弥生賞…
カッチカチやね、ほんま!
テンザンが1着に入線したあと、競馬場は少しの歓声に包まれた。鞍上の竹は馬上で小さくガッツポーズをしている。
まさに圧倒的ともいえる競馬だった。後方2番手で前に馬を置いて上手く折り合い、4角から徐々に進出する。競馬の王道は好位押切ともいうがこの競馬も王道中の王道である。
口取り式を行った後、検量室に戻った竹は騎乗フォームを変えるキッカケとなった野原に質問攻めされていた。
「クニヒコ、なんだあの馬は」
とても真剣な様子で聞く野原の姿は馬乗りのお手本のような人間であることは明らかだ。
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野原裕二
1944年に騎手免許を取得した豪腕騎手。
成績的には1957年に公認競馬・中央競馬を通じて初となる年間100勝をマーク(103勝)し、初のリーディングを獲得。翌1958年には中央競馬における年間最多勝記録となる121勝をマークし、2年連続でリーディングを獲得するなど騎乗技術が非常に高い騎手。
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「あの馬凄いですよね、乗り味が違いますよ」
「凄いどころじゃないだろう!あの馬は間違いなく日本競馬最強に成りうる馬だ!」
野原は前のめりするぐらい興奮気味にテンザンを語る。邦彦は少し驚きながらもあの野原にテンザンを褒められて嬉しくなってもいた。
「八大競走… 取れますかね」
実は邦彦はまだ八大競走を勝っていなかった。
邦彦はいくらリーディング上位だとしてもまだまだ年齢的には若手騎手。有力馬の乗り役を貰えるのはほんの一握りである。
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八大競走
日本の中央競馬における4歳馬のクラシック桜花賞、皐月賞、優駿牝馬、東京優駿、菊花賞に古馬の天皇賞春・秋と 有馬記念の3競走を加えた8つの競走である。
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「あの馬とお前のコンビなら勝てるさ。しかも邦彦、お前リーディング4位だろ」
騎乗フォームを変えた邦彦は成績が上昇。
勝ち星を増やしに増やしまくってブレイク中なのだ。
噂では『関西の野原裕二』と呼ばれているとも聞く。
「はい…!頑張ります!」
野原に勇気付けられた邦彦は検量室から出て、厩舎にいるテンザンに会いに行った。
「俺もああいう馬に出会えるかな… そういや新冠の方の シンボリ牧場で良い馬がいるって言われてたな、強い馬で あることを願っておこう…」
野原はシンボリ牧場新冠支場に生まれた
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頑張って調教した甲斐があったなあ…
鞍上がタケクニさんって知った時は超嬉しかったのが記憶に新しいよ、横川さんでも良かったんだけどなんてったって俺の好きな騎手である竹豊の父親だもんな、いやあ誇らしい!
タケクニさんをノーステッキ&持ったままで終わらせたのは申し訳ないけど、このまま乗ってほしいな。主戦騎手としてお願いしたいぐらいだ。
「おお、邦彦」
「テキ、テンザンはなんもないですか?」
なんもないとは思うけどな…
別にどこも痛くないし。
「あんなのただの公開調教だ、疲れも何もない。安心せい」
「良かった…」
「次走は朝日盃3歳ステークスを予定してる、テンザンならいけると見てるんだが…」
朝日杯3歳ステークスっていったら… 朝日杯FSか。あれ?去年の朝日杯の勝ち馬って誰だったけ?
……カヴァレリッツォか!
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朝日杯フューチュリティステークス(朝日杯FS)
1949年に関東地区の2歳馬チャンピオン決定戦として朝日杯3歳ステークスが中山競馬場で創設。以来、2013年まで長らく中山競馬場で行われてきたが、2014年より施行場を阪神競馬場に変更した。競走名は2001年より馬齢表記を国際基準へ改めたことに伴い、現名称に変更された。牡馬・牝馬どちらも出走できるが、セン馬はできない。
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こん時は牡馬•牝馬混合戦だったな。どこら辺か忘れたけど10年間ぐらい牡馬・セン馬限定だった時あったからな、あれもあれで面白かった記憶がある。特に序盤。ミホノブルボンやブライアン、フジキセキにバブル。グラスワンダーはもうちょっと後だったけか。このレースは翌年のクラシックレースにも直結する重要なレースだから頑張らないと!
『ヒヒーン!ブルル』
「おわっ!急に嘶いたな」
「もっと俺を信用しろって言ってるんじゃないですか?」
「はは、そうかもな」
いやそういうつもりは…
WBC 日本対オーストラリアめっちゃいい試合ですね。
日本頑張れ!