百科事典風に書かせて頂きました。
文章おかしい所あると思いますが、お手柔らかに…
馬生✒︎
幼駒〜デビュー前:3冠馬の子✒︎
1961年4月10日、北海道浦河町にあった小さな個人経営の新興牧場・高平牧場で誕生。
血統名は「黒富士」。父は初代三冠馬であるセントライト、母ゴールドウエツデイング(競走名: ブランドソール)、母父プリメロ、母母父シアンモアという良血馬として生まれた。
母であるゴールドウエツデイングは競走馬時代ブランドソールという名前で活躍し、桜花賞前身の第三回中山四歳牝馬特別を優勝。まさに良血の塊として生を受けた。
生産者である佐山和憲氏は三冠馬セントライトが大好きであり、わざわざ北海道の自牧場から岩手県にある岩手農畜試験場に身を置いているセントライトにゴールドウエツデイングを種付けしテンザンを授かったのだ。
生まれた仔馬…後のテンザンはごく普通な体をしていた。
が、テンザンは生後わずか10分程度で起き上がり、牧場関係者を大きく驚かせた。思えばこの時から日本競馬の至宝としての立場は確立していたのかもしれない。
よく食べ、よく走る。離乳が終わると馬群を率いる程に成長し、この頃から関係者からの期待が大きくなっていったという。だが高平牧場はまだまだ誕生して間もない新興牧場で、父親も近年は活躍馬を出していないセントライト。買い手が付くか心配していた。
そんなある日、高平牧場に電話が掛かってきた。
電話元は小東喜蔵。
騎手時代にはセントライトの主戦騎手として初の三冠ジョッキーとなるなど優秀な成績を残し1950年に調教師に転向。1959年には八大競走の一つである菊花賞を管理馬である ラプソデーが制すなど一定の活躍を残すも、騎手時代よりかは成功を収めたとは言えていなかった。
電話の内容は「岩手にいるセントライトに種付けしに来た繁殖牝馬の子を見たい」というものだった。その内容に牧場関係者は大喜び。少しでも状態を上げるため念入りに水浴びさせたそうな。
そうして高平牧場を訪れた小東は1人同行者を連れて来ていた。それはセントライトの馬主だった下藤雄策氏。「わざわざ岩手にいるセントライトに種付けしに来た牧場がいる」という話に興味を持った下藤氏は小東に同行させてもらっていた。牧場へ案内されるとまず2人は幼駒達がいる馬群を率いる真っ黒な馬に目を引かれ、牧場関係者はその馬こそがセントライトの子であると言った。それを聞いた2人は即決したい気持ちを抑え母馬の情報を聞くと、競走馬ブランドソールとして走っていた繁殖牝馬であると聞き更に驚いたという。実はブランドソールを競走馬時代所有していたのは下藤氏だったのだ。
そこで2人は決意を固め下藤雄策氏が馬主となり、テンザンは小東厩舎入りが内定する。
テンザンの名付けをする時2つの候補があったらしく1つは「ブランドライト」2つは「テンザン」だったが調教師である小東が「テンザン」の元々の意味である「天山」と「天讃」とを勘違いし、「テンザン」を推しに推しまくりそのまま採用されたという。
テンザンは故郷である高平牧場を離れ育成牧場に移される予定だったが、なんと馬主である下藤氏は高平牧場周辺の土地を買収し育成牧場の設備を置くという仁義に満ち溢れた行動をした。下藤氏は育成牧場の設備を置く時に「高平牧場を馬主生活最後の拠点に」と発言したと、後述する本である「天讃」に記載されていた。
初期・中期育成に当たる馴致を進めていく内に分かったことはテンザンは非常に知能が高く、まるで人の言葉が分かっていたかのようだったという。
後期育成が始まった頃には牧場内では頭1つ飛び抜けている才能を秘めていると言われ大きな期待を抱かれていた。
後期育成の最中、小東調教師と同厩舎所属の横川富雄が高平牧場を訪れた。テンザンに跨り坂路4ハロンを追い切るために小東が連れて来た騎手である横川富雄がテンザンに抱いた第一印象は人が跨ってもとても落ち着いていた…と同時に覇気が無いのかもしれないという心配があったという。
追い切りタイムはなんと54.3。まさに化物ともいえるタイムで周りにいた関係者すべてが目を丸くしたという。
跨った横川はとんでもない馬だと確信したがこの時の横川は怪我をしておりテンザンを捌くためには騎乗技術が足りないと言い、新馬戦に騎乗する代役を提案した。
それが後の主戦騎手となる相棒、竹邦彦だった。
デビュー〜クラシック前:噂に違わぬ強さ
調教でも猛タイムを連発させていたテンザンもついにデビューを迎えた。デビュー戦は奇しくも永遠のライバルとなるシンザンと同じ1963年11月10日。テンザンは東京の新馬戦に出走していたが、シンザンは京都の新馬戦。この頃から2頭はライバルだったのかもしれない。
新馬戦では鞍上の竹がステッキを入れる所か追いもせず持ったまま新馬戦を3馬身で完勝した。
これで一気に自信が付いたテンザン陣営は次走に関東の2歳チャンピオン決定戦である朝日盃3歳Sを選択。
そして迎えた朝日盃3歳S。
ここでは後に牝馬二冠馬となるカネケヤキが1番人気に推され、テンザンは続く2番人気に推された。ここでは4戦3勝のOP馬、しかも鞍上には野原裕二がいるため人気ではカネケヤキに負けてしまっていた。
…が、結果だけ見ればテンザンの完勝。
しかも歴史的大差でのゴール。芝1600mの日本レコードである1:35.2を樹立し関東の2歳チャンピオンとしての地位を確立させた。このレコードは6年後の1969年にタケシバオーが記録したタイムと同タイム。
レース後、テンザン陣営は大喜び。しかし他馬陣営は意気消沈。2着に入ったウメノチカラの鞍上である古河一隆は「勝ち馬が強過ぎた。それだけです…」という何とも悲しげなコメントを残している。
阪神大賞典頑張りましょうね!