ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ) 作:もいもい130
オラリオの朝は早い。だが、安宿の薄暗い一室に立ち込める空気は、ダンジョンの最下層よりも重苦しかった。
「……狩人。座りなさい」
「…………」
狩人は狩人の帽子を深く被り、ベッドの端に腰を下ろした。その視線の先には、仁王立ちで彼を見下ろすエイナ・チュールがいた。
「……何をしたんですか? アイズ・ヴァレンシュタインさんに」
「……何もしていない。昨日の今日だ。私は、彼女に傷一つ付けていない」
狩人は淡々と、しかしどこか必死に弁明した。嘘ではない。実際、アイズの白い肌には、赤み一つ残っていないはずだ。
「そうですね。確かに傷はないと聞いています。ですが! 彼女、昨夜からずっと呆然としていて、マジェスティック……マジェスティック……ってうわ言のように繰り返しているそうじゃないですか! ロキ・ファミリアの幹部たちが、血眼で原因を探してるんですよ!?」
「………………」
狩人は黙り込んだ。
彼の足元では、実体化した使者たちがマジェスティック!のポーズを真似してクケケと小刻みに震えているが、エイナには狩人の足元の影が、妙にガタガタと落ち着きなく揺れているようにしか見えていない。
「あの人は、ステイタスに頼りすぎていた。だから、少しばかり……指先で、その、澱みを払っただけだ。素手でな。刃は一切使っていない」
「素手で何をしたら、最強の剣姫が虚空を見つめて呟くようになるんですか!? さっきから何なんですか、そのソワソワした態度は! 私の話、聞いてますか!?」
エイナは、狩人がしきりに自分の足元の何もない空間を気にして、時折そこを踏みつけるような仕草をすることに苛立ちを募らせる。狩人からすれば、エイナにバレないように使者たちを影の底へ押し込んでいるのだが、エイナには説教中に足元を貧乏ゆすりして誤魔化している不誠実な男にしか見えない。
「話を逸らさない! いいですか、アイズさんはオラリオの希望なんです。次に何かあったら、本当にファミリアの登録を取り消しますからね!」
エイナの指先が、狩人の鼻先に突きつけられる。
上位者を屠った右手が、今はただ、ハーフエルフの少女の細い指に怯えていた。
一時間後。嵐のような説教が過ぎ去り、エイナが監視を強めますからねと言い残して部屋を出て行った。
「…………ふぅ」
狩人は大きく息を吐き、椅子にもたれかかった。
エイナ・チュール。この導き手こそが、この街で最も恐しい上位者なのではないか。そんな疑念が啓蒙と共に高まっていく。
「……マジェスティック、か。……確かに、少しやりすぎたかもしれん」
狩人は遺志の中から仕込み杖を静かに引き出した。
今日は第18階層、安全地帯まで足を伸ばそう。あそこなら、あのお節介な導き手の目も届くまい。
だが、彼が宿を出ようとしたその時。
廊下の隅で、昨夜の悪夢の残響を振り切ろうとするかのように、剣の柄を固く握りしめたアイズ・ヴァレンシュタインが、再び彼を待っていた。
「……逃がさない。昨日の、続きを……」
「………………」
狩人は無言で帽子を深く被り直した。
エイナに、バレる……。
その恐怖が、狩人を再び、音の出ないメンシス神拳の構えへと向かわせるのだった。