がり、携帯を強く握りしめた。
「夏油先輩、よく聞いてくださいまし」
『う、うん? どうしたんだい、急に真剣な声を出して』
「次に私と会うまで、1級未満の低級呪霊を新しく取り込むのは全面禁止です」
『……うん?』
「禁止と言ったら禁止です! 生の呪霊とかいう生ゴミをこれ以上無駄に飲み込まないでください! 数が必要なら、私が次に会った時にまとめて美味しく調理して差し上げますから!」
俺の突然の提案(というか命令)に、夏油先輩は困惑したようにごにょごにょと言葉を濁した。
『いや、でもね禪院さん。私の術式は、手駒の多さが直接強さに直結するんだ。日常的に低級呪霊も集めておかないと、いざという時の手数が足りなくなる。……それに、君に毎回料理の負担をかけるわけにもいかないし……』
「手数なら、今の先輩の手持ちでも十分すぎるほど足りているのでは!? いいですか、これは私からのお願いであり、料理人としてのプライドを賭けた要求です! 次に会うまで、生の呪霊食いは絶対に我慢してください!」
熱弁を振るっている途中で、突然フワッと意識が遠のいた。真男佳の不調から来る人格の不安定さから来る眠気だろうか。俺はカクンと首を揺らし、限界を悟って精神の奥底の菜緒葉ちゃんに主導権をタッチした。
『うーん……』
そう悩み続けている彼に、菜緒葉ちゃんはやや高圧的に言った。
「1週間以内に会いましょう。3日以内に家族と相談して東京へ行ける日を決めて、こちらから電話します。その程度の短期間なら、ゲテモノ食いを我慢できますわよねぇ?」
『……はぁ。わかったよ。そこまで言うなら、次に会う時までは少しセーブしよう』
夏油先輩が、根負けしたように同意した。
——その瞬間。
「言質取ったり! はい、縛り成立ですわー!!」
菜緒葉ちゃんは満面の笑みで、電話口に向かって高らかに宣言した。
『……は? しば……えっ!? ちょっと待って禪院さん!? 今の会話で!?』
「ふっふっふ……。これで先輩が次に私と会う前に低級呪霊を生で食べたら、縛りのペナルティで信じられないほどの腹痛を起こすことになりますの!」
『いやいやいや! いくらなんでも理不尽すぎないかな!? セーブするって言っただけだよ!?』
電話の向こうで夏油先輩が焦っている。菜緒葉ちゃんは悪びれることなく「ふふん」と得意げにした。
「ペナルティが嫌なら、私という専属シェフの到着を、東京でおとなしく待っていることですわね! それじゃあ先輩、良い夢を! おやすみなさいませ!」
『あ、ちょっと待っ——』
ブチッ。
先輩の制止を遮るように、通話終了ボタンを軽快に押す。
菜緒葉ちゃんは満足げに携帯を布団の端に放り投げた。それと同時に、俺自身も意識の沈降するような眠気に身を委ねた。
◇
目が覚めると、そこは見たこともない天井だった。
えっ……?
ふかふかの高級そうなベッドから足を下ろし、見知らぬスリッパを履く。目の前の大きな鏡に映っていたのは、見覚えのない洗練されたシルクのパジャマを着た自分の姿だった。
部屋を見渡せば、巨大なガラス窓の向こうに、深夜のビル群のきらびやかな夜景が広がっている。
「……菜緒葉ちゃん。ここ、どこ? っていうか、何が起きたの?」
俺が混乱しながら尋ねると、生得領域の奥から菜緒葉ちゃんが誇らしげに、満面の笑みで答えた。
『マコくんがぐっすり眠っているあいだに家出して、東京の高級ホテルにチェックインしたんですわ!』
「な、なんだってー!?」