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水没都市の静寂を切り裂くのは、波の音ではなく、巨大な質量の移動を予感させる不気味なエネルギー充填音だった。
専用の打ち上げユニットに固定された蒼き巨躯、“グフイグナイテッド”。その周囲には、外部ハードポイントにガッチリとロックされた七機の飛行ユニットが、まるでお供え物のように整列している。
アスランは、3面モニターに映し出されるその異様な光景を凝視し、戦慄を禁じ得なかった。
「……待て。正気か、君たちは!?」
アスランの声には、純粋な恐怖に近い困惑が混じっていた。
モニターに映るヨルハたちの飛行ユニット。それはコックピットが完全に密閉されたキャノピー構造ではなく、パイロットが機体下部に「剝き出し」で簡易的なフレームに固定されているだけの構造だった。
パイロットスーツも着ず、あの黒いドレスとサイハイブーツのまま。ヘルメットすら被らず、ただ目元をゴーグルで覆っただけの姿。
これから音速を超え、大気摩擦の業火に焼かれ、空気が存在しない真空の死界へと突き進もうというのに、彼女たちはまるでピクニックにでも行くような平然とした佇まいで、自身の体を機体に固定していた。
「……その格好で外気に触れたまま、衛星軌道まで上がるつもりか!? 肺が破裂するぞ! 全身が気化して、瞬く間に凍りつく! 直ちに中止しろ、自殺行為だ!」
アスランの叫びは、彼が知る「生物としての限界」に基づいた、至極真っ当な警告だった。だが、それに対する答えは、どこまでも噛み合わない。
「え……? 肺……? 呼吸器系の損耗を心配されているのですか?」
7Eが、不思議そうに首を傾げた。彼女は外部ユニットの固定具を点検しながら、淡々と自らのスペックを「説明」し始める。
「私たちアンドロイドの骨格は高硬度の特殊合金ですし、皮膚も耐熱・耐圧性に優れた人工シリコンですから……。それに、このヨルハ専用戦闘服も、放熱・断熱・冷却のすべてを自動制御するナノサイズの合成特殊繊維で作られています。真空程度なら、多少の内部圧調整で問題ありませんのでご心配なく。」
「やめなさいって!! 7E!!」
12Hが通信回線に割り込み、悲鳴のような声を上げた。
「そんな物理的なスペックを並べ立てて、人間様に理解されると思ってるの!? 逆効果よ、余計に怖がらせてるだけじゃない!」
「……ですが、事実ですし。人類様の方々に私たちの頑健さを知っていただくのは、護衛対象としての信頼に繋がると……」
「そういう問題じゃないの! もう、アンタは黙ってて!」
グフのコックピット内で、アスランは絶句していた。メイリンもまた、端末を握ったまま固まっている。
(……特殊合金……人工シリコン……)
アスランの脳裏に、かつてロゴスのラボで見た「非人道的な施しによって造られた強化人間」の姿が、より凄惨なイメージとなって上書きされた。薬物で感情を処理し、機械部品のように扱われた少年少女たち。
「……あいつら……」
アスランは拳を震わせ、操縦桿を強く握りしめた。
「そこまで……そこまでして、彼女たちを兵器に作り替えたのか。ナノマシンで細胞を強化し、自分たちを機械だと思い込ませるほどに精神を破壊してるのか……!!」
「アスランさん、彼女たち、完全に『自分はモノだ』って思い込まされてますよ……。あんなに薄着で宇宙に出るなんて、痛覚すら奪われてるんじゃ……」
メイリンの瞳に、同情の涙が浮かぶ。
アスランたちの解釈では、彼女たちは「自分を機械だと信じ込まされ、真空でも平気だと脳に刷り込まれた、悲劇の生体改造兵士」だった。その頑健なデータさえも、非道な人体実験の結果にしか思えない。
(ロゴスめ・・・、これほどの呪いを彼女たちに残したというのか・・・!!)
『……エネルギー充填完了。カウントダウンを開始』
ポッド042の無機質な声が、運命の時を告げる。
アスランは、モニターに映る2Bの姿を見てを見つめた。彼女は、剥き出しの座席に座り、ただ前方の漆黒の空を見据えている。風にたなびく白銀の髪が、これから始まる過酷な旅路を予感させていた。
「2B、聞こえるか! 俺の機体のパワーを回す! ヒーターの出力を最大にしてやるから、俺の側を離れるな!」
『……感謝します。アスラン様。……でも、私は大丈夫です』
2Bの返答は、どこまでも静かだった。
『私たちは、貴方様という“命”を運ぶための、ただの器ですから』
「道具のようなことを言うなッ!!」
アスランの絶叫を、凄まじい衝撃音が掻き消した。
猛火を越え、星の海へ
ドォォォォォン!!
打ち上げユニットのブースターが火を噴き、水没都市の静寂を粉砕した。
猛烈なGがアスランとメイリンをシートに叩きつける。重力という名の鎖を引き千切り、蒼き巨躯は垂直に天を突いた。
「うああああっ!!」
メイリンの悲鳴がコクピットに響く。
モニターの外、一気に加速する景色の中で、7人のヨルハたちは、大気摩擦によって真っ赤に焼ける空気の壁を、その身一つで切り裂いていった。
「熱源反応、上昇……! 外装温度、計測不能!!」
アスランの瞳に映るのは、炎の繭となった自機の周りで、文字通り「盾」となって燃える彼女たちの姿だった。大気が圧縮され、プラズマ化した熱風が彼女たちのドレスをなびかせ、白い肌を赤く染め上げる。だが、彼女たちは微動だにしない。ただ、アスランを乗せたグフを守るためだけに、その腕で操縦桿を握りしめていた。
アスランには、炎が彼女たちの流す「血」のように見えていた。
(……待っていろ、必ず助け出す。その『
轟音と紅蓮の炎が消え去り、コクピットを支配したのは、心臓の鼓動さえも騒音に感じるほどの耳を突く静寂だった。
「……抜けたのか」
アスランが掠れた声で呟く。
3面モニターには、漆黒のベルベットに散りばめられた宝石のような星々。
その下方で圧倒的な質量を持って広がる、傷つくも蒼く美しい地平線が映し出されている。大気圏を突破し、重力という名の鎖を振り切った瞬間――
「……きれい……」
メイリンが息を呑んだ。
だが、2人の戦慄は、その絶景によってもたらされたものではなかった。
『アスラン様!! メイリン様!! 聞こえるか!!』
通信回線に飛び込んできたのは、ノイズ一つない、あまりにもクリアな1Dの強くも必死な声だった。
「な……っ!?」
アスランは、モニターの端に映る光景を見て、文字通り椅子から転げ落ちそうになった。
グフの機体各所に固定された、7機の飛行ユニット。そこには、先ほどと変わらぬ「黒いドレス姿」のまま、剥き出しの座席に跨り、平然と操縦桿を握る少女たちの姿があった。
ヘルメットはない。酸素マスクもない。
それどころか、彼女たちの白皙の肌は、真空のー270度という極低温に晒されながらも、凍りつくことも、内圧で弾けることもなく、柔らかな質感を保ったまま星の光を反射している。
『成層圏は無事に突破したわ。機体の損傷も許容範囲内。あと20分弱でバンカーへ到着予定……。メイリン様、そちらの
「う、嘘だろ……!? なんで……なんで君たちは平気なんだ!?」
アスランの叫びは、もはや悲鳴に近かった。
「そこは宇宙だぞ!? 空気が一粒もないんだ! 気圧も、温度も、放射線も……人間がそのままの姿でいていい場所じゃない! なぜ、なぜ平気な顔をして通信してこれるんだ!!」
あまりの衝撃に、アスランの思考回路はオーバーヒート寸前だった。彼が知る「強化人間」の範疇を、目の前の光景は遥か銀河の彼方まで置き去りにしていた。
『……? いや、ですから……』
通信の向こうで、1Dが心底不思議そうに首を傾げるのが見えた。その仕草があまりにも「人間」として自然すぎて、余計にアスランの恐怖を煽る。
『何度も申し上げている通り、私たちは**“アンドロイド”**ですから。肺で呼吸はしませんし、血液が沸騰することもありません。真空適応モードに移行すれば、外部環境による機能停止は防げる仕様になっています。……何か、おかしなことを言いましたか?』
「おかしいどころの話じゃないだろっ!!」
アスランはコンソールを叩いた。
「アンドロイドだと!? そんな言い訳が通じるか! 君たちのその肌、その髪、その……必死に仲間を案じる心! それが機械なはずがあるか! ジブリールめ・・!!ロゴスの連中は、ついに人間の肉体を、分子レベルで再構成して無機物と融合させたというのか……!」
彼の脳内では、もはやSFを超えた、おぞましきバイオテクノロジーの極致へと憶測が飛躍していた。
(……そうか。中身は生きた有機体でありながら、外装の分子構造を特殊合金の無機体へと置換した……文字通りの『鋼鉄の乙女』。痛みを感じず、死を恐れず、真空ですら呼吸を必要としない、究極の消耗品……!)
「なんてことだ……。なんて非道なことを……!」
アスランは片手で顔を覆い、激しい憤りに震えた。
一方、サブシートのメイリンも、別の意味で限界を迎えていた。彼女は震える手でポッド042が送信してくる生体?のデータを解析していたが、その数値は「生命」の定義を完膚なきまでに破壊していた。
「アスランさん、信じられません……。彼女たちの体表面温度、マイナス180度で安定してます。でも、内部の核だけは熱いくらいに稼働してて……。これ、本当に……本当に、私たちが知ってる『人間』じゃないのかも……」
「メイリン、騙されるな! 彼女たちはそう思わせるように
『あの……アスラン様? 私の口元に、何か不具合でも付着していますか?』
2Bが、通信越しに困惑した声を出す。
『先ほどから視線を感じますが……。もし汚れがあるなら、ポッドに洗浄させます。貴方を不快にさせるのは、ヨルハの恥ですから』
「汚れじゃない! 魂の話をしているんだ!!」
「アスランさん、もうやめてあげてください! 彼女たち、マジで何言ってるか分かってない顔してますから!!」
宇宙空間という、本来なら極限のシリアスが支配するはずの場所で、会話は地獄のようなドッジボールへと化していた。
『……報告:対象個体“アスラン・ザラ”の精神波に、深刻な“同情”および“誤解”の蓄積を確認』
浮遊するポッド042が、追い打ちをかけるように無機質な音声を流す。
『推論:彼は自身の文化的背景に基づき、我々を“生体改造された人間”であると定義。それにより、不要な罪悪感と義憤を増幅を探知。解決策:速やかにバンカーにて適切な解体……訂正、メンテナンス光景を見せ、構造的差異を証明することを推奨。』
「解体だと!? 貴様、彼女たちをバラバラにするつもりか!!」
『肯定:定期的なパーツ交換は、ヨルハ機体の維持に不可欠……』
「やめろ!! そんなことは俺が許さん!!」
『……隊長機である1Dへ疑問。人間様が、ヨルハ機体随行支援ユニットの私に対して怒りという感情を向けている。適切な対処法の提示。』
通信回線の端々で、11Bや4Bたちがヒソヒソと相談し始める。
『……これ、もしかして「可愛い」って思っちゃダメなやつ?』
『馬鹿、不敬よ! でも……あんなに私たちのことを「人間」として扱って、本気で泣きそうな顔で怒ってくれるなんて……』
『……アーカイブにあった「騎士道」って、こういうことかしら』
ヨルハたちの間で、アスランに対する評価が「守るべき神」から「全力で甘やかしたい、ちょっとズレた騎士様」へと、急速にシフトし始めていた。
「……到着するわよ」
1Dが、ため息混じりの声を上げた。
前方の闇の中に、太陽の光を浴びて神々しく輝く、白銀の宇宙ステーションが見えてくる。
「……あれが、バンカーか」
モニターに投影されたその姿は、アスラン・ザラが知る「宇宙の居住区」とは、その設計思想からして根本的に異なっていた。
彼が育ったL4コロニー、あるいはザフトの本拠地たる「プラント」。それらは砂時計型の巨大な回転体であり、内部には擬似的な大地と空があり、人々が生活を営むための「街」があった。
だが、目の前に浮かぶそれは、巨大な衛星軌道上に浮かぶ精密機械の結晶だった。
幾重にも重なる白銀の円環が、音もなく回転し、太陽の光を冷徹なまでに反射している。窓という窓が極端に少なく、居住性よりも演算効率と観測機能を最優先したかのような、どこか機能美に満ちた、しかし生命の温もりを一切拒絶するような、巨大な「脳」のようにも見えた。
「……プラントとも、月の基地とも違う。……メイリン、熱源反応は?」
「……極めて微弱です。生活反応というより、巨大なサーバーラックの中にいるみたい。……アスランさん、本当にあの中に『人』がいるんですか?」
メイリンの問いに、アスランは答えられなかった。彼の中にあった「ロゴスが、最新技術で築いた秘密基地」という仮説が、そのあまりにも静謐で、かつ高度な構造物を前にして、かすかに揺らぎ始める。
2Bたちが「自分はモノだ」と教え込まれる、呪いの発信源。
アスランはグフのシールドに内蔵されたビームソード“テンペスト”の感触を確かめるように、操縦桿のトリガーに指をかけた。
「行こう、メイリン。俺たちが、彼女たちの本当の主が誰なのか、確かめてやる」
蒼き巨人“グフ”は、満身創痍の黒き天使たちに導かれ、白銀の揺り籠へと吸い込まれていった。
1Dから再び通信が入る。
「アスラン様、メイリン様。……ようこそ、私たちの『家』へ。ここなら、貴方たちがどれほど脆く、そして貴い存在か……思い知ることになるわ。」
「……ああ、行ってやる。そして、君たちの本当の姿を、その偽りの記憶ごと救い出してやる!」
アスランは、もはや自分が救世主にでもなったかのような悲壮な決意で、グフの操縦桿を握りしめた。
「・・・バンカーに着いたら、もっとややこしいことになるんじゃ・・」
その隣で、メイリンだけがと、遠い目でモニターを見つめていた。
宇宙の静寂の中で、噛み合わない想いを乗せた蒼き機体は、白銀のドックへと滑り込んでいく。
そこには、自分たちの世界の常識が通用しない「狂った現実」が、文字通り山積みになって待っているとも知らずに・・・。