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工場廃墟から廃墟都市へ続く境目。
司令部からの決定は「全個体の厳重保護、及びバンカーへの護送」となった。
現在地から数十キロ離れた、廃墟と化した沿岸部“水没都市”にある大型射出装置を使用して、グフイグナイテッドごと大気圏外へ打ち上げることに。
「アスラン様、メイリン様、射出カタパルトデッキへ向かうわ。あの機体に乗って。」
1Dの言葉は相変わらず不遜で、軍人としての規律に縛られていた。
彼女にとっては、相手が気高き人間様であろうと、任務を遂行するための「護送対象」であることに変わりはないらしい。
「なんであんなに命令口調なんだか……」
アスランは溜息をつきながらも、グフの脚部を伝ってコクピットへと這い上がった。
メイリンもその後に続くが、ふと自分の服装を見て不安げな表情を浮かべる。今のアスランは赤、メイリンは緑の、ザフト軍所属の制服だ。パイロットスーツを着用していない剥き出しの身体にとって、大気圏突破の衝撃と熱量は、未知の恐怖でしかなかった。
「……バンカーまでの道中に貴方達を護る義務が、私たちにはある。」
2Bが、静かにグフの足元から見上げた。その声には、1Dのようなトゲはなく、ただひたむきな「守護」の意志が宿っている。
「有機物を運搬するための“熱地点通過保護フィルター”は予備があったはずだ」
4Bが飛行ユニットのストレージを漁りながら、半透明の不思議な膜のようなシートを取り出した。
「だったら、それをコクピット内の隙間に貼っておけば……。気密性と断熱性が200%向上するはず」
7Eの提案に、他のヨルハたちも慌ただしく動き出す。
ヨルハたちにとって、人類という「気高くも極めて脆弱な生体組織」を宇宙へ届けるという任務は、核弾頭を素手で運ぶよりも神経を使うものだった。彼女たちの献身は、アスランには「過剰な洗脳」の結果にしか映らなかったが、その必死さだけは本物である。
コックピットへ再び乗ったアスランとメイリン。グフが起動し重厚な足音を立てる。高出力スラスターを吹かせて、廃墟都市のビル群を抜ける。
その周囲を、7機の黒き飛行ユニットへ再び乗るヨルハが護衛するように並走していた。
「アスランさん……。彼女たち、なんだかんだ言って、凄く過保護ですよね」
コクピットのサブシートで、メイリンが苦笑した。コンソールやモニターの周囲、足元に至るまで、隙間という隙間に、あのジェル状の“断熱フィルター”がぺたぺたと貼り付けられている。それは戦場に向かう機動兵器というより、厳重に梱包された精密機器のようだった。
「ああ。……だが、それだけこの世界が、人間にとって過酷だということだろう」
アスランは操縦桿を握り直し、モニターの端に映る2Bたちを見つめた。
ーー西暦5012年からの異星人の襲来、そして数千年に及ぶ機械戦争ーー
2Bの口から淡々と語られた「真実」は、アスランの知るどの歴史の地続きでもなかった。ナチュラルの狂気も、コーディネイターの苦悩も、宇宙のクジラも、ここには存在しない。
だが、彼女たちがこの醜悪に朽ち果てた世界で、命を懸けて守ろうとしている「何か」、その盲目的なまでの戦意だけは、この荒廃した景色の中でも、アスランの心に確実に伝わってきていた。
水没都市へ向かう道中、モニターには廃墟都市の光景が目に映る。
「コレは・・戦場の跡ではなさそうだ・・。なんだ。」
アスランは思わず呟いた。
彼の知る「廃墟」とは、ビーム兵器によって融解し、実弾によって爆砕され、硝煙と廃油の匂いが立ち込める戦場の跡だ。
だが、ここは違う。
高層建築物群は、緑豊かな木々や苔に完全に覆い尽くされている。ビルの壁面を引き裂くように、巨大な樹木の根が血管のように巻き付き、コンクリートの隙間からは、まるで巨大な滝のように、澄んだ水が溢れ出ている。
そこは、人間が作り、人間が去り、そして自然が静かに、しかし圧倒的な力で取り戻した“聖域”だった。
アスランたちの世界では考えられないほど巨大化し、異質な形態をした野生動物たちが、グフの存在に驚くこともなく、緑の中で静かにこちらを見つめていた。
「……まるで、人間が最初からいなかったみたい」
メイリンが、モニター越しに映る鹿に似た動物を見つめながら、寂しげに呟いた。
コーディネイターとナチュラル。遺伝子という狭い物差しで殺し合ってきた自分たちの戦争が、この圧倒的な時の流れと自然の前では、あまりに矮小で、無意味なものに思えてくる。
やがてビル群が途切れ、視界が一気に開けた。波の音が、重厚な外部集音マイクを通じてコクピットに届く。
海風が吹くその場所は、かつての摩天楼が半ば海に没し、傾いた高層ビルが、海面から突き出た巨大な墓標のように並ぶ“水没都市”だった。
◇ - 水没都市 - ◇
モニター越しに映るその光景は、廃墟都市の「生命の力」とは対照的な、ただひたすらに深い虚無と、凍りつくような静寂さが漂っている。
潮風に晒され、赤茶けて朽ち果てた鉄骨が、幽霊船のように波に揺れていた。
モニター越しに映るその光景は廃墟都市とは異なる虚無と静寂さが漂ってる。
「・・・ここはユニウスセブンの落下地点だったのか・・。」
アスランの脳裏に、あの忌まわしき“ブレイク・ザ・ワールド”の記憶が、鮮明な、殺意を帯びた映像となって蘇る。
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パトリック派のテロリストたち。
亡き父“パトリック・ザラ”の狂気を継いだ、元ザフト兵による過激派武装集団。
彼らが行った、メテオブレーカーによる狂気の果ての葬送。
『パトリック・ザラこそが正しかった!! コーディネイターの正義を奴らに知らしめるのだ!! 野蛮なナチュラルに死を!!』
通信回線から流れてきた、彼らの最期の断末魔。それは、正義という名に憑りつかれた者の、醜悪な叫びだった。
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アスランたちが必死の工作で破砕したものの、完全に破壊しきれなかったユニウスセブンの残骸は、世界各国に隕石のように降り注いだ。
燃え盛る空。地上のすべてを薙ぎ払う衝撃波。津波に飲み込まれる都市。
それがブルーコスモスによる「コーディネイターへの報復」という大義名分を与え、世界は再び、終わりなき戦争への坂道を転げ落ちていったのだ・・・。
(・・・俺たちは結局、何も変えられなかったのか・・・。 )
目の前の水没都市。その景色は、あの時、自分が守れなかった地球の、一つの成れの果てのように見えてならなかった。
その中心部。海面から突き出た、錆びつきながらも異様な威容を誇る、巨大な二本のレール――人類軍が保有する“射出カタパルトデッキ”が霧の中に姿を現した。
水没都市の静寂を切り裂き、グフイグナイテッドの足音がコンクリートの残骸を砕く。
アスランの視界には、海に沈んだビル群と、かつての惨劇の記憶が重なっていた。無意識のうちに、彼の独り言がオープン回線を通じて、周囲を固めるヨルハたちへと漏れ出していた。
「……ユニウスセブン。あの日、空から降ってきた絶望の破片が、ここにも落ちたのか……」
その沈痛な響きに、並走する飛行ユニットの一機、7Eが反応した。彼女はスキャナーをパルス状に発信させながら、恐る恐る、しかし抑えきれない知的好奇心を声に乗せる。
「あの……アスラン様? 先ほど仰った『ユニウスセブン』とは、一体どのような旧文明の遺物……あるいは事象を指すのでしょうか? 月面サーバーの地名データベースには該当がなく、非常に興味深いのですが……」
7Eの問いかけは、純粋なデータ収集の範疇だった。だが、それが引き金となって、張り詰めていたヨルハ部隊の均衡が音を立てて崩れる。
「ちょっと! 7E! やめなさいよ、そんな風に……『抜け駆け』は!!」
鋭い声を上げたのは、アスランに何度も秒刻みでチラチラ見つめてた11Bだった。
彼女は飛行ユニットを急加速させ、7Eの進路を遮るように割り込む。ゴーグル越しでも分かるほど、その肩はいら立ちで震えていた。
「ぬ、抜け駆け……? 私はただ、護送対象の言語解析を試みただけで……」
「白々しいわね! そうやって難解な質問を投げかけて、アスラン様の気を引こうなんて、演算回路が透けて見えるわよ! 私だって……私だって、さっきから聞きたいことは山ほどあるんだから!」
「……ええっ!?」
アスランは彼女らの掛け合いで絶句した。
(何なんだ……? 救い出すべき悲劇の少女たちだと思っていたが、このノリは……まさか……)
「ちょっと、二人とも見苦しいわよ」
冷ややかに割って入ったのは4Bだった。しかし、その言葉の裏には隠しきれない熱がこもっている。
「11Bの言う通り、7Eは狡賢いわね。歴史の質問なんて、長話になるに決まってるじゃない。それなら私の方が、アスラン様の……その、機体の『駆動系』や『メンテナンスの好み』について聞く方が、よっぽど実用的で、個人的な交流になると思うわ!」
「それ、ただの趣味じゃないですか!!」
12Dが、今度は泣き出しそうな声で通信に飛び込んできた。
「ずるいです! 4Bさんまで! 私は……私は先ほど助けていただいた身として、アスラン様の、その……好きな合成食料のフレーバーとか、そういう基礎的なバイタル維持に関する質問を優先すべきだと……!」
「待ちなさい、それなら私の方が適任よ! 通信環境の最適化について、メイリン様とお話しする方が先決だわ!」
12Hまでが参戦し、オープン回線はさながら「どちらが先に、人間様に私情を挟んだ質問をするか」という、不毛極まりない口論の場と化した。
「……アスランさん。これ、完全に『女子会の揉め事』になってますよ……」
メイリンが、呆れ果てたように断熱フィルターの山から顔を出した。
アスランは額を押さえ、深いため息をつく。彼の中の「ロゴスに改造された悲劇のエクステンデッド」というシリアスなイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
「君たち……! 今は護送任務中なのだろ!?それに、さっきから言っているが、俺は別に神でも何でもない。ただの、一人の軍人だ!」
『……報告:対象個体の心拍数が、呆れと困惑により上昇。ヨルハ機体各員のニューラルネットワークに過剰な負荷を確認』
ポッド042の無機質な声が、無情にもその混乱を実況する。
「うるさいわよ、ポッド! 貴方は黙ってなさい!」
11Bがポッドを払いのけるように機体を翻したその時、先頭を飛んでいた1Dの冷徹な一喝が、爆鳴のように回線に響き渡った。
「――全員、黙れっ!! 恥を知れ!!」
一瞬で回線が凍りつく。1Dはグフの正面、射出カタパルトの基部に着地すると、凛とした立ち姿で振り返った。
「人間様の前で、醜い痴話喧嘩を……。君たちが今やるべきことは、質問攻めにすることじゃない。その身を賭して、彼を無事にバンカーへ届けることだ。・・質問なら、隊長である私が代表して、後でじっくり個室で伺う!!異論は認めん。」
「「「「結局、自分が一番ずるいじゃないですか!!」」」」
2B以外のヨルハたちの総ツッコミが響いた。
射出カタパルトデッキに常設されてる巨大な打ち上げ用外部ユニット。
その中心に“グフイグナイテッド”がガッチリと固定され、まるで十字架を背負う巨人のような姿で鎮座していた。その周囲を囲むように、七機の飛行ユニットが外部ハードポイントにロックされていく。
カタパルトのエネルギー充填率が100%になるまでに数分はかかりそうだ。
目の前には、空へと伸びる錆びたレール。その先には、重力に縛られた歴史を置き去りにする、漆黒の宇宙が待っている。
「……行くぞ、メイリン。こんなところで足止めを食らっている場合じゃない」
アスランは、苦笑混じりに操縦桿を引き寄せた。
悲劇のヒロインか?それともただの賑やかな少女たちか?その正体はまだ分からないが、少なくとも、この世界は、彼が想像していたよりもずっと「人間臭い」場所なのかもしれなかった。
「……ああ、もう! 射出カウントダウン開始よ! 全員、防御陣形! アスラン様とメイリン様を、1ミクロンも傷つけるな!!」
1Dの号令と共に、グフを固定したユニットが火を噴いた。
過去の亡霊が眠る水没都市を蹴り、蒼き巨躯は、喧騒の天使たちと共に星の海へと弾き出されようとしてた。