指で金貨を弾く。
キン、と音を立てて弾き上げられたそれは空中で回転して、そして重力に任せて落ちてくる。それを両手で挟み込めば、手のひらの内に金貨は姿を隠した。
ゆっくりと手を開いて姿を現した金貨に描かれているのは、翼を広げる竜。つまり─────
「……表」
顔を上げる。
そこにいるのは、血を流しながら呻く男女が四人。そして、残った一人は膝をつきながら
震えていた彼は、俺の言葉にバッと青ざめた顔を上げた。
「じゃっ、じゃあ、許してくれるんだな!?」
「……お前たちの顔、覚えたぞ。
次に俺がお前たちに金貨を弾くことはない」
「あっ、あぁ!勿論っ、もう、懲り懲りだ……!!」
男は青ざめながらも、その目に安堵の色を浮かべ荒い呼吸を繰り返す。俺は金貨を懐に仕舞いつつ、息を吐き出す。
表なら全員生かす、裏なら全員殺す。
結果は表────運がいい。
迷宮において、冒険者の殺し合いは珍しくないことだ。この五人は迷宮を一人で歩いている俺に狙いをつけたのだろう。囲んで奇襲、殺してから金品、装備を奪う。よくある手口のそれを、実力差で押し潰してやった。
「治癒魔法を使ってやれ。
さっさと傷を塞いで、今回は引き上げることだ」
「あ、あぁ……!」
男が慌てながらも立ち上がり、倒れた仲間に駆け寄る。
それを見ながら、腰の刀、その柄に手を置く。
刀を抜くまでもない相手ではあったが……まあ。
悪くない実力だった。連携だけで言えば中層でも通用する。しかし、こんな浅い層から人を狙う連中がいるとは……
全く、おっかないことである。
「………ん」
と、その時。
足音と、何かが聞こえてくる。
薄暗い通路、その先に視線を向ける。
聞こえてくる足音は、人のそれではない。それより大きく、そして、何か、金属のようなものを引きずる音。
「え、な、ど、どうしたんだ?」
「怪物が近づいて来てる」
「なっ、こ、こんな時に……!?」
視線も向けずに返した言葉に男は再び、絶望の声を上げる。暗闇に目を凝らし、聞こえてくる息遣い、空気の揺れ、その足音から、その姿を推測する。
「………なあ。ここ、まだ浅層だったっけ」
「え?あ、あぁ、五層目だが……」
「むう。おかしいな」
「は……?」
俺の問いと返答に、男が困惑の声を漏らした。
だってそうだ。この怪物が、こんな浅層にいるはずがない。本当なら中層の奥地、深層にいるはず─────
暗闇から聞こえてくる、迷宮の石床に重金属を擦らせる音。ごふう、ごふう、という特徴的な息遣い。そしてこの足音。……本来なら有り得ないそれが、闇の中から姿を現す。
「え、は────?」
「マジか」
俺の反応とは裏腹に、通路へ視線を向けた彼は現れたそれに思考すらも奪われたらしい。
見上げるような巨躯。大木のような筋骨隆々の腕と足。その手に握られているのは、骨を削り出し繋いだのだろう巨大な薄茶色の戦斧。その貌は前に尖り、牛の鼻は重い呼吸の度に震える。口から覗くのは人間のような歯に、溢れる唾液。
ねじれた角の下で、深紅の眼光がこちらを捉えている。
「ミノ……タウロス……」
「へえ、よく知ってるな」
呆然としたように、男がこちらへ歩み寄る怪物の名を呟く。
前世では、確かギリシャ神話だっただろうか。
人と牛の間に産まれ、迷宮ラビュリントスに閉じ込められた人間の身体に牛の頭を持つ怪物。
この世界で迷宮と呼ばれる場所に巣食うには、うってつけの怪物というわけだ。この世界でのその名は発音こそ違うが、ミノスの大牛という意は同じ。
「■■■■■■………!」
ごふふふう、と、大きくミノタウロスが息を吐く。
その足は、俺たちの前で止まっていた。
ギャリギャリと火花が舞い上がり、大斧が床を削り上げて、その両手に握られた。
「………は、は、は………なんだよ、これ」
男が笑い出す。
確かに、笑うしかない状況だ。
負傷して動けない仲間を抱え、また俺はいつでも躊躇いなく逃げられる状況。二人逃げたとして捕まるのは間違いなく、この男。そして仲間も、このミノタウロスの腹の足し。
そして俺は、こいつらを餌に十分逃げられるだろう。
「あいつ、足は遅いぞ。逃げてみるか?」
「……そうしてえよ、してえけど………」
倒れた仲間たちを見下ろす、男の視線。
苦しむ声を堪えながら、見上げる男の仲間たちの視線。
涙に滲んだそれは、悲嘆の苦痛。
逃がして欲しい。助けて欲しい。
彼らが殺した者らの中にそれが無かったわけがない。そして今は、それが自分たちの番になって、けれどそれは言えず、聞き届ける相手などいやしない現実に、ただ黙るしかない。
仲間の視線には、一人だけでも逃げて欲しい、そんな感情も確かにあった。けれど男は、その場に膝をついたまま嗚咽を漏らして、涙を流れす。
「でき、ねぇよ………置いて、いけねえよ……」
「うん。そうか」
その言葉が聞けただけで、満足だ。
悪意ばかりがあっただろうが、確かに仲間に信頼があった。共に人殺しをした共犯の仲間意識から出たその選択は、だが俺もただ悪の言葉だとは言い難いものだ。
人殺しが罪なのは、この世界では国や町の中でだけ。
その外に出てしまえば基本的に無法地帯だ。人殺しなんて、本当に死ぬほど見られるような、そんな残酷な世界だ。
前世の価値観のままなら、許せないことだ。
実際、今だってこの連中に忌避感はある。けれど。
「なら、助ける意味はあるな」
善にも、悪にも。正義にも、不義にも。
等しく、苦痛と慈悲が在るべきだ。
刀を抜く。
その価値があると、そう判断したから。
「治癒を続けていいぞ。
この怪物の相手は俺がやろうか」
「は、はあ!?そんなの無茶───────」
走り出す。
何よりも早く、斧を構えたミノタウロスの背後へ。
「!!?」
背後を取られたことに気取られる。
だがそれと同時に一閃。ミノタウロスの背中から赤黒い血が噴き出し、そしてその噴き出す血の真下へ、深く潜り込む。
腰を落とし、右脚を引き絞る。
「突き破る」
〝蹴撃〟─────渾身の力を脚に込め、蹴り飛ばす。
「■■■■■■■■■!!!?」
浮き上がって地面に叩きつけられたミノタウロスの巨体が、その絶叫と共に血を撒き散らし石床を派手に転がっていく。爽快だ。
背後に回って斬りつけから蹴り飛ばし、その傷を開かせる。使いやすい一連の奇襲攻撃だが………
「流石にタフだな」
「■■■■■─────!!」
床を転がりながらミノタウロスがその斧を地面に叩きつけ、回転の勢いを殺して四肢をつく。
中々、いや、かなり硬い。
腰椎を断って脚の感覚を奪うつもりだったが、外皮までしか刃が届かなかった。もっと深く踏み込んでいれば届いたが、瞬歩は一歩二歩程度の微調整が難しい。
もっと、正確な位置へ飛べるようにならなければ。
「す、すげえ……」
「本当なら軽装の3、4人で囲んで魔法とか
大型の工房武器でデカイの入れて倒すらしいけどな。
はあ、こりゃ苦戦するだろうなあ……」
言葉を返して溜め息をつき、刀をくるくる回して弄ぶ。
いつもなら避けるような相手なのだが、今回ばっかりはそう言っていられない。動きこそ鈍いが野生の勘というやつか、反射速度に関しては瞬歩での移動に気付くレベルだ。
こんなんだから深層にいるような本物の怪物とは出来るだけ戦いたくないのだ。あそこはあんまりにも魔境すぎる。その魔境にいるはずの化物が、なんでこんな浅層にいるのか……
まあ、それは後でいい。今は重要ではない。
「さて」
こちらを強く睨み付けるミノタウロスへ、歩き寄る。
「今夜はビフテキだな」
「■■■■■■■─────!!!」
咆哮するミノタウロスが、巨斧を手に飛びかかってきた。