ヤーナムの狩人とオラリオの導き手:啓蒙から始まる恋文字(れんじ)   作:もいもい130

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第2話:導き手と逆さまの看板

 

天を衝くその巨塔、バベルの麓に立ち、狩人は不快げに眉をひそめていた。

ヤーナムの聖堂街にある大聖堂も十分に巨大であったが、この白い塔はもはや建築物の域を超えている。空を支える柱か、あるいは天に住まう上位者の傲慢を形にしたものか。

「…………」

狩人の帽子の影から、冷徹な瞳が塔を見上げる。

これほどの「神の気配」を放つ巨大な杭を街の中心に平然と打ち込み、その影で人々が笑っている。この世界の歪さは、狩人の理解を優に超えていた。

「おい、あんた。この街は初めてか?」

背後から掛けられた声に、狩人の肩が微かに揺れた。

振り返ると、銀色に磨かれた鎧に身を包んだ衛兵が、気さくな笑みを浮かべて立っていた。その身からは、薄っすらとだが「神の臭い」がする。

「……そうだ。ここは、なんだ」

「ここは迷宮都市オラリオ。世界で唯一、ダンジョンの上に建てられた街だ。そしてあんたが見上げているのが『バベル』。神々が俺たちを導き、地下の魔物を封じ込めるために建てた、希望の象徴だよ」

「希望、だと」

狩人は内心で冷笑した。神が建てた塔。それは、この街の住人すべてが上位者の掌の上で踊らされていると言っているに等しい。衛兵は狩人の沈黙を「感銘を受けた」と勘違いしたのか、さらに饒舌に言葉を続けた。

「驚くのも無理はない。……あんた、いい身なりをしてるな。その銀のステッキも上等そうだ。だが、ここは物騒な街だぜ。そんな貴族みたいな格好でうろつくなら、まずはあそこ……『パンテオン』、ギルドの本部に行くといい」

衛兵の目には、狩人の持つ仕込み杖は、ただの豪華なステッキにしか見えていなかった。まさかその内部に、数多の獣を切り刻んできた刃の鎖が仕込まれているとは夢にも思わぬだろう。

「あそこなら、オラリオの仕組みも、仕事の探し方も全部教えてくれる。文字が読めなくても安心しろ、あそこには親切な職員が山ほどいるからな」

「…………ギルド、か」

衛兵は最後に「ようこそ、オラリオへ!」と笑って、自分の持ち場へと戻っていった。

狩人はその背中を冷めた目で見送り、再びバベルを見上げる。

ダンジョン。魔物。神。ギルド。

キーワードが揃うほどに、嫌な予感だけが強まっていく。だが、情報を得る必要があるのも事実だった。

カツン、と仕込み杖を鳴らし、狩人はギルド本部へと歩を進める。

大理石の床。行き交う多種多様な種族。喧騒。

その中で、狩人は一枚の案内板の前に立ち止まった。足元の使者が、どこからか剥いできた「受付案内」の看板を、主人の前に掲げる。だが、やはり読めない。

彼は眉をひそめ、確信を持って、手にした看板を上下逆さまに持ち直した。

……やはり、読めない。

「ああもう! また配送のギルド便が遅れてる……! 間に合わないじゃない!」

その時、石造りの廊下の角から、苛立ちと焦りを滲ませた声が響いた。

緑の髪を揺らした少女が、猛烈な勢いで角を曲がってくる。

「あ、危な……っ!」

「……む」

回避しようと思えば、一瞬のステップでかわせたはずだった。

だが、狩人は動かなかった。ただの人間、それも「神の臭い」がほとんどしない、驚くほど清廉な魂の持ち主が、自分に向かって突っ込んでくる。それに対し、戦士としての反射で回避し、相手を転倒させるような無粋を、彼の内にある紳士としての理性が拒んだのだ。

ドサッ、という鈍い音と共に、白い紙束が宙を舞った。

「痛たた……。あ、ごめんなさい! 前をちゃんと見てなくて……」

尻餅をついたハーフエルフの少女——エイナ・チュールは、慌ててメガネを直しながら顔を上げた。

そして、目の前に立つ男を見て、息を呑んだ。

逆光の中に立つ、黒いマントの青年。その手には、ギルドの案内板が、堂々と逆さまに握られている。

「…………」

狩人は無言で、足元に散らばった書類の一枚を拾い上げた。

そして、それを凝視する。やはり逆さまだ。

「あ、あの……大丈夫、ですか? 怪我は……」

エイナがおそるおそる問いかけると、青年の瞳が彼女を捉えた。

その瞳の奥にある深淵に触れた瞬間、エイナの肌に粟が生じた。だが、それと同時に気づいてしまう。この恐ろしいほどの威圧感を放つ男が、書類を、そして看板を、ものすごく真剣な顔で「逆さま」に見つめていることに。

「……あの、それ。逆さまですよ?」

「…………なに?」

狩人の動きが止まった。

幾千幾万の周回を経験した「上位者」が、初めて自身の致命的なミスに直面した瞬間だった。

エイナは思わず、溜息をついて立ち上がった。

「文字、読めないんですね? しかもその格好……所属の紋章もない。もしかして、来たばかりの迷子さんですか?」

狩人は沈黙したまま、看板をゆっくりと正しい向きに戻した。

「……私は、狩人だ。この地の理は知らぬ」

「やっぱり。……いいですよ、これも何かの縁です。私が案内してあげます。……ただし、その看板は元の場所に返してきてくださいね?」

エイナの苦笑を見て、狩人は奇妙な感覚に陥った。

ヤーナムの狂気も、人形の冷たい指先もそこにはない。ただ、一人の人間としての、温かくも騒がしいお節介。

「……よかろう。案内を頼む、導き手よ」

彼は狩人の帽子を深く被り直し、エイナの後に続いた。

足元では、使者たちが「新しい導き手」に興味津々といった様子で、楽しげに跳ねていた。

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